2016年02月12日

長男に教えられた、「元気な時は遠くを見て、疲れてきたら近くを見る」という話


少し前、長男(8歳)と一緒に「リアル宝さがし」のイベントで町中を歩いている時、彼とこんな話をしました。

以下、会話は記憶頼りなので、細部はかなり適当。


長男「結構歩くねー」

私「歩くねー」

長男「歩いている時にさ」

私「うん?」

長男「元気な時は遠くを見て、疲れてきたら近くを見るといいんだって」

私「ん?いいんだって、って誰かに聞いたの?」

長男「えーと、どうだっけ?そうかも。自分で思ったんだったかも」

私「けど、どうして?遠くを見ると目にいいってパパが言ってるから?」

長男「うーんとね。遠くの物は、歩いててもなかなか近づいてこないでしょ」

私「そうだね」

長男「近くの物は、歩いててもすぐ通り過ぎるでしょ?」

私「うん」

長男「だからね、元気な時は遠くを見てれば、どっちに行けばいいか間違えないし、疲れてきたら近くを見れば、こんなに進んでるーあとちょっとだーってなると思うの」

私「なるほどなあ」


感心しましたし、結構汎用的な話だと思うんです。

長男自身、どこかで聞いたのかそうでないのかあやふやな話らしいので、既出話かもとは思うのですが。


疲弊してきた時には、手近な達成感がモチベーション維持の為に案外重要になる」というのは、普遍的な話です。

疲れてきたら、近くを見る。景色が次から次へ流れていく。これだけ進んでいるんだ!という達成感が沸く。人間、なんだかんだで「どれだけ進んでいるか」を具体的に感じられると、結構頑張れるものです。

例えば仕事をしている時も、疲弊して頭がごちゃごちゃしてきた時こそ、タスクを小分けにして、とにかく手近なところから片づけていく。それによってピンチが乗り切れること、全然珍しくありません。


一方で、大事なのは「元気な間は、遠くを見続けていること」だと思うんですよね。


余力は十分にあるけれどまだ目標達成までに距離が遠い、という時、警戒するべきなのは具体的なゴールを見失うことです。システム開発で言えば、要件の拡散・非具体化、曖昧なゴール設定、目標管理の失敗などがこれにあたります。

疲れた時に近くしか見えなくなったとしても、多少余裕が出来た時点で、もう一度遠くに目を戻すようにするのって、案外抜け勝ちだと思うんですよ。疲れた時のテンションのままでいろんなことをやってしまった時、ふと気づいたらちょっと道がずれていた、ってこと意外とあるんですよね。

元気なうちこそ、きちんとしたゴールを見据えて、そちらへのルートを見失わないようにする。これ大事。


で、「疲れた時に近くを見る」だけではなく、「元気な時は遠くを見ておく」という部分を省略しなかった長男は、身内褒めで恐縮ですが、結構大事な部分がわかっているなーと感心した次第なのです。まあ、本人に今聞いてみたら、「そんなこと言ったっけ?」と言われるかもしれませんが。


大事な部分がわかっているかどうか、という点では、大人も子供も案外変わりません。時には父親である私が、子どもたちから何かを教えられることもあります。


私が知っていることを、子どもに伝える。けどそれと同じくらいに、子どもから教えてもらえる部分については、子どもから受け取る。

そうやって、今後とも、親子関係を営んでいければいいなあと思っています。


今日書きたいことはそれくらい。

posted by しんざき at 11:59 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月02日

家庭の問題も、「何よりもまず可視化から」だと思うんですよ。



「思ったことは、思ってるだけじゃなくて、ちゃんとお話しようね」がしんざき家の家訓になりつつあります。


ちょっと前ですが、こんな記事を読みました。

ケンタロウの唐揚げレシピで我ながら上出来だわー旨いなこれーって思ったし、子供は揚がるそばからつまみ食いしていくし、喜んでいるように見えた。
でもいざ晩御飯の皿に入れようとすると「いらない、美味しくない、お弁当にもいらない、オリジンの唐揚げが欲しいのにもう作らないで」と言い出した。
なんかもう、何が悪いのか知らないけど、衣は市販品より薄いけど味が特別劣っているとも思わないのに、心がメキメキ折れる音が聞こえたし、我が家で唐揚げが作られることはもうないだろう、悲しい。

この増田のご家庭や教育方針に口出しするつもりは全くないです。仮にしんざき家でこういうことが起きたら私や奥様はどうするかなー?と思ったので、ちょっと書いてみます。


1.親からも、「自分がその言葉で傷ついた」ということをきちんとお話する

当たり前のことなんですが、人間、傷ついたり衝撃を受けたりすると、感情的になるか、あるいは内にこもらせてしまいがりです。

どんな人間関係でもそうなんですが、「察してもらう」というのは基本的に無理ゲーだと、少なくとも私は考えています。人間はエスパーではありませんので、人が何を考えているかを読めません。当然、「自分が何を考えているか分かって欲しい」というのも非常に分が悪い賭けです。


思いは、言葉にしないといけません。そして、言葉はきちんと伝わる形にしないといけません。


怒っている時、怒りをしまいこんで相手に気付かせようとするのは、大変効率が良くありません。かといって、感情的に怒鳴り散らすだけでも、「なんか怒っている」ということは伝えることができても、一番肝心な「どうして自分は怒っているのか」ということを、特に子ども相手には伝えられない場合があります。


となると。子どもの言葉で何かに傷ついたとしたら、まずは冷静に、「自分は、何故、どういう点で傷ついたのか」ということを子どもに説明してあげるところからはじめるべきじゃないかなー、と思います。

言葉は怖いものです。時には人を喜ばせ、感動させることができますが、時には人を大きく大きく傷つけ、場合によっては病や死に追い込むことすら出来ます。言葉の怖さというものは、「君の言葉で、私はこんなに傷ついたんだよ」ということを伝えてあげないと学ぶことが出来ません。


言葉にしないといけない。不安を、不満を、感謝を、好意を、ねぎらいを。言葉にしないと伝わらない。


これ、子ども相手に限りません。夫婦間含め、どんな場合でもそうだと思います。そして当然のことながら、「傷ついた理由、怒った理由を話す」というのは、一方通行ではいけません。相手からも、いつでも、傷ついた理由、怒った理由を真剣に聞いてあげなくてはいけません。小さな子ども相手でも何にも異なりません。


こういった「不満や不安や感謝やねぎらいを、するっと言葉にして相手に伝えることができる人間関係」を、日頃から築いておくというのが大事だと思うんです。


しんざき家では、とにかく「ちゃんと言葉にしよう」というのを、奥様にも、子どもたちにも口すっぱく言っています。特に子どもは感情を上手くコントロールすることができないので、言葉にするにもエラい時間がかかることがあります。そういう時は、とにかく待つなり、じーーっと抱っこするなり、割と辛抱が要ります。ただ、教育の成果なのか、最近はちょっと時間が経てば、自分の感情をだいぶ上手く言語化できるようになってきました。


基本的に、子どもの言葉をきちんと聞いていれば、子どもも結構真剣に大人の思い、大人の言葉を聞いてくれるようになる、ような気がしています。勿論色んなケースがあるとは思いますが。

ちなみに、矛盾するようですが、「察する能力」というのはそれはそれで、あるに越したことはないとは思います。ただ、「察する能力」というものは、「察する練習」からではなく、きちんとしたコミュニケーションあってこそ身に付くものだと私は考えていますので、上記のスタンスが「察する練習を奪っている」とは私は考えていません。


2.普段、「料理は作ってくれた人からのプレゼント」という言葉を教え込んでみる

ちょっと元URLを失念したんですが、ちょっと前に、どなたかのブログで「料理は作ってくれた人からのプレゼント」ということを教えてあげたら、子どもが残さず食べるようになった、というような内容の記事を読みました。

これしんざき家でも、料理を残すことが多い長女次女に教えてみたんです。「ご飯はママが作ってくれたプレゼントなんだよー。長女ちゃん、自分がプレゼントあげたのに、いらなーいって言われたらイヤでしょ?」と。これ、本人的にかーなーりー刺さったらしく、以降相当頑張ってご飯食べるようになりました。次女なんかは、時折「ままのぷれぜんとだよね!」という言葉も言うようになりました。余程胸に残ったんだと思います。

4歳になるかならないか、くらいでした。「プレゼントをあげる」という概念を身に着けたばかり、という時期も良かったと思います。これが、例えば小学校に上がった後であれば、あそこまで刺さらなかったかも知れません。勿論刺さる子もいれば刺さらない子もいるでしょうが、素敵な概念なので広まるといいと思います。


何はともあれ、ご飯は大事だし、ご飯を作ってくれた人に感謝をするのは更に大事なことなので、今後ともことあるごとに教え込んでいきたいと思います。


以上、「しんざき家でもし同じようなことが起きたらどうするかなー?」というだけの記事でした。

以下は関連エントリー。


感謝を、労いを、好意を、親愛を、不安を、不満を、言葉にしなくてはいけない

仕事でPDCAサイクルを回せている人は、夫婦間でもちゃんとPDCAサイクルを回した方がいいような気がする

posted by しんざき at 23:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年02月01日

ひらがな教室を始めて、昔自分がさんざん言われていたことを思い出した


単なる日記です。


最近、長女(4歳)と次女(4歳)にひらがなを教え始めました。

長男は小さい頃から電車好きで、どうも「駅名を読みたい!」という強烈なモチベーションがあったらしく、ほっといても勝手に漢字やひらがな・カタカナを覚え始めたんですが、長女次女にはそこまで強烈なモチベーションがありません。長女の興味はお絵かきに、次女の興味は運動に、どちらかというと偏っているように思います。

ただ、絵本を読んだり読んでもらったりするのは長女次女とも昔から好きでして、字に対する興味自体はありそうだったので、ちょっと試しに「ひらがなのお勉強してみる?」と聞いてみました。すると、口々に「する!」「おべんきょうする!!」と言いながらぴょんぴょんと、なんだか超やる気です。どちらかというと、「パパとお勉強」という体験したことがない言葉に憧れがあったのかも知れませんが。

なので、まずはひらがなドリルを買ってきて、最初に数ページずつ書写の練習、あとはあいうえお表を見ながら読み方を覚える、というひらがな教室を始めました。


数回やりましたが今のところはかなりやる気まんまんで、特に長女の方は、私が帰ってくるなり「ぱぱおべんきょう!」と開催をねだることもある程のひらがなやる気勢です。まあ、字を覚えて自分でも本が読めるようになるのはよいことなので、本人たちにやる気がある間は続けようと思います。


で。


長女と次女は、双子でありながら性格はあまり似ておらず、どちらかというと長女が奥様似で慎重派・芸術派、次女が私似で無謀派・アウトドア派、という感じでした。

ひらがな教室を始めて、鉛筆片手にひらがなをなぞっているのを見て分かったことなんですが、長女はとにかくゆっくり丁寧に、細かいところを気にしながら鉛筆を動かします。たまに考えすぎてしまって作業が止まることもあるようですが、おおむね上手に書けています。

一方の次女は、とにかく超ハイスピード。鉛筆片手にしゃしゃしゃっと、お手本の線など知らぬとばかりに相当くねくねと曲がりくねった字を量産します。

で、次女の方に「ゆっくりでいいから、なるべくはみ出さないように書こうねー」と言っていたのですが、ふとフラッシュバックしました。これ、昔俺がさんっっっっざん言われてた台詞だわ。


私は昔から書写というものが非常に苦手でして、「字を丁寧に書く」というスキルとは無縁に生きてきた人間です。大人になった今でも、「長男(8歳)の方が上手いんじゃあ」と奥様に言われるくらいの字形の使い手である為、キーボードというものがこの世に存在することに感謝する他ありません。


自分もそうだったんでわかるんですが、次女、別に「さっさと済ませたい」とか「雑でいいから速く」と思ってる訳ではないんですね。本人的には、お手本通り普通に書いているつもりなんです。ただ、多分元々のスピード感というか、筆記に対する意識の向け方がちょっと違う。字を書くというよりは「提示された課題を解決する」的に捉えていて、さくさくと課題を解決しようとしているので、結果的にくねくねリングな字になっている、という訳なんです。


当時、私に字を教えていた先生たちは、さぞかし「この子は何故こんなに雑な字しか書けないんだ!?」とさぞかしやきもきしただろうなあ、としみじみ思い出すと共に、次女は次女でのびのびやらせておこう、と思い直した次第なのであります。


今日書きたいことはそれくらい。

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2016年01月29日

長女(4歳)に野菜を食べさせる方法

1.奥様が、長女の口元に箸で野菜を近づける
2.ぷい!という感じで顔をそっぽに向けて拒否する
3.「ああ、やっぱまだ野菜は食べられないかーまだちっちゃいしなー」と私が挑発する
4.「えーそんなことないよねーもうお姉ちゃんだよねー」と奥様がフォローする
5.もう一度箸で野菜を近づける
6.私、「え!?食べられるの!?まさかー」と大げさに驚く
7.長女、にまーってしながら口を開ける
8.野菜を口の中に入れる
9.食べる
10.私、「あー食べられた!!すごい!!」と大げさに驚く
11.長女、きゃっきゃ喜ぶ

大体11ステップが必要。毎回やると結構大変なので適当に継続させはします。

長男も昔は好き嫌いが多かったんですが、確か小学校に上がるくらいには何でも食べるようになってました。次女は、私や奥様が食べるものが美味しそうに見えるのか、真似して割となんでも食べてます(たまに食べないこともあるが)。が、長女は現在かなりの好き嫌いっこで、野菜や魚を食べさせるのに割と苦労します。

長男の例もあるので、その内食べるようになるだろうとは思いつつも、現状はなだめたりおだてたりしながら色々食べさせる日々。

あとはアレですよね、子供に「ごはんって美味しいんだ」と思わせるには、まず何よりも親が美味しそうに食べるところからですよね。そこについては今のところ大丈夫だと思うんですが。


ちなみに、下記記事を読んで書こうと思った記事です。

「サラダは大好きだから、最後に食べようっと」と長女(5才)がいった

子育ては子供と大人の知恵比べですよね。


今日書きたいことはそれくらいです。



posted by しんざき at 08:26 | Comment(1) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年01月06日

長男のプラレール趣味がなんかすごくなってきた(ような気がする)


長男(8歳)は、以前から電車好きであり、プラレール好きです。「東急の運転手さんになる」というのが彼の将来の夢らしいです。

昔から、リビングの床をプラレールのレイアウトで埋め尽くすのが彼の趣味でして、レゴとプラレールとその他おもちゃが組み合わさった構造体をばばーーっと作ってしまいます。

長男が作った渋谷駅

これは私が撮った写真なんですけど。こういうのほんの一部でして、

長男作

こんな感じの、色々なおもちゃと組み合わせた箱庭を、かなりのスピードで作ったり片づけたりできます。本人的にも、「ぼくはプラレールが得意」という自信になっているようです。それについては元より大したもんだと私は思っていますし、本人にもそういってるんですが。

最近、なんか奥様のデジカメで、自分が作ったプラレールの写真を撮り始めました。

PA080224.JPG

P1040168.JPG

P1040169.JPG

私、写真については正直さっぱり知識がないんですが、8歳の小学生が撮った写真としては、わりといい感じの写真のような気がします。

というか、「自分で考えて、写真という表現手段を手に入れて、しかもいい感じになるように工夫している」というのは、本当に評価するべきところだと思うんですよ。今のところ、単にデジカメで写真とってきゃっきゃ喜んでるだけですけど。


たまーに、電車趣味っていうと色々言われることありますけれど。こういう時、おもちゃ遊びだろうがプラレールだろうが、親としては「本人が真剣にやっている遊び」に水をささず、すごいと思ったところは素直に褒めて、見守ってあげるべきだと思うんですよね。


彼の他の様々な活動とともに、どんなことになっていくのか、今後とも観察していきたいと思った次第。

今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 19:38 | Comment(1) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年12月28日

夢中になって遊んでいる子供に、「ほら、こっちも面白いよ!行ってごらん!」と無理に誘導するのは避けようかなーと思った


長女と次女を連れて、アンパンマンミュージアムにいってきました(1年半ぶり3度目)。


毎年、年末は私方の実家(子供たちにとっての祖父母宅)にお邪魔することになっています。で、最近一人で電車に乗るスキルを身に着けて、人生初めての単独行動にはまっている長男が、日曜から一足先に祖父母宅に出発しました。

長男はアンパンマンを卒業して久しいのですが、長女次女はまだ4歳で、テレビでアンパンマンを見ると「あんぱんまーーん!」と大喜びする年齢です。アンパンマンミュージアム久しぶりにいってみる?と聞いてみたら、「むーじあむ!むーじあむ行きたい!」と強く主張なされたので、奥様と四人で、横浜は新高島に足を延ばしてみました。


で、予想通りというか、きゃっきゃと遊んで大喜びだった訳ですが。


大した話ではないんですが、その時ふと感じた問題というか、ちょっとした反省のようなものが、


「親視点で「これは面白い」と感じたものの優先度を、子供に押し付けるのはよくないなあ」


というものでした。

一般的なキャラクターものテーマパークと同様、アンパンマンミュージアムでは、会場内をやなせキャラクターが闊歩しています。アンパンマンとか、カレーパンマンとか、ドキンちゃんとか、クリームパンダとか、うさみ先生とかがうろついている訳です。

で、そういうキャラを見ると、やはり大人としては「あ、うちの子喜ぶかも」と思っちゃうじゃないですか。で、早くしないとキャラクター達はどっか行ってしまうわけで、他のもので遊んでいるわが子に、「ほら、ドキンちゃんいるよ!行ってごらん!」と注意を向けたりするんですよね。

もちろん、これ、別に悪いことじゃないと思うんです。ケースバイケースですが、わーっと喜んでドキンちゃんに抱き着きに行くことがもっぱらではあります。


ただ、あるタイミングで、長女がアンパンマンのお絵かきおもちゃ(マグネットで消せる奴)に夢中になっている時、近くにやって来たアンパンマンに注意を向けさせたら、長女、なんというか、戸惑ったんです。今はそっちじゃないのに!というような。私の注意喚起に気が付いたアンパンマンが近くに寄ってきてくれたんですが、お絵かきをしたい長女は戸惑ったままで、むしろアンパンマンにも申し訳なかったんですけれども。



幼児というものの興味や好奇心、注意というものは、大人には思いもよらないものであって、非常に意外なものに興味を惹かれたり、夢中になったりします。

で、大人から見たら「ん?なんでそんなこと?」と思っても、本人にとっては「今、これこそが最優先事項」ということで、その遊びに集中しまくったりしてる訳ですよね。

お絵かきおもちゃなんて自宅にもある訳で、親にとってみれば「アンパンマンがすぐそばに来ている!これは、お絵かきよりもアンパンマンに行くべきだ!」とか思ってしまう訳です。


ただ、この時、親としての私は「子供が今遊んでいる遊び」を「たまたま近くにきたアンパンマン」より低く考えている。単に機会の多寡だけで、「遊びの価値」というものを冷静に計算しているんです。これはあんまりよくないことだなあ、と思ったわけなんです。


遊びにおいて、優先度を決定するのは遊びの主体である子供であるべきです。


子供にとって何が一番楽しいのか、それは親が決められることではない。だからこそ、「こっちにもっと楽しいものがあるよ!」というのは、ある意味では親の独りよがりなんです。折角集中している子供の集中を乱すことでもあるかもしれない。


もちろん、これはケースバイケースの話であって、そんなに気にするようなタイミングじゃないよ、ということだってあります。そこまで夢中になっている訳ではなくて、単に他のもっと面白い対象に気付いていないだけ、ということも当然あります。そういう時、子供に一瞬「あっちにもなんかあるよ?」と教えてあげることは、むしろ良いことだと思います。


ただ、それは単なる「選択肢の提示」であって、飽くまで選択権は子供にあるんだ、ということは意識しておくべきだよなあ、と。少なくとも、「あっちあっち!」と無理やり子供を誘導するのはちょっと違うよなあ、と。


私に関する限り、そんな風に思いました。
posted by しんざき at 18:40 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月12日

宿題になかなか手をつけようとしない長男に、精神論は全く刺さらなかったけど、具体的なタスク整理とスケーリングの話をしたら超刺さった



いつものことですが、こういうのを可視化する意味もあるかと思って、整理も兼ねて書いてみます。一般化する気は特にないです。


長男、8歳。小学二年生。


ちょっと前から気になっていたことですが、長男は「頑張らなきゃいけないことに対するハードル」が高い気がします。

ポイントは、大きく分けて二つです。

・サッカーのリフティングなど、練習すれば出来そうなことについて、(出来るようになりたい、という意志はありそうなのに)何かと理由をつけてやろうとしない。
・学校の宿題や片付けなど、出来るけれど時間がかかりそうな(面倒な)ことについて、同じくなかなか手をつけようとしない。


早い話、「努力が必要なこと」について、始めるまでの精神的障壁が高いようです。いや、面倒なことが後回しになり勝ちなことなんて大人だって一緒ですし、いざ始めれば集中力はあるんで結構あっという間に終わるんですが。

やればすぐ出来るんでそんなに気にもしていなかったんですが、最近「出来ないものはどうせ出来ないしー」とか、「別にできなくても構わないしー」とか、ちょっと後ろ向きな発言が増えてきていて、本人の中でもなんか変なコンプレックスになるとイヤだなーと思って、話し合いをするタイミングを窺っていました。


クラスの宿題で、「ふりかえり作文」というものがあるそうです。どんなタイミングで書くのか分かりませんが、例えば何か楽しいことがあった時とか、私生活についてクラスの友達に紹介するような形でレポートを書くもののようです。

今日ちょっと夕飯の後、ふりかえり作文の宿題に手をつけないで足をばたばたさせている長男と話し合いをしました。


最初に、

・面倒だ、と思って手をつけないでいると、どんどん重くなってしまう
・始めてみれば案外するするっと出来てしまう
・出来ないできない、といっているといつまでも前に進めない


といった、ちょっと精神論的な話をしてみたんですが、本人的にはあまり刺さらなかったようで、たいした反応がありませんでした。

そこで、試しにもうちょっと具体的な話に落としてみることにしました。


長男は、文章を書くこと自体は苦手ではないようで、以前キッザニアに行ったときなど、1600文字くらい(字数指定があるわけではなく、書きたい分量を各自自由に書くようです)のふりかえり作文を結構きちんと書けていました。まず、ふりかえり作文の何がそんなに面倒なのかヒアリングしてみました。以下のような感じでした。


・書こうと思うとすっごく長くなるので、とても時間がかかる。何時間もかかっても終わらない(これはオーバーな表現で、キッザニアの時の振り返り作文も実際にはそこまでかかってはいませんでした)。
・書かないといけないことがたくさんあるので、どんな順番で書けばいいか分からない。



ふむ。早い話、タスクの整理とスケーリングが出来ていない為、タスクの全量が見えないことが、彼の中でハードルを上げているようです。

そこで、こんな話をしてみました。


・全部、完全に書ききろうと思わないでいい。例えば、30分なら30分と時間を決めて、その中で書けることだけ書く、というような、時間制限式のやり方もある。
・まずあらすじを書くといい。あらすじといっても難しい話じゃなくって、書きたいことのタイトルを幾つかのパートで決めて、それを別の紙に書く。次に、本番の紙に、そのタイトルで思いつくことを順番に書く。
・パパの仕事でも、まずやらないといけないことのタイトルだけ洗い出して、やらないといけないことを細かく分解してから順番に片付けるのが基本。
・あらすじ決めを10分でやる。残りの20分、そこで挙がらなかったことは書かない、と決めてしまえば、時間が長くなることもない。



すると、「30分でいいの?」と俄然反応がよくなりまして、散々逃げていた机にあっさり向かって鉛筆を動かし始めました。

始めるまでのハードルが高いだけで、始めてしまえば集中はするので、なんか結局1時間くらい書いていたようですが、まあそれはそれ。お陰で先日バーベキューに行ったときの振り返り作文が出来たようです。結構ちゃんと書けていました。半分くらい移動中の電車の話でしたが。


一般化出来る話では全然ありません。今回の状況の、うちの長男に、たまたま上記のような話が刺さった、というだけの話です。

ただ、個人的には、

・子どもを叱るときには精神論や抽象的な話が出てしまいがちだけれど、具体的で細かいところをクローズアップした方がいい場合も当然ある(勿論そうでない場合もある)
・実際に仕事でやっている話を落としこんであげると刺さる場合もある


という二点は、これからのことも含めて覚えておきたいなーと思いました。

今後、例えばサッカーのリフティングの練習なんかでも、似たような流れでやる気を出させてあげられるといいなーと考えた次第。


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 23:47 | Comment(2) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年10月10日

子どもといい関係を築いていくコツも、やっぱり「関心量の調節」じゃないのかなあ、と思った


長いので、最初に書きたいことをまとめてしまいます。忙しい方は下記数行だけ読んでください。


・人間関係では、「お互いがもっている関心量のバランス」が重要だと思います
・子どもは、親から欲しい関心量、親に対する関心量が、成長過程で必然的に変わるので調整重要だよね
・小さい頃は関心注ぎまくりでいいんだけど、ある程度大きくなったら表面に出す関心量を調整しなくちゃいけない気がします
・あんまり関係ないけどHearthstoneのSecret Paradin強いですよね



四行で済みました。エコノミーですね。四つ目のは関係ないように見えて一応最後の方にちゃんと出てきます。

さて。書きたいことは書いてしまったので、後はダラダラと書きます。


昔、こんな記事を書きました。


結婚生活を割と愉快に過ごす為のたった一つのキーワード。

手前味噌ですが、ちょっと引用してみます。
例えば結婚生活が上手くいっている話とか、上手くいっていない話とか、色んな人のお話を聞く。色んな人のお話を読む。

決まって思うことがある。結婚生活が上手くいっていない人というのは、つまり関心量に大きな食い違いが出てしまっている様に見えるなあ、と。


関心というのは、大きく言うと勿論お互いへの関心である。更には、お互いが関心をもっているものへの関心、でもある。

AさんがBさんに関心をもつ。あるいは興味をもつ。何をしているのか、どんな人間なのか知りたいと思う。

全ての人間関係はそこから始まる。お互いへの関心のバランスが良ければ、お互いにとって丁度いい距離感が形成出来る。相手がやっていることへの関心をもっていれば、相手が体験している楽しさが分かる。相手が体験している苦労も分かる。気配りも思いやりもその後の話だ。

お互いへの関心のバランスが悪いと、コミュニケーションのバランスが崩れる。一方は反応欲求を満たすことが出来ず、一方は発信欲求を満たすことが出来ず、不満はどんどん蓄積されていく。

これ、親子関係も同じだなあ、と。というか、もしかすると親子関係の方がずっとシビアかも知れないなあ、と。


ある年代、例えば小学校低学年くらいの時期まで、子どもにとって「親からの視線」「親からの関心」というのは必須の栄養源です。なんでもかんでも「パパ、みてー!」「ママ、みてー!」という。遊んでもらいたがる。抱っこしてもらいたがる。こういう時、親の関心が自分に向いてこない、というのは、子どもの心を成長させる上で結構クリティカルな問題です。

また、「親が、自分が関心をもっているものに関心をもってくれている」というのも、色んな点で凄く大事だと思うんですよ。小さな子は、親が自分の好きなものについて関心をもってくれていれば、喜んでそれについて話してくれます。自分の好きなものを言葉にすることによる表現力。「自分が何かを好きである」ことを認められている、という精神的安定性。親子で遊べることによる関係性。大事なことばっかりだと思うんですよね。

この時期、子ども自身が親に対して絶大な関心を持っている、ということもあります。小さな子どもにとって、親の存在というのは世界の半分以上を占めていたりしますので、親の存在というものは絶大な関心事であるわけです。

関心というのはお互いが持っている量が重要ですから、親にとっても、「関心を注げば注ぐ程バランスがよくなる」時期がこの頃だと思うんですよね。



一方で。

子どもがある程度大きくなるとよくある話なんですけど、色んな他のこと、例えば友達のこととか、遊びのこととか、学校のこととか、ゲームのこととか、広がった世界に関心が出てきます。その一方で、親との距離感や意識が微妙になったりします。

誰しも記憶にあることだと思うんですが、ある年代になると、親からの視線、親からの関心自体が、急に重荷になったり、鬱陶しくなったりすることがあるんですよね。そういう状態で、小さい時と同じ感覚で親が手出し・口出ししてしまうと、過干渉になってしまって親子の関係性にダメージを与えたり、子どもの独立心に負の影響を及ぼしたりします。


これも、「関心量の調節」に由来するところじゃないかと思うんですよ。


親にとっては、子どもが多少大きくなっても、小さな時と同じ感覚でありがちだったりするんですよね。親にとっての5年というのは、それ程長い期間じゃない。けど、子どもにとっての5年というのは、人生の過半の期間だったりします。時間感覚が違うんです。

で、子どもや、子どもが好きなものに対する関心量を、もっと小さな時のまま持ち続けてしまったりする。けれど子どもの方では、成長するにしたがって、親からの関心量のキャパシティが一時的に小さくなる。また、自分が親に対してもつ関心の量も低下してくる。

上でも書きましたが、関心というのはお互いが持っている量のバランスが重要ですから、親にとって、「関心を注ぎ過ぎるとバランスが悪くなる」時期がこの頃だと思うんですよね。

ここが調節できないと、これはこれで親子関係上のダメージになるんじゃないか、と思うわけなんです。


子どもがある程度大きくなったら親は無関心でいい、という訳ではないですよ。子どもの成長に合わせて、親は表面に出す関心量を調整しないといけない、という言い方が適切なんじゃないか、と、今の私は考えています。


関心をもつだけではなく、少なくとも一時的には、関心の量を調整して低下させる必要がある。また、成長にしたがって、必然的に自分に対しての関心が低下する。


こういう点で、親子関係における「関心量の調整」は、夫婦関係以上に難しいし、大事だなあ、と。そんなふうに思ったわけなんです。とはいえ、「子どもが大きくなったらあまり目をかけすぎないようにしましょう」という話にしちゃうと、当たり前のことかもしれないですけどね。


息子は現在小学校二年生。まだまだ甘えん坊だとはいえ、大きく自分の世界が広がり始め、色んなことに興味をもつ一方、親との関心量のバランスは段々微妙になってきたと感じます。とはいえ、彼は「父親(私)が好きなゲーム」については多大な関心があり、最近は私がHearthstoneで使っているSecret Paradinが気になって気になって仕方がないようです。ただ、彼はほとんどFace Hunterしか使ったことがないので、まずParadinのsecretを覚えるところから始めないといけないと思います。


一方、長女・次女は幼稚園年少。こちらは、親からの関心があればある程大きく成長する時期です。


今後とも、いい感じの関心量を保持して、子どもとのいい関係を築いていければいいなあ、と。


今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 14:13 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年09月10日

男親が子どもとの関係を将来に渡ってよくするために必要なたった一つのこと



奥さんと「新婚かよ」ってくらい仲良くしまくること。



娘が今3歳なのだが、純なまま育てるにはどうしようか。

なんかこちらの増田が話題になってたので、思ったことだけ書きます。

この記事自体については、例えば娘さんに対するスタンスがどうとか、性的な視線が気持ち悪いとか、色々な側面から批判の対象になっているようですが、私は一点、「自分と奥さんとの関係性」についてこの人が殆ど書いていないことについてちょっと気になりました。


この増田の意図自体は、ざっくり「将来に渡って、男親としての娘さんとの関係性を良好なものにしたい」という風に括ってしまっても、まあそんなに問題ないと思うんです。細かい問題はありますけど、その辺は多分ある程度切っちゃっていい。


で。これは私の感覚なんですが、子どもと仲良くする際、「奥さんと仲がいい」という要素って凄い重要というか、結構前提条件みたいなところあるんじゃないかと思うんですよ。


勿論例外もあるとは思うんですけど、少なくとも私の観測範囲内だと、「奥さんと険悪だけど子どもとは仲が良い」っていう旦那さん、一人もいません。家族全体ワンセットで仲が良いか、家庭にあまり居場所がないか、ほぼ二極化しています。


夫婦仲が良いことは、単に「子どもと仲良くする為に」ということだけに限定したとしても、


・両親の仲が良い = 家庭内が安定しているということが子どもの心理的安定性に寄与する
・父親がいない間でも、子どもが父親の褒め言葉を聞ける
・子どもの成長に従って父-子ども間が一旦疎遠になったとしても、家庭内でちゃんとポジションがある



などなど、いいことづくめだと思うんです。別にそれだけの為に夫婦仲良くする訳でもありませんけど。


子どもが大きくなるにつれて、親、特に父親をある程度忌避するようになる、なんてこと、ごくごく当然のことなんですよね。自分のこと思い出せばわかるでしょう、という。程度の差こそあれ色んな子どもが通る当然の成長過程なので、むしろ該当しない方が多少心配です。


で、子どもにとっては、ある意味「安心して父親を忌避出来る」ことって結構重要だと思うんです。自分が父親と疎遠になることで、父親の居場所自体がなくなっちゃうとか、家庭内の空気が険悪化しちゃうとか、子どもの精神衛生上、いい影響が出るわきゃありません。両親の仲が良くって、家庭内が安定していてこそ、子どもも安心して精神的自立が出来るってもんなんじゃないかと。

で、安心して精神的自立が出来てこそ、更に将来、一人の大人として父親と安定した関係を築くことが出来る。多分そんな感じなんじゃないかと思うんですよね。


というか、ぶっちゃけ、奥様と仲悪かったら、子どもの反抗期に父親として家庭内でどう過ごすんだよと思わないでもないんですが。大丈夫なのかしら。


なので、将を射んとすればではないですが、まず何よりも「奥様との関係性」というものを最重視するべきなんじゃないかなあ、と思った次第です。娘と、ではなく奥様含めて家族全員でお風呂に入るべきだと思います。奥様を性的な視線で観ることはそこまで怒られないんじゃないかとも推測されます。


ちなみにしんざき家では、長男長女はそこまででもないんですが、次女は今のところかなり私べったりで、私が出社すると泣かれますし、歯磨きの時にわざわざ召喚されます。とはいえ、これもいつかは失われることだろうとは思いますし、今後とも親子の程良い距離感を模索しつつ、奥様と仲良くすることにいそしみたいと思っております。

あと、しんざき家風呂はデフォルト皆で入るんですが、最近流石に5人は手狭になってきました。どーしたものかしら。


今日書きたいことはそれくらいです。
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2015年08月31日

野菜を食べた長女を「偉いねー」と夫婦そろって褒めていたところ、


「長女ちゃんは簡単なことで褒めてもらっていいなー」と長男が言ったので、「長男くんはだいぶレベル上がったでしょ?レベル低い内はスライムだけ倒しててもレベル上がるけど、レベルが上がるともうちょっと強い敵倒さないと、なかなかレベル上がらなくなるんだよー」と説明したところ、取り敢えず「そっかー」と納得してくれました。こういう時、ゲーム用語が不自由なく通じるというのは、ゲーマーとして何かと助かります。


ただ、これ、意外と重要な話なんじゃないかなー、と思いまして。大体二つくらいのテーマがあるんじゃないかと思ったわけなのです。


1.長男の弟妹に対する不公平感をどうフォローするか
2.「褒めてもらえる」ということに対するハードルに関して



長男8歳。小学二年生。長女次女、3歳。幼稚園年少。

まず一点目として、長男の「下の子に対する不公平感」というものは、本当に様々なところから発生します。


例えば、何かいたずらをしても、下の子だけ大目に見てもらえて自分は叱られたり、であるとか。

例えば、自分は抱っこしてもらえないのに下の子は泣いたら抱っこしてもらえる、であるとか。

例えば、おもちゃで遊んでいる時、下の子が欲しがって譲らされたりとか。


もちろん子どもにもよるとは思うんですが、上の子だって小学生中学年くらいまではまだまだ甘えたい年頃です。この辺で不公平感を強く感じて、日々の生活がストレスになったりすると、色々よろしくないよなあと。


しんざき家なんか、長男と長女次女双子の年齢差が4歳くらいあるのでまだなんぼかマシかとは思うのですが、下の子との歳の差が小さいご家庭なんか、より一層この辺について頭を悩ましていらっしゃるのではないかと思うわけです。


一応のところ、現在しんざき家では、

・いたずら・おもちゃの配分などについては、下の子が泣こうがどうしようが可能な限り公平に裁定する
・長男に譲歩を求める時にも、必ず長男の意思は確認して、最終的に「自分から譲った」という形にする(どうしても嫌がったら下の子を諦めさせる)
・長男を「こどもリーダー」に任命して特別扱いしており、時には長男だけ楽しいことをさせてあげる


といった対策をとって、不公平感の分散を図ってはおります。


結局感情なんですよね。上の子も、ある程度理性が育ってくれば、「下の子がまだ小さい内は全然制御が効かないので、親はある程度下の子を優先しないと色々立ち行かない」みたいなことは既に分かっている訳なんです。

けど、頭でわかってるだけで全部納得出来れば苦労はないわけで、感情的に不公平感を感じるところは感情的に対処しなくてはいけません。


多分これは男の子だけに効く手だと思うんですが、しんざき家の場合、「こどもリーダー」という役職に任命書まで作って、長男を「パパがいない間、ママや長女ちゃんや次女ちゃんを守る役目」と言っており、時には「いつもこどもリーダーやってくれてるから」と何かしら優遇したり、というようなことをやっておりまして、今のところこれが一番長男には響いているような気がします。男の子、やはりなんだかんだで「役割」というものに弱いです。

あとは、先日も書きましたが、彼の場合祖父母の家が「ぼくだけのばしょ」になっているのも非常に大きいようで、そんなところでも祖父母には感謝することしきりです。


一方。タイトルでも出しましたが、「褒め方」「褒める頻度」という点では、正直そこまで気をつかってこれなかったなー、と今回気付いた次第なのです。


以前、こんな記事を書きました。


不倒城:「最近ぼくあんまり褒めてもらってないよ?」


やっぱり、「親に褒めてもらえる」っていうのは、子どもにとって凄く大きいんですよね。多分、自己承認感に直結する問題だと思います。

とはいえ、親としても「なんでもかんでも褒めりゃいい」というもんではない訳で、やはり褒める時にも真剣に考えて、真剣に褒めないといけない、とは思うのです。

手前味噌なんですが、これも昔書いてました。以下です。

不倒城:子育てにおいて、「真剣に考えて、真剣に褒めること」が大事なんじゃないか、と思った。


この辺考えると、やはり長女次女が出来る程度のことで長男を褒めるのはちょっと違う。大人になっても、メンバーと、リーダーと、マネージャーでは、それぞれ褒められる内容も褒められるタイミングも違いますしね。

ここについては、引き続き、色々考えて「なるべくいい褒め方」をしていきたいなー、と思うわけです。




まあ、何はともあれ、長男、長女、次女、いずれにとっても完全に不公平感をなくすのは難しいかも知れないですが、出来る限りフォローしていきたいなーと思う次第なのです。


今日書きたいことはそれくらい。
posted by しんざき at 18:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年08月10日

長男が初めて電車一人旅をしてちょっとしみじみした

長男8歳。小学二年生。

祖父祖母の家は某近隣県に所在しており、長男が一人で祖父母の家に泊まることはかなり前からあった。

祖父母は、長男が産まれた直後から長男にベタ惚れで、一時は毎週の様に車を飛ばして遊びに来てくれていた。長男がもうちょっと大きくなって、下に双子が産まれた後は、長男を預かるところから、やがて長男一人で祖父母の家に泊まれるようになり、祖父母の家は「ぼくのきゅうけいじょ」になっていたらしい(長男曰く)


元々大の甘えん坊だった長男だが、長女次女が産まれてからは色んなところで甘えたい欲求を我慢することになっている筈だ。そこから考えると、好きなように甘えさせてくれる祖父母がいることは、本当にありがたいことだ。好きなだけ甘えたい欲求を満足させられるというのは、きちんとしたメリハリさえあれば、成長の為にとても重要な栄養素なのではなかろうか。

長男がきちんと「我慢」出来ているのも、長女次女に対してちゃんと「こどもリーダー」をやってくれているのも、祖父母の家が「ぼくだけのばしょ」であり続けていることが一因だと思う。


で、今回初めて、長男が一人で電車に乗って、祖父母の最寄駅まで行った。

一人で、といっても、路線としては一本だ。出発駅までは私が送った。特急と急行を乗りついで、40分くらいというところだと思う。それでも、出発駅まで一緒に山手線に乗っている時、長男はやけにテンションが高かったし、傍目にもわくわくしていることが分かった。「ちいさな大冒険だね!!」と言っている時の笑顔が少しまぶしかった。

ただ、彼のわくわく感は、私にも伝わった。昔、私にも同じようなことがあったから。一人で電車に乗るというのは、まさしく「小さな大冒険」だったから。

特急に乗せて、窓から手を振った後、なんだか軽く虚脱してしまった。当たり前だが、もう小学校に通っている訳で、親の手の届かない所に一人で行くことが初めてなわけでもない。ただ、「親の手の届かない場所」のスケールが、こうして徐々に徐々に広がっていって、最後には完全に親の懐から飛び出していくんだろうなー、と、ちょっとしみじみした次第なのである。


ちなみに、長男はその二時間後くらいに、祖母の携帯を使って私に電話をかけてきた。「この謎の答えなに!?」とhttp://www.takarush.jp/の問題を提示してくるからには、恐らくもうしばらくは親の懐にいてくれるつもりなのだろう。とことん付き合いたいと思う。


今日書きたいことはそれくらい。



posted by しんざき at 19:26 | Comment(3) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年07月27日

漫画だろうが絵本だろうが制限しないで、本を読みやすい環境さえ整えておけば、子どもは勝手に本好きになるような気がします

漫画だって絵本だって立派な読書だ、と私は思うわけなんですよ。

という話を以前していたら、「子どもが漫画ばっか読むようになりそうで心配」といわれまして。勿論人それぞれだろうとは思うんですが、

・色んな本に触れることの出来る環境だけ用意しておいてあげる
・親が「そんな本読むな」「こういう本読め」という制限や押し付けをしない


この二つにだけ気をつけておいてあげれば、知識欲の趣くままに、子どもは勝手に色んなもの読むようになる、ような気がします。


まず先に、しんざき家の家族構成を明示しておきます。しんざき、しんざき奥様はいずれも30代中盤。長男は8歳、小学二年生。長女・次女は3歳の双子。絶賛おしゃべり期で、ここ最近は豚が石鹸食う絵本がお気に入り。


これはある程度一般化出来ると思うんですが、子どもって基本的には「知りたがり」なんですよね。とにかく色んな知識や情報に触れたがる。別に新しいものでなくても、何度か触れた情報であっても関係なく。だから、手に届くところに本があれば、読む。

しんざき家長男の場合。1〜3歳くらいの頃には、子どものおねだりに応じてなるべくたくさん絵本を読み聞かせしてました。あと、寝物語にてきとーなお話をでっちあげて聞かせてたりもしました。

その後、字が読めるようになった長男は、まずコミック版の「ドラえもん」にハマりました。暫く「ドラえもん」ばっかり読んでいて、少し前からは自宅にあった「テルマエ・ロマエ」とか、よつばととか、聖おにいさんとか、その辺の漫画も喜んで読むようになりました。

で、特に何の制限もしないでいたら、「かいけつゾロリ」とかトムとジェリーの迷路絵本なんかを経て、ここ最近「はれときどきぶた」や「トム・ソーヤーの冒険」や「長くつ下のピッピ」なんか読んでるなーと思っていたら、ついには児童用の「ロミオとジュリエット」を読み始めました。いきなり方向性がすごいと思います。


まあ、なんというんでしょう。私はそもそも、「漫画よりも字がたくさんの本を読んで欲しい」とすら思っていないんですが、子どもは勝手に色んな本に手を出し始めるもんなんだなあ、と。漫画ばっかならそれはそれで別にいいと思ってたんですが、そうでもないもんだなあ、と。

しんざき家でやっていることは、基本的には、多分たった二つだけです。

・一〜二週に一回、図書館につれていって、何でも好きな本を借りておいで、と言っている(目黒区だと一度に二十冊借りられる)
・子どもが何を借りてきて何を読んでいても(読まなくても)文句を言わない


この二点だけ。

これについてはしんざき奥様の働きが大きいと思うんですが、奥様、たとえ借りてきた本をほったらかしにしてても「折角借りてきたんだから読みなさい」とすら言わないんですよね。基本、一度読めるようになりさえすれば、あとは全部子ども任せ。だから、子どもは読みたい時に、読みたい本だけ読む。

こういう風にしてれば、読書嫌いになんかなりようがないと思うんですよ。

(親に限らず)大人が「こんなものばっかり読むな!」とか、「もっとこういう本読め!」とか言う。そうして押し付けられた本って、子どもにしてみれば、正直あんまり読む気になって読んでないんですよね。だからあんまり身にならない。ソースは私です。

一方、「読みたくて読む」本であれば、それが漫画だろうと絵本だろうと、子どもにとっては大切な読書体験になるんですよ。で、一度「本を読む」ことが好きにさえなれば、あとは何でも読むようになる、と思うんです。


ちなみに、しんざきは今でこそどちらかというと濫読家寄りな方だと思いますが、小学生時代の愛読書はファミリーコンピューターマガジンで、中高の頃はゲーメストでした。お蔭様で、あまり子どもの読書傾向を心配せずに済んでいます(心配する権利がない、とも言う)


まあ、多少「おススメ」の方向性くらいは出してもいいと思うんですが。正直小学二年生男子が「ロミオとジュリエット」を読んで面白いかどうかには若干懸念があるので、「十五少年漂流記面白いよー」とかさりげなくおススメしたりもしているんですが・・・まあ、面白くなかったら読むのやめるだろうから別にいいか。

あと、全然関係ないんですが、夜寝る前の絵本読みの時間に、ためしにBGMで「遠い音楽(zabadak)」を流してみたら、なんかぐりとぐらがすっげえ壮大な感じのお話になりました。長女次女はどうでもよさそうでしたが、親的には楽しいのでちょっとおススメです。

まあ、なにはともあれ、親は「本をたくさん読む経路がある環境」だけ整えておけば、あとは「漫画ばっかり読んで!」とかそんなに気をもまなくてもいいんじゃないかなあ、とか、そんなお話でした。

今日書きたいことはそれくらい。
posted by しんざき at 23:03 | Comment(3) | TrackBack(1) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月28日

次女を納得させる奥様の話し方に感心して、見習いたいなーと思った話


いや、全然、大げさなことではないのです。むしろちょっとしたこと、本当にちょっとしたことだと思うのですが、個人的には感心したので書いておきたくなりました。


しんざき家の構成は、しんざき、しんざき奥様、長男7歳、長女次女の双子3歳。夜は布団部屋にお布団を敷き詰めて皆で寝ます。

どうも世間様に比べるとかなり卒乳がゆっくりな家庭のようで、長男も確か3歳中ごろまでおっぱいを飲んで寝ていました。長女もまだおっぱい星人なのですが、次女は最近おっぱいなしでも寝られるようになってきたようです。

で、寝る前はちょっとした読書タイムになっておりまして。長男は漫画や好きな本やドミニオンマニアックスを好きなように読んでから寝ているのですが、長女次女は絵本の読み聞かせをねだることがもっぱらです。「ぐりとぐら」を読んであげたり、「ベッドのしたになにがいる?」を読んであげたり、「もぐらバス」を読んであげたりしてから消灯しています。


消灯後。長男はもう最近はごろごろしながらも基本大人しく寝ますし、長女は一度おっぱいを飲み始めると滅多にそこから離れないでそのまま落ちるのですが、次女は退屈しいなのであの手この手で立ち歩こうとすることがあります。

昨日も、次女は「おみずのみたーーい」と言って私を揺すりました。生理的にのどが渇いてしまうのは仕方ないので、一回目は起き出して、洗面所でお水を飲ませました。

が、それから5分くらい、長女も長男も寝息を立て始めた頃、次女がもう一度私を揺すります。


「ねえ、またおみずのみたいのー。」


この時私は、「さっき飲んだだろー?」と言いました。5分前にたっぷり水は飲んでいましたし、夕飯がしょっぱかった訳でもなく、もう生理的にはのどは渇いていない筈で、単に立ち歩きたいだけだと思ったからです。

そこで、奥様が横から挟んだ一言が、えらく印象に残りました。


「今お水冷蔵庫で冷やしてるからね、明日まで待ったら、おーーいしくってつめたーーーいお水が飲めるよ?」


「そっかあ」

少ししてから、次女はにまーっとして納得して、布団にごろーんとしました。この日はそのまま就寝。


勿論、ケースバイケースだとは思うのです。次女にだって、刺さる時もあれば、刺さらない時もあると思います。

でも私は、奥様の方が私より遥かに上手いなー、と感心しました。


私の理屈は、要するに理詰めです。「さっき水を飲んだ」→「今はのどが渇いていない筈だ」→「だから本当にお水飲みたいわけじゃないでしょ?」と。これはこれで、「消灯後は寝ないといけない」という躾としては正しいとは思うんですよ。

ただ、次女はそもそも、理屈で「水が飲みたい」といったわけではないのです。彼女は、理屈ではなく、「暗い中で寝てるのたいくつ」という感情のままに、その解決手段として「おみずのみたい」という武器をセレクトしたわけです。これがもうちょっと大きかったらともかく、3歳児の感情に対して理屈で説得しようとしても、効果はごく限定されているでしょう。


それに対して奥様は、さらっと、ごく自然に、感情を別のプラスの感情に誘導する一言を投げ込んだわけです。


幼児の感情というものは本当に気まぐれで、殆ど自然現象のようなものなので、真っ向から対抗しようとしてもそれ程高い効果は得られません。そこを、説得するのではなく、むしろ違う方向に誘導する。こどもにもよるとは思いますが、確かに気まぐれな次女に対してならば、私のやり方よりもこちらの方が遥かに命中率は高いでしょう。


繰り返しになりますが、これが刺さる時もあれば、刺さらない時もあると思います。私にしても、もうちょっと考えてからなら、そういう誘導の仕方を思いついたかも知れません。ただ、ノータイム、全く思考時間をはさまずに、ほぼ反射的にこういう誘導の仕方が出来るというのは、やっぱり奥様はすごいなー、と私は感心した、という話なのです。見習いたい。



ちなみに、無論次女も多角的に攻めてくるわけで、今日は「といれいきたい」→「でなかった」攻撃を選択してきました。これは流石に「さっき行ったでしょ」や感情そらしが使えないので、若干苦戦しました。3回くらいトイレ往復した。


ほんのちょっとしたことでしたが、今日書きたいことはそれくらい。
posted by しんざき at 23:08 | Comment(4) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月11日

いつかあるかも知れないいじめの為に、なるべく親子の会話経路をたくさん残しておきたいなー、と思ってお風呂でお話したこと


いつもの様に、こういうことを可視化するのも悪くないかなーと思い、書く。

長男7歳。普段、私が早く帰ってきた時は大体家族5人で風呂に入るのだが、先日は珍しく、長女・次女・奥様が先にお風呂に入った。その為、私と長男の二人でお風呂に入ることになった。

その時、以下のようなことを話した。


「最近なんか、学校で困ったことないか?」

「この前話したこと(班のリーダーの女の子が決める自分ルールが色々細かくてイヤだ、ということ。席替えに伴い解消)しかないよ?」

「そうか。ならいいんだけど、一つお話があります」

「おはなし?おもしろいやつ?」

「(息子の名前、以下息子で統一)くんにはまだそういう感覚ないかも知れないけど、学校で何か困ったことがあった時、一番それを言いたくないのは、多分パパだ」

「別にそんなことないよー」

「今はないと思うけどね。もうちょっと大きくなったら、これはパパやママには言いたくないなー、隠しときたいなーってこと、多分色々出てくる。それは別に悪いことでも変なことでもなくて、普通のこと」

「うーん?」

「話したくないことは、別に話さなくていいんだ。けど、たまーに、話さないでいると話さないでいる程、段々重たくなっちゃうことがある」

「重たくって?」

「困ったことが、雪だるまみたいにどんどん大きくなっちゃうってこと。そういう時って人に話しにくいし、話さないでいればいる程、どんどん話しにくくなっちゃう」

「うーん」

「多分、まだ、息子くんにはあんまりそういうことないと思う。ただ、これだけ覚えといて欲しいんだ。パパやママは、息子くんがどんな風に困っても、一緒に、真剣に、解決法を考えてあげられる。で、大体の場合、自分でも息子くんと同じことで困ったことがある。だから、息子くんが知らない解決法も色々知ってる」

「どんなことか分かんないよ」

「パンドラの謎で困った時、パパに相談して一緒に考えたら解けたろ?」

「うん」

「とにかく、パパに相談したら最後は何とかなる!とだけ覚えといて欲しいんだ。分かった?」

「分かったー」


私はこの話をした時、いじめのことを想定していた。

息子さんは、まだ、いじめに遭ったこともないし、多分いじめに参加したこともない。話を聞いている限り、幼稚園の頃、いじめに近い状況を目撃したことはある様だが、それは殆ど顕在化しないまま、幼稚園の卒園を迎えることになった。

今後、小3,小4と大きくなるにつれて、彼の人間関係も複雑になるだろう。一方、彼にもいずれ反抗期が訪れるだろうし、そうでなくても自立心の成長によって、親に何でも話してくれる時期はぼちぼち終わりになるだろう。


「困ったこと」というのは、多くの場合、「人に話しにくいこと」でもある、ということを私は知っている。そして、「話さなければ話さないほど、どんどん話しにくくなっていくこと」でもある、ということも、私は知っている。いじめに遭った、なんてのはその最たるものだ。


「話せない」ということは、心を疲弊させる。それ以上に、「話しても無駄だ」という意識は、子どもの心を容易に殺す。

だから、何でも話してくれる今の内に、「パパやママは、少なくとも全力で話を聞いてくれる」ということは分かっておいてもらいたい。そして、出来ればだけど、「パパやママに聞けば、迷路の出口も一緒に考えてくれる」ということも、意識のどこかに残しておいてもらいたい。


ただ、「出口を教えてくれる」だけだと多分ダメだと思う。一緒に考える、というのが重要だ。

親も、昔は子どもだったのだ。そして、私は多分、まだ子どもの気持ちになって考えることも出来る。だから、子どもにも子どものプライドがあるし、子ども同士の人間関係があって、それは大人と全く変わらず複雑だ、ということを覚えている。


勿論私は親として、いじめに参加して欲しくないし、いじめに遭って欲しくもない。しかし、いじめ自体は、子どもが集団になっていればどうしても発生してしまうことだ。そんな時、万一息子がいじめの当事者になってしまった時、どこかで「最後はパパに言えばなんとかしてくれる」と思いだしてもらえればいいなあ、と。そんな対話チャネルについては、なるべく長い間、なるべくたくさん確保しておきたいところなのだ。


こういう話を折々していくことが、息子の心の中に、何かの種になって残ってくれるといいなあ、と思う。



全然関係ないが、文中の「パンドラの謎」というのは下記サイトのお話である。

takarush:パンドラの謎

先日、横浜はこどもの国に行って「リアル宝さがし」というものに挑戦してみたところ、やたらめったら楽しかったらしく、長男にねだられてtakarushのサイトに長男名義でハンター登録まですることになった。「ぼくもいっぱしのハンターだね!!」だそうである。


で、Web上で挑戦できる謎解きもあるのだが、内容がどう考えても小学生低学年向きじゃねえ、というかはっきりと大人向き。世界史の知識とか、西洋文学の知識が求められることすらあって、私でも要所要所でぐぐらないと解けない問題があったりする。


で、色々長男に歴史の話なんかしながら解いていたら、なんだか非常に食いつきが良く、いつのまにやら大航海時代を始めから終わりまで大体説明し終わっていた。彼は今、マゼラン海峡がどんな経緯で名づけられたのか知っているし、インドに最初にたどり着いたポルトガル提督の名前を知っている。

彼はどうもゲーマー気質であって、私のことを「尊敬すべき父親」というよりは、「色んなゲームで超強いラスボス」のように認識している節がある。その為、ゲームや遊びが絡む時には、私の話を物凄く集中して聴いてくれる。それが何であれ、「集中して聴いてくれるテーマがある」というのは多分良いことだ。


好奇心が強いのはとてもいいことなので、引き続き、ゲームなりなんなりを入口にして、彼と色んなことをお話したいと思う。


今日書きたいことはそれくらい。

posted by しんざき at 20:03 | Comment(1) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年06月04日

子どもと遊ぶのがめっちゃ楽しいので、子どもと遊びたがらないお父さんの存在がよくわからない


いや、勿論、「体力的についていけなくて休まざるを得ない」というケースは分かるんです。凄くよく分かる。何せヤツら電池の使い方に一切ブレーキがない。体力が無尽蔵って訳じゃないんですが、電池が切れるまでは100%セルかよって感じのフルパワーを遠慮皆無でこちらにぶつけてくるので、いつも100%で対応する訳にもいかないこちらに、ハンデとしての休憩の時間が必要なのはわかるんです。


ただ、身近のお母さんやご家庭の話を伺ってみると、それ程体力的な問題がなくても、「パパが全然子どもと遊んでくれない」という愚痴を結構観測しまして。余計なお世話なんですが、勿体ねえなあ、と。


少なくとも私の場合は、なんですが、子どもと遊ぶのが物凄く楽しいです。超エンターテイメント。時間と体力さえ許せば一日中子どもと遊んでいたいくらい。


子どもと遊ぶのが物凄く楽しい理由って、私にとっては、突き詰めると以下の二点に絞られるんだと思います。


・子どもの「楽しむハードル」が大人に比べて凄く低い
・それに影響されて、自分にとっても「楽しむハードル」が低くなる



多分、遊びなりゲームなり漫画なり、それがどんなものであれ、「楽しむことが出来るかどうか」というハードルみたいなものがあるんだと思います。それは、単純に好みの問題であったり、同じような別のなにかを既に摂取しているかどうかだったり、体力的についていけるかどうかであったり、とにかく色んな要素で変わる。


で、大人になってくると、なんだかんだで色んなものに対して「楽しむハードル」が上がってきます。今までの経験によって新鮮さが減ってしまう、であるとか。子どもっぽいものだ、という先入観が出来てしまったり、であるとか。私なんか、一般的な大人よりはだいぶ「楽しむハードル」が低い方だとは思いますが、それでもなんだかんだでハードルが存在することに変わりはありません。


一方、子どもというのは、ホントーーーに「何かを楽しむ」天才です。本でも、漫画でも、ゲームでも、勿論単純な遊びでも、あるいはもっと原始的なじゃれ合いでも、彼らは本当に、ありとあらゆるタイミング、ありとあらゆる瞬間を楽しみます。子どもの「楽しむ」能力は半端じゃない。あればっかりは大人の比じゃない。

考えてみれば、彼らにとっては、大人に比べて遥かに「色んなことが新鮮」なんですよね。勿論、個別個別に飽きちゃうことはあるんですけれど、それを差っ引いても、どんな遊びでも全身全霊で楽しむことが出来る。


そして、単純にそれを見ている親の側も楽しい、というのも勿論そうなんですが、子どもと一緒に遊ぶことによって、親は自分自身の「楽しむハードル」も下げることが出来るんです。

子どもが何かを新鮮に感じることが出来るように、子どもと一緒に何かを見ると、不思議と親にとってもそれが新鮮に見える。それは多分、子どもの視点に親が共感することが出来るからなのでしょう。

大人が「子どもっぽい」と感じるような遊びでも、子どもと一緒であれば親も全力で遊ぶことが出来る。そして、全力で遊ぶと、それがどんな「子どもっぽい」ものであれ、そこには確かに「楽しさ」があるんです。


天才は、周囲の人に色んな点で強い影響力を発揮する、といいます。それと同じように、「楽しむ天才」である子どもたちも、大人である私たちに対して、魔的な影響力を発揮するということなんでしょうか。


子どもは、いつまでも親に「遊んで!!」と言ってくれる訳ではありません。親が子どもと全力で遊べる時間は、多分ごく短い。


だから、少なくとも私は、子どもが「遊んで!!」と言ってくれるチャンスを、可能な限り逃がさないようにしたいなあ、と思います。何よりも、まず自分自身が楽しむ為に。


まあ、そんなこといっても体力的にキツかったらだらけるわけですが。夏の屋外遊びマジハード労働。


今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 20:08 | Comment(7) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月26日

最近将棋を始めた長男に、どんな風に教えていこうかなーと考えている 15/05/26

長男7歳10か月。長女次女、共に3歳6か月。

長男は以前から将棋に興味を持ち始めていたのだが、最近本格的にハマりだした。iPadの将棋ソフトを立ち上げてあーでもないこーでもないと6枚落ちのCPUを相手にしていたり、将棋盤を持ちだしてきて「パパ、将棋して!!」とねだってきたりする。

つくづく男の子は「勝負ごとが絡むゲーム」が好きだなー、と思う訳なのだが、将棋は頭の体操にもなるし、どんどんやってもらってよかろうと思う。

というところで、さて、と考え込んだ。私は長男にどう将棋を教えたものか。というか、私はどんな手順で将棋を覚えただろうか。流石に本だけ読んで独学で勉強出来たとは思わないので、多分父に何かしら教わったのだろうとは思うのだが。

【現在の長男の腕前】
・コマの動かし方は一通り覚えた
・成りとか王手とか、基本的なルールも大体覚えた
・1手詰めの簡単な詰将棋なら一応解ける
・大ゴマを巨大ロボットのようなものだと考えており、歩をつく時に「はっしん!」とか言う
・囲い方は全然知らない
・戦法は全然知らない
・8枚落ちのCPUになら一応勝てる

上くらいの状況が、先日の土曜日の話である。

で、長男が8枚落ちのCPUと遊んでいるのを見て気付いたのだが、彼は「飛車や角など、強力な大ゴマを敵陣に突っ込ませる」ということは出来ているのだが、その後、他の駒を援軍に連れてくる、ということをしない。敵の金2枚を相手に、龍と馬の2枚で往ったり来たりしている。それでも、CPUが初心者向けなので、相手のミスに乗じて金をはがせればなんとか勝てているのだが。

そこで、まずこの辺から教えてみることにした。

「いいか(長男のなまえ)くん」
「うん」
「飛車や角は強いけど、将棋では一度に一枚の駒しか動かせない」
「当たり前だよー」
「ってことは、飛車でも角でも、一度に一体の敵しか倒せない」
「うん」
「だから、飛車や角だけだと最後まで攻めるのが大変」
「うんうん」
「そこで、飛車や角のお手伝いに銀と桂を連れてくる」
「銀がいいの?」
「銀めっちゃ強い。攻めにも守りにも強い。場面によっては飛車の3倍くらい強い」
「そんなに!?」
「あと、と金がハイパー強い。飛車の3倍くらい強い銀の更に10倍くらい強い」
「元は歩なのに!?」
「だってほら、折角ミュウツー捕まえたのに実はニャースの変装でした、とかがっかりするだろ?相手のがっかり度の分強いの」
「そっかー」

なんか納得した。ニャースに罪はない。

こんな感じで、最初は以下のようなことを教えた。

・一枚だと力が限られているので、なるべく多くの駒を協力させて、一か所を攻めるようにする
・モデルケースとして棒銀が分かり易い
・と金死ぬほど強い。攻めにくいなー、と思ったら歩を進めてと金を作るといい
・相手が攻めてきそうだなーと思ったところは自分の金や銀で守るといい
・囲いや駒組みを覚えるのは後からでいい

上記が大体理解出来るようになったら、美濃囲いとか矢倉とか教えてあげようかなーと思っている。

何にせよ、長男の世界が広がる手伝いが出来ればなにより。ただ、iPadはずーっと見てると目に悪そうなので何か対策しようと思う。


今日はそれくらい。
posted by しんざき at 15:58 | Comment(1) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年05月11日

「英才教育」ではないんだけどなあ、とちょっと思ったこと


いや、そんな大した話じゃないんですが。


長男は7歳。小学2年生になりました。何にでも興味を持ちますし、電車が好きですし、プラレールが好きですし、サッカーが好きですし、テレビが好きですし、水泳が好きですし、ポケモンやドラえもんが好きですし、友達との追いかけっこが好きです。

そして、私が遊んでいるゲームや遊びには超興味をもってやりたがりますし、特に私が遊んでいないゲームや遊びについても超興味をもってやりたがります。


長男が5歳の時、彼にねだられて、私がよく遊んでいる「ドミニオン」というカードゲームのやり方を教えたことがありました。

5歳児に「ドミニオン」を教えた経緯と現状とかいろいろ

ドミニオンは結構頭も計算能力も使うゲームなので、大丈夫なんかなーとは思いましたが、まあ難しくってすぐ飽きたらそれはそれでいいや、と思って教えてみたら、彼の頭は私が想像していたよりもずっと柔軟で、あっという間に「ドミニオン」を楽しくプレイするようになりました。

で、いつからか私が「ゆるドミニオン会」を開催しているのを知って、長男も「ぼくもいきたい!ゆるドミいきたい!」と言うようになりまして、本人の希望に沿ってちょこちょこ連れていっております。父と同年代の大人達に混じって、ドミニオンや色んなアナログゲームを遊んでいる姿は、おっきくなったなーとしみじみするに足るものです。

昨年末くらいから、今度は「Hearthstone」というゲームに興味を持ちまして、最近は多少英語も覚え始めました。

先日はNemukeさん主催のゆるふわHearthstone会にお邪魔したりもしました。めっちゃ楽しんでました。

第8回ゆるふわHearthstone会のお知らせ



多分、ドミニオンにせよ色んなアナログゲームにせよHearthstoneにせよ、割と「長男くらいの歳の子には早い」ものが多いんだと思うんですよ。で、「対象年齢より早いものを遊んでいる」ということを指して、多分好意的に、「英才教育ですねー」と言って頂くことがあるのです。

勿論、「英才教育」と言ってくださる方が好意を持って言ってくださっているのだろう、というのは分かるので、嫌がるところでは全くないんですが。実際のところ、私はこの「長男が、私のやっている色んなゲームを遊びたがり、私も遊ばせてあげる」という構図に「英才教育」というタイトルがつくことについて、ちょっと違うかなーと思っています。

なんというのかな。まあ、元々、「教育」のつもりでやらせてあげているつもりは全くない、ということもそうなんですが。



私は、長男も、既に一人の、一人前のゲームプレイヤーである、と思っているのです。



私は、自分自身一人のゲーマーとして、一人のゲームプレイヤーである長男が、新しい世界を開拓することを、長男の意思に基づいて手伝っているだけであって、長男の「知りたい」「遊びたい」という気持ちに徹底的に答えているだけなのです。主役は飽くまで長男であって、私は初心者の館の係員くらいのつもりなのです。

だから、私は、「教育」しているつもりは全くありません。長男がそのゲームに対する興味を失って、全然別の遊びに集中するなら、それはそれで何の問題もないと思います。逆に、長男がもっともっとあるゲームに対する興味を持って、それについての知識を私から引き出したがるなら、それには全力で答えようと思います。


そんな訳で、しんざきは、決して「英才教育」はしておりませんし、するつもりもありません。どちらかというと、後輩プレイヤーの手助けをする感覚に近いと思います。


勿論、ゲームのマナーやゲームをやっていいTPOについて教えるのは親の責任ですし、その辺を疎かにするつもりは全くないですが。あんまやり過ぎて目を悪くしても困りますし。


目下、彼はHearthstoneと同じくらい、新しく始めたサッカーに興味をもっているようなので、彼がこの先どんなことに興味を持って、どんなことを集中して遊んでいくのか、ゆっくり見守ってあげたいと思っております。

今日書きたいことはそれくらい。
posted by しんざき at 21:08 | Comment(1) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年04月17日

最近のしんざき家の家庭事情など 15/04/17

長男は小学二年生になり、双子の長女次女は共に、長男も通っていた幼稚園に通い始めた。

以前から、長女は慎重派で世話焼きさん、次女は積極派というか無謀な性格で自由奔放、という形で、結構はっきりと性格が違った二人なのだが、幼稚園に行き始めて、より性格が出てきたような気がする。

まず、ちょっと意外だったのだが、入園式で泣いたのは次女の方だった。長女と次女では所属する組も違って、「○○ちゃん(長女の名前)どこーー?」とか長女がいないことを不安がったりもしたらしい。

以前から、知らない状況に積極的に突撃していくのは次女の方だという印象があったので、これは少し驚いた。世話焼きさんの長女に結構依存している部分もあったのだろうか。

一方、長女の方は、奥様によると「活き活きしてきた」ということらしい。長女は「わたしはおねえちゃん!」という自覚がどういうわけか強く、うっかりすると次女どころか長男の世話まで焼こうとする。そこから考えると、一番世話を焼かなくてはいけない対象と離れて過ごすことで、また違った世界が見えてきたりしたんだろうか。

双子というのは「生まれてこのかた、大体24時間常に一緒」という相手がお互いに存在するという状態なので、彼女らから見ると世界はどんな風なんだろう、とは以前から思っていた。そこから考えると、幼稚園で組み分けが別になったというのは、双子の世界を広げてあげる意味で良いことだったのかも知れない。


一方の長男なのだが、こちらは1年の時は3組編成だったところ、2年になって4組編成になった影響でクラスも変わり、周囲の面子も相当変わったらしい。もっとも本人は平然としていて、「すぐ全員と友達になれる」と自信たっぷりである。こちらは頼もしいというか、彼は昔から知らない子と遊び始めることについて成功体験を何度も積んでいるので、実際慣れたものなのだろう。

衝突することもあるのだろうが、是非そのまま自信をもって進んでいって欲しいと思う次第である。


今日書きたいことはそれくらい。
posted by しんざき at 10:15 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年02月10日

子どもの手がいつの間にか大きくなっていてしみじみした


ただの日記。


以下は三年前に撮った写真。私と、長男と、長女の手。確か、長女・次女が産まれてから一週間くらい後にとったものだったと記憶している。

三年前の、私、長男、長女

こちらが昨日とった写真。同じく、私と、長男と、長女の手。折角だから構図を一致させたかったが、長女が絵本を読んでもらいたくてうずうずしていたので断念。尚、この時次女は、最近だんだん自分でも出来るようになってきた、パジャマへのお着替えの最中だった。

いま。


月並みな話だが、子どもって大きくなるんだなー、と。

ここ一年ばかりは、長男もだいぶ長女・次女の世話を手伝ってくれるようになり、長女・次女自身もかなり一人で行動できるようになったこともあり、私の手も奥様の手も以前程はかからなくなっている。まあ、私が寝転がっていると皆でよってたかって覆いかぶさりにくるのは相変わらずなのだが。


子どもが出来るというのは、「自分の人生に主人公が増える」みたいな話だなー、と最近感じている。自分の成長、自分の物語の流れが終わる訳ではないのだが、それと同じくらい重要な軸、重要な視点が子どもの人数分増える。「自分の人生」というゲームが、途中からマルチプレイヤーゲームになるような感覚である。

そして私は、時には子どもの視点に切り替えて自分の人生を眺めている。自分が、子ども達にとって、頼れる、誇れる父親であり続けているだろうか、と考えている。



尚、絵本についても1〜2歳時とそれ以降では大きく好みが変わる、ということを実感している。1〜2歳時は、日常生活や何の変哲もない出来事を、動物や絵本のキャラクターに仮託して展開されている絵本を好む。ここしばらくは、日常生活というよりは、なにかしら突拍子もないイベントが発生する絵本の方を好んで読んでもらおうとしてくる。確か、長男の時もそんな感じだったと思う。

最近はこの絵本がお気に入り。

ジェリーのこーろころん

力士が転がされている絵面のインパクトが強すぎ、なんか長女も次女も長男もけらけら笑う。

成長につれて色々あるだろうが、まあ引き続き、この子たちがけらけら笑っていられるようにしてあげられればなあ、と思う。
posted by しんざき at 11:45 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2015年01月26日

「とにかく、待つ」と「とにかく、聞く」が、何故子育てで凄く大事なのか


結論を先に書くと、

・「感情に整理をつける」ということはどんな人間でも大変であって、特に子どもにはその練習をさせてあげないといけないから。
・「ちゃんと聞いてもらえている」「ちゃんと待ってもらえている」という認識は、自己肯定感の獲得の中で物凄く大事だから。


難しいことだけど大事だよなあ、と思うわけです。


子どもに限らない話なのかも知れませんが、ここでは子育てに限定した話として書きます。


しんざき家には、7歳の長男と、3歳の双子の長女次女がいます。以前から勢いがつくとおしゃべりが止まらない長男に加え、長女次女もえらいよく喋るようになりましたので、家庭内は超にぎやかです。

以前、お片付けをしない長男が怒られてへそを曲げてしまった時の話を書きました。この時、長男は、「頭では「片付けないといけない」とわかっているのに、感情が整理出来なくって意地を張ってしまっている」という状態だ、と私は推測しました。


私は、こういう時には、なるべく「とにかく待つ」を選択するようにしています。

既に「片付けないといけない」ということを説明されている以上、何度も繰り返して言い聞かせるのは、むしろ子どもの自尊心にとって逆効果だと思うから。大体の人にとって、「頭で分かっているのに感情の整理が出来ない」という状態で一番重要なのは、言葉よりもむしろ時間だから。

これって普遍的な話だと思うんですよね。大体、ある程度大きくなってきた子どもって、親が言うようなことは頭で理解してるんですよ。理屈で親が正しいことは分かる。けれど、感情がそれについていかない。時には、頭の中がぐるぐるして、言いたいことがまとまらない。そんな時、親ががーんと怒鳴りつけても、その場では無理やり親の言う通り行動するかも知れないけれど、納得して次に結び付けられるかというと、多分案外難しい。しんざき家の場合、下の長女次女はともかく、7歳の長男はもうそういう時期だと思います。


こういう時必要なのは、多分、「親が待ってくれること」なんじゃないかと。


私は、昔から割と気が長い方でして、一時間二時間ぼーっと待っているのは特段苦でもありません。そして、この「気が長い」という性格で今まで損をした記憶がないので、出来れば自分の子ども達にも、気が長い人になってくれればなあ、と思っています。少なくとも、「待つ」という行為に耐性がある、「待てる」子に育ってくれるといいなあ、と思います。


で、自分の育てられ方を思い起こすに、「待てる」ようになった一番の要因は、「とことん待ってもらっていたから」「とことん聞いてもらっていたから」だと思うんですね。


いや、勿論、ケースバイケースだったと思うんですよ。学校に行く前、電車での乗り換えの時、寝る時間が近い時、往々にしてせかされたことはあったと思うんです。ただ、本当に感情がこんがらがった時、言葉で無理やり納得させられたり、対話を拒絶されたりして理不尽な思いを味わった記憶が、振り返ってみると、無い。

普通、理不尽な思いをしたり、悔しい思いをした時の記憶って、相当に残りやすいと思うんです。それが、私の場合、親との対話でそういう思いをした記憶がないので、相当恵まれた育て方をしてもらっていたんだなあ、と。

私は比較的自己肯定感が強い、というかあまり根拠のない自信にあふれている方なのですが、その根っこにはそういう、私の親が私に対してしてくれた接し方もあったのではないかと思うのです。

だから、私も、自分の子どもにそういう風に接したい。


ちょっと前、はてなでこんな記事を拝見しました。

愚痴に具体的な助言をしたくなる理由

これも大事な話だなあ、と。

感情が整理出来ない時には、とにかく聞いて欲しいし、とにかく待って欲しい。そういう時に、言葉で無理やり納得させられても、残るのは理不尽な記憶だけなんじゃないか、と私は思うわけなんです。

で、そういう時に、「とにかく聞く」「とにかく待つ」を選択することが出来れば、子どもの「待てる」度合や自己肯定感にプラスの影響があるのではないかなあ、と。結局、「親が自分の為にどれだけ時間を使ってくれるか」って、子どもの自己評価に凄く重要な話だと思うんですよ。



いや、難しい話だと思いますよ。「待つ」「聞く」という行動は、時間も使えばエネルギーも使います。めっちゃ使います。

実際の所、日々の生活は時間に縛られるものでして、いつまでも子どもを待っていては、日常生活は運営出来ません。しんざき家でも可能な限り子どもは21時に寝せたいわけで、お腹が減った子どもにご飯を食べさせるにも、子どもが散らかした部屋を片付けたり片付けさせたりするにも、エネルギーは非常に必要なわけで、例えば日々3人の子どもと対決し続けている私の奥様なんか、更に一層の負荷を強いられてしまうことは想像に難くありません。

だから、何でもかんでも「待つ」のではなく、子どもの感情がこんがらがった、ここぞという時に「待つ」。


で、子育てってのは勿論両親の共同作業なんですが、こういう時の為にこそ、両親の内余裕がある方が、「待つ」「聞く」を担当出来ればいいなあ、私は可能な限り「待つ」「聞く」を補完していきたいなあ、と思ったりする訳なんです。

今後も、リソースが許す限り、「待つ」「聞く」を選択するよう心がけていきたい、と思います。いや、ご飯時にいつまでも食べなかったりしたらそりゃ急かしますが。


結論は最初に書いてしまったので、補足はこれくらいにしておきます。


今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 19:43 | Comment(1) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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