2016年11月16日

ゲームって、子どもにとって適度に「悔しさ」を感じるツールとして絶好じゃないかと思うんです

子どもには、適度に「悔しさ」を感じる機会をもってもらいたいなー、と思います。

やはり人間、生きていると上手くいかない時って色々あります。上手くいかないと勿論面白くありませんし、時には落ち込んでしまうこともあるかも知れません。ただ、そこから再び浮き上がる、あるいはやる気を出す引き出しって、なるべく多い方が人生やりやすくなるんじゃないかなー、と。

「うまくいかなかった時」の感情をどう扱うか。それって多分、経験だと思うんですよ。

大人になってくると、「適度な失敗」「適度な敗北」って段々やりにくくなってきます。やってることが大きくなってくるだけに、失敗や敗北によるダメージが大きくなってきちゃうんですね。時には、子どもの頃になんでも上手くやっちゃった人が、大人になって軽い失敗をどう扱っていいかわからずに大ダメージ、みたいなことも発生しちゃいます。敗北から前向きに立ち直ることって、多分そんなに簡単なことじゃない。

だから、なるべく影響が小さい内に、上手いこと「失敗」出来る機会って多ければ多い程いいんじゃないかなあ、と私は思うわけです。

ところで、先日こんな知恵袋を見かけました。

楽しいはずのゲームなのに、ぶつぶつ文句を言い、時には地団駄を踏みながら悔しがる姿などが見受けられます。
今までのゲームでこのようなことはありませんでした。
スプラトゥーンをするとキレやすい子供になるというコメントを見つけ、これだ!という感じでびっくりしています。
子供と話をし、没収することにきめました。

まあ良くある釣り袋のような気もしないではないんですが、丁度いい素材だったので覚えてたんです。

個人的には、「楽しいはずのゲームなのに、ぶつぶつ文句を言い、時には地団駄を踏みながら悔しがる」というのは、実にいいことだなあと思います。真剣に向き合うから、真剣に遊ぶから、地団太を踏むくらい悔しい。素晴らしいことなんじゃないでしょうか。

ゲームに負けても、実際のダメージなんて何にもありゃしません。けれど、負ければ悔しい。悔しいから何とかしたい。実に手軽に、「くやしさ」と「そこからリカバリーする経験」を摂取出来るツールなんじゃないかなあ、と思うんですよ。


「うまくいかない」「悔しい」からのリカバリー。真剣に、楽しくやっているからこそ、負けた時に超悔しい。超悔しいけれど、楽しいからやめたくはない。勿論ゲームばっかになっちゃうとまずいですけれど、適度に遊んでいる限り、こんなに絶妙な精神修養もなかなかないんじゃないかと。

長男も結構スプラトゥーンを遊んでいまして、凄く真剣に試合に臨みますし、負けると地団太踏む時もあります。けれど、それが前向きに「次は勝つ!!」になる限り、全然心配することはないと思いますし、実際私は全然心配していません。悔しさと、上手くいったときの嬉しさをたくさん摂取して、健やかに育ってくれるといいなあと思うばかりです。


だから私は、ゲームが適度に「くやしさ」を感じることが出来る遊びであり続けて欲しいなあ、と思っています。いや、時にはアクアノートの休日もいいですけれど、なんでもかんでも楽ちん、全然つまづく要素がない、みたいなゲームばかりにはなって欲しくないなあ、と、一ゲーマーとして、一ゲーマーの親として考える次第なのです。


今日書きたいことはそれくらいです。




posted by しんざき at 18:19 | Comment(4) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月07日

電車の中で子どもが退屈した時、速攻で時間経過させられる4つの遊び

どうも、しんざきです。次女はなんか「トイレはパパといくもの」と固く決意しているらしく、私が3階にいるとわざわざ2階のリビングから上がって「パパトイレいっしょにきて!」と呼びにきます(トイレは1階)。


長男、9歳。小学三年生。
長女次女は4歳、幼稚園児の双子。もうすぐ5歳になります。

ありがたいことに、子連れで通勤電車や満員電車に乗る機会は殆どないのですが、休日に電車を使ってどこかに出かける、という機会は割と頻繁にあります。そこそこの時間電車に乗ることもあります。

しんざき家では、「電車の中で子どもが泣き出して、泣き止まなくて困る」ということは、一昨年くらいからほぼなくなってきました。とはいえ、子どもは大人と比べて「何もしないでぼーっとしている」ということが極めて苦手な生き物なので、まだまだ電車内で退屈してしまうことはあります。

電車好きの長男は先頭車両で運転席を眺めていると満足するのですが、特に長女次女にとって電車内での退屈は大敵です。絵本を読んであげるとだいぶ大人しくなるのですが、それでも限界はあります。

電車内で退屈し始めると大体子どもはろくなことをしないので、適切な退屈つぶしの遅滞戦術が必要となります。今回は、しんざき家でよく利用されている、「電車内で子どもを退屈させない」為の手ぶらで出来るゲームについて、簡単に紹介してみたいと思います。


○色探しゲーム、色みつけゲーム

「指定された色を視界内から見つけて、「あそこにある!」と指摘するゲーム」です。

大体において、子どもは勝負ごとが大好きなので、「勝ち負け」が絡んだゲームをさせると真剣になってついでに静かになる、というのは鉄板です。で、色探しゲーム、ないし色見つけゲームは、何の下準備もなく即座に開始出来る上、ルールがわかりやすく子ども的にヒートアップもしやすいので非常にお勧めです。

ゲームの親が、最初に「青!」とか「赤!」とか特定の色を指定します。で、目だけを動かして視界内からその色を見つけて、「あそこ!」と最初に指摘出来た人が勝ちです。

ちょっと注意をしなくてはいけないのが、「ヒートアップをして声が大きくならないようにする」「人を指ささないようにする」という二点であって、これはゲームのルールということにすれば、ルールを学ぶ役にも立つような気がします。

公園なんかでも手軽に遊ぶことが出来る、我が家の鉄板遊びの一つです。電車内であれば、「視界内から特定の文字を見つけるゲーム」なんかも亜種として使えると思います。

対象年齢:幼稚園〜小学校低学年くらい?3年の長男はまだ喜んでやります。


○足を動かしたら負けゲーム

周囲に人がいない空いたスペースで、という条件つきですが、かなり効果的なのがこの遊びです。直立して、手をペンギンのような感じで伸ばし、「電車の揺れで足が動いたら負け」ゲームをします。

これも同じく勝ち負けのゲームで、ルールが分かりやすい上何の道具も必要なく、かつ「バランスをとらなくてはいけない」というのは子ども的に結構スリリングらしく、てきめん静かになるという効果もあります。ルール上、否応なくじっとすることになるというのも大きなメリット。

ただ、周囲に人がいるとご迷惑になってしまうし危ないので、周囲に人がいない状態で、パパママが子どもの前後を挟んで転ばないようにしてあげる、などの工夫は必要になります。逆にそこだけ注意すれば非常にお手軽です。

対象年齢:幼稚園〜小学校低学年くらい


○スパイ逃亡ごっこ

これは以前も何かの記事で書いた記憶があるんですが、「自分たちが何かの組織に追われている」という設定で、いきなり「しっ!静かに!」「囲まれている…!パパから離れるな…!」とか緊迫感がある逃亡ごっこを始める遊びです。男の子なら幼稚園くらいからマジ静かになる有効な戦術でして、最近は長女次女にも効くようになりました。なんでしょう、プリキュアとかの影響なんでしょうか。

いきなり話し声がヒソヒソ声まで落ちるという点で超即効性がある有用な戦術なんですが、一度静かにさせた後の展開は父親の演技力と即興作り話構成力にかかっている為、長時間の拘束には結構手間がかかります。以前私がやった時は、最大30分くらい持たせることは出来たんですが、いつの間にか半蔵門線がロシアのウラジオストクまで通じていることになってました。演技力に自信がある方にはお勧めです。


対象年齢:幼稚園〜小学校低学年くらい(男子なら中学年くらいまでいけるかも)


○30数えゲーム

「1,2,3」「4,5」など、1から順番に最大3つまで、代わる代わる数字を言っていって、「30を言わされてしまった方が負け」というゲームです。これ、正式な遊びの名前が多分あると思うんですが、私ちょっと知りません。なんて言うんでしょうか。

少なくとも30までの数字を全て覚えていなくてはいけないので、幼稚園くらいまではまだ厳しいかも知れません。ただし、同じくルールが分かりやすい勝負ごとなので、小学低学年くらいの子だったら結構真剣になってくれます。数字の数え方を定着させる役にも立つと思います。

ただ、これつきつめると「1を言った方が勝ち」というジャンケンゲームになってしまう(ご存知ない人は何故そうなるのか考えてみてください。すぐわかると思います)ので、種がばれると付き合ってもらえなくなる可能性があります。ネタがばれていない間は、たまにはわざと負けてあげたりすると結構ヒートアップしてくれると思います。

対象年齢:小学校低学年くらい


この他、もちろん定番のしりとりや指相撲、「グリンピース」「ぐりんぐりんぱりん」などのジャンケン関連遊びの他、最近は長女次女に「○○(服の模様、髪止め、ボタンなど)が可愛いね!」と指摘してあげると光の速さで調子に乗って窓に映る自分を見始めたりすることなども発見しましたので、今後「可愛いところ指摘ゲーム」などについても開発を進めていきたいと思います。

皆さんも、良い子ども遊びライフを。


今日書きたいことはそれくらい。




posted by しんざき at 13:04 | Comment(1) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月26日

「ないしょ」を扱うことについては長男9歳よりも長女次女4歳の方が上手だなーと知った件、あとポケモンGOのこととか

ただの日記です。

日曜はちょっと行動が変則的な感じでして、午後から長男がサッカーで、奥様も当番でそちらに行く予定だったので、午前中は長男と、午後は長女次女と遊んでました。

午前中は、ポケモン大好きの長男を連れてポケモンGO旅。電動自転車の後部座席に長男を乗せて、「見ながら歩いちゃダメ」「ずっと見てると目が疲れるから遠くも見ること」と言い聞かせながら、ミニリュウ三匹を含め、あちらこちらでジム戦をしながらポケモンを集めてきました。

現在の主力はこんな感じです。水ポケモンに対するソーラービームナッシーの頼もしさがすごい。

現在の主力勢

あと、昔10kmたまごからぽろっと出たラプラスが、いぶき/ふぶきで非常に頼もしいのですが、飴が全然足りなくて強化出来てないです。相棒システムでちょっとずつでも飴がたまるといいなあ。

「ぼくたちのチームのウィンディは強いねーー!」など、その辺のナッシージムを落としてご満悦でした。なにかというと進化・強化させたがるので、「なるべく強いポケモン強化させた方がいいだろー?」と説得するのが大変です。カビゴン欲しい。


で、その後、奥様とバトンタッチして私・長女・次女の三人体制。長女次女お気に入りの公園に行きまして、ターザンロープなどでさんざん遊んだ後、長女次女の「おんせん!」「おんせんいきたい!」というリクエストを受けました。

ここでいう温泉というのは、近所にある銭湯のことでして、長女次女は「温泉にいって広いお風呂に入る→その後コーヒー牛乳を飲む」というのが痛くお気に入りです。で、奥様には一応連絡をとりつつ、折角なので銭湯に連れていってあげることにしました。銭湯は幼稚園児無料でして、大人一人分しかお金もかからないので大変にリーズナブルです。


で、この時、ちょっと思いついて「ママやにいにには内緒だよ!」と言ってみました。


大体子どもって、「○○にはないしょ」というイベントが大好きなんですよね。「内緒にしないといけない」というだけでそのイベントの価値が2段階くらい上がるようで、もうその言葉を聞いただけでニヤニヤが止まらない感じでした。

長男も勿論「ないしょごと」は大好きでして、ただ彼隠しごとが出来ない性格なので、「○○にはないしょだよ!」と言い含めると「あのね、ないしょなんだけどね…」と光の速さで情報開示することが専らです。

長女次女も多分隠しごとは出来ないかなー?と思って実験してみたところ、これがなかなか頑張りまして。奥様が「今日はなにしてきたのー?」と言っても、「お砂場とー、ターザンとー、あとは、えーと、ないしょ!」 「お風呂入らないのー?」と聞いてみても、「えーと、きょうはちょっと、はいらない気分なの!」など、まあニヤニヤしつつではあったので傍から見るとバレバレなのですが、それでも4歳児にしてはかなりの口の堅さを発揮していました。

これはやはり女の子だから精神的発達が早いということもあるのでしょうが、あとは長女と次女は双子なので、お互いと秘密の共有が出来るというのも大きいのかなーと。話したくなったらお互いに話せばいいわけですからね。もうちょっと大きくなったら色々と内緒ごとも増えていくのかなあ。

お互い「ないしょだよ!」「ないしょだからね!」と言い合っている光景は大変に可愛かったですし、今後とも健やかな関係を築いていってほしいなーと思う次第です。


取り敢えずそれくらい。


posted by しんざき at 11:32 | Comment(1) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年09月05日

今日のしんざきが、西新井のギャラクシティに行ってきた話 16/09/05

めっちゃ楽しかったです。


ということで、以前から一度行きたい行きたいと思っていた、西新井の複合体験型施設「ギャラクシティ」にいってきました。


長男、9歳。小学三年生。長女と次女は4歳の双子で、どちらも幼稚園年中。

結構遠出だったのと、午前中長男のサッカーがありましたので、若干遅めの時間に行くことになり、堪能しつくせたかというと難しいところでしたが、全体としては非常に楽しめまして、子どもたちもみんなきゃっきゃ言って喜んでました。日記も兼ねて、遊んだ施設を簡単にご紹介してみます。写真多めです。

○スペースあすれちっく

まず、なんといっても巨大ネット遊具「スペースあすれちっく」。半分はこれが目当てで来館したようなもんです。


巨大なぶち抜きのスペースに、三層構造のネットの遊具が張り巡らされているような物凄い施設でして、この中を縦横無尽に遊びまわることが出来ます。30分ごとの入れ替え制になっていまして、小学生だけが遊べる小学生タイムと、小さい子でも遊べるファミリータイムが交互に来ます。完全入れ替え制だけに、一回一回はそこまで混んでもおらず、並べばちゃんと遊べる感じ。

ネットは各階層ごと、狭いトンネルのような通路を抜けて行き来出来る構造になっています。大人でも靴下着用が必須で、スカートは不可です。


やはりというか、ここはもう長男が大喜びでして、30分間ずーっと駆け回っていました。なにせネットが丈夫なだけに、動き回ると結構足が痛い。大人の体重が不利になる遊具ということで、すばしっこい長男と追いかけっこをしていたんですが、とうとう一回も捕まえられず。完敗でした。長女次女は、主に奥様と一緒にゆらゆらネットを楽しんでいた由。


長男は小学生タイムとファミリ―タイム、2回も遊んでご満悦。流石にちょっと足が痛かったらしいです。大人組はかなり序盤でバテてしまう人が多いようで、最下層のハンモックみたいなところで寝転がっている人が多かった印象です。


○ちびっこガーデン

こちらは幼児限定の施設で、主にスペースあすれちっくの待ち時間に、長女次女が遊んでいました。ここだけで大きな児童館くらいの遊び場がありまして、大量のぬいぐるみ、絵本、おままごとスペースの他に、小規模なクライミングウォールのようなものもありました。

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真剣な顔でぬいぐるみを使った「おうちごっこ」(要はおままごと)に興じる長女次女。周囲が柔らかいクッションに覆われているので多少走っても安心です。


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こちらはちびっこ壁登りに挑戦する次女。子どもボルダリングは何回かやっているので慣れたもの、かと思ったらそうでもなかったらしく、一番上から降りられなくてひーんと泣きながら抱っこを要求してきたりしていました。


○クライミングぱーく

こちらは、上記の壁登りよりだいぶ本格的な、ちょうどボルダリングのような施設。私が行った時は整理券制でして、「1エリアにつき、必ず親と子どもが1対1で登ってください」という形式でした。親は後ろから子どものフォロー必須。

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一応、長女次女も私と奥様の交代制で見られましたので、一通りは登ることにチャレンジ出来たんですが、やはりここは小学生以上を想定した遊び場のようで、同じく長男が一番楽しんでいた感じでした。

こちらでは命綱を使わない遊び方だけなんですが、入り口側には高さ7メートルくらいの「がんばるウォール」もありまして、そちらは命綱付きの本格ボルダリング。この日は整理券切れで出来ませんでした。


○プラネタリウム

「まるちたいけんドーム」のプラネタリウム。昔ながらのプラネタリウムという感じですが、寝転がって見れる桟敷席などもありまして、一家でごろんと寝ながらプラネタリウムを鑑賞できました。長女次女はプラネタリウム初体験で、「おほしさまきれいだったねーー!!」と大興奮。

ここだけ有料施設で、大人500円、こども100円のチケットが必要になります。というか、ここ以外は全館無料なんですよねこの施設。。。凄まじいコストパフォーマンスだと思います。

今回は初心者向けの観のある「今夜の星空解説」を見たのですが、他にも映像番組が色々あるようで、長男は「今度は恐竜大行進がみたい!」と主張していました。近々リベンジにいこうと思います。


今回主に遊べたのは上記の4施設なんですが、他にもモノづくりのアトラクションあり、床に自由に落書きできるアトラクションあり、料理体験のアトラクションもありと、超絶遊びでがありそうでした。足立区の人いいなあ!!と羨望すら感じさせます。もうちょっと近所にこういう施設があればなー。

何はともあれ、子どもたちの評判も上々でしたので、また近いうち遊びにいこうかと思っております。

今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 12:37 | Comment(3) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年07月23日

私信・そば邸についてのお話

下記は、いつもtwitterでお世話になっている方への私信です。

人様のご家庭の話ですので、無責任なことも言えないなと思ってしばらく迷っていたのですが、ちょっとだけ書かせていただきます。どうぞお聞き流しください。

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posted by しんざき at 21:10 | Comment(2) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月01日

双子の「ないしょ話」、あるいは双子が描いた絵を観て、つくづく双子って面白いなーと思った件について。


大した話ではないです。


長女、次女、共に4歳。12月で5歳になる予定。毎晩元気いっぱいでお布団の上を駆け回り転がりまわり、パパに絵本をたたきつけて「これよんで!!」と要求する、元気いっぱいの双子です。最近だいぶひらがなが読めるようになりまして、一緒に散歩すると道端の看板のひらがな部分を大声で読み上げます。


ちょっと前の話なんですが、長女が次女の耳に口元を寄せて、ニコニコしながら「ないしょ話」をしているのを見た時、軽い衝撃を受けたことがありました。


あの感覚は、少し説明が難しいのですが。ああ、この二人は、ちゃんと「姉妹」あるいは「友達」としての関係を築いているんだなあ、という感慨、とでも言うのでしょうか。


私、多分、心のどこかで双子のことを「ひとつのユニット」みたいな認識してたところ、あると思うんです。

生まれる前から二人連れ。生まれた後も、ほぼ24時間一緒にいて、自分が遊んでいるおもちゃがたまに目の前からなくなるなーという、一種の自然現象みたいな認識をしていたところから、徐々にお互いを認識していく。

人生を始めたその瞬間から、自分と完全に同格の誰かが自分のすぐそばにいる感覚って、どんなものなんだろう。私は、ずっとそう思っていました。


だから、今のところこの二人が、それぞれちょっとずつ違う道を歩みつつも、ちょっと内緒で話したいことをひそひそお話しているのを見て、きちんと「一人ひとりの人間」として、二人の間の人間関係を構築しているんだなあ、と。多分そういうところに、私は感じ入ったのだと思います。



最近、長女と次女は、幼稚園の後の「アトリエ」という時間で絵を描いているそうです。いつも、「パパみてーー!」と私に感想を求めにきてくれます。

下の絵は、そんな中の一枚。モデルは家族の面々のようです。
長女・次女が描いた家族の絵を見てると、あまり遠くない内に私の画力に追い付かれるのではないかという危機感を覚える

左が長女の絵、右が次女の絵です。

こうしてみると、絵の描き方ひとつとっても、双子間でぜんっぜん違うもんだなあ、と。長女の絵は、比較的しっかりと輪郭をとり、手足を描き、その中をきちんと塗る、という意識が見られます。次女の絵は、輪郭や形というよりは、色のイメージで全体を捉えているように思え、かなり全体をダイナミックに使っています。

ちなみに、長女の絵の左から二番目に描いてある、めちゃくちゃノリノリな赤い服の女の子が次女らしいです。長女から見て、次女が相当自由奔放に映っているのだろうということが想像できます。(実際、どちらかというと慎重派でお姉ちゃんっぽいのが長女、どちらかというと無謀派で万事積極的なのが次女です)

長男は「こどもリーダー」として長女・次女の面倒を見てくれていますので、わりと明確に立場が上です。なので、長女・次女という同格な二人の間の力関係や、お互いに対するイメージ、印象、触れ方というのは、個人的に非常に興味深いテーマなのです。


ちなみに私の画力は表現力の欠如においてかなりの高スコアをたたき出しており、そろそろ長女次女には絵の腕前で抜かれるかも知れないという懸念を拭い去れない訳ですが、まあ父を越えていってくれることはいいことだと思います。

今後とも、仲良く育っていってくれればいいなあ、と思います。



特に結論もなく、今日書きたいことはそれくらい。



posted by しんざき at 18:13 | Comment(2) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年05月16日

謝ることを「子どもに弱みを見せる」と認識するお父さんについて


いや、全然大した話ではないんです。むしろちょっとした話です。


同僚ではありませんが、職場絡みの知人がいます。仮に、彼のことをAさんとします。

そこまで付き合いが深い訳ではないんですが、物腰は丁寧な人で、だいぶ年下の私にも穏やかに話され、悪い印象を感じたことはありませんでした。

先日、会社絡みのイベントで彼と同席する機会がありました。家族連れのボーリングのイベントでして、Aさんのご子息も同席していました。

2ゲームが終わって、次の会場に移動しようとしている時のことだったと思います。集団が移動する場面だったので、周囲は人波でかなりごちゃごちゃしていました。


Aさんが、隣でボーリングをしていた他の団体の人に、通りすがりにちょっと強めにぶつかりました。


子どもと一緒に歩いて、よそ見をしていたAさんの不注意でぶつかったように見えました。とはいえ、別にそこまでおおげさな話ではなく、満員電車で手と手がぶつかる程度の、「あ、すいません」で済む程度の接触ではあります。私も、たまたま近くにいなければ、気づきもしない程度の接触だったと思います。

あれ、ちょっとおかしいな、と思ったのは、Aさんが「すいません」の一言もなく、じろっと接触相手を睨んだ、ように見えたところです。

相手の表情は私の側からは見えませんでした。ただ、若干雰囲気がおかしくなったようには見えました。といっても、特にトラブルや口論がある訳でもなく、相手はすぐに足早に離れ、Aさんもまた歩き出しました。

位置関係から、私はAさんと並んで歩くことになり、気になったのでちょっと聞いてみました。「さっき、隣のお客さんと何かあったんですか?なんかにらみ合ってたみたいに見えましたけど」

この時のAさんの答えが記憶に残ってます。


「いや、ぼくからぶつかっちゃったんだけどね。子どもの前で弱み見せる訳にもいかないから」

えっ。

と思いました。私の感覚から、余りにかけ離れていたからです。


どうも彼は、「他人に謝る」という姿を子どもに見せることを、「弱みを見せる」と認識している、ようでした。もっというと、「弱みを見せる」ことが、「父親の権威に関わる」と考えているのかもしれませんでした。

さして深い付き合いの人でもないので深くは突っ込みませんでしたが、別にこの人、普段は居丈高でもなんでもなく、むしろ丁寧な人なのです。少なくとも、仕事上の人間関係で「謝る = 弱みを見せる」と考えて非を認められないような人ではないので、恐らく「子供の前」ということが、彼の態度に大きく影響しているのだろう、とは思いました。



この人は、多分三つ、私とは大きくかけ離れた考え方をしているように思いました。


「悪いことをしたらごめんなさいといいましょう」と子どもに教えているのに、親がそれを実践できなくてどうすんだろう、ということ。

「ちゃんと謝る」ということで失墜するようなものが父親の権威であるとすれば、私はそんなものは要らないなあ、ということ。

子どもに見せるべきではない「弱み」があるとしたら、それは「他人に謝っている姿」ではなく、「自分の非を認めることが出来ない度量の狭さ」の方ではないかなあ、ということ。



もちろん、AさんにはAさんなりの「強い父親」像があるのだと思います。そして、その「強い父親」は、簡単に人に頭を下げないような父親なのかもしれません。

Aさんに限らず、「子どもの前だと態度が変わる」お父さん、というのは昔からあんまり珍しくないようにも思います。最近の私の周囲にはあまり観測できませんでしたが、例えば私が子どもの頃、大人同士で話している時と、子どもたちに話している時で、随分印象が違うなあ、と思ったことはしばしばありました。


どうなんでしょう。確かに、子どもは「強いお父さん」「頼もしいお父さん」に憧れるし、尊敬する部分はあるのでしょう。けれど、それは少なくとも、自分が多少なりと迷惑をかけた相手に、「あ、すいません」の一言をかけない、ということで発揮されるようなものではない。少なくとも私はそう思うのです。


つい最近、私は長女次女を前後に乗せた自転車で狭い道を走っていて、歩行者の横を通り過ぎる時、距離が近くて接触しそうになったので「あ、すいませーん」といいました。その時長女が、「パパ、いま、なんですいませんしたの?」と聞いてきたのです。「ぶつかるかも知れなかったからだよ」と答えながら、上のような話を思い出しました。


ぶつかる、ぶつからない程度のことなら大した話ではないですが。いろんな人に対して丁寧な姿を、自分の子どもにこそ見て欲しいなあ、と思っています。


今日書きたいことはそれくらい。
posted by しんざき at 20:12 | Comment(2) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月29日

子どもに「公平さ」を感じてもらうことがあまりにも重要過ぎる


子どもって、小さな頃から、「公平さ」というものに凄く敏感なような気がしています。


「○○ちゃんがやっている楽しそうなこと」を、自分も出来れば、公平。自分は我慢させられたら、不公平。

「自分がやらされる、あまり楽しくないこと」を、○○ちゃんもやっていれば、公平。自分だけがやらされたら、不公平。


「○○ちゃんがうらやましい」「○○ちゃんがずるい」という感情、要するに不公平さを不満に思う感情って、子どもの成長の凄く早い段階から現れるんですよね。勿論、「公平」「不公平」っていう言葉を知っている訳じゃないんですが、その感じ方自体は、下手すると言葉を覚えていない段階から発現したりする。

これ、しんざき家は下の子が双子だったからより一層わかりやすかったと思うんですけど、長女がやっている楽しそうなことは、次女も絶対にやりたがりますし、出来ないととても不満になります。逆もまたしかり。「不公平であること」は、子どもの心に凄く不満を残しやすい、というのは、8年程育児をしてきてすごく実感できるところです。

一方、たとえイヤなことであっても、「○○ちゃんはちゃんとやってるよ?」というと、ある程度ちゃんとやるんですよね。しんざき家の場合、長男を「こどもリーダー」という立場に任じてあるんですが、例えば長男がお片づけをしていて、「ほら、長男くんお片づけしてるよ?一緒にやろう」というと、割と素直に片づけを始めたりします。


こうして考えてみると、いろんな倫理的な概念の中で、子どもが一番早く理解・体得できるものって「公平」「不公平」ではないでしょうか。


「公平であること」は良いこと、満足出来ること。「公平でないこと」は良くないこと、不満であること。

子どもの心に理不尽感を残しながら育ててしまうのはどう考えてもよろしくないことなので、いろんな場面で、「○○ちゃんだけずるい」と思われないで済むように、随分心を砕いてきた、つもりではあります。


勿論、「どうしようもない理由があって起きてしまっている不公平」はあります。

例えば、お兄ちゃんだけジェットコースターに乗れるのは、ジェットコースターに身長制限があるから。例えば、次女だけお薬を飲まないといけないのは、熱を下げないといけないから。例えば、長女が片づけをしないといけないのは、自分で出したものは自分で片づけないといけないから。

そういう時も、可能な限りその「どうしようもない理由」がちゃんとしたものであれば、その理由を説明することで、ある程度納得感をもってもらうことはできている、ような気がします(時にはぎゃん泣きして止まらないこともありますが…)


「納得できない不公平」というものは、子どもの心を傷つけます。子どもの心の傷は、ものによっては大人になってからもずっと残ります。


で、これ、子ども同士だけの話ではなくって、親に対しても同じだと思うんですよね。たとえ親であっても、むしろ親だからこそ、子どもに「納得できない不公平感」を感じさせてはいけないと思うんです。


例えば、子どもに「約束を守りなさい」といっておきながら、自分は子どもとの約束を守らなかったり、であるとか。

例えば、子どもに「話をちゃんと聞きなさい」といっておきながら、自分は子どもの話を聞いていなかったり、であるとか。

例えば、子どもに「お行儀よくしなさい」といっておきながら、自分はマナーがめちゃくちゃであったり、であるとか。

例えば、子どもに「ぶつかっちゃったらごめんなさいでしょ?」といっておきながら、自分が子どもにぶつかっても謝らなかったり、であるとか。


ささいなこともありますが、そういう類の「正当な理由がない不公平」って、多分子どもの心をすごく傷つけやすいものだと思うんですよね。

親と子ども、大人と幼児って、勿論いろんな点が非対称ですから、なんでもかんでも公平に、とは当然いきませんが、少なくとも「自分が逆の立場だったら納得出来るかな?」という点については気を付けておかないといけない。


一方、子どもは、きちんと聞いてあげていれば、「その不公平はおかしいんじゃない?」というのをちゃんと指摘してくれます。

パパ、言ってることとやってることが違うよ、と。ぼくにはこういったのに、自分はそうしてないの、おかしくない?と。


子どもに痛いところを突かれる、って結構ぐさっとくることではありますが。そういう時にちゃんと、子どもの指摘を正当なものと認められるかどうか、ということこそが、親の度量であるような気がしています。そういう時にちゃんと子どもの話を聞く耳があれば、子どもはいろんなことを話してくれ続ける、ような気がしています。少なくとも、今のところはそれで上手くいっています。


その辺、今までも気を付けてきたつもりですが、この先、子どもがもっと生意気になってからも、より一層気を付けていかないとなー、と。

まあ、子どもに「お片づけ!」と言っておきながら、自分の片づけが出来ていないことだけは非常に頻繁にありますが…。


「パパも今!本棚の片づけが出来ていないが!それはそれとして今リビングのおもちゃは片づけなくてはならない!」とびっくりマーク多めで言ったら片づけてくれたこともありました。勢い重要です。


今後とも、親として精進していきたいと思います。


今日書きたいことはそれくらい。

posted by しんざき at 10:07 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月20日

長男(8歳)に、「自分を持ち上げようとするのはいいけど、セットで人を下げちゃダメ」と伝えたこと


いつものことですが、可視化するのにも意味があると思い、書いてみます。


最近長男は料理のお手伝いをすることがあり、近所の公民館でたまにやる子ども料理教室に行ったりもします。なんだか先日はラザニアの作り方を習ってきたそうで、どこまでの工程が彼の手によるものかわからないのですが、ちゃんと美味しいラザニアが出てきてびっくりしたりもしました。料理レベルにおける父親権威の失墜(カレーの作り方を毎回ぐぐるレベル)が危惧されます。

で、同じくどこまでの工程が長男工程なのかはちょっと分からないんですが、彼が「鳥のからあげ」を作ったことが2,3度あります。

私も食べたんですが、きちんとカラっと揚がっていて美味しく、ちゃんと作れるもんだなーと感心しました。どうも、この時私が「あ、美味しい」と褒めたのは、長男の中で結構残っているらしく、「ぼくのからあげはおいしい」という自信になっているようなのです。


それが何であれ、自信が蓄積されていくのは成長上良いことだと思うので問題はないのですが。


先日、家族で風呂に入っていた時の話です。何の拍子だったか、長男が、「ぼくのからあげ美味しいよね」という話を始めました。

以下、記憶便りなので会話のディテールは適当。


私「うん、美味しかった」

長男「皮もぱりっとあがってたよね」

私「うん」

長男「ママのからあげも、ぼくのに比べれば皮のぱりっとした感じが足りないね!


ん、と思いました。

長男が、普段、ママの料理を忌避しているとか、美味しく食べていない、ということはないのです。彼は、ママの作った唐揚げをばりばりと喜んで食べますし、「ママの料理は世界一だね!」という言葉も時折出てきます。

ただ、この時は、自分の「ぼくの唐揚げは美味しい」という自信を裏書きする為に、ちょっと調子に乗ってママの唐揚げを落としにかかっているな、と感じ、あんまりよろしくないなあ、と思いました。

TPOさえわきまえていれば、自慢が悪いことだとは思いません。自慢が過ぎると嫌がられることは勿論ありますが、まだ小学校くらいの内は、子ども同士自慢を戦わせることもコミュニケーションの内でしょう。自慢は、自意識を健全に育てる行為の一部でもあります。


けど、自慢に限らず、「何かを持ち上げる時に、セットで他の何かを下げる」のは良くないと思うのです。それは人に無条件で不快感を植え付ける論法ですし、無用に敵を増やすロジックでもあります。そして何より、「本来褒めたい何か」に余計なケチをつける行為でもある、と私は思うのです。

何かを持ち上げるのならば、「○○凄いね!」だけでいい。「○○凄いね!それにひきかえ××は」というのは、あんまり気持ちのいい言葉じゃない。

ほんのちょっとしたことなんですが、こういうちょっとしたタイミングでこそ、この辺を上手く伝えられないかなあ、と思いました。


確認から始めました。

私「んー、けど長男くん、ママの唐揚げも美味しいだろ?ママの唐揚げ大好きだろ?」

長男「うん、けど、ぼくのこの前の唐揚げに比べれば」

私「長男くん。長男くんの唐揚げは確かに美味しかったけどさ、セットでママの唐揚げを落とすのはよくない」

長男「うーん?」

私「長男くんの唐揚げは美味しい、けどママの唐揚げも美味しい、でいいじゃない?長男くんの唐揚げ美味しい、ママの唐揚げそれに比べれば美味しくない、ってことにしたら、ママ悲しくなっちゃうし、長男くんが「ママのからあげ美味しい」っていつも言ってるのとも嘘になっちゃうよ」

長男「美味しくない、ってことじゃないんだけど、皮のあがり方の話だから」

私「長男くんはさ、「自分の唐揚げの皮はパリっとしてる!」ってことが言いたいんだろ?」

長男「うん」

私「パリっとしてる!って言いたいなら、「他の唐揚げがパリっとしてない」ってことをセットで言う必要はないんじゃないかな。自分を持ち上げる時に、他の誰かを下げようとするのは、自分に自信がないみたいであんまりかっこよくないよ」

長男「能あるたかはつめをかくす、ってこと?」

私「ちょっと違うかな。爪を隠さなくってもいい。けど、自分の爪を見せる時に、他人の爪をバカにする鷹はかっこよくないだろ?」

長男「うん、うん」

私「自慢するのは悪いことじゃない。やり過ぎないくらいにどんどん自慢していいと思うんだけど、その時、他の誰かを落とそうとするのはやめた方がいいかもね」


そんな話をした、と思います。


もともと、長男的には、本来ママの唐揚げを落とそうという、明確な意図はなかったと思うんです。単純に、自分の腕前を子ども的に自慢したかっただけ。ただ、そういう時に、無意識的にせよ、他のものを相対的に下げようとするのは、避けられるものなら避けた方がいいんじゃないかなあと思った為、上のような話をしました。

上の話だけでどうということではないんですが、こういう話が少しずつでも長男の心に残ってくれればいいなあ、と思っています。


今日書きたいことはそれくらい。

posted by しんざき at 19:18 | Comment(3) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年04月06日

長男にお勧めしている本について・今までの変遷と打率


これパパは面白かったよ、と、長男に本を勧めることがあります。


長男、8歳。四月から小学三年生。読書好きに育っています。

日ごろから、「面白いと思うかどうかは人によって違う」「無理して読むことはない、自分が面白いと思った本だけ読めばいい」と言っておりますので、長男が何を読むかは基本本人任せにしています。なにやら図書館から色々借りてきているようで、漫画でも雑誌でも、好きなもん読みゃーいいです。


ただ、時折「私にとって面白かった本」を紹介すると、長男にすげーヒットすることがあります。「パパが好きな本、おもしろいねー!!」と言ってくれるのは私にとってもうれしいので、「途中でつまんなかったら別にやめてもいい」といいつつ、今まで何冊か本を勧めてみました。

また、彼自身、ちょっと背伸びした本を読んでみたりもしており、その感想も聞いてみてました。


どんな本がヒットして、どんな本はいまいちだったのか、ちょっと記録していってみようと思います。


○「だれも知らない小さな国」シリーズ

結果:大ヒット。

定番のコロボックルシリーズ。

幼稚園くらいの頃に読み聞かせをしてあげたことはあったのですが、本が読めるようになってから自分でも熱心に読み出しました。私も大好きなシリーズなので、長男と趣味があったのは大変うれしいところです。

特に一巻の「小さな国」と二巻の「豆つぶほどの小さな犬」は大のお気に入りになったらしく、今でも枕元に「小さな国」が置いてありますし、「パパはコロボックルシリーズで誰が一番好き!?」とか聞かれることもあります。彼的には一番好きなのは風の子らしいです。私はフエフキかなあ。



○「十五少年漂流記」

結果:大ヒット。

やはり、「少年たちだけが無人島で生活する」というテーマは、男の子的には鉄板だったようです。絶対気に入るだろうと思いましたが、予想通りハマりました。一時期はかなり熱心に読んでいたようです。

スルギ号の物資を確認する辺りとか、男の子回路がくすぐられない訳がないですよね。ドニファンが改心する辺りとかお気に入りのようで、何度も繰り返して読んでいました。

その内「二年間の休暇」も読ませてあげたいと思っています。



○「エーミールと探偵たち」

結果:いまひとつ。

私は大好きな作品なのですが、残念ながらいまひとつでした。どうも、彼にとっては事件が起きるまでの導入部分が長すぎたようです。

「十枚の絵が説明する」もケストナー節で軽妙なのですが、もうちょっと大きくなってからの方がよかったろうか。その内「飛ぶ教室」辺りでリベンジしたいです。


○「ルドルフとイッパイアッテナ」

結果:かなりのヒット。

「ルドルフともだちひとりだち」を含め、大変気に入ってくれました。ちょうどタイミングよく映画化されるので、今から「映画も観たい!」と主張しています。猫から見た人間世界の描写がツボだったらしく、ちょこちょこ笑い声をあげていました。

ご存知の通り、「ともだちひとりだち」のエンディングはちょっと寂しさをはらんだものなのですが、そこも心に残ったようです。「いくねこくるねこ」は私も読んだことがないので、近々買ってあげて、自分でも読んでみようと思っている次第。




○「そして誰もいなくなった」

結果:まだこれから。

いや、これ実はまだお勧めする気はなかったんですが。長男が子供向けにアレンジされた「オリエント急行殺人事件」を読み始めまして、パパこれ読んだ?と聞かれました。

私:「読んだよー。推理小説の名作中の名作」

長男:「パパはこれ好き?」

私:「好きだけど、パパは「そして誰もいなくなった」の方がもっと好きかなあ」

長男:「どんな話?」

というのでさわりだけ話してあげたら、

長男「読んでみたい!読んでみたい!!」

と地団太を踏み始めました。どわー。

「そして誰もいなくなった」は児童書版とか存在しないので、正直8歳には難しいんじゃないかと思うところもあります。まあ難しくてつまんなかったら別に途中でやめりゃいいんですが、折角の名作を「難しかった」という印象だけにしてほしくないなあ、と思う部分もあり。若干悩み中です。

まあ、さわりだけ読んでみて、難しそうだったらもうちょっと語彙が増えてから読むようにする、というのもありかなあ。

ちなみに、オリエント急行殺人事件はまだ読んでいる途中ですが、彼的にはいまひとつヒットしている様子がありません。まあ、途中の展開は地味だからなあアレ。


○「宇宙戦争」

結果:ヒット。

これは私が勧めたわけではなかったと思うのですが、青い鳥文庫版を図書館で借りてきて読んでました。気に入ったようです。結構描写がエグかった記憶があったのですが、私もぺら読みした感じ、その辺はだいぶマイルドにアレンジされている様子。

宇宙戦争は、正面から戦って打ち勝つ形式になっていないので、男の子的には微妙かなーと思っていたのですが、「まさかあんな展開になるとはおもわなかったなーー!!」と感心していました。


○「ロミオとジュリエット」

結果:空振り三振。

いや、これも自分で図書館から借りてきたみたいなんですが、そもそもなんでロミオとジュリエットだったのかよくわかりません…女の子ならまだ響くところがあるかも知れないけどなあ。



○今後の予定

「そして誰もいなくなった」をどうするかはまだ考え中なのですが、ミヒャエル・エンデについてはそろそろお勧めしてもいいかなーと思っています。「はてしない物語」は是非ハードカバー版を読ませたい。「モモ」もいいですね。

あと、「マガーク少年探偵団」シリーズは多分気に入るんじゃないかなあと思っていますので、その内勧めてみようと思ってます。ゲド戦記も同様。ドリトル先生シリーズも勧めてもいいかなー。

中学生くらいになったら、ホーガンの「星を継ぐもの」やカードの「エンダーのゲーム」「死者の代弁者」辺りは是非勧めてみたい。面白いと思ってくれるといいなあ。



と、今日書きたいことはそれくらい。

posted by しんざき at 11:52 | Comment(5) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年03月30日

しんざき家寝付かせ時の会話・ないし女児向けのお話の引き出しが少ないというお話

奥様と二人で長女と次女の寝付かせをしていたところ、「おはなし!おはなしして!」とせがまれました。


電車好きの長男には、昔からよく「総武線のそうちゃん」のお話をしていました。

擬人化した総武線の話であって、内容は基本的に機関車トーマスをもうちょっと明後日の方向にぶっ飛ばしたりロボットに変形して宇宙に行ってグリプス戦役を戦ったりする話なのですが、なぜ総武線だったのかは既に全く覚えていません。

まあ、そうちゃんの話をすると長男はきゃっきゃ喜んでいたので、この時もそうちゃんの話をすることにしました。

すると、奥様からダメ出しが入りました。


私「こうしてそうちゃんが突如脱線して吉祥寺から渋谷へ」

奥様「そうちゃんは電車移動がメインで、電車好きの男児向けのお話だから、もうちょっと女の子向けに話を盛ろう」

私「女の子向けとは一体」

奥様「ほら、お姫様になったりとか、王子様が迎えに来たりとか」

私「なるほど。こうしてお姫様になったそうちゃんは」

奥様「一度そうちゃんから離れよう」

私「昔むかしあるお城に、長女ちゃん姫と次女ちゃん姫がいました」

奥様「その調子その調子」

私「その時南西の方角から砂煙が上がり、敵軍がやってきました」

奥様「何故戦いになるのか」

私「長女ちゃん次女ちゃんは槍をとり、敵軍をばったばったとなぎ倒し」

奥様「せめて魔法のステッキで戦うとかにしようよ。魔法少女に変身するとか」

私「魔法のステッキで敵を順番に刺突していきました。まさに三国無双」

奥様「魔法で戦え」

私「バイキルトとか?」

奥様「物理攻撃から離れようか」


恐るべき引き出しの狭さなわけです。いや、なんだかんだで長女次女はきゃっきゃ喜んでいたのでまあいいような気もしないではないんですが。

おそらく、世間一般的には少女漫画等の引き出しから女児が喜ぶ話をラーニングすることになるのだと思うのですが、私が知っている少女漫画はせいぜい月刊少女野アくんくらいのものなので、どんなお話をすれば女児が喜ぶのかさっぱり分からないわけです。赤兎馬に乗った王子様が1000人くらいの敵軍相手に無双すればいいんでしょうか?

どなたか詳しい方、女児が喜ぶ話をご教示ください。よろしくお願いいたします。


posted by しんざき at 23:07 | Comment(3) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月12日

親は、子どもを「支配」するのではなく「教育」しなくてはいけない



選択肢を与えるのが「教育」で、選択肢を奪うのが「支配」だと思っています。


子どもが約束を破ったので子どものゲーム機を壊して云々、みたいな話を観測しました。

まず大前提として、教育方針は家庭それぞれであって、ほんの一部分しか知らない外野が一概に否定の言葉を投げつけるのはよろしくないと思います。子どもはそれぞれであって、親もそれぞれです。家庭の事情は家庭の数だけあります。

なので、件の家庭内方針について意見をいう気はありません。ただ、子どもにゲームをやらせているという意味では、時間を区切ってスプラトゥーンを遊んでいるしんざき家でもタイムリーな話であって、うちならどうするかなーということでちょっと考えてみました。

なので、以下の話は「飽くまでしんざき家の子どもたちに対する話」であって、一般化する意図は全くない、ということをご承知おきください。


で。私は、「選択肢を広げるのが教育」だと思っています。

子どもに、自ら選択出来るキャパシティを広げてあげる。自分の意志で何かを選び取った、という経験をさせてあげる。そういう経験こそが教育であって、そういう教育が将来、自分で色んなことを選び取ることが出来る大人を育てるんじゃないかなあ、と、少なくとも私は思います。


そう考えると、親が「何かの選択肢を潰す」というのは、これは多分あまりよろしくない。「子どもが、ある方向に向かわざるを得なくする」というのは、それは多分支配であって、教育ではない。親に支配された時、子どもが将来何かを選び取ることが出来る大人になれるのかどうか、私にはいまいち分からないのです。


だから、たとえ大人がどちらかに誘導するにしても、少なくとも子どもの体験としては「自分で納得してこちらを選んだ」という方を選びたいのです。少なくともしんざき家はそうです。


「楽しいことを自分から我慢して、他の大事なこともする」というのと、「楽しいことを無理やり我慢させられて、他の大事なこともする」だったら、多分前者がいい。そういう風に出来る子に育てるにはどうすればいいかを親は考えないといけないなあ、と思うわけなんです。


「子どもを叱らない、全て子どもの好きなようにさせる」という意味じゃありませんよ。


例えば、楽しいこともいいけれど、こっちのことももっと楽しいことにつながっているんだよ、と言葉を尽くして説明する、とか。

例えば、TPOというものの重要性を言い聞かせるとか。

そういう、子どもにとっては耳障りがよくない言葉でも、ちゃんと聞いてくれる関係性は、例えば子どもの話をきちんと聞くことで構築できるんじゃないかなー、とか。最後に自分から納得して選び取るという判断は、きちんと待ってあげることで身に着けることが出来るんじゃないかなー、とか。

そういうことを、日々考えて実行しています。


勿論、これはしんざき家での話であって、例えば「何かを我慢する」ということがどうしても出来ない子っていますし、そういう場合にはある程度強制することが、結果的に「選択肢を広げる」つまり教育になることだってあるでしょう。


大事なのは、「これは教育なのか、支配になってはいないか」ということを、親がよく考えて実行に移すことなんじゃないかなー、と、そう思うわけです。


あとまあ、単純に私は「物を大事にして欲しい」と思うし、物を大事にしていないところを子どもに見せたくはないので、私なら子どもの物を壊したりはしないと思いますが。結局、子どもって親がすることを見て育つので、親が本好きだったら本好きに育つし、親が物を大事にしてたら大事にする、と思うんですよね。



何はともあれ、しんざき家では子どもにゲームもさせるし漫画も読ませるし、けどちゃんとメリハリはついて納得の元切り替えが出来るように伝えるし、ロマンシアは絶対に自分の手だけで攻略させようと思っています、といったらロマンシアを子どもに与えるのは虐待ではないかという指摘がありました。そうですね。けどノーヒントドルアーガも大概だと思います。


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 23:06 | Comment(1) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

長男に教えられた、「元気な時は遠くを見て、疲れてきたら近くを見る」という話


少し前、長男(8歳)と一緒に「リアル宝さがし」のイベントで町中を歩いている時、彼とこんな話をしました。

以下、会話は記憶頼りなので、細部はかなり適当。


長男「結構歩くねー」

私「歩くねー」

長男「歩いている時にさ」

私「うん?」

長男「元気な時は遠くを見て、疲れてきたら近くを見るといいんだって」

私「ん?いいんだって、って誰かに聞いたの?」

長男「えーと、どうだっけ?そうかも。自分で思ったんだったかも」

私「けど、どうして?遠くを見ると目にいいってパパが言ってるから?」

長男「うーんとね。遠くの物は、歩いててもなかなか近づいてこないでしょ」

私「そうだね」

長男「近くの物は、歩いててもすぐ通り過ぎるでしょ?」

私「うん」

長男「だからね、元気な時は遠くを見てれば、どっちに行けばいいか間違えないし、疲れてきたら近くを見れば、こんなに進んでるーあとちょっとだーってなると思うの」

私「なるほどなあ」


感心しましたし、結構汎用的な話だと思うんです。

長男自身、どこかで聞いたのかそうでないのかあやふやな話らしいので、既出話かもとは思うのですが。


疲弊してきた時には、手近な達成感がモチベーション維持の為に案外重要になる」というのは、普遍的な話です。

疲れてきたら、近くを見る。景色が次から次へ流れていく。これだけ進んでいるんだ!という達成感が沸く。人間、なんだかんだで「どれだけ進んでいるか」を具体的に感じられると、結構頑張れるものです。

例えば仕事をしている時も、疲弊して頭がごちゃごちゃしてきた時こそ、タスクを小分けにして、とにかく手近なところから片づけていく。それによってピンチが乗り切れること、全然珍しくありません。


一方で、大事なのは「元気な間は、遠くを見続けていること」だと思うんですよね。


余力は十分にあるけれどまだ目標達成までに距離が遠い、という時、警戒するべきなのは具体的なゴールを見失うことです。システム開発で言えば、要件の拡散・非具体化、曖昧なゴール設定、目標管理の失敗などがこれにあたります。

疲れた時に近くしか見えなくなったとしても、多少余裕が出来た時点で、もう一度遠くに目を戻すようにするのって、案外抜け勝ちだと思うんですよ。疲れた時のテンションのままでいろんなことをやってしまった時、ふと気づいたらちょっと道がずれていた、ってこと意外とあるんですよね。

元気なうちこそ、きちんとしたゴールを見据えて、そちらへのルートを見失わないようにする。これ大事。


で、「疲れた時に近くを見る」だけではなく、「元気な時は遠くを見ておく」という部分を省略しなかった長男は、身内褒めで恐縮ですが、結構大事な部分がわかっているなーと感心した次第なのです。まあ、本人に今聞いてみたら、「そんなこと言ったっけ?」と言われるかもしれませんが。


大事な部分がわかっているかどうか、という点では、大人も子供も案外変わりません。時には父親である私が、子どもたちから何かを教えられることもあります。


私が知っていることを、子どもに伝える。けどそれと同じくらいに、子どもから教えてもらえる部分については、子どもから受け取る。

そうやって、今後とも、親子関係を営んでいければいいなあと思っています。


今日書きたいことはそれくらい。

posted by しんざき at 11:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月02日

家庭の問題も、「何よりもまず可視化から」だと思うんですよ。



「思ったことは、思ってるだけじゃなくて、ちゃんとお話しようね」がしんざき家の家訓になりつつあります。


ちょっと前ですが、こんな記事を読みました。

ケンタロウの唐揚げレシピで我ながら上出来だわー旨いなこれーって思ったし、子供は揚がるそばからつまみ食いしていくし、喜んでいるように見えた。
でもいざ晩御飯の皿に入れようとすると「いらない、美味しくない、お弁当にもいらない、オリジンの唐揚げが欲しいのにもう作らないで」と言い出した。
なんかもう、何が悪いのか知らないけど、衣は市販品より薄いけど味が特別劣っているとも思わないのに、心がメキメキ折れる音が聞こえたし、我が家で唐揚げが作られることはもうないだろう、悲しい。

この増田のご家庭や教育方針に口出しするつもりは全くないです。仮にしんざき家でこういうことが起きたら私や奥様はどうするかなー?と思ったので、ちょっと書いてみます。


1.親からも、「自分がその言葉で傷ついた」ということをきちんとお話する

当たり前のことなんですが、人間、傷ついたり衝撃を受けたりすると、感情的になるか、あるいは内にこもらせてしまいがりです。

どんな人間関係でもそうなんですが、「察してもらう」というのは基本的に無理ゲーだと、少なくとも私は考えています。人間はエスパーではありませんので、人が何を考えているかを読めません。当然、「自分が何を考えているか分かって欲しい」というのも非常に分が悪い賭けです。


思いは、言葉にしないといけません。そして、言葉はきちんと伝わる形にしないといけません。


怒っている時、怒りをしまいこんで相手に気付かせようとするのは、大変効率が良くありません。かといって、感情的に怒鳴り散らすだけでも、「なんか怒っている」ということは伝えることができても、一番肝心な「どうして自分は怒っているのか」ということを、特に子ども相手には伝えられない場合があります。


となると。子どもの言葉で何かに傷ついたとしたら、まずは冷静に、「自分は、何故、どういう点で傷ついたのか」ということを子どもに説明してあげるところからはじめるべきじゃないかなー、と思います。

言葉は怖いものです。時には人を喜ばせ、感動させることができますが、時には人を大きく大きく傷つけ、場合によっては病や死に追い込むことすら出来ます。言葉の怖さというものは、「君の言葉で、私はこんなに傷ついたんだよ」ということを伝えてあげないと学ぶことが出来ません。


言葉にしないといけない。不安を、不満を、感謝を、好意を、ねぎらいを。言葉にしないと伝わらない。


これ、子ども相手に限りません。夫婦間含め、どんな場合でもそうだと思います。そして当然のことながら、「傷ついた理由、怒った理由を話す」というのは、一方通行ではいけません。相手からも、いつでも、傷ついた理由、怒った理由を真剣に聞いてあげなくてはいけません。小さな子ども相手でも何にも異なりません。


こういった「不満や不安や感謝やねぎらいを、するっと言葉にして相手に伝えることができる人間関係」を、日頃から築いておくというのが大事だと思うんです。


しんざき家では、とにかく「ちゃんと言葉にしよう」というのを、奥様にも、子どもたちにも口すっぱく言っています。特に子どもは感情を上手くコントロールすることができないので、言葉にするにもエラい時間がかかることがあります。そういう時は、とにかく待つなり、じーーっと抱っこするなり、割と辛抱が要ります。ただ、教育の成果なのか、最近はちょっと時間が経てば、自分の感情をだいぶ上手く言語化できるようになってきました。


基本的に、子どもの言葉をきちんと聞いていれば、子どもも結構真剣に大人の思い、大人の言葉を聞いてくれるようになる、ような気がしています。勿論色んなケースがあるとは思いますが。

ちなみに、矛盾するようですが、「察する能力」というのはそれはそれで、あるに越したことはないとは思います。ただ、「察する能力」というものは、「察する練習」からではなく、きちんとしたコミュニケーションあってこそ身に付くものだと私は考えていますので、上記のスタンスが「察する練習を奪っている」とは私は考えていません。


2.普段、「料理は作ってくれた人からのプレゼント」という言葉を教え込んでみる

ちょっと元URLを失念したんですが、ちょっと前に、どなたかのブログで「料理は作ってくれた人からのプレゼント」ということを教えてあげたら、子どもが残さず食べるようになった、というような内容の記事を読みました。

これしんざき家でも、料理を残すことが多い長女次女に教えてみたんです。「ご飯はママが作ってくれたプレゼントなんだよー。長女ちゃん、自分がプレゼントあげたのに、いらなーいって言われたらイヤでしょ?」と。これ、本人的にかーなーりー刺さったらしく、以降相当頑張ってご飯食べるようになりました。次女なんかは、時折「ままのぷれぜんとだよね!」という言葉も言うようになりました。余程胸に残ったんだと思います。

4歳になるかならないか、くらいでした。「プレゼントをあげる」という概念を身に着けたばかり、という時期も良かったと思います。これが、例えば小学校に上がった後であれば、あそこまで刺さらなかったかも知れません。勿論刺さる子もいれば刺さらない子もいるでしょうが、素敵な概念なので広まるといいと思います。


何はともあれ、ご飯は大事だし、ご飯を作ってくれた人に感謝をするのは更に大事なことなので、今後ともことあるごとに教え込んでいきたいと思います。


以上、「しんざき家でもし同じようなことが起きたらどうするかなー?」というだけの記事でした。

以下は関連エントリー。


感謝を、労いを、好意を、親愛を、不安を、不満を、言葉にしなくてはいけない

仕事でPDCAサイクルを回せている人は、夫婦間でもちゃんとPDCAサイクルを回した方がいいような気がする

posted by しんざき at 23:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月01日

ひらがな教室を始めて、昔自分がさんざん言われていたことを思い出した


単なる日記です。


最近、長女(4歳)と次女(4歳)にひらがなを教え始めました。

長男は小さい頃から電車好きで、どうも「駅名を読みたい!」という強烈なモチベーションがあったらしく、ほっといても勝手に漢字やひらがな・カタカナを覚え始めたんですが、長女次女にはそこまで強烈なモチベーションがありません。長女の興味はお絵かきに、次女の興味は運動に、どちらかというと偏っているように思います。

ただ、絵本を読んだり読んでもらったりするのは長女次女とも昔から好きでして、字に対する興味自体はありそうだったので、ちょっと試しに「ひらがなのお勉強してみる?」と聞いてみました。すると、口々に「する!」「おべんきょうする!!」と言いながらぴょんぴょんと、なんだか超やる気です。どちらかというと、「パパとお勉強」という体験したことがない言葉に憧れがあったのかも知れませんが。

なので、まずはひらがなドリルを買ってきて、最初に数ページずつ書写の練習、あとはあいうえお表を見ながら読み方を覚える、というひらがな教室を始めました。


数回やりましたが今のところはかなりやる気まんまんで、特に長女の方は、私が帰ってくるなり「ぱぱおべんきょう!」と開催をねだることもある程のひらがなやる気勢です。まあ、字を覚えて自分でも本が読めるようになるのはよいことなので、本人たちにやる気がある間は続けようと思います。


で。


長女と次女は、双子でありながら性格はあまり似ておらず、どちらかというと長女が奥様似で慎重派・芸術派、次女が私似で無謀派・アウトドア派、という感じでした。

ひらがな教室を始めて、鉛筆片手にひらがなをなぞっているのを見て分かったことなんですが、長女はとにかくゆっくり丁寧に、細かいところを気にしながら鉛筆を動かします。たまに考えすぎてしまって作業が止まることもあるようですが、おおむね上手に書けています。

一方の次女は、とにかく超ハイスピード。鉛筆片手にしゃしゃしゃっと、お手本の線など知らぬとばかりに相当くねくねと曲がりくねった字を量産します。

で、次女の方に「ゆっくりでいいから、なるべくはみ出さないように書こうねー」と言っていたのですが、ふとフラッシュバックしました。これ、昔俺がさんっっっっざん言われてた台詞だわ。


私は昔から書写というものが非常に苦手でして、「字を丁寧に書く」というスキルとは無縁に生きてきた人間です。大人になった今でも、「長男(8歳)の方が上手いんじゃあ」と奥様に言われるくらいの字形の使い手である為、キーボードというものがこの世に存在することに感謝する他ありません。


自分もそうだったんでわかるんですが、次女、別に「さっさと済ませたい」とか「雑でいいから速く」と思ってる訳ではないんですね。本人的には、お手本通り普通に書いているつもりなんです。ただ、多分元々のスピード感というか、筆記に対する意識の向け方がちょっと違う。字を書くというよりは「提示された課題を解決する」的に捉えていて、さくさくと課題を解決しようとしているので、結果的にくねくねリングな字になっている、という訳なんです。


当時、私に字を教えていた先生たちは、さぞかし「この子は何故こんなに雑な字しか書けないんだ!?」とさぞかしやきもきしただろうなあ、としみじみ思い出すと共に、次女は次女でのびのびやらせておこう、と思い直した次第なのであります。


今日書きたいことはそれくらい。

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2016年01月29日

長女(4歳)に野菜を食べさせる方法

1.奥様が、長女の口元に箸で野菜を近づける
2.ぷい!という感じで顔をそっぽに向けて拒否する
3.「ああ、やっぱまだ野菜は食べられないかーまだちっちゃいしなー」と私が挑発する
4.「えーそんなことないよねーもうお姉ちゃんだよねー」と奥様がフォローする
5.もう一度箸で野菜を近づける
6.私、「え!?食べられるの!?まさかー」と大げさに驚く
7.長女、にまーってしながら口を開ける
8.野菜を口の中に入れる
9.食べる
10.私、「あー食べられた!!すごい!!」と大げさに驚く
11.長女、きゃっきゃ喜ぶ

大体11ステップが必要。毎回やると結構大変なので適当に継続させはします。

長男も昔は好き嫌いが多かったんですが、確か小学校に上がるくらいには何でも食べるようになってました。次女は、私や奥様が食べるものが美味しそうに見えるのか、真似して割となんでも食べてます(たまに食べないこともあるが)。が、長女は現在かなりの好き嫌いっこで、野菜や魚を食べさせるのに割と苦労します。

長男の例もあるので、その内食べるようになるだろうとは思いつつも、現状はなだめたりおだてたりしながら色々食べさせる日々。

あとはアレですよね、子供に「ごはんって美味しいんだ」と思わせるには、まず何よりも親が美味しそうに食べるところからですよね。そこについては今のところ大丈夫だと思うんですが。


ちなみに、下記記事を読んで書こうと思った記事です。

「サラダは大好きだから、最後に食べようっと」と長女(5才)がいった

子育ては子供と大人の知恵比べですよね。


今日書きたいことはそれくらいです。



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2016年01月06日

長男のプラレール趣味がなんかすごくなってきた(ような気がする)


長男(8歳)は、以前から電車好きであり、プラレール好きです。「東急の運転手さんになる」というのが彼の将来の夢らしいです。

昔から、リビングの床をプラレールのレイアウトで埋め尽くすのが彼の趣味でして、レゴとプラレールとその他おもちゃが組み合わさった構造体をばばーーっと作ってしまいます。

長男が作った渋谷駅

これは私が撮った写真なんですけど。こういうのほんの一部でして、

長男作

こんな感じの、色々なおもちゃと組み合わせた箱庭を、かなりのスピードで作ったり片づけたりできます。本人的にも、「ぼくはプラレールが得意」という自信になっているようです。それについては元より大したもんだと私は思っていますし、本人にもそういってるんですが。

最近、なんか奥様のデジカメで、自分が作ったプラレールの写真を撮り始めました。

PA080224.JPG

P1040168.JPG

P1040169.JPG

私、写真については正直さっぱり知識がないんですが、8歳の小学生が撮った写真としては、わりといい感じの写真のような気がします。

というか、「自分で考えて、写真という表現手段を手に入れて、しかもいい感じになるように工夫している」というのは、本当に評価するべきところだと思うんですよ。今のところ、単にデジカメで写真とってきゃっきゃ喜んでるだけですけど。


たまーに、電車趣味っていうと色々言われることありますけれど。こういう時、おもちゃ遊びだろうがプラレールだろうが、親としては「本人が真剣にやっている遊び」に水をささず、すごいと思ったところは素直に褒めて、見守ってあげるべきだと思うんですよね。


彼の他の様々な活動とともに、どんなことになっていくのか、今後とも観察していきたいと思った次第。

今日書きたいことはそれくらいです。
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2015年12月28日

夢中になって遊んでいる子供に、「ほら、こっちも面白いよ!行ってごらん!」と無理に誘導するのは避けようかなーと思った


長女と次女を連れて、アンパンマンミュージアムにいってきました(1年半ぶり3度目)。


毎年、年末は私方の実家(子供たちにとっての祖父母宅)にお邪魔することになっています。で、最近一人で電車に乗るスキルを身に着けて、人生初めての単独行動にはまっている長男が、日曜から一足先に祖父母宅に出発しました。

長男はアンパンマンを卒業して久しいのですが、長女次女はまだ4歳で、テレビでアンパンマンを見ると「あんぱんまーーん!」と大喜びする年齢です。アンパンマンミュージアム久しぶりにいってみる?と聞いてみたら、「むーじあむ!むーじあむ行きたい!」と強く主張なされたので、奥様と四人で、横浜は新高島に足を延ばしてみました。


で、予想通りというか、きゃっきゃと遊んで大喜びだった訳ですが。


大した話ではないんですが、その時ふと感じた問題というか、ちょっとした反省のようなものが、


「親視点で「これは面白い」と感じたものの優先度を、子供に押し付けるのはよくないなあ」


というものでした。

一般的なキャラクターものテーマパークと同様、アンパンマンミュージアムでは、会場内をやなせキャラクターが闊歩しています。アンパンマンとか、カレーパンマンとか、ドキンちゃんとか、クリームパンダとか、うさみ先生とかがうろついている訳です。

で、そういうキャラを見ると、やはり大人としては「あ、うちの子喜ぶかも」と思っちゃうじゃないですか。で、早くしないとキャラクター達はどっか行ってしまうわけで、他のもので遊んでいるわが子に、「ほら、ドキンちゃんいるよ!行ってごらん!」と注意を向けたりするんですよね。

もちろん、これ、別に悪いことじゃないと思うんです。ケースバイケースですが、わーっと喜んでドキンちゃんに抱き着きに行くことがもっぱらではあります。


ただ、あるタイミングで、長女がアンパンマンのお絵かきおもちゃ(マグネットで消せる奴)に夢中になっている時、近くにやって来たアンパンマンに注意を向けさせたら、長女、なんというか、戸惑ったんです。今はそっちじゃないのに!というような。私の注意喚起に気が付いたアンパンマンが近くに寄ってきてくれたんですが、お絵かきをしたい長女は戸惑ったままで、むしろアンパンマンにも申し訳なかったんですけれども。



幼児というものの興味や好奇心、注意というものは、大人には思いもよらないものであって、非常に意外なものに興味を惹かれたり、夢中になったりします。

で、大人から見たら「ん?なんでそんなこと?」と思っても、本人にとっては「今、これこそが最優先事項」ということで、その遊びに集中しまくったりしてる訳ですよね。

お絵かきおもちゃなんて自宅にもある訳で、親にとってみれば「アンパンマンがすぐそばに来ている!これは、お絵かきよりもアンパンマンに行くべきだ!」とか思ってしまう訳です。


ただ、この時、親としての私は「子供が今遊んでいる遊び」を「たまたま近くにきたアンパンマン」より低く考えている。単に機会の多寡だけで、「遊びの価値」というものを冷静に計算しているんです。これはあんまりよくないことだなあ、と思ったわけなんです。


遊びにおいて、優先度を決定するのは遊びの主体である子供であるべきです。


子供にとって何が一番楽しいのか、それは親が決められることではない。だからこそ、「こっちにもっと楽しいものがあるよ!」というのは、ある意味では親の独りよがりなんです。折角集中している子供の集中を乱すことでもあるかもしれない。


もちろん、これはケースバイケースの話であって、そんなに気にするようなタイミングじゃないよ、ということだってあります。そこまで夢中になっている訳ではなくて、単に他のもっと面白い対象に気付いていないだけ、ということも当然あります。そういう時、子供に一瞬「あっちにもなんかあるよ?」と教えてあげることは、むしろ良いことだと思います。


ただ、それは単なる「選択肢の提示」であって、飽くまで選択権は子供にあるんだ、ということは意識しておくべきだよなあ、と。少なくとも、「あっちあっち!」と無理やり子供を誘導するのはちょっと違うよなあ、と。


私に関する限り、そんな風に思いました。
posted by しんざき at 18:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月12日

宿題になかなか手をつけようとしない長男に、精神論は全く刺さらなかったけど、具体的なタスク整理とスケーリングの話をしたら超刺さった



いつものことですが、こういうのを可視化する意味もあるかと思って、整理も兼ねて書いてみます。一般化する気は特にないです。


長男、8歳。小学二年生。


ちょっと前から気になっていたことですが、長男は「頑張らなきゃいけないことに対するハードル」が高い気がします。

ポイントは、大きく分けて二つです。

・サッカーのリフティングなど、練習すれば出来そうなことについて、(出来るようになりたい、という意志はありそうなのに)何かと理由をつけてやろうとしない。
・学校の宿題や片付けなど、出来るけれど時間がかかりそうな(面倒な)ことについて、同じくなかなか手をつけようとしない。


早い話、「努力が必要なこと」について、始めるまでの精神的障壁が高いようです。いや、面倒なことが後回しになり勝ちなことなんて大人だって一緒ですし、いざ始めれば集中力はあるんで結構あっという間に終わるんですが。

やればすぐ出来るんでそんなに気にもしていなかったんですが、最近「出来ないものはどうせ出来ないしー」とか、「別にできなくても構わないしー」とか、ちょっと後ろ向きな発言が増えてきていて、本人の中でもなんか変なコンプレックスになるとイヤだなーと思って、話し合いをするタイミングを窺っていました。


クラスの宿題で、「ふりかえり作文」というものがあるそうです。どんなタイミングで書くのか分かりませんが、例えば何か楽しいことがあった時とか、私生活についてクラスの友達に紹介するような形でレポートを書くもののようです。

今日ちょっと夕飯の後、ふりかえり作文の宿題に手をつけないで足をばたばたさせている長男と話し合いをしました。


最初に、

・面倒だ、と思って手をつけないでいると、どんどん重くなってしまう
・始めてみれば案外するするっと出来てしまう
・出来ないできない、といっているといつまでも前に進めない


といった、ちょっと精神論的な話をしてみたんですが、本人的にはあまり刺さらなかったようで、たいした反応がありませんでした。

そこで、試しにもうちょっと具体的な話に落としてみることにしました。


長男は、文章を書くこと自体は苦手ではないようで、以前キッザニアに行ったときなど、1600文字くらい(字数指定があるわけではなく、書きたい分量を各自自由に書くようです)のふりかえり作文を結構きちんと書けていました。まず、ふりかえり作文の何がそんなに面倒なのかヒアリングしてみました。以下のような感じでした。


・書こうと思うとすっごく長くなるので、とても時間がかかる。何時間もかかっても終わらない(これはオーバーな表現で、キッザニアの時の振り返り作文も実際にはそこまでかかってはいませんでした)。
・書かないといけないことがたくさんあるので、どんな順番で書けばいいか分からない。



ふむ。早い話、タスクの整理とスケーリングが出来ていない為、タスクの全量が見えないことが、彼の中でハードルを上げているようです。

そこで、こんな話をしてみました。


・全部、完全に書ききろうと思わないでいい。例えば、30分なら30分と時間を決めて、その中で書けることだけ書く、というような、時間制限式のやり方もある。
・まずあらすじを書くといい。あらすじといっても難しい話じゃなくって、書きたいことのタイトルを幾つかのパートで決めて、それを別の紙に書く。次に、本番の紙に、そのタイトルで思いつくことを順番に書く。
・パパの仕事でも、まずやらないといけないことのタイトルだけ洗い出して、やらないといけないことを細かく分解してから順番に片付けるのが基本。
・あらすじ決めを10分でやる。残りの20分、そこで挙がらなかったことは書かない、と決めてしまえば、時間が長くなることもない。



すると、「30分でいいの?」と俄然反応がよくなりまして、散々逃げていた机にあっさり向かって鉛筆を動かし始めました。

始めるまでのハードルが高いだけで、始めてしまえば集中はするので、なんか結局1時間くらい書いていたようですが、まあそれはそれ。お陰で先日バーベキューに行ったときの振り返り作文が出来たようです。結構ちゃんと書けていました。半分くらい移動中の電車の話でしたが。


一般化出来る話では全然ありません。今回の状況の、うちの長男に、たまたま上記のような話が刺さった、というだけの話です。

ただ、個人的には、

・子どもを叱るときには精神論や抽象的な話が出てしまいがちだけれど、具体的で細かいところをクローズアップした方がいい場合も当然ある(勿論そうでない場合もある)
・実際に仕事でやっている話を落としこんであげると刺さる場合もある


という二点は、これからのことも含めて覚えておきたいなーと思いました。

今後、例えばサッカーのリフティングの練習なんかでも、似たような流れでやる気を出させてあげられるといいなーと考えた次第。


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 23:47 | Comment(2) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月10日

子どもといい関係を築いていくコツも、やっぱり「関心量の調節」じゃないのかなあ、と思った


長いので、最初に書きたいことをまとめてしまいます。忙しい方は下記数行だけ読んでください。


・人間関係では、「お互いがもっている関心量のバランス」が重要だと思います
・子どもは、親から欲しい関心量、親に対する関心量が、成長過程で必然的に変わるので調整重要だよね
・小さい頃は関心注ぎまくりでいいんだけど、ある程度大きくなったら表面に出す関心量を調整しなくちゃいけない気がします
・あんまり関係ないけどHearthstoneのSecret Paradin強いですよね



四行で済みました。エコノミーですね。四つ目のは関係ないように見えて一応最後の方にちゃんと出てきます。

さて。書きたいことは書いてしまったので、後はダラダラと書きます。


昔、こんな記事を書きました。


結婚生活を割と愉快に過ごす為のたった一つのキーワード。

手前味噌ですが、ちょっと引用してみます。
例えば結婚生活が上手くいっている話とか、上手くいっていない話とか、色んな人のお話を聞く。色んな人のお話を読む。

決まって思うことがある。結婚生活が上手くいっていない人というのは、つまり関心量に大きな食い違いが出てしまっている様に見えるなあ、と。


関心というのは、大きく言うと勿論お互いへの関心である。更には、お互いが関心をもっているものへの関心、でもある。

AさんがBさんに関心をもつ。あるいは興味をもつ。何をしているのか、どんな人間なのか知りたいと思う。

全ての人間関係はそこから始まる。お互いへの関心のバランスが良ければ、お互いにとって丁度いい距離感が形成出来る。相手がやっていることへの関心をもっていれば、相手が体験している楽しさが分かる。相手が体験している苦労も分かる。気配りも思いやりもその後の話だ。

お互いへの関心のバランスが悪いと、コミュニケーションのバランスが崩れる。一方は反応欲求を満たすことが出来ず、一方は発信欲求を満たすことが出来ず、不満はどんどん蓄積されていく。

これ、親子関係も同じだなあ、と。というか、もしかすると親子関係の方がずっとシビアかも知れないなあ、と。


ある年代、例えば小学校低学年くらいの時期まで、子どもにとって「親からの視線」「親からの関心」というのは必須の栄養源です。なんでもかんでも「パパ、みてー!」「ママ、みてー!」という。遊んでもらいたがる。抱っこしてもらいたがる。こういう時、親の関心が自分に向いてこない、というのは、子どもの心を成長させる上で結構クリティカルな問題です。

また、「親が、自分が関心をもっているものに関心をもってくれている」というのも、色んな点で凄く大事だと思うんですよ。小さな子は、親が自分の好きなものについて関心をもってくれていれば、喜んでそれについて話してくれます。自分の好きなものを言葉にすることによる表現力。「自分が何かを好きである」ことを認められている、という精神的安定性。親子で遊べることによる関係性。大事なことばっかりだと思うんですよね。

この時期、子ども自身が親に対して絶大な関心を持っている、ということもあります。小さな子どもにとって、親の存在というのは世界の半分以上を占めていたりしますので、親の存在というものは絶大な関心事であるわけです。

関心というのはお互いが持っている量が重要ですから、親にとっても、「関心を注げば注ぐ程バランスがよくなる」時期がこの頃だと思うんですよね。



一方で。

子どもがある程度大きくなるとよくある話なんですけど、色んな他のこと、例えば友達のこととか、遊びのこととか、学校のこととか、ゲームのこととか、広がった世界に関心が出てきます。その一方で、親との距離感や意識が微妙になったりします。

誰しも記憶にあることだと思うんですが、ある年代になると、親からの視線、親からの関心自体が、急に重荷になったり、鬱陶しくなったりすることがあるんですよね。そういう状態で、小さい時と同じ感覚で親が手出し・口出ししてしまうと、過干渉になってしまって親子の関係性にダメージを与えたり、子どもの独立心に負の影響を及ぼしたりします。


これも、「関心量の調節」に由来するところじゃないかと思うんですよ。


親にとっては、子どもが多少大きくなっても、小さな時と同じ感覚でありがちだったりするんですよね。親にとっての5年というのは、それ程長い期間じゃない。けど、子どもにとっての5年というのは、人生の過半の期間だったりします。時間感覚が違うんです。

で、子どもや、子どもが好きなものに対する関心量を、もっと小さな時のまま持ち続けてしまったりする。けれど子どもの方では、成長するにしたがって、親からの関心量のキャパシティが一時的に小さくなる。また、自分が親に対してもつ関心の量も低下してくる。

上でも書きましたが、関心というのはお互いが持っている量のバランスが重要ですから、親にとって、「関心を注ぎ過ぎるとバランスが悪くなる」時期がこの頃だと思うんですよね。

ここが調節できないと、これはこれで親子関係上のダメージになるんじゃないか、と思うわけなんです。


子どもがある程度大きくなったら親は無関心でいい、という訳ではないですよ。子どもの成長に合わせて、親は表面に出す関心量を調整しないといけない、という言い方が適切なんじゃないか、と、今の私は考えています。


関心をもつだけではなく、少なくとも一時的には、関心の量を調整して低下させる必要がある。また、成長にしたがって、必然的に自分に対しての関心が低下する。


こういう点で、親子関係における「関心量の調整」は、夫婦関係以上に難しいし、大事だなあ、と。そんなふうに思ったわけなんです。とはいえ、「子どもが大きくなったらあまり目をかけすぎないようにしましょう」という話にしちゃうと、当たり前のことかもしれないですけどね。


息子は現在小学校二年生。まだまだ甘えん坊だとはいえ、大きく自分の世界が広がり始め、色んなことに興味をもつ一方、親との関心量のバランスは段々微妙になってきたと感じます。とはいえ、彼は「父親(私)が好きなゲーム」については多大な関心があり、最近は私がHearthstoneで使っているSecret Paradinが気になって気になって仕方がないようです。ただ、彼はほとんどFace Hunterしか使ったことがないので、まずParadinのsecretを覚えるところから始めないといけないと思います。


一方、長女・次女は幼稚園年少。こちらは、親からの関心があればある程大きく成長する時期です。


今後とも、いい感じの関心量を保持して、子どもとのいい関係を築いていければいいなあ、と。


今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 14:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする