2017年08月23日

ドラクエにおける「世界が広がる瞬間」という話、あるいは11を遊ぶ前に書いておきたいこと

私は、ドラクエというゲームのことを、「はがねのつるぎを買った直後の無双感を楽しむゲーム」だと考えています。

もうちょっと一般的な言い方をすると、「世界が広がった瞬間の解放感、気持ち良さを楽しむゲーム」ということになるでしょうか。

私は、この二つの言い方を、ほぼ同じ意味で使っています。

私が認識している限り、ドラクエというゲームの一番卓絶しているところは、「制限」と「解放」の味付けです。

つまり、最初は「見える範囲」「行ける範囲」「やれること」というのが、細かく制限されている。なかなか広がらない。頑張って進めながらも、ストレスがかかる。

で、あるタイミングで、劇的にそれらの制限がとっぱらわれる。いきなり見える範囲が広がる。いきなりやれることが増える。気持ちいい。



例えばドラクエ3で言うと、プレイヤーが最初行ける範囲は「アリアハン」というごく狭い範囲です。行ける場所は狭い。使える呪文は少ない。装備出来る武器は弱い。この中で、主人公パーティは必死に戦いつつ、少しずつ強くなっていきます。つまり、プレイヤーは当初、「狭い世界」の中でストレスを感じながら、頑張ってゲームを進めることになるわけです。

しかし、これら「世界の狭さ」は、あるタイミングで劇的に改善します。例えばロマリアに着いた瞬間。今までアリアハンに制限されていた主人公の行動範囲はいきなりぐぐっと広がります。なんならカザーブを目指すことも出来るし、カンダタを倒しにいくことも出来るし、ノアニールにもいけるし、なんならアッサラームに特攻することも不可能ではない。

行動範囲だけの話ではありません。ロマリアの武器屋に売っている、今までの武器とは(売値が)ケタ違いの「はがねのつるぎ」。これ、一種象徴的な武器だと思うんですけれど、今まで大苦戦していた戦闘が、主人公たちのレベルアップもあって、ここでいきなり飛躍的に楽になるんですよ。いや、実際にはまあ、てつのやりと攻撃力5しか変わらないんですけど、まあくさりがまより遥かに強いのは間違いありません。

船を取った時。魔法の鍵を取った時。最後の鍵をとった時。ラーミアを復活させた時。ドラクエ3には、色んな「世界が広がる瞬間」というものが用意されており、その瞬間の目くるめく解放感、爽快感は、プレイヤーを夢中にさせるに十分なものです。


これ、3っていうよりは、ドラクエのシリーズ共通の要素だと私は思うんですよね。とにかく、「制限」と「そこからの解放」のコントロールというか、見せ方、段階の付け方、その辺が卓絶しているのがドラクエシリーズ共通の「ゲームの肝」なのではないかと。ファミコン時代もそうでしたし、SFC時代も、プレステ時代も、それ以降もそうだった、と私は認識しているわけなんです。

で、今私やたらめったら仕事が忙しくって、次女に「この前もゲーム買ったでしょ!」と怒られつつ、ドラクエ11を買ったもののまだ全然遊べてないんです。なんか最初の洞窟をエマと二人でクリアして、村に戻ってきてとかそれくらい。超最序盤です。2で言うとまだローレシアの城から外に出てない。


11に関してはほんっとーーーにまだ何の情報も仕入れてなくって、なんかツンツン頭の6の主人公みたいなヤツをちらっと見て「あー、これが主人公かな?6のリバイバルみたいやな」と思っていたらまさかのツンツン頭でも頭に何か被ってるわけでもないヤツが主人公で俺驚愕、っていうくらいなんの情報も入れてないんですけど、あのツンツン頭は誰なんですかね?やっぱ6の主人公なんでしょうか?

まあ何はともあれ、もうすぐ仕事も一旦落ち着くと思うんで、ネタバレは巧妙に回避しつつ、あとバレルスピナーで並み居るイカどもをなぎ倒しつつ、ゆるゆるとドラクエ11を進めていきたいと思う次第ですので皆さんネタバレは出来るだけご勘弁ください。よろしくお願いします。


ドラクエ11での「世界の広がり方」を楽しみにしております。


今日書きたいことはそれくらいです。


posted by しんざき at 07:00 | Comment(7) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月22日

キャプテン翼2の「サイクロン」の説得力が半端ない

何を言っているのかと思われるかも知れませんが、必殺シュートの話です。

今更言うまでもなく、「キャプテン翼」においてはたくさんの必殺シュートがあります。漫画版もかなりのものでしたが、テクモのゲーム版では更にそれに輪をかけてものすごい必殺シュートが山のように出て、当時のサッカーファミっ子を魅了すること大でした。

言うまでもないドライブシュートやオーバーヘッドキックに加えて、例えば日向のタイガーショットやネオタイガーショット、松山のイーグルショット、新田のはやぶさシュート。この辺は原作漫画版でも登場したと思います。反動蹴速迅砲とかレヴィンシュートとか、すごいインパクトでしたよねアレ。


例えば、一体何がどのように回転しているのか、左右に蛇行しつつゴールに襲い掛かるザガロの「ダブルイール」。

次藤の両足をカタパルトとして立花兄弟がジャンプし必殺シュートを放つ、大技「スカイラブツイン」。長崎の人は「まかせろタイ」とか言わない。

ドイツ人なのに何故か掛け声が「ファイヤー!」なことに突っ込まれまくった、シュナイダーの「ファイヤーショット」。

「ミューラー!てめえのどてっぱらをえぐってやるぜ!」キーパー本体じゃなくてキーパーがいないところを狙ってください、日向の「ライトニングタイガー」。

球速が速すぎて消えたようにしか見えないコインブラの「マッハシュート」。


ゲームにしか登場しないものもありますし、原作でも登場したものもありますが、まあなにはともあれ、これら「必殺シュート」の数々こそが、キャプテン翼というコンテンツの極めて大きな部分を占めてきた、ということは疑問の余地がないのではないかと思います。

そんな中でも、キャプテン翼2において、主人公翼のオリジナルシュートとして登場した「サイクロン」の説得力が物凄い、という話なわけです。

ちょっとこの動画を見てください。


どういう話かといいますと、

・ヘディングが苦手なのに1000本以上のシュートを決めた、スーパーストライカーと呼ばれる「ジャイロ」という選手の話を事前に聞いた翼
・ジャイロの必殺シュートであるサイクロンは、ドライブシュート以上に降下が激しいシュートだったと聞く
・ロベルト本郷から「スーパーストライカーを目指せ」という言葉を聞く
・ジャイロの必殺シュートであるサイクロンを習得しろ、という意味だと気づく


という経緯を経て、サイクロンがどんなシュートだったかを推理する翼、という場面なんです。

で、この時翼が出した答えが、

「ボールにバックスピンをかけて真上に打ち出し、落ちてきたところにドライブシュートをかけることで回転力を増幅する」というもの。

いや、分かってますよ。分かります。おっしゃりたいところは分かります。

ただ、特にゲーム版のキャプテン翼って、「必殺シュートに対する理由付け」自体がそもそも殆ど行われないんです。イーグルショットって結局何がどうイーグルなの?とか、キャノンシュートって単に強いシュート?とか、若島津のさんかくとびって普通に飛びつくより速いの?とか、結局ゲルティスはダークイリュージョンで何やってんのアレ?あいつ人間なの?みたいなフォロー、基本一切行われないんです。

そんな中、ちゃんと「習得の過程」とか、「なんとなく物理的に可能そうな気もする理屈づけ」とか、とにかくサイクロンは「きちんと行程を踏んでいる」というところの説得力が物凄いんです

元より、キャプテン翼って漫画版の方でも、サッカーのルールはおろか、うっかりすると物理法則すらどこかにすっ飛んでいってしまう世界です。それが悪いという話ではなく、「そういうもの」なんです。そこに文句をつけてはいけません。スカイダイブシュートはちょっとあんまりだと思ったけど。

そんな中、「二重の回転」という、「言ってることはよく分からんが、なんか色々工夫すれば本当に出来そうじゃん?」感が凄いのがサイクロンなわけです。多分、ゲーム版のキャプテン翼、全部を通してもここまで「きちんと説得力を積み上げられた必殺シュート」は他にないのではないでしょうか。

ちなみに、「真上に打ち出ししてる間にインターセプトされたらどうすんの?」と思った人、そこは20年前に我々が既に通過した場所だっっ。ということで、キャプテン翼4でのヒールリフトサイクロンや、キャプテン翼5でのブーストサイクロンの習得過程を見るといいと思います。

サイクロンすごいよね!!という話でした。

今日書きたいことはそれくらいです。





posted by しんざき at 07:11 | Comment(3) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月18日

わかやまけんさんの訃報を聞いて思ったこと

「こぐまちゃん」シリーズの作者、わかやまけんさんが2年前に亡くなっていた、という訃報を目にした。85歳だったそうだ。


こぐまちゃんシリーズには、しんざき家でも随分長いことお世話になった。特に「しろくまちゃんのほっとけーき」である。

この絵本、長男が1歳か2歳くらいから家にあるから、もう8年くらいの付き合いになる。しんざき家では、毎晩決まって寝る前に絵本読み聞かせの時間があるのだが、一時期の絵本ラインナップではかなり頻繁に登場していた。「ホットケーキを作る」「それをこぐまちゃんと食べる」という展開の情報量が、2〜3歳くらいの子どもにちょうどいいらしいのだ。


大人になった今見ると、「しろくまちゃんやこぐまちゃんの眼が怖い」といった部分も正直あったのだが、子どもにはむしろこれくらいのディフォルメ具合がちょうどいいらしいのだ。その辺はミッフィーのディフォルメに近い。

我が家ではこの絵本が、「第四の壁の突破口」となっていた。

何を言っているのかと思われるかも知れないが、子どもは、この絵本を読んでやると何故か「参加」するのだ。自分もその場所にいるものとして、その読み聞かせに注文をつけるのだ。

この「しろくまちゃんのほっとけーき」では、途中、しろくまちゃんがほっとけーきを作るシーンがある。ボールでホットケーキミックスをかき回している時に、「ぼーるがごとごと だれかぼーるをおさえてて」という台詞がある。そこで、長女と次女は、必ず申し合わせたように、同じタイミングで絵本に手を伸ばす。


しろくまちゃんが今まさにかき混ぜているボールに手を伸ばして、「おちゃえたよ!」としろくまちゃんに答えるのである。


考えてみると、ここでしろくまちゃんが言う「だれか」とは、まさに絵本を読んでいる読者しかあり得ない。しろくまちゃんのお母さん、ではない。しろくまちゃんは、相手がお母さんであれば「おかあさん」と呼びかける。そして、その場面に、しろくまちゃんとしろくまちゃんのお母さん以外には、我々読者しか存在しない。

つまり、「しろくまちゃんのほっとけーき」は、まさに読者と登場人物の壁、いわゆる「第四の壁」を突破している、いわばメタ絵本とでもいうべき絵本の嚆矢だったのである。なんだかよくわからないが。

少なくともしんざき家の長男長女次女は、全員例外なく、この「しろくまちゃんのほっとけーき」という絵本で、初めて絵本に「参加」した。おそらく、しんざき家以外でもそういう子どもは多いのではないだろうか。

ホットケーキを作る最中の「ぽたぁん」「ぴちぴちぴち」「まぁだまだ」といった擬音・発声が妙にリズミカルなところとか、最後にはきちんと皿洗いやお片づけの描写があるところとか、つくづく「子どもへの読み聞かせ」というものに最適化しきった、素晴らしい絵本コンテンツだと思う。

子どもが出来て良かったことは星の数程あるが、一つは「様々な絵本、様々な児童小説に改めて出会うことが出来たこと」だ。自分が子どもの頃にはなかった視点で、今の様々な絵本や児童小説を読むことが出来るのは、私にとってとても楽しい体験である。

一方、自分も子どもの頃読んでいた絵本作家さんの訃報を、次々聞く時に一抹の寂しさを感じることも事実である。

文豪や漫画家に比べればスポットライトが当たることが少ないかも知れないが、それでも子ども達を楽しませてきた数で言えば、絵本作家、児童小説作家というのは十分以上に偉大な人達だと思う。

そんなことに思いを馳せながら、今夜は久しぶりに、「こぐまちゃんのほっとけーき」を長女次女に読み聞かせながら眠ろうかと思う。「親指姫がいい!」「シンデレラがいい!」というのをなだめながら、たまには。



posted by しんざき at 06:50 | Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月16日

VALUであったインサイダーもどきが株式市場ではアウト中のアウトなので、何故アウトなのかをなるべく簡単に説明する


どうもしんざきです。株の知識は松本亨の株式必勝学で身につけました。

当エントリは、どうもVALUに参加している人の中には結構多そうな「株式というものにあまり知識がない人」向けに書かれております。内部者取引とか、株式市場の透明性、公正性といった言葉に知識がある人にとっては、読むだけ時間の無駄だと思うのでご承知おきください。


VALUというサービスがあります。ユーザーが、自分自身を株式のように上場して取引の対象に出来るサービスです。要は、「自分を対象として疑似株式を発行するよー!人気が出ると値段が上がるよー!人気が落ちると値段が下がるよー!」という仕組みですね。取引自体はBit-coinを媒介としているようです。

値段の上がり下がりがあるので、当然安い時に買って、高い時に売ったら儲かります。これを利用して一儲けを企む人も割といるようです。

VALU自身は「これは株式・有価証券ではない」(なので株式や有価証券に対する規制や法律は適用されない)という立場を取っているらしいですが、トップページを見てみると「だれでも、株式会社のように、自分の価値をトレード」とか、思いっきり株式市場を想起させるワードが書いてあります。いきなり最初の段階で不安を覚えますが、大丈夫なんでしょうか。


で、今回、VALUで下記のような問題が発生したらしいです。


思いっきり要約すると、

・ユーチューバーの人が、「俺のVALU買ったらいいこと(優待)があるよー!」と宣伝
・それを見たファンの人たちが買う
・VALUの値段が上がる
・値段が上がったところで、そのユーチューバーの人の身内の人たちが全力でVALU売り
・ユーチューバー本人も全力でVALU売り
・元の「いいことがあるよ」発言はいつの間にか削除

という流れのようですね。

パッと見た感じ、「「いいこと(優待)があるよ」と宣言しておいて値段が上がったところを売りまくる」というのはアリなの?と誰でも気にされるところではないかと思うのですが、これが仮に株式市場であれば思いっきりアウトです。もう超アウト。そのアウトだけでペナントレース全試合が自動的に終わっちゃうくらいの勢いでオーバーキルです。

今回の件と同じようなことが仮に株式市場で行われた場合、少なくとも「風説の流布」と「インサイダー取引」の二つの禁止行為にはほぼ確実に引っかかります。


「風説の流布」とは、「有価証券の価格を変動させる目的で、虚偽の情報を流すこと」です。今回の場合だと、「優待があるよー!」と匂わせて株の価格を引き上げようとしたこと、がそれに該当しますね。

「インサイダー取引」とは、「株価の変動が発生し得る情報(重要事実と言います)を事前に知っていた関係者、及びその関係者から情報を聞いたものが、事実が公表される前に取引を行うこと」。内部者取引とも言います。

今回の場合ですと、「優待の話をなかったことにしてVALUの本人が自分のVALUを売りまくった」ということ自体インサイダー取引に当たりますし、その関係者が同じタイミングで売りまくったことも真っ黒、という話ですね。百回やったら百回アウトだと思います。


株式市場には、透明性と公平性についての原則があります。株式市場に参加する人たちは全て公平でなくてはいけないし、情報は透明でなくてはいけない、つまり「誰かにしか手に入らない情報に基づいて、一部の者だけが利益を得るようなことがあってはならない」ということです。

勿論、例えば世界の様々な動きを推理して、次はここが上がる!下がる!といった読みをすることはままあるのですが、それは飽くまで「手に入れようと思えば誰にでも手に入る情報」を元にした勝負です。

情報を持ってる内部者だけが儲かる仕組みだったら、誰も市場に参加しませんよね?勝つ人が決まっている勝負に、敗者として参加するくらいバカらしいことはありません。

で、今回のような件が株式市場で起こった場合、売りまくった人たちは「利害関係者」であって、インサイダー取引があったことが強く強く疑われる、という話です。

市場にみんなが安心して参加できる、というのは、株式市場にとって、ひいてはその国の経済にとって絶対必須の条件なので、インサイダー取引というものは極めて厳しく取り締まられています。証券取引等監視委員会がすげー綿密に監視してますし、仮にその監視に引っかかったら儲けは全部没収されて、追徴金も課されます。

こういう仕組みがあるから、株式市場というものはある程度安心して参加できる市場になっているわけです。


一方、VALUは現在、「これは株式ではない」と自ら主張しているので、こういう仕組みの枠組みには入っていない。

注意事項を一通り読んでみましたが、「マジか」と思わずつぶやいてしまうくらい簡素な内容です。まあ、この辺は既に色んな人が検証していることだと思うので繰り返しませんが、


 VALUは、利益を出す投資を目的としたサービスではありません。投資目的のご利用はお控えください。

 VALUの仕組みは少し株式に似ているところもありますが、実際の株式ではありませんので、VALUを購入しても、発行者に対する経営権や支配権などを獲得するものではありません。

辺りはエクスキューズとしてもなかなか味わい深い表現ですね。あんたトップページで思いっきり「株式会社のように」って言うてるやん。。。


今回の件がどういう結末を迎えるのかはまだ分かりません(株式のルールでなくても、単純に詐欺行為に当たるような気もします)が、現時点では上記の規約しかなく、正直無法状態に近い状況だと見受けられます。だからこそ冒頭のような話も発生したわけですが、こんな中でもVALUに突っ込むというのは、なかなかチャレンジャブルな行為だなーと個人的には考えざるを得ません。

VALUに参加される皆さまには、上記のような事情はご認識の上で取引のご決断をされることを、強く推奨して止みません。


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 09:52 | Comment(22) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月13日

何度も何度も何度も何度も何度も壁に突き当たって絶望に苛まれるようなゲーム

ちょっととりとめもない話をします。


本当にこういうゲーム、偏愛する人でなければ「それ何が楽しいの?」「なんでゲームでそんなに苦しまなくちゃいけないの?バカじゃないの?」としか思わないと思うんですよ。単なるマゾゲー、としか思われないと思うんですよ。そう思う気分はわかります。

多分、ある種の麻薬みたいなものなんだと思います。突き詰めて、突き詰めて突き詰めて突き詰めて、ついに障害を突破した時の達成感、爽快感があまりにも素晴らし過ぎるから。だからそういうゲームが好きになる。やればやるほど疲れ果てて、リソースも気力も吸い込まれて、ひたすら疲弊するだけだってことが分かってるのに、それでもまたやりこみたくなる。

R-TYPEがそうでした。グラディウスIIIもそうだったし、ガンフロンティアもそうだったし、ダライアス外伝も私にとってはそうだったし、レイストームもそうだったし、Gダライアスも、蒼穹紅蓮隊も、勿論バトルガレッガなんてこの典型みたいなゲームでした。私にとっては、90年代のSTGなんて大体そんな感じだったんです。


けど、今この時代に、そんな「遊ぶ度に自分の未熟さを思い知らされるようなゲーム」を出して、果たして売れるのか?って言われたら、そりゃまあやっぱり難しいんだろうなーと。もしかしたら、今の私自身だって、今新しく「バトルガレッガみたいなゲーム」に出会ったとして、そこにリソースのすべてを突っ込めるかって言われれば難しいかも知れない。

だから、例えばちょっと前に書いた、「負けの言い訳が極めてしやすいゲーム」だってちゃんと評価するべきだと思うんです。



ただ、たまーに、本当にたまーーに、あの絶望感がふと懐かしくなることがあります。

あとちょっと、本当にあとちょっとで障害を突破できそうな、その最後の一瞬で力尽きて撃墜された時の、あの目がくらむような悔しさ。自分自身の実力の無さ以外に何一つ責めることが出来ない、あの閉塞感。

そして、そんな障害を乗り越えることが出来た時の、あの凄まじいまでの達成感。

なんだろうアレは。「若かった」「パワーがあった」「情熱があった」なんて軽い言葉だけで、アレを説明出来る気がしません。今でもあの絶望感は、私の体のどこか深いところに蟠っているような気がしますし、あれを乗り越えた時のとんでもない喜びは、今でも私の体のどこかに推進力として残っているような気がします。

あれが消えてしまうのは、あれをだれも味わえなくなってしまうのは、そりゃ勿体ないなーと。

出来ることならまたいつか、あれと同じことがしたいなーと。


そんなことを思いながら、今日もちょこちょことSwitch版のストライカーズ1945を遊び、6ボスあたりで彩京弾で死んでブチ切れる私がいるわけです。彩京弾開発した人おなかこわせ。

あと、全然関係ないんですが19XXをSwitchに移植してください。全力で買うし布教に走ります。ぜひ。


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 01:13 | Comment(5) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月09日

長男のゼルダで「パパ召還チケット」が発行されました

3回分発行されました。最初の1回は水のカースガノンを倒す為に使用されました。

パパ召還チケット.png

まあゲームに詰まるのも、詰まったところで試行錯誤するのも、試行錯誤の結果挫折するのも長いゲーム人生よくあることだとは思いますし、そういう経験もいい経験になるのかもなーと思いはしたんですが。

ただ、考えてみると、私も子どもの頃は難しいところを兄に手伝ってもらったこととかあったなーと。長男にとって、多分今回のゼルダってほぼ初の本格的なアクションゲームですし、どうしてもクリア出来ない時の救済措置くらいあってもいいのかなーと。

ということで、どうしても詰まった場合、パパを召還して手伝ってもらえるチケットを回数制限つきで発行する運びになったわけです。多分、マスターモード剣の試練とかでない限りは大体対応できると思います。

長男のゼルダプレイを横から見ていると、相変わらず色々気づくところもありますし、面白いところもありまして。

・相変わらず塔を探さないプレイをしている。本人曰く、「地図がない方がワクワクする」とのこと。
・色んな人に斬り付けて反応を楽しんでいる。
・ヴァ・ルッタ戦に苦戦しているようで、「飛んでくる氷どうやればよけられるのーー!」と言っていたので「アイスメーカーで壊せばええやん」「あ」ってなってた
・水のカースガノンがかなり怖かったらしく、「こんなのずるいじゃん…無敵じゃん…」と若干泣きが入っていた
・ジャストガード、ジャスト回避はまだうまく出来ないらしく、力の試練は基本飛ばしている
・ゾーラの里の下の水面から上まで登れるかどうか勝負とかしていた。自分で遊び方を考えられるのはいいことだと思う

こんな感じでした。

あと、長男先日初めて馬を入手しまして、登録するときに「ぼくのだいじな馬だから…」とかいいつつ20分くらいなんて名前つけるか悩んでました。結局、長男が一番好きなものということで馬の名前は「でんしゃ」になりました。

ゲーム内のキャラクターの名づけに悩む、というのもあるあるというか、あれこれ真剣に考えてみるのもいいことだと思います。

全体的に、長男とゼルダ話するのめっちゃ楽しいなーという印象です。

スプラトゥーン2もやってますが、まあTPOはおさえつつ、健やかなゲーム生活を送っていってくれればと思います。今のところ、ちゃんと夏休みの宿題とも両立出来ているようで偉いと思います。

今日書きたいことはそれくらいです。


posted by しんざき at 07:00 | Comment(1) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月08日

時をかける少女がSFだったことを、皆は覚えているのだろうか。


こんな話を読みました。





これ、ガルパンがSFかどうかということ自体は定義論になっちゃうと思うんでここでは触れないんですが、納得感がある部分はありまして。

つまり、

「かつてはガチガチのSFだったものが、他のジャンルに取り込まれ過ぎてSFとして認識されなくなってしまった現象」

というものは確かに、かなり広範にみられるんじゃねえかと思ったんです。

例えば、時をかける少女、ありますよね。2006年にリメイク版がアニメ化されたヤツ。

あれ、元をたどれば原作筒井康隆先生ですし、正真正銘のSF小説に分類されると思うんですが、2007年にロングラン興行になった時、アレを「SFの復権」って受け取った人、いたかな?って話なんです。

少なくとも私の認識では、アレ全く「SF映画」としては扱われてなかったですよね。もう完全に、ジュヴナイル、青春映画、恋愛映画としてのカテゴライズだった。宣伝にも批評にも、SFのエの字もなかった。原作そのまんまの映画化ではないとはいえ、タイムリープっていうテーマは作品の主軸になってるのにですよ?

勿論、元々「製作者がSFとして見せようとしてない」ということではあると思うんです。ただ、それってつまり「タイムリープ」というネタ自体が、特に「SF」というカテゴリーの元でなくても見せられるくらい「身近」なネタになった、ということですよね。


「SFというカテゴリーでなきゃ使えないネタ」「そのネタをメインテーマにした時点で、勝手にSFになってしまうネタ」というものがある、ないしあった、と思います。

けれどそれが、

A.頻繁に使われることで、ネタとして身近になり過ぎてしまった
B.現実世界でも実現された、ないし実現され得る状況になってしまった

といった事情で、必ずしもSFと不可分でなくなってしまった。

だから、「これよく考えるとSFだよな」という作品でも、SFとして認識されない。


多分、こういうことって結構色んなネタで発生してると思うんです。


例えば、かつて「超能力」「サイキック」というものは、SF小説の代表的な題材の一つでした。超能力というもの自体が、理屈づけはされているものの奇想天外なものであって、物語の題材として「超能力」という言葉をつかうとすれば、それはもうSFでやるしかなかったんです。例えば「虎よ、虎よ!」とか、スランとか、スキャナーズとか、SFの古典には超能力が前面に出てくる作品多いですよね。

けど今、テレパスやサイコキネシスなんてお手軽過ぎてその辺のコンビニでも買えちゃいそうなくらい身近な題材ですし、ごく普通の青春小説やらコメディやら、なんならファンタジ−でも普通に出てきます。

多分、「ミュータント」とか「動物の知性化」とか「並行宇宙」「ナノテクノロジー」といった言葉についても、今では「SFと不可分」ではぜーーんぜんなくなってると思います。それを出せばまあSFだよね、というテーマではなくなってしまった。「人格の置換」なんかもかつてはSFの題材だったと思うんですが、「君の名は。」なんて誰もSFとして考えてないですよね。

これが、「A.頻繁に使われることで、ネタとして身近になり過ぎてしまった」の例の一つだと思います。



例えば、かつて「海底二万哩」は正真正銘のヴェルヌのSF小説でした。それは何故かというと、「潜水艦」とか「海底の旅」といったものが別世界、異次元の話であって、「海底の旅」というテーマ自体SFというカテゴリーでないと扱えなかったからです。

けれど今、例えば「沈黙の艦隊」をSF漫画として認識する人は多くない、というか殆どいないでしょう。潜水艦というものは、実際に実現されて、しかもそれなりに身近なものになってしまった。SFではない、現実世界のリアルな物語として受け入れられるテーマになってしまった。ロボットとか、アンドロイドとか、サイボーグといったテーマもこれに準ずるのではないかと。

これは、「B.現実世界でも実現された、ないし実現され得る状況になってしまった」の代表的な例の一つだと思います。


これって多分、「SFでないと出来ないテーマ」というのは日々縮小され続けている、ということを意味してはいますよね。勿論SFで書いてもいいんだけど、別にSFでなくても出来るよな、という。

今「これをやったらほぼSFになるテーマ」ってどんなのがあるでしょう?星間宇宙旅行?サイバーパンク?ディストピアや、コンピューターの反乱は流石にまだSFでしょうか?異星生命との遭遇はぼちぼち怪しいかも知れないですね。


ただ、これ、別に悪いことじゃなくって、「現実がだんだんSFに追いついてきた」と考えると、結構面白い側面もあると思うんですよ。時代が追いついてきた。多分、かつてのSFの巨匠たちはみんな、「いつかホントにこういう世界になれば面白いのになあ」と思いながら作品を書いていた、と思うんです。


近い将来、ガチで宇宙旅行の話を書いてもSFとして認識されなくなりました、とかなったらすげえなあ、と皆さん思いませんか。多分そういうのが、昔からの「SFの醍醐味」っていうべきものなんだと思うんですよ。


今後の「あれ、これはSFだった筈…」という展開を今から楽しみにしているわけです。いや、コンピューターの反乱とかはちょっとノーサンキューですけど。


今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 07:55 | Comment(11) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月03日

中学の昼食時間の話やら部活の話についての雑感

雑感です。

こんな記事を読みました。


横浜市の中学校での給食の時間配分が問題になってるみたいですね。
午前の授業が終わってから午後の授業が始まるまでの時間はそれぞれの学校で決めることができますが、多くの場合およそ45分だということです。

内訳を見ると、「準備」が5分、「食べる時間」が15分、「昼休み」が20分、「次の授業の準備や移動」が5分となっています。
私は中学時代名古屋にいたんですが、正直なところ、自分が中学生の時どんな感じだったかあまり記憶にありません。どうでしたっけ?

そこまで昼食の時間がギリギリだったという記憶はないのですが、これは単に私の食べる速度が割と速い方だからかも知れません。食べるのに時間がかかる子はそりゃ大変だろうなと思いました。

「よく噛んで食べる」といった食育の意味でも、第一感としては15分という時間は短すぎのようにも思います。例えば給食の前後は教室での授業に限定するとか、移動の時間を省く工夫とかって難しいものですかね?

それはそうと、この時間配分の理由が話題になっているようで。

実は、小学校から進学したばかりの中学1年生は、それまでより5分から10分ほど短い時間で給食や弁当を食べなければならなくなります。
授業や部活の時間を確保する必要があるからです。
中1“給食”ショック
横浜市の教育委員会は、部活について「日が長い夏でも午後6時半ごろまでしか行えず、十分な時間を確保するためには昼食の時間はこれ以上取れない」と話していました。
また、広島市や北九州市は、「授業や補習の時間を確保するにはしかたがない」と話していました。

授業や部活の時間を確保する必要性からの時間割になっているようです。授業はともかくとして、部活の時間ってわざわざ学校が確保しなきゃいけないようなもんでしたっけ?なんか、私が学生の頃はもうちょっとてきとーだった気もするんですが、学校側がわざわざ部活の時間を確保しないといけない、というのはちょっと私の印象と違います。

部活なんてものはやりたい人がやるものであって、その為にわざわざ学校がスケジュール調整するようなものじゃなかった記憶もあるんですが…最近の中高だとその辺ちょっと違うんですかね。

これ、もしかして部活動全員加入が前提となってたりするのかな、と思ったのでちょっと調べてみました。下記は、ちょっと古いですが2008年の調査です。



下の表をみるとわかるように、調査時期はやや古いものの2008年の時点で、部活動の参加を生徒に義務付けている学校が、岩手県では99.1%を占めている。岩手県ほどではないにしても、静岡県では54.1%、香川県では50.0%で半数を超えている。
県によってかなりバラつきはあるようですが、全員加入の学校もそれなりの率あるようです。そもそも部活動は「自主的な活動」である筈なので、全員に加入義務があるっていう制度には違和感がありますね。


そういえば、先日は「部活動顧問」という立ち位置のブラックさが随分話題になっていましたね。どうも最近、部活動がなにかと問題になることが多いような印象です。



それはそうと、冒頭の記事の反応を見ていると、「部活動なんてやめてしまえ」という意見がかなりの率見受けられて、これについては流石にちょっと短絡的なんじゃないかなー、と思いました。



私の考えを端的にまとめると、以下の通りです。

・部活動への加入強制、全員加入はそもそも部活動の主旨に反しているので改めるべきである
・勿論、「内申に影響があるから」といった理由で結果として反強制になっている、といったことも改めるべきである
・自由に部活を選んだりやめたり出来るということを前提として、「クラス以外の居場所」としての部活動は重要だと思う
・それはそれとして、部活動顧問の労働条件の問題は改善されるべきである


まあ読んで字の如くなんですが。

どうも部活というものに嫌な記憶をお持ちの方は多いようで、運動部的なしごきや加入義務みたいな問題がその背景にあるのかも知れないですが、それはそれぞれ個別の問題として解決するべきであって、「部活動自体を廃止するべき」という向きについては流石に違和感が強いです。


私が特に重要だと思っているのは、「クラス以外の居場所」「クラス以外の人間関係」という話でして、部活動がなくなってしまうと、基本的には「学校における人間関係」がクラスのそれに限定されてしまうと思うんですね。

以前、「人間は複数のコミュニティに所属していると精神が安定しやすい」という話をどこかで読みました。なんか社会心理の本だったと思うんですが、パーソンズでしたっけ?違うかも。まあ、「あるコミュニティでの人間関係が悪化しても、他のコミュニティに避難することが出来る」という点は、直感的にも理解しやすいと思います。

クラスで人間関係が上手くいっていない子が、部活で共通の趣味をもつ友人との会話を救いにする、みたいなケース、昔から結構あると思うんですよ。勿論、それと同じくらい「部活で上手くいかないケース」もあるのかも知れませんが、それにしたって「退部、転部が自由」という前提であればそこから逃げてしまえばいいだけの話です。

大事なのは多分、選択肢の広さだと思うんですね。部活に入ってもいいし、入らなくてもいい。けれど、クラスの人間関係が煮詰まってしまったら部活に逃げることも出来る。多分、そういう状況の方が望ましいんじゃないかなーと思うんです。


ちなみに私自身は、主に陸上部に所属しており、卓球と五目並べとモノポリーを専門的にやっておりました。

何を言ってるかわからねーと思うが、何故か陸上部の部室に卓球台と碁盤とモノポリーがあったんです。割と楽しかったです。


今日書きたいことはそれくらい。
posted by しんざき at 07:00 | Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月01日

スプラトゥーン2の「負けた言い訳のしやすさ」に感心した話


特に対戦ゲームにおいて、「負けた言い訳のしやすさ」ってかなり重要な要素なんじゃないかなあ、と最近考えています。負けた時、「何のせい」と言えるか。「何のせい」に出来るか。


例えば、囲碁や将棋のような完全情報ゲームでは、基本的に「負けの理由」を「相手が強かった」ないし「自分が弱かった」にしか出来ません。負けの言い訳をしにくい。負けが即「自分の実力不足の認識」に直結するんですね。

これがポーカーやブラックジャック、あるいや麻雀のようなランダム性が絡むゲームになると、程度の差こそあれ「引き運のせい」「運が悪かった」といった言い訳が可能になってきます。


一方、これが例えば対戦格闘ゲームや対戦型パズルなんかだと、まあ「レバー/コンパネのせい」とか「キャラ差やキャラ相性のせい」といった言い訳の余地はあるんですが、基本的には「自分の実力」に敗因が寄りやすい。ゲームタイトルにもよるんですけどね。


「負けの言い訳がしやすい」ゲームと、「負けの言い訳がしにくい」ゲームがあるような気がしています。そして、「負けの言い訳がしにくい」ゲームというのは、実力の判断がしやすい代わりに、負けた時にかかるストレス、負けた時に必要な精神的コストが大きい。

一方、「負けの言い訳がしやすい」ゲームは、言ってしまえば「負けても自分を直接責めなくて済む」側面が大きいわけです。勿論これも良し悪しなんですが、ここではその話はしません。


負けの言い訳っていうとちょっと聞こえが悪いですが。今の時代、「ライトユーザー向きかどうか」ということを判断する尺度で、「負けの言い訳がしやすいかどうか」って結構大きいと思うんですよ。


自分の実力不足を何度も味わいつつ、少しずつ上手くなる、ということに慣れているガチゲーマーの人には、ちょっと感覚が分かりづらいかも知れないんですが。


世の中、皆が皆「お前が悪い」「お前は弱い」という言葉を受け続けて、それをバネにして成長出来る人ばかりではありません。「何かのせい」にしつつゆるく続けたい、「何かのせい」に出来た方が結局続けられる、という人って結構多いような気がするんですね。多分、いわゆるライトユーザーという層ほど、そういう人が多い。



ところで。


ここからが本題なんですが、スプラトゥーン2をプレイしていると、極めて「負けの言い訳」がしやすい構造になっているなあと感じます。前作から既にそうだったんですけれど、今作は更にそれが進行しているような気がする。


・そもそもチーム戦である
・勝利/敗北条件が「塗り面積」「ヤグラの進行」「エリア占拠のカウント」など、一人一人の責任範囲が不明確なものである
・ゲーム進行がスピーディで、(特に慣れていない人にとっては)一人一人の戦果や行動を正確に把握しにくい
・勝つ為のノウハウが定型ではなく、他人の行動がノウハウに沿ったものであるかどうか判断しにくい
・今作からは、デス数もゲーム上では確認出来なくなっており、自分の「敗因に繋がる行動」がより不明確になっている。また、キル数もサポート込の数字になっている


多分他にもあると思うんです。変な言い方ですが、「自分の責任」が極めて隠蔽されやすい構造に、多分意図的にされているんじゃないかという印象があります。

そもそも、スプラトゥーンはチーム戦なので、元々「一人で勝つ」「一人で負ける」というゲームではありません。協力しないと勝てないし、負けたからといって即「自分が弱かったから」ということにはならない。

更に、スプラトゥーンはいわゆる「キル/デス」が即勝敗に紐づく構造にはなっていません。勿論キルされればその分不利にはなるんですが、キル数やデス数がそのまま勝ち負けに繋がるルールではない。実際、きちんと仕事をした上で敵をひきつけてキルされる、なんて行動であればちゃんと勝利に紐づいた行動になっていたりします。

とはいっても勿論「キル/デス数」というのはある程度は客観的な指標になり得るわけですが、それが「2」ではリザルト画面で出てこない。キル数はサポ―ト込みの数字だし、デス数はイカリングがないと確認出来ないんです。「なんか何回か死んだなー」という印象はあっても、それが明確な結果として突きつけられない。

しかも、スプラトゥーンのゲーム構造は、慣れていない人程「味方の行動」を把握しにくい作りになっている。誰がどこで何やってんのか、というのは、ちょくちょくマップをチェックして、ある程度ゲームに通じていないと理解出来ないわけです。味方が勝利に貢献しているのか、それとも足を引っ張っているのか分かりにくい。


以上のような仕様の結果どうなるかというと。これもちょっと言い方がアレですが、スプラトゥーン2は、ものすっごく「味方が弱かったから負けた」という言い訳がしやすい構造になっている、と思うんです。

実際、「スプラトゥーン 味方運」とか「スプラトゥーン 味方が弱い」とかで検索してみると、わらわらそれっぽいページが引っかかります。負けた時、まず「味方のせいで負けた」と思いやすい、そう思えるようなシステムになっているのではないかと。


これ、ガチゲーマーの人にとってみれば「言い訳すんな!お前が弱いんだろ!」と言いたくなる状況かも知れません。「自分が弱い、ということを見つめないと強くなれない」とか言いたくなる人もいるかも知れません。それはそれでもっともです。


ただ、繰り返しになりますが、世の中「お前は下手だ」と言われ続けながらそのゲームをプレイし続けられる人ばかりじゃない、と思うんですよ。適度に「自分のせい」が隠蔽されるからこそ続けられるし、結果として続けている内に強くなれる。そういう人も結構な数いると思うんです。


間口を広げる為に、「いかに負けの言い訳をしやすくするか」というデザインがあってもいい。かつ、スプラトゥーン2は、(リザルト画面とか特に)それをかなり意識しているように見えるなあ、と。


「負けの言い訳のしやすさ」という視点でゲームを見てみるのも結構面白いですよ、と、そんな話でした。


余談ですが、私が大好きなSTGというジャンルも、どちらかというと「負けの言い訳」がしにくいジャンルだと思います。そんな中でも、「彩京弾は人間が反応出来るように作られていない!!つまり俺が今死んだのは開発者が悪い!!」と大っぴらに主張するシューターは存在しました。逆に清々しいと思います。


今日書きたいことはそれくらい。

posted by しんざき at 12:14 | Comment(7) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月29日

スプラトゥーン2で、初心者が急に勝てるようになる(かも知れない)考え方ひとつ

スプラトゥーン2始めました。長男ともどもハマっています。


超面白いですよね。スプラ2。個別の感想はまた別に書くつもりなんですが、今のところは非常に良好な感じです。特にサーモンランが楽しい。

で、一応前作経験者ではありながら、久々のプレイで何もかも忘れて完全にド初心者に戻っていたこともあり、ナワバリバトルでしばらく負けまくっていたんです。皆さんごめんなさい。

あれーこんなに負けまくるもんだっけ?と首をひねっていたんですが、とある方の投稿イラストに書いてあった言葉を見て、「あ、そりゃそうだな…」と納得した後、いきなりさくさく勝てるようになりました。ちょっと感動したので紹介させていただきます。

その言葉は、「強い人は敵に突っ込みますか?いや、待つ」というものでした。

そうだった、そうでした。私は、「待ち方を考える」ということを、完全に頭の中から消失させていたのでした。勝てないわけです。

かつて、ストIIで「待ち軍人」という言葉が猛威を振るった例を顧みるまでもなく、「待つ」というのは戦いの基本です。

「待つ」っていっても、「自陣に引きこもって出てこない」という意味ではないですよ。


・相手を視認してから行動する
・自分が不利な状況で前に出ない
・自分が有利な状況に相手を引きずりこむ
・有利な状況を作ってから行動する

こういうことです。

およそ、ナワバリバトルで何が一番ダメかって、当たり前みたいですけど「無意味に死ぬこと」(ガチバトルでもですが)なんですよね。死ぬと自分の周囲に敵インクが飛びますし、その間フリーになった敵にナワバリを塗られまくります。

「周囲を確認せずに行動して、敵インクのエリアに突っ込んでってあっさりやられる」というのは、スプラ初心者(私含む)が一番やりがちな「無意味な死に方」です。これだと相手にとっては思惑通りで、相手陣営をどんどん楽にしてしまうだけです。

生きている限りはやれることは色々あります。なにより、スプラトゥーンでもっとも重要な「塗る」という仕事が出来ます。死なないで仕事すること大事。超大事。

スプラトゥーンの基本は、当たり前のようですが「自陣のインクの中で行動する」ことです。いきなり突っ込むのではなく、まず「インクがちゃんと塗られている」「周囲に味方がいる」という有利な状況の中で行動するべきなんですよね。

・仲間と連携して、周囲をしっかり塗る
・敵が来たら出来るだけ2対1、3対1などの数的有利の状況で対応する
・相手が視認出来ていなかったら、壁に隠れてまず視認を試みる
・突っ込んできた相手を待ち伏せで倒す

で、たとえ初心者であろうとも、この「数的有利の状況を作る」ということにはちゃんと役立つことが出来ます。相手を突っ込ませる囮になることも出来るし、ちょっとでもダメージを与えて味方のキルのサポートをすることも、もちろん周囲のエリアを塗ることだってできる。

「相手を見てから行動する」ことを心がけるだけで、当たり前ですが不意打ちで死ぬことは激減しました。重要な気がします。

こうして考えると、かつてのアタリメ司令やホタルが言っていた「壁の後ろで深呼吸」というのは文字通りの鉄則だったんだなあ、と、改めて深く感心した次第なのです。


まあ勿論死ぬときゃ死ぬし、負ける時は負けるんですが。頑張ります。

あと、ちょっと気が付いたTIPSなんですが、

・インク回復中、イカジャンプ中など、ちょっとした空きタイミングでXボタンを押して一瞬だけ地図を確認する
・自分の前方と横など、空きスペースが複数ある時は、片方にボムを投げ込んでから行動する
・最前線へのスーパージャンプは避ける(場合にもよる)

などは覚えておくのがよいような気がしてきました。

まあ何はともあれ、今後もスプラ2を楽しんでいきたいと思いますので、皆さんよろしくお願いします。

ということで、今日書きたいことはそれくらいです。


posted by しんざき at 08:27 | Comment(4) | TrackBack(0) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする