2018年09月10日

ゲームブック半里を往く その11 ワルキューレの冒険

皆さん、「ワルキューレの冒険」のゲームブックってご存知ですか?


何度か書いている通り、しんざきは創元ゲームブックっ子であって、創元推理文庫の「スーパーアドベンチャーゲーム」が大好物です。ソーサリーも、展覧会の絵も、ネバーランドのリンゴも、暗黒教団の陰謀も大好きです。

その中に、ナムコのゲームをGB化したタイトルが幾つかありまして。その内一つがいわずと知れた大名作、鈴木直人先生のドルアーガシリーズなんですが、他にもゼビウスとかドラゴンバスターとかカイの冒険とか色々ありました。


で、その一角に、ドルアーガと同じく三部作で構成された、「ワルキューレの冒険」のゲームブックもあったのです。

先日、富士宏先生がTwitterを始められまして、TLがワルキューレ話で大変盛り上がっていました。迷廊館のチャナの続きを構想されているということで、大変楽しみにさせて頂いております。

で、私も何かワルキューレ話をしたくなったのですが、冒険や伝説やローザの話はもう皆さんたくさんされている。で、富士宏先生が関わっていない(表紙は米田仁士先生で、本文イラストは松崎貢先生です)作品で大変恐縮なのですが、ゲームブック版ワルキューレの話も放り込んでみたくなりました。様々な試みが込められたゲームブックで、これもしんざきお気に入りの一冊、いや三冊なんです。

ゲームブック版「ワルキューレの冒険」は、上記した通り三冊で構成されています。

一作目が、主人公が旅立ち、ララッタ近郊のドラゴンを退治するまでのストーリーである「迷宮のドラゴン」

二作目が、「冒険」原作にも登場するピラミッドを主要な舞台とする「ピラミッドの謎」

三作目が、災禍の根源であるゾウナと対峙する「時の鍵の伝説」

この三冊の最大の特徴が、「主人公がワルキューレではないこと」であることは議論を俟ちません。

当時、創元社に限らず、「ファミコンのゲームのゲームブック化」というものは数多ありました。ファミコンのゲームは、もとよりゲーム内で出てくるキャラクター、ストーリーの密度があまり濃くなく、そこを埋める形でのノベライズと相性が良かった、ということは言ってしまっていいように思います。

で、それら「ファミコンゲームのゲームブック化」の大多数は、「ゲームと同じ主人公」がプレイヤーになる作品でした。ドルアーガ三部作の主人公はギルですし、カイの冒険の主人公はカイ、ドラゴンバスターの主人公はクロービスです。「ドラゴンクエスト2」「スーパーマリオブラザーズ」「ゼルダの伝説」など、双葉社のゲームブックもその過半は同様です。STGとか、謎の村雨城とか、例外もない訳じゃないんですが。

一方、ワルキューレ三部作の主人公は、「ワルキューレに憧れて冒険に出ることを決意した、何の変哲もない普通の村の若者」です。英雄でもないですし、流浪の王族でもありません。

これ多分、著者である本田先生のやりたいことを実現する為に、主人公がワルキューレではない方が都合が良かったから、ではないかと思うんです。

ゲーム本編ではそこまで作り込まれていないとはいえ、ワルキューレは元々、それ程「柔軟に動ける」キャラクターではありません。ワルキューレは神の子であって、美しい女性の見た目をした清廉なキャラクターです。ワルキューレのキャラクターを使おうとするならば、彼女の行動はある程度「神の子」としての行動にならざるを得ません。

例えばの話、道で困った老婆を見かければワルキューレは無条件で助けるでしょうし、悪人から犯罪の誘いを受ければワルキューレは無条件ではねつけるでしょう。そこをぶれさせてしまうと即キャラクター崩壊につながる。プレイヤーの選択の余地を作れない訳です。無論、恋愛展開やら無頼展開やら、書きにくい展開も色々あるでしょう。

著者の本田成二先生は、他にスティーブ・ジャクソンの「ファイティングファンタジー」の翻訳などにも関わっている方です。恐らくTRPG文化にも明るかったでしょう。つまり、飽くまでプレイヤーは読者である「あなた」であって、その行動は可能な限り自由なものにしたい、という向きが当初からあったのではないか、と推測します。

その為、読者がどんな立ち位置であってもプレイヤーとして違和感のない「普通の村の若者」を主役にして、敢えてワルキューレを主役から外すという選択を行ったのではないかと。私はそんな風に考えているわけです。

これによってなのかどうか、ワルキューレ三部作の展開は、非常に多彩なものになりました。

プレイヤーの判断によって、主人公は高潔な英雄にもなりますし、無頼のアウトローにもなりえます。主人公は、困った人を助けることも出来るし、見捨てることも出来ます。悪人と協力して悪事を行うことも、強盗に走ることも、傷ついた老人や生き物を助けることも出来るわけです。あと、透視の術で仲間の妹の全裸姿を覗き見て興奮したりする。

といっても、主人公の行動は即座に「魅力ポイント」に反映されまして、魅力次第では「折角巡り合えたワルキューレに協力を断られてしまってゲームオーバー」なんてことにもなり得ます。どこまで善行を積むか、どこまで利益を取るかのバランスみたいなものもこのゲームブックの醍醐味の一つ。

全体を通して、当初はただの「村の若者」だった主人公が、段々と成長して、様々な街で噂になるような活躍を残していく展開には、なかなか爽快感があります。二巻の道中では是非スミシーを仲間にして、酒場で絡んできた3人組みの冒険者を返り討ちにしたいところ。


〇ワルキューレの冒険のシステム的な試み

このゲーム、三巻では結構物凄いことをしていまして、つまり「主人公パーティが二つに分かれて、それぞれ個別に行動する」ということをかなり無理やり実現しているんです。このシステム、なかなか他のゲームブックではないと思います。

主人公・ワルキューレ組と、ニスペン・アテナ組は、それぞれ違うスタート地点から、個別の目的地を目指すことになります。パーティを合流させることも出来るけれど、別々に行動していないと起きないイベントもある。これ、処理的にはかなりややこしいことをしていて、恐らくデバッグも大変だったんじゃないかと思うんですが。

ちなみに、パーティの扱いとしては、ワルキューレの存在から各地で歓待される主人公・ワルキューレ組より、初見でゾウナの手下扱いされるニスペン・アテナ組の扱いがだいぶ悪いです。ニスペンさんいい人なんですけど。

もう一つ、システム的な面で特筆するべきこととして、このゲームブック「タイトルが進むことによる能力補正」を導入しているんです。おそらく、ゲームブック史全体を見渡しても初の試みではないでしょうか。

つまり、二巻、三巻という続編タイトルの序盤で、「能力が低すぎる場合は一定水準までパワーアップ」「能力が高すぎる場合、同じく一定水準までパワーダウン」ということを実現しているんですね。

これによって、例えばサイコロ運が悪すぎたり、敵から逃げまくって全然経験値を稼いでいなかったり、逆に経験値を稼ぎ過ぎた主人公の能力を一定範囲に収めることが出来ると。ゲームブックとしてはなかなか珍しい、コンピューターゲームっぽいシステムだったと思います。


〇「ワルキューレの冒険」を彩った敵たちと、脇を固める名キャラクターたち

本作ストーリーの話をすると、当然のように出てくる「ワルキューレの冒険」の敵たち、例えばタッタやコアクマン、シーザスといった敵キャラの他に、様々なオリジナルキャラたちが非常にいい味を出しています。

例えば、ララッタの街を占拠したゾウナの手下「ゴブガブ」に対して、妹を助ける為に共闘する漁師ニスペン。彼とは、二巻で女戦士アテナと共に再開して、最終的には4人パーティを組むことになります。あと妹さんがやたら美人。

そのアテナは、黒髪長髪、美人で優しいお姉さんという感じのキャラ。怒ると性格が変わるらしいですがゲームブック内ではあまり怒りません。彼女の時間跳躍の術は、ストーリー的には割と禁じ手だと思うんですが、どうにもならない状況からの脱出に使われたりします。

一巻の道中で仲間になり、一緒に迷宮のドラゴンに対峙することになる盗賊サンディ。言ってしまうと、彼女は実は男装の美少女で、一巻の最後で正体を知られた後は物語のヒロインに位置づけられることになります。サンディかわいい。最終巻の展開は必見といってよいでしょう。

ちなみに、ゲームブック内では二巻の最終盤にようやく出てくるワルキューレも、立ち位置的には十分特異なキャラになっています。元々の体力や技量の値もさることながら、全ての魔法をアイテムなしで使える上、魔法の性能が暴力的(自動的にダメージ2倍)過ぎてアテナの影が薄い。三巻のキツい戦闘は、かなりの部分彼女の星笛の術、稲妻の術で切り抜けることができます。

実際のところこの三冊、オリジナル要素はかなり大きく、ゲーム中ではあまり「冒険」本作の要素が出てこなかったりします。そもそも原作にはドラゴンからして存在しねえ。

読者から募集された冒険者の名前が物語のところどころに出てくる点なんてのは、若干好みが分かれるところかも知れません。とはいえ、ところどころで出てくるワルキューレの冒険の噂(ワルキューレがシーザスをぶっ倒して船出したという噂とか)や、ゲームと同様の7種の魔法なんかは、原作を思い出しつつハマれる要素として、私個人的にはかなりのお気に入りです。

皆さま、これからの秋の夜長に、旧作ゲームブックに触れてみるのはいかがでしょうか。

今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 07:00 | Comment(1) | ゲームブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年06月11日

ゲームブック半里を往く その10 創元ゲームブックにおける「魔法」や「呪文」の進化と変遷について

地球上において恐らく5人くらいにしか需要がない話をします。

皆さん、ゲームブックやってました?「にゃんたんのゲームブック」のような絵本ちっくな奴から、双葉社のファミコンゲームブックシリーズ、ローンウルフみたいなハードな奴、送り雛みたいなウォーロック系まで、昔ゲームブックって結構流行りましたよね。

何度か書いていますが、しんざきはゲームブック文化においても極めて創元ゲームブックに偏っている男でして、ドルアーガ三部作やネバーランドシリーズ、ソーサリーや展覧会の絵などが心のバイブルです。あと社会思想社のゲームブックも少々。火吹き山とか死の罠の地下迷宮とかバルサスの要塞とか、有名どころは一通りやったと思います。

今まで、「ゲームブック半里を往く」シリーズで、いろんなゲームブックについて思いつくまま書いています。一年に一回くらいの頻度ですが、気がむいたら読んでみてください。





で。ただでさえ需要がレアなゲームブック話の中で、更に範囲が限定されたテーマなのですが、今日はゲームブック、特に創元ゲームブックにおける「魔法」「呪文」の処理について書いてみたいと思います。


〇ゲームブックにおける「魔法」のお話

皆さんご承知の通り、ゲームブックは元よりD&Dの流れをくむものです。スティーブ・ジャクソンやイアン・リビングストンが、「本でRPGができたら面白いんじゃねーか?」という思いつきを実現してしまったのが「マジック・クエスト」、更にそれを元にした「火吹き山の魔法使い」です。厳密にゲームブックの原型というともうちょっと話は遡れるのですが(Choose Your Own Adventureとか)、現在の形のゲームブックという意味では、火吹き山を直接の祖先と言ってしまっても特に問題ないでしょう。

で、当然のことながら、D&Dを代表とするTRPGの世界はファンタジー世界でして、魔法は花形とも言える存在です。様々な魔法を駆使して色んな事態を打開するマジックユーザーを、ゲームブック上でどう実現するか。スティーブ・ジャクソンを始めとする色んなゲームブック作者が、当時「魔法をどうゲームブックに導入するか」を考えた筈です。

ただ、魔法をゲームブックに持ち込むにあたっては、一つ大きな問題がありました。本なんだから当たり前の話なんですが、「魔法の結果は文章として記載されなくてはいけない」ということです。

TRPGやコンピューターRPGと違って、ゲームブックは飽くまで本です。ゲームの中で何かしらの魔法を使ったとして、TRPGであればゲームマスターが、コンピューターであれば処理システムが、プレイヤーにその結果を教えてくれます。

ところが、ゲームブックの場合、基本的には「結果を読む」という形をとらないと、プレイヤーは魔法の結果を知ることが出来ないわけです。つまり、TRPGと同じことを普通にやろうとすると、「魔法を使える場面 × 魔法の数」の結果を書かなくてはいけなくなる。

ゲームブックには項目数の限界というものがあり、そこまで多くの項目は処理できません。じゃあどうするか。

代表的な解決法は二つあり、創元っ子の私はそれを「ソーサリー型」と「ネバーランド型」と呼んでいます。


〇選択肢提示型の魔法処理(ソーサリー型)

つまり、「ある場面で使える魔法の種類を限定してしまって、それを選択肢として書いてしまう」というやり方です。これは、ゲームブックに魔法を持ち込むときの、最もポピュラーな手法である筈です。

私の大好きなソーサリーで言うと、魔法を使える場面では、こんな感じで選択肢が出てくるわけです。

「FOFを使うなら→ 645へ、HOTを使うなら→302へ、TELを使うなら→12へ進め」

実際はもうちょっと簡素に書かれてるわけですが。こうすることによって、一度の魔法使用機会で必要な結果セットの数を抑えて、選択肢が無限に増えてしまうことを防いでいる、という訳なんですね。

ソーサリーのうまいところは、


・呪文のスペルは共通してアルファベット三文字
・呪文の種類自体はすごく豊富(48種類)
・けれど、「ゲーム中では呪文の書を読んで効果を確認してはいけない」という縛りがある(最初に呪文とその呪文の効果を覚えないといけない)


という要素を組み合わせることで、「色んな魔法を使いこなせる」という楽しさはちゃんと確保した上で、「記憶を頼りに最適の選択肢を考えないといけない」というゲーム要素もちゃんと成立させていることです。「あたり」の呪文とは別に、その場面では使えなかったり、あるいは全然スペルが違うといった「はずれ」の選択肢もちゃんと入っているわけです。

これまた、呪文のスペルも結構紛らわしいのが多いんですよね。FARとFALとか。FOFとFOGとか。まあ英語がわかればなんとなく推測出来るものも多いんですが、子どもにはまぎらわしい限りでした。

これと同じ手法をとったゲームブックは創元でも数多く、

・ドルアーガ三部作
→ソーサリーとシステムはほぼ同じ。ギルはもともと魔法使いではないので、魔法の情報は途中で集めないといけない。罠選択肢として「MUALA」があり、普通に使うと体力を大量に失うだけの自爆呪文だが、最後の最後に滅茶苦茶熱い展開がある

・魔王の地下要塞、ファイアーロードの砦
→10種類の魔法が使える。冒険中の魔法は選択肢型だが、戦闘中の魔法はシステムとして処理されるので項目数が少ない、という工夫がある

・ドラゴンの目
→12種類の魔法が使えるものの、全て一回使い切り。選択肢型だが、ゲーム中の扱いはアイテムに近い。炎のトラがけなげでかわいい。

・スーパー・ブラック・オニキス
→シモンが魔法を使えるが、ほぼ戦闘時のみ。

・暗黒の聖地
→紅蓮の騎士の続編。「腕輪」を入手することで魔法が使える、「魔力」が腕輪を持てる上限となるユニークなシステム

・眠れる竜ラヴァンス
→シンプルな選択肢型。2巻はいったいいつ出るのか

このあたりは代表的なところでしょう。

コンピューターゲームでも、別にあらゆる場面であらゆる呪文が使えるわけではないので、この「選択肢を提示する」というのは、ゲームブックに魔法・呪文を持ち込むうえでの一つの最適解だったかもしれません。

それに対して、もう一つの潮流として「選択肢非提示型」の魔法システムというものがありました。


〇選択肢非提示型の魔法処理(ネバーランド型)

こちらは、「魔法を使うときの飛び先を決めておいて、魔法使用時のジャンプ処理をプレイヤーにさせる」というシステムです。

どういうことかというと。

例えば、主人公が「自分の体を縮める」という魔法を使用出来るアイテムを冒険中に手に入れたとします。そのアイテムには、「36引け」という文が書いてあります。

「ここで魔法を使用してもよい」という記載があったとき、プレイヤーはその時の項目から36を引きます。すると、「自分の体を縮める」という魔法を使うことが出来、とんだ先でその魔法を使った結果が読める、というわけです。

このシステムにはどんなメリットがあるかというと、


・魔法使用機会ごとに全部の魔法を使うことが出来る、基本的に選択肢という制限がない
・どんな魔法があるかを「秘密」に出来る(あてずっぽうの魔法使用を防げる)
・魔法の入手をご褒美イベント、パワーアップイベントに出来る


これくらいが代表的なところだと思います。ただ、「使える魔法の数が基本的には少なくなる」「「正解」の選択肢は限られる」というデメリットはあります。

このシステムを載せた代表的なゲームブックが「ネバーランドのリンゴ」と「ニフルハイムのユリ」でして、私この二作大好きなんですけど、その理由の一つにはこの魔法システムがあります。また、「ワルキューレの冒険」三部作と、「ドラゴンバスター」も同じようなシステムをとっていたと思います。




〇奇跡の魔法使用システム、「パンタクル」

ところでここに「パンタクル」というゲームブックがあります。鬼才・鈴木直人先生作。「ドルアーガの塔」三部作で登場した天才魔法使いメスロンがスピンオフ登場して活躍する、創元ゲームブックの中でも特異な立ち位置のゲームブックです。


このゲームブックの魔法システムがそりゃもうものすごくって、一言で言っちゃうと「選択肢提示型と選択肢非提示型のいいとこ取り」なんですけど、20種類近い魔法が存在するというのに、「すべての魔法使用機会ですべての魔法が使える」というとんでもないことを実現していたんですよ。

どう解決しているかというと。

全ての魔法には、「この魔法を使う時は×××に進む」という、それぞれの共通処理番号が設定してあります。

で、その飛び先で、「項目番号×××でこの呪文を使った時は、〇〇〇に進む」という、「全ての魔法使用機会について」の処理結果テーブルが記載されています。(効果があるときだけではなく、「何も起こらなかった」もちゃんと処理してある)

このシステム本当に本当に物凄くって、

・魔法を使う時の制限というものが基本的にない、どの場面でも、どんな魔法でも使うことが出来る
・けれど、きっちりと「当たり」「外れ」の選択肢は設定されている
・「この場面を解決するにはどの魔法を使えばいいか」をきっちり考えることが出来る
・処理項目番号が集約されていることで、項目番号はそこまで増えない
・新しい魔法を手に入れて選択肢を増やすことも出来る

と、もう端的に言ってメリットしか存在しないんですよ。コンピューターRPGでの魔法システムを、ほぼそのままゲームブックに移植したと考えることも出来ます。

メスロンはそもそも天才魔法使いなので、そんなメスロンが数種類の魔法しか使えなかったらおかしい。けれど、ちゃんとゲームブックとしては成立させないといけない。

そんな要件を現実化させるのに、このシステムは「最適」というにふさわしかったと思います。正直、このシステムだけでこのゲームブック、十分歴史に残ります。

デメリットとしては、「(多分)作る側、デバッグする側が死ぬ」というものがあるように思いまして、このシステム考えつくだけでもすごいのに、実際作りこむの滅茶苦茶大変だったろうなーと想像するんですが。このゲームブックを書いた、というたった一点だけで言っても、鈴木直人先生は天才だと言ってしまっていいと思います。

ちなみに、次回作となる「パンタクル2」でもまた独創的な魔法システムが存在しておりまして、魔法を「戦闘での攻撃手段」ということに限定した上で「敵も自由に魔法を使ってくる」という、これも凄いことをやっていました。「パンタクル」とは全然違う作風なので、あまり好みでないという人もいるようですが、私自身はパンタクル2も十分革命的なゲームブックだったと思っています。

ということで、ざーーっと書いてみました。魔法の処理という話それ自体については、例えば「第七の魔法使い」とか「ディノンシリーズ」とか色々独創的なものはあるんですが、いい加減長くなってきたので一旦これくらいで〆たいと思います。

パンタクル3、およびスーパー・ブラックオニキス2の発売を心待ちにしております。(あとネバーランドの新刊も)

今日書きたいことはそれくらいです。
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posted by しんざき at 07:07 | Comment(1) | ゲームブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月03日

ゲームブック半里を往く その9 ゼビウス

何度か書いていますが、私は創元っ子でした。「創元推理文庫から出ていたゲームブックを特に好んで遊んでいた人」という意味です。


今更いちいち言うまでもなく、創元推理文庫の「スーパーアドベンチャーゲームブック」シリーズには、これでもかというくらい名作が溢れていました。

例えば、言うに及ばない「ソーサリー!」に、「シャドー砦の魔王」や「ドラゴンの目」のような海外ゲームブックの輸入シリーズ。

「ネバーランドのリンゴ」を始めとする林友彦先生の傑作の数々に、「紅蓮の騎士」や「ベルゼブルの竜」「夜の馬」などの純国産ゲームブック。デュマレスト・サーガをGB化した「巨大コンピュータの謎」「惑星不時着」や、勿論「展覧会の絵」なんかも傑作でした。恐らくあらゆるゲームブックの中でも最もプレイヤーとのステータスの開きが大きい敵が出現する、クトゥルーものGB「暗黒教団の陰謀」なんかも味がありました。


そんな中、ファミっ子でもあった私には、ナムコが送り出したゲームブックシリーズは、一つの特別な意味をもっていました。


当時、「ファミコンのゲームのゲームブック化」というのは、主に双葉社から多く発売されていました。「冒険ゲームブックシリーズ」と題されたそのシリーズには、勿論名作もあったのですが、多くはどちらかというと子ども向けという印象でした。小学校中学年〜中学校低学年くらいがメインターゲットだったのではないでしょうか。


ところが一方、鈴木直人先生の「ドルアーガ」シリーズを中核に据えたナムコGBシリーズは、文章にしても難易度にしても雰囲気にしても、はっきりと中高生〜大人向けでした。当時小学生だった私には、それがむしろひたすら魅力的に見えたのです。


ナムコのゲームブックシリーズには、以下のようなものがありました。


「ゼビウス」1985年、古川尚美氏著。
「ドルアーガの塔」三部作、1986年、鈴木直人氏著。
「ドラゴンバスター」1987年、古川尚美氏著。
「ワルキューレの冒険」三部作、1988〜1989年、本田成二氏著。
「カイの冒険」1990年、健部伸明氏著。

勿論ドルアーガの塔の存在感が素晴らしすぎたりカイの冒険がなぜか妙にエロかったりしましたが、どの作品も楽しんでプレイしていたものでした。ドルアーガが飛び抜け過ぎていたのは否定できませんが、なんだかんだでワルキューレもドラゴンバスターも面白かったのです。

この5タイトルのトップバッターを飾ったのが、つまりゲームブック版「ゼビウス」でした。私にとっては、「全てはここから始まった」とすら言える歴史作だったのです。




1.ゲームブック版ゼビウスという「キャラゲー」。

ところで、ゲームブックとしてのゼビウスは「キャラゲー」でした。

皆さん、「ファードラウトサーガ」ってご存知でしょうか?遠藤雅伸氏が学生時代から構想していたというSFストーリーで、ゼビウスはこの「ファードラウトサーガ」というストーリーを背景に制作されていました。「ゼビウス」の神秘的な世界観はここを淵源にしています。

実際に書籍になったのは確か1990年台になってからの筈ですが、当時からナムコの一部のファンブックなどでは細かいお話が公開されていました。ハードSFと超能力ものヒロイックストーリーを取り混ぜたようなお話で、なぜ地球人がガンプと戦わないといけないのかとか、色々なバックストーリーが明かされています。興味がある方はご一読を。



で、このゲームブック版ゼビウスは、アーケードやファミコンのゼビウスというよりは、この「ファードラウト」のゲームブック化といった方が正しい位置づけでした。

主人公である「P・J(ポール・ジョーンズ)」はエスパーで、生体コンピューター「ガンプ」を破壊することを目的として惑星ゼビウスに潜入します。彼はソルバルウには乗りませんし、ブラスターもザッパ―も撃ちません。彼の一番の武器はESP。時には銃器を扱ったりセラミックソードを振り回したりと、基本的には生身一つで戦うのがゲームブック版「ゼビウス」の主人公です。

実際には「ファードラウト」に由来する色々なバックストーリーがありまして、ファードラウトでの話が「神殿」の壁画に伝説として残っていたりと色々と面白いわけですが、ここでは省略します。


当時私は、ゼビウスのバックストーリーである「ファードラウト」の存在を知りませんでした。「ゼビウス」自体は大好きでしたが、「ゼビウスのゲームブック?ザッパー撃ってト―ロイド落としたりするの?」とか素っ頓狂な勘違いをしておりました。

ですが、上記した通りこのゲームブックにソルバルウは出ません。が、カピやト―ロイド、タルケンやグロブターなんかはちゃんと敵として出てきます。

P・Jは、ライフルや銃器をカピやト―ロイドにぶっぱなして生身で撃ち落としたりします。ランボーか。

彼、地味ながら結構トンデモなこともやってまして、海に浮かんでるガルザカートに泳いで近づいて蝕雷して大爆発、とかそういうこともやってます。

あと、例えば重要施設である「神殿」がアンドアジェネシスの形をしていたりとか、「バキュラ」を開発したバキュラ博士が登場したりとか、ジャングルの中からソルがにょきにょき生えてきてその中に重要アイテムがあったりとか、ゼビウスのキャラクターがゲームブックのあちこちに出てきます。

STGではないにせよ、ゼビウスのキャラクターはちゃんと出てくる。私が、このゲームブックを「キャラゲー」と考える所以です。




2.ゲームブックとしての「ゼビウス」の出来具合は。

ゲームブックとしてのゼビウスにはいくつかの特徴がありました。

・戦闘判定が、「相手の戦闘力を上回れれば勝ち、でなければ負け」の一発判定でスピーディな方式
・ほぼ全ての場面が双方向で移動でき、「マップを探索している」感が強い
・「サイコキネシス」「サイコショック」「テレパシー」「サイコバリアー」「透視」「テレポート」の6種類のESPがあり、最初にテレポート以外の一つを身に着けることが出来る。それによって展開が多少変わる
・「ゼビ数字」を用いた謎解き(というか16進法の計算)要素がある
・エリアは大きく「東の町」「西の町」「北の山」「南の町」「砂漠」「神殿」に分かれており、それぞれで特徴のあるイベントが発生する。南の町ではバイトで金が稼げたり、東の町ではギャンブルや買い物が出来たり、砂漠では砂男の集団と戦って死んだりする
・武器のポイントが単純に攻撃判定に上乗せされるので、強い武器を手に入れることによる報酬効果が大きい
・ヒロイン兼パートナーのカーチャがかわいい。ちなみにバキュラ博士の孫娘

この辺りが主な特徴ではないかと思います。やはり、「あ!ゼビウスのキャラクターが出てきた!あ、ここにも出てきた!」的な楽しみ方をするのが一番スタンダードである、という感は否めません。

P・Jをせこせこと強くするのは意外と楽しく、またあるイベントをこなしてカーチャが仲間になると飛躍的に戦闘が楽になったりですとか、「パワーアップと、それに伴う楽しさ」というのもこのゲームにはありました。また、エクスカリバーやクリスタルといった重要アイテムを苦労して見つけ出す楽しさ、南の町でトウモロコシを収穫してちまちまお金を稼ぐ楽しさといった面も忘れてはいけないところです。

ただ、ゲームとして難がある部分も正直ありまして。


・システムがシンプルであるだけに、初期設定でのダイス運で難易度が激変する
・その時点で勝てない相手にはどう工夫しても勝てない
・成長機会は限られており、きちんと成長イベントをこなして武器を整えていかないと後半の戦闘が非常にキツい
・「クリスタル」を手に入れてシオナイトの助力を得ないとラスボス戦かなりの確率で詰む
・シオナイトの助力を得ていても、運次第でラスボス戦の難易度が激変する
・最初に選択できる超能力の内いくつかは使用機会が非常に限られており、選んでもあまり意味がない
・なぜか戦闘機であるカピやトーロイドよりもその辺の酔っ払いの方が強い

この辺については指摘しておかなくてはいけないかもしれません。全体として、それ程難易度は高くないと思うのですが、どこかに一抹の理不尽感を感じさせるのは、同じナムコのゲームブック「ドラゴンバスター」と通じるところがあるかもしれません。古川さんの作風なのでしょうか。


と、長々書いて参りました。

なんにせよ、「ゼビウス」を端緒にナムコが名作ゲームブックを次々世に送り出し始めたのはなんの疑問もない事実でありまして、その処女作たる「ゼビウス」が果たした役割は決して小さくなかった、と私は考える次第なのです。


今日書きたいことはそれくらいです。次回はいつになるかわかりませんが、ワルキューレか、ドルアーガの別作品か、ソがつく四部作について書きたいと思います。


posted by しんざき at 18:24 | Comment(5) | TrackBack(0) | ゲームブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月10日

ゲームブック半里を往く その8 ティーンズ・パンタクル


大島いずみさん、もう32歳なのか…(あとがき参照)



パンタクル、というゲームブックがあります。

「ドルアーガの塔」三部作ゲームブックで鮮烈なデビューを飾った、若き天才魔導士「メスロン」。

ゲームブックオリジナルのキャラクターでありながら、その存在感は時にギルガメスすら上回り、盗賊タウルスとの凸凹コンビの完成度は一種異様な程でした。

メスロンの人気は、鈴木直人先生に「メスロン単体が主人公として活躍するゲームブック」を書かせるに至りました。その内の一作が、名作中の名作「パンタクル」。



そして、その「パンタクル」に連なる系譜の作品として生まれたのが、「パンタクル2」、遠く「チョコレートナイト」、そして「ティーンズ・パンタクル」でした。


ティーンズ・パンタクル。著者は鈴木直人先生。1990年、創元推理文庫より発売。元々は、「メスロン」に対して女性読者から送られてきたファンメールへのお返しに、ということで発想されたタイトルだそうです。


主人公は、半年前に「洋具台学園」に転向してきた女子高生、「大島いずみ」。霊力を持った彼女は、やがて学園を狙う魔女と敵対することになって…というストーリー。
今の目から見れば、舞台立てには大時代的な部分があるかも知れませんが、メスロンを絡めたその描写、日を追う毎に高まっていく緊迫感と非日常感、そしてゲームブックとしての面白さについては、流石の鈴木直人先生としかいいようのない佳作です。


まずは、内容の話をしましょう。



○鈴木直人先生の、数知れない「試み」。


鈴木直人先生の何より凄いところは、文章力や構成力もさることながら、作品によって本当に様々な「システム的な試み」を導入され、しかもそれが非常に高いレベルでまとまっていたところ、だと思うのです。


ゲームブックは、ゲームでありながら飽くまで「本」です。本である以上、ゲームシステム上での色々な試みをする場合には、かなり色々な工夫をしなくてはいけません。その工夫とストーリー性を両立させることは、それなりに困難です。


システム的な話だけで言えば、数あるゲームブックの過半は、「単に戦闘・成功判定のやり方に差があるだけ」であって、選択肢を選んでストーリーを追っていく、というその根本的な部分に大きな差異はありません。



鈴木直人先生のゲームブックを読んでいて驚くのは、「根本的な、システム的な部分に切り込んだ工夫」が余りにも多いことです。


例えば、「魔界の滅亡」における氷の迷宮。

例えば、「スーパー・ブラックオニキス」におけるフラグ管理システム。

例えば、「パンタクル」における魔法使用システムや立体迷宮。

例えば、「パンタクル2」における魔術戦システム。

例えば、「チョコレートナイト」の、思考ルーチンすら実装したラスボス戦。


いずれも、「本」という媒体で出来る範囲を超えた、まさに「ゲームシステム」だったと思います。鈴木直人先生の綿密なゲームブック構築は、プログラマー的ですらありました。

で、この「ティーンズパンタクル」ではどんな「試み」が行われていたかというと。


一言で言うと、「ある日付で見逃したイベントがあっても、翌日以降更にそのイベントに接触することが出来る」という、「イベント繰越システム」でした。


いつものことですが、これ、コンピューターゲームに慣れている人には、何がどうすごいのかわかりづらいと思います。

例えば、「○日目に××に行くと△△が発生する」というイベントがあったとします。そのイベントについて、「その翌日に××に行ったら、ちょっと違った形で△△が発生する」というのは、例えば日常系のアドベンチャーゲームなんかではごく当たり前のことです。


けど、考えてみてください。ゲームブックです。本です。普通はストーリーをなぞってどんどん展開が進んでいくだけなのに、「ちょっと後の時点で、見逃したイベントにもう一度アクセス」なんて出来ると思いますか?


鈴木直人先生は、下の三つの手法であっさりとその問題を解決してみせました。


・「今日が何日目か」というフラグを用意して、読者に覚えさせるという形で管理
・「何日目フラグ」と並列する形で、イベント用の「経験記号」も用意
・毎日「昼ターン」と「夜ターン」があり、それぞれ学園の色んな場所に行けるような共通項目を用意


言葉にしてしまえば簡単なようですが、これ、こんなにシンプルなやり方で「日常アドベンチャーゲーム」的なシステムを本に再現してしまうのって、物凄いことだと思うんですよ。

しかも、これ書かれたの1990年ですからね。ファミコンでいうとFF3の時代、まだ日常アドベンチャーゲーム自体がそこまで一般的でなかった時代です。こんな時代に、こんなエレガントな解決法をゲームブックであっさり構築してしまう鈴木直人先生は、本当にアイディアマンだと思います。


「ティーンズ・パンタクル」では展開上の日数制限がありまして、ある日付までで必要なアイテム・必要なフラグがそろっていないとゲームオーバーになってしまう仕組みがあります。「スーパーブラックオニキス」と同じパターンですが、日を追うごとに段々と友人が消えていって、緊迫感が増していく描写は、その点だけでも一読の価値があると思います。


○黒猫ニバスこわい。

一方、ストーリーやキャラクターの話をしますと。こちらも、鈴木先生の本骨頂というか、実に味のある展開、味のあるキャラクターが満載です。

ティーンズ・パンタクルにおいて、主人公の大島いずみは、普通の学園生活を送りつつも、学園をのっとろうとする魔女の勢力と戦うことになります。

登場するキャラクターは、例えばいずみの学校の友人や先生。学食のおじさんや、謎の転校生、タウルスそっくりの学園長、展開によっては暴走族なんかも出てくる他、いずみの能力の特性上、怨霊や亡霊、妖怪の皆さんなんかも登場したりします。ナンパされたり、友人と食べ歩きをしたり、二人乗りでツーリングにいったりもします。

そんな中で、いずみは学園や洋具台の町を探索して、魔女に対抗出来る手段、そして「魔道士メスロン」を呼び出すための手段を探すことになります。

上で書いた通り、洋具台学園では日を追うごとに様々な事件が発生していき、どんどん周囲の人間が信用出来なくなっていきます。各日付で起きるイベントにもそれが反映されており、いずみの探索は日が進む度により危険なものになります。

そんな中、うまくアイテムを集めて「メスロン」と合流できたときのほっとした安心感、そして更にそこからの反撃については、ひじょーーに熱いものがあったと思います。

ちなみにネタバレになりますが、最後の反撃にはいずみ・メスロン・タウルスそっくりの学園長の三人パーティで挑むことになります。このパーティ構成、どう見てもドルアーガ。この場合、いずみさんはギルガメスになります。あと、実はこの巻のどこかにゴルルグさんが出てきたりするんですが、すっかりいい人になってます。サイコソード素敵。


「ティーンズ・パンタクル」におけるアイテム集め、フラグ立ては、前述のイベント繰越システムの影響もあり「そこそこの難易度」という感じなのですが、それでも中盤の難敵、「黒猫ニバス」と戦うためのアイテムを集めるのは、イベントによっては時間制限もあり結構大変でした。鍵は図書館と屋上です。あと、意外と高岡北斗君が重要キャラ。


ちなみに、この作品では敵と戦う際、多くの場合「霊力で戦う」か「物理攻撃で戦う」かを自分で選ぶことが出来ます。「物理で戦うとクッソ強いけれど霊力で戦うと弱い」とかその逆とか、敵によって色々あります。このあたりも、キャラの個性づけに随所随所有効に動作していると思います。

キャラクターで言えば、個人的にはやはりタウルスそっくりの学園長がお気に入り。色々と助けていただきました。


ということで、長々と書いてまいりました。結論として、描写の端々に大時代的な部分(まあ26年前ですし…)はあるものの、「ティーンズ・パンタクル」は今読んでも十分楽しめる良作」であることを記して、項を閉じたいと思います。

他のゲームブックシリーズについても色々書いてます。創元ばっかりですが。




今日はこの辺で。

posted by しんざき at 07:56 | Comment(1) | TrackBack(0) | ゲームブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月20日

ゲームブック半里を往く その7 巨大コンピューターの謎と、創元ゲームブックヒロインのお話


シャラナ可愛い(真顔で)


どうも、しんざきです。いつも通り、2015年という時代の今、創元のスーパー・アドベンチャーゲームのレビューという記事に、どの程度の需要があるのかなどという話は気にせずに書きます。


Amazon:スーパーアドベンチャーゲーム 巨大コンピューターの謎


デュマレストサーガ、というSF小説シリーズをご存じでしょうか。

デュマレストサーガは、既に故人となったE・C・タブが1967年から2008年にかけて書き続けていたSF作品です。主人公であるアール・デュマレストは、「人類発祥の地である「地球」という星が、伝説としてしか知られていない程に遠く離れた銀河」において、自分の故郷である地球の手がかりを捜し求めながら、星から星へと旅をします。

様々なSF的小道具をふんだんに盛り込みつつ、極めて固ゆで卵野郎なデュマレストを描いたその作風は、SFハードボイルドの走りといっても過言ではないでしょう。まあ、デュマレスト、行く先々の星で女が出来たり、一作品に二回くらいは死に掛けたりしますけど。

やたらと鋭い反射神経、そこそこ強い腕っ節、たまにエスパーっぽい閃きを見せる洞察力、ドライなようで実は義理堅い性格を武器として、様々な舞台の星をくぐりぬけていく、アール・デュマレストのキャラクターが軸になっている小説群。それがデュマレスト・サーガです。32巻と33巻日本語訳して欲しい。


「巨大コンピューターの謎」は、そんな「デュマレスト・サーガ」を、創元ゲームブックの世界に持ち込んだ、「SFゲームブック」の中でも一種独特な立ち位置を占めているゲームブックなのです。



「巨大コンピューターの謎」。1986年、安田均作。原作はE.C.タブですが、原作「デュマレスト・サーガ」に、本書に該当するエピソードがない(部分的に似たようなエピソードはありますが。迷宮惑星トイとか)為、エピソード自体はオリジナルのものです。本書は本来三部作の想定だったようですが、二巻「惑星不時着」が1988年に世に出た後、続編は27年程発売されていません。個人的には、是非惑星ハスラーでのデュマレストの冒険も体験してみたいんですが。


「○○の謎」というタイトルがいまひとつ大時代的であることは否定出来ません。原作デュマレストサーガにしても、例えば原作は"The Winds of Gath" とか "The Jester at Scar" といった、シンプルに惑星のことを描写したり人名であったりといったタイトルなんですが、邦題は「○○の惑星××」という形態に統一されており(例に出した原作で言うと、「嵐の惑星ガース」と「キノコの惑星スカー」になる)、もうちょっとなんとかなってもいいんじゃねえかなあ、と思わないでもないです。キノコて。いやまあキノコの惑星っちゃキノコの惑星だけど。

とはいえ、「巨大コンピューターの謎」及び「惑星不時着」で活躍するデュマレストについて言えば、その描写は「まさにデュマレスト!」というものばかりです。髪の毛からつま先に至るまで、一分の隙もないハードボイルドヒーロー。プレイヤーのサイコロ運にもよるが、人間離れした反射神経や洞察力、そしてタフネス。で、ドライなようでいてどこか浪花節で、助けを求められたら基本応じてしまう人情味。この辺、原作を下敷きにした「キャラクター作品」としては、本作は一級品と称して間違いありません。


まずはゲーム内容の話をしてみましょう。


・ゲームブックとしての「巨大コンピューターの謎」。

ゲームブックとして「巨大コンピューターの謎」を観ると、その作りは割とスタンダードで、「ステータスの割り振り」に特徴を観ることが出来ます。

本書の中で、主人公のアール・デュマレストは、「体力」「敏捷力」「知覚力」の三つのステータスを割り振られています。各ステータスの基本値は5で、サイコロ二つを振って出た値を、プレイヤーはこの三つに自由に割り振ることが出来ます(最高は10)。

各ステータスは、例えば戦闘でのダメージ判定に使われたりする他、展開の随所随所で成功判定に使われることになります。例えば、扉を力ずくでこじあける時には体力チェックで、サイコロ二つ振ってその時の体力以下なら判定は成功、とか。敵の罠を素早く避ける時には敏捷力チェックとか。

ただ、このゲームブックって結構各判定の結果がシビアでして、重要なチェックに失敗すると一発死亡、みたいな場面も折々あります。その為、最初のステータス割り振りで余りに低い値を出すと、特に進み方が分からない内はエラい苦労を強いられることになります。最初のダイス目次第でゲーム難易度が大きく変わり過ぎる点は、若干不親切な点かも知れません。


ゲームストーリーとしては、デュマレストの当初の目標は、「故郷・アースの手がかりを、惑星アンフォルムのライブラリで掴むこと」であり、デュマレストはその為に、ライブラリの検索料を稼いだり、情報屋と接触して稼ぎ口を探したりといった行動をとることになります。この際、例えばカジノあり、闘技場での戦闘あり、情報屋の皮をかぶった詐欺もあり、しまいには金塊探しの為に、ホバークラフトをレンタルして南の大陸で洞窟探検をしたりもします。この辺り、SFという味を生かした展開の多様さは、このゲームブックの特長でもあります。


が、中盤以降、物語は大きな変動を見せます。そう、シャラナが物語に登場するのです。


・ヒロインはお嬢様。

デュマレスト・サーガでは、多くの作品で、ストーリーを彩るヒロインが登場します。本書に登場するヒロインは、惑星アンフォルムの高官カザフ氏の娘、シャラナ。

酒場でシャラナが暴漢に絡まれているところを助けたデュマレストは、なし崩し的に彼女のボディガードを勤めることになります。そんなシャラナを狙うのは、市内の暴力組織であるコルチェラ商会。主人公デュマレストは、シャラナを守って「アース」の情報を得ることが出来るのか…。と、前半がどちらかというと「お金稼ぎ」を目的としていたのに対し、後半はシャラナを中心にしたストーリーにがらっと変わります。


シャラナ自体は、お転婆なところもありながら基本的には素直であり、どこか夢見がちな少女なのですが、ヒロインの王道通りさらわれます。これはもう言ってしまいますが、一巻でも二巻でもめっちゃさらわれます。

ドルアーガのカイ、ニフルハイムのエスメレー、ウルフヘッドのスミアなどの例を挙げるまでもなく、ヒロインとはこういうものだ!と言わんばかりの王道展開には安心感すらあるといえるでしょう。とはいえ、ネタバレは避けますがシャラナもただのお嬢様ではないので、色々と本筋の内容に絡んではくるのですが。

実は本書、シャラナの護衛役につくことはかなり早い段階から可能なので、展開を覚えると、多分200ステップそこそこくらいでクリア出来てしまったりするんですよね。というか、むしろ慣れていない人は、最初に酒場に何回か通ってシャラナフラグを立ててしまい、急展開にポカーンとしたりしたかも知れません。

正直、本書におけるシャラナの描写はまだまだ手探りなところもあったとは思うのですが、次巻「惑星不時着」では、より掘り下げられたシャラナのキャラクターが読者の前に現れることになります。


この辺で、話は「創元ゲームブックにおけるヒロイン」のお話になります。


・創元ヒロインコンテスト。

先に断っておきますが、ここから先は飽くまでしんざきの趣味の話になります。

私が創元っこだったので今回は創元に限定した話になりますが、創元ゲームブック、「スーパーアドベンチャーゲーム」には、各シリーズ色々な「ヒロイン」が登場します。ヒロインの存在感がどの程度か、というのも作品それぞれ色々です。まず、ざっと各タイトルのヒロインについて紹介してみましょう。


○ゼビウス:惑星ゼビウスの超能力少女、カーチャ。主人公のP・Jと最後まで行動を共にして、一緒にガンプと戦うことになります。健気な戦闘少女、という感じで今の基準でも人気が出そうです。

○ドルアーガシリーズ:王国の巫女、カイ。言わずと知れた超有名ヒロインではあるのですが、ゲームブック中では二巻のラストと三巻のラストにちょびっとだけしか出てきません。ゴルルグの半分以下の存在感はちょっとどうなの。あとジプシーの巫女がかわいいと思います。

○ワルキューレシリーズ:ワルキューレ、ないし…(一応ネタバレの為に伏せる)。このシリーズについては、ワルキューレは正直あまり存在感が大きくないので、もう一人のヒロインこそ正ヒロインと言えるでしょう。一巻のラストは必見です。

○ドラゴンバスター:原作通りセリア姫。最後の最後以外殆ど出てきません。

○ネバーランドシリーズ:エスメレー。後述します。

○ウルフヘッドシリーズ:平和な小国サングールの王女スミア、ないしスミアにそっくりな妖精タイタニア。スミアさんかわいいですよね。やっぱよくさらわれますけど。タイタニアは全裸ぼくっ子妖精という特殊嗜好なキャラ。「火竜のアクセル」という超かっこいい名前の仲間がいますが、実際にはごくシンプルなデブです。

○スーパー・ブラックオニキス:タラミス。清く正しいビキニアーマー戦士。作中、盗賊バムブーラと魔術師シモンは、ゲームシステムの都合上シルエットでしか描かれないので、まともにイラストが描かれるPCはテンペストと彼女だけだったりします。

○パンタクルシリーズ:ティーンズ・パンタクルでは主人公が女子高生の大島いずみ。パンタクルIIでは…ポッポレイポ?(毛むくじゃらですが)

○紅蓮の騎士シリーズ:アミナ姫。ただ、二巻・暗黒の聖地の最後の方でちょびっととしか出てきません。ただし要所要所のイラストはエロ可愛い。

○展覧会の絵:リモージュの市場の女性吟遊詩人がかわいかったと思います。

○魔界物語シリーズ:えーと、ヒロイン的存在いたでしょうか。強いて言うとベルゼブルの竜のティグナス王女とか…?

○エクセアシリーズ:「ギャランス・ハート」では主人公が女性剣士のアリス・カエンです。あとヴァレリィがかわいい。

○ソーサリー!:アリアンナ。この人です


とまあ、こんな感じで種々雑多、たくさんのヒロインがいる訳なんですが、こうしてみると王女様とかお姫様多いですね。D&D的な洋風ファンタジーの名残なんでしょうか。

で、私が考える創元ゲームブック三大ヒロインが、「ネバーランド」シリーズのエスメレー、「パンタクル」の迦陵頻伽、そして「巨大コンピューターの謎」のシャラナだ、という話なのです。

まずエスメレーさん。

エスメレー.png

ネバーランドのリンゴからこっち、林先生一流の「超さらわれる」ヒロインです。で、毎回猫妖精のティルトに助けられます。ネバーランドと、ニフルハイムと、カボチャ男で計何回さらわれたでしょうか彼女。5回くらい?上記イラストは、「カボチャ男」でピーマンにさらわれていたエスメレーを助けた時のイラストです。微妙にエロいと思います。彼女はエルク(ファンタジーで言うエルフ)なので、随所にエルフ的な特徴が表現されています。

ニフルハイムのアンヌーンで、彼女に服を買ってあげないプレイヤーには天罰が下ると専らの噂です。

次に「パンタクル」の迦陵頻伽。

がりょうびん.png

彼女、実際には鬼族なので、メスロンの敵方なんですよね。で、メスロンが目的を達成すると、自分はこの世界にいられなくなる。それを知りつつ、メスロンには正体を隠して彼をサポートするという、非常に切ない物語が描写されます。登場頻度は決して多くないのですが、それでもプレイヤーに残した印象は濃いものがあったと思います。


で、「巨大コンピューターの謎」「惑星不時着」のシャラナ。

シャラナ.png

彼女、正直なところ「巨大コンピューターの謎」ではまだあんまりキャラが立ってなかった気もするんですが、随所で健気なところもみせ、惑星不時着では色んな面で超がんばってました。上のイラストでは、デュマレストが戻ってきてほっとしつつも嬉しそうなところがかわいいですよね。作画上の問題なのか、足超長いですけど。


ことほど左様に、「ゲームブックヒロイン」というのは今では超ニッチなテーマになってしまいましたが、魅力的なヒロインがたくさんいる訳で、もうちょっと話題になってもいいのではないかと思うところです。


という訳で、後半は趣味に走ってましたが、今回語りたかった「デュマレスト・サーガ」については、原作ゲームブック合わせ、SF好きな皆さまにもお勧めです。いつか3巻が発売されることを切に祈念する次第であります。


今日書きたいことはこれくらい。
posted by しんざき at 15:25 | Comment(4) | TrackBack(0) | ゲームブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年05月12日

ゲームブック半里を往く その6 パンタクル


すいません、ピラミッドアミュレットは一体いつ使えるんでしょうか(あと闇のランプも)。


昔話から始めよう。

「ゼビウス」に続き、いわゆる「ドルアーガ三部作」が世に出たのは1986年。日本において、ゲームブックという遊びが盛り上がり始めた、まさにその真っ只中の出来事であった。

ドルアーガ三部作は、勿論原作となる「ドルアーガの塔」も凄かった訳だが、ゲームブック版であるその三作も、原作とは全く違った方向性で物凄かった。

本当に「塔の中で冒険している気分になる」物凄い臨場感。
無機質なダンジョンだった「ドルアーガの塔」に命を吹き込んだ数々のモンスター達と、生活感すら感じられる物凄い描写。
収集欲を無闇に煽り、入手出来れば快哉が口をついた、物凄いアイテム達。
そして、敵も味方も圧倒的な存在感に溢れていた、物凄いキャラクター達。

シンプルさこそが最大の武器だった当時のゲームに対して、「本」であることを最大限に生かしたその肉付けは、国産ゲームブックの最高峰と謳われるにふさわしい出来栄えだったと思う。これについては、以前一巻となる「悪魔に魅せられし者」について書いた。その内続きを書きたい。

ゲームブック半里を往く その2 悪魔に魅せられし者


で。「ドルアーガの後、何が起こったか」という話は、勿論色々ある訳なのだが、その内の一つに、「オリジナルキャラクターが勝手に歩き出した」というものがある。
そう。それは、「ドルアーガ三部作」の中でも際立って「キャラ立ち」していた、一人の天才魔道士のお話。


「パンタクル」。鈴木直人作のゲームブック。1989年、東京創元社から発売。「ティーンズ・パンタクル」「パンタクル2」の続編を経て、遠く2002年、「パンタクル1.01」として復刊されている。「スーパー・ブラックオニキス」に次ぐ鈴木先生の作品で、恐らく鈴木先生初の完全オリジナルの(つまり、コンピューターゲームが原作ではない)ゲームブックである筈だ。

「ドルアーガ三部作」での人気オリジナルキャラクターであった、天才魔道士「メスロン」が主人公の物語であり、ドルアーガ後、メスロンが故郷の「シャンバラー」に戻ってきて、故郷シャンバラーを蝕んでいた鬼達と戦う物語である。ゲームブックとしては他に類を見ない驚くべき魔法システムを始めとして、全体を貫く東洋風の世界観、ドルアーガ譲りのキャラクター描写から、戦闘バランス、成長バランス、謎解き、物語に至るまで、ゲームブックとしての完成度はドルアーガ三部作に比肩する程に高く、一級品と断言して差し支えないだろう。

概要についてはWikipediaに詳しい。

Wikipedia:パンタクル

さて、内容の話をしよう。


○ホームに戻ってきた天才魔道士。

そもそもメスロンとは何者だったのか、というのが最初の話となる。

ゲームブック版「ドルアーガの塔」において、メスロンは当初、「読者へのアドバイザー」という立場であった。プレイヤーであるギルよりも塔内では先行しており、行く先々で「天才魔道士」と噂され、あちらこちらにギルの助けとなる助言やアイテムを残してくれる。結局一巻では名前だけの登場となったメスロンは、二巻でも後半でついに読者の前に姿を現し、「ヘビメタ風の化粧をしたエルフっぽい美形少年」という、魔道士というイメージを斜め上にかっ飛ばした容姿で読者の度肝を抜き、同時に多くのファン層を獲得した。

天才魔道士でありながら、「東洋魔術には詳しいが、西洋魔術はまだ勉強中」という絶妙な設定のおかげで飽くまで「頼もしい仲間」ポジションに留まり、三巻ではまた様々なドラマを展開してくれた、そのキャラクターはギルやタウルス以上に存在感を発していたと言っていいだろう。

で。故郷の「シャンバラー」に戻ってきたメスロンは、当時の下馬評通りの天才っぷりを遺憾なく発揮することになった。ここで、この「パンタクル」というゲームブックの、唯一無二、最大最強の特徴が発揮されることになる。


つまり、「知っている全ての魔法を、魔法が使えるあらゆる場面で使うことが出来る」というシステムだ。


これ、コンピューターゲーム文化の人には凄さがわかりにくいと思う。

ゲームブックでは、当然のことながら、選択肢があったら選択肢があった分のパラグラフを作らなくてはいけない。だから、「不要と思われる」選択肢は、通常なかなか作られない。

「ある場面で、知っている魔法の内どの魔法を使うか」というのは、魔法が使えるあらゆるRPGで重要な要素だ。だが、「使える魔法」が多ければ多い程、選択肢は天井知らずに増えていく。管理めっちゃ大変。

なので、たとえば「ソーサリー!」やドルアーガ、あるいは「ドラゴンの目」なんかでは、場面ごとにある程度「使える魔法の選択肢」というものが制限されており、6つ表示された魔法の内正解になるのは1個か2個、という場面が多かった。たとえばワルキューレではそもそも使える魔法が数種類しかなかった(原作通りだが)し、ネバーランドや二フルハイムでもそれは同じだった。

それに対して、「パンタクル」では。主人公であるメスロンは、物語当初から15種類もの魔法が使えるし、最終的には20種類近くなる。これを、「この魔法を使うなら××番に進む」という一括管理型にし、全ての魔法使用可能場面に対し使った魔法の判定をする(勿論はずれもあるが)という物凄い荒業を使うことで、ありとあらゆる魔法を使いこなせるシステムを構築したのが「パンタクル」であり、鈴木直人先生だ。正直、このシステムだけで「パンタクル」はゲームブック史に残ると思う。

魔法を使う場面も多種多様で、どんなピンチからも緊急脱出出来る「三十六計の魔法」や単純に攻撃回数を増やして戦闘を楽にする「馬佐呂(ばさろ)の魔法」などもさることながら、本来は相手の武器を取り落とさせる「阿知地(あちち)の魔法」は時には鍵を相手から奪い取る為に使ったりするし、場面次第では自滅する最強の攻撃魔法「火界の魔法」は重要なキーアイテムである「蝋燭」の火を消すのに使ったりもする。


これだけの要素を詰め込み、かつ物語部分も相応に手厚いくせに項目数が全部で500というのはなんかズルしてるんじゃないかと疑う程の圧縮率である。鈴木先生のアイディアとセンスには脱帽する他ない。アイディアが先鋭的過ぎる為か、時折バグも見受けられるが、僅かな傷というべきだろう。

ちなみに、続編である「ティーンズ・パンタクル」や「パンタクル2」でも、それぞれで画期的なシステムが採用されている。パンタクルに比べれば完成度で一歩を譲るのではないか、という印象のある二作だが、それぞれきちんと独特のシステムになっている点は高く評価されるべきだと思う。まあこれについてはまたいずれ。


○迦陵頻かわいい(真顔で)

ところで、上でも書いたが、「パンタクル」は東洋的世界観の物語である。敵は、例えば緊那羅(キンナラ)であったり、例えば夜叉であったり、例えば迦楼羅(カルラ)であったりと、仏法の守護神の名前を戴く「鬼」達である。シャンバラーは鬼哭谷に巣食い、国王を呪殺し、王子の軍を撃破した彼ら鬼達を、実はシャンバラーの第二王子であったメスロンは、時には剣を振るい、時には魔法を操り、時には札をめくったり空中戦で追いかけっこをしたりしつつ退治していく。

敵も味方も、各キャラクターが「立って」いるのも、流石は鈴木直人先生というべきだろう。例えば何度も現れ策謀を弄する中陰童子であるとか、ワニそっくりの容姿をした豪商宮毘羅(ぐびら)王であるとか、メスロンと熾烈な魔術戦(武器を跳ね返したり返し損ねたりだが)を繰り広げる摩ゴ羅伽(マゴラカ)であるとか、召還魔法を手伝ってくれる牛頭(ごず)天王であるとか、敵も味方もとにかく味がある連中ばかりである。

一方で、散々逃げまくる為せっせと逃げ道を防がなくてはいけない緊那羅や、ある魔法を使うと調子に乗りすぎてまさに御伽噺のようなやられ方をしてしまう夜叉辺りも極めてキャラクターの完成度は高い。最後の最後を締める「あれ、この人どこのドルアーガですか?」という感じの闘神まで含めて、敵陣営の描写はどれをとっても素晴らしい。

鬼はきちんと悪逆無道であり、しかし強い奴も弱い奴も卑怯な奴も正々堂々とした奴もいて戦闘もとにかくバリエーション豊富。一方、旅のオアシスとなってくれる味方もちゃんといて、例えば大太郎法師(ダイダラボッチ)を何故か使役しつつメスロンを密やかにサポートしてくれる迦陵頻(かりょうびん)なんかは、登場は僅かながらヒロイン級の存在感を発している。印象に残らないキャラクターは一人もいない、鈴木直人先生のキャラクター描写には舌を巻くばかりである。


物語展開も素晴らしく、全体を通して荒廃した「鬼哭谷」の風景から、どこかに末世的な雰囲気を感じさせる旅の描写に、激しいラストダンジョン戦を経て、希望の中にもどこか寂漠としたエンディングは、頭の先から爪先まで一級品として差し支えない。「パンタクル」が、ドルアーガで培ったと思われる、鈴木直人先生の描写力が遺憾なく発揮された名品であることは論を俟たないだろう。

その雰囲気が、「ティーンズパンタクル」ではいきなり現代世界にぶっとび、「パンタクル2」ではかなりのお気楽ファンタジー感を見せたりもするのだが、まあこれは後の話。「パンタクル3」の登場を祈念してやまない訳である。

あと、あんまり関係ないが、結局「霧荒星」の魔法はレッドクリスタルロッドがない為ただの罠だったのだろうか。ラスボスをこの魔法で倒せ、という話かと思っていたのだが。

流石に長くなったので、今日はこの辺で一旦項を〆る。次は、同じく鈴木直人先生の作品について書いてみるつもりである。
posted by しんざき at 23:49 | Comment(7) | TrackBack(0) | ゲームブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年06月01日

ゲームブック半里を往く その5 展覧会の絵

それは、剣と魔法とSFが占めていたゲームブック業界に、突如放り込まれた「音楽」だった。


まずは顔ぶれの話から始めよう。

私は創元っ子であり、創元推理文庫のゲームブックに一番親しんでいたので、創元のお話を中心にさせて頂くのだが。1987年という時代は、ゲームブック業界、あるいは創元推理文庫の「スーパー・アドベンチャー・ゲーム」において、「王道」が出そろった「次」の時代だった、と言えるかも知れない。

1985年から1986年に発売された創元ゲームブックというのは、例えば言わずと知れた「ソーサリー!」が1985年、ナムコの「ゼビウス」も1985年、「悪魔に魅せられし者」に始まるドルアーガ三部作が1986年、「ネバーランドのリンゴ」も1986年。

「吸血鬼の洞窟」や「シャドー砦の魔王」などに代表されるゴールデン・ドラゴン・ファンタジイシリーズも1986年。「巨大コンピューターの謎」に始まるデュマレスト二部作も1986年だった筈だ。どれもこれも、錚々たる顔ぶればかりである。


剣と魔法のファンタジーものは出そろった、SFものも顔ぶれがそろった。もしかするとここで、「王道以外」を求める向き、というものもあったのかも知れない。「客層を広げたい」という意図もあったのかも知れない。

クトゥルーもの高難度ゲームブックである「暗黒教団の陰謀」、林友彦先生の「二フルハイムのユリ」に次いで発売されたのが、このゲームブックだった。



「展覧会の絵」。1987年10月東京創元社より発売、森山安雄先生作。タイトル通り、ムソルグスキーのピアノ曲「展覧会の絵」をモチーフにしたゲームブックであり、「ゲームブックの最高傑作」としてこの一冊を挙げる人も少なくない名著である。

記憶を失った吟遊詩人となって絵から絵へと旅をする」という、他に類を見ない独創的な舞台立てを始め、独特なシステム、物語調の語り口、米田仁士先生のイラストまで全てが組み合わさり、ゲームブック業界全体を見渡してもトップクラスの「完成された」一作だったと思う。こと「物語」の完成度に関していえば、後に「送り雛は瑠璃色の」が出現するまで、この作品に比肩するゲームブックは存在しなかったと言っても言い過ぎではないのではなかろうか。


参照ページとして、例によってWikipediaを挙げておく。

Wikipedia:展覧会の絵 (ゲームブック)


森山先生は現在「平田真夫」名義で執筆活動をされており、Webページもお持ちである。


さて、本作の話をしよう。


・さあ、リモージュの市場へ。

本作について語る際には、まず本作のストーリーと舞台立てについて書かない訳にはいかない。

本作において、「あなた」は記憶を失った吟遊詩人である。リモージュの市場で歌っていた「あなた」は、自分のことを知る一人の商人に声をかけられたことをきっかけに、「キエフの門」の印のついた絵の中を旅することになる。

このゲームブックは、ムソルグスキーの「展覧会の絵」と同様、十枚の絵、十のステージから構成されている。

・侏儒―地の精
・古城
・チュイルリーの庭
・ビドロ―牛の群れ
・卵の殻をつけた雛の踊り
・サミュエル・ゴールデンベルグとシュミイレ
・リモージュの市場
・地下墓地――死せる者の魂の言葉をもって
・バーバ・ヤーガと鶏の足の上の小屋
・キエフの大きな門

行く先々で、「あなた」は様々な人と出会い、徐々に、徐々に記憶を取り戻していく。果たして、冒頭の商人と、そして「あなた」は何者なのか。


既にこのストーリーの時点で「勝っている」と思うのは私だけではあるまい。倒さなくてはいけない敵がいる訳でも、助けなければならないお姫様がいる訳でもない、そのストーリーはまさに異色であり、またその物語は全体を通して一篇の楽曲の趣きがある。

その一つ一つの舞台も実に実に「味のある」描写ばかりで、ネタバレはアレなのでなるべく避けるが、特に7枚目「リモージュの市場」と8枚目「地下墓地」の辺りでは、「そうくるのか!!」と戦慄してしまう展開ばかりであった。一枚目のノームの洞窟から、「キエフの大きな門」の堂々たる大団円に至るまで、純度100%の「読ませる」構成である。


・楽師の身を守るのは?

「あなた」は勿論吟遊詩人である訳なので、剣も魔法も使えない。使えるのは唯一、ノームの洞窟で手に入れた「真の楽師の琴」のみである。

このゲームブックの一つの特徴として、「戦う手段と、ライフポイントが同じリソース」ということが言えると思う。

「真の楽師の琴」には、三本の弦が張ってあり、それぞれ旋律を持っている。

弾けばどんな人とも打ち解けることが出来る和解の旋律、魔法を打ち破ることが出来る魔除けの旋律、敵を打ち倒す戦いの旋律。「あなた」はこれら三つの旋律を使いこなして先に進んでいく訳なのだが、それぞれの旋律を弾ける回数は限定されており、必要な時に必要な旋律が弾けなかったり、メインの旋律を弾き切ってしまったりすると即ゲームオーバーになる。これ、ゲームに習熟するまでは結構厳しいバランスであったりする。

物語重視ゲームブックの宿命というべきか、「この旋律を弾かなくては詰み」という展開は結構あちらこちらで発生する。その為、初心者楽師は爪に火を灯すような思いで旋律をケチりながら進まなくてはいけない。この辺りのバランスが、このゲームブックの一つの醍醐味でもあった。


・リモージュの市場の女性楽師かわいい(真顔で)

展開の話をすれば、このゲームブックも二フルハイム同様「お伽話」の風情を有している部分が大きかったと思う。

「倒さなくてはならない敵」というのはあまり多くなく、ガチで戦う中ボスというのも、せいぜい古城の「砂の王」と「ビドロ―牛の群れ」のアレくらいである。後は、例えば凶悪なツラした狼男が船の渡しをやってくれたり、ライオンと喋ったら島への渡り方を教えてくれたり、ヴァンパイアも実は懐柔が可能であったりと、大筋平和な解決法を求められる場合が多い。

その為、攻略の話をすると、最も数が求められるのは「和解の旋律」である。これは間違いない。和解の旋律は、弾けばどんな人でも笑顔でにっこり、農民もうっとりすればシュミイレも物わかりがよくなり、動物と話せたりまでしてしまう訳なのだが、だからといってほいほい弾いていればあっという間に詰む。この辺リソース管理には注意しなくてはならない。


その一方、やはり「卵の殻をつけた雛の踊り」の展開にも触れない訳にはいくまい。このステージにおいて、「あなた」は突如鳥の雛となり、一時楽師でもなんでもない一羽の鳥として生きていくことになるのだが、ここの展開も実に実に味のある描写揃いである。それ程長くはないゲームブックなのにこの密度が詰め込めるというのは、森山先生の才能というべきだろう。


・ルビー手にはいんねぇ!!!(ブラッドストーンも)

ところで、ゲームブックとして考えると、「展覧会の絵」には若干の運ゲー側面がある。

このゲームブックの一つの目標として、「バーバ・ヤーガの12の宝石を集める」というものがある。12の宝石は誕生石それぞれと対応している訳なのだが、結構集めるのは難しく。ノーヒントの選択肢に正解しなくてはいけなかったり、ダイスである目が出ないと手に入らなかったりする。たとえルートを完璧に選択したとしても、運が悪いと12個の宝石コンプリートは不可能である。


とはいえ、12個コンプリートは別にクリアの必須要件という訳ではなく、最後に宝石を使う場面でもちゃんと救済措置はある訳ではあるが。システムがシンプルなだけに、選択がシビアになる場面がある側面は否定出来ないだろう。勿論、どちらかというとストーリーを味わうゲームブックだから別段問題ではないのだが。


何はともあれ、この「展覧会の絵」というゲームブックが、今に至っても輝きを失わない、「読むべき」ゲームブックであることは確かな事実だろう。創土社さんから復刊されているので、興味を持たれた方はご一読頂けるとよいのではないかと思う。

展覧会の絵 (ADVENTURE GAME NOVEL) [単行本]



今日はこの辺で。



関連:
ゲームブック半里を往く その4 ニフルハイムのユリ
ゲームブック半里を往く その3 スーパー・ブラックオニキス
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2011年11月17日

ゲームブック半里を往く その4 ニフルハイムのユリ

カレードウルフはどこだカレードウルフはァ!!


といいますか、林友彦先生のゲームブックの味わいは、何を置いても「まったりとした雰囲気」と、「一見まったりしているのに実はフラグ立て・難易度は結構極悪」というそのバランスだと私は思っているのです。ティルトは猫だしエスメレーは可愛いしかぼちゃ男のエスメレーはもっと可愛いし語り口はおとぎ話だったりもしますが、それでもポピーにやられて永遠にお休みなさいとかドラゴンに瞬殺とか山椒魚に丸呑みとか。あるある。よくある。

ということで、一年ぶり以上のゲームブック半里を往くは、私が鈴木直人先生と同じくらい個人的大ファンである、林友彦先生の「ニフルハイムのユリ」についてゆるゆると書いてみますですよ。


以下常態。


ニフルハイムのユリ。1987年、創元推理文庫より発売。一連の「スーパー・アドベンチャー・ゲーム」の重要な一角である、パラグラフ数1000の大作おとぎ話ゲームブック「ネバーランドのリンゴ」の続編であり、ルール・キャラクター等もほぼ共通している。前作で取得した魔法などはほぼそのまま使いまわすことが出来る為、新たに遊ぶ奇特な人がいたら「ネバーランドのリンゴ」から遊ぶことをオススメしたい。

では何故今回のテーマはニフルハイムのユリなのか?話は簡単で、私自身が暫くの間ニフルハイムのユリしか持っていなかったから、という以上の理由はない。おかげでクリアまでにはエラい苦労を強いられた。ドラゴン勝てませんでしたよマジで。


と、ここまで書いてきてなんなのだが、先に参照URLについて色々と挙げておきたい。そもそもゲームブックって何だよコラ、という方には、以下のようなエントリーのご一読を頂ければ。

不倒城:レトロゲーム万里を往く その30〜ゲームブック レトロゲームの奇妙な隣人〜
Wikipedia:ゲームブック
不倒城:ゲームブック半里を往く その1 火吹き山のてっぺんで


さて、本書の話をしよう。


・全編を貫く「ケルトのおとぎ話」的な雰囲気。

先ほど書いたが、「ネバーランドのリンゴ」と「ニフルハイムのユリ」の主要キャラクターは大体一致している。主人公となるのは、猫妖精(ブーカと呼ばれる、人間大の歩く猫。アイルランド的にもケットシーをイメージした方が近いかも知れない)である「ティルト」であり、ヒロインはエルクの娘「エスメレー」。ティルトのお供としてついてくる(選択肢によるが)のは、小さなもぐらのような生き物「ヌー」である。

ネバーランド(=アヴァロン島)やニフルハイムという言葉からお分かりの方もいらっしゃるだろうが、背景になっているのはケルト神話や北欧神話であり、物語の背骨にはアーサー王やマーリンといった人物も登場してくる。敵の親玉はゴブリンの王「メレアガント」であるが、更にその背後にいる悪役は「サクソン人の魔術師」であったりする。


物語の大筋は以下のようなものだ。(Wikipediaより引用)
リンゴ盗難事件から1年が経ったある日、ティルトの元にハリー・ヴーから手紙が届き、今度はニフルハイムの至宝である魔法のユリが、ゴブリンの王メレアガントに奪われてしまったという。ティルトはワタリガラスの背に乗って早速ニフルハイムに向かうが、着いてみればまたもやエスメレーが行方不明になったと聞かされる。ユリとエスメレーを取り戻すため、ティルトは再び冒険に旅立つ。

エスメレーは実にヒロインヒロインとした正統派ヒロインなので、どの作品でも共通してさらわれる。というか、「ニフルハイムのユリ」の中だけでも二回さらわれる。非常に律儀である。とはいえ、「ネバーランドのカボチャ男」におけるエスメレーは非常に可愛かったと言わざるを得ないだろう。

上記のようなあらすじを元に、猫勇者であるところのティルトは、雪国ニフルハイムを舞台に大冒険する訳である。とはいえ、全体を貫くのは、やはり冒頭でも書いた「おとぎ話」的な雰囲気だ。

「ネバーランドのリンゴ」及び「ニフルハイムのユリ」は、丁寧語で非常に柔らかな語り口で統一されており、プレイヤーが受ける印象は非常に優しい。起きるイベントの中にも、まったりとした農村の中で蛙使いが蛙に歌を歌わせていたり、木にたわわに実った西洋梨が話しかけてきたり、居酒屋ではトロールやエルクが陽気に飲んだくれていたりと、実に多彩かつ幻想的である。

勿論単に幻想的ではすまないのが林先生のゲームブックであり、蛙使いは実は魔王の手先で、ティルトが正体を明かすや巨大化した蛙が襲ってくるし、西洋梨はぼこぼこと落ちてきてティルトに大ダメージを与えるし、トロールとは選択によっては酒場で殴りあいになったりする。前回も今回もティルトに苦労は耐えない訳で、「2回までは死んでもオッケー」という特徴的なルールに護られながらも、まあクリアまでの道のりはなみなみのものではないと言えるだろう。


・ゲームブックとしての多彩な「味わい」。

ゲームブックとしてのこのゲームの特徴は、いくつかある。

・「キーナンバーシステム」を使った、コンピューターゲームさながらのフラグ管理
・序盤はキツいが、強力なアイテム/強力な魔法と、成長によっていい感じで楽になっていく戦闘システム
・林先生お得意の、パズル的な幾つもの謎かけ
・とにかく美味そうな料理描写の数々
・完全双方向探索と、最終ダンジョンに挑むまでの結構シビアなフラグ立て
・例によって、むやみやたらに広大で複雑な最終ダンジョン


この辺が肝だろう。

「キーナンバーシステム」については、多分創元でやったのは林先生が初めてだと思うのだが、つまり「○○のイベントをやったら、No.1の変数の数字を××に」という数字管理をプレイヤーにやらせて、それによってイベントを管理するというシステムである。まんまコンピューターゲームのアレだ。

これが何しろ結構複雑なので、林先生のゲームブックはどうしても「一見ゆるいが中身は複雑」という印象をプレイヤーに与えるものとなっている。分かってしまえば何ということはないのだが。

戦闘については、基本「単なる攻撃力の比べっこ」というシンプルなルールなのだが、シンプルだけに序盤、まだティルトの攻撃力が低いときの戦闘はとにかくてこずる。中盤以降、仲間が増えたり魔法がそろってからは、逆に一気に楽になったりもするのだが。プルーグの彼が仲間になってくれてもうありがたいことありがたいこと。

また、ゲーム内に控えるいくつもの「パズル」があることも林先生ゲームブックの重要な味だろう。最後のユリの絵のアレなんかは林先生の真骨頂だと思うが、個人的には「バラバラになったチェス盤を元に戻す」という謎解きの記憶が濃い。あれを頭の中だけで組み立てることが出来たら相当なものだろう。私はイラストをコピーして切り出してしまった。

料理描写がとにかく美味そうというのも特筆すべきである。これは鈴木直人先生と双璧だ。単なる田舎村の定食に、ベーコンと豆の炒め物であるとか、火で炙ってバターを塗った黒パンであるとか、とにかく「まさにこの場面で食べるべきもの」という食べ物が要所要所で出てくる。ニフルハイムに行ってみたくなること請け合いである。

また、最終ダンジョンに挑むまでの「三つの大事なもの」であるとか、最終ダンジョンに突っ込んでからの凄まじい迷宮についても、「例によって」というべきなのだろう。これについては賛否両論あるが、私自身は「これでこそ林先生のゲームブック」と言う所感をもっている。ヤガーばあさんにはお世話になっております。

ドラゴンから助けたエスメレーにはちゃんとアンヌーンで服を買ってあげるんだ!しんざきとの約束です。


…というような、様々な「味わい」が1000パラグラフの中にところ狭しと並べられているのが、「ニフルハイムのユリ」というゲームブックなのである。
今日日なかなか手に入りにくいかも知れないが、遊んだことのない方は是非ご一読ありたい。損はさせません。「ウルフヘッドの誕生」でも可。


ちなみに、「ニフルハイムのユリ」ははっきりと「続き」を示唆されたゲームブックであり、サクソン人の魔術師とも勝負はついていないし、伏線も色々と残っている。「カボチャ男」がネバーランドの前の話であったことも含めて、是非「三作目」が読みたいなあと私は今でも思っている。


ということで、長くなったので今日はこの辺で。次回は多分半年以内には。
posted by しんざき at 23:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | ゲームブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年04月15日

ゲームブック半里を往く その3 スーパー・ブラックオニキス

すいません、狂戦士化しないでマサイヤさんに勝つ方法ってあるんでしょうか。あと創土社の「テンペスト」は一体いつ出るんでしょうか。


実際の所、このゲームブックの最大の謎は、タラミスがあれだけ露出度の高い鎧(いわゆるハイレグアーマー)を着ているのにプレートメイルと1しか防御力が変わらないのは何故なのか、という点だと思うんだがどうだろう。最近では意外と見なくなったが、古き良き時代の「露出度重視鎧」というのをごく当然のように着用しているタラミスさん、職業はどういう訳か聖職者です。チート級の回復術の持ち主ですが、敵も結構チートなので問題ないぜ。


ということで、実に二年半ぶりのゲームブックネタは、前回と同じく鈴木直人氏の作品、「スーパー・ブラックオニキス」について書いてみたいと思う。


スーパー・ブラックオニキス。1987年、東京創元社より発売。著者は、前年に「悪魔に魅せられし者」「魔宮の勇者たち」「魔界の滅亡」のいわゆる「ドルアーガ三部作」を世に送り出し、既にゲームブックファンの間に名声をとどろかせていた鈴木直人氏である。原作としてはパソコン版の「ザ・ブラックオニキス」をモチーフにしており、ブラックタワー、ウツロの街など、大枠の設定は踏襲している。

可能な限りルールを簡略化したとは言うものの、フラグチェックシステム、4人パーティの戦闘システムなどその内容には実験的な部分も多く、立ち位置的には間違いなく「上級者向け」のゲームブックになっていると思う。システム自体の複雑さ故、初版のものにはバグも多かった。まあ、元々のブラックオニキスが結構気が狂った様な難易度だからそれに比べればなんということもないかも知れないが。

まずは参考ページとしてWikipediaを。

Wikipedia:スーパー・ブラックオニキス

こちらのページでは、作品解説含めて、キャラクター紹介・アイテム紹介など、様々なデータを載せてくださっている。素晴らしいデータ量である。

「スーパー・ブラックオニキス」ウツロの街案内

さて、内容の話にいこう。


・ウツロの街の歩き方。

スーパー・ブラックオニキスは、設定や背景についてはPC版の「ザ・ブラックオニキス」を大体踏襲している。攻略目標はウツロの街であり、ブラックタワーであり、ブラックオニキスなのであり、ウツロの街には病院も井戸も墓場もある。

といっても、なぞっているのは飽くまで設定や背景だけであり、その内容や展開は「ザ・ブラックオニキス」より遥かに多彩だ。仲間集めのイベントあり、司法官の屋敷に忍び込むイベントあり、トイレの地下を探索したり、仲間と飲んだり露店をひやかしたり、ゲームブック内で主人公である「テンペスト」は本当に色々な行動をする。

というかテンペストは結構ユニークな性格をしており、プレイヤーの行動次第では黒騎士をくだらないダジャレで硬直させてその間に逃げたり、髪型について指摘されて凶暴化したりする。

ゲームブックの最大の強みは「本であること」だ。ただ遊ぶだけでなく、「本であること」を生かした深みのあるストーリーを経験し、世界観をどこまでも深く掘り進めることに、ゲームブックのゲームブックたる存在意義がある。

そこから考えると、「スーパー・ブラックオニキス」は、理想的な素材に理想的な調理を加えられたと言っていいだろう。シンプルなゲームの上に構築された、見上げるような世界観。ドルアーガと同様の「本であるメリット」を生かしたゲームブックのあり方は、鬼才・鈴木直人氏の面目躍如といったところだろう。

ちなみに、鈴木氏のゲームブックには色々な場面でスターシステムに近い遊びが取り入れられているのだが、このゲームブックにもクルスが出たりメスロンが出たりタウルスが出たりパオト(作者本人)が出たりしている。パオトさんに関しては露店を見れば一目瞭然だが、病院のメスロンとタウルスについては気付かない人も結構いるような気がする。



・ドルアーガを越えた「パーティプレイ」の愉悦。

スーパー・ブラックオニキスの肝といえば、勿論本の上で「4人パーティ」というゲーム性を実現したことに尽きるだろう。

鈴木直人氏の前作「ドルアーガ三部作」では、主人公ギルガメスの仲間として、勿論東洋魔術師の「メスロン」や盗賊王「タウルス」剣士クルスなどなどが登場してくるわけだが、彼らは実際のゲーム上の戦闘や判定に登場してくることはなく、極論してしまえば演出だけの存在であった。

それに対して、戦闘や探索を含めて、完全に「ゲームの中で操る存在」として「仲間」を取り入れたのが本作である。バムブーラもシモンもタラミスも、食事もすれば愚痴も言う、それだけではなく戦闘になればきちんとオーガやサイクロプスをぶった切ったり、タコに向かって火球を放ったりする。

実際に(アイテムやオプション扱いではなく)仲間がシステム上戦闘に参加するゲームブックというのは、ゲームブック全体を見渡してもそこまで多くはない。創元推理文庫で言うと、他にワルキューレシリーズ、ウルフヘッドシリーズくらいではないだろうか。これは恐らく、例えば「仲間が死んだ時の処理が分かりづらい」であるとか、「戦闘が煩雑になる」といった事情が影響していると思うのだが。その辺の問題を「仲間が死んだらフラグを立てておいて、解決するまでは死にっぱなし→その仲間が必要なダンジョンにはいけない」という力技で解決した上で、4人それぞれにきちんと役割や個性があるという多層性を実現している鈴木直人氏の力量には、やはり感嘆する他ない。

パーティプレイがあるということはレベルアップもあるということで、迷宮内で稼いだ経験値を「病院」で消費することによって4人は強くなる訳だが、このシステムもかなり出色だったと思う。「キャラクターを強くする為に何度もダンジョンにいって戦闘する」、「敵に勝てなくなったら適当なダンジョンで経験値稼ぎをする」といったRPG独特の味を見事に実現している。若干成長具合が偏るキライもあったけど。


ちなみに、盗賊「バムブーラ」と魔法使い「シモン」については、それぞれ3キャラの同名のキャラクターから一人を選んで連れていくことになり、各々の性能差・見た目の差が結構激しい。

バムブーラの場合、太っちょ、おっさん、小人の3人から一人を選ぶことになる。一番腕が立つのはウツロの城壁で遭遇する小人であり、ゲーム自体も小人を連れていくと大幅に楽になるのだが、ふとっちょを連れていくと最後の最後で黒騎士をまとめて道連れにしてくれるイベントが見られたりもする。

シモンの場合、東洋風、老人、若者の三択であり、性能だけから言うと前者二人はかなり不利なのだが、最初から魔法が使えるアイテムを持っているという事情もある。ただ、アイテム集めの労を負ってでも若者シモンを選ぶメリットは大きい。

ちなみに、作中のイラストでシモンとバムブーラが(登場シーン以外)ことごとく黒塗りになっているのは、3キャラ各々で見た目が全然違うことによる悲劇であろうと思われる。おかげでイラスト中に登場出来るのは殆どテンペストとタラミスのみである。別にいいけどさ。需要はタラミス以外ないのかも知れないし。


フラグの話が出たので触れるが、このゲームブックのフラグ管理システムは、ゲームを深くするのに必須なものでありながら、作者に対しても読者に対しても鬼門であったと思われる。何かイベントを行うと「A-1,2,3にチェックを入れる」といった感じでイベントを起こしたことを管理するのだが、これがまたバグも多ければつけミスも多い。確か初版では、5,6箇所くらいはフラグに由来するバグがあったのではなかったか。

このフラグ管理システムは、更に形を複雑にし、「キーナンバーシステム」として林友彦氏に採用されることになる。


・「また間違えやがった!」(回転ドア前、バムブーラさん談)

このゲームブックは、多分ドルアーガ以上にマッピングが重要なゲームブックではなかったかと思う。「緻密なマッピングを意識している」という点では、恐らく創元のゲームブック中でも随一だったのではないだろうか。

探索しなくてはいけない迷宮はレベル1からレベル5、及びブラックタワーだが、それらダンジョンからウツロの街に至るまで、どのマップも明確に「施設の配置」「展開との連携」を考えられており、マップなしで適当に進もうとすると、このゲームブックすっげえ苦労する。特にレベル3の回転ドアのダンジョンなんかは、マッピングが苦手なライトプレイヤー泣かせだったと思う。

とはいえ、方眼紙にせこせこと地図を書いていき、地図がだんだん埋まっていく楽しさというのは、やはり絶妙な楽しさを持っていたと思う。

Wizardry程ではないかも知れないが、「ドルアーガ」や「ブラックオニキス」といったゲームブックがきっかけでマッピングの楽しさに目覚めた、という人も、案外少なくないのではないだろうか。このマッピングの楽しさは、更に形を変えて、「パンタクル」「パンタクル2」といった鈴木氏の作品に継承されていくことになる。


取り敢えず、金貨と魔法のマントを人数分保持したアドベンチャーシートが私の手元にはまだ残っているのですが、「スーパー・ブラックオニキス2」は一体いつ出るのでしょうか?ファイアークリスタルだろうがムーンストーンだろうが何でもこいだぜ!


ということで、いー加減長くなった上、読んでいる人の中でわかる人がどれだけいるのか大変謎なテーマである為、今回はこれくらいにしようかと思う。

次回はいつになるか分からないが、同じく創元の、あの辺とかあの辺のゲームブックについて書くことになりそうな気がする。
posted by しんざき at 13:03 | Comment(4) | TrackBack(0) | ゲームブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月06日

ゲームブック半里を往く その2 悪魔に魅せられし者

この本が出た当時の空気というものを、私はもうよく思い出すことが出来ない。


創元のシリーズで言えば、ゲームブック普及の立役者となった「ソーサリー」のシリーズは既に4冊出揃っていた筈だ。

双葉社の「やや対象年齢低め」系、ファミコンタイトル群のゲームブックシリーズも既にぼちぼち出始めていた様であるし、創元からもナムコの「ゼビウス」が既に発売されていた。

創元系のゲームブックにくっついていた、ファン同人ノリの小冊子「アドベンチャラーズイン」は既に賑やかなファンの声で埋め尽くされていたが、日本語版の「ウォーロック」はまだ姿を見せていなかった。そんな時代だった。


新しく生まれた「ゲームブック」という市場のファン層は沸き立っていて、市場としてのポテンシャルはかなり高かったと思うが、この当時のゲームブックはまだまだ「RPG」であり、つまりは「D&D」とか「T&T」、あるいは「ドラゴンスレイヤー」の眷属だった。ゲーム「ブック」としての本来の強み、コンピュータゲームに対する圧倒的な優位性であった筈の、「ストーリー性」を前面に打ち出した作品はまだまだ姿を見せていなかった様に思う。

「洋ゲー」と「国産ゲー」の違いというものは面白いことにゲームブックにも存在しており、ゲームブック晩期においても「主人公に顔がある」ゲームブックは洋ものでは少数派だったと思う。日本の二大RPGの一柱であるFFが辿った道を考えれば、「物語的な」ゲームに対する需要、というものは日本においてはかなり広範だったと判断するべきだろう。


そんな中、創元推理文庫から満を持して発売されたのが、後に日本人著作ゲームブックの代表的な存在となる「ドルアーガ三部作」である。
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posted by しんざき at 16:32 | Comment(8) | TrackBack(0) | ゲームブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月06日

ゲームブック半里を往く その1 火吹き山のてっぺんで

ゲームブックって、一言で言うと色んな業界のニッチを狙う人々が寄ってたかって作った変異体だったんではあるまいかと思う。

ファミコンだけではカバー出来なかった、「ストーリー性」というニッチ。
小説だけではカバー出来なかった、「ゲーム性」というニッチ。
テーブルトークをやりたいけれど仲間が見つからない、あるいは仲間を見つけられる環境にいない客層を狙ったニッチ。

ローグやWizargryを遊びたいのにPCが買えない人、サラトマやデゼニを遊びたいのに88を持っていない人、そーいった様々な「満ち足りないヒトビト」が集まって、この不思議な文化を発展させていったんではないかと、私はそんな風に思うのだ。

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posted by しんざき at 10:47 | Comment(2) | TrackBack(0) | ゲームブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月06日

ゲームブック半里を往く・散歩の前に


取り敢えず前置き。

・世界樹の迷宮を始めた件について。

面白ぇ。

いや、まだほんのさわりしかやってないけれど。ウィザードリーの匂いと、古き良きゲームブックの文法に、近年の色々な3Dダンジョンものの良質なエッセンスを混ぜ込んだ感。開発者は相当なマニアと見た。

中断セーブの有無とか多少の不便さもないではないが、この際はもうこの不便さも楽しむべきなのだろう。いやむしろ楽しめ、という開発者の声が聞こえる。

地下一階の壁をマップに書き込んでると、「悪魔に魅せられし者」でちまちまと方眼紙をいじくっていた時のことなど思い出す。

っつーか、さっきちょっと調べてみたら元ネタ報告が凄いことになってた。

世界樹の迷宮wiki パロディ

かなりの部分私の趣味と被るんですけど。

ということで、世界樹の迷宮で「君たちは○○することも出来るし、ここから立ち去っても良い」なんてメッセージを見ていると、ゲームブックについてなんか色々書きたくなってきた。


・半里行は約2キロ。

といっても私のゲームブック経験は創元推理文庫の赤表紙に偏っているし、「ウォーロック」も大して読み込んでいない。書くといってもいくつエントリーが書けるものか判断できないが、まあ万里の方もいつの間にやら60回を越えてるしなんとかなるだろう。しんざきはいー加減である。

また知らない人には訳ワカランなカテゴリが増えることには忸怩たる思いがないでもない、というかついてこれる人が存在するのかという疑念もあるが、まあ今更の様な気もするので別にいいや。

ゲームブックという文化を少しでもご存知の方は、ゆるゆると読んで頂けると幸いである。

posted by しんざき at 13:09 | Comment(5) | TrackBack(0) | ゲームブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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