2015年10月10日

子どもといい関係を築いていくコツも、やっぱり「関心量の調節」じゃないのかなあ、と思った


長いので、最初に書きたいことをまとめてしまいます。忙しい方は下記数行だけ読んでください。


・人間関係では、「お互いがもっている関心量のバランス」が重要だと思います
・子どもは、親から欲しい関心量、親に対する関心量が、成長過程で必然的に変わるので調整重要だよね
・小さい頃は関心注ぎまくりでいいんだけど、ある程度大きくなったら表面に出す関心量を調整しなくちゃいけない気がします
・あんまり関係ないけどHearthstoneのSecret Paradin強いですよね



四行で済みました。エコノミーですね。四つ目のは関係ないように見えて一応最後の方にちゃんと出てきます。

さて。書きたいことは書いてしまったので、後はダラダラと書きます。


昔、こんな記事を書きました。


結婚生活を割と愉快に過ごす為のたった一つのキーワード。

手前味噌ですが、ちょっと引用してみます。
例えば結婚生活が上手くいっている話とか、上手くいっていない話とか、色んな人のお話を聞く。色んな人のお話を読む。

決まって思うことがある。結婚生活が上手くいっていない人というのは、つまり関心量に大きな食い違いが出てしまっている様に見えるなあ、と。


関心というのは、大きく言うと勿論お互いへの関心である。更には、お互いが関心をもっているものへの関心、でもある。

AさんがBさんに関心をもつ。あるいは興味をもつ。何をしているのか、どんな人間なのか知りたいと思う。

全ての人間関係はそこから始まる。お互いへの関心のバランスが良ければ、お互いにとって丁度いい距離感が形成出来る。相手がやっていることへの関心をもっていれば、相手が体験している楽しさが分かる。相手が体験している苦労も分かる。気配りも思いやりもその後の話だ。

お互いへの関心のバランスが悪いと、コミュニケーションのバランスが崩れる。一方は反応欲求を満たすことが出来ず、一方は発信欲求を満たすことが出来ず、不満はどんどん蓄積されていく。

これ、親子関係も同じだなあ、と。というか、もしかすると親子関係の方がずっとシビアかも知れないなあ、と。


ある年代、例えば小学校低学年くらいの時期まで、子どもにとって「親からの視線」「親からの関心」というのは必須の栄養源です。なんでもかんでも「パパ、みてー!」「ママ、みてー!」という。遊んでもらいたがる。抱っこしてもらいたがる。こういう時、親の関心が自分に向いてこない、というのは、子どもの心を成長させる上で結構クリティカルな問題です。

また、「親が、自分が関心をもっているものに関心をもってくれている」というのも、色んな点で凄く大事だと思うんですよ。小さな子は、親が自分の好きなものについて関心をもってくれていれば、喜んでそれについて話してくれます。自分の好きなものを言葉にすることによる表現力。「自分が何かを好きである」ことを認められている、という精神的安定性。親子で遊べることによる関係性。大事なことばっかりだと思うんですよね。

この時期、子ども自身が親に対して絶大な関心を持っている、ということもあります。小さな子どもにとって、親の存在というのは世界の半分以上を占めていたりしますので、親の存在というものは絶大な関心事であるわけです。

関心というのはお互いが持っている量が重要ですから、親にとっても、「関心を注げば注ぐ程バランスがよくなる」時期がこの頃だと思うんですよね。



一方で。

子どもがある程度大きくなるとよくある話なんですけど、色んな他のこと、例えば友達のこととか、遊びのこととか、学校のこととか、ゲームのこととか、広がった世界に関心が出てきます。その一方で、親との距離感や意識が微妙になったりします。

誰しも記憶にあることだと思うんですが、ある年代になると、親からの視線、親からの関心自体が、急に重荷になったり、鬱陶しくなったりすることがあるんですよね。そういう状態で、小さい時と同じ感覚で親が手出し・口出ししてしまうと、過干渉になってしまって親子の関係性にダメージを与えたり、子どもの独立心に負の影響を及ぼしたりします。


これも、「関心量の調節」に由来するところじゃないかと思うんですよ。


親にとっては、子どもが多少大きくなっても、小さな時と同じ感覚でありがちだったりするんですよね。親にとっての5年というのは、それ程長い期間じゃない。けど、子どもにとっての5年というのは、人生の過半の期間だったりします。時間感覚が違うんです。

で、子どもや、子どもが好きなものに対する関心量を、もっと小さな時のまま持ち続けてしまったりする。けれど子どもの方では、成長するにしたがって、親からの関心量のキャパシティが一時的に小さくなる。また、自分が親に対してもつ関心の量も低下してくる。

上でも書きましたが、関心というのはお互いが持っている量のバランスが重要ですから、親にとって、「関心を注ぎ過ぎるとバランスが悪くなる」時期がこの頃だと思うんですよね。

ここが調節できないと、これはこれで親子関係上のダメージになるんじゃないか、と思うわけなんです。


子どもがある程度大きくなったら親は無関心でいい、という訳ではないですよ。子どもの成長に合わせて、親は表面に出す関心量を調整しないといけない、という言い方が適切なんじゃないか、と、今の私は考えています。


関心をもつだけではなく、少なくとも一時的には、関心の量を調整して低下させる必要がある。また、成長にしたがって、必然的に自分に対しての関心が低下する。


こういう点で、親子関係における「関心量の調整」は、夫婦関係以上に難しいし、大事だなあ、と。そんなふうに思ったわけなんです。とはいえ、「子どもが大きくなったらあまり目をかけすぎないようにしましょう」という話にしちゃうと、当たり前のことかもしれないですけどね。


息子は現在小学校二年生。まだまだ甘えん坊だとはいえ、大きく自分の世界が広がり始め、色んなことに興味をもつ一方、親との関心量のバランスは段々微妙になってきたと感じます。とはいえ、彼は「父親(私)が好きなゲーム」については多大な関心があり、最近は私がHearthstoneで使っているSecret Paradinが気になって気になって仕方がないようです。ただ、彼はほとんどFace Hunterしか使ったことがないので、まずParadinのsecretを覚えるところから始めないといけないと思います。


一方、長女・次女は幼稚園年少。こちらは、親からの関心があればある程大きく成長する時期です。


今後とも、いい感じの関心量を保持して、子どもとのいい関係を築いていければいいなあ、と。


今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 14:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月10日

男親が子どもとの関係を将来に渡ってよくするために必要なたった一つのこと



奥さんと「新婚かよ」ってくらい仲良くしまくること。



娘が今3歳なのだが、純なまま育てるにはどうしようか。

なんかこちらの増田が話題になってたので、思ったことだけ書きます。

この記事自体については、例えば娘さんに対するスタンスがどうとか、性的な視線が気持ち悪いとか、色々な側面から批判の対象になっているようですが、私は一点、「自分と奥さんとの関係性」についてこの人が殆ど書いていないことについてちょっと気になりました。


この増田の意図自体は、ざっくり「将来に渡って、男親としての娘さんとの関係性を良好なものにしたい」という風に括ってしまっても、まあそんなに問題ないと思うんです。細かい問題はありますけど、その辺は多分ある程度切っちゃっていい。


で。これは私の感覚なんですが、子どもと仲良くする際、「奥さんと仲がいい」という要素って凄い重要というか、結構前提条件みたいなところあるんじゃないかと思うんですよ。


勿論例外もあるとは思うんですけど、少なくとも私の観測範囲内だと、「奥さんと険悪だけど子どもとは仲が良い」っていう旦那さん、一人もいません。家族全体ワンセットで仲が良いか、家庭にあまり居場所がないか、ほぼ二極化しています。


夫婦仲が良いことは、単に「子どもと仲良くする為に」ということだけに限定したとしても、


・両親の仲が良い = 家庭内が安定しているということが子どもの心理的安定性に寄与する
・父親がいない間でも、子どもが父親の褒め言葉を聞ける
・子どもの成長に従って父-子ども間が一旦疎遠になったとしても、家庭内でちゃんとポジションがある



などなど、いいことづくめだと思うんです。別にそれだけの為に夫婦仲良くする訳でもありませんけど。


子どもが大きくなるにつれて、親、特に父親をある程度忌避するようになる、なんてこと、ごくごく当然のことなんですよね。自分のこと思い出せばわかるでしょう、という。程度の差こそあれ色んな子どもが通る当然の成長過程なので、むしろ該当しない方が多少心配です。


で、子どもにとっては、ある意味「安心して父親を忌避出来る」ことって結構重要だと思うんです。自分が父親と疎遠になることで、父親の居場所自体がなくなっちゃうとか、家庭内の空気が険悪化しちゃうとか、子どもの精神衛生上、いい影響が出るわきゃありません。両親の仲が良くって、家庭内が安定していてこそ、子どもも安心して精神的自立が出来るってもんなんじゃないかと。

で、安心して精神的自立が出来てこそ、更に将来、一人の大人として父親と安定した関係を築くことが出来る。多分そんな感じなんじゃないかと思うんですよね。


というか、ぶっちゃけ、奥様と仲悪かったら、子どもの反抗期に父親として家庭内でどう過ごすんだよと思わないでもないんですが。大丈夫なのかしら。


なので、将を射んとすればではないですが、まず何よりも「奥様との関係性」というものを最重視するべきなんじゃないかなあ、と思った次第です。娘と、ではなく奥様含めて家族全員でお風呂に入るべきだと思います。奥様を性的な視線で観ることはそこまで怒られないんじゃないかとも推測されます。


ちなみにしんざき家では、長男長女はそこまででもないんですが、次女は今のところかなり私べったりで、私が出社すると泣かれますし、歯磨きの時にわざわざ召喚されます。とはいえ、これもいつかは失われることだろうとは思いますし、今後とも親子の程良い距離感を模索しつつ、奥様と仲良くすることにいそしみたいと思っております。

あと、しんざき家風呂はデフォルト皆で入るんですが、最近流石に5人は手狭になってきました。どーしたものかしら。


今日書きたいことはそれくらいです。
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2015年08月31日

野菜を食べた長女を「偉いねー」と夫婦そろって褒めていたところ、


「長女ちゃんは簡単なことで褒めてもらっていいなー」と長男が言ったので、「長男くんはだいぶレベル上がったでしょ?レベル低い内はスライムだけ倒しててもレベル上がるけど、レベルが上がるともうちょっと強い敵倒さないと、なかなかレベル上がらなくなるんだよー」と説明したところ、取り敢えず「そっかー」と納得してくれました。こういう時、ゲーム用語が不自由なく通じるというのは、ゲーマーとして何かと助かります。


ただ、これ、意外と重要な話なんじゃないかなー、と思いまして。大体二つくらいのテーマがあるんじゃないかと思ったわけなのです。


1.長男の弟妹に対する不公平感をどうフォローするか
2.「褒めてもらえる」ということに対するハードルに関して



長男8歳。小学二年生。長女次女、3歳。幼稚園年少。

まず一点目として、長男の「下の子に対する不公平感」というものは、本当に様々なところから発生します。


例えば、何かいたずらをしても、下の子だけ大目に見てもらえて自分は叱られたり、であるとか。

例えば、自分は抱っこしてもらえないのに下の子は泣いたら抱っこしてもらえる、であるとか。

例えば、おもちゃで遊んでいる時、下の子が欲しがって譲らされたりとか。


もちろん子どもにもよるとは思うんですが、上の子だって小学生中学年くらいまではまだまだ甘えたい年頃です。この辺で不公平感を強く感じて、日々の生活がストレスになったりすると、色々よろしくないよなあと。


しんざき家なんか、長男と長女次女双子の年齢差が4歳くらいあるのでまだなんぼかマシかとは思うのですが、下の子との歳の差が小さいご家庭なんか、より一層この辺について頭を悩ましていらっしゃるのではないかと思うわけです。


一応のところ、現在しんざき家では、

・いたずら・おもちゃの配分などについては、下の子が泣こうがどうしようが可能な限り公平に裁定する
・長男に譲歩を求める時にも、必ず長男の意思は確認して、最終的に「自分から譲った」という形にする(どうしても嫌がったら下の子を諦めさせる)
・長男を「こどもリーダー」に任命して特別扱いしており、時には長男だけ楽しいことをさせてあげる


といった対策をとって、不公平感の分散を図ってはおります。


結局感情なんですよね。上の子も、ある程度理性が育ってくれば、「下の子がまだ小さい内は全然制御が効かないので、親はある程度下の子を優先しないと色々立ち行かない」みたいなことは既に分かっている訳なんです。

けど、頭でわかってるだけで全部納得出来れば苦労はないわけで、感情的に不公平感を感じるところは感情的に対処しなくてはいけません。


多分これは男の子だけに効く手だと思うんですが、しんざき家の場合、「こどもリーダー」という役職に任命書まで作って、長男を「パパがいない間、ママや長女ちゃんや次女ちゃんを守る役目」と言っており、時には「いつもこどもリーダーやってくれてるから」と何かしら優遇したり、というようなことをやっておりまして、今のところこれが一番長男には響いているような気がします。男の子、やはりなんだかんだで「役割」というものに弱いです。

あとは、先日も書きましたが、彼の場合祖父母の家が「ぼくだけのばしょ」になっているのも非常に大きいようで、そんなところでも祖父母には感謝することしきりです。


一方。タイトルでも出しましたが、「褒め方」「褒める頻度」という点では、正直そこまで気をつかってこれなかったなー、と今回気付いた次第なのです。


以前、こんな記事を書きました。


不倒城:「最近ぼくあんまり褒めてもらってないよ?」


やっぱり、「親に褒めてもらえる」っていうのは、子どもにとって凄く大きいんですよね。多分、自己承認感に直結する問題だと思います。

とはいえ、親としても「なんでもかんでも褒めりゃいい」というもんではない訳で、やはり褒める時にも真剣に考えて、真剣に褒めないといけない、とは思うのです。

手前味噌なんですが、これも昔書いてました。以下です。

不倒城:子育てにおいて、「真剣に考えて、真剣に褒めること」が大事なんじゃないか、と思った。


この辺考えると、やはり長女次女が出来る程度のことで長男を褒めるのはちょっと違う。大人になっても、メンバーと、リーダーと、マネージャーでは、それぞれ褒められる内容も褒められるタイミングも違いますしね。

ここについては、引き続き、色々考えて「なるべくいい褒め方」をしていきたいなー、と思うわけです。




まあ、何はともあれ、長男、長女、次女、いずれにとっても完全に不公平感をなくすのは難しいかも知れないですが、出来る限りフォローしていきたいなーと思う次第なのです。


今日書きたいことはそれくらい。
posted by しんざき at 18:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月10日

長男が初めて電車一人旅をしてちょっとしみじみした

長男8歳。小学二年生。

祖父祖母の家は某近隣県に所在しており、長男が一人で祖父母の家に泊まることはかなり前からあった。

祖父母は、長男が産まれた直後から長男にベタ惚れで、一時は毎週の様に車を飛ばして遊びに来てくれていた。長男がもうちょっと大きくなって、下に双子が産まれた後は、長男を預かるところから、やがて長男一人で祖父母の家に泊まれるようになり、祖父母の家は「ぼくのきゅうけいじょ」になっていたらしい(長男曰く)


元々大の甘えん坊だった長男だが、長女次女が産まれてからは色んなところで甘えたい欲求を我慢することになっている筈だ。そこから考えると、好きなように甘えさせてくれる祖父母がいることは、本当にありがたいことだ。好きなだけ甘えたい欲求を満足させられるというのは、きちんとしたメリハリさえあれば、成長の為にとても重要な栄養素なのではなかろうか。

長男がきちんと「我慢」出来ているのも、長女次女に対してちゃんと「こどもリーダー」をやってくれているのも、祖父母の家が「ぼくだけのばしょ」であり続けていることが一因だと思う。


で、今回初めて、長男が一人で電車に乗って、祖父母の最寄駅まで行った。

一人で、といっても、路線としては一本だ。出発駅までは私が送った。特急と急行を乗りついで、40分くらいというところだと思う。それでも、出発駅まで一緒に山手線に乗っている時、長男はやけにテンションが高かったし、傍目にもわくわくしていることが分かった。「ちいさな大冒険だね!!」と言っている時の笑顔が少しまぶしかった。

ただ、彼のわくわく感は、私にも伝わった。昔、私にも同じようなことがあったから。一人で電車に乗るというのは、まさしく「小さな大冒険」だったから。

特急に乗せて、窓から手を振った後、なんだか軽く虚脱してしまった。当たり前だが、もう小学校に通っている訳で、親の手の届かない所に一人で行くことが初めてなわけでもない。ただ、「親の手の届かない場所」のスケールが、こうして徐々に徐々に広がっていって、最後には完全に親の懐から飛び出していくんだろうなー、と、ちょっとしみじみした次第なのである。


ちなみに、長男はその二時間後くらいに、祖母の携帯を使って私に電話をかけてきた。「この謎の答えなに!?」とhttp://www.takarush.jp/の問題を提示してくるからには、恐らくもうしばらくは親の懐にいてくれるつもりなのだろう。とことん付き合いたいと思う。


今日書きたいことはそれくらい。



posted by しんざき at 19:26 | Comment(3) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月27日

漫画だろうが絵本だろうが制限しないで、本を読みやすい環境さえ整えておけば、子どもは勝手に本好きになるような気がします

漫画だって絵本だって立派な読書だ、と私は思うわけなんですよ。

という話を以前していたら、「子どもが漫画ばっか読むようになりそうで心配」といわれまして。勿論人それぞれだろうとは思うんですが、

・色んな本に触れることの出来る環境だけ用意しておいてあげる
・親が「そんな本読むな」「こういう本読め」という制限や押し付けをしない


この二つにだけ気をつけておいてあげれば、知識欲の趣くままに、子どもは勝手に色んなもの読むようになる、ような気がします。


まず先に、しんざき家の家族構成を明示しておきます。しんざき、しんざき奥様はいずれも30代中盤。長男は8歳、小学二年生。長女・次女は3歳の双子。絶賛おしゃべり期で、ここ最近は豚が石鹸食う絵本がお気に入り。


これはある程度一般化出来ると思うんですが、子どもって基本的には「知りたがり」なんですよね。とにかく色んな知識や情報に触れたがる。別に新しいものでなくても、何度か触れた情報であっても関係なく。だから、手に届くところに本があれば、読む。

しんざき家長男の場合。1〜3歳くらいの頃には、子どものおねだりに応じてなるべくたくさん絵本を読み聞かせしてました。あと、寝物語にてきとーなお話をでっちあげて聞かせてたりもしました。

その後、字が読めるようになった長男は、まずコミック版の「ドラえもん」にハマりました。暫く「ドラえもん」ばっかり読んでいて、少し前からは自宅にあった「テルマエ・ロマエ」とか、よつばととか、聖おにいさんとか、その辺の漫画も喜んで読むようになりました。

で、特に何の制限もしないでいたら、「かいけつゾロリ」とかトムとジェリーの迷路絵本なんかを経て、ここ最近「はれときどきぶた」や「トム・ソーヤーの冒険」や「長くつ下のピッピ」なんか読んでるなーと思っていたら、ついには児童用の「ロミオとジュリエット」を読み始めました。いきなり方向性がすごいと思います。


まあ、なんというんでしょう。私はそもそも、「漫画よりも字がたくさんの本を読んで欲しい」とすら思っていないんですが、子どもは勝手に色んな本に手を出し始めるもんなんだなあ、と。漫画ばっかならそれはそれで別にいいと思ってたんですが、そうでもないもんだなあ、と。

しんざき家でやっていることは、基本的には、多分たった二つだけです。

・一〜二週に一回、図書館につれていって、何でも好きな本を借りておいで、と言っている(目黒区だと一度に二十冊借りられる)
・子どもが何を借りてきて何を読んでいても(読まなくても)文句を言わない


この二点だけ。

これについてはしんざき奥様の働きが大きいと思うんですが、奥様、たとえ借りてきた本をほったらかしにしてても「折角借りてきたんだから読みなさい」とすら言わないんですよね。基本、一度読めるようになりさえすれば、あとは全部子ども任せ。だから、子どもは読みたい時に、読みたい本だけ読む。

こういう風にしてれば、読書嫌いになんかなりようがないと思うんですよ。

(親に限らず)大人が「こんなものばっかり読むな!」とか、「もっとこういう本読め!」とか言う。そうして押し付けられた本って、子どもにしてみれば、正直あんまり読む気になって読んでないんですよね。だからあんまり身にならない。ソースは私です。

一方、「読みたくて読む」本であれば、それが漫画だろうと絵本だろうと、子どもにとっては大切な読書体験になるんですよ。で、一度「本を読む」ことが好きにさえなれば、あとは何でも読むようになる、と思うんです。


ちなみに、しんざきは今でこそどちらかというと濫読家寄りな方だと思いますが、小学生時代の愛読書はファミリーコンピューターマガジンで、中高の頃はゲーメストでした。お蔭様で、あまり子どもの読書傾向を心配せずに済んでいます(心配する権利がない、とも言う)


まあ、多少「おススメ」の方向性くらいは出してもいいと思うんですが。正直小学二年生男子が「ロミオとジュリエット」を読んで面白いかどうかには若干懸念があるので、「十五少年漂流記面白いよー」とかさりげなくおススメしたりもしているんですが・・・まあ、面白くなかったら読むのやめるだろうから別にいいか。

あと、全然関係ないんですが、夜寝る前の絵本読みの時間に、ためしにBGMで「遠い音楽(zabadak)」を流してみたら、なんかぐりとぐらがすっげえ壮大な感じのお話になりました。長女次女はどうでもよさそうでしたが、親的には楽しいのでちょっとおススメです。

まあ、なにはともあれ、親は「本をたくさん読む経路がある環境」だけ整えておけば、あとは「漫画ばっかり読んで!」とかそんなに気をもまなくてもいいんじゃないかなあ、とか、そんなお話でした。

今日書きたいことはそれくらい。
posted by しんざき at 23:03 | Comment(3) | TrackBack(1) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月28日

次女を納得させる奥様の話し方に感心して、見習いたいなーと思った話


いや、全然、大げさなことではないのです。むしろちょっとしたこと、本当にちょっとしたことだと思うのですが、個人的には感心したので書いておきたくなりました。


しんざき家の構成は、しんざき、しんざき奥様、長男7歳、長女次女の双子3歳。夜は布団部屋にお布団を敷き詰めて皆で寝ます。

どうも世間様に比べるとかなり卒乳がゆっくりな家庭のようで、長男も確か3歳中ごろまでおっぱいを飲んで寝ていました。長女もまだおっぱい星人なのですが、次女は最近おっぱいなしでも寝られるようになってきたようです。

で、寝る前はちょっとした読書タイムになっておりまして。長男は漫画や好きな本やドミニオンマニアックスを好きなように読んでから寝ているのですが、長女次女は絵本の読み聞かせをねだることがもっぱらです。「ぐりとぐら」を読んであげたり、「ベッドのしたになにがいる?」を読んであげたり、「もぐらバス」を読んであげたりしてから消灯しています。


消灯後。長男はもう最近はごろごろしながらも基本大人しく寝ますし、長女は一度おっぱいを飲み始めると滅多にそこから離れないでそのまま落ちるのですが、次女は退屈しいなのであの手この手で立ち歩こうとすることがあります。

昨日も、次女は「おみずのみたーーい」と言って私を揺すりました。生理的にのどが渇いてしまうのは仕方ないので、一回目は起き出して、洗面所でお水を飲ませました。

が、それから5分くらい、長女も長男も寝息を立て始めた頃、次女がもう一度私を揺すります。


「ねえ、またおみずのみたいのー。」


この時私は、「さっき飲んだだろー?」と言いました。5分前にたっぷり水は飲んでいましたし、夕飯がしょっぱかった訳でもなく、もう生理的にはのどは渇いていない筈で、単に立ち歩きたいだけだと思ったからです。

そこで、奥様が横から挟んだ一言が、えらく印象に残りました。


「今お水冷蔵庫で冷やしてるからね、明日まで待ったら、おーーいしくってつめたーーーいお水が飲めるよ?」


「そっかあ」

少ししてから、次女はにまーっとして納得して、布団にごろーんとしました。この日はそのまま就寝。


勿論、ケースバイケースだとは思うのです。次女にだって、刺さる時もあれば、刺さらない時もあると思います。

でも私は、奥様の方が私より遥かに上手いなー、と感心しました。


私の理屈は、要するに理詰めです。「さっき水を飲んだ」→「今はのどが渇いていない筈だ」→「だから本当にお水飲みたいわけじゃないでしょ?」と。これはこれで、「消灯後は寝ないといけない」という躾としては正しいとは思うんですよ。

ただ、次女はそもそも、理屈で「水が飲みたい」といったわけではないのです。彼女は、理屈ではなく、「暗い中で寝てるのたいくつ」という感情のままに、その解決手段として「おみずのみたい」という武器をセレクトしたわけです。これがもうちょっと大きかったらともかく、3歳児の感情に対して理屈で説得しようとしても、効果はごく限定されているでしょう。


それに対して奥様は、さらっと、ごく自然に、感情を別のプラスの感情に誘導する一言を投げ込んだわけです。


幼児の感情というものは本当に気まぐれで、殆ど自然現象のようなものなので、真っ向から対抗しようとしてもそれ程高い効果は得られません。そこを、説得するのではなく、むしろ違う方向に誘導する。こどもにもよるとは思いますが、確かに気まぐれな次女に対してならば、私のやり方よりもこちらの方が遥かに命中率は高いでしょう。


繰り返しになりますが、これが刺さる時もあれば、刺さらない時もあると思います。私にしても、もうちょっと考えてからなら、そういう誘導の仕方を思いついたかも知れません。ただ、ノータイム、全く思考時間をはさまずに、ほぼ反射的にこういう誘導の仕方が出来るというのは、やっぱり奥様はすごいなー、と私は感心した、という話なのです。見習いたい。



ちなみに、無論次女も多角的に攻めてくるわけで、今日は「といれいきたい」→「でなかった」攻撃を選択してきました。これは流石に「さっき行ったでしょ」や感情そらしが使えないので、若干苦戦しました。3回くらいトイレ往復した。


ほんのちょっとしたことでしたが、今日書きたいことはそれくらい。
posted by しんざき at 23:08 | Comment(4) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月11日

いつかあるかも知れないいじめの為に、なるべく親子の会話経路をたくさん残しておきたいなー、と思ってお風呂でお話したこと


いつもの様に、こういうことを可視化するのも悪くないかなーと思い、書く。

長男7歳。普段、私が早く帰ってきた時は大体家族5人で風呂に入るのだが、先日は珍しく、長女・次女・奥様が先にお風呂に入った。その為、私と長男の二人でお風呂に入ることになった。

その時、以下のようなことを話した。


「最近なんか、学校で困ったことないか?」

「この前話したこと(班のリーダーの女の子が決める自分ルールが色々細かくてイヤだ、ということ。席替えに伴い解消)しかないよ?」

「そうか。ならいいんだけど、一つお話があります」

「おはなし?おもしろいやつ?」

「(息子の名前、以下息子で統一)くんにはまだそういう感覚ないかも知れないけど、学校で何か困ったことがあった時、一番それを言いたくないのは、多分パパだ」

「別にそんなことないよー」

「今はないと思うけどね。もうちょっと大きくなったら、これはパパやママには言いたくないなー、隠しときたいなーってこと、多分色々出てくる。それは別に悪いことでも変なことでもなくて、普通のこと」

「うーん?」

「話したくないことは、別に話さなくていいんだ。けど、たまーに、話さないでいると話さないでいる程、段々重たくなっちゃうことがある」

「重たくって?」

「困ったことが、雪だるまみたいにどんどん大きくなっちゃうってこと。そういう時って人に話しにくいし、話さないでいればいる程、どんどん話しにくくなっちゃう」

「うーん」

「多分、まだ、息子くんにはあんまりそういうことないと思う。ただ、これだけ覚えといて欲しいんだ。パパやママは、息子くんがどんな風に困っても、一緒に、真剣に、解決法を考えてあげられる。で、大体の場合、自分でも息子くんと同じことで困ったことがある。だから、息子くんが知らない解決法も色々知ってる」

「どんなことか分かんないよ」

「パンドラの謎で困った時、パパに相談して一緒に考えたら解けたろ?」

「うん」

「とにかく、パパに相談したら最後は何とかなる!とだけ覚えといて欲しいんだ。分かった?」

「分かったー」


私はこの話をした時、いじめのことを想定していた。

息子さんは、まだ、いじめに遭ったこともないし、多分いじめに参加したこともない。話を聞いている限り、幼稚園の頃、いじめに近い状況を目撃したことはある様だが、それは殆ど顕在化しないまま、幼稚園の卒園を迎えることになった。

今後、小3,小4と大きくなるにつれて、彼の人間関係も複雑になるだろう。一方、彼にもいずれ反抗期が訪れるだろうし、そうでなくても自立心の成長によって、親に何でも話してくれる時期はぼちぼち終わりになるだろう。


「困ったこと」というのは、多くの場合、「人に話しにくいこと」でもある、ということを私は知っている。そして、「話さなければ話さないほど、どんどん話しにくくなっていくこと」でもある、ということも、私は知っている。いじめに遭った、なんてのはその最たるものだ。


「話せない」ということは、心を疲弊させる。それ以上に、「話しても無駄だ」という意識は、子どもの心を容易に殺す。

だから、何でも話してくれる今の内に、「パパやママは、少なくとも全力で話を聞いてくれる」ということは分かっておいてもらいたい。そして、出来ればだけど、「パパやママに聞けば、迷路の出口も一緒に考えてくれる」ということも、意識のどこかに残しておいてもらいたい。


ただ、「出口を教えてくれる」だけだと多分ダメだと思う。一緒に考える、というのが重要だ。

親も、昔は子どもだったのだ。そして、私は多分、まだ子どもの気持ちになって考えることも出来る。だから、子どもにも子どものプライドがあるし、子ども同士の人間関係があって、それは大人と全く変わらず複雑だ、ということを覚えている。


勿論私は親として、いじめに参加して欲しくないし、いじめに遭って欲しくもない。しかし、いじめ自体は、子どもが集団になっていればどうしても発生してしまうことだ。そんな時、万一息子がいじめの当事者になってしまった時、どこかで「最後はパパに言えばなんとかしてくれる」と思いだしてもらえればいいなあ、と。そんな対話チャネルについては、なるべく長い間、なるべくたくさん確保しておきたいところなのだ。


こういう話を折々していくことが、息子の心の中に、何かの種になって残ってくれるといいなあ、と思う。



全然関係ないが、文中の「パンドラの謎」というのは下記サイトのお話である。

takarush:パンドラの謎

先日、横浜はこどもの国に行って「リアル宝さがし」というものに挑戦してみたところ、やたらめったら楽しかったらしく、長男にねだられてtakarushのサイトに長男名義でハンター登録まですることになった。「ぼくもいっぱしのハンターだね!!」だそうである。


で、Web上で挑戦できる謎解きもあるのだが、内容がどう考えても小学生低学年向きじゃねえ、というかはっきりと大人向き。世界史の知識とか、西洋文学の知識が求められることすらあって、私でも要所要所でぐぐらないと解けない問題があったりする。


で、色々長男に歴史の話なんかしながら解いていたら、なんだか非常に食いつきが良く、いつのまにやら大航海時代を始めから終わりまで大体説明し終わっていた。彼は今、マゼラン海峡がどんな経緯で名づけられたのか知っているし、インドに最初にたどり着いたポルトガル提督の名前を知っている。

彼はどうもゲーマー気質であって、私のことを「尊敬すべき父親」というよりは、「色んなゲームで超強いラスボス」のように認識している節がある。その為、ゲームや遊びが絡む時には、私の話を物凄く集中して聴いてくれる。それが何であれ、「集中して聴いてくれるテーマがある」というのは多分良いことだ。


好奇心が強いのはとてもいいことなので、引き続き、ゲームなりなんなりを入口にして、彼と色んなことをお話したいと思う。


今日書きたいことはそれくらい。

posted by しんざき at 20:03 | Comment(1) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月04日

子どもと遊ぶのがめっちゃ楽しいので、子どもと遊びたがらないお父さんの存在がよくわからない


いや、勿論、「体力的についていけなくて休まざるを得ない」というケースは分かるんです。凄くよく分かる。何せヤツら電池の使い方に一切ブレーキがない。体力が無尽蔵って訳じゃないんですが、電池が切れるまでは100%セルかよって感じのフルパワーを遠慮皆無でこちらにぶつけてくるので、いつも100%で対応する訳にもいかないこちらに、ハンデとしての休憩の時間が必要なのはわかるんです。


ただ、身近のお母さんやご家庭の話を伺ってみると、それ程体力的な問題がなくても、「パパが全然子どもと遊んでくれない」という愚痴を結構観測しまして。余計なお世話なんですが、勿体ねえなあ、と。


少なくとも私の場合は、なんですが、子どもと遊ぶのが物凄く楽しいです。超エンターテイメント。時間と体力さえ許せば一日中子どもと遊んでいたいくらい。


子どもと遊ぶのが物凄く楽しい理由って、私にとっては、突き詰めると以下の二点に絞られるんだと思います。


・子どもの「楽しむハードル」が大人に比べて凄く低い
・それに影響されて、自分にとっても「楽しむハードル」が低くなる



多分、遊びなりゲームなり漫画なり、それがどんなものであれ、「楽しむことが出来るかどうか」というハードルみたいなものがあるんだと思います。それは、単純に好みの問題であったり、同じような別のなにかを既に摂取しているかどうかだったり、体力的についていけるかどうかであったり、とにかく色んな要素で変わる。


で、大人になってくると、なんだかんだで色んなものに対して「楽しむハードル」が上がってきます。今までの経験によって新鮮さが減ってしまう、であるとか。子どもっぽいものだ、という先入観が出来てしまったり、であるとか。私なんか、一般的な大人よりはだいぶ「楽しむハードル」が低い方だとは思いますが、それでもなんだかんだでハードルが存在することに変わりはありません。


一方、子どもというのは、ホントーーーに「何かを楽しむ」天才です。本でも、漫画でも、ゲームでも、勿論単純な遊びでも、あるいはもっと原始的なじゃれ合いでも、彼らは本当に、ありとあらゆるタイミング、ありとあらゆる瞬間を楽しみます。子どもの「楽しむ」能力は半端じゃない。あればっかりは大人の比じゃない。

考えてみれば、彼らにとっては、大人に比べて遥かに「色んなことが新鮮」なんですよね。勿論、個別個別に飽きちゃうことはあるんですけれど、それを差っ引いても、どんな遊びでも全身全霊で楽しむことが出来る。


そして、単純にそれを見ている親の側も楽しい、というのも勿論そうなんですが、子どもと一緒に遊ぶことによって、親は自分自身の「楽しむハードル」も下げることが出来るんです。

子どもが何かを新鮮に感じることが出来るように、子どもと一緒に何かを見ると、不思議と親にとってもそれが新鮮に見える。それは多分、子どもの視点に親が共感することが出来るからなのでしょう。

大人が「子どもっぽい」と感じるような遊びでも、子どもと一緒であれば親も全力で遊ぶことが出来る。そして、全力で遊ぶと、それがどんな「子どもっぽい」ものであれ、そこには確かに「楽しさ」があるんです。


天才は、周囲の人に色んな点で強い影響力を発揮する、といいます。それと同じように、「楽しむ天才」である子どもたちも、大人である私たちに対して、魔的な影響力を発揮するということなんでしょうか。


子どもは、いつまでも親に「遊んで!!」と言ってくれる訳ではありません。親が子どもと全力で遊べる時間は、多分ごく短い。


だから、少なくとも私は、子どもが「遊んで!!」と言ってくれるチャンスを、可能な限り逃がさないようにしたいなあ、と思います。何よりも、まず自分自身が楽しむ為に。


まあ、そんなこといっても体力的にキツかったらだらけるわけですが。夏の屋外遊びマジハード労働。


今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 20:08 | Comment(7) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月26日

最近将棋を始めた長男に、どんな風に教えていこうかなーと考えている 15/05/26

長男7歳10か月。長女次女、共に3歳6か月。

長男は以前から将棋に興味を持ち始めていたのだが、最近本格的にハマりだした。iPadの将棋ソフトを立ち上げてあーでもないこーでもないと6枚落ちのCPUを相手にしていたり、将棋盤を持ちだしてきて「パパ、将棋して!!」とねだってきたりする。

つくづく男の子は「勝負ごとが絡むゲーム」が好きだなー、と思う訳なのだが、将棋は頭の体操にもなるし、どんどんやってもらってよかろうと思う。

というところで、さて、と考え込んだ。私は長男にどう将棋を教えたものか。というか、私はどんな手順で将棋を覚えただろうか。流石に本だけ読んで独学で勉強出来たとは思わないので、多分父に何かしら教わったのだろうとは思うのだが。

【現在の長男の腕前】
・コマの動かし方は一通り覚えた
・成りとか王手とか、基本的なルールも大体覚えた
・1手詰めの簡単な詰将棋なら一応解ける
・大ゴマを巨大ロボットのようなものだと考えており、歩をつく時に「はっしん!」とか言う
・囲い方は全然知らない
・戦法は全然知らない
・8枚落ちのCPUになら一応勝てる

上くらいの状況が、先日の土曜日の話である。

で、長男が8枚落ちのCPUと遊んでいるのを見て気付いたのだが、彼は「飛車や角など、強力な大ゴマを敵陣に突っ込ませる」ということは出来ているのだが、その後、他の駒を援軍に連れてくる、ということをしない。敵の金2枚を相手に、龍と馬の2枚で往ったり来たりしている。それでも、CPUが初心者向けなので、相手のミスに乗じて金をはがせればなんとか勝てているのだが。

そこで、まずこの辺から教えてみることにした。

「いいか(長男のなまえ)くん」
「うん」
「飛車や角は強いけど、将棋では一度に一枚の駒しか動かせない」
「当たり前だよー」
「ってことは、飛車でも角でも、一度に一体の敵しか倒せない」
「うん」
「だから、飛車や角だけだと最後まで攻めるのが大変」
「うんうん」
「そこで、飛車や角のお手伝いに銀と桂を連れてくる」
「銀がいいの?」
「銀めっちゃ強い。攻めにも守りにも強い。場面によっては飛車の3倍くらい強い」
「そんなに!?」
「あと、と金がハイパー強い。飛車の3倍くらい強い銀の更に10倍くらい強い」
「元は歩なのに!?」
「だってほら、折角ミュウツー捕まえたのに実はニャースの変装でした、とかがっかりするだろ?相手のがっかり度の分強いの」
「そっかー」

なんか納得した。ニャースに罪はない。

こんな感じで、最初は以下のようなことを教えた。

・一枚だと力が限られているので、なるべく多くの駒を協力させて、一か所を攻めるようにする
・モデルケースとして棒銀が分かり易い
・と金死ぬほど強い。攻めにくいなー、と思ったら歩を進めてと金を作るといい
・相手が攻めてきそうだなーと思ったところは自分の金や銀で守るといい
・囲いや駒組みを覚えるのは後からでいい

上記が大体理解出来るようになったら、美濃囲いとか矢倉とか教えてあげようかなーと思っている。

何にせよ、長男の世界が広がる手伝いが出来ればなにより。ただ、iPadはずーっと見てると目に悪そうなので何か対策しようと思う。


今日はそれくらい。
posted by しんざき at 15:58 | Comment(1) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月11日

「英才教育」ではないんだけどなあ、とちょっと思ったこと


いや、そんな大した話じゃないんですが。


長男は7歳。小学2年生になりました。何にでも興味を持ちますし、電車が好きですし、プラレールが好きですし、サッカーが好きですし、テレビが好きですし、水泳が好きですし、ポケモンやドラえもんが好きですし、友達との追いかけっこが好きです。

そして、私が遊んでいるゲームや遊びには超興味をもってやりたがりますし、特に私が遊んでいないゲームや遊びについても超興味をもってやりたがります。


長男が5歳の時、彼にねだられて、私がよく遊んでいる「ドミニオン」というカードゲームのやり方を教えたことがありました。

5歳児に「ドミニオン」を教えた経緯と現状とかいろいろ

ドミニオンは結構頭も計算能力も使うゲームなので、大丈夫なんかなーとは思いましたが、まあ難しくってすぐ飽きたらそれはそれでいいや、と思って教えてみたら、彼の頭は私が想像していたよりもずっと柔軟で、あっという間に「ドミニオン」を楽しくプレイするようになりました。

で、いつからか私が「ゆるドミニオン会」を開催しているのを知って、長男も「ぼくもいきたい!ゆるドミいきたい!」と言うようになりまして、本人の希望に沿ってちょこちょこ連れていっております。父と同年代の大人達に混じって、ドミニオンや色んなアナログゲームを遊んでいる姿は、おっきくなったなーとしみじみするに足るものです。

昨年末くらいから、今度は「Hearthstone」というゲームに興味を持ちまして、最近は多少英語も覚え始めました。

先日はNemukeさん主催のゆるふわHearthstone会にお邪魔したりもしました。めっちゃ楽しんでました。

第8回ゆるふわHearthstone会のお知らせ



多分、ドミニオンにせよ色んなアナログゲームにせよHearthstoneにせよ、割と「長男くらいの歳の子には早い」ものが多いんだと思うんですよ。で、「対象年齢より早いものを遊んでいる」ということを指して、多分好意的に、「英才教育ですねー」と言って頂くことがあるのです。

勿論、「英才教育」と言ってくださる方が好意を持って言ってくださっているのだろう、というのは分かるので、嫌がるところでは全くないんですが。実際のところ、私はこの「長男が、私のやっている色んなゲームを遊びたがり、私も遊ばせてあげる」という構図に「英才教育」というタイトルがつくことについて、ちょっと違うかなーと思っています。

なんというのかな。まあ、元々、「教育」のつもりでやらせてあげているつもりは全くない、ということもそうなんですが。



私は、長男も、既に一人の、一人前のゲームプレイヤーである、と思っているのです。



私は、自分自身一人のゲーマーとして、一人のゲームプレイヤーである長男が、新しい世界を開拓することを、長男の意思に基づいて手伝っているだけであって、長男の「知りたい」「遊びたい」という気持ちに徹底的に答えているだけなのです。主役は飽くまで長男であって、私は初心者の館の係員くらいのつもりなのです。

だから、私は、「教育」しているつもりは全くありません。長男がそのゲームに対する興味を失って、全然別の遊びに集中するなら、それはそれで何の問題もないと思います。逆に、長男がもっともっとあるゲームに対する興味を持って、それについての知識を私から引き出したがるなら、それには全力で答えようと思います。


そんな訳で、しんざきは、決して「英才教育」はしておりませんし、するつもりもありません。どちらかというと、後輩プレイヤーの手助けをする感覚に近いと思います。


勿論、ゲームのマナーやゲームをやっていいTPOについて教えるのは親の責任ですし、その辺を疎かにするつもりは全くないですが。あんまやり過ぎて目を悪くしても困りますし。


目下、彼はHearthstoneと同じくらい、新しく始めたサッカーに興味をもっているようなので、彼がこの先どんなことに興味を持って、どんなことを集中して遊んでいくのか、ゆっくり見守ってあげたいと思っております。

今日書きたいことはそれくらい。
posted by しんざき at 21:08 | Comment(1) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月17日

最近のしんざき家の家庭事情など 15/04/17

長男は小学二年生になり、双子の長女次女は共に、長男も通っていた幼稚園に通い始めた。

以前から、長女は慎重派で世話焼きさん、次女は積極派というか無謀な性格で自由奔放、という形で、結構はっきりと性格が違った二人なのだが、幼稚園に行き始めて、より性格が出てきたような気がする。

まず、ちょっと意外だったのだが、入園式で泣いたのは次女の方だった。長女と次女では所属する組も違って、「○○ちゃん(長女の名前)どこーー?」とか長女がいないことを不安がったりもしたらしい。

以前から、知らない状況に積極的に突撃していくのは次女の方だという印象があったので、これは少し驚いた。世話焼きさんの長女に結構依存している部分もあったのだろうか。

一方、長女の方は、奥様によると「活き活きしてきた」ということらしい。長女は「わたしはおねえちゃん!」という自覚がどういうわけか強く、うっかりすると次女どころか長男の世話まで焼こうとする。そこから考えると、一番世話を焼かなくてはいけない対象と離れて過ごすことで、また違った世界が見えてきたりしたんだろうか。

双子というのは「生まれてこのかた、大体24時間常に一緒」という相手がお互いに存在するという状態なので、彼女らから見ると世界はどんな風なんだろう、とは以前から思っていた。そこから考えると、幼稚園で組み分けが別になったというのは、双子の世界を広げてあげる意味で良いことだったのかも知れない。


一方の長男なのだが、こちらは1年の時は3組編成だったところ、2年になって4組編成になった影響でクラスも変わり、周囲の面子も相当変わったらしい。もっとも本人は平然としていて、「すぐ全員と友達になれる」と自信たっぷりである。こちらは頼もしいというか、彼は昔から知らない子と遊び始めることについて成功体験を何度も積んでいるので、実際慣れたものなのだろう。

衝突することもあるのだろうが、是非そのまま自信をもって進んでいって欲しいと思う次第である。


今日書きたいことはそれくらい。
posted by しんざき at 10:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月10日

子どもの手がいつの間にか大きくなっていてしみじみした


ただの日記。


以下は三年前に撮った写真。私と、長男と、長女の手。確か、長女・次女が産まれてから一週間くらい後にとったものだったと記憶している。

三年前の、私、長男、長女

こちらが昨日とった写真。同じく、私と、長男と、長女の手。折角だから構図を一致させたかったが、長女が絵本を読んでもらいたくてうずうずしていたので断念。尚、この時次女は、最近だんだん自分でも出来るようになってきた、パジャマへのお着替えの最中だった。

いま。


月並みな話だが、子どもって大きくなるんだなー、と。

ここ一年ばかりは、長男もだいぶ長女・次女の世話を手伝ってくれるようになり、長女・次女自身もかなり一人で行動できるようになったこともあり、私の手も奥様の手も以前程はかからなくなっている。まあ、私が寝転がっていると皆でよってたかって覆いかぶさりにくるのは相変わらずなのだが。


子どもが出来るというのは、「自分の人生に主人公が増える」みたいな話だなー、と最近感じている。自分の成長、自分の物語の流れが終わる訳ではないのだが、それと同じくらい重要な軸、重要な視点が子どもの人数分増える。「自分の人生」というゲームが、途中からマルチプレイヤーゲームになるような感覚である。

そして私は、時には子どもの視点に切り替えて自分の人生を眺めている。自分が、子ども達にとって、頼れる、誇れる父親であり続けているだろうか、と考えている。



尚、絵本についても1〜2歳時とそれ以降では大きく好みが変わる、ということを実感している。1〜2歳時は、日常生活や何の変哲もない出来事を、動物や絵本のキャラクターに仮託して展開されている絵本を好む。ここしばらくは、日常生活というよりは、なにかしら突拍子もないイベントが発生する絵本の方を好んで読んでもらおうとしてくる。確か、長男の時もそんな感じだったと思う。

最近はこの絵本がお気に入り。

ジェリーのこーろころん

力士が転がされている絵面のインパクトが強すぎ、なんか長女も次女も長男もけらけら笑う。

成長につれて色々あるだろうが、まあ引き続き、この子たちがけらけら笑っていられるようにしてあげられればなあ、と思う。
posted by しんざき at 11:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月26日

「とにかく、待つ」と「とにかく、聞く」が、何故子育てで凄く大事なのか


結論を先に書くと、

・「感情に整理をつける」ということはどんな人間でも大変であって、特に子どもにはその練習をさせてあげないといけないから。
・「ちゃんと聞いてもらえている」「ちゃんと待ってもらえている」という認識は、自己肯定感の獲得の中で物凄く大事だから。


難しいことだけど大事だよなあ、と思うわけです。


子どもに限らない話なのかも知れませんが、ここでは子育てに限定した話として書きます。


しんざき家には、7歳の長男と、3歳の双子の長女次女がいます。以前から勢いがつくとおしゃべりが止まらない長男に加え、長女次女もえらいよく喋るようになりましたので、家庭内は超にぎやかです。

以前、お片付けをしない長男が怒られてへそを曲げてしまった時の話を書きました。この時、長男は、「頭では「片付けないといけない」とわかっているのに、感情が整理出来なくって意地を張ってしまっている」という状態だ、と私は推測しました。


私は、こういう時には、なるべく「とにかく待つ」を選択するようにしています。

既に「片付けないといけない」ということを説明されている以上、何度も繰り返して言い聞かせるのは、むしろ子どもの自尊心にとって逆効果だと思うから。大体の人にとって、「頭で分かっているのに感情の整理が出来ない」という状態で一番重要なのは、言葉よりもむしろ時間だから。

これって普遍的な話だと思うんですよね。大体、ある程度大きくなってきた子どもって、親が言うようなことは頭で理解してるんですよ。理屈で親が正しいことは分かる。けれど、感情がそれについていかない。時には、頭の中がぐるぐるして、言いたいことがまとまらない。そんな時、親ががーんと怒鳴りつけても、その場では無理やり親の言う通り行動するかも知れないけれど、納得して次に結び付けられるかというと、多分案外難しい。しんざき家の場合、下の長女次女はともかく、7歳の長男はもうそういう時期だと思います。


こういう時必要なのは、多分、「親が待ってくれること」なんじゃないかと。


私は、昔から割と気が長い方でして、一時間二時間ぼーっと待っているのは特段苦でもありません。そして、この「気が長い」という性格で今まで損をした記憶がないので、出来れば自分の子ども達にも、気が長い人になってくれればなあ、と思っています。少なくとも、「待つ」という行為に耐性がある、「待てる」子に育ってくれるといいなあ、と思います。


で、自分の育てられ方を思い起こすに、「待てる」ようになった一番の要因は、「とことん待ってもらっていたから」「とことん聞いてもらっていたから」だと思うんですね。


いや、勿論、ケースバイケースだったと思うんですよ。学校に行く前、電車での乗り換えの時、寝る時間が近い時、往々にしてせかされたことはあったと思うんです。ただ、本当に感情がこんがらがった時、言葉で無理やり納得させられたり、対話を拒絶されたりして理不尽な思いを味わった記憶が、振り返ってみると、無い。

普通、理不尽な思いをしたり、悔しい思いをした時の記憶って、相当に残りやすいと思うんです。それが、私の場合、親との対話でそういう思いをした記憶がないので、相当恵まれた育て方をしてもらっていたんだなあ、と。

私は比較的自己肯定感が強い、というかあまり根拠のない自信にあふれている方なのですが、その根っこにはそういう、私の親が私に対してしてくれた接し方もあったのではないかと思うのです。

だから、私も、自分の子どもにそういう風に接したい。


ちょっと前、はてなでこんな記事を拝見しました。

愚痴に具体的な助言をしたくなる理由

これも大事な話だなあ、と。

感情が整理出来ない時には、とにかく聞いて欲しいし、とにかく待って欲しい。そういう時に、言葉で無理やり納得させられても、残るのは理不尽な記憶だけなんじゃないか、と私は思うわけなんです。

で、そういう時に、「とにかく聞く」「とにかく待つ」を選択することが出来れば、子どもの「待てる」度合や自己肯定感にプラスの影響があるのではないかなあ、と。結局、「親が自分の為にどれだけ時間を使ってくれるか」って、子どもの自己評価に凄く重要な話だと思うんですよ。



いや、難しい話だと思いますよ。「待つ」「聞く」という行動は、時間も使えばエネルギーも使います。めっちゃ使います。

実際の所、日々の生活は時間に縛られるものでして、いつまでも子どもを待っていては、日常生活は運営出来ません。しんざき家でも可能な限り子どもは21時に寝せたいわけで、お腹が減った子どもにご飯を食べさせるにも、子どもが散らかした部屋を片付けたり片付けさせたりするにも、エネルギーは非常に必要なわけで、例えば日々3人の子どもと対決し続けている私の奥様なんか、更に一層の負荷を強いられてしまうことは想像に難くありません。

だから、何でもかんでも「待つ」のではなく、子どもの感情がこんがらがった、ここぞという時に「待つ」。


で、子育てってのは勿論両親の共同作業なんですが、こういう時の為にこそ、両親の内余裕がある方が、「待つ」「聞く」を担当出来ればいいなあ、私は可能な限り「待つ」「聞く」を補完していきたいなあ、と思ったりする訳なんです。

今後も、リソースが許す限り、「待つ」「聞く」を選択するよう心がけていきたい、と思います。いや、ご飯時にいつまでも食べなかったりしたらそりゃ急かしますが。


結論は最初に書いてしまったので、補足はこれくらいにしておきます。


今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 19:43 | Comment(1) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月13日

長男(7歳)が「進め!キノピオ隊長」にはまった、または初めて自分の意志で買ったゲームのお話 2015/01/13


しんざき家では、とある事情で、2014年のクリスマスプレゼントが「好きなおもちゃをパパに買ってもらえる券」になっていました。

で、息子さん、かなり長いこと「プラレール 曲線鉄橋セット」と天秤にかけて、「進めキノピオ隊長」で迷っていました。電車の中で見たCMが面白そうだった、というのが入り口です。

結局後者に決めまして、先日私と一緒に買いにいきました。このゲームが、彼にとって「自分から欲しいと言い出して手に入った初めてのゲーム」ということになります。

進め!キノピオ隊長

確か、私にとっては、「自分から欲しいと言い出して手に入った初めてのゲーム」はナッツ&ミルクでした。隔世の感があります。

買った直後は文字通り飛び上がって喜んでおりまして、うちで遊び始めたところ、見事にハマりました。18面くらいまで来たようですが、今のところすげー楽しんでいて、私に話しかけてくるときもキノピオ隊長の話ばっかりです。なんか、18面がボス面らしく超難しいとかなんとか。

まだしんざき自身はあまり遊べていないのですが、息子さんを見ていて思ったことが何点か。


○「進め!キノピオ隊長」のゲーム自体についての感想

・キノピオという、子どもにとってもキャッチーなキャラと、「マップを歩き回ってダイヤやスターを見つける」というシンプルな目的
・「パッドを動かすと画面も動く」という仕組みが非常に直感的、しかも見た目もダイナミックで面白さがひと目で分かる
・さすが任天堂というべきか、導入や入り口は子どもにとっても何の抵抗もないもので、敷居が低く入り口は実にスムーズ
・操作もシンプルなので、ほぼアクションゲーム未経験(Hearthstoneとかしかやってない)の小1でも問題なく遊べている
・ただ、一本橋をわたるときとか、細かい操作はまだ苦手のようで、何度も橋から落ちたりして結構焦れていた
・見ていて思ったのだが、「操作出来る方向が多すぎる(アナログ入力なので)」という側面はありそう
昔のマッピーやロードランナーなんか、「動ける方向」が基本二方向しかなかったから、流石にそれに比べると、操作自体の複雑さは上がっているというべきなんだろうなあ
・ただ、適応できないかというとそうでもなく、ゆっくり考えて操作出来る面については特段問題なさそう。きゃーきゃー言いながら遊んでいた
・カブを引っこ抜いて敵にぶつけたりヘイホーがいたりする辺りが完全に夢工場ドキドキパニック
・中ボス戦が完全に火吹き山の魔法使い(名前もそのまんま)
・息子さん、「敵への対処」とか「タイミングを見計らう」という辺りがまだかなり苦手な様子。キョロへいのロール神殿辺りでも相当苦戦していた
・けど辛抱強く遊べているし、凄く真剣に考えながら遊べてもいるので、思考力とか忍耐力を育てる役にも立ちそう


○親としての感想

・奥様も「進め!キノピオ隊長」を始めて楽しんでいるっぽい(奥様は元々パズルゲーマー)
・面の解き方についてあーでもないこーでもないと盛んに息子さんと会話をしていたり、私を含めた家族で楽しめているので、まずは買って良かったなー、と感じている
・やはりたまに、どうしてもクリア出来なくてパパに頼りたくなる時があるらしいが、なるべく自分の力で解かせたい
・その為、回数制限つきの「パパボンバーシステム」を考えた
・一日考えてもどうしても解けないステージがある時、回数制限つきでパパを召還出来るブラックパパボンバーシステム(ダラ外のパクリ)
・ボンバーカードを3枚支給した。補給の方法は検討中
・火吹き山の中ボスはパパがクリアしました
・「初めて自分の意志で買ってもらったゲーム」が凄い面白いゲームだった、という点では、いい成功体験をさせてあげられたなあ、と。
・今のところメリハリはついているようなので心配はしていないが、これからも健全にゲームと付き合っていって欲しいなあ。


という感じです。

まずは、私自身キノピオ隊長を遊んでみて、自分で楽しさを味わってみようかなあと思う次第です。

今日書きたいことはそれくらい。

posted by しんざき at 23:15 | Comment(2) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月05日

長女次女(3歳双子)をアンパンマンミュージアムに連れていったら!?(゚Д゚)みたいな顔してフリーズした


どうも、視界に入ってくるアンパンマン関連アイテムが余りにも多過ぎて、どれから遊べばいいのか見当がつかず硬直してしまっていたようです。子どもって面白そうなものが多過ぎるとたまに固まりますよね。


ということで、日曜は長女・次女連れでアンパンマンミュージアムに行ってました。

今回は、長男がもう既にアンパンマンを卒業しており、かつ次女が「ぱぱとあんぱんまんいくの!!」という主張を泣いて譲らなかった為、珍しく私-長女-次女、奥様-長男という2パーティに分かれての行動で(いつもは、別行動にしても私-長男の男組ペアになることが多い)、長男はみなとみらいのボーネルンドに行ってました。

奥様抜きで、私・長女・次女の三人行動というのはかなり珍しく、若干不安もあったのですが、まあ終わってみればなんとかなった感じです。

最初フリーズしていた長女次女も暫くすると再起動して、.ヾ(・∀・)ノ゚みたいな感じで釜飯どんの釜飯作りエリアできゃーきゃーいって遊んだり、アンパンマン号に上ろうとしたり、スタッフオンリーのドアに突撃しようとして係員さんに止められたり、なんかキッズコーナーでかごに色んなおもちゃを入れてお買い物ごっこをしたり、着ぐるみカレーパンマンをべしべし叩きまくったりしてました。総じて楽しそうでしたので良しとします。

帰り、「駅までは抱っこなしで歩く」と決めたところ、次女がえらいパパ抱っこを求めて道の真ん中に寝転がってぎゃん泣きしたりもしましたが、一応、かなりの行程を自分で歩けるようにもなり、長女次女の成長を実感した一日でした。長男は長男で、ボーネルンドで4時間近くたっぷり遊べたようでなにより。


それにしてもアンパンマンは、低年齢の幼児において恐るべき吸引力を発揮するヒーローです。造形のシンプルさがポイントなんでしょうか。

長男も、一時期かなりアンパンマンに入れ込みを見せていたんですが、5歳くらいにはもう卒業していた記憶がありますので、多分2〜4歳くらいがコアターゲット層なんだと思います。




全然関係ありませんが、(多分)長男の小学校の話の人づてで、クラスで今何流行ってるの?というところで「コナン」という言葉が出たことがありまして。

あれ妖怪ウォッチじゃないんだー、名探偵コナンとか結構人気あるのかな、と思ってよく聞いてみたら、のこされ島がどうとかおじいがどうとか、どう聞いても未来少年コナンだったということがありました。いや、なんか誰かのお父さんがブルーレイボックスか何か持ってたみたいですが、小学生案外すげえ、と思った話です。


今日書きたいことはそれくらいです。



posted by しんざき at 22:27 | Comment(3) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年12月26日

子育てにおける「妥協」の大事さ

ちょっととりとめもないこと書きます。あんま具体的な話ではないです。


なんというか、「妥協」って悪い意味で使われること多いし、妥協がよろしくない時ってのも確かにあるんですけれど、実際にはすげえ大事な概念だと思うんです。妥協。妥協すごく大事。


なぜかというと、「ちょうどいいところ」と「理想」と「現実」がそれぞれずれていた時、「ちょうどいいところ」を探す方法は妥協しかないから。

なぜかというと、「Aさんの理想」と「Bさんの理想」が乖離していた時、戦争を起こさずに仲良くする方法は妥協しかないから。


仕事とか、人間関係とか、色んな場面に当てはまると思うんですけど、今、私は子育てのことを念頭においています。子育てにおいて、妥協、多分すごく大事。


子育ての指標とか、子育てのライフハックとかありますよね。「○○な子に育てる為の××の方法」とか、ああいうの。

勿論、いいこといってる時もありますし、適度に取り入れる分には凄くいいんですけど、ああいう指標とかものさし的なものって、突き詰めようとすると親も子どもも凄くしんどいんですよ。「何かから外れられない」って凄くしんどい。

何でかというと、子どもというのは元々ゆらゆらとしているもので、ひとつところに留まれる生き物ではないから。なかなかまっすぐ進み続けられる生き物ではないから。

ゆらゆら揺れる存在である子どもに何かを突き詰めさせようとするのって、ゆらゆら揺れる存在である子ども相手に、親が何かを突き詰めようとするのって、ものすげーストレスかかります。「親と子ども」というのも、結局は人間関係ですから、長く続けられないと意味がない。つまり、子育てというのは、「長く続けられる」やり方でやらないと意味がない。


いや、勿論、妥協せず、突き詰めて、どこかに上り詰める、何かを大成させる子ども、そういう子育てもあると思いますよ。ただ、多分そういうのは本当に、楽しめる、突き詰められるから出来ることであって、正直私にはそういうの、無理そうです。


私の子育てにおける指標で、これは突き詰められそうだなーというのは、ただ一個だけ。


自分と、自分がいる世界を好きになって欲しい。


ホントこんだけです。他人と折り合いをつけつつも、まず自分が大好きでないと人生やってられない。

だから、その為にも、四角四面にならずに、あちこち妥協しながら風通しがいい子育てをしてあげたいなあ、と、私はそんな風に思うわけです。
posted by しんざき at 23:24 | Comment(2) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年11月28日

片づけない息子さん(7歳)を前に、久々に叱り方を考えたことと、感情をコントロールするのにかかる時間の話


基本的には、

・「してはいけないことをした」場合、叱る
・「しなくてはいけないことをしてない」場合、待つ


様にしている。

私のやり方である。正しいのかどうかはよくわからない。というか、正しい叱り方などというものはこの世に存在せず、その時その時で適しているかどうかがあるだけなのだろう。だから、常に、「この叱り方は正しいんだろうか」というのは考えるようにしている。


いつも通り、そのうち自分で読み直して得るものもあるだろうということで、今日あったことを書き残しておく。


しんざき家の長男は7歳、小学一年生。長女次女は双子で、いずれも来月3歳になる。

今日、私が仕事から帰ったのは21時前だった。いつもなら、奥様・長男長女次女は既に入浴を終えており、寝る前に合流して一緒に寝るタイミングだが、その時はまだ皆リビングにいて、若干不穏な空気だった。どうも、3人でハッピーターンを食べて、包装袋をその辺にまき散らしたか何かしたらしい。奥様が叱ったからだろう、長女はわんわん泣いており、次女は逃げ回っており、長男はどたばたしている風情だった。私がいない間、一人で三人を相手にしている奥様の苦労がしのばれる。マジで。

包装袋は既に片づけられていた。最後に床に残っていたのは、乱雑にまき散らされた息子さんのランドセルとその中身だった。

もう時間も時間だったので、少なくとも長女次女はお風呂に入れないといけない。そこで私がバトンタッチして、奥様は三階に行って長女次女をお風呂に入れ始めた。しんざき家のお風呂と寝室は三階にある。お風呂に入った後、湯冷めせずに布団にくるまれる生活の知恵である。


さて。ランドセルと教科書を片づけるよう指示された長男は、リビングに転がって片づけをガン拒否する構えである。何やら意地を張っているように見えた。


奥様と息子さんはいずれも非常に意地っぱりであり、かつ極端に負けず嫌いである。

小学一年生である息子さんは、もう既に「出したものは片づけないといけない」ということは理解している。そして、私が、出しっぱなしの状態を許容しないこと、出した物は出した人が片づけないと認めないことも分かっている。然るに、奥様に怒られて片づけをするのが、なんか負けたような気がしていやなのだろう。

つまり、理性ではわかっているが、感情が言うことを利かない状態なのだろう、と私は考えた。となれば、もういちいち私が「片づけなさい」と叱責することによるメリットはないし、片づけないといけない理由を言い聞かせる必要もない。長男が感情と理性を整合させればよい。


で、コマンド「待つ」を選択した。


私は生来気が長い方であり、1,2時間程度ぼーっとしているのは別段苦でもない。「パパ、(息子の名前)くんがお片付けするの待ってるからねー」とだけ言って、階段に座った。こうなると私はテコでも動かないし、片づける以外に風呂および寝室に行く道はないのだ、ということは息子さんに伝わるようにした。


5分経った。息子さんは寝た振りをしている。

15分経った。「もうママお風呂はいっちゃったから片づけても遅いでしょー」とかなんとか言っている。放っておいた。

30分経った。のろのろとリビングに這いずって、なんだかんだ抵抗しつつ、散らばっていた教科書やノートを片づけ始めた。片づけ終わった後、「ちゃんと出来たなー偉いなー」と褒めて、風呂に連れていった。まだ若干ふてくされていたが、シャンプー付けにしてばしゃばしゃきゃーきゃー体を洗う頃には機嫌は治っていた。


結果的には片づけられたので、多分、今回についてはコマンド「待つ」は妥当だったのだろう、と思う。


理性では分かっているのだ。小学生には、もう十分な理性が備わっている。しかし、感情を制御することは、頭で考えることよりずっと難しい。感情を落ち着かせるには時間が要る。大人ですら感情を鎮めるのは難しいのだから、子どもにとってみればなおさらだろう。となれば時間を与えてあげれば良い。私はそう考えた。


ただ、コマンド「待つ」には弊害も大きい。例えばこれが、奥様が長女次女を見ていられない状態だったら、私は長女次女を長時間放っておかないといけない。寝る時間は確実に遅くなって、今日の場合は22時を過ぎた。日中の忙しい奥様など、コマンド「待つ」など選択しようがないだろう。

待ってもらうまでもなく、ある程度強いて自分を動かす練習、みたいなものもいずれは必要だと思う。いつもいつも、気分を切り替えるのに十分な時間がある訳でもない。

だから、コマンド「待つ」以外に、もっと適したやり方もあったかも知れない。そこは考えないといけない。


後から奥様に聞いてみたところによると、「叱られて言うことを聞くと負けたような気になる」のだという。私にはない感覚だが、どうも負けず嫌いというのはそういうものらしい。負けず嫌いというのも、勝負ごとのパワーの源として貴重な属性だ。スポイルはしたくない。


息子さんの負けず嫌いと折り合いをつけながら、きちんと片づけることを習慣づけてあげられる回答、というのも多分どこかにあるのだろう。今後もいろいろ模索していきたいと思う。


今日あったこと、以上。
posted by しんざき at 23:27 | Comment(1) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年09月03日

よそ様の子育ての話とか、子育てにおけるパパ・ママの意志統一のお話とか


Twitterで、こちらの記事に言及して欲しいなー、というようなお話を伺いました。

orangestarの日記:オッス!オラ、イクメン!いっちょやってみた結果がこれだよ!!

いやもう、まずは奥様共々、日々育児お疲れさまでございます、という点には尽きます。

前提として、パパとママの間に意見の不一致があった場合、パパとママの間ですり合わせるべき話であって、部外者がどちらか一方を否定する必要はないですよね、というかするべきではないですよね、というのは思います。

子どもと接するのは大変大変楽しいことなんですけれど、やはりストレスがかかる点も多々あるのは事実で、子どもと長く接している側によりストレスがかかるもんだとは思うんですが、部外者が更によってたかってストレスを増やす必要もないと思うんですよね。どうなんでしょうか。

まあ勿論、ブログに公開されている時点で、そういうことも織り込んだ上でいろんな意見を募ってらっしゃるのかも知れないですし、私もそう考えたのでこんな記事書いてるんですが、ブクマコメを見ていて、ややや皆様どうかもう幾分穏便に、とはちょっと思いました。

その上で、
ただ、なんかいま一つピンと来ないというか、納得できないというか…。
子どもが食事の前にチーズを食べたがっています。
しかしお母さんから「もうすぐご飯だから駄目。泣くなら泣きなさい。泣いてもチーズは出ぬ」
ってなってる時にチーズあげちゃう上、その後のダラダラ食べ2時間コースに付き合う系イクメンの問題点を三つ以上挙げよ。
という点に始まるお話について、「納得できない」と書かれているので他者の意見を求められているという前提の上で、どちらかというと私はこっち寄り、という感じで意見を書いてみたいと思います。

私の意見は端的にこういうことになります。

・命令系統の統一はめっちゃ大事
・泣いている子どもを「泣き止ませないといけない」ということは必ずしもないと思う(場合にもよる)
・ひとつの事案にどれくらいの時間を費やすか、というのは程度問題
・総合すると、スタンス的にはどちらかというと奥様寄り


最初に自分の立ち位置を書いておきますと、三児の父です。長男は七歳、長女・次女は双子で共に二歳九ヶ月、子どもと接している時間では妻に到底及ばないのですが、一応全力で子どもと関わっているつもりではあります。

一点ずついきます。

・命令系統の統一はめっちゃ大事

命令系統というか、基準、ものさしの話でしょうか。

子どもは勿論まだ「やっていい基準」「良くない基準」、いわば基本的な倫理意識、規範意識というのを身に着けていない生物ですので、親がそれを与えてあげなくてはいけません。早い話、やっちゃダメなことは「ダメ」といわないといけませんし、やって欲しいことは奨励して、出来たら褒めてあげないといけません。

パパとママは、子どもにとってはある種「既に社会に出ている先輩」でもあり、「自分が目指すべきモデルケース」でもあるので、ここでの「ものさし」が一致していることはひっじょーーに重要です。

この時、パパとママの振る舞いや意見に大きく乖離があった場合は、子どもは「あれ、どっちに従えばいいのん?」となるので結構困ります。子どもは強かなので、単に自分の欲求にあった方に段々寄っていったりして、これもまたパパ・ママの乖離の一因になっちゃったりします。

「ものさし」が統一されていれば、子どもが学びやすくなる。言ってしまえばそれだけです。

まあ、何でもかんでもパパとママの意見が一致するわけもないので、時に意見の食い違いが出るのも当たり前のことではあります。そんな時も、

・少なくとも子どもの前では意見の不一致を見せない
・後で適宜話し合って不一致を是正する


ということが超重要だと思いますし、事実まさにこれをやってらっしゃるとは見受けられるのであんまり問題ないかとは思うのですが。一応、しんざき家でも都度都度意見の不一致がないか矯正してるつもりではあるんですが、後でこれ読んでもらって確認します。

あ、パパママの意見不一致を見せないといっても、パパママ両方同じ内容で叱る、というのは子どもの逃げ道を塞いでしまうので避けて、片方は「よしよし、パパのいった通り出来るよねー」といった感じでフォローに回るといいらしいですね。両方ボケも突っ込みもやる、といった感じで。


二点目。

・泣いている子どもを「泣き止ませないといけない」ということは必ずしもないと思う(場合にもよる)
お前の育児がすごくウエット(子どもに対して可哀想という態度で接し過ぎ)と言われたんですがそこになんとか出来る手があるのに、なんともしないでおくと、傷つく、というか、親に対して不信感を持つようになりそうだし、そうすると、将来人間関係に不信感を持つ子になるってどっかで読んだ気がするので、で、自分が家に言える状態で子ども泣いたり不機嫌だったらそうするしかないじゃないですかーですかー。
この気持ちというか危機感、私もよく分かりまして、子どもが泣いてる時には早く対処してあげようよーとか思うこともあるんで、いわば「泣かれることに対する危機感」を否定するところでは全くないです。

ただ、そういう危機感を持っているからこそ、id:orangestarさんが恐らく、子どもが泣くケースを一括して考えておられるのではないかなー、と思い至りました。

私が考える限り、子どもが泣くケースには大きく分けて二つあります。

1.生理的にどうしようもない理由で泣くケース
2.上記以外で、自分の要求を通すために泣くケース


正直、結構境目は曖昧なんで、これも結局「どこまでを1に、どこまでを2に分類するか」というのは夫婦間の決めの問題なんですが。

1は、たとえば転んじゃって痛みで泣いてる時とか、起きたばっかりで超眠いのに隣にママやパパがいないから泣いてるケースとか、そういうのですね。「寂しいから泣く」というのも私基準ではこっちです。

2は、たとえばおもちゃが欲しいのに買ってくれないとか、もっと遊びたいのに帰ると言われたとか、そういう時泣くヤツです。

私が思うに、1は可能な限り早くフォローする必要がありますが、2はケースバイケースというか、必ずしも対応する必要がないです。むしろ、普段1をきっちりフォローしてあげた上で、2をフォローしないことによって、子どもがすばやく「規範」を学べるようになると思います。

子どもの信頼感というのも程度問題であって、上記で言うと「生理的にどうしようもない理由」できちんとフォロー出来ていれば、「ああ、パパやママはどうしようもない時はちゃんと来てくれるんだな」という感覚はちゃんと育つと思うんですよね。

どうしても2のケースで泣き止ませたい、けど要求には応じたくない、という時には、単に抱っこしてあげたり寄り添ってあげればいいんじゃないでしょうか。しんざき家ではそんな感じです。

「食欲」というか、「何か食べたい」ということ自体は生理的な問題なので、1と2どちらに分類するか微妙な部分もあるんですが、ご飯のサイクルがちゃんとあるのであれば、それ以外のサイクルで何か食べようとする要求は2に分類していいように思います。この辺はパパママ間で決めることですけど。


三点目。

・ひとつの事案にどれくらいの時間を費やすか、というのは程度問題

文字通りではあって、別に場合によってはあるひとつの事件に対して二時間三時間使ってもいいとは思うんですが。
その2時間があれば他のことが出来る、手を掛けられる分MAXまでやるっていうのは長期的には正解ではない。
この点は、単に「奥様にとって他にやって欲しいことがあるけれど、リソースの使い方の問題でそれが満たされていない」というリソースマネジメント的な事情が見て取れるので、そこが意志疎通によって改善されれば良いだけなのでは、とは思いました。

うちの場合は、私と妻がどちらも時間空いている場合、私は子どもたちの「ご本読んで」攻撃に対処し続けていることが多いですし、妻もどちらかというとそれを奨励しているっぽいので、延々子どもに時間使ってることの方が多い気はしますが。


まあ、何はともあれまとめると、私が言いたいことは

・パパママ間での意志疎通超重要ですよね。
・子育て大変ですよね。
・いつもお疲れさまです。

という三点だけであり、他に言いたいことは特にない、ということを最後に申し添えておきます。



以下は関連エントリー。
しんざき家の結婚生活が(多分)上手くいっている理由
posted by しんざき at 01:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年07月01日

小学校に通い始めた子供の親として、いじめについて事前にやっておけそうなこと


長男は6歳であって、4月から小学校に通い始めた。早いものである。

幸いというか、幼稚園については、私自身かなり子どもたちと関わる機会も多く、仲良くやっているところを実際に見ることが出来ていたし、多少の喧嘩はあれ、一方的ないじめというところまで発展するところはなく、大過なく卒園することが出来た、と思う。

が、当然だが、小学校からは色々と難しい。子どもの自意識も多いに発達する時期だし、自意識と自意識のぶつかり合いでトラブルも増える。いじめの心配も増える。

長男がいじめに遭うことも勿論心配だが、長男がいじめに参加するようなことも、決してあって欲しくはないことだ。ただ、あって欲しくないからといって、発生する可能性がなくなるわけではない。

いじめ自体は、いくら防止しようとしても、必ずどこかしらで起きてしまうことだ。子どもの集団が一日に何時間も共同生活を送るのだから、そこで何の事件も起きない方がおかしい。

となると、考えるべきことは、「もしいじめが発生してしまった時、長男や周囲の子の傷をなるべく小さくする為にはどうすればいいのか?」ということのように思う。


いじめに遭う、いじめに参加してしまうことについて、なるべく傷を小さくとどめる為に、どんなことが出来るかなーと考えてみた。


・親子の会話は密にして、軽いところからなるべく話しやすい関係を作っておく。
・それでも話せない時は話せないので、サインをなるべく見逃さないように、けど気を付け過ぎないようにする。
・なるべく一緒にお風呂に入る。
・「良い子でなくてはいけない」と思わせないように、褒め方は気を付ける。
・同じクラスの他の親御さんとはつながりを作っておく。
・担任の先生とも話せる機会はなるべく話しておく。担任の先生の人となりや様子はなるべく把握しておく。



これくらいは思いついた。今後の為にメモ書きしておく。


・親子の会話は密にして、軽いところからなるべく話しやすい関係を作っておく。

これはまあ当然のことだし、現在もやろうとしているが、子供は育つに従って、親と可能な限り会話したくない時期を大体経験するので、その時はちゃんと適切な距離をとってあげないといけない。まあ、小学校高学年くらいまではなんとかなるだろう。

あと、親が大げさに反応し過ぎると、子供としては相談しにくくなってしまいそうな気がする。リアクションはさらっとにした方がよさそうに思う。


・それでも話せない時は話せないので、サインをなるべく見逃さないように、けど気を付け過ぎないようにする。

親との関係がどんなものであれ、いじめられたこと、いじめに参加してしまったことについて、話せない時は話せない。となると、親としてはなるべく、話せない子供が発するサインを捉えないといけない。とはいえ、探るようなことになっては多分子どものプライド的に逆効果になるだろうし、距離感を考えつつ。

なんかこんなものもあった。

いじめのサイン発見シート

内容が妥当なものかどうかは、似たようなサイトを色々比較して慎重に考えてみないといけないけれど、ちゃんと検証すれば参考にはなりそう。


・なるべく一緒にお風呂に入る。

お風呂でのコミュニケーションは馬鹿にならないと思う。まあいつまで入るんだ、という問題はあるが、男の子だし小学校中学年くらいまでは入ってもよさそうな気がする。

長男は銭湯が好きなので、銭湯に足しげく通うのも悪くなかろうと思う。


・「良い子でなくてはいけない」と思わせないように、褒め方は気を付ける。

親が「良い子である」ということを褒めるがために、「良い子でないといけない」という意識が出来てしまい、いじめに遭ったことを相談出来なくなってしまう、というような話を聞いた。

偉かったら当然褒めてあげたいのだが、その際も「いい子」であることを褒めるのではなく、「頑張ったこと」「良いことをしたこと」を褒めてあげるのがいい、ような気がする。


・同じクラスの他の親御さんとはつながりを作っておく。

いじめの発生についても、いじめが起きた時の解決についても、どんな親御さんがいるのかの把握と、情報交換が出来る人間関係の構築は、あるに越したことはないと思う。注意した方がよさそうな親御さんがいる場合は事前に把握も出来るし、万一自分の子どもが加害側に回ってしまった時も、早めに共有してもらえる可能性がある。

そう考えると、PTAの活動とかもちゃんとするべきなんだろうなーと思う。大変そうだけど。


・担任の先生とも話せる機会はなるべく話しておく。担任の先生の人となりや様子はなるべく把握しておく。

担任の先生が頼りになる人であって、情報を共有してくれる人であればそんなに問題はない。最近は色々と、担任の先生が頼りにならない場合のことも聞くので、そういう場合は事前に気を付けて、アラートのレベルを一段上げておく必要があるかも知れない。勿論、緊急時以外に口出しをするつもりはないが。

幸い、今の長男の担任はベテランであって、色々お話をしている限り信頼出来る方のようだ。引き続き関係は構築していきたい。


ざーっと考えてみた。奥様とも相談してみる。

一番大事なことは、多分、真剣に考えるのをやめないことだろうと思う。今はまだ一年生で、そこまでシビアな状況にはなっていないが、今後色々と難しい場面も増えるだろうと思う。そんな時にも、常に奥様とは相談しつつ、家族で問題を乗り越えていければと思う。
posted by しんざき at 20:08 | Comment(2) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年06月23日

「叱る側は、自分がプレゼンターだと自覚しないといけない」と言われたこと。


ちょっと昔話をする。

数年は前の話だ。その時私は、ひょんなことから高校時代の旧師と飲むことになった。


私は現在は関東在住なのだが、中学・高校時代は名古屋にいた。名古屋と東京は近いようで遠い。高校時代の旧友はfacebookを通じて割と頻繁に飲みの誘いをしてくれるのだが、殆ど顔を出すことが出来ず、常々申し訳なく思っていた。私が高校の頃の連中の同窓会に顔を出せたのは、ここ15年でたった2回だけであり、それでも声掛けをし続けてくれるまめな友人には感謝する他ない。

で、その時は、同窓会云々とは何の関係もなく、仕事関係でたまたま名古屋に足を向けることになった。午前中で所用は終わり、半日丸々体が空いたので、記憶にある場所をぶらぶら歩いた。地元のゲーセンが潰れていることを確認したり、近所の公園のアスレチックが健在であることを確認したりした。


その後、私が通っていた高校にぶらっと立ち入った時、廊下で旧師と遭遇した。


男子校でなければ誰何されるところだったのかも知れない。私は正門からのこのこと学校に入り込んだ訳だが、会釈した守衛さんにも主事さんにも一言も声をかけられることなく、昔自分が通っていた校舎を、特に目当てもなくぶらぶら歩いていた。考えてみれば不用心な話だが、もしかすると顔を覚えられていたのかも知れない。現役の頃も、卒業生が訪ねてくるということはそれ程珍しいことではなかった。

時間的には放課後であった筈だが、その時間、仏教校の週次行事である全校集会が行われていることを私は覚えており、現役生に遭遇することは全くなかった。

で、3年の頃の教室の辺りで、唐突に旧師に行き当たった。


おい、なんだお前こんなところで。

いやあ、と私は答えた。ちょっと通りがかりまして。

一杯いけるか。おごってやる。


実のところ、誰かしら先生に会えるかなーと期待はしていた。会えなければ会えないでもいいか、と思っていたが、その時は随分タイミングが良かったらしい。先生の行きつけの店に連れていってもらった私は、ただ酒を飲みながら随分色々な話をした。


その時話してもらったことの中に、一つ、妙に印象に残っている言葉がある。

叱る人間はプレゼンターであり、叱責はプレゼンテーションである」という言葉だ。

もしかすると当たり前の話なのかも知れない。だが、私にとってこの言葉は一つの標定であり、ここではそのままに書く。


旧師の「叱り方」が上手い、というのは高校の頃から認識していたことである。がーーっと凄い勢いで叱るのだが、叱る要点が整理されており、勢いの割にちゃんと頭に入る。叱り終わった後は、繰り返すということがない。私も何度か叱られたことはあるが、納得感がない叱責、というものの記憶があまりない。

その話を向けた時、こう言われた。

しんざき、お前部下出来たか。後輩出来たか。

そりゃまあ、何人か。そう私は答えた。

そうか、じゃあいいことを教えてやる。

「叱るってことは、プレゼンだ」と。


叱るというのは、何の為に叱るのか?何か、子供なり生徒なりが、「よくないこと」「直した方がいいこと」をしたから、その再発防止の為に叱るのだ。

であれば、「再発防止」という目的を達成する為には、二つのステップが必要になる。

1.「叱られた理由」「何故叱っているか」「何がいけなかったのか」を正確に伝達、共有すること。
2.「どう反省すればいいか」「再発防止する為にどうすればいいか」を正確に共有すること


この二点を達成出来ない叱責には何の意味もない。単なる叱る側の自慰行為だ。


だとすれば、叱る側は、「どうすればこの二点を達成出来るか」「どうすれば叱った理由を伝達出来るか、共有出来るか」を考えなくてはいけない。

目的が明確であり、正確な伝達が必要で、その為に順序立てて叱らなくてはいけない。だから、叱責はプレゼンだ。そう、旧師は言った。


「感情的ではいけない、ロジカルでないといけない?」と言ったら、「違う」と言われた。違う。必ずしもそうじゃない。

大事なのは、「叱られた側が叱られた理由を正確に認識して、反省・再発防止というゴールを共有出来ること」だ。

だから、例えば「叱られた理由」と「反省」が明明白白で、共有が既に終わっているならば、表面上感情的になっても別段問題はない。感情的に伝えた方が強烈に印象に残って、結果として「叱られた理由の定着」「再発防止」が効果的になる生徒というのは、確かにいる。


「ただ感情的になるだけで、叱る理由の伝達を放棄している」叱責は愚の骨頂だ。まあ、再発防止策が共有出来たとして、それが実行できるかどうかは別の話だけどなあ。旧師は、そう言って笑った。

この話は大体ここまでで、後は他の話に紛れて、「叱責はプレゼン」という言葉は流れていった。



三児の親になって、なんだかんだで子供を叱る機会は多くなった。そんな中、つい最近、上の話をふいっと思い出した。

考えてみると、奥様がよく言っている、「叱られたわけ、分かった?」っていう質問は、重要な質問だなあ、と。

ただがーっと叱るだけだと、子供はただただ萎縮して、ごめんなさい、というだけだ。それだけでは、叱る理由も、再発防止策も共有出来ない。その叱り方には何の意味もない。

「何故叱られているのか」「今後どうすればいいのか」を共有するというゴールに辿りつけないと、叱ることに意味はないんだよなあ、と、改めてそう思った。


勿論、共有出来たとして、それが実行できるかどうかはまた別だ。それはそれでいい。一度叱っただけで改善出来るような子供はこの世に存在しない。


親の仕事は、多分、考えることだ。どうすれば子供に、言いたいことが共有出来るのか。少しでも子供の心に残る言葉は、どんな言葉か。


旧師の言葉も一つのヒントとして、これからも考え続けよう、と、そう思ったわけなのである。


今日書きたいことはそれくらい。


posted by しんざき at 18:21 | Comment(4) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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