2005年06月27日

mixiとブログの比較論

あんまりまとまっていないのだが。

タイトルは飽くまで途中経過であって、実のところ最終的なテーマはトラックバックについてなんである。というか、このタイトルだったらもうちょっと深く考えるべきだったかも知れない。やや反省。まあいいや別に。

トラックバックについては、「むだづかいにっき」のえっけんさんのエントリーを始め様々なお話を読んできたが、私個人の考えは正直未だに固まっていない。私の中でも、どう使ったものかいまいちスタンスが定まりきっていない様なところがある。
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posted by しんざき at 00:33 | Comment(12) | TrackBack(10) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月20日

ブログやネトゲ運営屋さんの悲哀について。

Seesaaが安定している。安定しているというか、まあ普通に使えていて取り立てて問題もないという状態な訳なのだが、ちょっと問題がありそうに見えたDBクエリのチューニングはうまくいったのだろうか。

で、つくづく思った。運営・保守って損な仕事だなあ、と。

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posted by しんざき at 16:08 | Comment(7) | TrackBack(0) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月12日

「ブログブーム」の特殊性

「むだづかいにっき」様より。
ブログブームってなんじゃ

最初コメント欄に書かせて頂こうと思ったのだが、こねくり回してる内に「これどー考えても人様のコメント欄に放り込んでいい長さじゃねえだろ」という内容になってしまったので、粛然と独自エントリ。この長文癖はどうにかするべきなんではないかとちょっと自分でも思う。

ブログを一過性のブームと考えている所は、とても冷静だと思うし、そのブームを終わらせたくないと言う気持ちは正直だと思う。


えっけんさんのおっしゃることは全体としてもっともだと思うのだが、何故だか、前提部分であるところの「ブログブーム」という言葉に妙なひっかかりを感じた。違和感というか疑念というか、何かがどーももやもやとしていて気持ちが悪い。取り敢えず、この違和感を整理をしてみることにする。

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posted by しんざき at 11:41 | Comment(11) | TrackBack(5) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年05月10日

ブログの書籍化とかについての雑感。

ブログを始めとするネット媒体物の書籍化に関する、全く関係ない場所からの野次馬的所感。

「ある編集者の気になるノート」様より。
ブログの終着駅は、やっぱり本なのか。
始発駅はネットでも、終着駅は本という構図は、まだまだ続く気がする。

うーん。

ココログブックスコンテストといい、ココログは「ブログ→出版」という方向にかなりの可能性を見出している様だ。

ココログに限らず、ブログや掲示板ネタの書籍化話は最近枚挙に暇がない。少々残念でもあり、一方でしょうがないのかな、という気もする。

ココログ出版からはちょっと話が逸れるが、残念というのは、ネット発の情報を固形物にしないままに採算に乗せる方法は、未だに誰も思いついていないらしい、ということだ。

ネットでお金をとって情報を見せる手法は色々とあるが、いい具合に採算に載っているものの話はあんまり聞こえない。固定して儲けられるというと、せいぜい一部のあざとい手法のアダルトページが存在するのみだ。Webコミックもネット文庫も、芳しい評判は聞かない。これはもう、元々インターネットにオープンソース的な要素が多々あったこと、「ネットの情報は無料」という意識がこれだけ根付いている中では、ある程度仕方ないことであるかも知れない。

とはいえ、本来なら、ネット上の著作物を書籍化してお金をとる、という方法はあんまり理想的ではないんじゃないかなーと私は思う。理由は二点ある。
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2005年04月28日

ブログの価値とか独自性とかについての若干の違和感。

あんまりまとまっていなかったりするのだが。

幸いにしてそれ程頻繁なことではないが、ブログに書きたいことを思いついた時、私はたまーにつくづく思いあぐねるのである。「もう誰か書いてんじゃねえかなあ、コレ」と。実は今も思いあぐねながら書いている。これ、結構誰にでもあることなんじゃないだろうか。

この心理をちょっと分析してみて、単純な様で意外に単純でもないかも知れない、ということに思い当たった。自分の中で「オリジナリティ」というものに関する格付けが結構微妙なものであることに気付いたからである。

以下、自分が文章を書く時の傾向について、ちょっと考察してみる。


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2005年04月21日

続・mixiと2ちゃんの比較論

しまった。私としたことが、前回のエントリーでは「相似と相違について考える」などと言っておきながら。「相似」というものについてまったく書いていなかった。不覚。

ということで、補論という程のもんではないが、追記としてもうちょっと考えてみよう。前のエントリーでは「トラブルに対する自己防衛法」という方面からしかこの二つを比較しなかったが、本エントリーでは共通項を中心に書いてみる。本来の順序と逆だがまあ気にしない。

明日システムリリースであんまり時間がないのでエッセンスだけ。補足はするかもしないかも。

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posted by しんざき at 23:54 | Comment(12) | TrackBack(0) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年04月15日

mixiと2ちゃんの比較論

一年前くらいに皆がやっていた議論だったりしたらどうしようかとも思うのだが、まあ世の中既出を恐れていては知は進まない様なそうでもない様な。まあ思いついてしまったので思いついたままに書く。半分雑記なので箇条書きで。

2つの巨大コミュニティーサイトの相似と相違について。双方に対して勉強不足の面があるので、間違いがあったらご指摘願いたい。


・ネットのトラブルには二つの尺度がある。

まずは一般論から。

ネット上で口論だの喧嘩だの荒らしだのが起こる原因は様々だが、起こる過程にはざっくりと言って二つのレベルがある様だ。つまり「存在」と「認識」である

「存在」というのは喧嘩の種の側を言う。つまりは、トラブルの元になる様な発言とか議論とか、あまり穏やかではないテキストがネット上に転がっている状態のことである。

一方、「認識」というのは喧嘩の受け手の側を言う。上記の「存在」自体はネットを見渡せばどこにでもある訳だが、それが相手にされるかどうかはまた話は別だ。トラブルの種になる様なテキストを繰り返し発信する人がいたとして、それがネットの他の人々の目にとまり、相手をする為に集まってくる状態のことを「認識された」ものと考える。

なんか色々としちめんどーくさいことを言ってはいるが、要は「喧嘩を売る」という行為と「喧嘩を買う」という行為のことを表しており、両方が揃っていないと喧嘩は始まりませんよ、ということだと思って頂けると幸いである。


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2005年04月11日

「客観」と「主観」の戦闘力

「数の力」の誘引というものは強いんだろうなあ、という感がある。

「むだづかいにっき」様の話がかみ合わない を読んで、例によって色々と考えた。

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posted by しんざき at 13:12 | Comment(11) | TrackBack(2) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月23日

頂いたTBに物凄い速さで反応してみる。

おうあ。TBを頂いたLSTYさんの所にコメント返そうとしたら、「・本文の最大長を超えています。」とか冷たく言い放たれました。
仕方ないので、「コメントは要らぬ!TBで語れい!」という方向で。すいませんTB元記事からもTB打ってますが。

元記事:ブログと議論のエトセトラ

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posted by しんざき at 13:09 | Comment(3) | TrackBack(0) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月22日

ブログと議論のエトセトラ

中学の頃、何の時間だったか忘れたが、ディベートの授業を受けたことがある。

議論のやり方とか細かい話には立ち入らなかったのだが、その時はなかなか面白いやり方だと感じ、今でもたまに思い出す。全体として「自分が反対する立場に立って議論する」というものだったのだ。議論を専門的に勉強されている方にはごく当たり前のスタンスなのだろうが、当時の私にはなかなか新鮮だった。

確か当時のテーマは「死刑制度に賛成か反対か」というものだった様な覚えがある。私は基本的に死刑制度賛成論者だったので(イヤな中学生だが)代表として死刑制度に反対する立場に立って議論をすることになった。これがなかなか苦戦した。死刑制度に反対する立場の人の思考などろくに仕入れていなかったので、口先三寸の意見しか出てこないのだ。

当時の先生の言葉を思い出す。「自分の考えに反対する奴の口を借りて、自分を論破出来るくらいでないと、ろくな議論は出来ない」と。以来、私の考え方の基本というか根底はここにある様な気がする。といってもやはり、自分が「正論」と考えている考え方に対して反論するのは相変わらず難しい。続きを読む
posted by しんざき at 16:03 | Comment(6) | TrackBack(4) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月18日

ブロガーがブログをやめる日

なんだか最近、「ブログの目的」について考えさせられることが多い。

ことの発端は、「むだづかい日記」様のこちらのエントリーである。
更新は義務じゃないんですよ

書くことがないのに「カレンダーに穴をあけたくないから」という理由で更新されるブログって、正直言ってつまらないんですよ。


全くおっしゃる通り。日記であればともかく、義務感で書かれたブログに面白いものはあまりない。やはり人間、「書きたい」と思った時に書いたもの程面白いものだ。というよりは、自分にとって面白いことが思いつけば書きたくなる。

この辺りは自戒も混じるのだが、自分が書いたものを読んでみても分かる。やはり「これを書きたい」と思って書いたものの中にはそれなりに読めるものもあり、そうでないものははっきりいってつまらない。えっけんさんのエントリーで引用されているLSTYさんのエントリーでも、この辺りに関して大変に納得出来る内容を書かれておられる。しつこくなってしまうので引用はしないが、ご一読をお勧めしたい。

で、思ったのだ。書きたいことがないのにブログを書いている人の目的って何なんだろうな、と。
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2005年03月14日

アクセスアップに対する皮膚感

「むだづかい日記」様より。
アクセスアップを否定する!

案外難しい問題なのではないかと思う。

いや、アレだ、えっけんさんはこのエントリーで無差別TB・CEO対策などの「間欠泉的アクセスアップ手法」を評して

>自分自身のアクセスアップのために行った行為によって、自分のブログの評価を下げてしまうのって、本末転倒ですよね。

とおっしゃっており、これに関しては全面的に首肯するところなのだが。
もう少し話を進めて、「アクセス数を意識する」ということ自体に関して、自己分析を兼ねて考えてみたいと思う。ちょっとまだ考えがまとまっていない部分もあるので、読みにくい構成になってしまったら申し訳ない。気をつけます。

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posted by しんざき at 19:06 | Comment(3) | TrackBack(5) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月11日

思想議論は何故炎上するか。

いやまあ、ブログ上での話に限ったことではないのだが。一歩進んで、何故思想争議は「炎上」に行き着くか、というお話。

コメント欄で教えていただいたのだが、こちらのブログでの論争が終結に向かっている様だ。まあなんというか、ざっと読んだところこのブログそのものに対する感想は色々あるが、ここでは取り敢えず割愛する。
先に断っておくが、私はこの議論そのものには参加していない。故に、野次馬の無責任な批評にならざるを得ない。後から来て口出すなと思われる向きもあろうが、見たい番組が終わってからテレビをつけたものの悲哀に免じてご勘弁頂けると幸いである。
ともかく、ブログのエントリーを起点に始まった議論が、どうにか平和裏に収束した光景を目の当たりにした。

で、思ったのだ。これで皆さん納得いってるのかな、と。

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posted by しんざき at 10:26 | Comment(2) | TrackBack(0) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年03月08日

ブログでの祭りとか炎上とかについて。

ふーむ。どれだけ客観的に読めるか、正直あまり自信はないが。

「R30」様より。元ネタと併読してみて、「炎上」というキーワードに反応してみる。このアレンジに関してはそれはそれで楽しく読ませて頂くとして、だ。
祭りの場を面白くするネット左巻きの剽軽

何故ネットでエラい勢いの論争が起きたり色んなブログが自爆したりしているか、について。半分は自戒。

右とか左という言葉が絡むから話がややこしくなるのだが、これは敢えて個人レベルの話に矮小化してしまってもいいんではないかと思う。というか、そもそも元ネタの方に関しても、わざわざ右とか左とかいう言葉を持ち出す意味がわからない。

自分がどんな思想をもつか、というのは別に大した問題ではない。それこそ思想の自由という奴で、どんな思想でも勝手にもてばいいんじゃん、というのが至極正しい。極左だろうが極右だろうが親米だろうが親中だろうが、思うだけなら誰も文句は言わない。

どちらかというと問題は、どれだけ「他の思想が許せない」か、ということである。

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posted by しんざき at 11:40 | Comment(15) | TrackBack(10) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年02月15日

オキャクサマのつつしみ

SEの端くれ、及びブロガーの端くれとしては身につまされる思いである。

何かというに、「むだづかいにっき」のえっけんさんの、こちらのエントリーの話だ。
スタッフブログって面白いよねー

私は今まで、スタッフブログというものにはあまり目を通したことがなかった。別に避けていたつもりもないのだが、やはり同業者としては何か、遠慮というか無意識的な敬遠でもあったのかも知れない。

で、読んでみてかなりの割合で身につまされた。
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posted by しんざき at 18:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月29日

メジャー度の違いによる名前の吸収現象について。

 
ところで、うちのブログは「不倒城」と言う。ふとうじょう、と読む。

それなりに愛着のある名前ではあるのだが、間違えられたからといって血相を変えて正式名称を主張する程でもない。名前を間違えるのは失礼だ、というのが世間一般の認識であるとすれば、私は少々世間一般の認識からずれたところにいる様だ。

ということで別に不快に思っている訳では全くないのだが、最近時折私のブログを紹介して頂くことがあるにつけ(ありがたいことである)、「不夜城さん」と紹介を受けることがたまにある。

ピンと来た。これはアレだ、「メジャーな名前に吸収される現象」だ、と。
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posted by しんざき at 23:29 | Comment(7) | TrackBack(0) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月16日

補論・ひとり語りは面白いのかどうか、について。

別に反論という程のものでもないが、トラックバックを頂けたので。不倒城の様な零細ブログにはなかなかないことだ。補足を兼ねてお返事をさせて頂きたい。

「俺の道」様より
>なんで乱暴か思ったのは自分とそれ以外の中間の位置にリアルで情報をもってる
>知人(友人、親類、その他服務)ってのがあるのではないかなと。
>その人物のリアルの情報を持っているのならば、
>そのバックボーンを実際知っていたり、想像する事が可能なわけだから

おっしゃっているバックボーンの意味と、私が述べた「バックボーン」の意味とが、少々異なる。
私が前エントリーで述べた「バックボーン」というものは、いわば脳内の履歴だ。その文章を書いた当時の記憶、感情、思考といったものであるから、これを他人と共有することは不可能である。当然だ、自分の脳ミソの中身を他人にソーシング出来る訳がない。この意味で、知人だろうが兄弟だろうが親子だろうが、「自分」と「自分以外の人間」には圧倒的な、決して越えることの出来ない壁がある。

しかしおっしゃる通り、知人や友人が書く文章は、全く知らない人が書いた文章とはちょっと面白さの質が異なる。全く同じ内容を書いていたとしても、知人や友人の書く文章は多少面白く読める様に思える。

これは何故か。

意図的にという程のこともないが、前回のエントリーでは全く触れなかった要素が一つある。文章の「内容」と「表現」の違いについてだ。続きを読む
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2005年01月04日

ひとり語りは面白いのかどうか、について。

自分が書いた文章というものは面白い。

「むだづかいにっき♂」さんを読んで、こんなことを考えた。

当たり前のことであるのだが、それがどんなジャンルであれ、自分が書き残した文章を読み返すという行為は基本的に楽しい。私の様なしょうもない雑文書き散らし人間でもそれは変わらない。その理由はいくつか考えられるが、やはり一番大きいのは、文章のバックボーンが非常にリアルに感じられるから、という点であろう。故に例えば、上記で越後屋さんが挙げられた「私の好きな食べ物」というのも、本人にしてみれば基本的に面白い筈なのである。

文章というものは無から生じる。日記だろうが創作だろうが論評だろうが、始めにこねくり回されるのは飽くまで自分の頭の中、脳内の回路だか左脳だか右脳だか前頭葉だかという部分においての話であり、それは「書く」というプロセスを間に挟んで初めてテキストとして書き残される。故に、その文章を書いた「履歴」というものは脳内に生々しく刻まれている。

自分の書いた文章を読むということは、つまり追体験なのだ。それを書いた当時の自分の思考、感情、状況といったものの記憶が全て、文章を読むと同時に脳内で揺り起こされる。「行間を読む」という行為を最も無意識に実現出来るのが自分の文章であろう。文章自体には書き記されなかった筆者の思いまでが、ごくごくあっさりと読者(=自分)の脳裏に浮かび上がる。これは、様々な名創作物に共通する特徴である。というよりは、いわゆる「名文」というものの必要項であると言うべきだろう。

つまり、「自分が読む自分の文章」というものは基本的に名文なのである。

以上、当たり前の前提。さて、問題はここからだ。
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posted by しんざき at 14:05 | Comment(27) | TrackBack(9) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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