2007年08月20日

批判の批判に思うこと。

ちょっと迷ったけど、気になったから書く。

サヨ、カスラック、マスゴミ批判で一丁上がり!
こうした光景は昨今のネット界隈でも見られるからだ。たとえば「左翼」と「JASRAC」と「マスコミ」の3点セット。これらを「サヨ」、「カスラック」、「マスゴミ」に置換してアジビラまがいの文章を書いている手合いからは、確固たる思想信条は感じられない。

何故確固たる思想信条が感じられないかというと、そもそも思想信条が読み取れる様な書き方をしていないからだろう。単純な話である。

そこに本当に思想信条が存在しないのかどうか、単に時流に流されているだけなのか、それとも書いてないだけで実は深い根拠があるのか、んなこたあWebに存在する文言を読むだけじゃ分かりはしない。そこにあるのは、「根拠の明示なく(=思想信条の表現不足)口汚い論難・総括をした(=サヨとかカスラックとかマスゴミとか)」という厳然たる罪であり、
あわよくばアルファブロガーから好意的に言及されたり、個人ニュースサイトに紹介されたり、はてなブックマークの人気エントリーになればいいという、浅ましい欲望しか感じられない。

この様にたたかれるのは、まあ仕方ないことではあるんだろう。

勿論ここにはブーメランが潜んでいるんだけど、一旦回避して話を続ける。
しかしいま、カスラック批判やマスゴミ批判を憑り付かれたように書いているひとたちは、そんな自分を「はしたない」と将来、思うのだろうか。

上記の「罪」を分解して繰り返してみよう。ここで書かれている様な「ひとたち」の、反省するべき罪は何だろうか。

・明確な(背景or思想信条or根拠)の明示を怠った。
・口汚い総括を行った。

この二点に関しては、まあ、「はしたない」と感じるに十分であろうと私も思う。私自身は、「口汚いということは、アクセス数を稼ぐのと同時に言説の説得力を大幅に低下させる」と思っているんだが、まあWebも色々だなあ。と。


で、だ。「サヨ、カスラック、マスゴミ批判」「アジビラまがい」という総括に、私は若干の口汚さを感じるのだけど、その点どうなんだろう。大塚氏に関する前段と結語が根拠ってことなんだろうか。私自身は、例示されている様な大塚氏の言説と、「いわゆる」つきのマスコミ批判やJASRAC批判を同列に語ること自体が既に飛躍じゃないかと思うんだけど。


もっと単純に書くとこうなる。「思想信条を欠いた総括を批判している人の総括に、思想信条が明示されてないのはどうなんだ」と。

更に単純に書くと一言になる。「これ、ブーメランじゃね?」

ここからは所感。というか、ブーメランか。

思うに、「同文中に明確な思想・根拠の明示がない、批判的な総括」というものは、かつてはメディアの側の専売特許だったのではなかったか。この武器を、発祥以来メディアは一瞬たりとも手放したことがないんじゃないか、と私は思う。たとえば週刊誌広告のヘッドラインが代表的な例だろう。ヘッドラインでの総括の仕方なんて、メディア界の隅っこの隅っこに生息していた私でさえ指導を受けたことがある。

根拠を常に隙なく明示しなくてはならない、なんてルールは存在しないし、仮に存在したとしたらひじょーに文筆は窮屈になる。だから私は、「根拠の薄い批判」を否定はしない。私だってやっていることだ。

ただ、どちらかというとメディア側の文法に長けている人が、Webの「根拠薄き総括」を批判するというのは、ちょっとずるいんじゃないかなあとか思わないでもない訳だ。
posted by しんざき at 01:58 | Comment(5) | TrackBack(0) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年08月07日

「主流でないこと」こそがブログの価値を上げる。


なんか、色んなところと微妙に話題が被る様な気もするけれど、まあ折角書いたのだからアップしてみよう。

「注目を引かない話題」それ自体に価値を認めてもいいんじゃないかなーという話。私自身の指標である。


5年ぶりくらいに会った知人が、ブログをやっていた。

かつてよく顔を合わせていた頃は、WebのWの文字もタイピング出来ない様なヤツだったので、ちょっとびっくりした。はてブの注目エントリで見かけたこともあるブログだったので、二度びっくりした。取り敢えず名前は出さないが、その内こっそりリンクするかも知れない。

で、その知人と一つ二つ、ブログに関して話をした。一点が、反応欲求と送信欲求の話。以前にもちらっと書いたけど、また折を見て補足する。とはいえ、「ブログを書くモチベーションは、書きたいという欲求と、反応が欲しいという欲求の二軸で説明出来る」ということと、「二種の欲求のバランスが崩れるといい結果を招かない」という考えに特段変化はない。


で、もう一つが、ブクマされる記事、されない記事という話だ。


話はソーシャルブックマーク、例えばはてなブックマークに収束する。

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posted by しんざき at 13:00 | Comment(3) | TrackBack(0) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年06月13日

何故Webで揉め事が盛り上がるかというと

何よりそれは「分かりやすい」からなのだな。


ある頭のいい人が、何か頭の良さそうなことを言っている。頭が良さそうな文言は往々にして難しいから、ついていけない人は興味をもたない。

その頭のいい人に、誰かが喧嘩をふっかける。当然二つの立場からの議論になる。対立が起きると、議論は途端に分かりやすくなる。分析もしやすくなる。

何故かというに、大体の場合において、相対評価は絶対評価より遥かに容易だからだ。自分で基準を考えるより、基準を元に比較する方がずっと楽なんである。論文のテクニックに「対立軸の明確化」ってものがあるのはその為だ。


参照:数日待ったが全然はてブが付かねぇ。どーなってんだ。

理事長のお言葉より、対立軸が明示されている痛いニュースの方が分かりやすい。いい例というべきなんだろう。


議論が揉め事に発展すると、双方がお互いの弱点を指摘し始めるから、議論は更に分かりやすくなる。この辺になってくると、「どちらが好きか」「どちらに肩入れするか」というレベルでの分かりやすさも味わえる。この分かりやすさを「臨場感」と言い換える人もいるだろう。プロ野球を観戦するのと似た様なもんだ。

臨場感という意味では、「自分が軽く手を出す口を出す」なんてことをすると、更に揉め事は楽しくなる。プロ野球のテレビの中で、自分が打席に立てる様なもんだ。多くの人は野球の素人なんで当然三振するけど、参加すること自体は非常に楽しい。だからブログは炎上する。


なんかまだ分かりにくい気がするな。いつも通り少年漫画でたとえてみることにする。


少年漫画の基礎テクニックにも、「対立を明確にしよう」というものがある。別に善でも悪でもなくてかまわないから、とにかく「○○対××」という構図を作る。泥門対王城とかそういう。

すると物語にメリハリが出る。キャラが動き出す。他にも幾つもメリットがある。少年漫画の編集者さんが、必ず「少年漫画には強い敵が必要」というのはその為だ。

聞きかじりだが、幾つか挙げてみよう。

・対立から生じる対比によって、双方の強さ・弱さを明確に出来る。
・読者に対して、「どちらに肩入れをするか」という面での臨場感を与えることが出来る。
・双方のパワーバランスの変化を描写するだけで起伏に富んだ物語が作れる。
・最終的に、「勝負が終わった」ことによるカタルシスを読者に与えることが出来る。

「悟空が一人で飯食ってるだけのドラゴンボールはただのニート漫画だけど、べジータと戦い始めるとなんだか面白いよ理論」とでも言おうか。

まあ、「フリーザ様が一人で「ほっほっほ」とか笑ってるだけだとただのキモ漫画だけど、悟空と戦いはじめると神漫画だよ理論」でも勿論構わないし、固有名詞がワンピースや幽遊白書に換わっても特に文句はない。

結論としては、揉め事が盛り上がる理由は、少年漫画に対立が導入される理由とほぼイコールであるということになるんじゃないだろうか。


ただ、少年漫画の登場キャラ達は、往々にしてモブに優しくない。揉め事が時に荒野を作り出すのはその為だ。

揉め事に中途半端に口を出した挙句、当事者に過剰反応されてエラい勢いでボロボロになってる人などを時折見ると、「邪魔だ!」の一言で舞台から排除される通行人Aが想起されて涙が止まらない。

天下一武道会を観戦するのは楽しいが、自分の戦闘力は十分把握した上で、口を出すにしても戦闘の余波で消し炭になったりはしない様、重々注意したいものだ。どうせ突っ込むなら徹底的に、というところ。

私自身はラディッツに「ゴミめ!」って言われる程度の戦闘力しかないから、テレビを見ながらぽかんと口を開けている的ポジションでいいや。


しかし一つだけ気になるのだが、Webの揉め事に「終わった後のカタルシス」ってものは大抵の場合皆無ですな。あれはなんでだろ。登場キャラが皆フリーザ様なんかな。


参照:少年漫画と少女漫画の境界線はどこにあるのか・その一。
posted by しんざき at 02:09 | Comment(2) | TrackBack(3) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月12日

はてな匿名ダイアリーと2ちゃんの比較論

「増田と2ちゃんの比較論」の方が語呂がいいだろか。

今更の話題かも知れないけど、まあいいや、適当に書く。既出ならごめんなさい。

はてな匿名ダイアリー、いわゆる「増田」が面白い。私自身ははてなのIDを持っていないので読む専だが、匿名の人同士の混沌とした会話というか自分語り+@というか、ある意味脈絡のない内容から突然活発な議論が始まる様子というのは、新鮮な様などこか懐かしい様な、色んな意味で楽しい。


いきなり話が展開するが、Web上の情報集積にはざっくりいって二種類あると思う。個人への集積話題への集積である。

あるWeb上の人格があって、「その人の発言」という形で情報がストックされていく形式を「個人への集積」と考える。例えばブログや一昔前のテキストサイト、mixiの日記、匿名じゃない方のはてなダイアリーなんかはこっちだろう。

Web上の人格には従属せず、「あるテーマについて」という形で情報がストックされていく形式を「話題への集積」と考える。Yahoo!ニュースの様な企業のニュースサイト、一部の専門サイト、大多数のWiki、当然Wikipediaなんかもこっちになる筈だ。

まあ、要はGoogle先生のお手並みというか、Web上での情報整理の話なのだが。


この前、はてな匿名ダイアリーと2ちゃんの類似性について書いている書き込みをどっかで見た。同じ「匿名での大規模コミュニケーション」という表層だけを見ると似ているかも知れないが、多分この二つは全く違う。

2ちゃん上のコミュニケーションというのは、混沌としている様で実は結構厳密である。2ちゃんでの会話は「板」と「スレ」に支配される。板違い、スレ違いのことを書くと叩かれる。2ちゃんというのは、実は凄くはっきりした「話題への集積」の場なのだ。

一方で「はてな匿名ダイアリー」はどちらになるかというと、多分どちらでもない。一昔前に隆盛したティーカップ掲示板の様な、「何かに従属しない集積」というか。それらしい言葉を使えば「非従属集積」、平たく言えば「未整理集積」って感じになるだろう。匿名だから個人には従属しないし、日記だから話題にも従属しない。でもトラバはあるし、会話も出来る。自然発生的に会話の流れが出来ることも頻繁にある。

一言で言うと、2ちゃんは結構厳密に「情報が整理された」場だが、匿名ダイアリーはそれとは対極で、「未整理な状態」が特徴の場である、ということになるだろうか。


匿名ダイアリーは結構読みにくいんで、Viewerが欲しいなあと思ったことがある。いっそDelphiか何かで作っちまうか、とも考えたんだが、なんとなく野暮な気がして手が止まった。Viewerで、整理された状態であれを読んでも、もしかするとあんまり楽しくないんじゃないかと、ちょっと思ったからだ。

先ほどTeacupの名前が出たが、「未整理集積」に関してはべつに新しいものじゃない。それどころか、かつての草の根ネットや当初のNiftyを考えると、「先祖帰り」と言ってもいい様なものだ。今では「未整理」の方が珍しくなっているというのは、ネット上での情報整理形式が、かつてとは比べものにならない程整備されたという意味でもある。勿論Googleの存在も大きい。

見方を変えると、これだけインフラが整ったWebで、未整理状態の匿名ダイアリーが盛り上がっている状況というのは、それだけでも結構面白い。はてラボはWebサービスの実験場だということだが、この「匿名ダイアリー」がどんなところに着地するのか、傍観者として楽しみでもある。


でもまあそれとは別に、増田ビューワは正直欲しいなあ。言及先の再帰ポップアップくらいでもいいから。暇になったら挑戦してみようかしらん。

posted by しんざき at 11:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年05月01日

いじめ報道と、産科医減少問題って構造が同じなんじゃないか。

と、思った。すいません長いです。

Webとも関係がない話じゃないんだが、メタ議論になるとブーメランが返ってきそうなんで、ちょっと気をつけながら書く。


まずは紹介してみよう。近畿圏の産科医問題に関しては、天漢日乗さんが以前から、詳細に綴られている。
「マスコミたらい回し」というシリーズ、どの様なスタンスをとるにせよ一度は全部読むことをオススメしたいのだが、取り敢えず一つ挙げてみよう。
「マスコミたらい回し」とは? (その45) ネットにカルテ流出ってホント?

物凄く乱暴に要約すると、奈良県の大淀病院で起こった妊婦死亡事故を端緒にした、メディアの感情的な病院バッシングによって、奈良県周辺での医療機関、特に産婦人科の医療体制が軒並み崩壊しつつある、というお話だと思う。

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posted by しんざき at 19:44 | Comment(5) | TrackBack(0) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月26日

許せないブロガーと、怒れないブロガー。

あんまポジティブな話じゃないが。


随分昔、「書く」ことで食っていければいいなーと思ったことが、そういえばあった。一時期それに近いバイトもしていたんだが、結局諦めた。諦めて正解だったと今では思っている。

何故かというに、多分私には「許せんと思う能力」が決定的に欠けている


文章を書くという行為は二段階に分かれる。「発想」と「表現」である。書いて面白いことを思いつくかどうかが「発想」のパートであり、それを上手く文章に書けるかどうかが「表現」のパートである。

「表現」は、その種類こそ数限りなく存在するが、要するに技術だ。技術は練習によって磨かれる。

本を一度も読んでいない人でも、努力次第で売り物になる文章力を手に入れることは可能だ。志賀直哉や三島由紀夫の語り口を身につけることだって、それ相応の時間をかければ出来るだろう。

一方の「発想」は、努力次第で引き出しを多くすることは当然可能だが、最終的には才能だ。「多くの人を引き付けるネタ」を安定して発想出来るかどうかは、徹頭徹尾センスの問題である。


そして多分、「発想」の強烈なブースターというか、重要な1パーツを担っているのが「何かを許せないと感じる能力」なんではないか、と思う。

批判能力とか、怒りんぼパワーとか、色んな言葉で言い換えることが出来るだろう。


ブログを書くこと、それ以上にブログを読むことによって、かつて薄々感じていたことをつくづく実感した。コラム、エッセイ、時事ネタ記事からブログ論や一部の創作に至るまで、「これは許せん」という感情から生み出される発想というのは、本当に豊富なのだ。パワーに溢れているのだ。

ブログ界隈でいえば、例えば一時期隆盛したトラックバック問題。匿名実名議論。リンクフリー問題。

ブログに留まらない問題なら、例えばウヨサヨ論争。政治論、マスコミ論、世評、全ては「ある対象への批判」時にはある対象の否定、場合によってはあら探しに立脚している。ずっと昔から例外なく。


そして、「許せん」という思いは、いい意味でも悪い意味でも読む人を引き付ける。何かを肯定する記事よりも、何かを否定する記事の方が視線を集めるものなのだ。
でなければ週刊誌は売れないし、はてなブックマークで「これはひどい」タグが隆盛することもない。悪い側面の話では、例えばブログの炎上とか2ちゃんの一部の板の繁栄も、全ては「許せんという感情」に根ざしている。

「許せん」という議論が建設的、論理的である場合もあれば、そうでない場合もある。取り敢えずそれは置く。


何かを否定しようという欲求が明確だから、色々な材料が思いつく。発想が沸く。論争を呼ぶ。

そして、何かを否定する指針が明確だから、明確な結論を導くことが出来る。読む側からすれば非常に分かりやすい。


私には「嫌いなもの」があんまり無い。
「嫌いなこと」もあんまり無い。

私は多分、何かを分析したり思考実験にかけることはそれなりに出来る、と思う。何かおかしいと感じたり、おかしいと感じた理由をつきつめたりすることもまあそれなりには出来る、と思う。

でも、それはつまり書き手としてのパワーには欠けているのだ。何かおかしいかな、という違和感を感じても、まあそういうのもありなんじゃないかね、と私は思ってしまう。それ以上突き詰めるところまでなかなか辿り着けない。突き詰めたとしても、明確な結論はあんまり出ない。ネット上の論争のトリガーになることなんか到底無理だ。

だから、私は多分、「発想」を常に必要とされる職業では食えなかっただろうと思う。


Web上で怒っている人を見る時、私は色んな感想を持つ。勿論、その人が怒っている内容に考えさせられる。それがトリガーになって自分で色々と考えることもあるし、そんなこと気にして疲れないんかな、と思うことも時にはある。

そして、「こう怒れるのは凄いな」と思うことも、揶揄でも皮肉でもなんでもなく、ある。結構よくある。


Web上での議論を遠慮する必要なんかどこにもない。批判や怒りがない静かなWebなんかつまらない。「怒れる資質」をもっている人には、やり過ぎない程度にばきばき頑張って欲しいと思う。


そんな中、「怒れないブロガー」としてひっそりのらくらと書き続けていくにはどうしたもんかなー、と、私はなんとなく考えている。
posted by しんざき at 19:17 | Comment(9) | TrackBack(2) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年01月06日

「総括」する側、される側。

前のエントリーの続き、になりそう。すいません長文です。

私がのんきにレトロゲームで遊んでいる間に、世の中は賑やかに移り変わっている様だ。浦島太郎になる日も近い。

先日の記事の関連エントリなどつらつらと覗いて回っていると、面白いやりとりを見つけた。ちょっと長いが経緯を追ってみよう。

メディアはマッサージである(池田信夫 blog様)
『死ぬ死ぬ詐欺』 を 『死ね死ね詐欺』 と言い換えないでください(シム宇宙の内側にて様)

またなにやら2ちゃんねるが遡上に上がっているが、池田氏は過去のエントリなども拝読するに基本的には2ちゃんねるをよく思われていない方。レスの抽出の仕方などを見るに、fw0氏はおそらく日常的にある程度2ちゃんを使っておられる方だろう。
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posted by しんざき at 23:24 | Comment(0) | TrackBack(0) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月02日

ブログ観測者問題・追加。

命題その8:ある時事ネタ「○○」が存在する時、「○○には興味はないので触れない」「○○はどうでもいいが」とわざわざ書く人は○○をスルー出来ていない。

命題その9:○○に本当に興味がないブロガーは、そもそも○○についてエントリーを書かない。

結論その4:Web上で、ブロガーの興味の欠如を観測することは出来ない。


うん、こっちの方がなんとなく観測者問題っぽいぞ。何か違う気もするが。

ブログにおいて、「どうでもいいが」「興味はないが」という言葉の多寡は何かのバロメータになる様な気がする。スルー出来ないけど、スルーしたとアピールはしたいココロ。ほっときたいけどほっとけない。ああ、ツンデレ度か。

そもそも本当にどうでもいいことや興味がないことには触れもしない訳で、うちの奥様など興味がないことはシャレ抜きでガンスルーである。私は、彼女がYahoo!スポーツのリンクをクリックしたことを未だかつて目撃したことがない。オリンピック期間だろうがワールドカップだろうが盆だろうが正月だろうが、興味がないもんは興味がないらしい。見上げた徹底ぶりである。

ちなみに、不倒城を「どうでもいいが」で検索してみたら15個くらいのエントリーが引っかかった。ツンデレ度15/450くらいか。多いのかどうかは知らない。

ツンデレ好きな人は、Googleで「興味はないのだが」「どうでもいいが」で検索すると楽しいよ!楽しいよ!

ところで、「ツンデレ」の語意に対する私の認識は合っているんでしょうか。まあどうでもいいんですが。


ブログ観測者問題・スルー論
posted by しんざき at 18:21 | Comment(2) | TrackBack(1) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月01日

ブログ観測者問題・スルー論

命題その1:Web上での煽りに対し、「スルーしろ」「スルーします」と発言する人はその煽りをスルー出来ていない。
命題その2:煽りに反応する人がいなかった場合、それを指摘された煽りはスルーされていない。つまり、「全力スルーワロス」といったコメントがついた時点でその煽りはスルーされていない。
命題その3:命題その1及び命題その2から、Web上での煽りコメントは、そのコメントが残り続ける限り「スルーされた」と確定しない。

結論その1:ある煽りがスルーされたかどうかをWeb上で観測することは出来ない。


命題その4:ブロガーがスルーした煽りコメントには、多くの場合何故か他のコメンテータが反応をしてくれる。
命題その5:ブロガーがスルーしなかった煽りコメントには、多くの場合何故か他のコメンテータが「スルーした方がいいですよ」と助言してくれる。

結論その2:ブロガーがスルーしようがしまいが、煽りコメントは世にはばかる。


命題その6:煽りをスルーする人のブログや書き込みには、そもそもあんまり煽りコメントがつかない。
命題その7:煽りストは、煽りの相手をしてくれる相手かどうかに関して極めて敏感である様な気がする。

結論その3:SMの一種?(結論になってねえ)



観測問題っぽいのが最初の一つだけな件。命題の誤用は気にしないことにする。



参照:スルー力カンファレンス (スルカン) 開催決定!

これ読んでなんとなく思いついた。

お前のブログはそもそも煽りに来てくれる人が存在しないんじゃね、という意見はスルーします。


ブログ観測者問題・追加。
posted by しんざき at 19:52 | Comment(2) | TrackBack(0) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月09日

mixiだけの問題か、といわれるとそうではないけど。

参照を頂いていたので思うところを。

それは mixi だけの問題か?

ふむふむ、なるほど。
要するに、mixi というサービスは日本国内においてリアルとネットの境界を曖昧にするという意味で、先駆者であり、もっとも成功した事例だという事にすぎない。これからはもっと色んなところで、リアルとネットの融合は進み、先に定義した一般ユーザーの進出は著しくなる事は明白だ。
先に定義した「一般ユーザー」においては、mixi だろうがオープンだろうがクローズだろうが、リアルと同じ繋がりに近いネットワークが近づけば近づくほど、この問題の発生率は高くなるだろう。
この辺は全くその通りだと思います。

ただ、今回問題を特殊化しているのは、mixiが上場企業になってしまったということでして。

そして、mixiという組織の収入(参照:第七期決算公告)の大部分が広告収入であり、つまりはmixiとかFindJobのユーザー及び社会的信頼に依存している訳で。

他の遍くWebコミュニティーで同じ様なことが起こったとしても、ぶっちゃけた話金銭的損害を蒙る人は存在しない訳です。まあ、勿論当事者は様々な被害を受けるでしょうが。

つまり、社会的影響の多寡を考えると、今回のmixi周りの騒動は「Webコミュニティーどこでもあり得る問題」として一般化しちゃいけないと思うのです。

まあ、実際のところmixi内部で起こった問題がどれくらいmixiの株価に影響を与えるのか、というのは眉に唾つけて考えなくちゃいけない話だとは思うんですが、外野にどう思われるかってのは別の問題ですしね。


「リアルとネットの境界を曖昧にするという点で先駆者である」mixiには、正に今回の様な問題に対して、少なくとも何かしらの対策をする責任があると私は考えます。SNSとして、ではなく上場組織としてですが。

少なくとも現状、まだmixiのユーザー数が10万とか20万だった頃と同じ対策指針では色々とまずい。免責事項は4つじゃ足りないし、ユーザーの情報公示はある程度mixi側での規制を入れるべきだと思うし、ユーザーやコミュニティに関しても削除ポリシー・及び削除経緯が公示されるべきでしょう。その他諸々、多分足りない部分は色々とある様な気がするけどぱっと思いつかないや。まあいいか。

そーゆー意味で、今回mixiが(mixiのユーザーが、ではなく)注目を集めるのはそれ程無意味なことではない、というかむしろがんがん指摘しなくてはいけないと私は思うんですが、どんなものでしょう。勿論、ただ「mixiのユーザーの危機管理能力について」馬鹿にすることに意味はないとは思いますが。

純粋に広告費とボランティアで成立している上場組織体ってのは現状日本では希少で、mixiが成功者であり続けられるかどうかは結構重要なターニングポイントになるだろうと思っていたりするのです。

今回の色んな騒動をmixiがどう捌くのか注目ってとこかなー、と、そういえば米国の同じ様な組織ってその辺どうなってるんだろ。

その内調べてみます。
posted by しんざき at 10:49 | Comment(3) | TrackBack(1) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月07日

それはホントに「常識」か?・ポジティブ編


不倒城は元来レトロゲームブログなのであるが、たまにネットの話とかブログ論めいた記事を書くことがある。


たまに、である。しんざきはそーゆー記事をたまにしか書かない。勿論元々レトロゲームブログのつもりであるという理由も大きいし、書きたいテーマが手元にないことが多いということも多いのだが、実はもう一つ大きな理由がある。

「そんなん常識じゃね?」と誰かに言われるんじゃないかなー、と常になんとなく思ってしまうからだ。
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posted by しんざき at 01:47 | Comment(3) | TrackBack(0) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月03日

mixiと日記とチェーンメールの相関。

前回のエントリーを受けて、ちょっと考えてみる。既出だったら勘弁。長文なんで興味がある方だけどうぞ。

(追記)一応文末にまとめを書いておきました。お忙しい人は結論だけお読みください。

mixiでまたチェーン日記 善意が混乱招く


まず、大前提として重要なのが「mixiはとっくの昔に閉鎖環境ではなくなった」という認識だろう。
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posted by しんざき at 16:45 | Comment(9) | TrackBack(0) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年04月25日

2ちゃんユーザーの帰属意識について。

以前ちらっと書きかけた、2ちゃんのユーザー意識と特殊性について。企業と2ちゃんが関わるとろくなことが起きないみたいだが、これなんでですかね、というお話。徹夜明けで眠いのでざっくりと。めっさ手垢がついた既出議論だったらすいません。


いわゆる2ちゃんねらーという層には、ある種の帰属意識というものが強い様に見受けられる。「2ちゃんねる」というもの自体に対する思い入れというか忠誠心というか、あるいは一種の所有意識の様なものが一部のユーザーの内にあるのではないかと思うのだ。

コミュニティに対する帰属意識というもの自体は別段珍しくもない。どんな単位であれ、自分の所属している組織に人は何かしらの思い入れをもつものだ。

2ちゃんねるのそれが少々特殊なのは、「思い入れ」の対象が人ではなく、完全無欠に「場」であることに起因する。
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posted by しんざき at 18:38 | Comment(4) | TrackBack(0) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年03月31日

「敵」のもつエンターテインメント

結局今までの議論の言い換えになってしまうのかも知れないが。

こちらを読んでちょっと考えたこと。
「インターネット人類補完計画」の果てに

色々なものを捨象して表現するなら、「味方がたくさん」いることで楽しめるネット世界と、「敵がたくさん」いることで楽しめるネット世界の境界がどこかにある、というかあった、んだろうと思う。

というか、前者のネット世界に「敵」成分が補充されて出来たのが今のWebではないかなー、などと言ってしまうとちょっと単純化し過ぎか。
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posted by しんざき at 20:00 | Comment(0) | TrackBack(1) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年11月14日

「正論」の暴力性について。

なんだかすっきりしない。なんでだろうな。

話の始めはここである。
許可してください

無断リンクにまつわる色々話の一翼の様だが、実は無断リンクの話自体はあんまり興味がない。LSTYさんの一言でそれこそFAであろう。

すっきりしなかったのは、冒頭のリンクの内容とそれにまつわる様々な反応。発祥の地は2ちゃんらしいが、まあ2ちゃんかどうかもこの際はあんまり関係がない。

先に、リンク内容の要約を含めた前提から行こう。

・とある実験精神旺盛な人が、「無断リンク禁止」「リンクしたいなら許諾を受けろ」と表示がある、学校のHPにメールを出してみた。
・その結果帰ってきた反応が、およそネット事情が分かっているとは思えぬ頓珍漢なものであった。
・何言ってんだこいつら、バッカでー。

って感じか。

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posted by しんざき at 22:02 | Comment(18) | TrackBack(2) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月31日

文章力のお話に関する補足。

コメントで書こうと思っていたのだが、なんかこねくりまわしている内によそ様のコメント欄に放り込んでいい長さではなくなってきたので、粛然と独自エントリ(またかい)

なんか言葉の話の難しげな話題なので、お好きな人だけどうぞ。
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posted by しんざき at 16:48 | Comment(2) | TrackBack(0) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年10月13日

「文章力」の落とし穴

すいません長文です。

まなめさんの「304 Not Modified」様で、ちょっと考える話を見つけた。
ブログは文章力を上げるとは限らない
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posted by しんざき at 00:45 | Comment(10) | TrackBack(4) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年09月12日

「のま猫」騒動について、考察用準備稿。

すげえいまさらながらなのかも知れないが、例の騒動の話。ご存知ない人は、Googleで「のまネコ問題」とか検索してみるとぼろぼろと出てきますのでお暇なら。他、この辺とか。

ちょっと考えてみたい衝動に駆られたので、考えるべき項目とぱぱっと思いつく内容についての私用メモ。幾つかは間違いなく誰かに先取りされている予感があるので後で調べてみる予定。いや、まあ、考えてる途中で飽きるかも知れないが。

1.タカラのギコ猫商標登録事件との相似と相違。
2.2ちゃんねるユーザーの拒否反応はなんに由来するものか。
3.上記に関連して、2ちゃんねるユーザーの拒否反応は自然発生的なものかどうか。
4.企業側と2ちゃんねらー(2ちゃんねるユーザーとは異なる)との意識の差。また、その意識の差はどこから来るものか。
5.企業側の「読みは甘い」のかどうか。
6.ついでだからmixiとも比較してみる。

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posted by しんざき at 00:12 | Comment(6) | TrackBack(0) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月28日

言動の変化はダメなのか、という話。

なんだか腑に落ちない。


まず、事の始まりは「むだづかいにっき」のえっけんさんのエントリーである。
 「ブログは記事単位で読まれるもの」だからして、その記事内において発言内容が変わるのであれば、確かにこれはちょっと問題でしょう。しかし過去ログでの発言との食い違いがある可能性はあります。それは否定しません。その時に考えた事と、現在の発言内容に食い違いがあることは、別に恥ずかしい事とは思いませんが。


話を整理しよう。上記のエントリーの具体的内容に関しては、よそ様のブログの事件なので細かい踏み込みを避ける。ただ、基本的には

・以前書いたこととくい違うことを書いている、ということに関する批判

という様なコメントとそれに伴う議論があったんだと考えていいだろう。

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posted by しんざき at 23:05 | Comment(23) | TrackBack(2) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年08月02日

人は何故、「読むと不快になる文章」をわざわざ読みたがるのか。

なんでだろう。


例えばブログ界隈をうろついてみる。何かを批判しているブログであるとか、何かにケチをつけているエントリーであるとか、つらつらと探してみる。

そういったブログのコメント欄など見ていると、頭が沸騰した様なコメントをつけている方がしばしば見られる。いわゆる「炎上」しているブログに限らず、ごく普通に運営されているブログの、ごく普通に批判を書かれているエントリーでもそういったコメントは見られる。その内容は批判ではなく、大体の場合罵倒や悪口雑言である。いや、まともな批判もあるにはあるのだが。

例えば、アンチ巨人のページをわざわざ見にいく巨人ファン。
例えば、ブログ論のページにわざわざ「ブログ論うぜぇ」と書き込んでいく人。

以前から不思議には思っていたのだが、未だにはっきりとは謎が解けない。つまり、「じゃあ見なきゃいいんじゃネ?」という疑問がどうしても私には拭い去れないのである。

という訳で、今回は「不快な文章を読みにいく」という事象についてうだうだと考えてみる。
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posted by しんざき at 18:31 | Comment(57) | TrackBack(7) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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