2017年05月06日

今日のしんざきと、いつの間にか累計6万ブクマをいただいていた件 17/05/06

ただの日記です。

はてなブックマークのカウンターを右下に設置しているんですが、昨日くらいに確認したらいつの間にか6万ブックマークを越えていました。皆さんいつもありがとうございます。


長くやっていればその内数というものは積みあがるものであるとはいえ、6万というのはまあなんかそれなりに大きい数のような気がします。ただ、65535に比べるとちょっとキリが悪いですね。不倒城はすでに過分なブックマークをいただいているので、今度レトロゲームネタ以外の記事をブックマークしたくなったらその分で他のサイトの記事をブクマしてあげてください。

とはいえ個人的には最近若干忸怩たる思いがありまして、本来しんざきはレトロゲームブロガーなのですが、レトロゲーム記事は書きたいことがありすぎて、一方自分に対するハードルは若干高い側面がありまして、なかなか最後まで書ききることができておりません。その為、ある意味時間稼ぎ的に、他に書きたくなったことをその場のノリで書いてみたら、そちらの方でなにやらご反響を頂いて、一見すると育児ブログであるかのように見えてしまう程です。

レトロゲームブログ!不倒城はレトロゲームブログです!!!そこについてはよろしくお願いいたします!

ということで引き続き、読んでくれる人のニーズについては全く勘案せず、自分の書きたいことだけ書きたい時に書いていこうと思いますので、読みたい人だけ適当によろしくお願いします。


〇ゴールデンウィーク中のしんざき

奥様方祖父母と共に、しんざき一家で長野県は蓼科に行っておりました。とても楽しかったです。

蓼科の桜はまだ見頃でした

この時期蓼科に行くのは毎年の恒例のようなものでして、いつもは桜満開よりも若干時期が早かったりするのですが、今年は程よい咲き具合で大変桜が綺麗でした。

子どもたちとは、諏訪湖沿いの屋内プール施設「すわっこランド」に行って遊び倒したり、

長男と釣り堀にいって釣りをしては「パパ!網!網で魚とって!」と使役されたり、

長男と釣り堀

蓼の海公園というアスレチック公園にいって湖沿いをお散歩したりしていました。

蓼の海公園にきた!!湖めちゃくちゃ綺麗

蓼の海は、もともとは水田灌漑用の人造湖だったということなのですが、今行ってみるとめっちゃ綺麗です。周囲を散歩するだけでも面白いんですが、すぐそばにはフィールドアスレチックが整備されておりまして、そちらで遊びまわるのもまた楽しい。

釣り堀では、マスやらイワナやらを釣ってその場で塩焼きにしてくれるというサービスがありまして、滅茶苦茶美味しかったです。

で、その間長男は「逆転裁判2」に挑戦しておりまして、最後の「さらば、逆転」はご存知の通りのシナリオなので、「これ一体どうすればいいのーーーーーっ!?」と叫びながらごろんごろん転がりまわっていました。悩みに悩んだ末のクリアは感動ひとしおだった様です。とてもよいことだと思います。

で、昨日東京に帰ってきまして、今日は流石にへたばってダラダラとしておりました。長男と二人で床屋に髪切りにいったくらい。

関係ないのですが、最近は「Books & Apps」さんにちょくちょく寄稿させていただいておりまして、そちらでも色々私の記事が読めるので気が向いたら読んでやってください。


ということで、今日書きたいことはそれくらいです。


posted by しんざき at 19:26 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月05日

「JRPG」という括りを適切だと思ったことが正直一度もない

もうちょっと厳密にいうと、「JRPGという括りを元に議論が行われているとき、その議論の対象として「JRPG」という言葉を使うことがふさわしいと思ったことが一度もない」と言うべきでしょうか。すいません、ちょっと言い方ややこしいですが。

こんな記事を読みました。

海外のユーザー投稿型辞典サイトでは、「JRPGとは、Japanese Role Playing Gameである」とだけ記述されているところが多い。そういった「日本のRPG」という原義の意味で使うユーザーもいれば、「若者が活躍したり、アニメ調で描かれる、いわゆる日本産RPG色の強いタイトル」というジャンル志向的な意味でJRPGという言葉を使うユーザーもいる。その定義に関する話はひとまず置いておいて、この記事ではJRPGを「日本のRPG」を指す言葉であると解釈したい。
ということなんですが、まず「日本産のRPG」という言葉は、一括りのジャンルとして議論の対象とするには余りに広すぎるんじゃないか、と思うんです。

だって、FFだって、DQだって、ヘラクレスの栄光だって、ミネルバトンサーガだって、moonだって、メタルマックスだって、サンサーラ・ナーガだって、女神転生だって、ブレスオブファイアだって、ゼルダだって、ロマサガだって、星をみるひとだって、イースだって、聖剣だって、天外魔境だって、カードマスターだって、マザーだって、ガイア幻想期だって、元祖西遊記スーパーモンキー大冒険だって、頭脳戦艦ガルだって、キングスナイトだって、

これらぜーーーーーーーんぶ「日本産のRPG」ですよね?

これらを一括りにして議論の対象とする言葉に、みんな疑問感じないんですか、とまず思うんです。あ、すいません、「後ろの三つはRPGじゃねえだろ!」と思った方は別窓口からご相談ください。

いや、わかりますよ。上記のRPGにだって、共通点というものは(頑張って探せば)ないことはないでしょう。その共通点に該当しないRPGは「議論の対象としない例外」と言ってしまっても大きな問題はない、のかもしれません。

ただ、
日本で生まれたRPGには多くの共通点がある。エンカウント式の戦闘であったり、ターンベースの戦闘であったり、大きなワールドマップが存在しており、小さな街やダンジョンが配置されていたり。
もし仮に、こういう「共通点」を議論の下敷きとして考えるのであれば、そこにふさわしい言葉は「JRPG」という言葉じゃないんじゃないかなあ、と私は思うんです。人によって「JRPG」という言葉でとらえる意味がふわっとし過ぎていて、この言葉の上に議論を構築することに意味はあるのかな、とか思ってしまうんです。

他のページでも調べてみると、

JRPGの主な特徴としては、コマンド選択式の戦闘システム、一本道のストーリー展開、自由度の低さ、冗長なカットシーン(ムービーシーン)、等が挙げられる。
いや、もしこういうことを「主な特徴」っていうんなら、そこにJRPGって言葉をあてはめないでくれねえかなあ…とか思っちゃうんですよ。例えばこれに該当しないRPGを挙げて、「いやそれは例外」っていうならいくらなんでも例外多すぎませんか、っていう。例外多すぎるカテゴライズの言葉はカテゴリーとして適切なんでしょうか。


端的に言っちゃうと、「JRPGって言葉で、いわゆるひと昔前のムービーゲーみたいなゲームを代表格として日本産RPGが一括りにされちゃうのあんまり好きじゃねえなあ、出来れば別の言葉使ってくれねえかなあ」っていうだけの話であって、本当に単に「日本産のRPG」を指してこの言葉を使うなら特に文句はないので、その辺りよろしくお願いします。(このあたり、「洋ゲー」という言葉に違和感を感じる方とたぶん同じ感覚だと思います)

いや、どうなんでしょうね?実際、「いやそこでは「JRPG」じゃなくて「後期FFライク」みたいな言葉を使うべきだろ!」とか思う機会結構多いんですが…。


今日書きたいことはそれくらいです。

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(追記 5/5 01:09)
「RPGの例として頭脳戦艦ガルが入ってない」という指摘をいただきましたので、頭脳戦艦ガルと、あとついでにキングスナイトを追記しました。よろしくお願いいたします。

posted by しんざき at 00:59 | Comment(10) | TrackBack(0) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月02日

長男が、多分初めて「勉強わからない」に突き当たった話



いつも通り、こういう話を可視化するのも意味があるかなーと思ったので書いてみます。


長男、9歳。小学4年生になって一カ月。

最近になって、長男「一度塾というものに行ってみたい」というようなことを言い出しまして。お友達の中で中学受験を見据えて塾に行き出した子が何人かいることと、最近中学の文化祭なんかに行ってみて、「中学というのはこういうところなのか」ってちょっとお勉強意識が出て来たらしいんですね。

自分が中学受験を体験していないこともあって、私は正直、まだ小4の頃から塾なんか行かなくてもいいんじゃないのかなー?とも思っていたんですが、折角本人がやる気を出しているので、体験入塾をさせてあげたんです。ちょっと聞いてみた感じでは、「学校の勉強よりずっと難しい、けど面白い」みたいな、割と前向きな感想が出てきているようで、ああ悪くないのかな、と思ってたんです。


昨日の話です。帰りがいつもよりちょっと遅くなりまして、20時半くらいだったでしょうか。いつもならお風呂に入って寝る準備にかかっているところ、しんざき奥様と長男は何やら二人で算数の問題に向かい合っていて、なんか久々に空気が煮詰まっているように見えたんです。奥様の言葉を長男が受け入れない、聞かない、的な拗ねモードです。奥様もちょっと困っているように見えました。


ざっくり状況を確認してみると、算数の図形の問題で、図形の周囲の長さとか、図形の一部分の面積なんかかを限られた情報から導きだす、「あー、学校ではあんまりやらないよね」的な問題で長男が苦戦しているようでした。


あったあったこういう問題。しんざきは昔、補習塾で数年バイトをしていたことがありましたので、算数を教えるのは割と得意です。奥様には長女次女を寝かしにかかるミッションに入ってもらって、バトンタッチ。


パパと勉強してみる?と言うと、長男こっちを向かないで、何か黙々とレゴブロックを片づけ続けています。ああ、なんか抱えてるなーというか、何か我慢してるなー、と。


取りあえずちょっと気を緩めてあげたいと思って、「長男偉いなー、こんな難しい問題、こんな時間まで勉強するの大変だったろ」と言ったら、なんと長男、いきなり泣き出しちゃったんですね。


ああ、辛かったんだなあ、と。


正直長男、今までは、あまり学校の勉強に苦戦したことってなかったと思うんですよ。算数も国語も、自分では得意だって言ってましたし、分からないところも見当たらない。小学校時点ではあんまり珍しくない、一種の無敵モードですよね。

それが、学習塾っていう全然別のフィールドに出てみたら、いきなり「解き方が分からない」「理解出来ない」問題がぱかすか出てきた。自信家の長男にとっては多分、何よりもそれがショックだったんだろうなーと。


勉強で一番難しいことって何か、ってご存知ですか?


当たり前みたいですけれど、それは、「分からない」に対応することなんです。


「分からない」に突き当たった時、どう対処するか。対処出来るリソースをどうやって探すか。そもそも、「分からない」を明確に意識すること、言語化することが出来るか。人に頼ることが出来るか、教えてくれる人を見つけることが出来るか、見つけられないとしたら自分で調べることが出来るか、理解出来る参考書を探すことが出来るか。


これ、当たり前のようだけど、当たり前に出来ることじゃないんですよ。「分からない」に突き当たった時、そもそも「分からない」を言語化することも意識することも出来ず、勿論人に聞くことも出来ず、なんとなく分からないまま通り過ぎちゃう子、山ほどいます。ものすごーーーくたくさんいます。多くの場合、それは取返しが付かないくらい「分からない」が積み上がった後、やっと発見され、対処が可能かどうか(主に大人によって)検討されることになります。周囲の環境も含めて、正直運次第って部分もないではないです。


「分からない」を解決する為にはどうすればいいか、っていうノウハウはたくさんあります。けれどこれも、経験しないままだとずっと身につかない。小学校、中学校でずっと「分からない」を経験しないまま通り過ぎて、高校になって初めて「分からない」にぶち当たって、どうすればいいか分からず落ちこぼれちゃう子、とかも全然珍しくありません。

「分からない」を認識してそれに立ち向かうことって、それだけで、ある種の訓練というか、慣れを必要とすることなんですよね。「分からない」にある程度慣れていないと、そもそも自分が分からないことが分からない。分からないことを見過ごしてしまうんです。「分からない」を直視するのって、精神的にも結構大変なことです。

だから、ごくごく初期の段階で「分からない」を発見してきちんと対処出来る、っていうのは凄く難しいし、貴重なことなんです。


そういう意味では、長男は凄くいい経験が出来たなあ、と。まだほんのちょっとの期間だけど、塾に行きたいって自分で言い出して、いきなり「分からない」に突き当たって、しかもそれをちゃんと持って帰ってこれたってのはとても偉いなあ、と。更に、やたら忙しい時間なのにそれをちゃんと拾ってくれた奥様もありがたいなあ、と。


泣き出した長男は、しばらく抱っこしていたら落ち着きました。

その算数の問題自体は、なにせ昔何十人も教えていた問題なので、教えることは簡単でした。ただ、折角なので、「いくつもやり方があって、その中から自分に合ってそうなやり方を選ぶ」っていう経験はさせてあげたいなーと思いまして、何パターンか解き方は教えてあげました。多分一回じゃ身につかないんで反復させてあげないとなって思ってるんですけれど。


それはそれとして、傷ついているであろう長男の自信のフォローはしてあげないとなーと思いまして。最近長男ドラクエにハマってるんで、こんなたとえ話をしてみました。


長男は、今アリアハンからロマリアに出てきたところなんだ、と。

ロマリアに行くといきなり敵が強くなるのは当たり前のことで、苦戦するのも当然のことで、それはちゃんとゲームの展開に沿ってるんだ、と。

ロマリアの敵は経験値も多いから、あっという間にレベルが上がってちゃんと倒せるようになるから、ちょっとびっくりしたかも知れないけど、全然心配することはないんだ、と。

ただしいきなりアッサラームに行くと死ぬからよせ、と。


そしたらどうもたとえ話が刺さったらしく、きゃっきゃ笑って、その後は割と元気になりました。良かったです。


いきなりアッサラーム行くと死にますよね。やりました昔。あと昔奥様が、「ちょっと今日の夕飯は冒険かも」って言ったから「ドラクエ3でたとえるとどの辺?」って聞いたら「ロマリアに着いた直後、何も考えずにアッサラームの方にいったくらい」って答えが返ってきたことがありまして、あの時は「らめえええええ」と思いました。


「分からない」は発見することこそが一番難しいんだ、という話でした。


ということで、ちょっとした話でしたが、今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 18:54 | Comment(12) | TrackBack(1) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月28日

何故みんな、「親の重荷をなるべく軽くする」という方向に言葉を使わないのだろうか

なんていうのかな。

例えば私は、以前からも色々書いている通り、子どもと接する時、子どもが感情を高ぶらせてきーっとなってる時、「まず待ってあげる」というのを可能な限りやっていきたいなー、と思っていて。

・「感情に整理をつける」ということはどんな人間でも大変であって、特に子どもにはその練習をさせてあげたいから。
・「ちゃんと聞いてもらえている」「ちゃんと待ってもらえている」という認識は、自己肯定感の獲得の中で凄く大事だと思うから。

だからなるべく、「待ってあげる」「聞いてあげる」ということはやってあげたいな、と思うわけです。

ただ、そういうのは、別に子育てに普遍の話じゃないし、いつでもできること、どんな家庭、どんな親、どんな子どもでも出来ることじゃないし、どんな場合でもいい方向に育児を持っていく魔法の杖ではない

当たり前のことですが、あと3分以内に家を出ないと幼稚園に遅刻するような状況なら子どもをせかさないと生活は周りませんし。

子どもがせっかちな性格で、逆に「早く早く!」と親をせかしてくるなら、それに応じてあげた方が教育上もいいかも知れませんし。

そんなのは文字通りケースバイケース、家庭にも子どもにもよることで。「たまたま、今のしんざき家で上手くいっていて、これからも続けたいと思っている方針」というだけであって、それをどんなご家庭にも勧めたい、とは私はこれっぽっちも思わないわけです。

だから私は、「こんなやり方もありますよ」「こんなやり方で、今のところ上手くいっていますよ」と書きたい。それ以上の書き方はあんまりしたくないですし、そういう書き方をしてきたつもりなんです。

だって、例えば「子どもは待ってあげないとダメ」なんて書き方をしたら、それは単に「親を追い詰めるだけ」のテキストじゃないですか。待てない事情、待たない方がいい事情があるかも知れないのに、「ああ、うちは待ててない」なんてことを親に思わせてしまったら、そのテキストは一体誰を幸せにするんでしょう?


育児に「選択肢」はあるけれど、「正解」はありません。どんなやり方が一番「正解」に近いのか、なんてことは無関係の他人に簡単にわかることじゃない。そして、育児はとても大変なことで、「小さな生き物を、ちゃんとした人間に育てていく」ということに、親は並々ならぬ労力を払うわけです。色んな選択肢の中でもがきながら、ギリギリのところで、ギリギリの育児を、どんな親だってしているんだろうと思うんです。

なのに、そんなギリギリの育児をしている親たちに対して、「〇〇なんてことをやるとダメ」「××は子どもに対してひどい悪影響」「▼▼が出来ないような親はダメ親」みたいな言葉を投げつけまくっている人たちは、一対何がしたいんでしょうか。よっぽど親を追い詰めたいんですかね?ただでさえ重荷が一杯のお父さん、お母さんの背中に、もう一束藁を放り投げて、結果親がつぶれちゃったらそれで満足なんでしょうか。

ネグレクト家庭とかで話を聞くと、「最初は必死に育児をしていたけれど、周囲の無理解に追い詰められて結局」みたいなケース、山ほど聞きますよ。親を追い詰めるって、子どもの為にもならないんですよ。子どもだって、親の心に余裕がある状態の方がのびのび成長出来るに決まっています。「子どもの為」というお題目で投げつけられている言葉が、親を介して結果的に子どもを追い詰めている、そういうケースがどれだけあるんでしょう。


だから私は、こう思うんです。

「こんな子育てはダメ」「こんな親はダメ」的な論法を振りかざしている皆さんは、お願いだから、ちょっとでも親が余裕を持てる方向に路線変更して頂くわけにはいきませんか、と。

「こんな子育ての方向もあるよ」「こんな選択肢もあるよ」という方向の方が、なんぼかは親も余裕を持てると思いませんか、と。


誰よりも子どもの為に、周囲は「親にこそ」余裕をもってもらうべきなんじゃないかと、私は思うのです。

posted by しんざき at 18:46 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月26日

今のWindowsPCで昔の光栄ゲームがちゃんと出来るということに、人類はもっと感動して良いのではないか

先日からお伝えしている通り、シブサワ・コウ・アーカイブスが第五弾まで出ています。


いやもうなんていうか、凄いんです。シブサワ・コウ・アーカイブス。ほんっとーーーに、昔の、PC98の頃の光栄ゲーそのまんま。武将風雲録が!!初代三國志が!!!維新の嵐が!!!太閤立志伝が!!!!Steamで出来る!!!!!

信長スクショ.png

合戦.png

織田信長の戦闘シーンのBGMかっこよすぎませんか?私普段は長曾我部使いなんですけど、これだけの為に一度は信長選んじゃうくらいめちゃくちゃかっこいい。

これは以前から光栄を批判していることなんですが、

Windows環境での光栄の過去作リメイクは基本的にひどいもん

だったんです。家庭用機への移植はそうでもなかったんですけどね。

いや、ちゃんとWindows版にリメイクされた作品も色々あったんですが、一部に「PC-98のエミュレートしただけのものを使いまわしで販売している」という作品がありまして。

例えば、私が愛してやまない大航海時代IIの定番シリーズなんて、「256色環境に画面を切り替えないと動作しない」「ウィンドウの外をクリックするとフリーズする」「2002年に発売された定番シリーズなのに、何故か以前のwin95版のexeがそのまんま入っている」といった数々のひどい点がありまして。

これがまた腹立たしいことに、98時代の光栄ゲーはめっちゃ面白いんですよね。当時のPC性能から言うとホントオーパーツかってくらい素晴らしい出来のゲームばかりで、その中には「98版じゃないと出せてない味」というのも多々あって。これも同じく大航海時代IIで言うと、やっぱ「SFC版じゃダメなんです」「PS版じゃダメなんです」っていう要素が色々あったんです。

それが、本当に、一分の文句をつける隙もなく、当時の98光栄ゲーがそのまんま今のWindowsで動くんですよ。これ現在の奇跡といってもいいんじゃないでしょうか。

ただ、シブサワ・コウ・アーカイブスは、現時点では第5弾までしか発表されておらず、「三國志V」「太閤立志伝」「大航海時代」までで止まってしまっています。いやこれはこれで超いいんですけど、買いましたけど、

大航海時代IIが!!!!

ロイヤルブラッドが!!!!

提督の決断が!!!!!

まだ出てない!!!

いやもしかすると提督の決断は時流的に難しいのかも知れないですが、少なくとも大航海時代IIはいいでしょーーー!!と。リョコウバト入れても大丈夫でしょーーーー!!!!と、強く、強く、強く主張したいわけなのです。あと大航海時代外伝もやりたい。

とにかく、もし第六弾以降が第五弾までの売り上げ動向次第、とかいう話だったら大変やばいので、是非是非皆さんにご購入を検討頂きたい次第なわけです。武将風雲録とか太閤立志伝とか蒼き狼と白き雌鹿とか超面白いですよ!!どうですか!!!!!!!


と、自分の欲望を素直に吐露したかっただけのエントリーでした。皆さんよろしくお願いします。

今日書きたいことはそれくらいです。




posted by しんざき at 06:26 | Comment(3) | TrackBack(0) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月25日

【MHXX】最近のダブルクロスの話やら三国志大戦の話やら 17/04/25

ただの日記です。

〇モンハンのお話

色んなことの合間を縫って、ゆるゆるとソロハンター稼業を続けております。

先日は、闘技場でラージャン + イビルジョーと戦う「感動が生まれる瞬間」に挑戦してみました。相変わらずのカマキリ装備、スキルは「抜刀会心・集中・超会心・耐震・対防御低下」です。(対防御低下は別に要らないけどお守りの都合上つけられるので一応つけてる)

たまに分断柵のタイミングを間違えて阿鼻叫喚になったりしつつ、いい加減慣れ切っているラージャンをざくざく切っていき、

ラージョー.jpg

16分でラージャン撃破。闘技場でラージャンって思ったよりやりにくいですね。何かケルビステップやらデンプシーに何回か引っかかったりしました。

ラージョー2.jpg

残り13分でジョー撃破、一応無乙でクリアできました。30分くらいかかったけど。

何故かわからないんですが、私イビルジョー未だに苦手なんですよね…ラージャンも昔は苦手だったところ、4Gでひたすらギルクエやってラージャン以外の倒し方忘れる頃にはそこそこ得意になっていたので、イビルジョーももうちょっと回数をこなさないといけない感じなんでしょうか。


その後、G級オストガロアにも突っ込んでみました。だるま無効に高級耳栓を付けられればいいんですが無理なので、スキルは耐震をだるま無効につけかえただけ。

ガロア.jpg

色々あって2乙しましたがなんとかクリア。

あれですね、オストガロアは、未だに何やっていいのかよくわかりません。。。弱点はりつくとなんかスリップダメージでガンガン体力減らされるし、溜め3当てようとすると下がって外された上に突進もらうし。どうすればインダー。ブラックX作りたいので気長にやろうかと思います。

あと、最近地底火山でブラキを倒すとサブタゲ報酬でお守りがたくさんもらえるクエが配信されたと聞きまして。ちょっと様子を見に行ってみようかと思います。


〇三国志大戦の話

よーーーーやく、三品に初昇格しました。

そういえばようやく三品になりました #三国志大戦


環境も変わって、今は手腕天啓が強いらしいですね。しんざきは基本呂布ワラしか使えない人なので、「その環境で呂布ワラがどれくらい戦えるか」しか判断基準がありません。取りあえず、現バーではそこそこいけそうな感じです。

三大.png

あんまりゲーセンに行けてないので、そこまでプレイ回数も増えてません。とはいえ、4品ルーパーをやっていた頃よりは一歩前進なので、引き続きゆるゆる頑張ってまいろうかという所存。

今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 18:06 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月24日

今日のしんざきが、長男と東急ハンズ謎解きに挑戦してきた件について 17/04/24

面白かったです。


土曜日は野外ゲー音部。こちらは別途レポート書こうと思ってますが、大変に楽しかったわけです。

日曜は、長男がやりたがった東急ハンズ謎解きに挑戦する為、一家で渋谷は東急ハンズに行ってきました。

奥様は以前から東急ハンズめぐりが趣味で、長女次女を連れてハンズ探検。その間私と長男が謎解きをするというパーティ編成だったわけですが、思ってたより手応えがある謎解きでして、ハンズの店内を駆けずり回ることになりました。

ネタバレにならない程度に感想を書きますと、

・最初の謎解きは簡単だった
・その後、ハンズの店内で指定された商品を探しては謎が展開する、という形に
・これが、意外なくらい商品と謎解きが上手い具合にリンクしていて大感心
・渋谷のハンズはそれ自体迷路みたいなものなんで長男にはそれも面白かった様子
・総合的に見るとちょうどいいくらいの難しさだった
・ただ、子どもだけでやるのは結構厳しいかも

という感じでした。

謎解きキットが1000円ちょっとする為に、どんなもんかなーと思っていたらキット自体もかなり手が込んでいて、複数のキットを組み合わせたりでよく考えるもんだなーと感心しきり。調べてみたら、ハンズの謎解きイベントって最近恒例みたいですね。また同じような企画があったら挑戦してみたいです。

今日書きたいことはそれくらいです。




posted by しんざき at 23:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月19日

長男が二度のセーブデータ消失の悲劇を乗り越え、GBA版の「逆転裁判」をクリアした

クリアしたみたいです。

長男、9歳。小学4年生。

現代のゲームと昔のゲームのどこが最も異なるか、というと「オートセーブが一般的になったこともあり、「ふっかつのじゅもんを書き間違える」「セーブデータが消える」「セーブデータを誤って消してしまう」という悲劇が起こることが極端に少なくなった」ということが挙げられると思います。

セーブデータを誤って消してしまうことは今でもあるかも知れませんが、前者二つが発生する機会は、今となってはもう殆どないのではないでしょうか。

ファミコン時代にRPGをやっていた人達の中で、「パスワードを書き間違ってしまった」「なんかセーブデータが消えてしまった」という事態を経験したことがない人は、果たしてどれくらいいるでしょうか。我々は、時に「ゲーム内で全滅した」「めっちゃ強いボスに大苦戦、ないし敗北した」といった記憶以上に、「セーブデータ消失」という悲劇を胸に刻み込まれています。


ある時には「おきのどくですが」に始まる、ごく短いメッセージと耳に残るBGM。

ある時には、何度入力しても画面に表示される「じゅもんが ちがいます」という冷酷なテキスト。


積み重ねた時間が一瞬で吹っ飛ぶ感覚。努力が一瞬で無になる無常感。時には、とても取返しが付かないほどの、キャラクター自体の「喪失」になることも珍しくない悲劇と、我々は常に隣り合わせの状態でゲームを遊んでいたのです。セーブデータ消失と同時に、そのゲーム自体に挫折してしまった人、というのもいたでしょう。二度とRPGなんてやるもんか、と固く決意してしまった人だっているかも知れません。


今、あの悲劇を味わう機会が極端に減った、ということが、現代のゲームプレイヤーにとって大いなる福音であることは間違いない、と思うんです。それは間違いない。


ただ。

「あの経験」が自分の心の中に何かを残しているかというと、それは確かに、なにがしかの耐久力の源泉にはなってるんじゃないかなあ、と。悲劇に甚大なダメージを喰らいながら、それでも歯を食いしばってもう一度立ち上がる、そういう経験にはなったんじゃないかなあ、と。

今もう一度、ああいう経験が日常的に発生するような環境に戻りたいかというと、そりゃ「絶対ヤだ」の一言ですが、昔あった悲劇が決して無駄じゃなかった、少なくともそういう側面もあるなーとは思うんです。


ところで最近、長男が逆転裁判にハマりました。


きっかけはアニメの逆転裁判のようで。私、こっちを観測してなかったんですが、なんだか「逆転裁判2」の内容がアニメ化されたんですかね?

謎解きや推理が大好きな長男は、私のゲーム棚に「逆転裁判」の文字を見て、「ぼくもこれやってみたい!!」と言い出したんです。まだ携帯機でゲームをやらせたことはなかったもので、目を休める為の時間制限は設けた上で、やらせてあげることにしました。

1章から4章まで、一週間くらいはかかったんでしょうか。「相手の証言を読んで、矛盾を考えて、証拠品をつきつける」という流れは、長男にとってひじょーーに魅力的だったみたいです。「「異議あり!」の時さ、正解だと音楽止まるよね!あれ気持ちいいよね!!」というのは長男の言葉。

時折どうしても詰まって、一言二言アドバイスをしてあげたことはあったんですが、基本的には自分の力で、時に小中大に憤り、時にはおばちゃんに突っ込み、時には成歩堂と真宵の漫才に大笑いしながら、「逆転、そしてサヨナラ」の最終パートまでたどり着いたみたいなんです。


で、みなさんよくご存知の通り、第四章、すげえ難しいじゃないですか。一度、もう殆どクリアする直前くらいまでいってから、「有罪確定してから間違ってセーブ」ってのをやらかしてしまったらしいんですね。


逆転裁判は、コンティニューでその章パートの最初まで戻ることが出来るので、大人視点からしてみれば大した時間の喪失でもなかった、と思うんです。ただ、それでも長男にしてみれば、初めての「自分が頑張って積み上げた努力の喪失」だったんです。やってしまった後には泣きそうになって、必死に我慢していたので、しんざき奥様が抱っこしてあげたら大泣きしてしまったとか。ひさびさですよ、長男が大泣きするなんて。

で、頑張ってやり直したら今度は、「友達に「はじめから」でプレイさせてあげて、間違って(友達が、ではなく自分が)セーブしてしまう」というまた古典的な失敗をしてしまい、流石にどかーんとへこんだようなんです。



それでもその後、(寝てる間ちょっとだけ手伝ってあげたりもしましたが)めげずに長男はプレイを再開しまして、昨日ついに、「逆転、そしてサヨナラ」の最後の証拠品をたたきつけて、エンディングを迎えることが出来た、という話なんです。



私、「それがゲームであれ漫画であれ小説であれ、コンテンツを摂取して心を動かすのはいいこと」だと思っていまして。ゲーム自体を楽しむのも勿論なんですが、時には悔しさを、時には執念を、時にはこだわりを、ゲームに大して全力でぶつけるってことも、心を育てていく上で大きなプラスになるんじゃないかなーと思ってるんですね。


そういう意味では。今となっては滅多に遭うことがなくなってしまった「セーブデータの消失」という悲劇に、二度も見舞われてしまい、しかも立ち直ってエンディングまでたどり着いたということも、彼にとっては一つの、結構大きな経験になったんじゃないかなーと。逆転裁判をやらせてあげて良かったなあ、と。


ちょっと前のゲームをやらせてあげるというのも、「今のゲームとは、また全然違った経験が出来る」という点で、なかなかいいもんだなあと。是非ディスクシステムのゲームとか実機でやらせてあげたい、と思ったんですが、今我が家のディスクシステムはゴムが溶けてて動きません。アレ、ゴム変えればまた動くようになるんでしょうか。



ちなみに、二度のセーブデータ消失を経て、ついにたどり着いたエンディングは、やはり長男にとって特別なものとして映ったみたいです。「面白かった?」という私の問いに大きくうなずいた後の長男の言葉は、しみじみと一言、「ヤハリは懲りないねえ…」でした。


矢張は全く懲りないですよね。うん。「3」までプレイした後、彼の感想がこれと変わるのか変わらないのか、私としても楽しみにしたいと思います。


今日書きたいことはそれくらいです。






posted by しんざき at 12:57 | Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月18日

推定無罪の原則ってちゃんと常識として共有されてるんだろうか

こんな記事を読みました。


しかし、「見守り役の犯行」は、現時点では「仮定」であって「前提」ではない。大半のメディアは、この被疑者男性が「取調べに黙秘している」と報道している。しかし、男性は「逮捕された段階で否認し、その後は黙秘している」というのが正しいようだ。

ところが、この保護者会長の男性は逮捕されてただちに「有罪」の審判が下されてしまったかのごとき報道ぶりである。「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される」という原則を無視するどころか、捜査機関より前のめりになって、この”犯人”を社会的に懲罰せんがごときである。今回に限らず大事件であればあるほど有罪推定報道に傾きがちであるが、これでは捜査活動をチェックできず、万が一違っていたときも引き返せなくなる。そうした可能性を少しは考えないのであろうか。
ここに書いてあることは本当にその通りだなあ、と思いまして。私、スタンス的には「被害者も加害者も、同じようにプライバシーは守られるべき」という意見の持ち主でして、被害者加害者双方の実名報道に反対する立場なんですけど。下記は昔書いたエントリーです。


いや、今更の話なんです。今に始まった話ではなく、30年くらい昔からずーっと言われ続け、批判され続けていることではあるんですけど。今回の事件の報道を観測していて、改めてつくづく感じたことがありまして。

当たり前のことですが、法治国家には、「有罪判決が確定するまでは何人も犯罪者として取り扱われない」という原則があります。これは、国際人権規約にも明文化されており、日本もそれを批准しています。「無罪の推定」とか、「推定無罪の原則」と言ったりします。

そして、これも当たり前のことですが、逮捕されてから無罪/有罪が確定するまでにはそれなりの時間がかかります。少なくとも、逮捕されて即日、その日の内に有罪確定、なんてカジュアルな話では断じてない。

「結果としてその被疑者(容疑者)が犯人であるかどうか」ってことはなんの関係もなく、たとえその被疑者がどんなに「実際に犯人である」可能性が高かったとしても、被疑段階では罪がないものとして扱われないといけない、この推定無罪の原則が、昔からものすっごく軽く扱われているような気がするんです。

これ、軽く扱われているどころか、下手すると認識すらしてない人も結構いたりしねえか、と。


今回の事件は勿論痛ましいとしか言いようがない事件であって、私も人の親として、犯人が逮捕されて、厳正に裁かれることを望みます。再発を防止する魔法の一手なんて存在しないとしても、どうしたらこのような事件を少しでも減らせるか、そういったことも考えなくてはいけない。

けれど、それとは何の関係もなく、何にも矛盾せず、「罪が確定するまでは、その人は無罪である」ということは堅持されなくてはいけない。

そういう意味で。私、「被疑段階で実名が報道される」こと自体どうかと思うんですが、その人の立場、顔写真、普段の行状やら人間関係やらプライバシー的情報に至るまで、事細かに報道されている現状、ひど過ぎて物もいえないと正直思うんですよ。

これ、万一「実は無実でした」ってことになったら、だれがどう被疑者の名誉を回復するんでしょうか?断言しますが、今報道しているメディア側の人たちが、「俺たちの責任です」ということは絶対にない。昔から、何度も何度も何度も繰り返されている光景で、その度に何度も何度も何度も何度も批判されているのに何も、何も変わらない。


で、報道を受け取る側としても、今更であろうがなんだろうが、常に、しつこいように、こう言い続けなくちゃいけないんじゃないか、と思うんですよ。


何故お前らは、罪が確定もしていないのに有罪であるかのような報道を続けるんですか、と。

もし万一、誤認逮捕だったとしたら人ひとりの人生を完全にぶっ壊した責任をお前らはどう負うんですか、と。


繰り返しになりますけどこれ、「被疑者が犯人だったら結果オーライ」の話じゃないですからね。被疑段階では、そもそもその人は無罪である。これが原則です。つまり、今の報道は、現時点では「無罪の人に対する報道」なんです。

その原則の上で、こういう報道見てると「ひっでえな」と思いませんか。


「"別宅"監禁か?」って、はてなマークつけてりゃいいって話じゃねえよ、ってところなんですが。

止めっぱなしのキャンピングカーは同容疑者のいわば“別宅”。誰にも邪魔されない空間にリンさんを連れ込み、監禁でも考えていたのか。おぞましい限りだ。
「現時点で無罪」の人相手にこんな報道垂れ流すのはおぞましくないんですか、って話ですよね。せめて有罪判決が確定してから報道しろよ、と思うと有罪判決が出た時にはさらっと数行しか報道されないんだから、いかに「視聴率が稼げる、旬な内に報道しよう」というメディアの都合がまかり通ってるのか伺い知れると思うんですが。

これ、決して不要な心配ってわけじゃなく、実際に誤認逮捕、ないし冤罪だった例ってのも今までに山程ありますからね。それで人生ぶっ壊された人達のその後の報道がどうだったのかとか、ここでは長くなるんで繰り返しませんが、ちょっと調べてみると呆れる程名誉回復なんてされてないですよ。


ただ、これも多分昔からの話なんですけれど、上のような認識や疑問を共有していない人というか、被疑段階で被疑者を犯人扱いすることに違和感を感じない人、というのもたくさんいるような気がするんですよね。たとえば、冒頭挙げたエントリーに対してでも、「もう確定なのかと思ってた」というようなコメントしてる方いますしね。「容疑者」への報道についてのコメントなんてよりいっそう、ひどいもんです。


となると、たとえ常識のように思えても、出来る限りこういう声を上げていくことに意味はあると思うんです。


「罪が確定するまではその人は無罪なんだよ」と。

「あなたは今、「無罪の人に対する報道」を読んでいるんだよ」と。


犯罪者が正当に罰せられるのと同じくらい、無罪の人の名誉が傷つけられないようになることを、願って止みません。



posted by しんざき at 06:59 | Comment(30) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月17日

なんか最近「ネタにマジレス度」が上がってきているような気がする

いや、大した話じゃないんですが。

先日、こんな記事を拝読しました。

でも、そんな日々はあっけなく終わりました。
あなたが何の相談もなく会社を辞めてしまったから。
「ボノボのワッペンで食っていく」
あなたは言いました。私はまったく意味がわからなかった。
ボノボ? ワッペン? どういうこと? 

「これは売れるよ。仲間と作ったんだ。アイデアは俺。
ボノボ、知ってるだろ? サルの仲間。
これからはね、ボノボがくるよ。必ずくる。
ボノボブームはすぐそこまできてる」

まずちょっと皆さんとの感覚のすり合わせを行いたいんですが、この記事、ネタですよね?

いや、創作実話だとか釣りだとかケチをつけるって話じゃなくて、割と明確に「この記事はネタですよ」というメッセージを出しているネタ記事だ、と私は感じたんですよ。いわゆる突っ込み待ち記事。

ほら、昔からちょくちょくあるじゃないですか。「主人がオオアリクイに殺されて1年が過ぎました」とか、「なにやっとるん?あんたのお母ちゃんよ」みたいな、そういうアレ。「そんなわけあるかーい」という突っ込みを誘う記事、「そんなわけあるかーい」と突っ込まずにはいられない記事。アレはアレで、インターネットの文化の一種だと私は思うんですけど。

標題記事を見ていると、「働かない夫」「ネト麻ばっかり」「妻が養っている」みたいないかにもなワードを並べておいて、ああ小町系かな?と思わせたところでボノボのワッペンという、「ボノボかよ」という突っ込みを誘う辺り、かなり完成度は高いネタ記事だと思うんです。乗せておいて乗せておいて、落とす。7年間ツイッターのアイコンがそのままって、2010年以前からTwitterやってる古株ユーザーがそんなことやってて捕捉されてねえ訳ねえだろ、とかそういう話もないではないですが、まあ些少な部分だと思うんです。その後の、Twitterに書き込みをして消した、みたいな部分は、まあ小町風エッセンスに戻すスパイスみたいなもんかなー、と感じました。

正直に書きますと、私もこういう「明示突っ込み待ち系ネタ記事」を匿名で書くことって時折ありまして、それなりにブックマークを頂いたりもしているんですが、言ってみれば同業として、小町系創作実話と明示ネタ記事のちょうど間隙を狙っていくこのテクニック、かなりの増田ベテランの方の仕事だと拝察しました。美しいネタ記事は心を豊かにする。

お見事。お見事です。さぞかしコメントも突っ込みの嵐であることでしょう、とコメントを確認させて頂いたんですよ。

ところが。ところがです。

この記事を「実話」だという前提でのコメント数が、私の想像よりも遥かに多かったんですよ。




あれ?と思いまして。

これも、以前ネタ記事を書いていた経験から申し上げますと、webにおける「ネタ記事感度」って結構高いものだと思っていたんです。いや、「これはネタだ!」とか野暮な指摘をするような話ではなくって、ネタということを了解した上で、それに乗る、みたいな。「ボノボかよ」と直接は言わないで、けどボノボポイントはしっかり拾う、みたいな。「アフリカスナギツネじゃない、やり直し」みたいな。

いや、勿論、ネタと承知でそれに乗る、というコメントをしている方もいらっしゃるんです。結構いらっしゃるんです。

けれど、ここで、例えば「働かないことによる夫婦関係の悪化」とか、「何故7年も放っておいたのか」みたいな、割とガチめの小町要素の部分に突っ込んでる方って、この記事は実話だという前提でコメントされているんでしょうか?それとも、ネタだということは承知の上で、敢えて小町要素に乗る、というような、いわばボケ殺し的な高度なコメント技を使われているんでしょうか?

実は最近、こういう「違和感」を感じる機会ってちょっとずつ増えてまして。

あ、あれ?これはネタの筈…。以前からの定番のネタの筈…。みたいなものが、凄い勢いで実話拡散されていく、みたいな。結果として、どう見ても明示されたネタなのに「これは釣り記事だった!許せん!!」みたいなよくわからない方向に吹き上がっちゃう、みたいな。ネタ殺しマジレス度の上昇、みたいな。


私の感覚があまりにずれているのか?いや、今まではこれで通用していた筈なんだけど…というような、妙な違和感を感じたのでちょっと記事にしてみた次第です。釣り釣られもネットの華といえばそうなんで、まあ大した話ではないんですが…。

今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 07:13 | Comment(8) | TrackBack(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする