皆さん、「ワルキューレの冒険」のゲームブックってご存知ですか?
何度か書いている通り、しんざきは創元ゲームブックっ子であって、創元推理文庫の「スーパーアドベンチャーゲーム」が大好物です。ソーサリーも、展覧会の絵も、ネバーランドのリンゴも、暗黒教団の陰謀も大好きです。
その中に、ナムコのゲームをGB化したタイトルが幾つかありまして。その内一つがいわずと知れた大名作、鈴木直人先生のドルアーガシリーズなんですが、他にもゼビウスとかドラゴンバスターとかカイの冒険とか色々ありました。
で、その一角に、ドルアーガと同じく三部作で構成された、「ワルキューレの冒険」のゲームブックもあったのです。
先日、富士宏先生がTwitterを始められまして、TLがワルキューレ話で大変盛り上がっていました。迷廊館のチャナの続きを構想されているということで、大変楽しみにさせて頂いております。
で、私も何かワルキューレ話をしたくなったのですが、冒険や伝説やローザの話はもう皆さんたくさんされている。で、富士宏先生が関わっていない(表紙は米田仁士先生で、本文イラストは松崎貢先生です)作品で大変恐縮なのですが、ゲームブック版ワルキューレの話も放り込んでみたくなりました。様々な試みが込められたゲームブックで、これもしんざきお気に入りの一冊、いや三冊なんです。
ゲームブック版「ワルキューレの冒険」は、上記した通り三冊で構成されています。
一作目が、主人公が旅立ち、ララッタ近郊のドラゴンを退治するまでのストーリーである「迷宮のドラゴン」。
二作目が、「冒険」原作にも登場するピラミッドを主要な舞台とする「ピラミッドの謎」。
三作目が、災禍の根源であるゾウナと対峙する「時の鍵の伝説」。
この三冊の最大の特徴が、「主人公がワルキューレではないこと」であることは議論を俟ちません。
当時、創元社に限らず、「ファミコンのゲームのゲームブック化」というものは数多ありました。ファミコンのゲームは、もとよりゲーム内で出てくるキャラクター、ストーリーの密度があまり濃くなく、そこを埋める形でのノベライズと相性が良かった、ということは言ってしまっていいように思います。
で、それら「ファミコンゲームのゲームブック化」の大多数は、「ゲームと同じ主人公」がプレイヤーになる作品でした。ドルアーガ三部作の主人公はギルですし、カイの冒険の主人公はカイ、ドラゴンバスターの主人公はクロービスです。「ドラゴンクエスト2」「スーパーマリオブラザーズ」「ゼルダの伝説」など、双葉社のゲームブックもその過半は同様です。STGとか、謎の村雨城とか、例外もない訳じゃないんですが。
一方、ワルキューレ三部作の主人公は、「ワルキューレに憧れて冒険に出ることを決意した、何の変哲もない普通の村の若者」です。英雄でもないですし、流浪の王族でもありません。
これ多分、著者である本田先生のやりたいことを実現する為に、主人公がワルキューレではない方が都合が良かったから、ではないかと思うんです。
ゲーム本編ではそこまで作り込まれていないとはいえ、ワルキューレは元々、それ程「柔軟に動ける」キャラクターではありません。ワルキューレは神の子であって、美しい女性の見た目をした清廉なキャラクターです。ワルキューレのキャラクターを使おうとするならば、彼女の行動はある程度「神の子」としての行動にならざるを得ません。
例えばの話、道で困った老婆を見かければワルキューレは無条件で助けるでしょうし、悪人から犯罪の誘いを受ければワルキューレは無条件ではねつけるでしょう。そこをぶれさせてしまうと即キャラクター崩壊につながる。プレイヤーの選択の余地を作れない訳です。無論、恋愛展開やら無頼展開やら、書きにくい展開も色々あるでしょう。
著者の本田成二先生は、他にスティーブ・ジャクソンの「ファイティングファンタジー」の翻訳などにも関わっている方です。恐らくTRPG文化にも明るかったでしょう。つまり、飽くまでプレイヤーは読者である「あなた」であって、その行動は可能な限り自由なものにしたい、という向きが当初からあったのではないか、と推測します。
その為、読者がどんな立ち位置であってもプレイヤーとして違和感のない「普通の村の若者」を主役にして、敢えてワルキューレを主役から外すという選択を行ったのではないかと。私はそんな風に考えているわけです。
これによってなのかどうか、ワルキューレ三部作の展開は、非常に多彩なものになりました。
プレイヤーの判断によって、主人公は高潔な英雄にもなりますし、無頼のアウトローにもなりえます。主人公は、困った人を助けることも出来るし、見捨てることも出来ます。悪人と協力して悪事を行うことも、強盗に走ることも、傷ついた老人や生き物を助けることも出来るわけです。あと、透視の術で仲間の妹の全裸姿を覗き見て興奮したりする。
といっても、主人公の行動は即座に「魅力ポイント」に反映されまして、魅力次第では「折角巡り合えたワルキューレに協力を断られてしまってゲームオーバー」なんてことにもなり得ます。どこまで善行を積むか、どこまで利益を取るかのバランスみたいなものもこのゲームブックの醍醐味の一つ。
全体を通して、当初はただの「村の若者」だった主人公が、段々と成長して、様々な街で噂になるような活躍を残していく展開には、なかなか爽快感があります。二巻の道中では是非スミシーを仲間にして、酒場で絡んできた3人組みの冒険者を返り討ちにしたいところ。
〇ワルキューレの冒険のシステム的な試み
このゲーム、三巻では結構物凄いことをしていまして、つまり「主人公パーティが二つに分かれて、それぞれ個別に行動する」ということをかなり無理やり実現しているんです。このシステム、なかなか他のゲームブックではないと思います。
主人公・ワルキューレ組と、ニスペン・アテナ組は、それぞれ違うスタート地点から、個別の目的地を目指すことになります。パーティを合流させることも出来るけれど、別々に行動していないと起きないイベントもある。これ、処理的にはかなりややこしいことをしていて、恐らくデバッグも大変だったんじゃないかと思うんですが。
ちなみに、パーティの扱いとしては、ワルキューレの存在から各地で歓待される主人公・ワルキューレ組より、初見でゾウナの手下扱いされるニスペン・アテナ組の扱いがだいぶ悪いです。ニスペンさんいい人なんですけど。
もう一つ、システム的な面で特筆するべきこととして、このゲームブック「タイトルが進むことによる能力補正」を導入しているんです。おそらく、ゲームブック史全体を見渡しても初の試みではないでしょうか。
つまり、二巻、三巻という続編タイトルの序盤で、「能力が低すぎる場合は一定水準までパワーアップ」「能力が高すぎる場合、同じく一定水準までパワーダウン」ということを実現しているんですね。
これによって、例えばサイコロ運が悪すぎたり、敵から逃げまくって全然経験値を稼いでいなかったり、逆に経験値を稼ぎ過ぎた主人公の能力を一定範囲に収めることが出来ると。ゲームブックとしてはなかなか珍しい、コンピューターゲームっぽいシステムだったと思います。
〇「ワルキューレの冒険」を彩った敵たちと、脇を固める名キャラクターたち
本作ストーリーの話をすると、当然のように出てくる「ワルキューレの冒険」の敵たち、例えばタッタやコアクマン、シーザスといった敵キャラの他に、様々なオリジナルキャラたちが非常にいい味を出しています。
例えば、ララッタの街を占拠したゾウナの手下「ゴブガブ」に対して、妹を助ける為に共闘する漁師ニスペン。彼とは、二巻で女戦士アテナと共に再開して、最終的には4人パーティを組むことになります。あと妹さんがやたら美人。
そのアテナは、黒髪長髪、美人で優しいお姉さんという感じのキャラ。怒ると性格が変わるらしいですがゲームブック内ではあまり怒りません。彼女の時間跳躍の術は、ストーリー的には割と禁じ手だと思うんですが、どうにもならない状況からの脱出に使われたりします。
一巻の道中で仲間になり、一緒に迷宮のドラゴンに対峙することになる盗賊サンディ。言ってしまうと、彼女は実は男装の美少女で、一巻の最後で正体を知られた後は物語のヒロインに位置づけられることになります。サンディかわいい。最終巻の展開は必見といってよいでしょう。
ちなみに、ゲームブック内では二巻の最終盤にようやく出てくるワルキューレも、立ち位置的には十分特異なキャラになっています。元々の体力や技量の値もさることながら、全ての魔法をアイテムなしで使える上、魔法の性能が暴力的(自動的にダメージ2倍)過ぎてアテナの影が薄い。三巻のキツい戦闘は、かなりの部分彼女の星笛の術、稲妻の術で切り抜けることができます。
実際のところこの三冊、オリジナル要素はかなり大きく、ゲーム中ではあまり「冒険」本作の要素が出てこなかったりします。そもそも原作にはドラゴンからして存在しねえ。
読者から募集された冒険者の名前が物語のところどころに出てくる点なんてのは、若干好みが分かれるところかも知れません。とはいえ、ところどころで出てくるワルキューレの冒険の噂(ワルキューレがシーザスをぶっ倒して船出したという噂とか)や、ゲームと同様の7種の魔法なんかは、原作を思い出しつつハマれる要素として、私個人的にはかなりのお気に入りです。
皆さま、これからの秋の夜長に、旧作ゲームブックに触れてみるのはいかがでしょうか。
今日書きたいことはそれくらいです。