2018年10月16日

ドラゴンボールは何故「桃白白前」と「桃白白後」で分けて考えるべきなのか


ドラゴンボールの話です。多分既出テーマも色々含まれてると思うんですが、気にしないことにします。

世の中には、「開始当初の方向性が大きく変わってしまった漫画」というものがあります。割りと数多くあります。

「開始当初は〇〇漫画だったのに、段々と××漫画に」というフォーマットを使うと、例えば〇〇には「日常」とか「冒険」とか「活劇」とかいう言葉が入って、××には「バトル」という言葉が入る例が、例えばジャンプ漫画では比較的頻繁に見受けられます。ブリーチとか幽白とか遊戯王とか、皆さん多分色んな例を思い浮かべて頂けると思うんです。

これが悪いという訳では全然ありません。漫画の肝はまず何よりも「面白さ」であって、「面白い!!」と感じる読者をどれだけ作れるかが勝負です。そういう意味では、「面白い!」と感じる読者が多い方に路線変更するのはアリアリ大アリの手段であって、文句を言うようなところではない。現在「路線変更」が記憶に残っている漫画は、その殆どが「路線変更が結果的に成功した漫画」である、という事情もあるでしょう。路線変更自体は別に悪いことではない。

ただ、個人の好みからすると「路線変更前の方が好きだったなあ」というのが出てきてしまうのは仕方がないことであって、時には「1話完結型で、色んな事件を解決していく人情ドラマの幽白も読んでみたかったなあ」とか、「ハードボイルド路線のままであんまり下ネタとか入らないシティハンター読んでみたかったなあ」という人が出てくることも、それはそれで無理からぬことだと思うんです。



ところで、凄い個人的になんですが、私には「バトル展開にならなかったドラゴンボール」はそれはそれで絶対に面白かった筈だ、という確信があります。今ほど人気が出たかというと多分出なかったろうけど、それでも、絶対に面白かった筈だ。

勿論、今更言うまでもなく、ドラゴンボールはバトル漫画の金字塔であって、ありとあらゆるバトル漫画に影響を与えまくっているお化け漫画でもあります。「強敵に出会う」「修行して強くなる」「その強敵を倒す」という超克の物語がいかに面白いか、それをあのクオリティで描き出していることがいかに物凄いことか、もはや議論は不要かと思います。

ただ、それでも。ドラゴンボールにはあるターニングポイントがあって、その「ターニングポイント前」の話も私は好きだったなあ、あのままお話が進んでいてもきっと面白かっただろうなあ、と私は考えてしまうのです。

まず、「当初のお話」から始めましょう。

***

ドラゴンボールは、物語開始当初、間違いなく「悟空と周囲のギャップを中核とした冒険活劇コメディ」でした。これについては議論の必要がないと思います。

つまり、悟空という「ちびっちゃい少年」「しかし凄く強い」「常識がない」というキャラクター。彼が色んな人や色んな問題に関わっていく中で、周囲がそのギャップに驚く、瞠目する、大騒ぎになる。それが、物語当初のドラゴンボールの主要な展開だったのです。

例えば、車を見たことがなかった悟空が、怪力で車を壊す。鍵を知らない悟空がドアを壊す。見慣れない文明物に対して悟空が珍妙な感想を漏らす。この辺は、文明社会に対する異邦人が活躍する、いわゆる「異邦人もの」ジャンルではごく定番の展開です。悟空の強さは、異邦人展開を描写する為のツールのようなものでした。

ブルマという「(比較的)常識的なキャラクター」は、その為に存在しました。彼女は、物語当初、悟空という存在がどんなに型破りな存在なのかを、読者に実にスムーズに教えてくれました。時には悟空の常識のなさに振り回され、時にはその強さに驚き、一方で彼をドラゴンボール探しというストーリー展開に引き込んでいく。「西遊記」という物語を遠い下敷きにしたこの構造は、それだけで十分読み応えのあるストーリーだったといっていいでしょう。

では、言ってみれば「奇想天外な冒険活劇コメディ」だったストーリーが、「強敵との戦いと超克」の物語になったのはどこなのでしょう?


私自身は、そのターニングポイントを「桃白白戦だったのではないか」と考えています。


勿論、桃白白戦の前に修行とバトル展開がなかったのかというと、そんなことはありません。悟空はヤムチャと戦いましたし、亀仙人の元で修行して天下一武闘会に参加しましたし、レッドリボン軍とカチ合ってホワイト将軍やブルー将軍と戦いました。

けれど、少なくとも私が考える限りでは、最初の天下一武闘会周辺の展開は、まだ「冒険活劇」の一部だったと思うんですよ。

例えば、天下一武闘会では、当初悟空の小ささを甘く見る相手が複数出てきます。予選の相手もそうだし、ギランもそうだし、なんならナムだってそうです。

レッドリボン軍編は、「小さな少年が武装マフィアを叩きのめす」という展開における「まさか」の爽快感こそが肝であって、そういう意味ではそのまんま、1巻や2巻の展開の延長です。マッスルタワーの1階や2階の展開なんて丸々「まさか」のカタルシス展開ですし、ムラサキ曹長との闘いはコメディ色の強いものでした。ホワイト将軍自身は、ガチンコだと全く悟空との勝負にはなりません。ブルー将軍との戦いも、どちらかというと絡め手と正攻法のせめぎ合いという感じでした。

何よりも、桃白白戦以前は、悟空には「超克の対象」がいなかった。

ジャッキー・チュンとの戦いは、強敵との超克というよりは痛み分け惜敗という感じで、負けてどうなるという戦いでもありませんでした。ピラフ一味にしても、ブルー将軍にしてもホワイト将軍にしても、どちらかというと「巻き込まれた先にあった障害」であって、そもそも「打倒しなくてはならない強敵」という位置づけではなかったのです。

それに対して、

・劇中初めて悟空が完敗する
・悟空がカリン塔で修行する
・修行して強くなった悟空が桃白白を圧倒する

という、いわば「修行と超克」のモデルケースともいえる展開を初めて読者の前に提示したのが、他ならぬ桃白白戦だった訳です。

この、「強敵が現われる→修行して力を蓄える、レベルアップする→激戦の末強敵を倒す」という展開は、その後何度となくドラゴンボールの劇中に出現することになります。

この後、直後のレッドリボン軍本拠地戦ではまだ多少のコメディ色があったものの(エレベーターを使わないで頭突きで上の階に上がる悟空とか)、その後の占いババ編、22回の天下一武闘会、ピッコロ編と、お話は徐々にコメディ活劇色を薄くしていき、連綿と続くバトル展開が始まったことを考えると、

「桃白白以前」と「桃白白以後」でははっきりとお話の性格が変わっている

ということは、かなり明確に言えると思うんです。

勿論私は、「桃白白以後」のドラゴンボールも好きです。ピッコロ戦も、サイヤ人編も、フリーザ戦も、その後の諸々も、それぞれに素晴らしいドラゴンボールだったと思います。

一方で、「桃白白以前」のドラゴンボール、悟空が非常識な存在のままであって、周囲が悟空の行動や強さに驚愕していた、あの「冒険活劇コメディ」も、それはそれで素晴らしいドラゴンボールだったと思うんですよね。なんならあの後、ドラゴンボールを集めてボラを生き返らせた後、元の展開に戻ってまた気ままにブルマたちと旅を続けるドラゴンボールも、もしかするとあり得たかも知れない漫画として、間違いなく面白かったんじゃないかと。

私はそんな風に考えているのです。

ちなみに、全然余談なんですが、桃白白さんは「初めて悟空に完勝した」「かめはめ波以外の光線技を披露した」「悟空の超克の対象になった」「その後のバトル展開のターニングポイントになった」ということのみならず、第23回天下一武闘会では「悟空陣営がどれくらい強くなったかの物差しになった」という役割まで担っており、ドラゴンボールの物語全般においても滅茶苦茶な重要キャラクターです。ただ自分で投げた柱に乗って飛んでいるだけが桃白白さんではない。皆さん桃白白さんのヤバさをもっと知るべきだと思います。

もう一つ余談として、この記事自体は「ドラゴンボールを先輩に勧められて読んでみたけど面白くなかった」という記事を読んで思いついたものなんですが、面白かった面白くなかったは完全無欠に人それぞれであって、他人がケチをつけることでは一切ないと思うので、当該の記事に関して言いたいことは特にありません。楽しめなくて残念でしたね、だけでいいんじゃないでしょうか。

今日書きたいことはそれくらいです。


posted by しんざき at 14:28 | Comment(11) | 書籍・漫画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年10月09日

ところで「リボーンの棋士」が面白いのでかなりの勢いでお勧めします

もう皆さんとっくにご存知かも知れないんですが、ビッグコミックスピリッツの「リボーンの棋士」が面白いです。最初の頃は正直そこまで注目していなかったんですが、どんどん面白さが増してきていまして、今は「アオアシ」に次いで、スピリッツ購入事由第二位の位置を占めつつあります。


作者は鍋倉夫さん。ちょっと調べてみたんですが、どうもこの作品がデビュー作の方であるようです。

リボーンの棋士は、勿論タイトルを手塚先生の「リボンの騎士」になぞらえていると思うんですが、作品的にはそれを意識しているように思えるところは全くなく、実にストレートな将棋漫画です。ただ、「奨励会を年齢制限で退会した」いわゆる「元奨」の人物が主人公であることが、ストーリー上の大きな特徴になっています。ハチワンダイバーの菅田なんかも元奨でしたよね。

以下、折りたたみます。


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posted by しんざき at 07:00 | Comment(0) | 書籍・漫画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月26日

何故「ドラえもん のび太の大魔境」が私にとって大長編ドラえもん最高傑作なのか


先に断っておきますが、この記事には漫画原作版「のび太の大魔境」のネタバレが含まれます。

もしまだ「ドラえもん のび太の大魔境」を読んだことがない人がいるのであれば、ひとつうそつ機で騙されたと思って買って読んでみてください。画像掲示の為にリンクは張りますが、別に下リンクからでなくてもいいので。超面白いです、のび太の大魔境。


以前も書いたんですが、私の「大長編ドラえもん」歴は、「のび太のアニマル惑星」辺りで一旦途切れて、夢幻三剣士とかブリキの迷宮とかをちょこちょこ読んで、その後長男の影響で「ひみつ道具博物館」辺りから復活した、という感じの経緯になります。最近のは漫画原作がないので読んでないんですが、漫画原作がある時代のものはすべて漫画原作で読んでいます。

その範囲内で、「私が好きな大長編ドラえもん」を順位づけすると、以下の通りとなります。

1.のび太の大魔境
2.のび太の宇宙開拓史
3.宇宙小戦争
4.海底鬼岩城
5.日本誕生

次点で鉄人兵団、魔界大冒険、竜の騎士、恐竜辺りが僅差で並んでいます。

「宇宙開拓史」や「宇宙小戦争」の最大の魅力が、なんといっても「強力な敵役と、そこに追いつめられての大ピンチからの大逆転」であることは間違いないと思います。以前もその辺については記事を書きました。以下、気が向いたらご参照ください。
ギラーミンさんとの決闘展開超熱かったですよね。

一方、のび太の大魔境は、そこまで「超強力で魅力的な敵役」というものは出てきません(いや、ダブランダーとかサベール隊長とか、それなりにいい味出してるんですが、流石にギラーミンやドラコルルに比べれば一歩譲ると思います)。それでも、大魔境は私の中で最高の名作になっています。

本記事では、「私はなぜ大魔境がそんなに好きなのか」という話を、つらつらと書いてみたいと思います。

私が考える限り、大魔境の素敵ポイントは6個くらいあります。

・冒険の動機と「未知の地域の探検」が一直線につながっていて、単純に冒険自体がわくわくする
・ひみつ道具が使えなくなる展開がごく自然で素晴らしい
・ピンチと、そこからの脱出によるカタルシスがシリーズ中でも屈指
・ピンチ脱出に係る伏線と、その伏線の回収が完璧
・キャラクターそれぞれの活躍がきっちり描かれていて素晴らしい
・食事シーンが戦慄するまでに美味そう

以下、折り畳みます。

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posted by しんざき at 07:27 | Comment(4) | 書籍・漫画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月12日

聖闘士星矢の展開以外で12星座を覚えることが出来なくて困っている

今からどうでもいいことを書きます。


しんざきは割と残念な記憶力の所有者でして、物事をなかなか覚えることができません。ダライアス外伝の敵出現パターンとか、パーツ破壊の順番とかなら覚えられるんですが、一般的に必要そうな知識は記憶するのに一苦労します。

で、そんな中の一つ、割と一般的に潰しが利きそうな知識として、「12星座の順番」というものがあります。おうし座から始まってうお座で終わるアレです。

皆さん覚えてますか?順番に言えますか?12星座。あれ、子どもがいると、唐突に「わたしはなに座でしょう!」とか聞いてくることがあるので、結構考えることが多いんですよ。

で、当然のことながら私は正攻法ではとても12個もの順列を記憶することができませんので、何か別なもので記憶を代替させようとするじゃないですか。たとえば干支であれば、「ねずみのちゅーすけさん、うしにのって おまいりよ」みたいな歌がありますので、咄嗟に思い出すことも出来るわけなんですが、12星座はそれに該当するものがないんです。いや、もしかしたらあるのかも知れないですが私が知らないんです。

そこで出てくるのがアレです。そうアレ。


聖闘士星矢 黄金聖闘士編


現在の30代〜40代男性であれば、恐らく7割から8割が影響されているであろうお化けコンテンツが聖闘士星矢です。最近は色々リメイクもされているわけでして、もしかすると10代の少年ズにも多少はタイトルが知られているのかも知れません。

12星座の間に重大なヒエラルキーを作ってしまった罪深い漫画でもありまして、獅子座や乙女座がデカい顔をする一方、蟹座や魚座が肩身が狭い思いをしたりもしましたよね。あったあった。かに座はマニゴルドが超かっこよかったので多少救済された側面もありますが、デストールが追加攻撃を仕掛けてきて色々アレでしたよね。いやまあデストール強いし結構いい味出してはいるんですけど。

私は黄金聖闘士編の展開ならほぼ完ぺきに覚えているので、黄金聖闘士と星矢たちが戦う順番を思い出すことによって、12星座の順番をシミュレートすることが出来るんですよ!!!超便利!!!!

順番に考えてみましょう。

まず最初に、白羊宮にムウがいます。ムウは当然星矢たちの味方なので、最初は戦わず、黄金聖闘士の強さについての説明だけをしてくれます。これ、最初にガチで戦わないチュートリアル的なキャラがいるってゲーム展開的に素晴らしいですよね。車田先生の星座配置能力が光ります。

次に出てくるのがアルデバランです。彼、元々ちょっと葛藤があったこともあって、若干星矢成長の噛ませっぽい演出をされてしまったところもあるんですが、まあ羊→牛という展開的には特に問題はない。

次に…謎の顔が黒い聖闘士てめえサガちゃんと双児宮にいろよ俺が覚えられないじゃねえかこの野郎、と思わないでもないですが、彼が立場的に双児宮にいられないのは理解出来ますので仕方ないとしましょう。

そして安定のデスマスク、アイオリア、シャカの並びが続きます。かに座→しし座→乙女座の流れですね。デスマスクは言うに及ばず色々とアレなんですが、アイオリア→シャカの並びが実力的にヤバイ。青銅側のチートキャラ一輝を当てざるを得なかったシャカの強さは、当時ちびっ子たちの度肝を抜いたところです。

その次が氷河の師匠でもあるカミュ。みずがめ座ですね。ここで氷河は、師匠の手で氷の棺に閉じ込められてしまうわけです。

その次にさそり座のミロ、無人の人馬宮、やぎ座のシュラが続きまして、更にみずがめ座のカミュ、魚座のアフロディーテ…


ん、今みずがめ座2回無かったか?


そう。これが「黄金聖闘士で12星座覚えるよシステム」の最大にして最凶のトラップ。

「カミュが何故か宝瓶宮をほっといて天秤宮まで降りてきてたよ問題」

なのです。


てんびん座の童虎は皆さんご存知の通り廬山でお座りマスコットと化しておりましたので、天秤宮は本来無人の筈だったのですが、カミュが余程暇だったのか、氷河を戦いから降ろす為という口実でわざわざ出張して来やがりまして、そのせいで登場する順番が崩れてしまったのです。なんということでしょう。干支の詩でいえば、

「おうまはぽっくりこ、ひつじとかけくらべ、さるもあとからおいかける」

であるべき筈のところ、

「おうまはぽっくりこ、とりが突如乱入したのちひつじとかけくらべ、さるもあとからおいかける」

になっているようなものです。このようなアクロバティックな歌を前に、子どもたちは一体どのように振る舞えばいいのでしょうか。てめえカミュ!!宝瓶宮で大人しくしてろよ俺の記憶に重大な支障が出るだろ!!!!


ということで、「黄金聖闘士の順番で12星座を覚える時は、天秤宮にカミュが出張してきたことをきちんと覚えていないと大混乱に陥る」という問題について書いてみました。皆さんには是非、当該トラップを無事にくぐり抜け、健やかな12星座記憶生活を過ごして頂きたいと考えること大です。

なお、「聖闘士星矢 THE LOST CANVAS 冥王神話」は、手代木史織先生の手によるスピンオフ作品なのですが、内容が本気で熱い上にかに座のマニゴルドが超かっこいいので、未読の方は是非ご一読いただきたいと思うところ大です。特にかに座の方は是非。

極めてどうでもいい内容でしたが、今日書きたいことはそれくらいです。




posted by しんざき at 07:26 | Comment(2) | 書籍・漫画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月23日

ジャンプでゴルフ漫画を連載することがいかに難しいか、という話


皆さん、「ライジングインパクト」って覚えてますか?



小柄でありながら天性の飛ばし屋でもある「ガウェイン・七海」を主人公とするゴルフ漫画。今はマガジンで「七つの大罪」を描いている鈴木央先生の作品です。

登場人物の何人かは「ギフト」という特殊能力を持っていて、ガウェインは450ヤード飛ばすわ、ランスロットは70ヤードのパットでも沈めるわ、トリスタンは風の影響を完璧に見切って120ヤードチップインさせるわ、まあ言ってしまえば超人ゴルフ漫画だったんですけど、当時凄い面白かったですし、私の認識では結構人気もあったと思うんですよ。面白かったですよね?

ただ、その「ライジングインパクト」ですら、ジャンプでは苦戦したようで。一度打ち切り→読者の要望で復活→再度打ち切りっていうルートをたどってるんですよ。


ジャンプで「一度打ち切られた漫画がそのまま本誌で復活」っていうのも相当特殊な状況ですから、まあ凄い熱意があるファンがたくさんいたんだろうと思うんですけど、それでもアンケートでは安定した順位がとれなかったってことですよね。あんだけ面白かったし、少年読者に分かりやすい工夫も色々されてたんだけどなあ。

ジャンプでのゴルフ漫画ってもともとそんなに数は多くなくって、多分「ホールインワン」と「隼人18番勝負」とライパク辺りが主要なところだと思うんですが、他にありましたっけ?ホールインワンも2年で終わってますし、隼人18番勝負も1年で終わっちゃってます。

「プロゴルファー猿」は言うまでもなく、「青空しょって」や「DANDOH!!」を擁するサンデーや、「あした天気になあれ」や「空の昴」が人気を博したマガジンに比べると、元々少年誌の中ではゴルフ漫画が不遇だったのがジャンプ、ともいえると思うんですよ。


で、皆さんお分かりの通り、現在ジャンプでは「ROBOT×LASERBEAM」が連載されています。「黒子のバスケ」で大人気になった藤巻忠俊先生の次回作です。


まず前提なんですが、ROBOT×LASERBEAM、私はすげー面白いと思ってるんですよ。

主人公の鳩原呂羽人も、「ゴルフ自体は素人だけど、一点集中型の凄い能力をもっている」っていう設定も王道だし、それでいてキャラクターは独特で、性格的にも好感が持てて。能力の見せ方にも、周囲からの認められ方にもカタルシスがあったし、周囲のわき役陣も最初っからすごいいい味出してた。鷹山とのライバル展開も、更にその上をいく朱雀恭介なんかのキャラクターの出し方も自然で、読んでいて気持ち良かった。

ただ、これも皆さんお分かりの通り、ROBOT×LASERBEAMは現在掲載順でも最後方グループ常連ですし、展開にも物凄いテコ入れが入っていまして、栄藍学院高校は殆どすっ飛ばされて三足飛びくらいにプロになってしまった。いきなりの3年後展開にはさすがに「そうくるかー」と思ってしまいました。


これ、藤巻先生的にはおそらく「高校編をもっとゆっくり描きたかった」というご希望があったと思うし、ほぼ出番がすっ飛ばされてしまった栄藍高校の先輩の面々も、ロボがプロを目指す展開も、プロテストに挑戦する顛末も、もっとゆっくり読みたかったなーと言う感想は正直捨てきれないんですよ。あの先輩たちも含めての高校生活とか、絶対楽しそうじゃないですか?

ただ、それでも恐らく、ジャンプ読者の間で広い人気がとれたのかっていうと厳しかったんだろうし、だからこそのテコ入れ展開なのか、あるいはほかの事情で超速展開になっているのか、いずれにせよやむにやまれぬ事情での今の展開だろうとうは思いますし。

これだけ面白くても人気がとれないのか、という点で、つくづく「ジャンプでのゴルフ漫画」って難しいんだなあ、と。また、黒子を描いた作者さんの次回作にもある意味容赦をしないジャンプは、まあ流石ということなのかなあとも、やや複雑な感情とともに考えるわけです。



個人的にはちょっと色々忸怩たる思いがありまして、私「ロボレーザービーム面白い」とは折に触れて言ってたんですけど、例えば不倒城でがーっと押したかっていうと、正直あんまり触れてないんですよね。

いや、勿論不倒城の影響力なんて吹けば飛ぶ程度のものなので、それを書くことで何か影響があったかっていうと死ぬほど怪しいところではありますが、それでも何人かの方は、それを読んで「お、こんな漫画があるのか、面白そうだな」と思ってくれたかも知れませんし。何より、「もっと書けばよかったなあ」と今になって思うこともなかったと思うんですよ。

自分で「好きなものは軽率に好きと言っていけ」などと言いながらこの体たらく、反省すると共に、今後とも面白いと思ったコンテンツは反射神経で褒めていきたいと、そういう風に考えた次第なのです。


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 07:33 | Comment(0) | 書籍・漫画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月09日

「アオアシ」の武蔵野戦があまりにも素晴らしいエピソード過ぎるので紹介させてください

どうもしんざきです。なんか最近ずーっとこれ言ってる感じですが、アオアシが超面白いんですよ。

「パパが読んでる本は面白い本」という認識を持っている長男も最近ハマりました。長男サッカーやめちゃったんで、「またサッカーやりたくなったりする?」って聞いてみたら「プロは別腹だから」というなんだかよく分からない回答が戻ってきました。良く分かりませんが特に問題はないそうです。

で、先日こんな記事を書いたんです。

アオアシの基本的な展開が、「才能はあるが洗練されていない主人公の成長と超克の物語」であることは間違いありません。「粗削りな才能を徐々に磨いていき、周囲に認められていく主人公」という筋書きは、スポーツものにおいて一つの王道です。何度か書いている「さすが」と「まさか」の面白さでいうと、バランス的に「まさか」に寄った筋書きですよね。
アオアシが、主人公の青井葦人を中心とした物語であることは間違いのない事実でして、アシトの能力、努力、成長、弱さ、強さ、全部ひっくるめてアオアシという作品の魅力の中核であることは議論を俟たないと思います。試合中の思わぬタイミングでのアシトの活躍気持ちいいですよね。

で、9巻から11巻まで、ほぼ丸々三冊をかけて描かれるのが、アシトが所属するエスペリオンユースと、武蔵野蹴球団ユースとの一戦です。9巻序盤の武蔵野偵察から、11巻の武蔵野戦決着までが、「武蔵野戦編」と言っていいでしょう。





この「対武蔵野戦」というのが、アオアシという作品の中でも出色の「群像劇」でして、現在のところ間違いなく作中ベストゲームであろうと思われたので、ちょっと紹介してみたくなりました。


以下は、ネタバレになりますので折りたたみます。画像は引用の要件を満たす形で引用します。



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posted by しんざき at 07:30 | Comment(0) | 書籍・漫画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月21日

ところでスピリッツの「アオアシ」がめっちゃ面白いです

いや面白いんですよこれが。以前からおもしれーおもしれーとは言っていたんですが、特にここ数カ月の展開がより面白さにブーストかけてきてまして、今連載している週刊漫画の中では、個人的なトップ3に入ってきました。


ということで、今日はアオアシの面白さについてつらつら述べさせて頂こうと思うわけです。多少ネタバレが混じるのはご容赦ください。

アオアシは、ビッグコミックスピリッツで連載しているサッカー漫画です。数あるサッカー漫画の中でも、プロチームの下部育成組織である「ユースチーム」を描いていることが特徴です。

主人公の青井葦人は、愛媛の公立中学でサッカーをやっていたところ、粗削りの才能を「エスペリオンFC」ユースチーム監督の福田に見いだされ、紆余曲折の末エスペリオンのユースチームに参加することになります。そこで彼は、様々なプレイヤーとぶつかり合い、時には協力して、チームと自分自身を成長させていくことになります。


アオアシの基本的な展開が、「才能はあるが洗練されていない主人公の成長と超克の物語」であることは間違いありません。「粗削りな才能を徐々に磨いていき、周囲に認められていく主人公」という筋書きは、スポーツものにおいて一つの王道です。何度か書いている「さすが」と「まさか」の面白さでいうと、バランス的に「まさか」に寄った筋書きですよね。

手前味噌で申し訳ないですが、ちょっと以前書いた記事から引用します。

「まさか」のカタルシスというのは、要するに逆転のカタルシスだ。最初周囲から見くびられていた主人公が、「まさか」と思われる中強敵を倒すことによる気持ちよさ。弱かった主人公が、努力して超強くなる気持ちよさ。大ピンチに陥った仲間チームが、「まさか」と思われる大逆転をして勝利を収める気持ちよさ。

まあ戦闘もの少年漫画なんか、最終的には予定調和的に主人公が勝つものが大多数だとは思うけれど。それでも、そこに至る「まさか」という気持ちよさを演出するのは作者の腕の見せ所であり、この気持ちよさの大小がその漫画の面白さに影響する部分は大きいと思う。
ただ、アオアシの面白いところは、そこだけの話ではなく。いやむしろその「まさかのカタルシス」というのは副次的な話でして。


この漫画、「主人公の成長と覚醒具合」がすっごい絶妙なんです。


主人公のアシトは、地元の中学サッカーで無双出来る程度の実力は最初からあるのですが、きちんとした練習をしたことがなく、ユースチームの中ではフィジカルも技術も全然ダメな部類です。パス回しも苦手なら、ドリブルもフェイントも勿論いまいち。

で、この漫画の凄いところは、「その弱点については安易に成長しないし、解決しない」んですよ。

勿論、アシトのテクニックも全く成長しない訳ではなく、元来サッカー練習についてはひたむきなアシトは、色々試行錯誤してテクニックを身に着けようとしていくわけで、それも多少は実を結ぶんですが。ただ、テクニックはそんなに急に成長したりはしないし、フィジカルはそもそも根本的に解決しない。「フィジカル強い選手に当たったら当たり負けるよ」というのはどうしようもない訳です。

ではアシトはどういう側面で成長・あるいは覚醒するのかというと、それは「視野と戦術」

実はアシトには、「物凄い視野の広さ」という潜在能力がありまして、それこそフィールド上のありとあらゆる動きを拾い上げて、的確なボールの動かし方を考えることが出来るのです。

aoashi2.png

まずはここの、いわば「覚醒具合」が凄く絶妙で面白い。当初は戦術も分からなければ、自分の能力の意味にも気づいていなかったアシトは、技術面で散々苦労しながらも、色々なきっかけで自分の能力を活かせるようになっていき、周囲もアシトの視野の広さやコーチングの的確さに気付き始めます。これについては本当に少年漫画的で、様々な場面で絶妙なカタルシスがあります。「こいつ、只者じゃないな」と主人公が周囲から評価されていくのは、それこそ「まさか」のカタルシスの王道です。

一方で、テクニカルやフィジカルの問題は全然解決していないというか、周囲のレベルの高さに比べればアシトは素人同然なので、アシトは相変わらず色んな点で苦労しますし、そこから這い上がろうとあがきますし、少しずつ成長していきます。こちらの練習や成長具合については、凄い描写や展開がリアルなんですよ。それこそ普通のサッカー少年の世界。

いってみれば読者は、「少年漫画の主人公としての成長」と、「普通のサッカー少年の成長」を同時並行で読めるわけです。両方味わえて面白さ二倍。ここが多分、私がアオアシを面白いなーと感じるところの根本的なポイントだと思います。

また、主人公のアシトのキャラクターもとても良い。劇中当初は「才能頼りで調子に乗る俺様キャラクター」的な描写もあるのですが、自分のテクニック不足、フィジカル不足については彼、とにかく自覚が速いし、そこから逃げないんです。どうすれば克服できるか?どうすればそれをカバーできるかを真剣に考えるし、躊躇なく他人に頭を下げて教えを乞うし、適切なアドバイスはきちんと受け入れる。スポーツ漫画の主人公としてとても好感が持てます。


周囲のキャラクターもいい味を出してるキャラばっかりで、特にユース監督の福田は、アシトの特性を最初の時点から読み切って、劇中中盤でアシトに対して重大な選択肢を提示します。これもまた、サッカー漫画として「そうくるか」という物凄い展開でして、是非実際に読んで確かめて頂きたいと思うわけですが、まあ福田さんの「出来るヤツ」感物凄い。

アシトのサッカー仲間も、例えば当初アシトに当たりがキツかったり、色々衝突したりもするんですが、根本的にはいいヤツばっか感がありまして、その辺打ち解けていく描写も素敵だと思います。最近だとAチームの桐木の「変な名前。」が名言だったと思います。

まあ阿久津さんはなかなかデレないというか、アシトを敵視する悪役ポジションを保持しているわけですが、なにせアシトがとにかくひたむきなのでその内色々あるんだと思います。

あとヒロインがとてもかわいい。メインヒロインは多分二人いまして、

aoashi1.png

一人はエスペリオンの親会社である「海堂電機」社長令嬢である杏里、通称お嬢。普段冷静な語り口なんだけど、特にアシトが絡んで活躍したりするとあっさり冷静さをかなぐり捨てて盛り上がるのがかわいい(かわいい)。サッカーFCの監督を志しているキャラクターでもあり、サッカー知識も豊富でありながら劇中の他キャラクター程ではなく、読者視点での解説役になったりもします。


aoashi3.png

あと、お嬢よりもアシトとの付き合いが長い一条花。諸事情で上の画像ではぶすっとしていますが、スポーツ栄養士を目指している女の子で、こちらも衒いなくアシトを応援するキャラ。感情表現が素直でとてもかわいい(かわいい)。


目下、本誌ではこれまた超熱い展開になってきておりまして、アシトがAチームの試合に出ることになりそうでおいおいこれどうなるんだ、的な素晴らしい熱量なので皆さんにも紹介したくなった次第です。皆さんよかったらアオアシ読んでみてください。後悔はさせません。



今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 07:44 | Comment(3) | 書籍・漫画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月12日

「チェイサー」の5巻がマジで面白い

超面白かったです。


いや、ゆーてもチェイサーは本誌に載ってる時は本誌買って全部読んでるので、話自体は把握してたんですが、やっぱ単行本という形でまとめて読むとまた格別だなあ、という話でして。

「チェイサー」自体については、下記記事で色々書いてるんでそちら参照してください。いや、今連載されてる色んな漫画の中でも、トップ3には余裕で入るくらい面白いと思うんですよ、チェイサー。


で、チェイサーは、勿論手塚治虫先生の同時代伝記とでもいうべき漫画であって、手塚先生の「チェイサー」である、同じく漫画家の海徳光一という人物を主人公としています。

チェイサーの面白さは、何と言っても「海徳先生が手塚先生を意識する時、「チェイス」する時のドタバタ感」という言葉に集約されると思うのですが、この5巻ではそこに重大な転機が訪れます。

つまり、少年漫画業界における手塚人気に陰りが出てしまい、一方海徳先生が「少年ジャンプ」で大ヒットし、作中の少年漫画人気では手塚先生を越えてしまうのです。

作中でも語られることですが、手塚先生には、一時期少年漫画業界での人気が低迷していたことがあります。1960年代後半から1970年代の前半、作風が厭世的になった頃ですね。

で、5巻の大筋はこの時期の話なんですが、海徳先生の方は、ちょうどこの時期に「俺のドラゴンボウル」というボーリング漫画を「ジャンプ」で描いて、これを大ヒットさせてしまいます。劇中、日本にボーリングブームを巻き起こした人物として、海徳先生は一躍時の人に。この辺り、実際にあったボーリングブームと絡めてくるあたりが、コージィ先生つくづく上手いですよね。

勿論この時期、手塚先生は「火の鳥」「奇子」「きりひと賛歌」なども同時並行で著していたわけであって、青年漫画の世界ではまだまだ物凄い存在だった訳なんですが、少なくとも少年漫画というフィールドでは、海徳先生は手塚治虫に完全に「勝って」しまう。

ところが、海徳先生の手塚コンプレックスは、解消されるどころか、うっかりすると更に悪化してしまうわけです。

元々手塚先生のインテリジェンスに憧れていたところのある海徳先生は、「おれのドラゴンボウル」が徹底して子ども向けの、いってみれば「おバカ」な漫画であることにコンプレックスを持ちます。「火の鳥」や「きりひと賛歌」を見て、「俺はこんなおバカなことを書いていていいのか!?」と葛藤しちゃうわけです。


この辺の葛藤の描写が、また上手いし超面白いんですよ。


この巻では、5巻におけるもう一人のメインキャラともいえる、ジャンプの編集者である日下(ひげ)氏が活躍します。彼のスタンスは単純明快。「少年漫画はインパクトと分かりやすさがなにより重要」「少年漫画で人気出たヤツが漫画業界で一番偉い」というのが彼の持論であって、時々ブレそうになる海徳先生を強引に引き戻すのは彼の手腕です。手塚先生のインテリジェンスに憧れて、「俺も少しはそういうのを描くべきなんじゃ!?」と迷う海徳先生を、「そっちにいかないでください!!」と無理やり引き戻すドタバタは素晴らしいとしか言いようがありません。「手塚賞」がジャンプに導入された時のやり取りなんかはもうニヤニヤが止まりませんでした。

日下氏は、「少年漫画にインテリジェンスなんて導入したら子ども読者を逃がすだけ」という思考で一貫しているんですよね。で、「俺のドラゴンボウル」が大人気なんで、彼としては何としてもそこを外したくない。あの手この手で海徳先生をおだてつつ、フラフラとインテリジェンスを追い始めようとする海徳先生を強引に引っ張り戻すわけです。


日下氏の、「「子どもっぽい」ことから逃げないでください!!」というのは、作中でもトップクラスの名言だと思います。


大体海徳先生、手塚治虫を意識するあまり、うっかりすると自作以上に手塚作品の方が気になっちゃうんですよね。一躍時の人となってしまった自作の人気に戸惑いつつ、むしろ「手塚治虫の凋落」という事象の方にショックを受ける海徳先生のキャラクターは、やはり今作最大の味です。俺のドラゴンボウル読みたい。


この辺、「少年漫画というフィールドでは手塚先生を凌いでしまった」海徳先生の戸惑いと葛藤、あと日下氏とのやり取りや日下氏の強引なフォローや路線誘導が、チェイサー5巻のハイライトであることは論を俟たないでしょう。日下氏という、一本筋の通った考え方というか、物差しが提示されるからこそ、海徳先生の葛藤や逡巡が余計に際立つんですよね。


で、5巻も終盤、「俺のドラゴンボウル」の人気にも陰りが見えてきた頃。手塚治虫はすっかり少年漫画業界での立場を凋落させてしまい、どの雑誌も手塚漫画を載せたがらない、というところまで来てしまいます。本質的には単なる手塚ファンである海徳先生すら、「少年漫画で生き恥をさらさないで青年漫画に集中してくれ」と言うくらいです。

さすがに海徳先生も、ぼちぼち「少年漫画では俺の方が上」という自信を持った時に、こんな話が伝わってきます。

「手塚先生がチャンピオンで連載を始めるらしい」
「チャンピオンの編集長が、「手塚の死に水は俺がとる」と言っている」

はい、この辺が、伝記ものの一番面白いところですよね。我々は、この後、チャンピオンに何が載るのかを知っている。

そう、「ブラック・ジャック」がついにその姿を現すのです。


というところで、5巻はここまで。いやーー面白い。面白いですチェイサー。展開もさることながら、単行本の引きのタイミングも絶妙。

取りあえず皆さん、「チェイサー」はまだ5巻しか出てませんし、読んでない人はちょっと騙されたと思って読んでみませんか?手塚治虫先生の伝記として読んでも、海徳先生という漫画家の出世物語として読んでも、ドタバタ感がすげー楽しめますよ。






気が向いた方は是非どうぞ。画像つけたいから貼ってますが、別に上のリンクから買わなくていいんで。


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 07:25 | Comment(1) | 書籍・漫画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月08日

しんざきにとってラヴクラフト作品は何故怖くないのか


主語小さい記事です。

いや、twitterではネタとしてこういうこと書きましたけど、

実際には触手がどうとか触腕がどうとかって、多分枝葉の問題だと思うんですよ。

だって、ラヴクラフト作品で「触手」「触腕」みたいな描写が出てくる、というか「宇宙的怪異」がある程度直接描写される話ってごくごく一部ですもんね。多分、全体の2割あるかないかってところなんじゃないでしょうか?クトゥルフ神話全体だったらもっと一杯あるんですけどね。

これはどちらかというと「ホラー」というジャンルの受け取り方とか、楽しみ方の話なんですが。


私、ホラーの肝って、「踏み外させ方」だと思うんですよ。


つまり、「さっきまで日常だったのに、いつの間にか日常を踏み外していた」という、いってみれば浮遊感。あれなんかおかしいぞおかしいぞ、と思いながら読み進めて、どこかで「既に日常を踏み外して落下していた」という感覚。後から読み返して、「ここだったのか」と気づく戦慄。

少なくとも私が、ホラーを読んで「怖さ」を感じるところってそこなんですよね。

怖いホラーって、凄く「日常」を描くのが上手いと思うんですよ。ついさっきまで和気あいあいと、ごく普通の日常を送っていたのに、ある瞬間から異様な情景に、異様な世界になる。日常描写がリアルであればある程、それが「実は壊れていた」と気付く時の恐怖感が大きくなる。

いわば、日常風景でゲージ溜めて、そのゲージで一気に超必を撃つ、みたいな話なんだと思うんです。少なくとも私は、「日常ゲージ」がある程度溜まってないとあんまり怖くない。それも、「怖くなるぞ怖くなるぞさあ怖くなるぞ」っていう前振りがある怖さじゃなくって、「あれ、なんか変だな…日常の筈なのに…あれ?あれ?」ってなる方が怖い。

要するに、物語序盤からすぐ怖い話が始まったり、「怖くなるぞ」っていうタメが明確な作品ってあんまり怖くないんです。

で、そういう意味では、ラヴクラフト作品って「日常ゲージ溜め」はあまり行われないんですよね。勿論タイトルにもよるんですが、割と早い段階で「日常」は終わるし、場合によっては最初の時点で既に日常が終わっていたりする。「怪異の存在明示」が結構早いんです。

ただ、これは決して「ラヴクラフト作品がつまらない」という訳ではないということは念押しさせてください。私にとって、「ホラーとしての」ラヴクラフト作品はあまり怖くない、というだけの話であって、「宇宙的怪異」を描いているラヴクラフト作品は十分面白いですし、楽しめます。「時間からの影」とか「宇宙からの色」とか超面白い。

ただ、飽くまで「ホラーとして」の話であれば、「冷気」とか「家のなかの絵」なんかはかなり怖いと思います。ムニョス先生こわい。あと「神殿」も結構こわいかも。

ちなみに、以下は初心者の方におススメ出来るラヴクラフト作品の記事なんで、よかったら読んでみてください。面白いですよ。ラヴクラフト。たまにSAN値は削られますけど。





ところで、全然話が飛ぶんですが、私レイ・ブラッドベリの作品って大好きで。特に大好物なのが「何かが道をやってくる」と「10月はたそがれの国」の二作なんですけど。

ブラッドベリって、そもそも別にホラー作家ではなくって、時にはSFを、時にはファンタジーを書くっていう感じの、言ってみれば「幻想作家」なんですけど。

ただ、ブラッドベリの「踏み外させ方」って物凄いと思うんですよ。正直そこらのホラー小説よりよっぽど怖い。「あれ?あれ?日常の筈なのに…」からの浮遊感がすごーーーい上手いんです。

そういう意味で、上でも挙げた「10月はたそがれの国」と「何かが道をやってくる」は超お勧めです。よかったら一度読んでみてください。



「10月はたそがれの国」については以前書きました。その時も「踏み外させ方」の話をしました。



「何かが道をやってくる」についてはまたその内ちゃんと書こうと思います。


ということで、今日書きたいことはそれくらい。

posted by しんざき at 07:37 | Comment(3) | 書籍・漫画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月25日

「足を引っ張る味方」の役割について、あるいはワールドトリガーすごいよねという話

こんなまとめを目撃しました。


物語における「トラブルメーカー」とか「足を引っ張る味方役」みたいなものを提起して、その存在についての好き嫌い、みたいな話ですね。これ自体は、最終的に好みの問題だと思うのでどうこういう話ではないのですが。


ただ、物語上の役割として「トラブルメーカー」「足を引っ張る味方役」について考えてみると、「展開に起伏がつけやすい」「「ピンチからの脱出」を演出する小道具として便利」ということは一般的に言えると思います。


何度か書いてるんですが、創作には、割と大きな面白さ配分として「まさか」と「さすが」の二つの気持ち良さというものがある、と私は思っています。「まさか」というのが、ピンチからの逆転とか、舐められている主人公が力を見せつけたり大成長して周囲をびっくりさせる、要は逆転の気持ち良さ。「さすが」というのが、最初から強いと認められているキャラクターが評価通りの活躍をする、要は信頼の気持ち良さ。

で、今回は特に「まさか」の話なんですけど。

物語上で「まさか」を演出する為には、「味方の立ち位置を下げる」ないし「敵の立ち位置を上げる」ことのどちらかが必要になります。「逆転させるんなら、まずどっちかが有利/不利にならないとダメじゃん!」という話。当たり前のことですよね。この立ち位置というのは、元々の強さだったり、展開上の有利不利であったり、とにかく物語上の「その時点の有利さ」だと思ってください。

この「立ち位置の上げ下げ」をどれくらい説得力を持って行うか、というのは、その作者さんの腕の見せ所です。ここで説得力がないと、そのお話は急に嘘くさくなってしまいます。「頭脳戦の筈なのに敵がバカ過ぎ」って言われちゃったり、「展開が都合良すぎ」とか言われちゃうお話は、ここで「立ち位置の上げ下げ」を上手く行えていない、と考えることが出来ると思います。

で、この時、「立ち位置を下げる手段」のパターンって色々あるんですけれど、その時「足を引っ張る味方」「トラブルメーカー」って、お話の構成上凄い便利なんですよ。

勿論お話には色んなパターンがあるんですけれど、

・そのキャラクターのフォローや反発という形で、ごく自然に他のキャラの評価を上げることが出来る
・相対的に他のキャラクターの有能さ・頭の良さを強調することが出来る
・キャラクターの個性づけを強調することが出来る
・場合によってはそのキャラを排除、ないし何等かのマイナスを付与する(そのキャラがひどい目にあうとか)ことで読者の溜飲を下げることが出来る
・「敵を有利にする」要素だけに頼らずに済む

この辺りはぱぱっと挙げることが出来ます。例えば、「頑迷で物分かりの悪い味方の無能上司」みたいなキャラだったら、そのキャラを手ひどくやりこめることで味方キャラの株を上げる、とか。「味方の中の、力自慢だけど頭は悪い」みたいなキャラだったら、ピンチを作った上で戦闘で活躍させることで挽回させる、とか。

あと、結構大きなところで「頭がいいキャラを作る為には、頭が悪いキャラとの対比がないと難しい」という問題がありまして。相対的な頭の良さを演出する為に、敢えて頭が悪いキャラを出す、というのはよくある手段です。


まあ、勿論描写の良い悪い好き嫌いはあると思うんですけど、「足を引っ張る味方」というのは、ストーリーテリング上ではとても便利な存在なんだよ、というのは言えると思います。


ところで。

いきなり話がものすっごい飛ぶんですけど、ワールドトリガー、みなさんご存知ですか?面白いですよねワートリ。葦原先生がご快復して続きを描いて頂けるのを心待ちにしております。


以前、ワールドトリガーについてはこんなことを書きました。


で、このワールドトリガーを読んで、もう一つ凄いなーと思ったのが、この漫画「足を引っ張る味方」とか「立ち位置を下げる為に、敢えて無能描写されてるキャラ」というのが、本当に殆どいないんですね。いや、勿論やられ役的なキャラはいないこともないんですが、いかにもトラブルメーカーとか、いかにも無能そうなキャラっていうのが、いない。話が通じないキャラがいない。


例えばボーダーで言うと、ボーダー内の人たちって皆基本凄い「ちゃんと仕事をしている人たち」ばっかりで、わざわざ足を引っ張るような「イヤなキャラ」というのが本当にぜんっぜんいないんですよ。

時には主役勢と敵対することもあるけれど、ちゃんと話も通じるし交渉も出来るし、必要に応じて柔軟な姿勢も見せるボーダー上層部とか。鬼怒田さんなんか、最初は「頑迷キャラかな?」と思わせておいて、実はぜんっぜん有能なキャラでしたしね。

誰もかれも、戦況を的確に判断して、きちんと押し・引きが出来ているA級・B級上位隊員勢とか。

勿論ミスをしないわけではないけれど、一人ひとりがちゃんと自分の仕事をわきまえて行動しているC級・B級中位・下位隊員勢とか。新三バカですら、まあすごいちっこい部分ですけど仕事してるわけです。

「話が分からない」「自分の仕事をしていない」というキャラが、いない。強いて言うと太刀川チームの唯我なんてギャグキャラめいた感じですけれど、彼も別に物語の役割上では「足を引っ張る」キャラクターではなく、むしろ三雲を鍛えるのに協力する方のキャラクターですし。色々わがまま言うという点では香取さんとかちょっとトラブルメーカー寄りの描写でしたけど、それでもランク戦中はきちんと自分の仕事をして、最大限自分のチームの得点を取る為に最善の行動をしようとしてますしね。


これ、特にアフトの大規模侵攻の時の描写が顕著で、「敵も味方も全員、ちゃんと自分の仕事をしている」「誰も「足を引っ張る」ヤツがいない」「その上で、味方がちゃんと大ピンチになる」「その上で、ちゃんと逆転のカタルシスもある」という、よく考えると物凄いことをやってると思うんですよね。アフトクラトル側も、まあエネドラがちょっと暴走キャラですけど、ちゃんと「敵をひきつける」という仕事は遂行していて、ボーダーの指揮官まで引っ張りだしている。皆物凄い「有能な強敵」なんですよ。

「勝負」の描写をする時、「勝因と勝因のぶつかり合い」だけで逆転を描き切るのってかなり難しいんですよね。

勝因って、書くの結構難しいんです。現実でも、勝因のない勝利はあっても、敗因のない敗北はない、とか言いますしね。「どっちかが強かった」だけだと話は作りにくいし、逆転のカタルシスも演出しにくい。

どちらかというと、どちらかに明確な「敗因」があった方が、読者も分かりやすいし、勝敗に説得力をつけることも出来る。で、その「敗因」にも、無能な味方とか、トラブルメーカーのミスって本来便利に使えるんですけれど。

けれどワールドトリガーの、特に大規模侵攻戦って、「誰もミスらしいミスをしてない」んです。これ凄い。「敗因」がない。相手をひきつける役はひきつける役で、ちゃんと戦略上での得点を挙げてる。それでも、随所随所で相手の仕事を上回る仕事をするキャラクターがいて、結果として「ピンチからの逆転」で主役側が勝利を収めている。


こういう展開をきちんと描ける人って、そうざらにはいないんじゃないかと思います。


勿論、上で書いた通り「味方の足を引っ張るキャラ」って物語展開上は凄い有用な要素ですし、私自身はそんな嫌いでもないんで、「そういうキャラがいない方がいい」ってことは全然ないんです。いていいし、使われていい。

けれど、「そういうキャラが全くいない」上で「ちゃんとした逆転」を描いている、ワールドトリガーってのはつくづく凄い作品だなーと、ついベタ褒めしたくなった次第なわけです。

繰り返しになりますが、葦原先生の一刻も早いご快復を祈念しております。

今日書きたいことはそれくらいです。











posted by しんざき at 06:49 | Comment(10) | 書籍・漫画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年09月19日

「映画大好きポンポさん」の感想と、「まさか」と「さすが」の同時並行バランス、という話

「映画大好きポンポさん」を買いました。


いや、実はPixivに掲載されていた版で既に読んでいたんですが、大変楽しませて頂きましたし、長男やしんざき奥様も好きかもなーと思って書籍版で買っておこうと思ったんです。相変わらず面白かったですし、長男も大変楽しく読んでおりました。「ブラドックが出てきてから特に面白かった!」だそうです。

で、長男とも話していて、この作品は「まさか」と「さすが」のバランスがとても素晴らしいなーと思ったので、ちょっとそれについて書いてみたくなりました。ネタバレが混じるのでお気をつけください。

私は、漫画や小説の面白さを考える時に、「まさか」と「さすが」の二つのカタルシスが結構重要だと考えていて、以前からちょくちょくこれについての話をしています。あ、カタルシスというのは、まあ「気持ち良さ」という程度に読み替えてください。

まずは定義の話をします。


1.「まさか」と「さすが」のカタルシス、とは。

「まさか」というのは、要は逆転の気持ち良さ。周囲から評価されていない、あるいは弱い立ち位置のキャラクターが、「まさか」と思えるような大活躍をしたり、素晴らしい成長振りを見せたり、強敵に大逆転勝利をしたり。今まで舐められていたキャラが周囲を瞠目させる、といった展開は、この「まさかのカタルシス」の定番の展開です。「弱いキャラが大逆転すると気持ちいいよね?」という話です。


一方、「さすが」というのは、要は信頼の気持ち良さ。最初から高い評価を受けている、あるいは強い立ち位置のキャラクターが、期待通りの、あるいは周囲を納得させるような活躍をした時の気持ち良さ。師匠系立ち位置のキャラが無双したり、周囲が「流石〇〇だ」とつぶやくような活躍をした時の気持ち良さがこちらです。「強いキャラが大活躍すると気持ちいいよね?」という話です。

この二つの使い方が上手い、あるいはバランスが良い漫画や小説には、読者を気持ちよくさせる瞬間がたくさん含まれています。特に少年漫画の名作は、大体がこの二つを巧みに使い分けている漫画ばかりだと私は考えています。

これを前提に、「映画大好きポンポさん」について考えてみましょう。


2.「映画大好きポンポさん」におけるキャラクターの立ち位置。

映画大好きポンポさんには、主役といって良さそうなキャラクターが多分2人います。

一人が、タイトルにもなっているポンポさん。彼女は、映画界の巨匠ペーターゼン(多分ウォルフガング・ペーターゼンから名前を取っているのでしょう)の孫娘で、幼少の頃からその薫陶を受け、映画に関する才能からコネクションからリーダーシップから、様々な物を受け継いでいます。彼女は、「泣かせ映画で観客を感動させるより、おバカ映画で感動させる方がかっこいい」という持論の持ち主で、B級映画に分類されるような映画を作ってはヒットさせる、映画製作の達人として描写されます。

もう一人が、ポンポさんの助手のジーンくん。彼は、子どもの頃から「映画の中だけが僕の世界だった」という映画マニアで、ポンポさんから「ダントツで眼に光がなかった」と言われる、まあ言ってしまえば卑屈で自己評価が低いキャラクターです。物語は、彼の才能の開花を軸として動きます。

他、ミスティアやナタリー、あるいはブラドックといったキャラも勿論メインキャラクターなのですが、まずはこの二人、非常に対照的な二人のキャラクターが「映画大好きポンポさん」の主役、といっても特に問題ないでしょう。


3.「映画大好きポンポさん」における「まさか」と「さすが」の配分。

で、みなさんお分かりかと思うんですが、この漫画において、ポンポさんは「さすが」のキャラクターであり、ジーンくんは「まさか」のキャラクターです。二人は、漫画における役割を完全に分割しています。

ポンポさんは、インタビュー冊子で作者さん自身が語っているように、言ってみれば「無敵」のキャラクターであって、作品世界においては最初から最後まで最強です。映画というフィールドにおいて、作る作品作る作品全てヒットし、真面目に脚本を書けばサクっと大作を完成させるポンポさん。彼女は、周囲からの評価通りの活躍を軽々と飛び越え、ナタリーやジーンくんといったキャラクターの救済までこなしてしまいます。この漫画におけるスーパーヒーローです。

一方のジーンくんは、物語開始当初、周囲からなんの評価も受けておらず、自己評価の低さもしばしば描写されます。彼は、ただ一人ポンポさんによって、「社会に居場所がない人間特有の追い詰められた目をしている」というところを買われ、クリエイターとしての潜在能力の大きさに期待されています。

そんなジーンくんの(漫画的な)見せ場が、以下の二か所であることは多分間違いないでしょう。

・「MARINE」の予告映像を作り、コルベット監督とポンポさんから評価された場面
・マーティン・ブラドックの指揮の経験についてすらすらと語り、ブラドックから感心される場面

これ、「映画マニアとしての彼の才能、知識がまさに周囲から認められた瞬間」であって、彼の人生が結実した場面であると同時に、「弱い主人公が周囲の評価を覆す大活躍をして、周囲に認められる」その瞬間でもあるんですよね。まさに、上記でいうところの「まさかのカタルシス」のお手本のようなシーンだと思います。そして最終的に、ジーンくんは彼の周囲だけではなく、映画界において大きく評価されることになる訳です。

ポンポさんが活躍すると、読者には「強いキャラクターが期待通り活躍する」さすがのカタルシスが提供されます。

ジーンくんが活躍すると、読者には「弱いキャラクターが周囲の評価を覆す大逆転をする」まさかのカタルシスが提供されます。

映画大好きポンポさんという漫画において、「まさか」と「さすが」のカタルシスは、キャラクターごとに完全に分断されています。これは例えば、ミスティアとナタリーの二人の関係でも(ポンポさんとジーンくん程明確ではないですが)言えることです。

「映画大好きポンポさん」は、勿論描写自体上手いし背景知識も深いしとても面白い訳ですが、少なくとも私が楽しめた理由の一番大きなところは、この「カタルシスの配分」だと思っています。

キャラクターの役割を分けることによって、「まさか」と「さすが」のカタルシスを同時並行で読者に感じさせる、この物語展開はとても上手いなーと。読んでいて気持ちいいなーと。そんな風に、勝手に感心した次第なのです。


ちなみに、キャラクターの役割が「まさか」と「さすが」で分割されている作品自体は他にもたくさんありまして、例えば初期の「はじめの一歩」なんかその典型だったと思います。鷹村が「さすが」のキャラクターで、一歩が「まさか」のキャラクターでしたよね。一歩が段々強くなってしまって、キャラクターの役割配分が途中から上手くいかなくなっちゃった感も多少あったりもするんですが。SLAM DANKとかアイシールドなんかもそんな感じ(「まさか」キャラと「さすが」キャラの分割同時描写)でしたかね?


「映画大好きポンポさん」の話に戻りますと、各キャラクターの好きな映画三作について、おまけ漫画で掘り下げられていたのも個人的に面白かったです。特にポンポさんが痛快。

私自身は、映画自体あんまり見てないんで好きな映画三作っていうと子猫物語とゴジラとゴーストバスターズ(初代)とかになっちゃいますが、好きなレトロゲーム三作なら色々書けるかも知れません。


まあなにはともあれ、映画大好きポンポさん面白いですよねーと。PIXIV発の漫画っていうのも盛り上がって欲しいなーと思ったんで、長々書かせて頂いた次第です。


今日書きたいことはそれくらいです。










posted by しんざき at 07:00 | Comment(1) | 書籍・漫画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月22日

「キン肉マン」が38年の旅を越えてたどり着いた場所

先週、「キン肉マン」完璧超人始祖編のweb連載が、ついに、ついに最終回を迎えました。

皆さん読みましたか?完璧超人始祖編。まだ読んでない人は是非単行本を買ってでも読みましょう。損はさせません。

巻数で言うと、36巻までが王位争奪編までの、言ってみれば20世紀のキン肉マンで、37巻は外伝的な読み切り作品、38巻以降が2012年から始まった「完璧超人始祖編」のキン肉マンです。60巻がシリーズ最終巻になる、筈です。まだ出てませんが。




かつて、キン肉マンのテーマって、割と分かりやすい「逆転と超克」の物語だった、と思うんですよ。以前書いた「流石」と「まさか」で言うと、極めて「まさか」に寄った物語。


最初期のギャグ漫画時代・怪獣退治編を例外として、キン肉マンは殆ど常に、「大逆転」を主軸に据えたストーリーであり続けました。普段は「ダメ超人」としての描写を専らとしているキン肉スグルに、次から次へと襲い掛かる大ピンチ。それに対して、頼もしい仲間たちと、友情パワーや火事場のクソ力を武器にしたキン肉マンによる、大逆転と大勝利。超人オリンピック編でも、悪魔超人編でも、黄金のマスク編でも、完璧超人編でも、王位争奪編でもそうでしたよね。

キン肉マンは、常に窮地に立たされますし、常に臆病風に吹かれますし、けれど常にそこから立ち上がり、最後には窮地を打ち破る。普段かっこ悪いからこそ、かっこいい。それがキン肉マンでした。

そして、キン肉マンの「窮地の打ち破り方」の描写は、本当に卓絶していました。プロレスに「超人」という要素を掛け合わせて、既存の枠を打ち破った「超人プロレス」。そこでの駆け引き、つばぜり合い、時には搦め手、そして大逆転。この描写こそが、キン肉マンという漫画を不朽の名作にした最大の要因であることは論を俟たないでしょう。

キン肉マンは、ジャンプの三大原則である「友情」「努力」「勝利」を最も忠実に体現した漫画の一つだった、ともいえると思うんです。


ただ、旧作キン肉マンの一つの特徴として、「対戦相手は飽くまで超克の対象であり、(少なくとも一度は)否定されることになる」という点があることは否めないと思います。もうちょっとぶっちゃけると、「主人公の逆転を描く為に、敵キャラが一度は割を食うことになる」ということです。

例えば黄金のマスク編の悪魔将軍は、途中までは圧倒的な強さとカリスマを欲しいままにしましたが、終盤はあんな感じでした。バッファローマンは最後に改心してしまいましたし、ネプチューンマンは、いきなり正体を現したネプチューンキングの部下のような描写になり、最後はアレやコレやな感じでした。フェニックスは、途中まではミステリアスな強さをもった知性派だったんですが、やはり終盤は色々小悪党っぽい感じが出てしまいました。

言ってしまうと、旧作キン肉マンの唯一の「弱点」は、「敵役の立ち位置を貫徹させられなかった」あるいは「悪役が最後まで魅力的な悪役として描かれてこなかった」ことなのではないかと、少なくとも私は思うのです。これは、ゆで先生ご自身が「この作品は前作を超えるものにはならない」とおっしゃったという、キン肉マン二世でも引き続いた問題だったと思います。

これが悪かった、ってわけじゃないんです。これはこれで、キン肉マンの重要な「味」の一つではあったと思いますし、話の展開としても好みの問題です。


ところで。


以降は、核心には触れないつもりですが、一応ネタバレになるので注意して頂ければと思うのですが。

38巻からの完璧超人始祖編では、この点が完全に、完璧に、これ以上ないくらいに払拭されていました。本当に、同じ人がこの漫画を描いたのか…!?と思ってしまう程の凄まじい払拭ぶりでした。

完璧超人始祖編は、そもそも「旧作キャラが入り乱れる三つ巴戦」として始まりました。完璧無量大数軍の襲来に、正義超人の唯一の代表として孤軍奮闘するテリーマン(とジェロニモ)、そこに割って入るのがブラックホールやステカセキングという時点で、旧作ファンとしてはもう感動し過ぎて涙が止まらないくらいでしたが、何よりもすげえ!!!と思ったのが、「悪魔超人が、悪魔超人のままで完璧超人たちと戦っている」ということなんです。

彼ら、慣れあわないんですね。決して正義超人と「協力」したりはしないし、正義超人軍として戦っている訳でもない。「悪魔超人は悪魔超人であって、決して正義超人に与しているわけではない」というスタンスを、それこそ最後の最後まで崩さない。

その首尾一貫ぶりは、満を持して登場した悪魔六騎士、そして悪魔将軍の登場でピークに達します。最後の最後まで、悪魔将軍は自らのスタンスを譲らない。かつて自分を倒した男(キン肉マン)を認めながらも、決して自分を折りはせず、勿論なれ合うこともなく、自分の「目的」に忠実であり続けるのです。

そしてこれは、完璧無量大数軍、更にその上に立つ完璧超人始祖達にも同じことが言えます。たとえ敗北することになったとしても、自分が信じているものだけは決して折らない。立ち位置を変えない。


認めるけれど、折れない。勝とうが負けようが、「譲れないもの」はそのまま保持し続ける。だから、たとえ敗れたとしてもその大義は変わらないし、輝きを失わない。

私は、かつてキン肉マンで、ここまで「敵役が最後までかっこいいままだった」シリーズを他に知りません。


これ、旧作キン肉マンでは見ることが出来なかった、「最後までブレない強大な敵役」という概念そのものだったと思います。キン肉マンならではの熱い描写はそのままに、三つの勢力が最後まで輝きを失わず、それぞれの終着点にたどり着いてみせた。上記の言葉を使えば、「まさか」の熱さに、「流石」の熱さが追加された、ともいえると思います。


とにかく滅茶苦茶かっこいいんですよ、悪魔将軍も、悪魔六騎士たちも、ネメシスも、ザ・マンも、勿論他の始祖たちも。その強さ、その威風、威容もさることながら、「ブレないが故に、たとえ歩み寄らなくてもお互いに認め合うことが出来る」その一貫したスタンスが彼らを輝かせていたんだと思います。


この「ブレなさ」があったからこそ、今回の「完璧超人始祖編」の最後の戦いが、「キン肉マンとネメシス」ではなく、「悪魔将軍とザ・マン」という戦いであり。しかもネメシス編以上に熱く、印象的で、キン肉マンという作品の中でも指折りに素晴らしい一戦になったのだと私は思うわけです。

勿論、敵役のブレなさだけが「完璧超人始祖編」のすばらしさではありません。引き伸ばし、出し惜しみのなさ。「まさかそこでその伏線が回収されるのか!?」の意外性。きっちりと立ち位置を下げてからの大逆転を見せるキン肉マン。きっちりと実力を見せつける旧作強豪たちと、それ以上の活躍を見せる新キャラたち。本当に結果が予想できない、一つ一つの戦いの熱さ。随所随所で発揮されるゆで理論の「分かっている」感。ついに、ついに大敵を下してみせたザ・ニンジャ。

この隙が無さ過ぎるエンターティメント性は、現在連載中のすべての漫画を見渡しても出色のものだったと思います。


かつて旧作キン肉マンは、「逆転と超克の物語」を熱く描写することによって、不朽の名作になりました。


そして今、完璧超人始祖編は、「認め合い、しかし歩み寄らず、お互いを尊重する」物語を描くことによって、かつてのキン肉マンを越える作品になった、と私は思います。今、この時代に、キン肉マンという題材でこの作品を描き切ってみせた、ゆでたまご両先生には本当に感嘆する他ありません。今後の新シリーズも楽しみにさせていただきます。

ゆでたまご先生、まずは本当にお疲れ様でした。素晴らしい作品をありがとうございます。


今日書きたいことはそれくらいです。


posted by しんざき at 07:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍・漫画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年02月07日

「ドラえもん のび太の宇宙小戦争」のドラコルルさんがあまりにも有能過ぎて辛い

唐突に何を言っているのかと思われるかも知れませんが、大長編ドラえもんの話です。

以前も書いた通り、私は藤子F不二雄先生の漫画版大長編ドラえもんが大好きでして、以前こんな記事を書いたりしました。


といっても全部読破した訳ではなく、通して読んだのは夢幻三剣士くらいまでなんですが。

上の記事でも書いたんですが、私が好きな漫画版「大長編ドラえもん」の順位は以下の通りとなります。

1.のび太の大魔境
2.のび太の宇宙開拓史
3.宇宙小戦争
4.海底鬼岩城
5.日本誕生

で、これも以前書いたんですが、大長編ドラえもんの見せ場はなんといっても「大ピンチからの大逆転」だと思います。

大長編において、のび太やドラえもん達はしばしば強力な敵と対峙することになります。そして、時には絶体絶命の大ピンチに陥ります。勿論最後にはピンチを脱して強敵に打ち勝つことになる訳ですが、ピンチが大きければ大きい程、敵が強ければ強い程、ピンチを脱した時のカタルシスが大きくなることは説明不要かと思います。

ただ、みなさんご存知の通り、ドラえもんはチート能力を数々有するひみつ道具の持ち主なので、実際にはなかなかピンチに陥る余地が小さいわけです。ドラえもんの科学力は大抵の敵よりも数段進んでおり、科学力・技術力で完全にドラえもんに優越しているのは、せいぜい日本誕生のギガゾンビくらいのものです(次点で恐竜ハンター)。

その為、ドラえもん達は

・敵の物量が圧倒的
・何かの事情で、ひみつ道具の使用が出来ない・ないしひみつ道具の使用に制限がかかっている

というパターンのどちらかでピンチになることが多いです。前者はたとえば海底鬼岩城や鉄人兵団、後者は大魔境とか魔界大冒険ですよね。

純粋に敵方の有能さでピンチになるパターンというのは、実はそれ程多くないんですね。

そんな中、「敵がすごい有能」というパターンでドラえもん達が大ピンチに陥る作品が2作あります。

一作が、冒頭リンクでも挙げた「宇宙開拓史」。ギラーミン先生、めっちゃ漢らしい上に超有能ですよね。本当、映画版をどうしてあんな展開にしてしまったのかわからない。

で、もう一作が、「宇宙小戦争」のドラコルル長官だ、と私は考えているわけです。スモールライトによってのび太たちが小さくなって、自分たちと同じ体格になっているという事情こそあれ、それ以外には特にひみつ道具の制限もない中、のび太たちはドラコルル長官率いるPCIAに徹底的に追い詰められます。


そこで今日は、上記ランキングの3位に入っている宇宙小戦争(リトルスターウォーズと読みます)、その中でも特に敵方のキャラクターである「ドラコルル長官」についてクローズアップして書いてみて、みなさんにもドラコルル長官のヤバさを実感して頂きたいと思います。

ネタバレが含まれますので、以下は折りたたみます。読んだことない人は是非読んでみてください、宇宙小戦争。超面白いことは保証します。







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2017年01月05日

「究極超人あ〜る」をげんしけん好きな人に勧めるのは間違っているかも知れない

ちょっと前なんですが、こんな記事を見かけました。



究極超人あ〜る、ご存知ですか?ゆうきまさみ先生が描かれた、いわゆる写真部であるところの「光画部」と、そこに現れたアンドロイド「R・田中一郎」を中心とした高校ドタバタコメディです。サンデーへの掲載が1985年からの3年間なんで、もう30年前の漫画ってことになりますが。



私自身は「究極超人あ〜る」が好きですが、ある作品が面白いかどうかは人それぞれです。そして、「面白くない」と感じたものを無理に面白がる必要はないんじゃねーの、とも私は思います。だから、究極超人あ〜るが面白くない、という話なら全然かまわないと思うんです。

ただ、この方がどうなのかは知りませんが、私の知人でも以前、「究極超人あ〜るの何が面白いのかよくわからん」と言っている人がいたんです。

その人とちょっと話をしまして「あー」と思ったことなんですが、彼、「げんしけんが好きだったらこれも読んどけ」って言われてあ〜るを勧められたらしいんですね。

確かにありましたよね以前。「げんしけん」や「銀の匙」みたいな、緩めのサークルもののルーツとして、究極超人あ〜るが取り上げられた文脈。

それはちょっと「入り方」を間違えたかもな、と私、思ったんです。期待していたものがそこにない、というちょっと不幸な入り方。もしかしたら同じようなルートをたどってしまった人、結構いるんじゃないかと。


確かに、「オタク系サークルの日常をクローズアップした作品」として究極超人あ〜るを考えれば、げんしけんのルーツとして考えてもおかしくはないと思うんです。実際、げんしけんの作中でも、割と最初の方であ〜るのオマージュとおぼしき描写がいくつかありましたよね。


ただ、漫画の立て付けというか、物語の類型としては、げんしけんと究極超人あ〜るって全然違います。正反対に近いと思います。

何故かというと、げんしけんが「日常をクローズアップした群像劇」であるとすれば、究極超人あ〜るは「異邦人ものコメディ」であるからです。



「げんしけん」には勿論様々なキャラクターが登場し、様々な人間模様を繰り広げます。ただ、彼らはほぼ例外なく「作中の日常」にパッケージされた人達、言い方を変えると「(変わったところはあっても)普通の人達」であって、個々に色々なドラマや事情を抱えてはいるものの、それらが作品世界の枠を踏み越えることはありません。「異常」があっても「異質」はない、とでもいうんでしょうか。かつ、げんしけんは「群像劇」であり、だれか一人を中核に一本のストーリーを構成した物語ではありません。途中からはラブコメ的要素もかなり濃くなります。


一方、「究極超人あ〜る」は、R・田中一郎という「異邦人」をクローズアップして、彼が出力する異常性、異質性を物語の中核として話が進む作品です。

あーる1.png

1巻におけるあ〜るの登場シーン。学ランの自転車姿で池から飛び出してくる、というのは相当インパクトがある登場の仕方ですよね。

彼は首が抜けますし、首が周りますし、怪力を発揮して鉄格子をあっさり曲げますし、味方コートからバスケのゴールを何十本も連続して決めますし、懐から電源プラグを取り出してお米を炊きます。何故ならアンドロイドだから。

そして、あ〜るの作品中でもそれはきちんと「異常なこと、異質なこと」であり、周囲は(慣れることはあっても)きちんとそれに振り回されます。あ〜るは実にオーソドックスな「異邦人」なのです。

勿論個々のストーリーとしては、さんごやしいちゃん、鳥坂先輩やその他のキャラクターがクローズアップされることもありますし、Rの影が薄いことも勿論あるんですが、基本的なお話の作りは大体Rが何かしらのトラブルの焦点になることを起点に動きますし、Rの産みの親である成原博士は随所随所で滅茶苦茶なトラブルを起こしますし、物語はR・田中一郎が池から登場することに始まり、彼が池から登場するところで終わります。


以前も書きましたが、「異邦人もの漫画」というのはいわゆる異人類型の物語構成を使った漫画でして、勿論いろんな名作があります。オバQしかり、うる星やつらしかり、レベルEしかり、ワッハマンしかり。




定義はというと多分

・ある世界観や文化から隔絶された「異邦人」が主人公、あるいは準主人公といったメインキャラである

・異邦人が生み出す軋轢が、周囲または異邦人自身の戸惑いを生み、それが頻繁に物語の主軸になる

という辺りになるかと思います。特に初期の究極超人あ〜るはピッタリここに当てはまるんですね。中盤以降はあ〜るの影が薄いこともありますが、それでも随所随所で彼は異質性を前面に出しますし、物語の起点になります。


あ〜るは、「自分の異質性で周囲を戸惑わせる」タイプの異邦人です。彼が「周囲との軋轢に戸惑う」描写は、多分作中で1回もない筈です。あ〜るの異質性で周囲がドタバタするのを見て、読者は楽しむ。

あーる2.png

ことあるごとに首を引っこ抜かれるあ〜る。関係ないですが、「でかい頭だな君は」のコマは、遠く「機動警察パトレイバー」で、後藤隊長と太田さんの最初の会話としてセルフオマージュされます。

また、基軸がコメディだから当然と言えば当然なんですが、究極超人あ〜るの人間関係の描写はかなりさらっとしてるんですよね。光画部の面々は仲は良いんですが、個々で仲が深まったり逆に仲違いしたり、という描写は滅多にありません。唯一それっぽいのは3巻のしいちゃん光画部離脱の辺りくらいでしょうが、それもすぐ元の鞘に収まります。あ〜るが何を考えてるのかは終始よくわかりませんし、ラブコメ展開も(全くという訳ではないのですが)殆どありません。

その点も、例えばげんしけんが「緩いながらも段々と変遷していく人間関係、人間模様」を一つの重要なエッセンスにしているのとは大きく異なるところで、げんしけん好きな人にあ〜るをお勧めしにくい理由の一つでもあります。


そこから考えると、「げんしけんが好きな人」よりも「オバケのQ太郎が好きな人」の方が、究極超人あ〜るという漫画を楽しめる確率は遥かに高いのではないか、と私は考えるわけなのです。いや、私はどっちも好きですが。


最初に書いた通り、私自身は「究極超人あ〜る」が好きなんですが、内容自体は結構ベタなコメディなんで、好き嫌いは人によって分かれそうな気はします。ベタな学園ドタバタものが好きな人であれば、結構読んで損はしないんじゃないかと思いますので、未読な方はいかがでしょうか。7巻でしたっけ、京都・奈良への修学旅行編とか好きです。


あと大戸島さんごさんは可愛いと思います。



長々書いて参りました。1ミリグラムも新年っぽさがないエントリーでしたが、今更のことなので気にしないことにします。

今日書きたいことはそれくらい。

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2016年12月28日

岩明均作品で一番美人なヒロインは「雪の峠・剣の舞」の渋江内膳の奥さんではないのか

いや、私、岩明ヒロインって全般的にすげー可愛いと思っている派閥なんですが、その中でもトップなのが内膳奥さんなのではないか、という意見の持ち主でございまして。


「雪の峠、剣の舞」については以前も書きました。私自身はこの作品を、岩明先生の短中編の中でも、いや日本の一巻完結型の短中編全部を見渡してもトップクラスに面白い一作だと考えております。

以前書いたエントリーは↓です。


以下、一応画像が多いので折りたたみます。

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posted by しんざき at 21:25 | Comment(3) | TrackBack(0) | 書籍・漫画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月28日

桜玉吉先生の「日々我人間」を買いました

大変面白いのです。

近所の本屋で、桜玉吉先生の「日々我人間」を無事入手した!!あと小林銅蟲先生のめしにしましょうも。

「日々我人間」は、週刊文春に玉吉先生が連載している、半ページ日記漫画を単行本化した一冊。いつ出るかはたまた出ないのか、とやきもきしていたのですが、ついに手にとれる日がまいりました。

個人的に近所の本屋を応援しているので近所の本屋で購入。横長、箱状のカバーつきのちょっと面白い装丁です。
一緒に写っているのは同じタイミングで購入した、小林銅蟲先生の「めしにしましょう」。こちらもおもしれーです。

漫玉日記の各シリーズもそうなんですが、桜玉吉先生の日記漫画の特徴を一言でいうと「恐るべきリアリズム」という言葉になるのではないかと思います。私生活垂れ流し、手加減無用直球勝負、「ああ、これ本当にそのまんま書いてるんだろうなあ」と感じさせまくること大なわけです。

前半は漫喫日記でもあった「漫画喫茶での生活」をひたすらそのまんまに描写、後半は伊豆の山荘での生活をリアリズムたっぷりに描写、という構成になっているんですが、始まり当初こそ「文春での連載」ということに若干の手探り感があったのかな?と思わせる部分も多少あるものの、途中からどんどんページを埋め尽くしていく玉吉節。かつての「しあわせのそねみ」の遺伝子を如実に感じさせるその作風は、長年の玉吉ファンをして「これだよこれ!」と言わしめるに十分な玉吉ワールドです。いや本当、冷静に考えるとメインキャラクターが玉吉先生一人しか存在しないわけですが、どんどん入り込んでしまう感は素晴らしい。

ちなみに、伊豆編の後半は完全に「周囲の色んな生き物との闘い日記」みたいな感じになっていて非常に面白いです。ムカデ擬人化シリーズ笑いました。あと、「運転していてつらかった経験」のトップに、しあわせのかたちで出ていた「カエルが多い田んぼ道」の話が出ていて懐かしさ満開でした。

玉吉先生って、特に私のような昔からのファンにとっては「親戚のおじさん」のようなイメージが強い部分があるんじゃないか、と思うんです。なかなか会えないけれどたまに消息を聞く親戚の面白いおじさん。だから、話全体がすごく身近に感じられるようなところがあるんですね。以前も書きましたが、玉吉先生くらいファンが頻繁に体調の心配をする漫画家さんもなかなかいないだろうと思いますので、是非健康に漫画家活動を続けていっていただきたいと思うところ大です。

なにはともあれ、本が売れて玉吉先生が多少なりと潤ってくれるといいなーと私は思いますので、皆さんもいかがですかぽちっと。50代漫画家おじさんのリアルな生活が観測できることは保証します。




今日はそれくらいで。
posted by しんざき at 23:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍・漫画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月20日

今さらになって「ワールドトリガー」一気読みしたら超面白かった、ないし「汎用的な能力バトル」の話

いやーもっと早く読んどけばよかったです。なんで読んでなかったんだっけかなあ。我ながら見る目がない。


言うまでもなくワールドトリガーはジャンプの連載漫画なわけで、漫画記事読む人だったら知らない人の方が希少だと思うんですけど、今までちゃんとチェックしてなかったんですよ私。ちらちらみてはいたんですけど。

けど、最近のランク戦辺りからちょっと気になりまして、ちゃんと1巻から通して読んでみたらまあ面白いのなんの。「近界(異世界)からの侵略」という舞台設定だけ見れば割とよくある話かと思うんですが、敬遠してたら損しました。


この漫画、一応分類的には「トリガーという武器を使った能力バトル」ものになると思うんですけど、「汎用ものの能力バトル」というか。一部の例外を除いて、「一点ものの能力」があんまり登場しないんですよね。


能力バトル漫画の肝は、「能力の多彩さ」と、「その能力を使った戦略・戦術」です。で、大体の能力バトル漫画の場合、「あるキャラクターの能力は、そのキャラクターしか持ってない」んですよね。キャラクターはそれぞれ、「性質的に、自分にしか絶対出来ない」ことをもっていて、そこから個性や戦術を構築している。

ところが、ワールドトリガーの場合、黒トリガーやサイドエフェクトという例外を除くと、殆どのキャラクターが汎用の「ノーマルトリガー」を使っている。しかも、黒トリガーにしても、劇中すぐに使わなくなってしまったり、あるいは何人かで使いまわしたり出来てしまう。遊真にしても迅にしても、黒トリガー使ってる時期ってほんの一時ですしね。

「戦闘において、根本的にその人しか使えない能力」というものが、普段はあんまり出てこないんです。(出力的には、千佳の狙撃とか生駒旋空とかありますけど)

つまり、登場人物の大多数は、「量産型の、他の人でも同じことが出来る能力」を使っていて、それでもその中で「その人にしか使えない戦術」とか、「その人なりの工夫」とか、「圧倒的な精度、出力」みたいな要素でちゃんとキャラ分けがされていて、しかもそれにちゃんと納得感がある。

これ、「安易な一点もの能力と、それによる多彩さに頼らない」っていう意味で、すごーーい難しいことをやってらっしゃると思うんです。すごいなーと。


特にボーダー内でのランク戦については、長距離・中距離・短距離とそれぞれの守備範囲を軸に、「チームとしての戦術、作戦、駆け引き」が凄くきちんと描かれていてめっさ面白いわけです。一人一人がちゃんと自分の仕事をしていて、スプラトゥーンのような「役割わけバトル」という側面があります。分業超重要。

あと、主人公の一人である三雲が、「ちゃんと弱い」キャラであることも好感が持てます。「一見弱そうで、でも実はすごい潜在能力が」とかじゃないんですよね。素質があるわけでもないし、経験を積んでいるわけでもない。強い人と正面からぶつかると全然歯が立たないし逆転の目もない。だからこそ、自分も強くなれるようにあがきながらも、なによりチームとして、全体として勝てるように工夫する。

なんというか、「キャラクターの仕事っぷりにものすごい説得力がある」とでもいうのでしょうか。


読んでいて思ったんですが、多分ワールドトリガーの面白さって三つの局面があって、

・超強い人たちが超強い活躍をする、「さすが」の局面:トリオン兵相手の闘いとか
・敵もものすごい強い連中が出てきて大ピンチになって、そこから逆転するカタルシス:近界民大規模襲撃とか
・チームプレイとしての戦術がすごい精度で描写される:ランク戦とか

それぞれ、面白さの質が違っていて、色んな角度から楽しめる漫画だなーと思ったわけです。まあ、迅さんの能力ちょっとチート過ぎじゃね?とか細かい点はあったりしますけど、それはそれで面白い。

キャラクターとしては、太刀川さんや北添さんのやる気のなさがお気に入り。あと、「高圧的なんだけどちゃんとすごい実績や能力がある」鬼怒田さんもいい味出してますね。千佳にだだ甘いところも好感が持てます。また、小南さんは可愛いと思います。

ここ最近では、生駒隊の全く会議してないっぷりが非常に楽しかったです。生駒達人さんいい味出しまくりですね。ナスカレー食べたくなりました。


なにはともあれ、引き続き追いかけて参りたいと思いますので、先行ファンの皆さまよろしくお願い致します。
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2016年08月29日

漫画版「ドラえもん のび太の宇宙開拓史」の終盤の展開が完璧過ぎる

長男はドラえもん好きでして、ここ最近の「映画 大長編ドラえもん」はだいたい欠かさず観ています。なんだか次の作品は南極が舞台のようで、狂気山脈のような展開を個人的には期待してるんですが、恐らくショゴスとかは出てこないと思います。

私もかつてドラえもんを摂取して育った者の一人ではあるわけなのですが、実はアニメ版や映画版は当時あんまり観ておらず、私が触れていたのはもっぱら漫画版でした。そして、「大長編ドラえもん」もほぼコミックスで読んでおりました。

で、私が好きな原作「大長編ドラえもん」の順位は以下の通りとなります。

1.のび太の大魔境
2.のび太の宇宙開拓史
3.宇宙小戦争
4.海底鬼岩城
5.日本誕生

初期の作品ばっかりなのは仕様です。

で、以前新旧魔界大冒険の比較をしてみたりもしたんですが、個人的には新版よりも旧版の描写の方が好きであることが多く、特に『宇宙開拓史』についてはギラーミンの描写の問題があり、強く旧原作漫画版押しです。

旧原作のギラーミン先生超かっこいいですよね。「わたしはどんな強い相手もおそれない。同時に、弱い相手も見くびらない主義です」とか、見た目でなめられ勝ちなのび太の銃の腕前をひと目で見抜くところとか、大物っぷりが凄まじいと思います。大長編の敵方の中でも1,2を争う好きなキャラクターです。

で、私が宇宙開拓使と海底鬼岩城を推していると知った長男が、「昔の宇宙開拓史や海底鬼岩城を読みたい」というので、最近原作版「宇宙開拓史」を見つけて買ってきました。

で、改めて読みなおしまして、特に終盤の展開があまりにも完璧過ぎて思わず笑っちゃうくらい感動したので、ちょっと感動ポイントを書いてみます。

当然ネタバレが含まれるので、未読の方はご注意ください。というか、原作買って読むことをお勧めします。超面白いです、原作宇宙開拓史。





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posted by しんざき at 23:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍・漫画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月12日

岩明均先生の「雪の峠、剣の舞」は想像を絶する程面白いので皆さんに全力でおススメしようとおもいます。



歴史ものの創作で何よりも難しいのは「何でもない出来事を面白く書く」ことではないかなあ、とおもうのです。


歴史上重要な出来事であれば、それを面白く描き出すことはそこまで困難なことではないかも知れません。重要なイベントには、重要な出演キャラクターが複数関わっているものです。キャラクターが大物ばかりであって、主要キャラクターたちには大小無数のエピソードと数々の脇役たちが関わっているのですから、そこから「面白そうなこと」を抽出することは難しくない。勿論、それをどう描写するかは創作者の腕の見せ所なわけですが。


それに対して、「歴史上地味な出来事を面白く描き出す」というのは困難を極めます。地味というのは、大勢から注目される程のエピソードが発生しなかったということでもあり、つまり「エピソードの面白さ」だけで勝負することが出来ない。どんなエピソードが実際には存在したのか?ということを細かく検証し、足りないところを想像で補い、全体を矛盾なく構成し、更にそれを詳しくない読者にも面白く感じられるように描写しなくてはならない。

この過程が、まるで強風の中針の穴に糸を通すような困難事であることは、皆さんご想像いただけるとおもいます。


ところで、「寄生獣」や「ヒストリエ」「七夕の国」などで著名な岩明均先生は、それをある短編漫画でごく自然に、ごくあっさりとやってのけています。


「雪の峠・剣の舞」。単行本は2001年刊行、2004年に文庫化。「雪の峠」と「剣の舞」の、二編の歴史漫画を納めた、一巻完結の中編集です。しんざきが今まで読んだ一巻完結の漫画の中で、面白さと完成度のバランスについてはぶっちぎりトップではないか、とおもっている一冊でもあります。



「剣の舞」もひっじょーーーに面白いです。主要キャラクターが疋田文五郎(景兼)と上泉信綱、といえばわかる人にはそれだけでわかるでしょうが、フィクションを取り混ぜつつもカタルシスと切なさをバランスよく盛り込むその手腕は、勿論それだけで岩明先生の物凄さがわかる作品ではあります。


ですが、このエントリーでは、特に「雪の峠」についてのお話を中心に書かせて頂こうとおもいます。


・地味なエピソードと、すさまじいまでの「お話」のまとまり具合。


「雪の峠」のテーマというか、お話の中核は「佐竹家の築城」です。合戦でもなければ、群雄割拠の群像劇でもありません。


皆さんよくご存知の通り、佐竹家は元々常陸(現在の茨城県)を拠点としていた戦国時代の大名であって、関が原で中立、ないしやや西軍寄りの立ち位置をとった結果、紆余曲折の末出羽国(現在の秋田県)に転封されました。

佐竹氏は、「鬼義重」と言われた義重が当時既に当主から退いており、佐竹義宣が後を継いでいました。関が原の戦いでは東軍西軍いずれにつくか、親子間で意見の対立があったとも言われていますが、作中では最終的には西軍寄りの立ち位置を保った形になっており、その結果としての改易に家内でも不満の声が上がっている状態でした。

そんな中、出羽国における佐竹家の居城の場所を定めたいという評議が義宣より持ち上がり、それをきっかけに佐竹家の旧臣と、新勢力となる義宣の部下の間で対立が持ち上がることになります。


城を、どこにするか。


多くの「歴史もの」の創作、しかもテーマを絞った短編としては、かなり地味な部類のテーマであることはお分かり頂けるかと思います。無論徳川家も関わってはきますが、主要な登場人物の9割は佐竹家内部の人々に限られます。話のスコープは極めて限定されているわけです。


地味なテーマ。歴史上そこまで(一般的には)著名でもないエピソード。なら、お話も地味なのか?

というと、それがもうものすっげえ面白いのです。


まず、上で書いた「新当主である義宣とその腹心たち」と「義重時代から家中をしきってきた旧臣たち」それぞれのキャラクターと関わり具合がひっじょーーに面白い。リアリティがあり、どこか無機質でありながら、それぞれ非常に人間くさい、この絶妙な味わいを出せるのは正しく岩明先生ただ一人ではないか、と私はおもいます。


主役格となるのが佐竹家の新当主、佐竹義宣とその腹心、「渋江内膳」。渋江内膳は、渋江政光の通称であって、出羽久保田藩の家老となって藩政の改革を行った、実在の人物です。


こちらが佐竹義宣で、

義宣.png

こちらが渋江内膳。

内膳.png

渋江内膳は勿論優秀な人物であって、作中でも経済の勘所をよくわきまえた能吏として描写されてはいるのですが、一見するとそこまで「切れる」人物には見えない描き方がされています。のんびりした所作で、一面「七夕の国」の主人公南丸洋二のようなおっとりとした雰囲気があります。

新たに家中をまとめる秩序を作ろうと、佐竹義宣と渋江内膳を中心とした何人かのグループは、経済的な側面を重視した新たな府を、出羽は窪田に築こうとします。


一方、いわゆる「武断派で、頭の堅い旧臣」の代表格として描かれているのが、川井伊勢守。

伊勢.png

川井伊勢守以外にも、旧臣派閥として描写されるキャラクターは何人かいます。彼らは、関が原の戦いにおいても東軍につくことを主張した人たち。当然、義宣が決めた西軍寄りの態度、およびそれに端を発する改易には不満を持っています。また、長年の戦国時代の考えが抜けず、経済的な考え方はよくわからない。更に、渋江内膳を始めとした新参者が、自分たちより中核に近い位置で藩政に関わっているのがとてもとても気にいらない。


そして、客分家臣という立ち位置故か、川井たちとは若干距離を置いているようにも見えますが、義宣・内膳のグループには対立することになる梶原美濃守。

梶原.png


かつて足利義氏に仕えていた関係で、作中の時代では既に故人となっている上杉謙信とも面識があるという設定になっています。上杉謙信のエピソードをしょっちゅう旧臣たちにねだられて、ちょっと辟易しているのが上の画像。めっちゃイケメンおじいちゃんです。

彼は築城や軍略に明るく、川井ら旧臣たちに担がれて、渋江内膳の提案に対する反対案を提出し、内膳や義宣に対する旧臣たちの発言力を確保しようとすることになります。

お話は、主にこの梶原美濃守と、渋江内膳の知恵比べを中心として進むことになります。


この対立関係のリアリティがすごい。


新当主としての地位を固めたい義宣。

義宣を助けつつも、家中になるべく波風を立てたくない内膳。

喧嘩する気満々の川井ら旧臣。

川井らに若干呆れつつも、本気を出して内膳案を潰そうとする梶原美濃守。


その他、一見旧臣の味方をするように見せかけつつも、内心では義宣に助け舟を出そうとする前当主・義重(史実では「鬼」と呼ばれた猛将だったらしいですが、この作品中では優しいおじいちゃんという感じです)や、内膳の応援をしてくれる筆頭家老の和田安房守を含めて、おのおのの感情の動き、行動の仕方が実に味があり、まるで現在の会社組織における人間関係を見ているかのように細やかなのです。


この短編、徹頭徹尾「関が原後」の時代小説でありながら、会議あり書類作成あり飲みニケーションありと、随所随所で現代のサラリーマン生活を思い出させるようなところもあります。新進気鋭のサラリーマン、渋江内膳に明日はあるのか!?


老練な梶原美濃守に追い詰められ、知恵を絞る渋江内膳。彼が打つ秘策とは。


この辺の知恵比べの妙味、また最後にもってくる爽やかなカタルシスには、そんじょそこらの時代漫画では味わえないくらいの清清しさがあります。実話を下敷きにしつつも、きっちり漫画的なカタルシスを読者に提供しつつ漫画的に閉める岩明先生のテクニックは、ほんとーに物凄いと私はおもうわけです。


ちなみに、上の方で「サラリーマン的」と書きましたが、この作品、最後の解決法まである種現実の会社組織で使えそうな「組織論」的な解決法になっています。「そうだよなー。そりゃこの人にそういわれちゃどうしようもないよなー」というような、問答無用の説得力があります。

興味をもたれた方は、是非ご一読を。



・一方、「剣の舞」についても少し。

こちらはこちらで、「雪の峠」よりはだいぶヒロイックな感じですが、疋田文五郎という強力なキャラクターを中心に、見事にまとまったお話になっています。

実在の剣豪をそのまま描くのではなく、まったくの架空キャラクター「ハルナ」を主役に据えている辺りが岩明先生一流のテクニック。実話に即したリアリティという点では「雪の峠」に譲るかも知れませんが、重たさと気楽さ、そしてどこか寂漠とした悲壮感が絶妙にブレンドされている辺り、こちらも十二分に「歴史漫画」としての名作に数えるべき完成度になっているとおもいます。

取りあえずハルナはかわいいとおもいますので、雪の峠に興味を持った方はこちらも是非。


今日書きたいことはそれくらい。
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2016年03月08日

火ノ丸相撲は何故想像を絶する程面白いのか


とにかく火ノ丸相撲が面白いのです。



火ノ丸相撲は、週刊少年ジャンプで連載中の高校相撲漫画です。主人公の「潮火ノ丸」は、小柄な体躯でありながら極限まで体を鍛え上げ、体格のハンデをものともしない王道の相撲をとる。そんな彼が入部した、部員一名の弱小部、大太刀高校相撲部。そんな火ノ丸と、大太刀高校相撲部の活躍が描かれる漫画です。


正直申し上げまして、当初連載が開始した時は、「高校相撲の漫画かー、うっちゃれ五所瓦みたいな感じかなー。またニッチなところ来たなー」と思っていました。ニッチ狙いの短期連載なのかな、長期はちょっと難しいかもなあ、などと思ってしまっていました。

否。千遍否。私の見る目の無さをここまで痛感したことはありません。


恐らく火ノ丸相撲は、2年くらい前から現在に至るまで、今のジャンプの全漫画の中で最も「少年漫画としての王道」を行っている少年漫画です。超熱いし超面白い。


このエントリーでは、火ノ丸相撲の面白いと思う要素について列挙しまして、それら一つ一つについて説明していきたいと思います。みなさんには単行本の購入を強くお勧め致します。

私が考える、火ノ丸相撲の特に面白いと思う要素は以下の二つです。


・「逆転」と「期待通り」の爽快感のバランスが素晴らしい
・主人公やその周辺、及びライバルのキャラクター達に好感が抱きやすい
・相撲の描写の迫力がとにかく凄い
・主人公が突き当たる壁のリアリティが非常に高く、それを乗り越える為の鍛錬やパワーアップに納得感がある
・普通の相撲の描写と、いわゆる「必殺技」の描写のバランスがいい



この中でも特に、

・「逆転」と「期待通り」の爽快感のバランスが素晴らしい
・主人公、及びライバルのキャラクターに好感が抱きやすい

の二点について記載してみたいと思います。


・「逆転」と「期待通り」の爽快感のバランスが素晴らしい


特に格闘系、スポーツ系の少年漫画について、私は二つのキーワードで、その面白さの7割くらいを説明出来るんじゃないかと思っています。


私は随分前から、そのキーワードを「「まさか」の爽快感」と「「さすが」の爽快感」と呼んでいます。


「まさか」の爽快感というのは、要するに逆転が起きた時の爽快感、気持ちよさです。周囲から見くびられていた主人公や仲間たちが、強豪相手に大金星を挙げた時の爽快感。大ピンチに陥った主人公チームが、追い詰められた状況から大逆転した時の爽快感。これは、勝負ごとがメインとなっているあらゆる少年漫画で重要な気持ちよさだと思います。「まさか」の爽快感を演出するのが上手い漫画は、それだけで名作といってしまってもいいくらい読んでいて爽快感があります。


「さすが」の爽快感というのは、要するに「強い主人公・強い味方が期待通りの活躍をする」ということによる満足感です。読者が感情移入している味方側のキャラクターが、期待通りの活躍をする。圧倒的な力で強敵をねじふせる。ジョーカー的な味方キャラがものすごい描写と共に敵を一掃する。こちらの爽快感、気持ちよさも、少年漫画において重要なファクターの一つです。

昔の記事でもこの辺のところは書きました。お時間ある方は下記記事でも読んでみてください。


火ノ丸相撲は、上記「まさか」と「さすが」の配分が絶妙である上、お話の構造上、全く無理なく「まさか」と「さすが」がバランシング出来るようにできています。


この漫画の主人公である潮火ノ丸は、「かつては『国宝級・鬼丸国綱』とまで称されたが、体格に恵まれなかった為中学時代は無名だった」「中学の3年間徹底的に体を鍛え上げ、真っ向勝負を是とする相撲で高校横綱を目指す」という設定の持ち主です。まさに、「小兵がでかいヤツを、真っ向勝負でねじ伏せる」というのが火ノ丸相撲のテーマです。


「圧倒的強さを持っていても不思議ではない経歴・研鑽」と「相撲という競技において致命的とも言えるハンデ」が、お話の中核として最初から同居している。これはつまり、火ノ丸が強豪と戦うだけで、「突きつけられたハンデを打ち砕く」という「まさかの爽快感」と、「強豪である火ノ丸が活躍する」という「さすがの爽快感」が、ごく自然に演出されるということを意味します。

しかも、体格というハンデは基本的に解消されることがないものなので、今後火ノ丸がいくら鍛錬を重ねてパワーアップしても、話の構造上はずっと「小柄という体格故の大ピンチ」と「それに対しての大逆転」が不可分となります。そして、相撲という「無差別級の力と力のぶつかり合いであり、つく時には一瞬で勝負がつく」という、それこそ全く読者を油断させない題材。


これらが、少年漫画のストーリーの作り上本当に絶妙過ぎる要素だと思うんですね。


格闘もの少年漫画の基本が、「友情(仲間集め)、努力(パワーアップ)、勝利」であることは今更いう間でもないと思いますが、上記爽快感のバランスと合わせて、火ノ丸相撲のテーマはこれに完璧に合致しています。そして、それを相撲シーンの凄まじい描写力が強力にサポートする。


後述しますが、主人公である火ノ丸が非常に好感が持てるキャラクターであることもあり、読者はごく自然に火ノ丸に感情移入することが出来ます。火ノ丸が臨む試合も、ある時は圧倒的な力で相手をねじ伏せて周囲を瞠目させ、ある時は大ピンチの連続から大逆転を決める、熱い試合揃い。火ノ丸が数々の相撲に挑み、時には勝利し、時には敗北するだけでも、読者は少年漫画の醍醐味を存分に味わうことが出来る、ということです。


まずは、この「二つの爽快感のバランス」を、火ノ丸相撲という漫画の中核部分だと言ってしまいたいと思います。



・主人公、及びライバルのキャラクターに好感が抱きやすい


当然、少年漫画を彩るのは様々なキャラクター達なのですが、「火ノ丸相撲」においては、火ノ丸の周囲の人々、火ノ丸の前に立ちふさがる人々、火ノ丸に期待する人々を含め、実にいい味出しているキャラクターが満載です。

勿論、その筆頭は主人公の潮火ノ丸です。非常に相撲にひたむきで、時には強烈な殺気を放ち、時には泥臭く負の感情をあらわにすることもあるが、基本的には真面目な好青年(ちょっと機械に疎い)。

大きなハンデを抱えながらも相撲に打ち込む、という設定の関係もあるとは思うのですが、彼は普段実に前向きで真摯です。しかし一方、勝利への執着というのはとても大きく、それが試合の描写に現れることもしばしばあります。


序盤の試合で特に印象的なのは、「三日月宗近」と称される、国宝・沙田との一戦です。


中学時代敵がなかった沙田は、地区予選決勝トーナメントで相対することになった火ノ丸との相撲で、初めて味わう緊張感を楽しみます。その顔には笑みすら浮かび、火ノ丸も同じように勝負を楽しんでいるだろうと思った瞬間、


何を笑っていやがる


勝負の中での心の交流を、凄まじい殺気のこもった表情でガン拒否する火ノ丸。笑うのは勝って土俵を下りてから。普通の少年漫画であれば、お互いに勝負を楽しむライバル同士の描写も一つの王道である訳ですが、それを切って捨てる描写もこの漫画の重要な味わいの一つだと思います。


あと、この漫画って「イヤなヤツ」があまりレギュラーとして登場しないんですね。たまに出てくるイヤなヤツや軽薄なヤツは大概すぐ退場する連中ばかりで、レギュラーキャラは大概根がまっすぐな、好感が持てるキャラクターばかりです。人によっては(キャラクター的な)毒の薄さを物足りなく感じるかも知れないですが、スポーツ漫画として読んでいて気持ちいいのは重要なところだと思います。

例えば、当初はおどおどしたところが目につくばかりだったけれど、徐々に、徐々に相撲部部長としての自覚を持ち、端々で強者の風格を漂わせ始めた小関部長(最新話ではまたなんかエラいことになってますが)。

例えば、当初は典型的な「更正した悪役チンピラキャラクター」として出発しながら、様々なエピソードを経て相撲部になくてはならない存在として成長していく五條佑真。

例えば、空気が読めない設定ではあるものの、格闘技に対する真摯さは火ノ丸と通ずるものがあり、強敵とも伍する存在になる國崎千比路。

例えば、火ノ丸にあこがれ、自分も真っ向勝負の相撲をとりたいと目指しながら、勝利の為にそれすら捨てる覚悟をした三ツ橋 蛍。

例えば、相撲に対する真摯さでは火ノ丸たちにひけをとらず、軍師的な立ち位置を明確にしながら、一般常識については残念メガネ以外の何物でもない辻桐仁。

みんな、それぞれ「キャラクターが立った」連中揃いで、生き生きとしていることこの上ありません。

その他周囲の面々もみんなそれぞれ味のある連中ばかりなのですが、ここ最近では火ノ丸に目を賭けてくれる柴木山親方がお気に入り。天王寺咲さんの登場も併せて、柴木山部屋編は実に楽しいエピソードだったと思います。



と、いうことで。

他にも火ノ丸相撲の面白さ要素は山のようにあるとは思うのですが、長くなってきたので今回はこの辺で締めたいと思います。

未読の方には是非ご一読をお勧め致します。面白いですよ、火ノ丸相撲。





今日はこの辺で。

posted by しんざき at 20:02 | Comment(10) | TrackBack(0) | 書籍・漫画関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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