2014年06月10日

今日のしんざきと最近の子ども達のはなし 14/06/10


毎朝走っている。

小学校に入学した息子さん(もうすぐ7歳)は枕元に目覚まし時計を導入したのだが、朝の6時にその時計がじゃんじゃんでかい音で鳴る際、家族5人の中でその音で起きるのが私一人、という体たらくである。奥様・長男・長女・次女の4人は、大抵の場合目覚まし音をがんスルーして寝ている。これは何だ、揃って寝起きが奥様似なのか。

まあ、私が二度寝する中息子さんも大体6時40分くらいには起きるので、その後二人で近所を走っている。大した距離でもペースでもない。距離的には精々1キロかそこらだと思う。ただ、走るとカレンダーにシールを貼ることが出来、シールが20個溜まるとご褒美(ドラえもんのコミックか、欲しい本一冊か、マクドナルド一回)というシステムからか、めげることもなく結構続いている。尚、雨の日はパスしている。

最近私の帰宅が遅いことが多く、夜にあまり会話出来ないから、ということで早起き目的で始めたのだが、いい感じで習慣になってきてなかなか良いのではあるまいかと思う。走っている間に昨日の学校の話など聞けるということもあり、今後も出来る限り続けていきたい。


ちなみに、ここ最近の息子さんは「ポケモンメガリング」というおもちゃを起点にポケモントレッタ熱が再発しており、なんだかよくわからないがバシャーモをメガ進化させて喜んでいる。良く知らないのだが、なんだろうなメガ進化って。あと、相変わらずパパにだっこされて玄関に下りる「パパエレベーター」がお気に入り。20キロ超あるので重い。


一方の長女、次女(2歳半)。すげー喋るようになった。だいぶ意思疎通が出来る。

次女については、昨日の夜寝かしつけをしている時、なかなか寝付かない次女が、寝たふりをしている私と奥様の間を「わたしのぱーぱ、わたしのまーま」って言いながらごろごろ転がってて、たまに「わたしのぱー、まーま」って言い間違えて言い直してるのが大変かわいかった。

長女については、着替えストライキ実施中。お風呂の後なり、起きた後なり、私が着替えさせようとするとどういうわけか大変嫌がる時がある。「ほら着替えよー?」というと「ないない!」と激しい反発。意志が固いのは悪いことではないのだが、どうしたものか。

二人とも、お散歩もだいぶするようになってきた関係もあり、私と息子さんが走りにいくとき「いっしょに、はしりいくーー!」などと着いてこようとするのだが、流石にまだジョギングは無理なのであの手この手で気を逸らして男組でジョギングにいくようにしている。たまに泣く。


まあそんな感じで、相変わらず楽しく子育てを満喫しています。

今日はそれくらい。
posted by しんざき at 21:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年03月05日

子どもは甘えることによって大人になる(という側面もある)、という話


子どもを見ていて思ったことシリーズ。

必ずしも厳しくすることばかりが躾じゃないんだよなあ、というお話です。一般論のつもりはあんまりなく、飽くまで我が家限定の話です。


長男は6歳。埼玉県某所に私の実家がありまして、たまに泊まらせてもらいにいきます。大体祖母(私の実母)に、西武線某駅まで迎えにきてもらって、私がそこまで長男を連れていくのが定番パターンです。

じいじばあばはとにかく孫ラブなので、そりゃもう実家では息子さん甘え放題です。散々甘えさせてもらって、つやつやして戻ってきます。

ただ、以前から思ってはいたんですが、実家から戻ってくる度に、なんか大人びて帰ってくるんですよね。息子さん。


これは、実家ばかりの話ではなく、我が家でも同じなんですが、「たっぷり甘えられる→甘えん坊になる」という訳でも、どうもないように思えます。むしろ、「甘えたい時にちゃんと甘えられる→成長する」である、ような気がしています。


これ、少なくとも私の長男の場合、「甘えたいという欲求が満たされる」ことによって、自我がきちんと形成されたりとか、精神基盤が安定するとか、周囲の世界が好きになるとか、そういう効果が出ているように思います。


いや、勿論普段甘え放題な訳じゃないんですよ。むしろ息子さん、下に妹が二人いますので、普段は「こどもリーダー」として下の子たちの見本になることが求められます。なにしろ私が、「パパがいない時は長男がパパの代わり」といい含めてありますんで、むしろ長男的には厳しい環境なんじゃないかと思います。

けれど、あるいはだからこそ、メリハリをきかせて、普段厳しくしている反面、甘えられる時にはたっぷり甘えさせてあげることによって、欲求不満とかがなるべく溜まらないようにしてあげたいなあ、と思ったりする次第なのです。そういう点でも実家には感謝しきり。


あと、全然関係ないのですが、今日「ねえねえパパ、欲しいものがあるんだけど」と言われて、なんか新しいおもちゃかと思ったら「いのうえようすいのCD」とか言い始めました。どうも、実家の車の中でずっと井上陽水が流れていたようで、「ありがとう」とか「氷の世界」とか気に入ったらしいです。


いやまあ、いいんですけどね。はい。名曲揃いですし。ただ、傘がないとか喜んで聞いてる6歳児ってちょっとどうなの。

posted by しんざき at 23:17 | Comment(2) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年02月18日

こどもたちを見ていて、「言葉で意思が通じる」というのは物凄いことだなあ、と思った。

そんなに大した話じゃないのだが。

長女次女は共に2歳3か月。
最近、ようやくカタコトで言いたいことを表現できるようになってきた。

「牛乳飲みたいの?」と言えば、それが合っている時には「のみたいの。」と答える。
「そろそろ寝ようか?」と言えば、目をこすりながら「ねない!」と返答する。
私が帰ってきたところを見れば飛び上がって喜びながら「ぱぱおかえい!!」と言う。
私がパソコンに向かっていると、当然のように膝に乗っかってきて、モニターを指差して「あんぱんまんみたいの」とのたまう。ひどい時には、所有者である私に大して「ろいてー(どいて)」などと要求する。

時折「○○(長男の名前)、ねてうの(寝てるの)?」といった二語文を使う時もあり、言ったことが通じて、それにマッチした言葉が帰ってきた時のドヤ顔には相当ドヤドヤしいものがある。

で、長男の時にも思ったのだが、改めて認識した。


「言葉で意思疎通が出来るようになる」というのは、凄いことだ。


当たり前だが、言葉を形作る音節と、その意味の間に直接の相関はない。「ことば」というのは、単に「こ」と「と」と「ば」という、三つの文字の連続に過ぎない。

それが、二、三年程の経験をつむことによって、「意味」と結びつき、言語になる。


単なる「文字の連続」が、意味を持つものだと理解出来るまでに、一体どれだけの反復が必要なのか。

そして、その「意味を持った言葉」によって、自分の考え、自分の欲求、自分の感情を表現できるようになり、それが相手に通じるというのは、一体どれだけの喜びなのか。



長男も、長女も、次女も、カタコトが使えるようになってから、本当に嬉々として喋りまくるようになった。単に「泣いたら察してもらえる」ではなく、「自分の言葉が通じる」ということが嬉しくて嬉しくて仕方がないのだろう。

ゼロからのスタート、単に「何となく聞こえる音」が、言葉となり、更に自分がその言葉を口に出来るようになる、というのは、文字通り世界が広がる体験に違いない。言葉を覚えたばかりの子供以上に、「言葉を使う」ということに喜びを見出している人種を、私は他に知らない。

一言で言うと、「言葉を使えない状態」から、「言葉を使えるようになった状態」へのパワーアップ感、レベルアップ感が物凄い。ドラクエIIで言うと、さっきまでこんぼう装備だったのがいきなりいなづまのけんを装備したようなものである。


で。


これは単に気分だけの問題なのだが、子供たちを見ていて、子供たちの視点を共有することは、結構ある。端的に言うと、「子供の気分になる」ということになる。


思った。「言葉すげえ」と。「言いたいこと書けるのすげえ」と。


私自身、ほんの30年ちょっと前にようやく日本語が使えるようになったのだと思うと、今、こうして、「自分の言いたいことを言葉で表現できている」というのは、本当に奇跡的なことなんだと思う。我々は、言葉の貴重さ、言葉の凄さをもっと認識するべきだ。言葉やばい。


ということで、子供の気分になった私は、改めて「言葉が使える」という状態のパワーアップ感に感動したし、言葉を大事に使っていきたいと思った訳である。

今日言いたいことはそれくらい。
posted by しんざき at 22:06 | Comment(4) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月18日

6歳の長男とお風呂に入りながら話したこと、ないし「調べなければ分からないこと」と「考えれば分かること」


帰り際に次女が深く寝入ったので、奥様が次女を寝かしつけている間に、私が長男6歳・長女2歳をお風呂に入れた。わしゃわしゃと体を洗わせ、わしゃわしゃと頭を洗い、容赦なくざばーーっと流した後湯船に放り込むだけの簡単なお仕事である。

その時長男と話した内容が、妙に刺さったというか、えらく真剣に聞いていたので、割と適したたとえ話だったかなーと思い、記録代わりに会話のログを残しておく。

発端は、太陽や木星の大きさについて話していたことだった。

息子「ねーパパ、もくせいって一番大きいの?太陽より大きいの?」
私「地球よりずっと大きいけど、太陽程は大きくないよ。太陽は、太陽系で一番大きい」
息子「太陽は木星の何倍くらい大きいの?千倍くらい?」
私「んーー、球の大きさ(半径のつもりで言っている)だけなら10倍とかそれくらいじゃないのかな?重さはもっとずっと太陽の方が重いけど」
息子「大きいのと重いのは違うの?どれくらい重いの?」
私「ちゃんと覚えてないや。後で調べてあげる」
息子「えー、考えてよーー

ここで、私はちょっと口を止めた。一つには、息子さんがまだ「調べないと分からないこと」と「考えれば分かること」の区別が厳密についていないなあ、ということに気付いたからである。

言うまでもないが、「木星と太陽の重量比」というものは純然たる知識であって、知っているかどうかの問題であり、考えて分かるようなもんではない。ただ、「知識を得ること」「知識を元に考えること」は勿論重要であって、その大事さをついでに教えられないかなあ、とこの時思った。


私「んーー。太陽が木星よりどれくらい重いかは、調べないと分からない。考えれば分かることと、調べないと分からないことがあるんだよ」
息子「えー。どんなこと?」
私「さっき、(息子の名前)、二つのこと言ったよな。「大きいのと重いのは違うの?」と、「どれくらい重いの?」って」
息子「うん」
私「このスポンジ持ってごらん。軽いよな」
息子「うん」
私「(スポンジにお湯を吸わせる)大きさ変わんないけどさっきより重いよな」
息子「うん」
私「何でかな?」
息子「んー、スポンジの中にお湯がたくさん入ってるから」
私「うん、良く分かったな。そういうこと。「お湯を吸ったスポンジが重くなる」っていうのは、実際やってみないとわからないこと。これが、「調べないと分からないこと」。で、「何でそうなるのかな?」とか、「大きいのと重いのは違うの?」っていうのは、調べたことを元に、「考えれば分かること」」
息子「そっかあ」
私「この前さ、(息子の名前)、パパに教えてくれたよな?線路のレールって鉄で出来てるんだよな?」
息子「うん。本にそう書いてあったんだよ」
私「(まあ正確には鋼かも知らんが)「線路が何で出来てるか?」ってのは、本で調べないとわかんないことだよな?」
息子「うん」
私「じゃあ、線路は何で鉄で出来てるんだろ?」
息子「んんーー?」
私「鉄ってどんな?」
息子「んーー。黒くて、かたい。あっ。かたくて丈夫だから?」
私「うん、良く出来た。一番の理由は、硬くて頑丈で、傷つきにくいから。これは、「調べたことを元に、考えれば分かること」」
息子「うん、うん」
私「こうやって、「色んなことを調べて、調べたことを元に考える」ことが勉強っていうんだよ」
息子「そっかー」
私「ただ、調べたことを元に考えるのは凄く大事なんだけど、考えたことが間違ってたり、調べたことがちょっとおかしかったりすることもあるから、考えた後また調べることも大事。もっと色々分かって、考えも変わったりする」
息子「線路のことも?」
私「多分ね」

だいぶはしょっているが、大体の会話は上記のような感じだった。この後、息子さんがお風呂の中で、おもちゃの電車を喜々として走らせている横で、長女は魚のおもちゃをがじがじとかじっていた。

で、今私は、息子さんが寝付いた後線路について調べて、炭素鋼の圧延材について知ったりしている。日々勉強である。


私が教えたかったことは、三つだけ。

・世の中には、「調べないと分からないこと」と「調べたことを元に、考えれば分かること」がある。
・大事なのは、「調べる」と「考える」両方やることと、考えた後も調べることをやめないこと。どっちかだけではダメ。
・そういうことを上手くやるための練習が勉強。



こういうことが、少しずつでも息子の中に根付いてくれればいいなー、と思い、私的な記録として残しておく。


今日書きたいことはそれくらい。
posted by しんざき at 22:47 | Comment(26) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月06日

電車の中で泣く赤ちゃんについての当たり前のお話



下記を読んで考えたこと。最終的には当たり前の話に着地しますんで暇な人だけどうぞ。


Togetter:子供が車内で騒いでいたら 舌打ちぐらいはしてもいい?


そもそもこの話自体「ケースバイケースじゃね?」の一言で終わりっちゃ終わりなんですが、若干の一般化を試みてみます。


最初に自分の立場を明示しておくと、私は三児の父親です。上の長男は6歳で、だいぶ分別もつきましたので、公共の場に限らず注意されたら静かに出来ますし、派手にすっころびでもしなければ泣くこともありません。

一方、下の二人は双子の姉妹で、両方2歳になってひと月くらい経った辺りです。こちらは泣きます。割と頻繁にぎゃんぎゃん泣きます。


まず前提として。個人差もあると思うんですが、少なくとも2歳から3歳くらいまでの乳幼児は、どんなにいい子だろうが、何をどうやっても泣く時は泣きます。

2歳くらいまでの乳児というのは、ようやく社会性めいたものが芽生え始めたばかりの頃であって、まだ半分方は動物です。この頃の子どもに躾なんざ出来たもんじゃありませんし、怒ってもあやしてもわめいても泣き落としても泣く時ゃ泣きます。一応、1歳半も過ぎると多少気をそらすことは出来るようになりますが、それにも限界はあります。


それと、もう一方の前提として、乳幼児を連れて公共の場に出ない、というのは不可能です。まあ、「飛行機に乗せない」とか、葬祭に連れていかないくらいのことはまだ出来ると思います(これも状況次第かも知れません)が、相当環境に恵まれない限り、現代日本の一般的な家庭において、「電車に乗らない」「外食しない」「人が多いところに出かけない」レベルの縛りを2,3年以上に渡って設けるのはちょっと現実的ではありません。

いや、勿論家庭次第だとは思いますよ。物凄く経済的に恵まれた家庭なら、ベビーシッターを雇ったり毎回保育園に乳児を預けたり出来るのかも知れません。地域によっては、自家用車でかなりの移動機会をカバー出来るのかも知れません。ただ、これは、正負いずれにしても「家庭次第」の話でして、不可抗力を完全に取っ払うことは文字通り不可能です。


早い話、「親がどんなに頑張っても、公共の場での子供の泣き声を完全に防ぐことはほぼ不可能」ということなんです。


話はその前提を置いた上でのことだと思うんですね。

例えば上記リンクもそうなんですが、「公共の場の子育て」の話については、親・子供寄りの立場にせよ、その逆の立場にせよ、聊か極端に走りがちだなーという印象を以前から持っておりました。両陣営とも、どうも「仮想敵」を作り過ぎなような気がするんですね。


邪推なんですが、反・親子陣営のみなさんは、例えばこんな仮想敵を想定されることが多いようにお見受けします。


・ぎゃんぎゃん泣いたり大騒ぎする子供(しかも小学生くらい)をよそにぺちゃぺちゃ喋ったりスマホで遊んだり、とにかく「子持ち」という立場に胡坐をかいて公共への迷惑を屁とも思わない親

いや、実際そういう親御さんいるみたいですよね。たまに。そういう人が非難の対象になるのは致し方ないところだと思うんです。

ただ、そういう一部の親が一般化されて、子連れクラスタ全体への非難になるのは、いやいやまあまあ、気持ちは分かりますがそんな親御さんばっかじゃないですしちょっと待ってくださいよ、と思わないでもないです。


一方、親子陣営に近い立ち位置の人にも、こういう極端な仮想敵設定をしている人はいます。

「ベビーカーで電車に乗るな」という傲慢さ!それなら他人が産んだ子に将来の年金や社会福祉の負担を押しつけるな

これも正直、「いやまあ落ち着け」という言葉をかけたくなる論調ですよね。こちらは、完全に「子育てに一切理解を示さず、ただひたすらに不寛容な独身男性・独身女性」を仮想敵に据えているように見受けられます。


ただこれ、大変面白みのない着地点で申し訳ないんですが、「そんな極端なケースばっかりじゃないんだから、まあ落ち着いてお互いちょっとずつ配慮しましょうよ」で済むし、済ませるべき案件じゃないかと思うんですよ。


私自身は親の立場なので、「まま、お騒がせして申し訳ない限りなんですが、こちらもなるべく努力はしますんで、多少お目こぼし頂けると大変ありがたいです」というスタンスです。実際のところ、上で挙げている「仮想敵」に類する親なんてほんの一握りで、あとの大部分の親はそんな感じなんじゃないかと私は思いますが。


で、親子陣営でない立ち位置の方々も、大多数は寛容でいてくださっていると思うんですよね。いや、内心は迷惑だなーとお思いなのではないかとは思いますが、殆どの方はそういった感情を表には出されませんし、一方、うちの乳児どもがご機嫌よく笑いかけたり手を振ったりしたら手を振りかえしてくださる方ばっかりです。


そういった方々には大変感謝をしつつ、勿論こちらはご迷惑をかけている立場ですので、泣き声に不快感を覚えている方には、ひたすら「どうもすみません」「なんとかご理解を」と言う他ありません。泣く子を静かにさせようと勿論努力はしますが、不快感を紛らわす為に舌打ちの一つもしたい方がいれば、そりゃまあ仕方ないんじゃないかとは思います。それで不快感を受けたとしてもまあ公平な話でしょう。

要するに、「お互い気遣いが出来るといいけど、気遣いは強制するもんでもないよね」というだけの、そりゃもう当然の話なんですよ。



ということでまあ、言いたいことをまとめると、

・親は出来るだけ泣く子をあやす努力はするべきです
・ただ、限界や不可抗力もある、ということは知って頂けると大変ありがたいです
・ちょっとずつお互い歩み寄れるといいですよね。


と、大変あたりさわりのない内容に着地するわけです。どうしましょうね。


あと、全然関係ないですが、男の子が騒いだ時には、耳元で「しっ…!まずい、静かにするんだ…!」「囲まれている…!いいか、気づかない振りをしろ…!父さんから離れるな…!」と突如サスペンス劇場遊びの世界にすると、6歳児くらいならマジ覿面に静かになるんで大変お勧めです。

今日書きたいことはこれくらい。
posted by しんざき at 21:04 | Comment(41) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月05日

「子どもにゲームを買ってあげてはいけない理由」自体が親の甘えじゃないだろうか

子どもにゲームを買ってあげると何がまずいかなー、と考えるわけです。


で、例えば

「ゲームに夢中になって、お友達や親とのコミュニケーション不全になる」とか、
「ゲームをやり過ぎて目が悪くなる」とか、
「ゲームをやり過ぎて勉強時間や運動の時間が足りなくなる」とか、


そういう話がよく出るわけですよね。

その度に思うのが、いや、そこは叱れよと。やり過ぎだったら止めろよ、と。


確かにいますよね。ファミレスでとか、食事中とか、本来なら家族でコミュニケーションをとるべきタイミングで、ずーっとゲームしてる子とか。私自身も、そりゃないんじゃないの、と思うことはあります。

別にゲームに限った話じゃないんですが、子どもは楽しいことだったら当然夢中になりますよね。ちょっと夢中になると、自分では歯止めなんてききゃあしないわけです。

けど、同じくゲームに限らず、「今はそれをやるべきタイミングじゃない」というのは当然あるわけで。要するにTPOを教えなくちゃいけないわけですが、そんなもん当然の親の役目、当然の親の仕事でしょうと。


「それをやるべきじゃないタイミング」を子どもが認識出来なかったら、親は「いや、今はそれやっちゃ駄目だよ」と教えてあげなくてはいけません。それでも子どもが言うことを聞かなかったらきちんと叱ってあげなくてはいけません。それは、親子の間の当然のコミュニケーションのひとつです。

そういったコミュニケーションがとれないんだったら、ゲームを買ってあげようが買ってあげまいが、親子の間が上手くいくわきゃありません

つまり、

「親子のコミュニケーションの妨げになるから」

という理由で子どもにゲームを買って上げないこと自体、

「親子のコミュニケーションを放棄している」

宣言と同等のことなんじゃないか
、と私は思ってしまうわけなんです。


子どもとたくさんコミュニケーションをとらなくてはいけない、子どもにたくさん注目してあげないといけない、ちゃんと躾をしなくちゃいけない、なんてこたぁ当然というか、言うまでもないことなんですよ。そこに、ゲームを買う買わないなんて何の関係もないんです。

そこさえ抑えておいてあげれば、ゲームだけでなく世の中色々面白いこともある、なんてことは当然のように子どもは学び取るとも思うんですよね。少なくとも私はそうでした。


一応自分の立場を明示しておきますと。私は子どもの頃からのゲーム好きでして、一時期はゲームの合間に人生を送っているようなこともありましたが、それでも一応はまっとうな人生を送っているつもりですし、今現在それなりの家庭を築いてもいるつもりです。

顧みると、「TPOをわきまえろ」ということについては、何度も何度も親に言われていたとは思うんですよね。そこは、同じことを自分の子どもにも教えてあげないといけない、と。

そして、今私の息子さんは6歳でして、ドミニオンと言うカードゲームだけでなく、ぼちぼち電源ゲームにも興味を示し出してはおります。まだ、飽くまで「父親と同じ遊びをしたい」という欲求に立脚したものではあるようですが。


特に子どもが興味を示さなければやらせるつもりもありませんでしたが、やりたがるのであれば、いつかは親と同じ世界を見せてあげよう、と。そこがすげー面白い世界なんだと教えてあげよう、と。けれど、そこだけが面白いわけではなく、他にも面白いことは勿論あるんだよ、ということも教えてあげよう、と。たくさん、たくさん一緒に遊ぼう、と。


私はそんな風に考えています。


あ、ただ、基本的に攻略にヒントは出さないようにしておこうとは思いますが。理不尽ゲーに苦労するのもまたゲーマー人生なので。ロマンシアとかドラゴンズレアとか。あと、対戦ゲームでは基本的にかなり高い壁になってあげなくてはいけないとも思っております。マッスルタッグマッチとか。



ちなみに、「ゲームは時間の無駄」的な議論については、「そすか、じゃあ時間の無駄じゃないことだけやって人生過ごしてください」の一言で終わりですので、特段他に言うことはありません。

今日書きたいことは以上です。

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(追記 12:22)
一応、念のために書いておきたいのですが。

私は、「子どもにゲームを買ってあげるべき」とは言っていませんし、「ゲームを買ってあげてはいけない理由は存在しない」とも言っていません。

ただ、「ゲームを買ってあげてはいけない理由」として標題に挙げたようなものは親の甘えなんじゃないの、ということだけが私の意見です。(あとロマンシアの難易度が頭おかしいこと)よろしくお願いいたします。
posted by しんざき at 08:41 | Comment(22) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月17日

木登りのコツについて子供に教えている話と、撤退戦の重要さと、いつか何かと結びつくような言葉を渡してあげたいなあという話

上の子(6歳)に教えていることの中に、「木や高いところに登る時は、降り方を良く考えてから登れ」ということがある。


私は基本的にバカなのであって、つまり高いところが大好きだし風邪もあまりひかない。これは昔からの話である。

で、高いところが大好きである故に、高いところに登るのも大体好きだ。木に登ったり、フェンスに登ったり、公衆便所の天井に登ったり、そこから落っこちて頭を10針程縫ったりする。頻繁にする。

多分、幼少時から数えると3桁近くは、高いところから落っこちる経験をしていると思う。一種のエキスパートである。


これは、そんな私の単なる経験則なのだが、


「ケガをするのは、登る時より降りる時」というものがある。


大体において、「登っている途中」という状態は案外危なくないものなのだ。危険は、これ以上登れなくなった時、ないし、一通り満足してさあ降りるか、という時に発生する。

登った時には使えた足場に、どういう訳か足が届かなかったりする。あるいは、角度の問題で足場自体が使えなかったりする。さあ大変だ。どうやって降りよう。


大体、ケガはそういう時に発生する。たとえば無理して飛び降りる時であるとか。目算を無視して降りようとして足を滑らせたりであるとか。

そんな時、「事前に降り方を考えているかどうか」というのはかなり重要だ。下から見て、「ああ、降りる時はああ降りればいいな」という目算を立てておく。事前のシミュレートがあるかないかは天地の差だ。多少でも考えを及ばせておくと、若干無理がある場所だったとしても、なんだかんだで無傷で降りられたりする。


ケガをするのは子供の仕事の一部みたいなもんであって、命に関わらなかったり、後にひかないようなケガであったら別段ケガしてもかまわんだろうとは思うわけなのだが、まあそれでも、心構えの一環としては、「木や高いところに登る時は、降り方を良く考えてから登れ」ということを教えている。

長男は元々慎重派であることもあって、一応それを頭に入れて遊んでいるように見える。


で。最近思ったのだが、これは結構普遍的な思考法かも知れない。


万事、「登っている時」「攻めている時」というのは、なんだかんだでそれ程足場を気にしなくてもガンガン進めたりする。隙が発生するのはふと立ち止まった時、ないし後戻りをする時であり、その時「戻る時はどうするか」というのを事前に考えているかどうか、ということでリスクはだいぶ違う。


勿論、「撤退戦の重要さ」というのは一般的な話だ。ただまあ、こどもの頃から「撤退」のことまで考えなくてもいいとは思うので、そこまで細かく説明する気はないが、いつか、「ああ、そういえば、親父がこんなこと言ってたなあ」というような形で、実際の経験と結びついてくれるといいんじゃないかなあ、と思う次第である。


頭の中のどこかに残っていて、ふとした拍子に実際の思考と繋がる。そんな種のような言葉を、こどもに残してあげられればいいなあ。

私は、そんな風に思っている。

posted by しんざき at 22:14 | Comment(3) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月08日

長男を特別扱いしたい

改めて思ったこと。

先日、奥様の所用によって、私が一人で子ども達を見る機会が2回くらいあった。メンバー構成は、長男(6歳)、長女(1歳10ヵ月)、次女(1歳10ヵ月)の3人パーティーである。

長女次女は、暫く前から歩いたり走りまわったりといった自立行動型突進幼女にランクアップしており、かなり行動が凶悪化している。

取り敢えず引っ張れるものは引っ張り落とす。箱はひっくり返す。絵本は「おぶちぇー(読んで、の意)」と言いながら私の顔面に叩きつける。重くなってきたおむつはズボンごと脱いで下半身すっ裸になる。私が寝転がっていると、取り敢えず腹の上に乗ってびょんびょん飛んでは私の腹にヒップアタックをくらわす。私が「ぐぇ」とか声を出すと、振り返って罪のない顔で「らいじょうぶー?」と言う。最近覚えた言葉だ。

自分でダメージを与えて、自分で「らいじょうぶー?」と心配する。これを、通常世の中ではマッチポンプと呼ぶ。

ということで、流石の私も割と長女次女にかかりっきりになった。

で、この間息子さんは慣れたもので、そこまで私に「遊んでー」と言うでもなく、プラレールで遊んだりレゴで遊んだりトムとジェリーのDVDを観たりしていたのだが。

この時私は、いかん、と思った。これは息子さんに甘えている、と。

「ごめんなー、(長男の名前)。パパなかなかあそべなくてー」
「うん、さびしいけど、しかたないねー」

ここで、「寂しい」けど「仕方ない」というのを両方言語化出来るところは、息子さんの凄いところだ、と思う。とはいえ、「さびしい」という感情が厳然と存在することに変わりはない。私と奥様両方いれば、どちらかが(主に私が)長男につきっきりになることも出来るが、普段、私が仕事中などそうもいかないだろう。


以前から、「下に双子がいる」「親が双子にかかりきりになる」ということによる、長男の寂しさ、不公平感というものについてはかなり気にしていた。だから、色々な工夫をして、「長男びいき」をしているつもりではいた。


・「子どもリーダー」という役職を作って、「(息子さんの名前)はこどもリーダーだからなー」「流石こどもリーダーだなあ」と、ことあるごとに強調したり、褒めてあげたりする。

・「にいにを見習うんだぞー?」「ほら、にいにはちゃんとやってるよー」と、長男を持ち上げる形で長女次女に言い聞かせる。

・リビングに長男エリアを作る。そこには柵を設けて、長女次女は入れないようにする。プラレールとか作って遊んでいる。

・機会を作って一対一で遊びにいく。銭湯にいったり、サイクリングにいったり、電車旅にいったり、ゲーム会にいったり。

・甘えられる時は甘えさせてあげる。あと、じいじばあばの家にたまに泊まりに行かせて、目いっぱい甘えさせてもらう。


こんな感じで、ある程度「特別扱い」することで、少しでも普段の寂しさ、不公平感というものを薄めてあげられればいいなあ、と改めて思った。

実際、正しい、というか適しているのかはよく分からない。何はともあれ、「自分も愛されているんだ」という認識だけは、息子さんがずっと失わないで済むようにしてあげたいなあ、と心から思う。


今日書きたいことはそれくらい。
posted by しんざき at 21:48 | Comment(2) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年10月16日

ここ数日の次女との戦いについて

例によって、可視化も多少は有用かと思い、備忘録も兼ねて書いておく。

長男、6歳。長女次女、共に1歳10ヶ月。

長女次女の方は、最近だいぶ言葉を理解するようになり、もうこちらが言っていることは結構理解出来ている様子。一方、喋れる言葉はまだ限定されており、「あっち」「あんぱんまん」「おみずちょらい(お水ちょうだい)」「だっこじゃーじゃー(抱っこして、の意味らしい)」「うん」「やら(やだ、らしい)」「ないない」「おっぱい」など、使いこなせる言葉は数語。

もう長男の方は、付きっ切りでなくても勝手に寝られるようになって久しいのだが、長女次女はまだおっぱいを飲みながらでないと寝られない年である。ダブル授乳でおとなしく飲めない時は、片方がおっぱいを飲んで、もう片方はうろちょろしている、という状況になる。やはり、双子育児だとどうしてもこういう状況が避けられない。

先月くらいまで、長女がおっぱいを飲んで寝付かされている間、次女の面倒を私が見る、という状況が多かった。その際、暗い部屋にいると次女が泣くので、長女長男にうるさいか、と思って私の部屋に次女を避難させて、アンパンマンの動画を見せたりすることもあった。


で、最近これがちょっと問題になってきた。どうも、「長女が寝ている間にパパに遊んでもらえる」という状況に味をしめてしまったらしく、本来自分が寝る時間でも、何かにつけて私に連れ出してもらおうとするようになったのである。暗い部屋で抱っこしていると、「おみずちょらい」と泣く。連れ出してお水を飲ませたら、今度は「あんぱんまん」と動画をねだる。(ちなみに、私がいない時はあっさり寝るらしい)

どうも、このままだと悪い習慣になってしまいそうな予感がした。

本来、9時にも近くなったら部屋を暗くして寝る時間なのであり、お布団から出ていい時間ではない。まだルールを理解出来る年かは微妙だが、「夜にはおとなしく寝るんだよ」という習慣をつける為に、次女が泣いても部屋から連れ出さないことに決めた。「おみずちょらい」といったら勿論お水は与えるが、その後は泣いても抱っこしたまま外に出さない。長女も長男も寝ている・ないし寝ようとしている状況なので、これは結構根性は要る。とはいえ、しつけ、習慣付けを始めるのに早すぎる時期ということはない、と思う。

ただ、ちょっと迷うのが、次女の泣きが「パパとあそびたい」ということからきていること。次女はなかなかのパパ大好きっこで、パパがいない時は割とおとなしいらしい。

気をつけていること。

・泣いても、黙って寝かせようとするのではなく、「暗くなったら寝る時間であること」「遊びの時間ではないこと」「寝たら大きくなれること」を言い聞かせる。
・外に連れ出さない代わり、抱っこは密にしてあげる。放っておかれているわけではない、ということを意識させる。
・最終的には、「おっぱい飲んで寝よう」と説得する。

まだ始めて数日なのでどんな結果になるかは分からないが、今日のところは、20分くらい泣いた後おっぱいを飲んで寝てくれた。暫くは根性入れて次女との戦いに臨もうと思う。

今日書きたいことはそれくらい。
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2013年08月17日

息子さんが偉いなーと思ったことと、大人に対する信頼感のお話。


本当に本当にちょっとしたことなのだが、書いておきたくなったので書く。ちょっとしたことの割りに長いので、興味がある方だけどうぞ。


今日の夕食時の話である。近所のから揚げ専門店でから揚げを買ってきて、ゆで野菜やらサラダやら卵豆腐やら、バラエティ豊かな食卓であった。私は次女に、奥様は長女に、主に食事を与えていた。

長女次女はまだ一歳半である為、手づかみでがつがつ食べることも頻繁なのだが、その時はたまたま、何かの拍子に長男(6歳)が手を汚して、その後椅子の背で手を拭いたように見えた。すかさず奥様が「こーら」と言った。

「椅子で手拭いちゃ駄目でしょ?」

息子さんは、違うよー、と言った。後ろのタオルを取ろうとしただけだよ、と。

誤魔化している感じはなかったので、本人的に、椅子で手を拭こうという意図がないのは事実だったのだろう。

行動の意図と行動の結果が合致しないことはままある。で、行動の意図が良くないことである時はそれについて叱るべきだし、行動の結果が良くない時はそう明示してあげるべきだ。二つがワンセットでない場合、私も奥様もそれ程叱らない。

手を拭くつもりがないのは分かったけれど、椅子が汚れちゃうから気をつけな、ということで特に何事もなくその場は収まった。

その時私は、長男が偉いなーと思ったのでそう言った。確かこんな風な言い方をしたと思う。


「パパもママも、間違った叱り方をしちゃうことはあるから、その時ちゃんと「自分がどうするつもりだった」ってことが言えるのは偉いなあ」


ニュアンスとしてはそんな感じだ。

私は、「自分の考えはこうだ」とか、「自分の意図はこういうものだったんだ」と主張するのは大事なことだ、と思っている。私や奥様は、「意図と結果が両方叱るべきだった時」強く叱る傾向があると思うので、子供の意図を勘違いした場合、妥当な叱り方が出来ない。そういう時、子供が意図をちゃんと主張してくれることは良いことだし、とても大事なことだ。そう思っている。


ただ、その後、別の場所でこんな意見も聞いた。

「例えば学校とかでは、そういう時「言い訳するな」って怒られそうだし、そういう時の対処も教えた方がいいんじゃあ」であるとか、別の人からは「言い訳ばっかり上手になるんじゃあ」であるとか。

なるほど、そういう側面もあるのかも知れない。実際、話が通じない場面も世の中にはあるし、話が通じない人も世の中にはいる。時には意図について話さないことが良い結果を生むこともあるかも知れないし、言い訳をしない人が高く評価される場合もある。


ただ、それを考慮に入れた上で、私自身は上記の方針を変えることはなさそうだ。


大人は、少なくとも親は、まず第一に「世界に対する、大人に対する信頼感」というものを育ててあげないといけない、と思う。この場合、大事なのは、「話せば分かってくれるんだ」という信頼感だ。

確かに、「言い訳するな!」と怒る人、というのは実際にいる。話が通じない場面、話が通じない人とめぐり合うことはある。ただ、スタート地点から「言い訳するな!」と拒絶され続ければ、子供は反論しても無駄だと思って押し黙るだけになってしまい、大人に対しての信頼感の欠如に行き着いてしまう。言ってみれば、「意図を分かってもらうことに対する諦め」を学習してしまう、と思う。

それは多分、良くないことだ。


理不尽な場面に対応するためには、理不尽でない場面もあるんだ、という認識が必要なんじゃないか、と思っている。例えば学校で、例えば他の場面で、「言い訳するな!」と怒られることはあるかも知れないが、それに対応する方法は、多分その時学べばいい。少なくとも親は、「大人相手でも、ちゃんと話せば話は通じるんだ」ということを認識させてあげることに注力するべきなんじゃないか、と私は思った。


だから私は、子供の「言い訳」をしっかり聞き続けようと思う。その上で、子供の意図がやっぱり叱るべきものなのであれば、その時はきっちり叱る。


そんな具合で、ちょっとしたことをきっかけに、我が家での私の方針を再確認した。妥当な方針かどうかは分からないが、まあ息子さんなら、多少間違ったことを親がしても軌道修正してくれるだろう。


今日考えたことはそれくらい。
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2013年07月29日

「怖くてもがんばれ!」と「怖かったら無理しなくていいよ」のバランスについて


なんだか二件続けて育児関連の記事ですが、不倒城はレトロゲームブログです。レトロゲームブログです。


今頭を悩ませていること。

長男(6歳)は比較的慎重派であって、知らない状況、危ないかも知れない遊具などには尻込みすることが多い。

先日熱海にいった際、ホテルのプールにウォータースライダー(といっても大型プールのような本格的なものではなく、20秒くらいで終わるもの)があった為、それを息子さんにも勧めてみたら、「こわいからやりたくない」という。

他のプール遊びもしながら、彼自身スライダーが気になるようでちらちら見るのだが、勧めてみるとその度に「いや」という返事が返ってくる。

勿論、純粋まじりっけ無しに「怖い!」「嫌だ!やりたくない!」だったらそんなもんそもそも勧めないのだが、遊びながらちょっとずつ聞いてみると、どうも息子さん、幾つか複雑な感情を抱いているらしい。

・「やってみたら楽しいかも」「やってみたいかも」という感情もある。
・パパ(私)がウォータースライダーやジェットコースター大好き人間なので、自分もパパのようにやってみたい。(ないし、パパに負けたくない?)
・ディズニーランドのビッグサンダーマウンテンも、怖かったけど乗ってみたら楽しかった。
・けど怖い。
・もしかすると、怖がりな自分がイヤだ?(不明。なんとなくの推測)


というように、複数の感情の葛藤があるようなのだ。

以前幼稚園への通園を嫌がった時にあったように、彼はストレスを抱えると「お腹が痛い」と言い出すことがある。この時も、周囲は無理にスライダーを勧めていないにも関わらず、息子さんは一時期腹痛を訴えたりもして、葛藤がストレスになってしまっていたことが窺えた。

結局この時は、ウォータースライダーのことは忘れて他のプールで一緒に遊び、最終的には「楽しかったーー!」で終わったのだが、親としては何点か考えあぐねる部分がある。

箇条書きにしてみると、

・この手のことをあまりコンプレックスにさせたくないし、トラウマになったりしたらもっと困る。だから無理はさせたくない。
・しかし、「最初は怖かったけど、やってみたら楽しかった」「意外と平気だった」という成功体験もさせてあげたい。実際、慣れたらジェットコースターもウォータースライダーも大して怖いもんではないし、楽しいものだ。上述したが、ディズニーではこのパターンで成功した。
・「怖いこと、イヤなことに立ち向かう、乗り越える」という機会もたくさん与えてあげたい。
・幼稚園の時もそうだったが、多少無理をしてでも実行しないと、そもそも葛藤が解決出来ない。
・とはいえ、現実問題、怖いもんは怖いんだからしょうがない。


ウォータースライダーの話は飽くまで一例であって、こういう場面は他にも色々ある。

実際のところ、「怖くても頑張れ!ちょっとは無理しよう!」と背中を押してあげることも必要なのだろうし、「怖いなら無理しなくていいよ!」と安心させてあげることも、ケースバイケースで必要なのだろう


難しいのはバランスだ。


もう少し大きくなったら平気な顔して出来るようになるんじゃあ、と思う一方、チャンスを与えてあげなかったらいつまでも怖いままでは、という疑念もある。どれくらいのバランスが最適なのか、頭を巡らせるばかりである。

尚、息子さんはジェットコースター・ウォータースライダーのような「こわい遊具」以外については、イヤなこと、やりたくないことにも頑張って取り組めたりするので、、挑戦者魂、克己心がない訳では全くない、ということは付け加えておきたい。


なにはともあれ旅行自体は非常に楽しかったので、また子供たちを色んな場所に連れてってあげたいなあと思う次第。


ちなみに我が家では、上記の通り私がジェットコースター・フリーフォール・ウォータースライダー大好き人間であり、遊園地で状況が許せばほぼジェットコースターオンリーで回る。一方、奥様は乗り物酔いをすることもあり、コーヒーカップすら忌避するジェットコースター大嫌い人間である。ウォータースライダーは一度乗ってみたが、「速くって怖かったので目つぶって寝ころがった」ってそれは余計加速するだけである。

昔の東京マリンには、最大斜度60°とかいう気が狂ったような超楽しいウォータースライダーがあったのだが、東京マリンごとなくなってしまって残念極まりない。


今日考えたことはこれくらい。
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2013年07月25日

うちの奥さんの、子供への読み聞かせ方がすごい


スクールカウンセラー時代に身に着けたスキルかなんかなんだろうか。

長男(6歳)は本が大好きで、最近は自分一人でも読むが、昔から読み聞かせをねだることが多い。「この本読んでーー」と持ってきて、こちらが何をしていようとお構いなく太ももにどすんと座ってくる。最近は、下の双子も「ちゃー」とか「ぴゃー」とか言いながら絵本を持ってきては、なんだか分からない言語で読み聞かせを要求するようになった。

本が好きなのはいいことだと思うので、読み聞かせをねだられたら、可能な限り腰をすえて読んであげるようにしている。この頃は、「だれも知らない小さな国」のような、ある程度長い児童小説も、ちょっとずつ辛抱強く聞けるようになってきた。私がいるときは私がねだられることが多いが、奥様が読み聞かせをすることも結構ある。

で、今日、奥様が「星からおちた小さな人」を読み聞かせをしているのを横で聞いていて、色々凄いと思った。(飽くまで私視点で凄いと思ったのであって、一般的にどうなのかは知らない。やっている人には普通のことなのかも知れない)


脇で聞いていて、凄いなーと思ったこと。

・静かに聴かせようとしない。むしろ子供の無駄口を誘発する。
・聞いている途中で子供が何か思いついたら、一度ぴったり中断して全部喋らせる。本中の単語を聞いて「○○みたいだねー?」と息子さんが口を挟んだら、「え、○○ってなに?」というように。
・話の途中で、ちょこちょこわき道に逸れる。すぐ本線に戻るのかと思いきや、ぐんぐんそこから発展する。
・この「○○さん」って誰のことだろうねー?とか、この○○って何だろうねー?とか、ちょくちょく自分からわき道に逸れ、本の中の言葉について子供に振る。それについて子供が答えると、そこからまた話を膨らませる。
・最後に、「今のお話、どんな場所だったー?」という様な感じで、お話全体を振り返る。



一言で言うと、「聞かせる」んじゃなくて「会話」になってる。お話を聞かせること、お話の内容を伝えること自体が目的じゃなくて、お話を起点に、子供とそのお話について会話することが目的。

確かにそうだ。子供への、本の読み聞かせというのは本来こうあるべきなのかも知れない。幼稚園で、小学校で、図書館の読み聞かせコーナーで、こういう聞かせ方が出来る人はいた。

ただ、たとえば児童館なんかで他の親御さんの聞かせ方など聞いていると、どちらかというと「お話の内容を伝える」ことがメインの人の方が多かった、ような気はする。私も、どちらかというとそうかも知れない。

「お話の内容を伝える」ことが目的なので、わき道は飽くまでわき道であって、基本、話が逸れたら子供の注意を元に戻そうとする。「うん、○○だねー。じゃあ続き聞こうか?」とか。「ほら、ちょっと静かに聞きなー?」という様に。

奥様のやり方は違った。逸れたら基本的に逸れっぱなしであり、そのまま息子との会話に遷移する。その会話が一通り落ち着いたら、やっと元に戻る。会話と、それに伴う思考がメインなのである。

5,6歳くらいの子が相手であれば、少なくともうちの息子さんなんかが相手であれば、そういった「お話を起点にしたお話」を入り口にして、自分でも思考を口にして、子供の思考と絡めてあげた方が、結果的にはお話が頭に入るのではあるまいか


やっている人にとっては、例えば私の奥様にとっては、多分上記は当たり前の話なのだろう。ただ、私自身にとっては案外頭になかったやり方であり、そういったやり方をする人がすぐ身内にいたということはそこそこ驚きであった為、ちょっと書き記しておきたくなった。


一対少数だから出来るやり方、というようなところはあるのだろう。例えば、小学校のクラスの授業でこういう聞かせ方はちょっとやりにくそうだ。ただ、聞かせ方としてはとても面白いと思ったので、暫くは私も真似してみようと思った。


今日考えたことはこれくらい。
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2013年07月18日

「最近ぼくあんまり褒めてもらってないよ?」


と、奥様が、恐らくお手伝いをした後の長男(6歳)に言われた、らしい。子供たちを寝付かせた後、夕飯中に奥様から聞いた。

一歳半の双子の世話に手一杯で、両親とも確かに長男に向ける視線の密度が薄くなっていたかも知れない。「ごめんね、○○くんなんでも自分で出来ちゃうからつい当たり前になっちゃってたねー」と奥様が褒めてあげると、「うれしいーー!」と凄く素直に喜んでいた、という話。

この話を聞いて、いくつか考えたこと。身内自慢のようで恐縮なのだが、私的な記録として。


言わないとなかなか伝わらないから、自分の気持ち、自分がしたいこと、してもらいたいことを素直に言葉にしよう、というのは口すっぱく言っていたので、その効果が出ていそうなことはとても良いことだと思う。

・褒められて嬉しい、という気持ちを素直に表に出せることも、同じくとても良いことだと思う。双子たちにもそう教えてあげたい。

・親としても、手伝ってくれるということにちゃんと感謝してあげたいし、褒めてあげたい。

・時と場合によっては、「ぼく頑張ってるよ!褒めて!」という気持ちを抑制した方がいい時も、勿論ある。けどそれは、少なくとも6歳の今の時点で考える必要はない、と思う。多分。

・一方、「褒めて!」と言われた時、同じくストレートに褒め言葉を口に出来た奥様も流石だと思う。褒め慣れていないと、案外タイミングを逃してしまい勝ちになりそうだ。

・褒めるのも、褒められるのも、慣れていないと案外難しい。家庭内に限らず、すっと褒めて、すっと褒められるように心がけたいなーと思う。

・何はともあれ、素直に育っている様子なのは何より。このまま、自分と、周囲の世界が好きな子に育ってくれるよう、親としても協力してあげたい。


今日考えたことはそれくらい。
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2013年03月28日

ドミニオンが初歩の算数習得とか、初等教育に有用なんじゃないかという話


うちの長男の話です。

長男(5歳)は最近、補助輪無しで乗れるようになった自転車を喜んで乗り倒したり、レゴ教室に行きたがったり、お友達とおままごとをしたりと色々遊んでいますが、相変わらずドミニオンにははまっています。休日自宅で空いた時間が出来ると、必ず「ぱぱドミニオンしよう!」とせがんできます。

で。流れとしましては、自宅にあったドミニオンマニアックスの「ドミニオンクイズ」という文字列を長男(5歳)が目にとめて、「ぱぱこれ解いて!」などと言い始めまして。簡単な方を何問か説明してあげたら、自分も解いてみたくなったようでして。

で、ドミマニのクイズは流石に5歳児には難しいので、もっと簡単に「こういう手札で、市場を使ったら金貨を引いてきました。何が買えるでしょう?」とか問題を出してあげたら喜んで指折り数えて考えるようになりました。


そうこうしていたら、なんだか最近、「30えんあれば植民地2まいと属州1まい買えるねーー!」とか、ドミニオンで「たくさんお金を出した時のお買いもの状況」を色々妄想するようになった訳です。いやまあ、「お買いもの増えてないと植民地1枚しか買えないよ?」と厳しく指導した訳なんですが。


ただこれ、冷静に考えると30 = (11 * 2) + 8という計算を頭の中でやってるということで、ドミニオン効果なかなかハイレベルなんじゃないかと思いました。


ということで、ドミニオンが教育に良いように思える点というのは、

・ゲーム中、非常に頻繁に、初歩の足し算・掛け算の計算をすることになる。結果、初歩の算数が自然と身につく
・ルールの習得、ルールを遵守するという練習が出来る
・「相手の番をきちんと待つ」という練習が出来る
・先読み、戦術的思考の練習が出来る


なかなかいいんじゃないかと思う訳です。

特に、初歩的な計算の繰り返しについては、毎回お金カードを指折り数えるだけでも「自発的に算数に取り組む」という習慣づけになるんじゃないかなーと。一回の対戦で下手すると数十回の計算をすることになる訳で、下手な算数ドリルよりも反復効果は高いかも知れません。

ルールの順守とか相手の番を待つという点は、勿論ドミニオンに限らず、将棋でもオセロでも、ターン制のゲームは皆同じ練習が出来ます。ドミニオンの場合、遊ぶ人数が変わったり、サプライによって1ターンの長さが変わったりするので、そういう点では色々変化があっていいかも知れません。

先読み、戦術思考については、「ああすると、こうなる」「ああするよりこうする方が勝てそう」というのを考える練習が出来る訳で、これも将棋や囲碁にも通じるものがあり、いい頭の運動になると思います。


何よりも、これら全て「完全に自発的に、むしろ親にせがんでやっている」というのが良い点で、面白い遊びというものはホント食いつきがいいですし、その遊びに関することは自分からどんどん吸収しようとするんですね。考えてみると、私も昔、ゲームや漫画絡みで随分色々頭の運動もしたし、色んな知識を吸収したような気がします。


とにかく「やりたい遊びを自分からやる」「その中から色んなものを身につける」というのは、なかなか他に代えがたいいい経験だし、邪魔せず伸ばしてあげたいなあ、と思う訳です。いや、勿論外での運動もさせてあげないとですが。



一方、ドミニオンが教育に良くないように思える点というのは、

・ハーレムとか拷問人とか変な言葉覚える

この点だけはちょっとどうかと思ったり思わなかったりする訳です。幼稚園で「ハーレムってカードがねー!」とか言ってないだろうな息子さん。

今日書きたいことはこれくらいです。
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2013年02月26日

「今日、幼稚園で何があった?」という質問が息子に嫌がられていた理由

長男(幼稚園年中)と話していた際、ふと気付いたこと。よく考えてみればごく当然のことだったのだが、今まではっきりと認識出来ていなかったので、ちょっと書きとめておきたくなった。


子供たちや奥様と一緒に、風呂に入った時の話である。

我が家の風呂は、比較的早風呂である。とはいえ、風呂に入りながらも色々と話す。


息子さんとばしゃばしゃお湯をいじりながら、私はなんとはなしに、「今日、幼稚園で何があったー?」と聞いた。この時、彼は「もう、そんなにいろいろ聞かないでよー」という嫌がり方をしたのである。


ん、色々


私が聞いたのは、「幼稚園でどんなことが起きたか」という一点だけであり、別に「色々な質問」をした訳ではない。そして、この質問をする前にしていた話は、お風呂で遊ぶおもちゃについての話であり、特段何か質問をした訳でもない。


実は、この質問に対して息子さんが難色を示すのは、初めてのことではない。いつもは「えー、わかんないよー」とか「覚えてないよー」といった難色の示し方をする為、私が話の方向性を変えて、息子さんと先生や友達の間で起きたことの話を聞くのが定型パターンだ。

この展開について深く考えていなかった私は、彼が単純に「幼稚園の話」をするのがイヤなのかなーなどと思っていたのだが、ふと奥様が横から口を挟んだ一言で謎が解けた。

奥様はこういった。


「開かれた質問だから答えにくいんじゃない?」


臨床心理士であり、元スクールカウンセラーである奥様は、するっと心理学用語を使うことがある。開かれた質問というのは、話者に自由な応答を促す、具体的な方向性が定められていない質問、のことである筈だ。


この時ようやく、息子さんが「いろいろ聞かないでよ」と言った意味が分かった。


彼の頭の中では、「幼稚園で起きたこと」というのは、「色々」としか形容しようがない、非常に雑然とした状態で蓄積されている。それは、友達と遊んだ記憶であり、先生のお話を聞いた記憶であり、歌を歌った記憶であり、お弁当を食べた記憶だ。

「幼稚園で起きたこと」というのはそれら全てを包括した言葉であり、一言で「幼稚園で起きたこと」と聞かれても、彼にとっては「色々起きたこと」について一遍に聞かれているようにしか受け取ることが出来ない、ということだったのだ。いや、多分、だが。


大人は、例えば「今日会社であったこと」という漠然としたテーマについて、自分で適当に一つを抽出して、適当に四捨五入した内容を話すことが出来る。それは、相手が求めているのが単なるイメージ的な総括であり、「会社であった全て」について聞きたい訳ではない、ということが分かっているからだ。

しかし、子供はその前提を承知していない。「幼稚園であったこと」というのは、基本的には、幼稚園で起きた全て、を指す。その為、「色々あった」ということをどう説明していいか分からず、途方に暮れてしまっていた、というのが彼の難色の正体だったのではないか、と私は思ったのである。


そこで私が、質問を「幼稚園で、休み時間になった時どんな遊びをしたか」に変えると、息子さんは喜んで、幼稚園で今流行っている「どろけい」について話し出してくれた。曰く、遊ぶ人数は場合によって違う。先生がどろぼうの基地を地面に書いてくれる。先生が一緒に混じることもある。今日は警察で何人捕まえた。とても楽しかった。



質問を具体的な方向に変えること自体はいつものことだが、今までその理由は「なんとなく」だった。ただ、私は今まで重大な勘違いをしており、彼は決して「幼稚園について話すのがイヤ」だった訳ではなかったのである。具体的に、こちらが何を知りたいのか提示してあげれば、彼にはそれに応じて伝えたいことが溢れる程あったのである。

これを今までしっかり認識していなかったことについては、反省することしきりである。



「質問をする時は具体的に」というのは、インタビューやコミュニケーションの基礎のキの一つである。そして、それは決して大人同士だけの話ではなく、子供にも、あるいは子供にこそ、大人以上にポイントを明確にした質問をする必要がある、ということを、私は今日学んだ。

もちろん、時には「開かれた質問」が有用な場合もあるだろうし、それが子供の表現力の形成に必要な場面もあるだろうが、「今自分が具体的な質問をしていない」という自覚なしに開かれた質問をするのは、それは単なる大人側の錯誤だ。


上記のような展開を受けて、私は当面「幼稚園で何があった?」とは聞かないことにした。同じく、彼が小学校にいってからも、「今日学校で何があった?」とはなるべく聞かないようにしよう、と思う。


自分がどんなテーマについて聞きたいのか、ちゃんと考えよう。で、そのテーマから、息子さんが言いたいことをどんどん引っ張り出そう。大人の側だけが、毎度「今日あったこと」という漠然としたテーマを子供に押し付けて楽をするのはやめよう。


私に関する限り、そんな風に思った。
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2012年11月28日

今日の長女と次女観察記録 12/11/28


長女と次女は双子である。12月初め産まれなので、間もなく一歳になる。大変元気である。

寝返りが打てるようになったのが5月頃だったと思う。
ハイハイが出来るようになったのが多分7月か8月くらいで、最近はかなり驚くべき速度でハイハイをするし、ドヤ顔でつかまり立ちもするし、私が三階でくつろいでいるとぴゃーぴゃー言いながら姉妹で階段を上ってきてパパのぼりを始めるし、離乳食をあげようとすると手から奪い取って自分で食べようとするし、私が寝転がっていると笑顔で突進してきて当然の権利のようにすね毛を抜こうとしてくる。

ぼちぼちお互いの存在を意識し始めたようで、以前はどうも「なんかたまに私のおもちゃがどっかになくなるな」という程度の、言ってみれば自然現象のように意識していた風であるところ、最近はお互いの目が合っているのをたびたび見かけるようになった。

主に奥様の御蔭で、健やかに育ってくれていると思う。「こどもリーダー」を任命した息子さんと、仲の良い三人兄妹になってくれるといいなあ、と思う。

で、長女と次女は双子とはいえ、既にそれぞれ結構性格が異なり、対比してみると色々と面白い。観察記をつけてみたくなった。

現在の長女と次女の性格の違い。


長女の特徴:基本的に内弁慶。普段は気が強いが、知らない場所、知らない人など想定外・知識外の状況に弱いらしく、知らない遊び場で抱っこから下されたりすると泣くことがある。気が強く見える割に、万事、割と臆病で慎重である。
抱っこされるのが好きで、抱っこをねだって泣くことが頻繁にあるし、下ろされると泣くことも頻繁にある。降りたがることは滅多にない。
愛想はそんなによくなく、外だとあまり笑わない、と思っていたが、最近は結構笑うようになった。
水に非常に強いらしく、風呂で髪を洗う時、頭からざばーーっとお湯をかけても全く泣かないし、湯船ではすぐ潜水したがる。目を離すと怖い。泳ぎがうまいのかも知れない。


次女の特徴:基本的にマイペースでのんびり屋。想定外の状況には長女よりは強く、のんびり屋に見える割に結構向こう見ずであり、初めて訪れた公園でも、地面に下ろされるとガンガン芝生の上をセメたりする。家の階段を上り始めたのも次女が先だった。ただ、場所によっては泣く。
抱っこされたい時もあるが、それ程抱っこされることは好きではないらしく、下ろせと主張することも多い。足をたんたん振るのが自己主張らしい。
非常に愛想がよく、何か面白いことがあるとにへーっと笑うし、目が合うと外さない。
水には弱いらしく、頭にお湯をかけられるとヒーンと泣くし、湯船に入ると抱っこしてきて離さない。この辺は私の血を感じる。


長女と次女を観察するのも、息子さんを観察するのに負けず劣らず面白いので、追っていろいろ書いてみたいと思う。

今日はこの辺で。
posted by しんざき at 19:05 | Comment(3) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月19日

息子の読書傾向の変遷について、メモ書き。

息子さんは5歳と4か月になる。大体、8時から9時くらいの間には寝る。

そして、夜寝る前に、息子さんに絵本を読み聞かせたりお話をしたりする。

大体、息子さんが寝る前のスケジュールは以下のように決まっている。

夕飯を食べる→夕飯の間に沸かしておいたお風呂に入る(この前後に私が帰宅することが多い)→歯を磨いて頭を乾かす(この間自分でパジャマを着る)→布団部屋に移動する→息子さんが事前に選んでおいた絵本を(私か奥様が)読み聴かせる→電気を消す→私が「総武線のそうちゃん」のお話をする→寝る。

私がどの時点で帰宅するかの違いはあるが、この順番が前後することは滅多にない。

で、息子さんには「お気に入りの絵本」があって、お気に入りの絵本は何度もリクエストするが、そこまででもない絵本が複数回リクエストされることは、同じく滅多にない。

ここ数か月のお気に入りの絵本は、大体下記のようなラインナップである。

ベンジーのふねのたび
「ベッドのしたになにがいる?」
もぐらバス
さむがりやのサンタ
こんやはどんなゆめをみる?
きょうりゅうのかいかた

ちなみに、この中で「さむがりやのサンタ」は、私が子供のころお気に入りだったから、という理由で何度か勧めている内に好きになった、という側面が強いかも知れない。「きょうりゅうのかいかた」は、男の子と女の子の兄妹が、大きい動物を飼いたいからということでお父さんにねだったら恐竜を連れてきた、というなかなか豪快な本である。知らない人はご一読ありたい。

最近は「図鑑もの」も好むようになってきた。なるほどkidsシリーズとか。特に電車ものが好き。

なるほどkids


一方、3歳頃は、下記のような絵本を好んでいた、と記憶している。最近はあまりリクエストしない。

ぐりとぐら
14ひきのあさごはん
ぎょうれつぎょうれつ
でんしゃがゴットン
しろくまちゃんぱんかいに

こうしてみると、ある程度傾向が見えてくるような気がする。

以前好んでいた絵本は、基本的には「日常生活の描写」をしたものがメインだった。多少のイベントは勿論あるが、大筋は散歩をしたり、電車に乗ったり、買い物に行ったり、そういう内容が主だ。そこまで大きな起伏はない。

それに対して、最近読む絵本の傾向としては、

・なにかしら突拍子もない/非日常的なイベントが発生する
・なにかしら知識が身につく


のいずれかの傾向が強い気がする。

これは、「日常」というものが本人の感覚にも定着して、日常ものよりも非日常ものの刺激を好むようになった、あるいは知的好奇心が強くなってきたということではないかなーと推測するわけであるが、今後も傾向の変化を記録すると面白いかもと思ったので、随所で記録していきたい。


ちなみに、最近は「長い話の分割読み聞かせ」もだいぶ好きになってきたようで、三冊くらい、長い話をクリアした。

プラス・トリックをとりもどせ (スーパーばあちゃん)
モモちゃんとアカネちゃんの本
だれも知らない小さな国

ただ、この中で「だれも知らない小さな国」は聊か長く、かつ途中の展開が平坦だったらしく、まだいまいち入り込めない様子だった。しかし、前二作には結構のめり込んでいた。そろそろマガーク探偵団くらいはいけるかも知れない。

その内、ミヒャエル・エンデの「はてしない物語」辺りを読ませてあげたいのだが、あれは流石に読み聞かせはキツいので、まずは一人で長い本が読めるようになるところかなー。


いずれにしても、読み聞かせの傾向の変化にも子供の成長を感じたりするこの頃なわけでした。

今日はこの辺で。

posted by しんざき at 22:10 | Comment(1) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月16日

子どもにプレゼントをあげる時に考えている三つのこと、あるいは仮面ライダーウィザードの指輪について。


クリスマスプレゼントについて考える時期になってきた。

1.「何かを欲しい」と強く望む心、というものを持ち続けて欲しい。
2.「欲しい何かを手に入れる為に頑張る」という気持ちを持って欲しい。
3.「欲しいものを手に入れた時のうれしい気持ち、感謝する気持ち」を持ち続けて欲しい。


子どもにプレゼントをあげる時、上のようなことを考える。

友達同士であれば、プレゼントをあげる時に裏であれこれ考えるのもあまりほめられた話ではないかも知れないが、私は親なので、やはり「それが子供に及ぼす影響」を考えない訳にはいかない。


「何かが欲しい」という欲求は、究極的には「生きる力」とイコールだと思う。だから、純粋に「何かが欲しい」と望む力は持ち続けていって欲しい。これが最初だ。

「何かが欲しい」という気持ちをプラスにする為に、「その何かを手に入れる為に頑張る」体験をさせてあげたいし、「何かを手に入れた時に嬉しい」という気持ちを育んで欲しい。これは多分、大人になってもずっと、必要なことであり続けるんじゃないかと思う。「欲しいものは何でも買ってあげる」という方針がダメなのは、多分その為だ。


で、実際に、その「何かが欲しい」という気持ちにこたえる機会に、親は一体どういうスタンスをとるべきなのか。色々と考えているのだが、なかなか結論は出ない。結論は出ないままに、手探りで進めている。多分これは、どんな親でも同じなのではないだろうか。


一応、うちでは、「子どもに何かを買ってあげる」ことについて、こんな方針でいる。


・おもちゃ等は、基本的には誕生日、クリスマス、お祭りのような記念日にだけ買ってあげる。「何か欲しい!」と言われたら、「そういう日まで、その欲しい!っていう気持ちをとっとくんだよ!」と言う。

・本や書籍は、「欲しい!」と言われたら、上記に関わらずなるべく買ってあげる。私が本好きだし、親に同じように本を買ってもらって育った為である。

・それとは別に、何か「凄く頑張った」という時には、そのご褒美として何か買ってあげる時はある。

・「ありがとう」はどんな時でも忘れない。



妥当な方針なのかどうかは、正直よく分からない。ただ、今のところ、息子さんは何か買ってもらった時物凄く全身全霊で喜ぶし、買ってもらったおもちゃは飽きずに大事に遊ぶし、買ってもらえないといつまでも地団太ということもないし、基本的には健やかに育ってくれているのではないか、と思う。何か間違えたとしても、それを成長の過程で克服してくれることもあるだろう。


また、上記とは別に、祖父や祖母が子供におもちゃを買うことはあるし、それはまあ黙認というか、ありがたいことではあるので何も言っていない。親は甘えてばかりいられる存在ではない為、時には祖父母で甘え分を補給することもあるだろう。そうした存在がいるのはありがたいことである。



で。それとはあまり関係なく、ずっと「おもちゃといえばプラレール」と電車一辺倒だった息子さんが、最近ついに「仮面ライダーウィザードの指輪が欲しい」と言い出した。

おもちゃ販売、特に最近の仮面ライダーものおもちゃの販促の熾烈さについては認識していた為、事前に調べてみたが、これがまたなかなかのものだ。

仮面ライダーウィザードリング

・指輪には「変身指輪」と「魔法指輪」があり、それぞれ複数の種類がある
・それとは別に変身ベルトというものもあり、セットで遊ぶようになっている
・指輪にも、ガチャガチャで出るもの、お店で買うもの、ばんそうこうなど色々ある

なんかすげーなあ。販促からの要請で番組が作られるのは昔からよくあることだが、その辺も結構徹底しているということなのだろう。親御さんや大きなお友達による争奪戦も結構熾烈、という話だ。

値段はともかくとして、この年から収集欲に目覚められても若干困る。今のところ息子さんは、プラレールに比べてそれ程深刻にウィザード指輪が欲しい訳ではないようだし、指輪ならなんでもよさそうな雰囲気もあるが、状況は慎重に進行していこうと思う次第である。


今日はこの辺で。
posted by しんざき at 19:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月09日

子育てにおいて、「真剣に考えて、真剣に褒めること」が大事なんじゃないか、と思った。

Togetterで、こんなまとめをみた。

間違ってほめた子供は、けっこう大変なことになる

先に断っておく必要があるのだが、私の読み方と、ここで論じられているmedtoolzさんの言いたいことは、若干ずれていると思う。これは多分、スコープの違いが原因だ。

medtoolzさんは、絵画についての技術論やセミナー、コーチングなどに触れられている点から読み取る限り、多分子供といってもある程度大きな、例えば小学生以上の子が、技術を身につける際に気をつけなくてはいけないこと、といったスコープで語られているのではないかと思う。おそらく「親にとっての子育て」に限らない話の筈だ。

で、私の子供はまだ5歳と1歳未満であって、まだ技術習得について考えられる地点までたどり着いていない。その為、私のスコープは「技術習得やコーチングの前の、親にとっての「褒めて伸ばす」という育て方について」という多少偏った視点になる。

それを前提にした上で、私が思う「褒める時気をつけるべきこと」について考えてみたい。
成果に到達できなかった人に対して、その過程をほめてしまうと失敗するし、正しい工程を踏まずに、たまたまいい成果に到達できた人をほめてしまっても、同様に失敗する。「正しくほめる」ことは、だからほんとうに難しいし、全行程見張ってないといけないから恐ろしく面倒くさい
しつけの歩留まりみたいなので論じるのなら、親御さんがそこまで教育にリソースを割けず、なおかつ教育というものに対する知識や経験を欠いているのなら、ほめるよりも叱って叩くやり方をしたほうが、実は子供にとって安全なんじゃないかと思える
多分これは、「本来「成功」というべきではないものを褒めてしまうことで、誤った成功体験をさせてしまうことによる弊害」という話に集約出来るんじゃないかなあ、と思った。

子供にとって「褒められる」という体験が非常に大きなものであることは間違いないと思うし、特に小さな子供は「褒められた」→「これは「いいこと」なんだ」という学習をする傾向が強い、と思う。少なくともうちの子はそうである。

となると、本来だったらあまり褒められたことではない行為を、間違って褒めてしまったりすると、間違った内容を成功体験として強く心に残してしまい、これが後々尾を引いたりする。これは多分普遍的な話だ。なんでもかんでも褒めればいいってもんじゃない、というのは全くその通りだ。「あ、これでいいんだ」と思って欲しい点を、的確に褒めないといけない。

そこから考えると、重要なことは

「それは本当に褒めるべきことなのか真剣に考えること」
・「褒めるとして、「どこを褒めているのか」をきちんと伝えること」


なのではあるまいか。これを厳密に行わなくてはいけないとしたら、確かに「褒めるコスト」というものは非常に大きい。単純にコストを重視すると、「褒めるよりも叱った方が安定」という話も頷ける。

もっとも、教育ではなく親子の子育てという話であれば、関係は基本的に一対一なのであるし、コストを気にして向き合うような関係性であってはいけないだろう、と思う。私は、少なくとも、「偉い」と思ったらそれを褒めたい。

真剣に考えて、真剣に褒めること。その為に、真剣に向き合うこと。少なくとも親と子の一対一の関係であれば、これがとてもとても重要になることは論を俟たないだろう。真剣に褒める為には、真剣に向き合わなくてはいけない。なんでもかんでもホイホイ褒めればいいというものではない。これは肝に銘じておきたいと思う。


一方、
たぶん「正解のあるものをほめてはいけない」という原則があるんだと思う。正解が決まっているものには必ず序列が生まれて、ほめることと正解を否定することとがトレードオフの関係になってしまう。
子育てのフィールドに限定して言えば、これは必ずしもそうとも言い切れないかも、と感じた。

小さい子は、まだ「正解を得る」以前に、「正解にたどり着く為にどんな努力をすればいいか」ということが分からない。「無駄な努力」が無駄であるかどうか以前に、まず「努力をすることの意味」が身についていない。

その為、「とりあえず努力をしてみる」という一つのスタンス、「コストをかけてみる」という一つのスタンスの存在は、最初に教えてあげないといけない。そのコストをかけるべきかかけないべきか、判断する前の問題なのだ。

だから、たとえ正解を出せなかったとしても、正解を出すために努力をしたとすれば、「その努力について」は褒めてあげるべきだ、と私は思う。より良い努力のし方を考える、つまり「無駄な努力と有益な努力の区別」をするのは、努力をすることの意味を知った後でいい。その為にも「「どこを褒めているのか」をきちんと伝えること」」は重要だと思う。


繰り返しになるが、medtoolzさんの言いたいことととは多分ずれていると思う。その上で、上記まとめを読んだ私が考えたことは、こんな風にまとめることが出来る。

・褒めるという行為が子供に及ぼす影響は非常に大きい。
・その為、なんでもかんでも褒めていたら、子供は本来成功体験ではないものまで成功体験として記憶してしまう。これはあんまりよろしくない。
・だから、親が子供を褒める時は、真剣に考えて、真剣に褒めなくてはいけない。


今後とも、息子さんや娘さんズと向き合うときは、真剣さを忘れないようにしたい、と思った。


今日はこれくらいで。
posted by しんざき at 21:47 | Comment(3) | TrackBack(1) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年09月10日

最近の対息子さん事案について、奥様と私で方針が違ったこと 12/09/10

例によって、可視化も有用かも知れないと思い、書く。

息子さん、5歳。幼稚園年中さん。9月からすっかり年長さんになるつもりだったらしいのだが、まだ年中さんだと聞いてきょとんとしていたらしい。


で、最近、息子さんが若干「出来ないかも知れないこと」を怖がる、ないし嫌がる傾向が出てきたように思う。

例えば、公園のアスレチック等で、以前は登れたジャングルジムに「怖いー」といって登らない。高所恐怖症の気配もあるかも知れないが。

同じく公園の雲梯など、出来ないかも知れない遊具に挑戦することを嫌がる。

例えば、補助輪無し自転車の練習を途中で嫌がってやめてしまう。

例えば、私とお相撲をとって、以前は一度負けても何度もかかってきたのに、一度負けると他の遊びに行ってしまう。
一過性のものかも知れないが、「成功体験だろうが失敗体験だろうが、とにかく色々体験させてあげたい」という親のスタンスからすると、いまひとつ心配だ。

以前から、性格的に「負けず嫌いで慎重」というところはあった。その辺はどちらかというと私より奥様に似ている気がする。ちなみに、長女も性格的にはそちら寄りの様に思い、一方次女はどちらかというと私に似ていて無謀っぽい。

勿論、無理やりやらせても改善する問題ではないことは分かっている。高所恐怖症なんか、こじらせて本格的なトラウマになってしまったら大変だ。自転車の練習なんかは、嫌だったとしても無理に頑張らなくてはいけない時もあるかも知れないが、それにしても時期は選んだ方がよかろう。


で、これについて私と奥様のスタンスは割と違っていて、一言で言うと私は「励ましつつ見守る」奥様は「あの手この手で焚き付ける」スタンスを取り始めている。

私の方は、基本的に「やってみたら意外と簡単かもよー?やってみたらー?」と声をかけつつ、息子さんが嫌がったら無理には薦めない。まあ気分が変わるのを待つか、という方針。この前は、これで怖がっていたアスレチックをクリア出来ていた。

奥様の方は、基本的に叱咤勉励。厳しいことは言わないが、「やっちゃえやっちゃえー」という感じでけしかける。息子さんも割とノルことがあって、この前はこれで私に向かって相撲の連戦を挑み、私も意外と苦労させられた。手加減はしないが。

どちらが刺さるかはよくわからないし、夫婦で方針を一致させないといけない、ということもないだろうから、暫くはこのまま、息子さんと遊びつつ見守ろうと思う。

なんにせよ、成功体験にせよ失敗体験にせよ、息子さんに様々な体験をさせてあげて、色々な思いを味あわせてあげることが出来れば、幸甚なことこの上ない。


今日はこれくらいで。
posted by しんざき at 19:18 | Comment(5) | TrackBack(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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