2017年11月30日

何故立ち抱っこでないとダメなのか、5歳女児にヒアリングしてみた

しんざき家の子どもたちは、3人そろって抱っこ星人でして、抱っこ・おんぶ・肩車を食って育ってるのかってくらい抱っこやおんぶが好きです。長男10歳は流石に、自分から抱っこして欲しがることはほぼなくなったんですが、長女次女5歳は相変わらずすげー勢いで抱っこリクエストをしてきます。


ところで、「立ち抱っこ」と「座り抱っこ」では、子どもにとっては明確な価値の差があるみたいなんです。


昔から、子どもに抱っこを求められた時、大変なので座ったまま抱っこしようとすると、「立って抱っこして!!」と怒られることがあったんですよ。輸送反応とかあるじゃないですか、運ばれる時には泣き止みやすくなるっていうアレ。ただうちの子の場合、別に歩く・歩かないにかかわらず、泣く・泣かないに関わらず、「座った状態での抱っこ」よりも「立った状態での抱っこ」の方が喜ぶし、やってもらいたがるんです。親としては座って抱っこした方が楽なんですけどね。

そういうもんだと思っていたんですが、そういえば「何故立って抱っこの方が好きなのか」というのは個人差もあるかも知れないし、感じ方の違いもあるかも知れない。それを本人にヒアリングしたことがそういえばなかったなと思い、特にピュア抱っこ星人である次女に聞いてみたんです。そしたら、ちょっと意外な回答が返ってきました。

「次女ちゃんさあ」

「なにー?(抱っこされながら)」

「ちっちゃい頃から、パパが座って抱っこするより、立って抱っこする方が好きだよね」

「うん」

「あれ何で?」

「うーーんとね、パパにしかさわってないと、安心するの

「え。それは次女ちゃんの体がってこと?」

「そう」

「けどそしたら、座り抱っこでも、パパの体に次女ちゃんの体が全部乗ってたら安心する?」

「いすが近いとなんかやだ」


なるほど。

勿論ケース数がたった1なので一般化する気は全くないんですが、少なくともうちの次女にとっては、「自分の体が、地面や椅子など、他のものから離れてパパだけに保持されていることが重要」ということみたいなんですね。座り抱っこだと、結果的に自分の体の位置が低くなって、地面や椅子が近いから安心できない、と。


ここからは単なる想像なんですが、いわゆる輸送反応と同じように、本能的に安心出来る状態というのは多分あるんじゃないかなーと。で、その条件の一つには、「周囲からの安全が確保されている」というものもあるんじゃないか、と。例えば子供って段ボール箱とか入り込むの大好きですけど、アレも周囲から隔離されている(気がする)ってことが重要な要件ですよね。

で、少なくとも次女にとっては、「自分が高い位置で抱っこされていて、パパ以外に近くに存在するものがない」というのが、安心の要件というか、立ち抱っこでより安心する理由だった、ということみたいなんです。野生動物でも、危なくなったら木に登って隠れたりしますよね。もしかするとアレと共通の何かなのかなーと。

なるほどなあ、というか、やはりこういうのは当人に聞いてみるもんだなあ、と。

繰り返しですが、ケース数たった1の話でして、そもそも一般化出来るようなことではないですが、取りあえず面白かったので書いてみました。似たようなケースが他の子であるのか、みたいな話は、気が向いたらまた調べてみます。

今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 07:41 | Comment(3) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月27日

レトロゲーム万里を往く その139 ドンキーコングJR.

いきなりで申し訳ありませんが、今から皆さんに「ドンキーコングJR.の2面が結構すごい」、という話をしようと思います。


皆さんご存知の通り、ドンキーコングJR.は「ドンキーコング」の続編として開発されたアーケードゲームであり、1983年7月15日、ファミコンの同時発売タイトルの一つでもあります。アーケードのドンキーコング時点では、まだ主人公に「マリオ」という名前がついていなかったところ、アーケードのJR.時点で正式に「マリオ」がネーミングされた、という歴史的な一作でもあります。

最近だとGCどうぶつの森のファミコン家具でも登場していたそうで、たぶん遊んだ人が多いんじゃないでしょうか。

で、ドンキーコングは勿論任天堂の大ヒット作であって、取沙汰されることも多いメジャータイトルなんですが、JR.の方はドンキーコングに隠れがちというか、あんまり目立たない立ち位置だと思うんですよね。けど、実際遊んでみるとドンキーコングとは全く違う方向性のことをやっていて、特にそれが2面に凝縮されていると私は思っているので、その話をします。


これがドンキーコングJR.の1面です。

kongjr1.png

上の方にマリオがいて、コングがつかまっていることが目を引くと思います。このゲーム、マリオが下積み時代に悪役もやっていたということで有名でして、ドンキーコングの息子であるドンキーコングジュニアがコングを助けにいく、という筋書きになっています。初代ドンキーコングですごい頑張ってコングをやっつけてレディを取り返したのに、次回作でこの仕打ちっていうのは、マリオも結構理不尽な扱いをされてると思います。ヒーローにも下積みが必要なのです。


で、ですね。「ドンキーコングJR.」を遊んでいる時のプレイヤーの体験、という話なのですが。

画面を見てもらえばわかると思うのですが、ドンキーコングJR.の1面において、プレイヤーはほとんど「ツタの上り下り」という行動に終始することになります。

ジュニアは、ツタを登ったり下りたり、横のツタに移動したりしながら、マリオがけしかけてくるケイブシャーク(これは私が勝手に呼んでいるだけであって、実際の名前はスナップジョーです。けどこいつケイブシャークじゃね?)を避け、画面上部のコングのところを目指します。

この時、「両手で左右のツタをつかむと、一本のツタをつかんだ状態より速いスピードで登れる」というギミックがありまして、ここでプレイヤーはリスクとリターンの概念を学ぶことになります。

両手を使って上るとスピードが速くなるけれど、左右に当たり判定が広がっている為に、ケイブシャークにかまれやすくなる。片手を使うとスピードがのろいけれど、ケイブシャークを避けやすい。

つまり、リスクがある行動で素早く目的地にたどり着くか、リスクを抑えて安全に目的地にたどり着くかという切り替えを、プレイヤーにごく自然に学習させる作りになっているのです。ここだけでも、ドンキーコングJR.の深さにはなかなかバカにならないところがあります。

一方、「ジャンプ」という操作は1面時点では中核ではなく、どちらかというと補助的な役割になります。ツタに飛びつくために使う、って感じですね。これは、「上り下りという操作は存在するが、飽くまで補助的な役割であり、中核となる操作は飽くまでジャンプ」というドンキーコングと通じるところがあります。

で、2面の話です。

これがドンキーコングJR.の2面です。

kongjr2.png

これですね、「画面の色んなところで、なんかごちゃごちゃしたものが色々動いてる!!」ってだけで、ドンキーコングJR.のワクワク感って凄いものがあると思ってるんですけど。


ドンキーコングJR.の特殊なところは、どういうわけかここでいきなりゲームが広がりまくるところです。別の言い方をすると、「さっきまではドンキーコングの続編だったのに、なんかいきなり新作アクションゲームになった」ということになります。


二面を見て頂けると、ステージが4つのエリアというか、4つの全く違ったギミックで構成されていることが分かると思います。

kongjr2_1.png

まず、左下にあるのがジャンプ台エリア。ここでは、ジュニアをジャンプさせて、右下のエリアに安全に移動することが第一目標になります。タイミングよくジャンプすると、中段の移動ロープエリアにショートカットすることもできます。

右下にあるのが移動する足場と鎖エリア。ジュニアは、足場から落っこちないように注意深くジャンプしながら、中段エリアの移動ロープにつかまろうとします。時々、上で飛んでいるニットピッカーが卵を落としてくるので、それを避けるというのも必要な操作になります。

中段が、移動ロープと小さな足場のエリア。移動ロープは長くなったり短くなったりするので、プレイヤーはうまいこと長くなっているタイミングで移動ロープにつかまって、左側に移動しなくてはいけません。

上段が普通のツタとニットピッカーエリア。マリオがけしかけてくるニットピッカーを上下に避けながら、最上段を目指すエリアです。ここの操作は1面に近いですが、上から襲ってくるケイブシャークに対して、ニットピッカーは横から一直線に襲ってくるという違いがあります。


お分かりいただけるでしょうか。この面、エリアごとに気にしなければいけないこと、考えなければいけないことが全く変わるという、むしろスクロールアクションに近い構成になっているのです。しかも、1面では「ツタの上り下り」という一つのアクションをひたすら突き詰める感じになっているのに、2面では「序盤はジャンプ、中盤以降はツタ」という形で、中核となるアクション自体が全く変わります。


つまり、「プレイヤーに必要なスキルが、2面の序盤でいきなり変わるうえ、一つのステージの中でも序盤と中盤以降で全く違う」ということが起きているのです。


プレイヤーは、ゲームを遊んでいる内に、その場面場面で必要となるスキルを自然と身に着けることになります。任天堂のゲームってそれが全体的にすごく巧みでして、「ゲームを普通に遊んでいるといつの間にか上手くなってる」というのが味の一つだと思うんですが、ドンキーコングJR.についてはそれがちょっと異質だなと。「1面で手に入れたスキルが、2面の当初は役に立たない」って、任天堂にしてはかなり特殊な面構造だと思うんですよ。


初代ドンキーコングもそれに近かったですが、ゲーム黎明期のアクションゲームというものは、どちらかというと「一つのギミックが画面の中に複数配置されていて、それをタイミングや限られたアクションでどんどんクリアしていく」という構造のゲームが多数派でした。

そんな中、「一つの面の中に色んなギミック、色んなバリエーションをいきなりぶち込んでくる」というドンキーコングJR.の2面は、ファミコン最初期という時期を考えると、相当特殊なことをやっていたと思うのです。ひとつの固定画面の中にバリエーションを作りこむ、という点では、任天堂が当時から得意としていた「ゲーム & ウォッチ」に近いところもあります。


ちょっと大げさな言い方をすれば、家庭用ゲームにおける「ステージの途中でのアクションの展開」というもののルーツがドンキーコングJR.にはある、とまで言えるのではないか、と私は思っているのです。


正統派固定画面アクションゲームであるドンキーコングに対して、「画面内に配置された色々なギミックを楽しむ」「ゲームのアクションが面の途中で全く変わる」というドンキーコングJR.。この二つを、ファミコンという新ハードの同時発売タイトルに両方ぶち込んでくる任天堂の戦略は、今から考えても面白いなーと思った次第なわけです。


今日書きたいことはそれくらいです。




posted by しんざき at 06:55 | Comment(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月21日

「ビートマニア」の思い出

そういえば昨日は20,Novemberでしたね。


初代ビートマニアの稼働が1997年だったので、今年は20年目の11月20日ということになります。あれから随分時間が経ったものですね。

毎年私は、この時期になると思い出したようにPS版のBeatmania 2nd mixと専用コントローラーを引っ張り出してきて、一通りの曲を遊びます。3rd mixのsuper high wayで早くも挫折したなんちゃって音ゲーマーの、まあ一種の儀式のようなものです。

初代ビートマニアが登場した時の衝撃は、今でもよく覚えています。当時の私は、主にGダライアスに血道を上げながら時折マジドロ3やジャスティス学園で気分転換をする、といったムーブをしていた筈なのですが、ゲーセンに突如登場したデカい筐体、それまでのゲームとは全く雰囲気の違うBGM、その反面ゲーム自体は直感的で実に分かりやすく、なんかものすげえゲームが出たなーと思ったことを覚えています。

ビートマニアは、「なんだかよくわからないけれどとにかくかっこいいゲーム」でした。「遊んでるだけでかっこいい」「遊んでること自体がかっこいい」とでもいうべきでしょうか。それくらい、あの5鍵のコントロールパネルと、デカいモニターに流れるノーツ、そして真ん中の画面のアニメーションのインパクトは凄かった。パラッパラッパーに触れておらず、音ゲーといえばいきなりミュージシャンとオトッキーくらいしか知らなかった私には、Beatmaniaはものすげえ新機軸のゲームに見えました。

覚えてらっしゃる方もいるかと思うのですが、97年、98年からしばらくは、Beatmaniaには毎回行列ができていましたし、行列に並ばないギャラリーも山ほどいたのです。当時は、初代のラスボス曲であった20,Novemberを普通にクリアしただけでギャラリーから拍手が起きていましたし、それは2nd mixが出てからも暫くは続きました。

しんざきは、Beatmania初代は(余りに人が大量に並んでいたから)殆ど出来ていないんですが、その続編、Beatmania 2nd mixについてはそこそこ遊びました。Ska a go goまでは死にそうになりながら制覇して、3rd mixでnine secondsやsuper high wayに押しつぶされて挫折した、それがしんざきの短いBeatmania歴です。

本記事では、Beatmania 2nd mixで、特にやりこんだ曲についてなんとなく語ってみようかと思います。全曲書くわけではないです。


〇STAGE1

・jam jam reggae (Funky jam Cookie mix)


初代から存在するjam jam reggaeのmix版です。しょっぱな無音でノーツが落ちてきて、一つ目のノーツを叩いた瞬間に曲が始まるという構成が印象的です。定番のヒゲ親父がチャームポイント。

STAGE1の4曲の中では、間違いなくノーツ数も難易度も一番で、初心者が間違えて選択してしまうと詰む系ステージだと思われます。ただこの曲、リズムも軽快だし手の動きも面白いし、ある程度慣れてからの「俺叩けてる」感が凄くって一面の曲では一番好きなんですよねー。名譜面だと思います。


・Beginning of life


ambient。正直、曲自体はそこまで好きってわけじゃないんですが、ノーツの判定が緩く、一面の曲の中で一番パーフェクトを取りやすいっていう点で、点数を狙う時はこの曲ばかりやっていたので頭にしみついています。ターンテーブルがあるu gotta grooveよりこっちの方が遥かにパーフェクト取りやすかったです。

PS版の2nd mixって、先の方のstageで遊べる曲が、その前のstageで取れた点によって変わってくるんですよ。確か一面で90000点とらないと二面でKonamixが出てこないんですよね。この曲からKonamixにいくのが個人的な定番コースでした。


〇STAGE2

・Do you love me?


バラード。星は2なんですけど、個人的にはとても二面の曲とは思えないくらい難しかったです。譜面も難しいし、なんかやたら判定厳しいんですよね。星4のKonamixはおろか、うっかりすると三面のミニマルテクノよりこっちの方が苦手だったりしました。これ絶対難易度詐欺だろ感。

メロディは凄くいいと思うんですけどねー。途中のキーボード連打パートとか好きでした。


・Salamander Beat Crush mix


Konamix。後のシリーズでも連綿と続く伝統です。やはり出だしの沙羅曼蛇が素敵という他ありません。

stage3でミニマルテクノをプレイするには、konamixでは80000点以上取らないといけないんですよね。何故かこの曲が個人的に一番得意だったので、stage2では大抵konamixを遊んでました。後半のずらし押し懐かしい。


〇STAGE3

・OVERDOSER (Driving Dub mix)


大好きな一曲です。リズムも楽しくノリもよく、とにかく叩いていて面白い。ノーツはすごーーく多いんですけど、変則パターンがある訳ではないので、数パターン叩けるようになればその組み合わせで大体最後までいける、という点も中級者に優しい局でした。あと判定自体houseより甘い気がする。

後半、次から次に振ってくるパターンをパターンごとに処理する、という感覚が、自分がシーケンサになったみたいでとても楽しい。最終面でRAVE (2nd MIX)を遊びたい時は、houseの条件がやたら厳しいので大体この曲を選んでました。


・20, november(single mix)

動画は記事冒頭。言わずと知れた名曲中の名曲。なんだかんだで、当時Beatmaniaの看板といってもいいくらい知名度が高かったと思います。

やはり中盤と終盤のボーカル + オルガンパートが登竜門でした。それに先立つ十六分連射、あれ上手く叩けた時の爽快感がヤバい。今の難易度から見ると笑っちゃうような譜面なんでしょうけど、当時はアレで十分難しかったんだよ!!クリア出来たら拍手が起きてたんだよ!!!

最後に一つターンテーブルで終わる譜面は、今見ても「完成度。」の一言しか言えないくらい完璧でした。11月20日すごい。


〇STAGE4

・Deep Clear Eyes


個人的には2nd mix最高の名曲。いやめちゃくちゃかっこよくないですかこの曲?

次から次へ落ちてくるノーツを必死に処理している間に、ふとどこかから聞こえてくる美しいオルガンパート、っていう感じの中盤がもう構成的にすごすぎる。その後のストリングのメロディまで含めて、譜面全部で聴かせる構成がもう物凄いと思うんですよ。今でも、Drum'n Baseっていったら取りあえずDCE、っていうくらい印象深い曲です。


・Acid Bomb


一方のハードテクノ。いや難しかった。めちゃくちゃ苦戦しました、この曲。多分skaよりクリアできるまでの時間長かったんじゃないだろうか。

いや、落ちてくるノーツはすごい単純なんですけど、リズムがガンガン可変して、しかも判定厳しくって、生来リズム感がない私にはGood出すのも一苦労って感じだったんですよ。刻むリズム自体はかっこいいんですけどねー。

後半の「タッタッタッタッタッタッタッタッタッタ…」って感じでずっと同じリズム刻む中他のノーツ叩かないといけない、みたいなところは今でも鬼門です。


・e-motion(2nd MIX)


初代から存在するraveのアレンジバージョン。よりメロディパートに寄った譜面を叩くことが出来ます。これもかなりのお気に入り。

元々のメロディもいいんですけど、メロディは変わらず叩く譜面のパートが変わる、という、「アレンジっていってもこういうアレンジの仕方もあるのか…!」的な衝撃がありました。終盤、左右に綺麗に分かれたドラムパートをバシバシ叩いていくのもお気に入り。


・Ska a go go 


そして、恐らく全国のBeatmaniaプレイヤーは全員が全員初見で眼を疑ったであろう、皆大好きSKA a go go。言わずと知れた、という感じではありますが、軽快な裏拍とか、途中で急に曲のスピードが変わるギミックとか、色んな面で後々の音ゲーに与えた影響は物凄かったと思います。

特に最後の滝なんかは、「いやこれ人間が叩けるようにできてないだろ…何考えてんだコナミ…」以外の感想がなかったんですが、1鍵2鍵とそれ以外を分離するテクニックとか、覚えていくとなんか本当に叩けるようになっちゃって、音ゲーすげーーってなりましたね。いやsuper high wayで挫折したんですけどね。


ということで、がーーーっと書いて参りました。折角11/20だったので、ちょっと思い出語りでもしてみようかと思った次第で、それ以上の意味はあんまりないです。


今日書きたいことはそれくらいです。










posted by しんざき at 07:27 | Comment(2) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月18日

oneshot取り敢えずクリアしました

色々と事情がありまして、「ニコが可愛い」以外言うことが出来ません。

ニコ可愛い。



いやもう何をどういったらいいのか、とりあえずなんというか、色々あれこれ考えながら試行錯誤するのが好きな人であれば、一切情報を仕入れずに遊んでみることをお勧めします。

あと、ただひたすら「暗い中で明かりを探す」という感覚が大好きな人には超お勧めです。

私もこれから二周目いってきます。
posted by しんざき at 02:02 | Comment(0) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月16日

赤ちゃんだけじゃなくて子どもは正直いってめちゃくちゃ可愛い

赤ちゃんの世話は地獄みたいに大変ってことはインターネットで読んで知ってたけど
こんなに可愛いって知らなかったよ!早く言ってよ?
毎日楽しいよ
うんとですね、しんざき家10歳の男の子と5歳の双子女児がいるんですけれど、勿論赤ちゃんの頃も可愛かったけれど、5歳10歳の今になってもめちゃくちゃ可愛いし遊んでて死ぬほど楽しいし会話してるとすげー嬉しいですよ。さすがに長男は10歳にもなったし男の子なんで面と向かって可愛いとは言ってないですが、内心では超絶可愛いし大きくなってくれて凄い頼もしいしこんな生き物が生まれてきてくれてありがとう…!!哺乳類すごい…!!としか思っていません。長女次女の方はホントもう物凄く可愛い。客観的に見て天使。こんな可愛い生き物が成長してちゃんと人間らしくなって、しかも日本語を使ってコミュニケーションしてくれるとか、ホント人類ってものすげー進化したなと思います。これは何?SF?って感じ。

ただまあなんていうのか、これ私自身にも抵抗感がある話なんですけど、何故か無条件で子どもを愛でるのが憚られるっていうか、遠慮されがちな空気とか、あるいは子ども可愛いっていう言葉に対して反発がある向きってあるような気がするんですよね。


例えば、可愛いのはいいけど大変でしょ?とか。子育て大変って言わないと許されない雰囲気、とか。

子どもがいない家庭に対して悪いでしょ、ちょっとは遠慮しなよ、とか。

男親だから言えるんでしょ、大変なこと全部母親に押し付けてるでしょ、とか。

可愛いのは今だけでしょ、反抗期になったらそんなこと言えなくなるよ、とか。


上の記事にも、「そう思えるのは最初だけ。」とか知った風に水ぶっかけようとしてるトラバとかありますよね。

ただ、個人的には、そういうの全部ひっくるめて、うるせえ可愛いものは可愛いんだ知るかバーーカ、と言ってしまいたいです。

いや、そりゃ子育て大変な面も勿論ありますよ?いうこと聞かない時は言うこと聞きませんし、叱らなきゃいけないことも勿論あります。なかなか泣き止まなくて、何時間か抱っこしたまま防音性が高い風呂場にこもったこととか、なかなか寝付いてくれなくっておんぶしたまま夜中に部屋の中を歩き回ったこととかもありました。そういう苦労話なら、そりゃ幾らでも出来ます。

けど大変な分全部差し引いてお釣りが大量にくるくらい可愛い。すごい可愛い。

これについては、勿論しんざき奥様はすごーーい頑張ってくれているし感謝しかないんですけれど、それでも私も胸を張れる程度には父親として育児をやってきたと思っていますし、その上で奥様私含めての統一見解だと思っています。

「可愛いのは今だけ」みたいな言葉も、正直信用してませんし信用してなくて正しかったなーと思ってます。2歳、3歳の頃「今が一番かわいい時期」とか言われたけれど、5歳、10歳の今あの時より更にかわいいやん、と。この点、「今だけよー」みたいに言ってくる人には、今だけちゃうわ今後どんどん更にかわいくなるわ、と言い放ってしまっていいと思っています。思春期反抗期は勿論、どんな風に自意識を表出してくれるのかなー親としてどのように接していこうかなーと思うと今からドキドキワクワクします。

勿論、家庭によって色々事情は異なることはよく分かりますし、時にはよそのご家庭から不愉快に思われてしまうかも知れない、というのもそれはそれで分かります。

ただ、そういうことに配慮ばっかしていると、誰も「俺は幸せだ」という話が出来なくなるじゃないですか。それはそれで、ちょっと社会として不健全だと思うんですよ。今幸せな人は、それをちゃんと表明していいと、少なくとも私は思うんですよ。


赤ちゃんのころだけじゃない。育てば育った分だけ別の可愛さが見えてきて、それは可愛さだけじゃなくて頼もしさとか人と人としてのコミュニケーションとか新しい発見みたいなものもあって、もう育児超エンターティメントです。

今後も引き続き、親として育児エンターティメントを全力で楽しみながら、子ども共々成長していきたいと思った次第です。よろしくお願いします。


今日書きたいことはそれくらいです。


posted by しんざき at 07:03 | Comment(2) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月15日

実名報道についての反応で思ったこと。

昨日の記事の続きです。

今回は割とちゃんと皆さまの反応を読ませて頂いてまして、といってもブックマークとか量が多すぎて正直全部読み切れてないんですが、実名報道不要という向きの反応を多数いただきつつ、ぽつぽつ「こういう理由で実名報道は必要では」という話も頂いております。

昨日の件は、単純に「知ってどうするのか」という疑問だったので、個別の理由の是々非々とは別に、そういった回答を頂くのはありがたいことです。

その上で、そういった個別の論点において、改善すべきところがあれば改善すべきだし、「それは本当に実名報道の必然的な理由になるのか?」ということも考えてみても良いのでは、と思いました。

今日はそれら、いただいた反応について、個別に思ったことを書きます。


・殺人事件の被害者が、もしかすると縁者、知人ではないか?実名報道が行われないとそれが判明しない、という話

「何かあった時に知らせるべき知人」というものが、それぞれの案件について何人くらいいるのかは分からないですが、一般的には何十人、何百人というレベルに収まるのではないかなーと思います。

何十人、何百人という程度の数の人に情報を知らせるのに、下手すると何十万人、何百万人というレベルに伝わる可能性がある「報道」という手段を取るのは、それちょっとオーバーキルではないでしょうか。少なくとも、「知人に知らせる手段」としての報道というのは、明らかにスケール的にも適切でないように思います。

それに加えて、「何故報道になるような事件の情報だけを知りたいのでしょう?」という疑問もあります。事故でも病気でも、かつての知人が亡くなったのは一緒やん、と。報道されるような事件じゃなかったら結局同じなんじゃないですか、という。

数十年前であれば、そもそも他に伝える手段がなかった(新聞に故人の氏名が掲載されていた時代です)から仕方がなかったのかも知れないですが、今の時代、クローズドの連絡手段も、SNS含めて山のようにあります。何故いつまでもメジャー報道で実名を知らせないといけないんですか、というのは考えてもいいように思います。

まあ、そもそも「自分に何かあった時にこの人には知らせて欲しい」というのは本来故人の意思であるべきであって、故人が既に意思を表明出来ない場合は、それは故人の遺族に帰するべきじゃないかなあ、と私は思うんですが。つまり、遺族が伝えたい人にだけ伝える、というのが本来あるべき姿なんじゃないですかね?


・国民に知る権利がある以上、重大事件の詳細は報道されるべきだという話

知る権利があるのは確かかも知れませんが、それと同じように知られない権利というものもあります。一般的にプライバシー権と呼ばれるヤツですね。「知る権利」という言葉が出てきたのは1945年以降の筈ですから、1890年から既に議論されているこちらの権利の方が歴史は古いです。(参照:Wikipedia)

どちらの権利が優先されるかというのは難しい問題ですが、少なくとも知る権利が一方的にプライバシー権に優越する、というのはおかしいのではないでしょうか。現在は、故人にはプライバシー権が発生しないという解釈の元、遺族のプライバシー権もなしくずしに「知る権利」に一方的に侵害されている状態ですね。


・実名報道が行われなかったら警察発表や実際の事件などが検証出来ない、という話

「検証」に対して「実名報道」が必須条件になる理由が分かりません。検証をするならするで、然るべき立ち位置の人が正確な資料に則ってするべきであって、それこそニュース番組や新聞の情報なんて不正確な可能性もあって検証になんて使えたものじゃないでしょう。裁判資料でも、警察発表資料でも、報道以外でアクセス可能な情報(しかもより正確なヤツ)はいくらでもあります。


・正確な報道が行われなかったら、いい加減な憶測に基づいたデマが繁殖するかも知れない、という話

それはいい加減な憶測に基づいたデマを流す人間を非難するべき問題であって、実名報道の是非とは関係ない話であるように思います。というか現状、実名に伴うもろもろの情報が流れた方が、よりデマやらねつ造情報やらの展開が加速する、という状況に近いですよね。観測範囲の問題もあるかも知れませんが、実名報道がされなかった神奈川の事件では、少なくとも今回の事件のような状況にはなっていません。



ざっと思ったのは以上のような内容です。

あと、

・実名の報道
・被害者の個人情報(卒アルだの人となりだの)

は別であって、前者はいるが後者は要らない、というご意見の方もいたようです。私個人的には、前者と後者は地続きであって、明確に区別する必要は必ずしもないのではないか、そもそも前者から不要なのではないか、というスタンスです。まあ後者をメインにセンセーショナルに事件を盛り上げようとする報道は、その遥か以前の段階で大っっっっっ嫌いですが。


以上のような話の上で、最終的な私のスタンスは、

・少なくとも遺族が故人の情報を公開しないことを望んでいる場合は、報道機関はそれを尊重するべきだし、もしそれを破ったら何らかの罰則を付することを検討しても良いのではないか

というものであり、そういった方向に話が流れてくれるといいなあ、と考える次第です。


今日書きたいことはそれくらいです。


posted by しんざき at 06:50 | Comment(13) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月14日

殺人事件被害者の実名って、知ってどうするんですか?

ほんとーーーーーに理解出来ないことが一点あるので、ちょっと追加で書かせて頂ければと思うんですが。

この記事を読みました。


遺族が実名報道をやめて欲しいと、各報道機関に要望したのに、その要望が殆どの報道機関に黙殺されて、今ガンガン実名報道されてますよ、という話です。ちょっと前、報道機関に対して報道の自粛を要請する張り紙を家の前に貼っていた被害者遺族の話も、何故かきっぱり報道されている、ということが起きていました。

加害容疑者の話は一旦おきましょう。私、本来は加害容疑者の実名報道も不要ではないかと思っているんですけど、まあそれは別の問題なんで一旦置いておきます。

皆さんにお聞きしたい、と思ったんです。


実際のところ、被害者の実名って、知りたいですか?


被害者の実名、生い立ちやら人となりやら学生時代の生活やらって、そんなに情報として、コンテンツとして魅力的なものなんでしょうか?皆が「知りたい」と思うものなんでしょうか?

例えば被害者の感情とか、生活が破壊されるとかどうとか、そういう前提を一切無視したとして、「殺人事件被害者の個人情報」って情報として興味深いものですか?


私には、まずこの部分が根本的に理解出来ないのです。それ、知ってどうするんだ?と。

例えば、「何故その事件が発生したか、という分析に被害者の情報が必要」ということであれば、少なくとも私の感覚では、「それ匿名でも報道出来るやないですか」としか思えないのです。「AさんはTwitterでこれこれこういう発言をしていて」という情報で、特に事件分析が妨げられる訳でもないですよね。

以前、相模原殺傷事件の時に出てきた話では、


「誰が亡くなったのか」という事実確認に障壁を設け、被害者の足跡や遺族の思いなどを世に伝える機会を奪った形だ。

さらに、「重要なのは被害者一人一人がどう生きてきたかを知って、社会が悲しみや怒りを共有することだ」と指摘する。
これについても、「匿名だと悲しみや怒りを共有できないんですか?」としか思いませんでしたし。

例えば「実名が報道されないと、知り合いが殺されたのかどうかが分からない」みたいな話であれば、「報道を通してしか殺人被害に遭ったかどうか確認出来ない程度の知り合いの安否情報って、遺族の生活より重要なんですか?」としか思いませんでしたし。

例えば「実名がないと、事件の悲惨さが伝わらない」という話であれば、「事件の悲惨さを描写するのに、何故被害者が鈴木さんか田中さんかという情報が必要なんですか?」としか思いませんでしたし。実名がないと悲惨さが伝えられないとしたら、それは伝える方の能力不足でしょ、とすら思います。

結局のところ、これらについて私は、「それは何故遺族感情や遺族の生活よりも優先されるんですか」ということが、本当に、さっぱり理解出来ないのです。

結局、ここまで何度も何度も、遺族の要請や感情を放っておいての実名報道が繰り返されるということは、その情報を「知りたい」と思う人がそれだけ多いということなのでしょう。その情報にそれだけの、報道機関にとってのコンテンツとしての価値があるということなのでしょう。

私には、まず、その「価値」が分からない。被害者がなんという名前だったのか、全く知りたいと思わない。


バイアスがかかっていることは認めます。私は、心情的にだいぶ殺人事件被害者側に肩入れしているので、何か私が認識していなかった理由が提示されたとして、やっぱり「それは何故遺族感情や遺族の生活よりも優先されるんですか」と思うでしょう。出来れば、「皆思った程被害者の実名になんか興味ないよ」という話になってくれればいいなあ、と思います。

ただ、それはそれとして、ここまで同じことが何度も何度も何度も何度も何度も何度も起こるということは、やはりなんだかんだで「殺人事件被害者の実名報道」には何かしらのニーズがあるのだろう、ということも分かります。

ちょっとこれ、もし「メディアの皆さんが思っている程、皆はこの情報を知りたいと思っていなかった」ということであれば、なにかしら報道姿勢の改善につながる話が出来るかも知れないですし。あるいは、私の方の価値判断というか、興味の傾向が根本的にずれているのなら、それはそれでちょっと問題だなーと思ったので、勢いだけでこの記事を書かせて頂いた次第です。

被害者遺族の皆さんに、一刻も早く平穏な生活が戻ることを、心から祈念してやみません。


今日書きたいことはそれくらいです。


以下は以前書いた記事。





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(追記 11/15)
続きを書きました。




posted by しんざき at 15:42 | Comment(27) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月13日

ドラクエライバルズが思っていたよりも相当面白かった

ドラクエライバルズぼちぼち遊んでおりまして、取りあえず目標にしていたレジェンドに到達しました。

レジェンドなったー

もう4000人以上レジェになってるんですねー。みんな早い。

デッキは、ミッドレンジトルネコやらアグロゼシカやらランプピサロやら、とっかえひっかえ色々使っていたんですが、途中ミレーユを引いたこともあり、レジェに上がった時点ではコントロールミネアを使ってました。まあそちらの紹介は後ほど。

で、遊んでいて改めて思ったことなんですが、スクエニってつくづく、「元ネタにもう一つ何か」ってのをやる時外さないなあ、と。この外さなさは結構すごいなーと。

ドラゴンクエストライバルズは、勿論オンライントレーディングカードゲーム(以下OTCG)であり、直近ではHearthstoneやシャドウバース、更に元をたどればM:TGや遊戯王などの系譜に連なるゲームです。

で、勿論Hearthstoneと似ているところは色々ある訳で、あちらと比較されるのも良くわかるんですが、テンションシステムとボードゲーム的なアレンジで、これプレイしてると相当面白いぞと。考えないといけない部分が相当増えてるぞと。

ボードゲーム的な点で言うと、縦一列に並べた時にその後ろに攻撃できなくなる「ウォール」、横に並べた時に後ろのユニットに攻撃できなくなる「ブロック」が勿論大きな要素になるのですが。

battle171104.png

最初はよく分かってなかったんで、「単に挑発の手段が増えただけだろ?」くらいにしか思ってなかったんですが、なかなかどうして、一手配置をミスるとそれだけで敗因になるくらい考えることが多いです。


・「貫通」や縦一列攻撃、十字攻撃など、広い範囲の盤面に攻撃する手段が色々あるので、相手の対応を読みつつ、配置を工夫しないとあっさりユニットが一掃されたりする

・敢えて範囲攻撃を使いたい配置にして相手にカードを切らせて、その後本命の展開をする、といった読み合いも当然ある

・一方、ユニットの配置を変更するカードも色々あるので、それを使って相手の配置を崩したりするのも読み合いになる

・例えば、「におうだち」は前列にいないと発動しないので、例えば後列に強制移動するカードを使って攻撃を通したり、ブロックを崩して後列のユニットを倒したりということも出来る

・実用レベルで範囲攻撃や移動カードを持っていないキャラもいて、そういうキャラを使っているとボードクリアについてよりシビアに考えないといけない

・分厚いウォールを形成されてしまっても、弱い部分をギリギリ突破してリーサル、といった駆け引きも出来る


上記はほんの一例ですが。用意されているユニットカードの多彩さもあって、この辺りの読み合いや駆け引きについては、実力差が如実に表れるところだと思います。

勿論、Hearthstoneやシャドウバースでも、配置をあれこれ考えないといけない局面というものはあったのですが、「単にそれを2次元にしただけ」とはとても言えない広さがあります。運ゲーと言われがちなOTCGにおいて、この「実力が反映される余地」というものはなかなか凄い。


一方、テンションシステムについても、色々と良く考えられているなーと思いました。

・「何もできない第一ターン」というものが存在しない
・キャラクターにもよるが、スキルの効果は相当強力なので、ただテンションを溜めるだけでも相手に対する相当なプレッシャーになり得る
・後手の「最初からテンションが2段階溜まっている」というのが結構絶妙。キャラクターにもよるが、先手にとられた盤面を取り返すことも十分に出来る
・必殺技(テンションが三段階溜まっていないと使えない強力なカード)というシステムもあるので、単に溜めてぶっ放せばいい、というものでもない。状況によっては計画的にテンションを溜めていかないといけない
・一方で、テンションを溜めておいて撃たないということで、「相手は必殺技を持っているのではないか」といったブラフにも使うことが出来る

こちらも、テンションスキルを発動するかどうかを含めて、相当読み合いを深くしている要素だと思うんですよね。

勿論、カードのバランスやらヒーローごとのバランスについては、まだ粗削りな部分もあるなーと感じるところはあるのですが、明らかな理不尽カードとか、完全一強みたいな状態は今のところ観測されておらず、サービス開始当初として考えれば相当上手く回っている状況だと思います。この辺も後発の有利さかも知れないですが、上手く調整してるなーと。現時点では、アリーナがちょっと割を食ってる感はありますが、それもこの後の開発次第ではどうなるか分からないですしね。

サービス開始直後にサーバ関係でちょっとつまずきましたが、全体としてみれば凄く今後に期待できる状況なのではないかと考えています。


で、改めて、スクエニって「本歌取り」がホント上手いなーと実感したわけでして。完全に新しい、革新的なゲームという訳ではない。いってしまえば再利用なんですが、それにプラスアルファをして、魅力的な世界観やキャラクターを被せて、面白いゲームに仕上げる技術は凄いなーと。

旧エニックス時代で言えば、ポートピアだって、ドラクエだって、ジーザスだって、先行していた何かに色んなプラスアルファをして人気作になったゲームなわけですしね。FFTだってアレがアレしてアレだったわけです。あと、スクエニじゃなくて発売からチュンソフトですが、トルネコの大冒険や風来のシレンみたいなローグのアレンジとか。

この辺は、ある意味「プラスアルファのDNA」みたいなものが、ずっと継続してスクエニにあったりするのかもなあと、なんとなく思うわけです。


一旦それくらいです。


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posted by しんざき at 07:24 | Comment(1) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月11日

不倒城を始めて13年が経ちました

結構経ちました。


記事数で言うと1952件書いたみたいです。あと10件少なかったら1942でちょっとカプコンっぽかったんですけど、1952だとあんまりカプコンっぽくないですね。残念。

以下、一応節目なので、節目っぽいことを書きます。

流石に13年も経つと色々変わるもので、私自身も随分変わりました。具体的に言うと、FC版イーアルカンフーで5面パーフェクトクリアが出来るようになりました。10面パーフェクトクリア達成したら動画を挙げようと思います。いや、アレやってることはひたすらパターンに入れる飛び込みのタイミングを計るだけなんで、見てもあんまりおもしろくないと思うんですけど。

あ、他には特に変わったことはないです。

変わらないといえば、不倒城を始めて以来、全く変わっていないのが「私が書きたくなったことだけを書く」という一点であって、「書きたくなった」ということだけが唯一絶対の動機ですし、私は書きたくなったことを書ければそれだけで満足なわけです。その為、「こんなこと書いて何か意味あるの?」と言われれば「俺が満足してるから心配しなくていいですよ」という回答になりますし、みなさんが期待する内容が何かというのは私には全く分かりませんし、たまたま期待に沿う内容であればそれはそれでラッキーですが、期待に沿わなくても特に責任はとりません。

私が書く内容に関して皆さんは好きなように読んで頂いていいですし、それについてコメント・反応等、好きなように書いていただければよいと思います。「俺が言いたいことが言いたい通りに伝わらない」なんてケチなことは言いません。どう読み取ってどう解釈するかは読み手の自由です。

ただ、書き手と読み手は同じ立ち位置であるべきだと私は考えているので、みなさんに書いて頂いたコメントを私は好きなように読みますし、そもそも気が向かなければ読みません。すいません。

ということで、そんなテキトーな姿勢でもまあいいや、と思ってくださる方は、引き続きテキトーに読んで頂ければと思います。よろしくお願いいたします。


ただ、それはそれとして、明確に私が誤っているところがあればそこについてはきちんと謝罪致したい次第です。直近ではこの記事とかやらかしました。大変すいませんでした。


それとは別に、もしどうしても「しんざきに何か言ってやりたい」ということがあれば、

ksh_098765@excite.co.jp

までメールをください。こちらは、時間はかかるかも知れないですがちゃんと読むと思います。よろしくお願い致します。


以下は自分用覚え書き。

この1年で起きたことは下記のような感じだったような気がします。

・イーアルカンフーを遊んだ
・映画ドラえもん南極カチコチ大冒険が面白かった
・長男と二人で今更「火星の人」にハマった
・「for honor」が面白かった
・イーアルカンフーを遊んだ
・長男が小四に、長女次女が幼稚園年長さんになった
・NINTENDO Switchを買った
・イーアルカンフーを遊んだ
・長男が塾に通い始めた
・ドラクエ11が面白かった
・メタルマックスの続編が発表されて狂喜乱舞した
・累計7万ブクマを頂いた
・イーアルカンフーを遊んだ
・ついについについについについに大航海時代IIがsteamで発売した
・イーアルカンフーを遊んだ

大体これくらいのことがあったと思います。色々ありましたね。

取りあえず、大航海時代IIも移植されたことだし、19XXと銀河英雄伝説IV EXも一刻も早くSteamなりSwitchなりに移植されることを強く強く強く強く祈念して、本エントリーを閉じたいと思います。

ということで、今日はこの辺で。


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posted by しんざき at 19:20 | Comment(2) | 始めたばっか | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年11月10日

コミケで徹夜をする連中には、自分たちがコミケを終わらせようとしているんだという自覚をもって欲しい

ぼちぼちコミケの時期が近づいてきまして、今年も色々とアレな人達が観測出来るようになってきています。twitterで、徹夜行為を呼びかけるばかりか、サークルチケットを餌にして整理券取得の参加を募るとかいう、どこをどう間違えたらこういう阿保な発想が出来る脳になるんだろう、という感じの話を観測しました。

ちょっと、改めて当たり前のことを書くんですが。

コミケにおける徹夜参加者問題というのは、ずっと以前から問題として継続している、極めて厄介な問題です。どうもやっている本人たちは自分が悪いことをしていると思っていない、ただ「なんかうるさく言っている連中がいる」程度にしか認識していないっぽいという点で、逆に問題は深刻です。

コミケ準備会は、コミケの前日から来場して会場周辺でたむろっている迷惑参加者のことを、「徹夜組」と呼称してはいません。「列内で仮眠したから徹夜ではない」とかいう屁理屈を防止する為に、「深夜来場者」と呼んでいます。

そして、深夜来場は別に黙認されている訳でも風物詩として定着している訳でもなんでもなく、厳然とした「禁止行為」であり、「ルール違反」であり、一歩間違えれば一撃でコミケを廃止に追い込む爆弾でもあります。

どうも、コミケってその余りの大規模さから勘違いされている節があるような気がするんですが、その立て付けは飽くまで「コミックマーケット準備会という民間団体が主催する、単なる民間イベント」であって、有限会社コミケットが準備会を支援する構成になってはいるものの、その開催基盤は開催規模に比べて信じられない程脆弱であるということは、少なくともコミケ参加者は当然の前提として認知していなくてはいけないと思うんですよ。有限会社コミケットって、社員10名以下ですよ。

私、以前から、コミケに参加する人は一度はこのページじっくり読んでみるべきだなーと思ってるんですけど。


確かにコミケ参加者は物凄い人数ですし、準備会を支援する人たちはボランティアスタッフを始めとしてたくさん存在しますが、別に国の支援がある訳でもないし、大企業が運営団体に名を連ねているわけでもない。堅牢なバックボーンに守られているイベントってわけじゃないんです。

つまり、警察やら消防から「やめなさい」と言われればコミケは一発で開催出来なくなるし、ビッグサイトやら会場側から「もううちで開催しないでください」と言われれば一発で路頭に迷う、という話なんです。実際、今までも何度もコミケは開催の危機を迎えていますし、現時点でも2019年や2020年にコミケ本当に開催できるのか、って未解決問題が発生してますしね。

で、上のWikipediaの記載から引用してみるんですけど。

「徹夜組」の中にはかなりの少年が含まれており、東京都青少年の健全な育成に関する条例により深夜徘徊とされ補導対象になる。
周辺の不良や暴走族、あるいは手癖の悪い徹夜参加者による窃盗・恐喝などの「徹夜組」を標的にした犯罪がたびたび発生しており、警察からも毎回厳重な注意を受けている[45][46]。
深夜の周辺の建物・敷地への進入、芝生や看板などの設置物の破壊、ゴミの散乱について各所からクレームを受けている[45]。コミックマーケット71では、会場近隣のホテルテナントの案内看板を深夜来場者が損壊させる事件が発生した[46]。

これですね、「今までは運が良かった」という訳でもなんでもなく、現在は閾値に向けてどんどん危機ゲージが上がってきている状態でしかなく、閾値を越えたら一発で赤信号がつく、って認識するべき状態だと思うんです。例えば大規模な補導があったり、犯罪がエスカレートして傷害や殺人に発展でもしたら、現時点でも一撃レッドカードだと思いますよ。

正直、コミケに対する徹夜参加を誇らしげに話してる連中に対しては、「お前らはコミケの参加者面するな」としか思いませんし、徹夜自体がコミケ開催に対するテロ行為であるということは、参加者全員が認識しておくべきだと思うんです。

ご存知の通り、コミケは「参加者全員が作るイベント」です。主催団体があって、その主催団体が用意してくれるイベントにお客様として参加出来るイベントではない。であれば、コミケの運営の障害になる問題は、参加者自身が「自分たちの問題」として認識するべき問題であって、解決する為にはどうすればいいのかなーと考えるべきなんじゃないかと。私自身は、せめてもの草の根活動としてこういう記事書いてるわけなんですけど。

特にここ2,3年は、オリンピックを間近に控えてコミケ自体「これからどうすんの」という話が極めて深刻性をもって継続されていますし、以前以上にデリケートな状況だと思います。とすれば、効果があろうがなかろうが、徹夜をやっている連中に対してやめろこのバカと声をかけていくことは継続して必要な作業なんじゃないのかなあと。

3日目終了時の、「ただいまをもって、コミックマーケット〇〇の日程を全て終了いたします!」というアナウンスと拍手を、今後も聞き続けられますように。深夜来場以外の参加者の皆さんには、実り多い参加であることをお祈り申し上げる次第です。


今日書きたいことはそれくらいです。


posted by しんざき at 07:21 | Comment(13) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする