この記事は、「インターネット老人会 Advent Calendar 2023」13日目の記事です。
子どもの頃、「あだ名」で呼ばれることがあまりありませんでした。
私の本名は「しんざき」ではなく、比較的ありふれた苗字・名前なのですが、小中学校の頃は大体苗字か名前そのまんま、ほぼ本名で呼ばれていました。
理由はよく覚えていないのですが、小学校の方針か何かで「友達のことは苗字にさん付けで呼びましょう」みたいなものがあって、私は学校以外でもそのまんま呼ばれていたような気がします。持ち上がりの中学校でもそれがほぼ定着していた、というようなことでしょうか。
ですから、東京BBSで最初に思ったことも、「この人たち、なんか変な名前で呼び合ってる!!」ということでした。私の「ネット原体験」は、まず「ハンドルネーム文化への驚き」から始まりました。
最近は殆ど見なくなりましたが、かつては「匿名・実名議論」というものがSNSではしばしばありました。つまり「名前を隠して意見表明をするのは卑怯ではないか」「いやそんなことはない」というような議論なのですが、私はそれに昔から違和感を感じていました。匿名にも「個人と紐付かない匿名(2ちゃんねるの「名無し」みたいな)」と「個人と紐付く匿名(Web上のハンドルネーム)」は全然別物で、いわゆる匿名批判をする人は前者を想定して後者をあまり計算に入れていないような、そんな気がしていたからです。
自分に関係がありそうな議論だと思って追いかけてみたら実は最初からスコープに入っていないような、そんな違和感でした。
もちろんこの議論自体今は昔の話で、「匿名」を分類する意味自体既にあまりないようには思うのですが、考えてみると「個人と紐付く匿名」にどこで出会ったのか、というのもケースバイケースで、人によっては全然そういう文化に出会わないままSNSを始めるのかも知れない、と思ったのです。
私の場合、それはパソコン通信、しかも東京BBSでした。
今日のテーマはインターネットとのなれそめなんですが、私がインターネットを始めた理由を書こうとすると、どうしてもパソコン通信、それも「草の根ネット」と言われる個人のBBSの話しから始めないといけません。なぜなら、私にとってのインターネットは、徹頭徹尾「東京BBSの人たちが、他の場所でなんか始めた」というものだったからです。
ということで、まず東京BBSの話をします。
パソコン通信とは、要は「横のつながりがないインターネット」「一つのサーバだけで完結するSNS」のようなものです。企業または個人が所有しているサーバに、電話回線とモデムを通じてピーーーーガーーーーーと接続して、そのサーバ内のBBS(掲示板)にアクセスして、何かを投稿したり、他の人の投稿を読んだりする。
それらのパソコン通信のホストの中でも、個人や小規模なグループが運営しているものが「草の根BBS」とか「草の根ネット」と呼ばれていました。活発に草の根ネットが運営されたのは、1980年代半ばから、インターネットが一般的になり始める90年代半ばくらいまでだったでしょうか。
東京BBSは、個人が運営している草の根ネットとしては日本最大のものの一つで、最盛期には4万人以上のユーザーがいたそうです。そして、東京BBSには、ゲームなどのホビーの話題を中心として、本当に様々な掲示板があって、そこでは色んな人たちが本当に色んな話をしていました。
私は、その東京BBSで、「マニアの会話」とは一体どんなものなのかを知りました。
当時使っていたターミナルを発掘してみたら今のWindowsでもちゃんと動きまして、ちょっと感動したのでスクショを貼ってみます。見てみてください。
1997年の12月なんで、大体26年くらい昔のログですね。残ってるもんですね。
下のはテキストのスクショでちょっと見づらいんで線引きますが、
これは「SNK (NEO-GEO Arcade & Consumer Game Board)」BBSのログの一部でして、当時は「月華の剣士」がリリースされてすぐだったので、その話題で持ち切りだったようです。
私は子どもの頃からゲーム小僧で、ファミコンだけではなくゲーセンに入り浸ってアーケードのゲームも遊び込んでいたのですが、ゲーム友達こそいたものの、「ゲーセンのゲームについての会話」が出来る友人など小学校にはおりませんでした。私が当時偏愛していたシューティングゲーム、たとえば「ビューポイント」やら「魔法大作戦」「R-TYPE」あたりの話が出来る人も殆どいませんでした。
ところが東京BBSでは、どんなタイトルを放り込んでも、必ず誰かが、自分以上の熱量で、物凄く深い話を返してくるのです。「マジか……!!」ってなりました。
自分がどうしてもクリア出来なかったステージの中盤の攻略法とか。
登場キャラクターについての知らなかった公式設定とか。
ゲーム雑誌にすら載っていなかった隠しステージへの入り方とか。
アーケードのゲームに限らず、当時東京BBS上でかわされていた会話では、「ゲームについてこんなに深い話が出来るものなのか」と感じさせられるものでした。もちろんしょーもない話もたくさんあったのですが、時には「ゲーメスト」のようなゲーム専門誌に載せられるような情報が、雑誌よりずっと速く掲示されるようなこともありました。「ヴァンパイア」のモリガンの超必殺技、「ダークネスイリュージョン」のコマンドも、当時パソコン通信の方が雑誌より早かった筈です(初出は東京BBSではなくNifty辺りかもしれませんが)
「マニアたちの会話」に生まれて初めて触れた私は、当時寝食を忘れて「パソコン通信」にのめりこみ、本当に色んな人たちと色んな会話をしました。当時知り合った人たちの中には、今でも付き合いがある人もいれば、全く連絡がつかなくなってしまった人もたくさんいます。なにせ四半世紀以上前のことですので、今では鬼籍に入られた人もいるかもしれません。
やがて、東京BBSで出来た知り合いの中に、「ホームページ作った」と言いだす人たちが表れました。当初は「インターネット」という言葉の意味すらよく分かっていなかったんですが、やがてプロバイダのネット接続サービスの恩恵に私も預かり、東Bの人たちが作ったCGIチャットでのリアルタイムの会話に、テレホーダイの力を借りて夜ごとのめり込んだりしたわけです。
ICQがありました。
「マッチメーカー」という、自分で設定したロボットとロボットをテキストデータで戦わせるゲームがありました。
「箱庭諸島」のような、ブラウザで遊ぶCGIゲームがありました。
「あれ以外の何か」のような、デスクトップに表示されるマスコットがありました。
そのあたり、インターネット時代になっても、私は大体の情報収集は東京BBS、ないし東京BBS時代の知人に頼っていましたし、彼ら彼女らが「面白そう」と思ったものには大体手を出し、彼ら彼女らと一緒にハマっていました。
つまり、私にとってのインターネットは、どこまでも「東京BBSの延長」でした。特に、当時はギャルゲー関連のBBSなんかにも出入りしていて、「ウィザーズハーモニー」「エターナルメロディ」あたりのゲーム板の方々には随分仲良くしていただきました。あの頃の出会いがなければ、今の自分の人生もずいぶん変わっていたかも知れない、と思います。
初めての「ネット」との出会いが、単なる情報検索ではなく、「掲示板でのコミュニケーション」だったことの意味はそれなりに大きかったかも知れません。余計な個人情報など一切纏わず、純粋に「文字だけ」での意志疎通というのは、当時底抜けに面白かったし、今でも面白いと思い続けています。
そんな中でも、あの頃触れた「ハンドルネーム」という文化には今でもずっとお世話になり続けていて、私は今ではすっかり「しんざき」になってしまい、この名前に30年近くお世話になり続けている、という話なのでした。恐らくこれからも、一生涯この名前に付き合うことになるのでしょう。なんだかんだ、嫌ではないなあ、と思っています。
今日書きたいことはそれくらいです。