2018年09月11日

憤るのは疲れる

ちょっと雑然とした話をする。愚痴の類であって、特に結論が出るような話ではない。

世の中には、山ほどの対立項、山ほどの思想的態度、山ほどのアンモラルな行為が溢れている。それらは、特に連帯することも連携することもなく、てんやわんやの状態で存在しており、互いにぶつかったりすれ違ったりしている。

時折それらにスポットが当たる。頭がいい人たちが、対立項を分かりやすくクローズアップして、極端なゼロイチを放り込む。あるいは、どこかで誰かが行ったアンモラルな行為が、また別の誰かに見いだされて、急きょスポットライトを当てられる。

そんな時、怒りたい人たちが大量に寄ってきて、どちらかの立ち位置に肩入れして、ガンガン怒りマークを投げつけ合う。プライベートライアンのオープニングみたいなものだ。

正直、ちょっとしんどいな、と感じる。

別に今に始まったことでもない、ずっと以前からの話だ。この状況も、私の性向も、10年前と変わったかと言われたら正直それ程変わらない。

まず前提にあるのが、「憤るのは気持ちいい」ということなんだろうと思う。正確には、「憤って、何かを攻撃するのが気持ちいい」ということだろうか。

これは多分、人間全般にある程度普遍的な話なんだと思う。私も別に例外の振りをするつもりはない。なんらかのエピソードに対して、「これはひどい」と感じて、ひどい理由や自分の考えをスカーーンと投げつける。それは、確かに、一種の娯楽として機能する。感情を大きく揺り動かすこと自体に一種の快感があるし、そこからマウントをとって他人を叩くのも気持ちいい。それはそうなんだろう。私だってそうだ。


ただ、その行為は一種の焼畑農業のようなもので、ある程度のMPを消費する。そして、そのMP消費の度合は、多分人によって違う。極めて低いMPで、効率よく憤ることが出来る人もいれば、憤ること自体に大量のエネルギーを必要とする人もいる。

私は、昔から、怒るのがちょっと苦手だ。憤ることに、多分人よりちょっと多くのエネルギーを必要とする。怒ると、疲れる。だからあんまり怒りたくない。

別に怒らない訳ではないのだ。憤らない訳でもないのだ。私は聖人君子でもなんでもない。ひどいニュースに突き当たると腹も立つし、一言言ってやりたくなる。実際に何かしら、一言ぶつける記事を書くこともある。ただ、腹を立たせることはイコール腹を空かせることでもあるので、出来ればあまり腹を立てたくない、という気持ちもある。

「怒りを誘う」メソッドがあまりにも定着し過ぎたような気はする。つまり、「どういうアプローチをすれば、色んな人が怒ってくれるのか」という文法が、既存のマスメディアだけではなく、一般のユーザーにまで知れ渡ってしまった。

怒りを誘う情報を見つけてきて、それにちょっと味付けをして、ぽんっとおいておくと、色んな人が寄ってきて怒ってくれる。色んな人に知られれば知られる程、メディアの影響度は増す。「知られる」ということはそれ自体が大きなメリットだ。だから、色んな人が「怒りを誘う」メソッドを利用する。結果的に、「怒りを誘う」情報が大量に可視化される。

「怒りを誘う」情報は、それ自体、私のような人間にはMPを減少させる地雷のようなものだ。パペットマンの大群と言っても良い。

時には怒るのもいいし、憤りに任せて記事を書くのもいいが、正直、ちょっとしんどい。最近は、「これを読むと憤りを誘われそうだな」と感じた情報をしばしばスルーするようになってしまった。ブロガーとしてはあんまりよくない傾向だと思う。

皆はしんどくないんだろうか。皆はMPをすり減らさないで怒れるんだろうか?

世の中には、いくら憤ってもまるで疲れた様子を見せず、常に憤りと、憤りを誘うような情報を出力し続ける人もいる。そのMPが無尽蔵なのか、あるいは精神的耐久性がバカ高いのか、どっちにしてもすごいなーと思う。とても真似できない。

今のwebは、どちらかというとそういう人が脚光を浴びるように出来ているのかも知れない。

ただ、多分世の中には、私と同じように「憤ると疲れる」という人もちょこちょこはいる筈で、そういう人はそういう人で、多分ちょこちょこ地雷を避けたり、時には地雷を踏みぬいたりしながら生きている筈なのだ。

どちらかというと日陰者の類になるのかも知れないが、私も日陰者の一種として、どちらかというとそういう人達と気が合うような、あまり疲れない記事を引き続き書いていければいいなーと。

そんな風に考えている次第なのである。

今日書きたいことはそれくらい。

posted by しんざき at 07:24 | Comment(3) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月10日

ゲームブック半里を往く その11 ワルキューレの冒険

皆さん、「ワルキューレの冒険」のゲームブックってご存知ですか?


何度か書いている通り、しんざきは創元ゲームブックっ子であって、創元推理文庫の「スーパーアドベンチャーゲーム」が大好物です。ソーサリーも、展覧会の絵も、ネバーランドのリンゴも、暗黒教団の陰謀も大好きです。

その中に、ナムコのゲームをGB化したタイトルが幾つかありまして。その内一つがいわずと知れた大名作、鈴木直人先生のドルアーガシリーズなんですが、他にもゼビウスとかドラゴンバスターとかカイの冒険とか色々ありました。


で、その一角に、ドルアーガと同じく三部作で構成された、「ワルキューレの冒険」のゲームブックもあったのです。

先日、富士宏先生がTwitterを始められまして、TLがワルキューレ話で大変盛り上がっていました。迷廊館のチャナの続きを構想されているということで、大変楽しみにさせて頂いております。

で、私も何かワルキューレ話をしたくなったのですが、冒険や伝説やローザの話はもう皆さんたくさんされている。で、富士宏先生が関わっていない(表紙は米田仁士先生で、本文イラストは松崎貢先生です)作品で大変恐縮なのですが、ゲームブック版ワルキューレの話も放り込んでみたくなりました。様々な試みが込められたゲームブックで、これもしんざきお気に入りの一冊、いや三冊なんです。

ゲームブック版「ワルキューレの冒険」は、上記した通り三冊で構成されています。

一作目が、主人公が旅立ち、ララッタ近郊のドラゴンを退治するまでのストーリーである「迷宮のドラゴン」

二作目が、「冒険」原作にも登場するピラミッドを主要な舞台とする「ピラミッドの謎」

三作目が、災禍の根源であるゾウナと対峙する「時の鍵の伝説」

この三冊の最大の特徴が、「主人公がワルキューレではないこと」であることは議論を俟ちません。

当時、創元社に限らず、「ファミコンのゲームのゲームブック化」というものは数多ありました。ファミコンのゲームは、もとよりゲーム内で出てくるキャラクター、ストーリーの密度があまり濃くなく、そこを埋める形でのノベライズと相性が良かった、ということは言ってしまっていいように思います。

で、それら「ファミコンゲームのゲームブック化」の大多数は、「ゲームと同じ主人公」がプレイヤーになる作品でした。ドルアーガ三部作の主人公はギルですし、カイの冒険の主人公はカイ、ドラゴンバスターの主人公はクロービスです。「ドラゴンクエスト2」「スーパーマリオブラザーズ」「ゼルダの伝説」など、双葉社のゲームブックもその過半は同様です。STGとか、謎の村雨城とか、例外もない訳じゃないんですが。

一方、ワルキューレ三部作の主人公は、「ワルキューレに憧れて冒険に出ることを決意した、何の変哲もない普通の村の若者」です。英雄でもないですし、流浪の王族でもありません。

これ多分、著者である本田先生のやりたいことを実現する為に、主人公がワルキューレではない方が都合が良かったから、ではないかと思うんです。

ゲーム本編ではそこまで作り込まれていないとはいえ、ワルキューレは元々、それ程「柔軟に動ける」キャラクターではありません。ワルキューレは神の子であって、美しい女性の見た目をした清廉なキャラクターです。ワルキューレのキャラクターを使おうとするならば、彼女の行動はある程度「神の子」としての行動にならざるを得ません。

例えばの話、道で困った老婆を見かければワルキューレは無条件で助けるでしょうし、悪人から犯罪の誘いを受ければワルキューレは無条件ではねつけるでしょう。そこをぶれさせてしまうと即キャラクター崩壊につながる。プレイヤーの選択の余地を作れない訳です。無論、恋愛展開やら無頼展開やら、書きにくい展開も色々あるでしょう。

著者の本田成二先生は、他にスティーブ・ジャクソンの「ファイティングファンタジー」の翻訳などにも関わっている方です。恐らくTRPG文化にも明るかったでしょう。つまり、飽くまでプレイヤーは読者である「あなた」であって、その行動は可能な限り自由なものにしたい、という向きが当初からあったのではないか、と推測します。

その為、読者がどんな立ち位置であってもプレイヤーとして違和感のない「普通の村の若者」を主役にして、敢えてワルキューレを主役から外すという選択を行ったのではないかと。私はそんな風に考えているわけです。

これによってなのかどうか、ワルキューレ三部作の展開は、非常に多彩なものになりました。

プレイヤーの判断によって、主人公は高潔な英雄にもなりますし、無頼のアウトローにもなりえます。主人公は、困った人を助けることも出来るし、見捨てることも出来ます。悪人と協力して悪事を行うことも、強盗に走ることも、傷ついた老人や生き物を助けることも出来るわけです。あと、透視の術で仲間の妹の全裸姿を覗き見て興奮したりする。

といっても、主人公の行動は即座に「魅力ポイント」に反映されまして、魅力次第では「折角巡り合えたワルキューレに協力を断られてしまってゲームオーバー」なんてことにもなり得ます。どこまで善行を積むか、どこまで利益を取るかのバランスみたいなものもこのゲームブックの醍醐味の一つ。

全体を通して、当初はただの「村の若者」だった主人公が、段々と成長して、様々な街で噂になるような活躍を残していく展開には、なかなか爽快感があります。二巻の道中では是非スミシーを仲間にして、酒場で絡んできた3人組みの冒険者を返り討ちにしたいところ。


〇ワルキューレの冒険のシステム的な試み

このゲーム、三巻では結構物凄いことをしていまして、つまり「主人公パーティが二つに分かれて、それぞれ個別に行動する」ということをかなり無理やり実現しているんです。このシステム、なかなか他のゲームブックではないと思います。

主人公・ワルキューレ組と、ニスペン・アテナ組は、それぞれ違うスタート地点から、個別の目的地を目指すことになります。パーティを合流させることも出来るけれど、別々に行動していないと起きないイベントもある。これ、処理的にはかなりややこしいことをしていて、恐らくデバッグも大変だったんじゃないかと思うんですが。

ちなみに、パーティの扱いとしては、ワルキューレの存在から各地で歓待される主人公・ワルキューレ組より、初見でゾウナの手下扱いされるニスペン・アテナ組の扱いがだいぶ悪いです。ニスペンさんいい人なんですけど。

もう一つ、システム的な面で特筆するべきこととして、このゲームブック「タイトルが進むことによる能力補正」を導入しているんです。おそらく、ゲームブック史全体を見渡しても初の試みではないでしょうか。

つまり、二巻、三巻という続編タイトルの序盤で、「能力が低すぎる場合は一定水準までパワーアップ」「能力が高すぎる場合、同じく一定水準までパワーダウン」ということを実現しているんですね。

これによって、例えばサイコロ運が悪すぎたり、敵から逃げまくって全然経験値を稼いでいなかったり、逆に経験値を稼ぎ過ぎた主人公の能力を一定範囲に収めることが出来ると。ゲームブックとしてはなかなか珍しい、コンピューターゲームっぽいシステムだったと思います。


〇「ワルキューレの冒険」を彩った敵たちと、脇を固める名キャラクターたち

本作ストーリーの話をすると、当然のように出てくる「ワルキューレの冒険」の敵たち、例えばタッタやコアクマン、シーザスといった敵キャラの他に、様々なオリジナルキャラたちが非常にいい味を出しています。

例えば、ララッタの街を占拠したゾウナの手下「ゴブガブ」に対して、妹を助ける為に共闘する漁師ニスペン。彼とは、二巻で女戦士アテナと共に再開して、最終的には4人パーティを組むことになります。あと妹さんがやたら美人。

そのアテナは、黒髪長髪、美人で優しいお姉さんという感じのキャラ。怒ると性格が変わるらしいですがゲームブック内ではあまり怒りません。彼女の時間跳躍の術は、ストーリー的には割と禁じ手だと思うんですが、どうにもならない状況からの脱出に使われたりします。

一巻の道中で仲間になり、一緒に迷宮のドラゴンに対峙することになる盗賊サンディ。言ってしまうと、彼女は実は男装の美少女で、一巻の最後で正体を知られた後は物語のヒロインに位置づけられることになります。サンディかわいい。最終巻の展開は必見といってよいでしょう。

ちなみに、ゲームブック内では二巻の最終盤にようやく出てくるワルキューレも、立ち位置的には十分特異なキャラになっています。元々の体力や技量の値もさることながら、全ての魔法をアイテムなしで使える上、魔法の性能が暴力的(自動的にダメージ2倍)過ぎてアテナの影が薄い。三巻のキツい戦闘は、かなりの部分彼女の星笛の術、稲妻の術で切り抜けることができます。

実際のところこの三冊、オリジナル要素はかなり大きく、ゲーム中ではあまり「冒険」本作の要素が出てこなかったりします。そもそも原作にはドラゴンからして存在しねえ。

読者から募集された冒険者の名前が物語のところどころに出てくる点なんてのは、若干好みが分かれるところかも知れません。とはいえ、ところどころで出てくるワルキューレの冒険の噂(ワルキューレがシーザスをぶっ倒して船出したという噂とか)や、ゲームと同様の7種の魔法なんかは、原作を思い出しつつハマれる要素として、私個人的にはかなりのお気に入りです。

皆さま、これからの秋の夜長に、旧作ゲームブックに触れてみるのはいかがでしょうか。

今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 07:00 | Comment(1) | ゲームブック | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月06日

「LA-MULANA(ラ・ムラーナ)」が超絶For meなゲームで滅茶苦茶面白いのでベタ褒めする


おもしれええええええちくしょおおおおおおおお(巨人像に押しつぶされながら)

何でしょう、なんなんでしょうこの面白ゲームのジェットストリームアタックは。7月からこっち、本当に一日の時間と体が足りません。オクトパストラベラーもまだ終わってないし、世界樹XだってMHWだって大神だってやりたいというのに…!!

先日、ファミコンの「キャッスルエクセレント」の記事を書きました。

で、そこでも書いたんですが、先日のねとらぼ・てっけんさんの記事を読んで、ラ・ムラーナ面白そうだなーと思ったんです。


で、丁度オクトパストラベラーが長男に大体占領されてる関係上、Switch持ち出しにくいんで他の携帯機のゲームも遊びたいなーと思ってたので、PS VITAのLA-MULANA EX買ったんですよ。

そしたらもう。もう超楽しい。なんていうんでしょう、not for meの丁度正反対というか、「これは俺の為のゲームだ!!!!」感が物凄かったんです。

感覚的には、「キャッスルエクセレントにスペランカーのフレーバーをつけて超絶パワーアップさせたゲーム」とでもいうんでしょうか。

しんざきの辞書に今更という文字はない、という程度に自分のアンテナの低さは自覚しているので、その手のゲームが好きな人は多分もうとっくの昔にLA-MULANAはプレイされていて、今は2で遊んでいるところかとは思うんですが、敢えて未プレイの方にお勧めするとすれば、

・子どもの頃スペランカーやキャッスルエクセレントにハマった記憶がある方
・何度も失敗、試行錯誤を積み重ねつつ少しずつゲームを進めていく、という行為に達成感を感じる方
・謎解き型アクションパズルゲームが好きな方
・メトロイドのような探索型アクションゲームが好きな方
・「謎の古代遺跡」とか「人類史の謎」といったワードに親和性がある方

上記のような要素に幾つかでも当てはまる方については、このゲーム遊ばないと勿体ないと思う、とまでは言ってしまっていいような気がします。ちなみにしんざきは上記5つの条件全てに当てはまります。

以下、多分まだゲーム的にはようやく中盤というところだと思うんですが、ちょっと現時点で何か書いてみたくなったので、ラ・ムラーナの面白いと思ったところをしんざき的に書き出してみます。


〇画面中にちりばめられた極上の謎と極上のアクションの数々

ラ・ムラーナは、根本的には「罠と宝探しのゲーム」です。これは間違いありません。

主人公のルエミーザ・コスギは、丁度インディ・ジョーンズのような恰好で、ムチ一つ携えて謎の遺跡「ラ・ムラーナ」に挑みます。遺跡探検ゲームという点で言えば、遠くスペランカーの子孫であるといってもいいでしょう。

が、コスギの肉体は先輩よりも遥かに強靭で、その身体能力はマリオもかくやというレベルです。コスギはどれだけ高所から落っこちても傷ひとつ負いませんし、大抵の罠はライフの一部を献上するだけで乗り切ります。動きは軽快。武器の扱いも達者。彼は、遺跡内にいる山ほどの怪物をビシバシ叩き伏せながら進みます。

アクションゲームの一番基本的な部分、「アクションの気持ち良さ」「操作に伴う爽快感」。まずそこについては、ラ・ムラーナは極めて良質な体験をプレイヤーに提供してくれると言っていいでしょう。

ただ、これは「アクションにストレスが存在しない」ということを意味しません。むしろ逆です。

ラ・ムラーナのマップ構成や罠は、割と冒険の序盤からかなりの意地悪度を発揮し始め、コスギに限界ギリギリのアクションをガンガン要求してきます。ギリギリのジャンプで届かない足場。丁度落ちたところに配置されている針山。絶妙なタイミングでハシゴから落としにかかってくる敵弾。画面を変えただけでリポップするコンドル。

正直なところ、まだ進捗度で言うとゲーム中盤であろう私ですら、「うがーー!!」と言いながら頭を抱えてしまったことが一再ではありません。「罠と敵の意地悪度」で言うと、ラ・ムラーナは相当なハイレベルではないかと思います。女神の滝つぼのコンドル本当に絶滅させたい。

しかし、ラ・ムラーナというゲームには、更にもう一つの中核要素があります。それは「探索と謎解き」。マップをいじりまわして、反応する場所を探して、遺跡全体にちりばめられた謎の答えが、冒険の舞台をどんどん広げてくれる武器やアイテムが、段々と姿を現していく。新しく手に入ったアイテムで、今まで見えていたのに行けなかった場所、何か隠されていそうなのに開けなかった扉が、プレイヤーの前に開放されていくのです。

以前から何度か、ゲームにおける「制限と解放」という話を書いています。

ラ・ムラーナの「制限と解放」は、「制限が結構ストレスかかるだけに、解放された時のうれしさがめっちゃ大きい」という構造になっています。散々あちこちをバシバシ叩いて厄介な敵と戦って罠を乗り越えて、ついに謎解きのポイントを見つけて「ぷぁーー!」っていう謎解きのほら貝が鳴った時なんて、「ここだったのかーーーーー!!!」という、本当に脳汁出るような嬉しさがあるんですよ。この瞬間の気持ち良さが、ラ・ムラーナを遊んでいるときの気持ち良さの50%以上を占めているといっても言い過ぎではないと思います。

もう一つポイントになるのが、「選択肢の広さ」だと思います。

ラ・ムラーナって、行ける場所の選択肢がめっちゃ広いんですよ。最初のマップから、既に3つくらい次のフィールドに行く選択肢があったりする。勿論、楽なルートきついルートはあるけれど、どこから攻略するかは全くの自由。どこに向かうかも自由。更に、全然別のフィールドで、更に全然別のフィールド攻略のヒントやキーアイテムが手に入ることも頻繁にある。

だからこそ、一つの場所で詰まっても、「ここはまだ解けないかも」となって他の場所を探せるんです。

これも手前みそなんですが、昔こんな記事を書きました。

ゲームにおいて何かに失敗し、あるいは何かを得ることが出来ずに、失望する。失望が強く胸に焼き付けられる。この失望があってこそ、何かに成功し、何かを得た時の喜び、興奮が倍増する。これが、ゲームにおける「達成感」の構造なんではないか、と私は推測するのである。

敢えてもってまわった言い方をすると、良質な失望は、決して絶望には転化しない。

私、ここで書いたことが、ラ・ムラーナにはそのまま当てはまると思っています。プレイヤーは、何度も何度も失敗し、何度も何度も壁に突き当たる。けれどプレイヤーは袋小路には陥らない。何故なら、プレイヤーには「ここは取り敢えずいいや」という、「一旦保留」の選択肢が豊富に残されているから。また、失敗の山の向こうに見えているゴール地点が、あまりにも魅力的だから。

詰まっても、失敗しても、決してそれは絶望にはならない。ここまで振り切った「失望」のゲームデザインをされた開発チームには、心から敬服します。素晴らしい。本当に素晴らしい。


〇ゲームデザインを彩る、「ラ・ムラーナの世界」。

ところで、ラ・ムラーナの面白さはアクションと探索の面白さだけではありません。ここで我々は、ラ・ムラーナの素晴らしいキャラクター、世界観、BGMに触れることが出来ます。

初回プレイヤーに間違いなく「思ってたんと違う」と感じさせるであろう、妙に軽いノリの村の長老や、あちらこちらのお店の人たち。長老は間違いなく「ラ・ムラーナの世界」の代表格であろうキャラクターであって、なんかアドバイスは妙に適当だし、特に意味のないメールをしょっちゅう送ってくるし、けれど抑えるところはきっちり抑えてきます。

世界各地の神話や伝説を下敷きにした、ラ・ムラーナ各所で見られる様々な壁画・彫像・遺跡。しかもそれぞれが、ラ・ムラーナ内での世界観と紐づけられて、きちんとした「ラ・ムラーナ史」として引き直されている。これ、しんざきもまだストーリー中盤なので、うっすらとしか見えていないところが多いと思うんですが、単純に「遺跡探索もの」と考えてもわくわく感凄いですよ。随所随所の石碑や壁画が、本当に「ラ・ムラーナの中での歴史」を語ってくれているんです。遺跡探索ゲームのだいご味フルスロットルって感じです。

ほのかにレトロゲームテイストを残した、超かっこよかったりおしゃれだったりするBGMの数々。私、特に巨人霊廟のBGMが好きで好きでたまらないんですが、ノリが良くてスタイリッシュなメロディラインの中に、どこか妙な哀愁というか、それこそファミコン時代やMSXのテイストが残った音色は、どこまで聴いていても飽きない名曲の数々です。

ケレン味たっぷりのフィールド敵や、ボス敵の数々。正直なところフィールド敵はやらしい動きをする連中が満載でして、特に滝を遡っているお魚さんと、女神の滝つぼのコンドルは本当に死んでほしいと思うところ大です。ネタバレを避ける為に詳述しませんが、ボスも「そうくるか!!」という連中が様々待ち構えていて、石碑を読みながらたどりつくと、これよくこういうデザイン作ったなーってすげー感心します。

これら、「ラ・ムラーナの世界」といっていい数々の演出やキャラクターは、それだけでも十分良質で、プレイヤーをくぎ付けにする要素満載です。個人的には、特にムーブルクさんがとても可愛いと思うんですがここから先また様々な「ラ・ムラーナの世界」が表れてくるのだろうと思うと、ゲームを進めることが楽しみで楽しみでたまらない訳です。

長々書いてまいりました。

基本的に、「ラ・ムラーナ超おもしれえ!!」意外に特に言いたいことはないわけですが、最後にちょこちょこ、現時点でのごく個人的な感想を箇条書きで書きなぐってみます。

・超楽しい
・コウモリを絶滅させたい
・巨人の霊廟のぴょんぴょん跳ねる敵を絶滅させたい
・空の水源の滝を登っている魚を絶滅させたい
・女神の滝つぼのコンドルを極めて切実に絶滅させたい
・太陽神殿の火をばらまいてくる鳥はまあ許した
・というかラ・ムラーナの鳥って全体的に凶悪過ぎませんか?この世界の鳥類はどれもこれもあんなんですか?
・ムーブルクさんかわいい

以上です。よろしくお願いします。

今日書きたいことはそれくらいです。






posted by しんざき at 07:20 | Comment(2) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年09月03日

ドラクエのタイトルロゴのTが剣ではなく鈍器だということに、皆はいつ気づいたのだろうか

時折、自分の常識と世間の常識のずれというものに気付くことがあります。

「自分が何を知らないか」ということを知ることは困難です。それは結局、様々な知識、様々な言動に触れる内、どこかで「ああ、私はそんなことも知らなかったんだ」ということに気付く、という形でしか知ることが出来ません。

ソクラテスのパラドックスではありませんが、人間は元来「自分が知っている世界」でしか物事を判断することが出来ません。だからこそ、「自分は知らない」ということに気付くのは極めて困難であり、また、重要なことでもあるのです。

私には、自分が極めて常識に欠ける方であって、世間の人が知っていることで私が知らないことが無数にある(味覚糖を知らなかったりとか)という認識だけはあるのですが、それを埋める為にはただ、「自分が知ったこと」をただただ提示していって、無知を知らしめることを恐れず、世間とのずれという情報をひたすら集め続けるしかないわけです。私がブログにくだらないことを書き続けるのは、一つにはその為でもあります。


ところで最近気付いた、というか最近まで気づかなかったことがあります。

DQタイトルロゴ.png

ドラクエライバルズのタイトル画面です。ドラクエのロゴがどーんと配置されていて、そこに「ドラゴンクエストライバルズ」という文字が配置されていることが分かります。かっこいいですよね。

ドラクエのロゴの歴史は長く、タイトル画面ではやや簡略化されることもあるのですが、例えば初代ドラクエのロゴが

DQ1ロゴ.png

であることを考えると、既に30年前に完成されたデザインであることが分かります。この、真ん中を引き気味にして、左右がこちらに迫ってくるかのような迫力あるデザイン。素晴らしい。本当に素晴らしい。ゲームのタイトルロゴとして、一分の隙もない完璧なデザインだと思います。

ところで、私はつい最近まで、具体的に言うとこの記事を書く1時間前まで、「DRAGON QUEST」の最後のTが、「剣」なんだと勘違いしていました。

このTなんですが、拡大してよくよく見てみると、

DQタイトルロゴ2.png

鈍器。

斬る気ない。どう見ても斬る気ない。

確認しておきたいのですが、これはどう見ても鈍器ですよね?

刃などという軟弱なものは存在せず、その暴力的なまでの質量と固さで、相手をただブッ叩いて叩き潰すことだけを目的にした、言うなれば鉄塊ですよね?

一般的に考えれば、剣とは何かを斬る為のものであって、刃がついていなければならないものなのです。そこから考えると、ここで今我々が見ているこの「剣」は、聊かブ厚過ぎる。何かを斬るつもりなら、せめてもうちょっと鋭くあって欲しいし、もうちょっと薄くあって欲しい。ベルセルクのドラゴン殺しではありませんが、「まさに鉄塊」としか言いようがないわけです。

であれば、この、私がついさっきまで「剣」として認識していたこの武器は、実は剣ではなかったのかも知れない。ドラクエ1的に言えばこんぼうなのかも知れないし、ドラクエ2的に考えればおおかなづちなのかも知れない。ローレシアの王子は、実際にこの鉄塊で、ドラゴンフライだのメデューサボールだのをガンガン叩き潰していたのかも知れないのです。


皆さんにお聞きしたい。


あなたは、これにいつから気付いていましたか?「Tが剣ではなく鈍器」ということを、いつから認識していましたか?今、「何を今更」と思いませんでしたか?

私は、ついさっき、「このT鈍器だよな」と気づくその瞬間まで、約30年「これは剣」だと考え続けていました。しかし、例えばSNSで「あの鈍器、今回振ってるような効果線ついてるよなー」「あの勢いだったらギガンテスの頭くらいつぶせそうだよなー」というような会話を観測する機会が殆どなく、となればもはや、この「剣ではなく鈍器」という認識は、今更話題に持ち出す価値もない世間一般の共通認識であるとしか考えられないのです。

気付いてたなら教えてくれよ!!!

と思わないこともないのですが、知ろうとすることは、知ろうとしないことに勝る。

無知を恐れず、無知を露呈することを恐れず、私はこれからも、ただ愚直に世間の常識と自分の無知のすり合わせ作業を続けようと考える次第なのです。

今日書きたいことはそれくらいです。

posted by しんざき at 05:44 | Comment(20) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月31日

レトロゲーム万里を往く その143 「キャッスルエクセレント」と、ゲーム攻略というものを教えてくれた友人のお兄さんの話

皆さん、「キャッスルエクセレント」ってゲーム、ご存じですか?



元々は88の「ザ・キャッスル」っていう固定画面アクションゲームだったんですが、ファミコンに移植されるにあたってマップから何から大幅にアレンジされて、「伝説の一作」と言われるくらいの超絶完成度を手にした名作アクションパズルゲーム。

私、ファミコンにおける「アクションパズルゲームの到達点」って4作あると思ってるんです。

一つが、「換石の術」というギミックを最大限に使って、「削る」のではなく「作る」ブロック型パズルというアイディアを実現した、テクモの「ソロモンの鍵」。

一つが、L字ブロックという「向き」を考慮しないといけないギミックを主軸に、思考の必要性を三段階くらい深くしてのけた、ナムコの「バベルの塔」。

一つが、考えに考え抜かれた面配置と、「敵を使ってマップを作る」というアイディア一つでアクションとパズルを完全に両立して見せた、アイレムの「迷宮島」。

そして、アスキーの「キャッスルエクセレント」。

キャッスルエクセレントは、「おしゃれな見た目とポップなBGM、そして軽快なアクション」というガワに、「超絶難易度のパズル要素」というものをどかっと載せた、言ってみれば「全部載せ」のパズルアクションゲームでした。

100個にも及ぶ部屋から成る、巨大な城。

それらを結ぶ六色の扉と、それを開くための無数のカギ。

やたら軽快なジャンプとナイフによる攻撃アクション。

それらアクションを駆使しないとクリア出来ない数々の難関マップと、一見おしゃれなようで案外エグい動きをする敵キャラたち。

それら全てを、「ムチャな作り込み」と「物凄い完成度」という共通要素ですべて紐づけて、一つの作品にまとめ上げたゲームがキャッスルエクセレントです。恐らく、ファミコン全時代を見渡しても有数の攻略難度を誇るゲームではないでしょうか。

私は、この「キャッスルエクセレント」をきっかけに、「ゲームを攻略するとはどういうことなのか」を学びました。


以下、ちょっと昔話をします。長文になりますがご容赦ください。

当時私は低学年の小学生でした。小1だったか小2だったか、正確なところはよく覚えていません。30年ちょっと前の話です。

「キャッスル」というゲームが面白いらしい、それを移植したキャッスルエクセレントも面白いらしい、という話は、確か兄から聞いたのだったと思います。その情報を元に、私はキャッスルエクセレントにたどりつきました。親に買ってもらったのだったか、当時流行っていた「ゲーム交換店」で交換してもらったのだか、これまた明確なところは覚えていません。

ただ、キャッスルエクセレントは、低学年の小学生にはちょっと難し過ぎました。

いや、面白かったんです。無茶苦茶面白かったし、わくわくしたんです。

ぴょーんと長いジャンプをさせるのは面白かったし、敵をナイフでやっつけるのは楽しかった。マップをあちこち探索するのもわくわくした。このわくわく感は、間違いなく、当時ファミコンで感じることが出来た中でも最上質のものでした。

けれど、何せキャッスルエクセレントは、ファミコン全体でも有数の高難度ゲームです。マップとマップの繋がり、鍵を使う時の計画性、マップのギミックを冷静に観察する観察力と、それをクリアする為の学習力。そういったものなしにキャッスルエクセレントを攻略することは出来ません。

悪いことに、キャッスルエクセレントにはセーブ機能があり、そのセーブ機能を前提にバランス調整されているような節もあるのですが、当時セーブする為にはそれ専用の「データレコーダー」というインフラが別に必要だったのです。そんな高度なインフラが家に存在するわけもなく、ゲームオーバーになる度に最初から試行錯誤のやり直し、というのが当時の定番パターンでした。

当時の私は、せいぜい最初の十数マップをいったりきたりするのが精一杯で、クリア出来ないままに挫折してしまったのです。

「ナッツ&ミルク」や「デビルワールド」でキャッキャ遊んでいた頃の話です。当時は大変大変悔しかったのですが、今から考えるとまあ仕方ないのかな、と思いもします。

それから何年か経ちました。私は、小学校中学年を経て、高学年になっていました。

当時、小学生の遊びの王様は文句なくファミコンでした。ファミコン好きの友人は何人もいましたし、ぼちぼちスーパーファミコンの話題を持ち出す友人もいる頃だったと思います。

当時、キャッスルエクセレントは既に「ちょっと昔の」ゲームでしたが、私はあるとき、友人たちにキャッスルエクセレントの話をしてみました。ちょっと前なんだけど、こんなゲームあってさー。すげえ難しかったんだけど知ってる?

すると、その中の一人がこう言いました。うちにあるよ、そのゲーム。俺クリア出来ないけど、兄ちゃんがクリアしてたよ

本当か!!と私は勢いこみました。なにせ、当時私にとってはゲームの先達であった私の兄ですら、キャッスルエクセレントには挫折していたのです。

ちょっと聞いてみると、その友人のお兄さんはもう大学生で、ファミコンの他にパソコンのゲームも色々やっている、という話でした。色々ありまして、私はキャッスルエクセレントのカセットをもって、その友人の家に遊びにいき、そのお兄さんにアドバイスをしてもらうことになりました。冷静に考えるとその友人の家にもキャッスルエクセレントはあるわけで、私がソフトをもっていく必要などまるでなかったのですが、まあ子どものやることです。やっぱり「自分のソフトでクリアしたい」という欲求があったのでしょう。

私は、そのお兄さんに「キャッスルエクセレント攻略ノート」というものを見せてもらいました。

衝撃を受けました。

その人は、キャッスルエクセレントのマップ全てを図に書き出しており、そのマップ同士の繋がり、ギミックの特徴まで、詳細にノートに書き出していたのです。当時の自分の感覚では、「びっしり」という密度に見えました。

ここまでやるのか。

ここまでやらないといけないのか。

ここまでやれるものなのか。

今から思えば、それくらいの「攻略ノート」を作る人、というのは、当時そこまで珍しくはなかったのかも知れません。webで調べれば攻略情報がわかる時代ではありません。どこの本屋でも攻略本が売っている時代でもありません。プレイヤーそれぞれが、それぞれの攻略情報を蓄積して、ゲームを攻略していた時代です。

ただ、当時ちゃらんぽらんに、ノリと勢いでゲームを攻略していた私にとっては、それは「ゲームを攻略するってのはこういうことだぜ」というビジョンを見せつけられた思いだったのです。

試行錯誤と、蓄積と、蓄積を元にした改善の積み重ね。それが「ゲームを攻略すること」でした。私は、その時それを初めて知りました。

そんなお兄さんの随所随所のアドバイスの元、私はなんとかかんとか、2時間くらいで「キャッスルエクセレント」のエンディングにたどりつきました。今から思えば、そのお兄さんもよく付き合ってくれたなーと思います。勿論感動したのですが、その時、クリアした感動以上に、「これが攻略か!!」という衝撃が大きかったように思うのです。

この時の衝撃は、更に数年を経て、「ダライアス外伝」というゲームの攻略に結び付くことになるのですが、まあそれは余談。



ところで。

つい最近、PS VITAの「LA-MULANA EX」というゲームを買いました。きっかけは、ねとらぼさんで、てっけんさんのこの記事を読んだことでした。

面白そうだなーと思いましたし、今現在遊び始めて「これおもしれえ!!」と思ったんですが、それについてはまた別に書きます。

それ以上に私は、「このわくわく感、なんか記憶にある…」「あ!!これ、キャッスルエクセレントの時のヤツだ!!」と感じたのです。手探りでマップを埋め、マップのギミックを解き明かしていく感触。少しずつノウハウと情報を蓄積していかないと歯が立たない難易度。それは確かに、私がかつて、一度は挫折した「キャッスル・エクセレント」で感じたものと同じものでした。

あの時と同じ、「蓄積して、攻略する」という楽しさを、もう一度味わえるのか。

私はそんな風に感じて、ここからの「ラ・ムラーナ」というゲームに付き合う時間を、これ以上ないくらい楽しみにしている、と。

そんな話だったのです。

今日書きたいことはそれくらいです。



posted by しんざき at 07:00 | Comment(0) | レトロゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【ドラクエライバルズ】新環境で滑り込みレジェンドになれました

なれましたー。

月末駆け込みだけどレジェンド到達した!

今まで何度も(撮影することに)失敗していた、レジェンド昇格の瞬間のスクリーンショット。0ポイントって表示されてますが、あとで確認したら1600ポイントくらいはありました。

新環境でメタが回るのがびっくりするくらい速くって、最初は「ドラゴンミネアが強い!!」「いやドラゴンククールだ!」って感じだったんですが、なんかあれよあれよという間にドラゴンミネアをメタったOTKゼシカが出てきて、そのまたメタのアグロテリーやアグロピサロが台頭してきて、実は床ククールの方が強くね?という向きが出てきて、ぼちぼちトルネコで強いデッキが出始めた、みたいな感じです。色んなデッキが出てくるのは楽しいですね。

で、私は、ゴールドで20パックくらい引いてみたら「ミネアをやれ」とシステムに言われているかのような引きをしたので、

これはミネアをやれと言われていますね。。。

最終的にはこんな感じの、アグロを見たドラゴンミネアって感じのデッキで回してました。

ブログ用

ブラックドラゴン超強い。バルンバとキースドラゴン(あとできればいっかくりゅう)が早い段階で引けていれば、かなり速めのアグロにもまあ勝負できる、っていう感じのデッキです。OTKゼシカ相手にはなりふり構わずユニットを展開しまくって押しつぶすコンセプトでまあ4.5割は勝てる。

今回はゾンビテリーやゾンビピサロにもかなりの可能性があるように思っていまして、まあ一度レジェンドには上がれたので後は色んなデッキを試してみようと思っていますが、取りあえず来月はまったりやります。

一旦そのくらいです。
posted by しんざき at 06:42 | Comment(0) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月29日

非常口マークの人の姿勢について長いこと勘違いしていたかも知れない


先に断っておくが、以下の話はあなたの想像を更に5割程上回ってどうでもいい話であって、あなたに新しい知見を提供することは一切ない。時間を大切にする人はここから先を読み進めるべきではない。

まず、私は非常口マークの人の正式名称を知らない。その為、ここでは便宜的に「非常マン」という呼称で統一させていただきたいと思う。なかなかいいネーミングではないだろうか、非常マン。なんとなく強そうな響きすらある。

さて、非常マンのマークとは、皆さんよくご存じの下記のようなマークである。

ブログ用

このマークには解釈上の問題がある。「非常マンがシルエットでしか表現されていない」「その為非常マンの具体的な姿勢については見る側が推測するしかない」という問題である。

私は、この非常マンを初めてみた瞬間、恐らくは幼稚園か小学校くらいの時点から、もう30年以上にわたって、非常マンの姿勢について「非常マンはこっちを向いてポーズをとっているのだ」と認識していた。これは、私にとってはもはや刷り込みに近い根本的な認識であって、ここから発想を飛躍させるのは、私にとって非常な努力を必要とすることなのだ。

この認識について分かりやすく図示すると、下記のようなことになる。

非常マン1.png

お分かりいただけるだろうか。つまり、私にとって非常マンは、「ドアを開けた時の光を背景にして、こちらを向いて軽快なポーズをとっているちょっと陽気な人」という認識だったのだ。これはもう、子どものころからの認識であるのだから仕方ない。

ところで、最近になって、というか本当についさっき、ふと思った。「冷静に考えると、非常マンって部屋から脱出してるんじゃねーか?」「部屋から脱出するときにこのポーズってのはちょっとおかしくねーか?」と。

繰り返しになるが、上記の認識は私にとって、もう30年来の固定観念だ。人間の脳は、自分の常識をそう簡単に疑えるようにはできていない。それに対して、僅かでも疑問を持つことが出来た私の発想飛躍力を称揚していただきたい。

つまり、

「非常マンは実は向こうを向いて走っているところなのではないか?」

という疑念が、まるで降ってわいた天啓のように脳裏に浮かんだのである。

分かりやすく図示するとこういうことになる。

非常マン2.png

念のため絵に注釈をつけさせていただいた。お分かりいただけるだろうか。

そう、非常口マークは、そもそも「何か危険があったときはここから逃げるんだよ」というマークであるのだから、冷静に考えれば「その部屋から脱出する人」を描写している筈なのだ。なんとなれば、「君は逃げ方が分からないかも知れないけれど、こんな感じで走って逃げてね」という見本図であるかも知れない。

部屋から逃げる時に、「体をこちらに向けてなんか変なポーズをとりながら逃げる」というのは、どう考えても適切ではないのだ。うっかりすると、お前はこっちに向かってアピールしてる暇があったらとっとと部屋から出ろよ邪魔だろ、という話なのだ。

そこから考えると、二つ目の絵のような状態であれば、「ドアを開けて部屋から走り出ていく人の図」として全く違和感がない。これは、もしかするとこちらの方が正しいのかも知れない、と、30年来の私の固定観念に強力な揺さぶりがかかっている次第なのである。

非常マンについて知見がある皆さんに伺いたい。非常マンは、こちらを向いているのだろうか?それとも向こうを向いているのだろうか?

常識を疑うことには非常なエネルギーを必要とする。だが、今の私は、今までの自らの固定観念に正面から向き合い、必要とあらば根本から修正を図る覚悟だ。

識者のご意見を期待すること大である。

今日書きたいことはそれくらいです。


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posted by しんざき at 07:14 | Comment(8) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月25日

長男と二人で「小田急道中謎栗毛」をクリアしてきました 18/08/25

大変楽しかったです。


やるぞー

今日は、長女次女が幼稚園でのイベントでお泊り会、それに合わせて奥様も幼稚園に付き合った後ママ友と飲むということで、長男と私の男組で完全二人行動です。で、長男は私と出かけるとなると謎解きイベントをやりたがるので、たっぷり電車にも乗れる「小田急道中謎栗毛」に参加してきました。これ、昨年もあったイベントの続編でして、昨年は小田急だけだったところ、今回は「小田急江ノ島線 + 江ノ電」という取り合わせです。

長男電車好きであるということもあり、普段乗ってない路線に乗れるイベントは無条件で喜ぶんですが、謎解き含めて二人できゃっきゃ楽しめました。

ネタバレなしの感想を書いておくと、

・難易度自体はそこまで高くない。ある程度謎解きに慣れている人なら割とサクサク解けると思う
・ただ、移動距離は結構長いしそれなりに歩きもする
・その為運動にもなる
・ただし、江ノ電が海水浴シーズンということもあって結構混んでた
・謎解きキット自体は無料だが、捜索範囲が全域乗り放題になる江の島・鎌倉フリーパスは必須(大人600円、子ども300円くらいだったと思う)

という感じです。一応、めでたく100%クリア達成しました。

これで、今までクリアしたナゾは以下のような感じになりました。

小田急道中謎栗毛・鎌倉江の島編

なかなかの数ですね。カトリーエイルからこっち、長女次女も謎解きに目覚めましたので、今度こどもの国のトレジャーキングダムにでも連れてってあげたい。

ちなみに、地下謎2018は例によって長男と私コンビで攻略予定です。楽しみだー。

取り敢えず、リアル謎解き・リアル宝探しは、

・子どもがとても喜ぶ
・頭の体操にもなる
・大抵たくさん歩くので運動にもなる
・親も楽しい

といいことずくめなので、皆さんにもおすすめです。

ちなみに、小田急謎解きをクリアした後は、湘南台に移動して「らくの湯」に入ってきました。


お風呂も大変気持ちよかったんですが、90℃のサウナがめっちゃ気持ちよかった。謎解きで歩き回って疲れた足を癒しつつ汗も流せる。リアル謎解き→温泉のムーブめっちゃ理想的ではないでしょうか。

今日書きたいことはそれくらいです。







posted by しんざき at 22:14 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月24日

部活廃止論、なんかやたら受けるけれどいくら何でも暴論じゃないですか

こんな記事を読みました。


人数に対する費用が少ないとか、こんなんで足りんのか、効果あんのかといった、規模についての議論は当然あると思いますが、「教員の負担」が明確に問題として認識されていること、施策が打たれれば拡張の話も出来ること等考えると、基本的にはいい話、いい方向性ではあるんじゃないかなーと思ったんですよ。

ただ、はてブ等見ていると、


なんか「部活廃止しろ」という文言がやたら受けてるんですよね。なんか、部活を目の敵にする人がやたら多いなーと。単に極論程受けやすいって話なのかも知れませんけど。

今問題になっているのは、

・教員の負担、残業の増加、負担に対する報酬がないこと
・地域によっては、部活動に興味がない生徒でも部活を強制される場合があること

の二点であって、であれば

1.教員の負荷軽減の為の施策を考える
2.適切な報酬を出す方法を考える
3.部活動全入の強制をやめる

ことを考えるべきであって、そこで「部活ごとやめましょう」っていうのは「ゴキブリが出たから家ごと燃やそう」みたいなもんでしょうと。というか部活憎悪してる人多すぎじゃありませんかと。

部活のメリットというものは、ぱっと考えただけでも

・生徒にとって、安価で様々な趣味・技術にアクセスする場になり得る
・部活内での技術継承・ノウハウ継承の流れがある
・クラス以外の居場所があることで、クラスでうまくいかない生徒の精神の安定に寄与する場合がある

くらいは思いつきます。勿論、学校によって、部活によって、個別の事情は色々あると思うんですけどね。


まず第一に、「そもそも部活がないとその趣味の存在自体意識しねえ、知らねえ」って子、結構たくさんいるんじゃないかと思うんですよ。

皆部活っていうと、野球部とかサッカー部とか、あるいは吹奏楽部とかメジャーなものを思い浮かべがちなんですが、例えばもっとマイナーなスポーツとか、あるいは種々雑多な文化部だって立派な部活なわけです。ハンドボールとかバドミントンくらいのレベルですら、「部活がないとスポーツとして意識しない」って人、多いと思いますよ。なんとなく囲碁将棋部に入って、将棋のついでに囲碁にも触れて囲碁の面白さに目覚めた、って人、私が知ってるだけでも何人かいます。

そういう「趣味との出会い、アクセスの機会」っていうのを丸々捨てるんですか、という話がまず一点あります。

「地域のスポーツクラブにいけばいいやん」という話も分からないではないんですが、サッカーや野球くらいのメジャー具合ならまだしも、

・当然費用がかかる
・ある程度マイナーな競技・活動では、そもそもその地域にその団体が存在するか分からない
・学校での部活程生徒との接触がなく、そもそもある程度主体的にその種目に興味をもっていないと選択肢にならない

そもそも「最初は囲碁に興味がなかった人」が碁会所いきますか、って話です。あと、「通える距離にハンドボールやってる団体ありますか」ってことでもあります。小さな自治体なんかでは、「学校の部活がそのスポーツの唯一の受け皿」なんてことも全然珍しくないでしょう。

勿論スポーツだけの話ではなく、新聞部だって文芸部だって、なんならパソコン部だって鉄研だって立派な部活です。中身は真面目なこともあるし、ダラダラ遊んでるだけの部活もあるかも知れませんが、まあ「趣味への入り口」としての部活動という側面はあるし、そこから広がっている裾野も当然ある。中学のパソコン部や文芸部と同じようなことが地域の団体で出来ますか、っていうのはいくら何でも現実的じゃないでしょう。

一方、部活廃止ってことにもし本当になったら、真っ先に切られるのがそういう良く分からない活動であることは想像に難くないわけです。

「クラス以外の居場所」が重要ではないか、という話もあります。自分が所属する組織、団体が複数あった方がメンタルに好影響を及ぼしやすい、という話もだいぶ一般的になってきましたよね。子どもの居場所と精神安定性についての論文を拝見したのでリンクしておきます。


一般的なイメージからしても、クラスの人間関係がうまくいっていない子が、部活を居場所にして救われる例って結構あるんじゃないかと思うんですよ。というか、私の観測範囲でも何例かそういう例があります。

一方、そういう子が「部活」なしで、例えば地域団体のような「別の居場所」を探せるかというと、まあ勿論色んな例があるでしょうが、怪しい側面はあると思うのです。


ギルティだと考えられるのは「趣味を強制されること」であって、そういう意味で「部活動の強制」という向きは滅んでいいと思います。今でも一部の県では部活全入強制が一般的らしいですね。

ただ、「自由に選択出来る」という前提の上なら、選択肢が多いことは望ましいことだと思うんですよ。


本当に問題なのは、「部活が必ず顧問の教員を必要とすること」「顧問にされた教員が正規の業務以外の仕事で疲弊すること」「部活動の指導に対しての報酬が出ないこと」であって、であれば例えば「指導は地域や民間に委託しよう」とか「部活指導員を個別に設けよう、その人数を増やそう」とか「顧問の活動はきちんと残業にしよう、ちゃんと残業代を出そう」とか、そういう議論を活発にするべきですよね。

そのスタート地点としては、冒頭挙げた施策なんかはまあ悪くない線なんじゃないかと。もっと予算必要だろとは私も思うんですけどね。

「教員への部活動の負担」というものが社会的に認知されるのは良いことだと。

そんな風に考えるわけなんです。

今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 06:43 | Comment(5) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月23日

オクトパストラベラーは、「「ここからが本番!!」と何度でも思わせてくれるRPG」でした

目下、オクトパストラベラーにハマっています。一言で言うとメタクソ面白いです。


まだ遊んだ時間でいうと30時間弱でして、進捗度合いで言うと各キャラの3章を片付けているところ。バトルジョブの在処に暫く気づきませんで、2章中盤くらいでようやく各地の祠を廻ったんですが、ジョブの付け替えやらサポートアビリティの取捨選択やら、あれこれ試行錯誤するのが超絶楽しいです。あと音楽が死ぬほど良い。マジで超良い。サントラポチりまして、届くのが楽しみです。


本当はクリアしてから総括エントリーを書こうかと思っていたんですが、まだ結構かかりそうな塩梅で、かつ今の時点で(私にとっての)面白さの正体は大体つかめたような気がするので、ちょっと現時点で書いておきたいと思います。ネタバレはなるべく避けます。

書きたいことは主に二つです。

・ゲームの許容範囲を背景とした、「出来ることが広がる瞬間」の気持ちよさ
・「出来ること」を駆使しないと勝てない、絶妙な戦闘難易度の上がり方

順番にいきます。

〇ゲームの許容範囲を背景とした、「出来ることが広がる瞬間」の気持ちよさ

記事タイトルでも書いたんですが、このゲーム、「うおーこっからが本番だったのか!!」と思わせられるタイミングがなんかやたら多いんですよ。「世界が広がるタイミング」が何度もある。

オクトパストラベラーって、ゲームスタート時点で出来ることは正直かなり少ないというか、割と「狭い範囲」に限定されているんです。

・主人公は一人だけで、コマンドも少なければアビリティも少なく、雑魚戦でも案外苦労する
・敵の弱点をつこうにも弱点をつける武器や攻撃手段がない
・ブレイブで一気に攻めようにも攻め手がない
・そもそも移動出来る範囲も狭い

勿論、再序盤は半分チュートリアルみたいなものですから、ちゃんと基礎を学びながら相手の弱点をついていけるように計算はされているんですが。色んなRPGの中でも、「序盤に出来ることの限定」という意味では、オクトパストラベラーは結構狭く設定されている方だと思うんです。

ところが、その「狭い世界(システム的にも、世界観的にも)」は、ゲームを進めるごとにぐいぐい広がっていきます。

・仲間が増えるごとに飛躍的に出来ることが増えていく
・戦闘でも出来ることの幅が広がっていき、「戦術」を駆使できるようになっていく
・JPをためてアビリティを取得していくと、更に戦闘の許容範囲がどんどん広くなっていく
・バトルジョブを入手できるようになると、複数のアビリティを組み合わせて更に戦術の幅が広がる
・単純に移動できる範囲、訪れることの出来る街もどんどん増えていく
・世界観、冒険の舞台も、色んな話を聞いている内にどんどん広がっていく

私、以前、ドラクエ3をテーマにしてこんなことを書きました。


要は「制限」と「制限解除」、今まで窮屈だったものが解放される瞬間の気持ち良さ。そのデザインに無理がないゲームは面白い、という話ですよね。

勿論、単に「途中から出来ることが増えていくゲーム」は他にも山ほどあるんですが、オクトパストラベラーはその「振れ幅」が絶妙というか、「出来るようになった時」の快感が物凄く大きいように出来ているんですよ。

多分その要因は二つあって、一つが「ゲームの許容範囲」。ちょっと古い言葉を使うと「自由度」っていう言葉になると思います。

オクトパストラベラーにおいて、「やらないといけないこと」「やっておかないと先に進めないこと」という要素は極めて少ないです。一応、各キャラに章仕立てのストーリーはあるんですが、そのストーリーをガン無視していても別にゲーム自体は進むし、ストーリーを実施するかどうかも完全にプレイヤー任せにされている。ある特定のキャラのストーリーだけをどんどん進めていってもいいし、満遍なく進めても構わないし、一切進めないでひたすら装備集めに邁進したり、どんどん遠くの街を目指すことも出来るわけです。

「このストーリー、今進める?あとにしとく?」というトリガーが全部プレイヤーに任されているので、プレイヤーは自然と「その時一番やりたいこと」に集中出来る。つまり、自然と「ゲームを主体的に遊ぶ」ようになっていくので、「世界を広げる為の行動」を自分からとることが出来るんですね。

「なんか知らないけどいつの間にか世界が広がっていた」ではなく、「自分から世界を広げにいって、パっと目の前が開けた」という感覚なので、「制限解除」の瞬間の気持ち良さがすごいんです。

・パーティが4人そろった瞬間
・4人以外の仲間も集まった瞬間
・新しいバトルジョブを見つけた瞬間
・遠くの街にたどりついて強い武器を入手できるようになった瞬間
・上級ジョブにつけるようになった瞬間

これらすべて、私が「ここからが本番だったのか!!!」と感動した瞬間なんですが、それぜーーんぶ自分の意志でやってるんですよね。ゲーム任せじゃない、自分の選択の結果。

これがすごーーーく気持ち良いなーと、少なくとも私は思ったんですよ。

一方。もう一つの要素として、「バトルの難易度の上がり方」という話があります。

〇「出来ること」を駆使しないと勝てない、絶妙な戦闘難易度の上がり方

ゲームには「達成感の提示」という機能もありまして、ハードルを乗り越えた瞬間の気持ち良さというのはとても重要です。どんなに良く出来たシステムでも、あまりに簡単過ぎるとつまらない。それは、「良質の達成感」が得られないことに由来しています。

その点オクトパストラベラーはどうなのかというと、一言で言うとドすげえ良質です。


オクトパストラベラーの戦闘難易度は、正直結構ハードな上がり方をします。何も考えずにただ武器を強くしてレベルを上げるだけだと、どんどん「勝てなくなる」ように出来ているんですね。

・敵のHPの上がり方がかなり速い
・武器を強くしても、通常攻撃のダメージは思った程上がらない
・敵の攻撃や状態異常がかなりエグい
・ボス戦は更にエグいダメージ、エグい状態異常、エグい耐久度が乱れ飛ぶ

この結果どうなるかというと、「広がった「戦術」を駆使しないと勝てない」「けれど頑張って工夫するとめっちゃ気持ちよく勝てる」というバランスになっているんですよ。ここは、オクトパストラベラーについて特筆すべき点だと思います。

・弱点を探って相手をブレイクする
・一気にブレイブを費やして相手の体力を詰めるタイミングを図る
・様々なアビリティを駆使してバフ・デバフを重ねる
・装備を吟味して必要なパラメータを上げる
・サポートアビリティをたくさん取得してあれこれ組み合わせを工夫する

これら、やればやる程戦闘は楽になっていきますし、多少強い敵でもガンガン勝てるようになっていきます。工夫すれば工夫する程楽になっていく戦闘。それに伴う達成感。このバランスについては、オクトパストラベラーは「一級品」と称してなんの問題もないでしょう。

この「達成感」を味わうことが出来る前準備として、より一層「世界を広げる」ことの重要性が増していて、それがプレイヤーへの極上の報酬効果になっている。私は、オクトパストラベラーについてそういう風に評価しているわけなんです。


〇その他の感想まとめ書き

上記以外での、個人的なオクトパストラベラーについての感想を、簡単に箇条書きにしておきます。

・グラフィックと音楽が死ぬほど良いとしか言いようがない
・この雪国のドット描写とか、もう感動する以外ないくらい素晴らしいんですが
・BGMも超すばらしくて、個人的には特にオープニングと、リバーランドのフィールドの曲がお気に入り(クリアブルック川道とか)
・クリアブルック川道の曲演奏したい
「かつてないロマサガみ」と以前書いたけれど、実際にプレイしている感覚はそこまでロマサガでもない
・SFCRPG好きな人におすすめと言われていたけれど、「色々工夫してどんどん強くなっていくRPG」が好きな人であれば手放しにお勧めしたい
・ただしストーリーは割とあっさり味(この点はロマサガの雰囲気に近い)なので、映画的なストーリーに期待はしない方がいい
・パーティメンバーを比較的頻繁に変えることになるのに、装備の交換だけやや不便。他キャラが装備している武器を直接装備出来るようにしてほしい
・逆に言うとUIの不満点はそれくらいで、あとはほぼかゆいところに手が届くUIになっていると思う
・学者つよい。特に序盤中盤は、サイラス先生がいる場合といない場合でゲームの難易度が激変すると思う
・学者縛ると相当厳しいゲームバランスになるんじゃないだろうか
・予習やエンカウント率低下も超便利
・紫宝箱をとるときいちいちテリオンを連れてこないといけないところはちょっと不便
・敵をブレイクした瞬間の気持ち良さは出色
・キャラクター同士のかかわりは、ほぼストーリー中の「パーティチャット」に集約されている
・パーティチャットでの会話、各々の持ち味が出ていてとてもいい感じ
・サイラス先生がテリオンから邪険にされて軽く落ち込んでいるところとか、トレサが娼館の意味をプリムロゼに教えてもらって動揺しているところとか、オルベリクがアーフェンの心構えに感服しているところとかすごく良いと思います
・一方、どうも今のところ見逃したパーティチャットは見返せないようなので、出来ればそこだけ救済手段が欲しい。クリア後とか見えるようにならないかなあ
・その辺の用心棒や町民がエアハルトよりも強い問題ちょっとおかしくない?
・トレサさんがかわいいと思います
・各キャラのジョブチェンジ時の衣装のコスプレ感にFF5を思い出す
・オフィーリアさんに踊り子衣装を着せる背徳感


ぜえぜえ。よし、大体言いたいことは言ったぞ。

長々書いて参りましたが、基本的に言いたいことは

オクトパストラベラーは超良作なので、昔のRPGが好きだった人に限らず買っていいと思います(ただしストーリーは割とあっさり味、というかプレイヤーに細かいところを想像させる形式)

ということに集約されるので皆さんよろしくお願いします。

今日書きたいことはそれくらいです。














posted by しんざき at 13:43 | Comment(1) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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