自分が書いた文章というものは面白い。
「むだづかいにっき♂」さんを読んで、こんなことを考えた。
当たり前のことであるのだが、それがどんなジャンルであれ、自分が書き残した文章を読み返すという行為は基本的に楽しい。私の様なしょうもない雑文書き散らし人間でもそれは変わらない。その理由はいくつか考えられるが、やはり一番大きいのは、文章のバックボーンが非常にリアルに感じられるから、という点であろう。故に例えば、上記で越後屋さんが挙げられた「私の好きな食べ物」というのも、本人にしてみれば基本的に面白い筈なのである。
文章というものは無から生じる。日記だろうが創作だろうが論評だろうが、始めにこねくり回されるのは飽くまで自分の頭の中、脳内の回路だか左脳だか右脳だか前頭葉だかという部分においての話であり、それは「書く」というプロセスを間に挟んで初めてテキストとして書き残される。故に、その文章を書いた「履歴」というものは脳内に生々しく刻まれている。
自分の書いた文章を読むということは、つまり追体験なのだ。それを書いた当時の自分の思考、感情、状況といったものの記憶が全て、文章を読むと同時に脳内で揺り起こされる。「行間を読む」という行為を最も無意識に実現出来るのが自分の文章であろう。文章自体には書き記されなかった筆者の思いまでが、ごくごくあっさりと読者(=自分)の脳裏に浮かび上がる。これは、様々な名創作物に共通する特徴である。というよりは、いわゆる「名文」というものの必要項であると言うべきだろう。
つまり、「自分が読む自分の文章」というものは基本的に名文なのである。
以上、当たり前の前提。さて、問題はここからだ。
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2005年01月04日
