2018年03月12日

第6回ナゾゲーランドでキャラゲーBGMを演奏してきました 18/03/12

楽しかったです。


実はナゾゲーランドに参加するのが初めてだったのですが、いい意味でカオスというか、イベントの方向性が全く統一されていない中、講義あり、クイズ大会あり、寸劇朗読あり、弾き語りありで皆さんが思い思いに楽しまれているのがとても良い感じだったと思います。楽しませて頂きました。

そんな中、@fc_runner_AKさんにお誘い頂いて、新バンド「関東豪学連」で演奏させて頂いてきました。テーマは「漫画・アニメ・有名人など、元キャラがあるゲーム」いわゆるキャラゲーBGMです。

構成メンバーが、私ことしんざきと、鼻笛やバス鍵盤ハーモニカを駆使する@fc_runner_AKさん、ギターの使い手@hage_fatさんに、新キャラクターにしてカホン使い@tonkatsu999さん。完全にアコースティック編成です。

で、セットリストはこんな感じでした。

1.エリア88(AC) stage1
2.エリア88(AC) stage4
3.カトちゃんケンちゃん(PCE) 1面
4.カトちゃんケンちゃん(PCE) 2面
5.青いブリンク(PCE) 強制スクロールステージ
6.ドラえもん ギガゾンビの逆襲(FC) 地底フィールド
7.幽遊白書2 格闘の章(SFC) オープニング
8.幽遊白書2 格闘の章(SFC) 幻海ステージ
9.ドラゴンボールZ Sparking! NEO(PS2) ソリッドステートスカウター
10.天地を喰らう2(FC) 決戦
Ex.キャプテン翼2(FC) OP

なかなかいい感じの選曲だったのではないかと自負しております。皆さんお好きな曲はございましたか? 

というか、普通のゲーム音楽ライブでこのラインナップだと、観客がかなりの度数きょとんとしてしまうのではないかと思うんですが、ナゾゲーランドの場合お客さんが何故か殆どのタイトル知っていて、曲名言っただけで「うおおお!」とか盛り上がってくれるのがこの人たちものすげえなと思いました。青いブリンクとか、原作は知ってるけどゲーム化されてること知りませんでしたよ私。

とにかく、元来レトロゲームの曲は演奏する時のことなど考えて作られていねえというのは当然なのですが、ケーナのような生音楽器にはより一層厳しい環境です。今回は特に、「#やら♭やらがたくさんついてない曲が1,2曲しかない」という凄惨な状況でして、正直途中で指を吊るかと思いました。

ただ、音的にはそこそこいい音が出せたかなーと思ってまして、特に青いブリンクの曲はアコースティック編成映えしたんじゃないかなーと思います。個人的にはエリア88と天地を喰らう2吹けたので満足。あと、ソリッドステートスカウターの曲が超かっこよかったのでまたやりたい。

まずはお聴きくださった皆さん、ありがとうございました。関東豪学連はきっとまた何かしら活動をすると思いますので、よろしければ皆さん見に来てやってください。


一旦それくらいです。







posted by しんざき at 07:30 | Comment(2) | フォルクローレ・ケーナ・演奏関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月09日

「アオアシ」の武蔵野戦があまりにも素晴らしいエピソード過ぎるので紹介させてください

どうもしんざきです。なんか最近ずーっとこれ言ってる感じですが、アオアシが超面白いんですよ。

「パパが読んでる本は面白い本」という認識を持っている長男も最近ハマりました。長男サッカーやめちゃったんで、「またサッカーやりたくなったりする?」って聞いてみたら「プロは別腹だから」というなんだかよく分からない回答が戻ってきました。良く分かりませんが特に問題はないそうです。

で、先日こんな記事を書いたんです。

アオアシの基本的な展開が、「才能はあるが洗練されていない主人公の成長と超克の物語」であることは間違いありません。「粗削りな才能を徐々に磨いていき、周囲に認められていく主人公」という筋書きは、スポーツものにおいて一つの王道です。何度か書いている「さすが」と「まさか」の面白さでいうと、バランス的に「まさか」に寄った筋書きですよね。
アオアシが、主人公の青井葦人を中心とした物語であることは間違いのない事実でして、アシトの能力、努力、成長、弱さ、強さ、全部ひっくるめてアオアシという作品の魅力の中核であることは議論を俟たないと思います。試合中の思わぬタイミングでのアシトの活躍気持ちいいですよね。

で、9巻から11巻まで、ほぼ丸々三冊をかけて描かれるのが、アシトが所属するエスペリオンユースと、武蔵野蹴球団ユースとの一戦です。9巻序盤の武蔵野偵察から、11巻の武蔵野戦決着までが、「武蔵野戦編」と言っていいでしょう。





この「対武蔵野戦」というのが、アオアシという作品の中でも出色の「群像劇」でして、現在のところ間違いなく作中ベストゲームであろうと思われたので、ちょっと紹介してみたくなりました。


以下は、ネタバレになりますので折りたたみます。画像は引用の要件を満たす形で引用します。



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posted by しんざき at 07:30 | Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月08日

自分が好きなものを嫌っている人がいたら、その100倍「俺はこれが好きだ!!!」と叫ぶのが良いと思った

私自身のスタンスを先にまとめておくと、

・私が好きなものを嫌うことは勿論あなたの自由です
・ですから、私と関係ないところで、私が好きなものについて「嫌い」と言われていたとしても、別にわざわざ反論しに行ったり説教しに行ったりはしません
・ただし直接私に言われたら私に対する意見とみなして反論はするよ
・ただ「嫌い」というだけなら何の問題もないけど、何か誤った根拠で批判しているのを見かけたら、「それは間違ってるよ」とは指摘するかも知れないです
・私が好きなものに対して「嫌い」という意見を観測したら、「私はこういう理由で好き」というのをすげー主張するかも知れないです

というくらいの感じです。よろしくお願いします。

以前こんなこと書いたんです。


残念ながら、世の中には「自分が嫌いなものを、他人がほめていることが許せない」という人たちが結構いるようで。

ただたんに「このゲームが面白い!」と言っているだけの記事に、なんでこんな言葉を吹き付ける人がいるんだろうなあ、と。大変に面倒くさい人たちだなあ、と。他人の「面白い!」を、一体どういう根拠で否定しようとしているんでしょうか、と。


上の記事で書いた意見は特に変わっていません。今でも、他人の「これ好き!!」を探し出してわざわざ水をぶっかけに行く人は、40時間くらいひどい腹痛にでも悩まされて欲しいと思っています。

今も変わらず、「だれかがそれを嫌っているかも知れない」ってことは全くくみ取らず、自分の好きなものについては「これ超好き!!!!」と主張していこうという所存ですし、そうし続けているところではあります。最近だと特にイース8とアオアシをベタ褒めしています。

ただ、それとは反対ベクトルの話もちょっとありまして。

「自分が好きなものを嫌いと言っている人が許せない人」というのもいるよね、それは「自分が嫌いなものを好きと言っている人が許せない人」を裏返しにしただけで、やってることは変わらないよね、ということを、先日話してたんです。

別に、批判に対して反論してはいけない、わざわざ反論すべきではない、という話じゃないんですよ。投げかけられた批判には反論していいですし、もし誤った論拠があれば誤っていると指摘していい。売られた喧嘩なら値段に応じて買うべきです。

ただ、世の中には、ただ自立的に「〇〇が嫌い」と言っているだけの人に対して、「俺は〇〇が好きなんだ!!〇〇が嫌いだなんて許せない!!」という感じで、ただ「自分が好き」というだけの理由で、その「嫌っている人」をぶん殴りにいく人が結構観測出来るなあと思っていまして、それはちょっと違うんじゃねえかなあ、と思うんです。


当たり前のことですが、「好き」「嫌い」というのはその人の自由です。それを止める権利、それを「間違っている」という権利は誰にもない。何かを好きになる、何かを嫌いになることを阻害する権利は誰にもない。

なので当然、「〇〇は嫌いだ」ということを表明するのも自由なんですよ。

だから、「嫌い」と言っているだけの人に対してわざわざ文句をつけにいくのは、「好き」と言っているだけの人にわざわざ文句をつけるのと同じように理不尽な話だよなあ、と思ったんです。


誰かが「〇〇が嫌い」と言っている人を見かけたとして、その〇〇が好きな人がやるべきことは、「〇〇が嫌いだなんて許せない!」と憤って殴りつけにいくことではなくて、「自分は何故/いかに〇〇が好きなのか」をその100倍くらい表明しまくることではないかなあ、と。それによって、「嫌い」に共感する以上に「好き」に共感する人を捕獲することができれば、それで大勝利と言っていいんじゃないかなあと。

少なくとも私にとってはそっちの方が性に合っていますし、例えばメタルマックス2Rが嫌いだと言っている人や、ダライアス外伝が嫌いだと言っている人を見かけたら、それぞれの作品がいかに素晴らしいかというツイートを30連投くらいしようかなーと考える次第なわけです。よろしくお願いします。


今日書きたいことはそれくらいです。

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posted by しんざき at 07:33 | Comment(0) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月05日

【演奏告知】謎のレトロゲームイベントこと「ナゾゲーランド」でキャラゲーBGMを演奏させていただきます

こんなイベントがあるわけです。


■開催日時:
2018年3月11日(日)  17:00開場 18:00開演

■参加費用:
2,000円+1ドリンクオーダー

■開催会場:
Soul玉Tokyo(東京・阿佐ヶ谷駅)

■出演者:
ファミコンキッド
岡田名人(AK)
まめ(ファミコンタイトラー)
桜木章人
勇者BAR兄
そして新バンド━━
関東豪楽連(岡田名人、佐々木名人、とんかつ、しんざき)


ということで、こちらに記載の新バンドこと、「関東豪楽連」にてゲームBGMを生演奏させていただきます。

今回のテーマは、「原作・元キャラありゲームしばり」いわゆるキャラゲー縛りです。あの漫画を!!あのアニメを!!原作に持ったあのゲームたちだ!!!!

レトロゲームのキャラゲーというのはとてつもない広さと深さを持ったアメイジングワールドでして、恐らく皆さんが色んなキャラゲーに対して色んな思い出をお持ちのことかと思います。

それらのゲームタイトルの音楽が、演奏されるかも知れないし演奏されないかも知れない!!!!

ということで、先日最終練習をした感じではかなりいい感じに仕上がってきておりまして、まだお席にも若干の余裕があるらしいので、3/11にお時間おありの方は是非気軽にご来場いただければ。


勿論、当日はゲームBGM演奏だけではなく、クイズ大会やら朗読やら漫談やら、レトロゲームに絡んだ色んな出し物がありますので、そちら目当ての方も勿論お気軽に。


一旦以上でございます。
posted by しんざき at 07:56 | Comment(0) | フォルクローレ・ケーナ・演奏関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月01日

ところでドラクエライバルズの新環境が面白いです 18/03/01

結局、2月の最高ランクは600位ちょっとでした。画像は649位に上がった時にとったやつ。一応4カ月連続レジェンド到達です。

結局今期は650位で終了

つっても、この後新環境のデッキを色々試している間にだいぶ順位を落としまして、最終順位は1000位くらいだったんですけど。

ただ、こういうのちゃんとランクを追及するとしたら、とにかく必要なのはプレイ回数なんで、まとまった時間をつぎ込めないとこれ以上はかなり厳しいですねー。5000ポイントとか、正直全勝出来たとしても到達できる気がしません。

といっても、新環境自体は結構面白いです。

カード発表時点では、ピサロの「つかいま」とかテリーの「ボーンファイター」なんかが大騒ぎされて、テリーとピサロの二強確定みたいな論調が多かったですが、蓋を開けてみるとそれらの前評判カードはそれ程活躍しておらず、まさかのトルネコ大躍進。

もみじこぞうとたたかいのドラムを軸にした、「ドラムトルネコ」が完全にトップメタになっているようです。


こういう、「環境大混乱」的な状況は新カード導入の一番の醍醐味ですよねー。結果的には、なかなかいい感じのカード追加だったんじゃないかなあと。

新カード自体は色々と面白いものがありまして、私自身は3月終盤、メガトンケイルやモリーを軸にした、いわゆる「メガトンアリーナ」を色々試していました。こんな感じのやつです。

終盤に使ってたアリーナ

モリー楽しい。回り出すと余裕でオーバーキルであって、ゼシカだろうがピサロだろうが気にせず吹っ飛ばすデッキパワーがあります。

といってもこれだけドラムトルネコが氾濫してくると流石に対策をしないわけにもいかず、またアグロゼシカやテンポゼシカも相変わらず多いので、「トルネコとゼシカ同時に対応出来るリーダーなにかなー?」と考えてみたところ、「一周回ってテリーじゃね?」という考え方に傾きつつあります。

ということで、3月の「花嫁杯」は、取りあえずミッドレンジテリーの最適レシピを模索しつつ走ってみようかと。

まあ、順位を突き詰めるのはちょっと限界があるので、そこはゆるゆるとやりつつ、レジェンド到達くらいまでは出来るといいなーと思っております。よろしくお願いします。

一旦それくらいです。
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posted by しんざき at 08:21 | Comment(0) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月28日

「荒らしは放置」的な考え方は、もはや妥当なスタンスではないのかも知れない

昔、といってもまあ1年半くらい前ですが、こんな記事を書きました。


ちょっと長いですが、いちいち書き直すのもなんなので、上記記事の内容を引用します。


最近、この「荒らしはスルー」という言葉について思い出すケースが増えました。

勿論ケースバイケースだとは思うんですが。webには「PV至上主義」及び「PVをお金に変える仕組み」というものが存在しておりまして、中にはPVを欲するあまり、意図的に炎上を引き起こすような言論を駆使する人、というものが見受けられます。注目中毒、影響力中毒ですね。

こういう人は、上記のような言葉でいうところの「荒らし」と認識してしまっても問題ないように思います。

そういう人たちは、自分に批判的な指摘や意見がいくら舞い込んでも、却って「これでPVが増えた」と喜んじゃうんですね。更に、Webには「注目されている人」を無条件でもてはやすような勢力もいて、炎上することで却って「信者」を増やしてしまうことすらあります。彼らが寄せられた意見によって考えを変えることは決してありませんし、2度、3度と同じような炎上を狙う為に、また同じ行為を繰り返すだけです。


私はかつて、旧2ちゃんねる的な「注目されたくて暴れている困った人はスルーが一番」という考え方の、割と単純な信奉者でした。結局ああいう人達にとって注目はPVという餌にしかならないんだから、放置出来るなら放置が一番いい、というスタンスです。

ただ、この記事を書いてからも色々考えまして、ここしばらく、ちょっとこの記事は妥当とは言えなかったかな、と思うようになっています。


つまり、「放置した時のデメリット」と「きちんと批判・反論した時のデメリット」では、実は前者の方が大きいんじゃねえか?放置するよりちゃんと批判や反論を可視化した方がいい場合が多いんじゃねえか?


という考え方に傾きつつあるのです。


まず、一言に「注目されたくて暴れている困った人」といっても、勿論様々な種類があります。かつての2ちゃんねるであれば、コピペ荒らしもグロ画像貼る人も暴言吐きまくってるだけの人も十把一絡げに「荒らし」と呼んでいましたが、昨今、むしろそういうシンプルな荒らしはあまり観測出来なくなっています。また、基本的には「その板・そのスレッド」の中でしか暴れられなかったかつての荒らしと、webで縦横無尽に暴れられる現在とでは事情も違います。


ここでは、「注目されたくて暴れている困った人」のことを、


・主にPVやPVからの収益を目当てに、デマ・誤情報・明らかに妥当ではない極端な意見などをwebに公開しまくっている人


という程度の多少ふわっとした定義をさせて頂ければと思います。まあ、ふわっとしてはいますが、よく見る類型だなーとは思って頂けると思います。

また、「注目されたくて暴れている困った人」というのも長いので、これ以降は古き良き2ちゃんの用語を借りて、「注目されたくて暴れている困った人」のことを「荒らし」と呼称したいと思います。

では、この「荒らし」に対して、周囲が放置した時と、きちんと反論・批判した時では、それぞれどんなメリット・デメリットがあるでしょうか?


〇荒らしを放置した時のメリット

・反論記事を経由してPVを供給してしまう、ないし荒らしサイトの知名度を高めてしまうことがない
・検索エンジンの評価が低くなる可能性がある
・反論するコストがかからない

〇荒らしを放置した時のデメリット

・デマ・誤情報や極端な意見が、継続して拡散・展開され続けてしまう
・情報リテラシーが低い人が、荒らしの言葉を信頼・信奉するようになってしまう


〇荒らしに反論・批判した時のメリット

・批判的な見解があることを可視化することが出来る
・検索エンジン等で、反論を拡散・展開することが出来る
・情報リテラシーが低い人に、反論を共有することが出来る可能性が高まる

〇荒らしに反論・批判した時のデメリット

・反論を経由して、荒らしの知名度やPVを高めることに繋がってしまう
・単純に反論・批判する為のコストが非常に高い



ざっくりとはこんな感じなのかなあ、と。

で、一番のポイント、かつ反論記事や批判記事を書いた際、一番指摘されるのが多い論点が、

「反論を経由して、荒らしの知名度やPVを高めることに繋がってしまう」

という点なんですよね。放置しておけば皆が知ることもなく、webの山にうずもれているだけなのに、わざわざ指摘・反論してしまうから却って注目が集まってしまったじゃないか、というヤツ。

私、この意見はこの意見で正しいと思いますし、以前まではそういうスタンスに近かったんです。「荒らしは放置が一番嫌い」の体現ですよね。誰からも顧みられないことによっていずれは収束するだろう、という待ちの姿勢でもあります。

ただこれ、本当に零細のサイトであればともかくとして、「既にある程度拡散してしまっているサイト」「運営者がある程度展開・拡散のノウハウを持っているサイト」について言えば、「放置することによって本当に収束するか」というのが極めて怪しいと思っているんです。というか、多分収束しない。現状してないし、恐らく今後もしない。

昨今のGoogle検索結果のアレさは皆さんご承知の通りとは思いますが、現在Googleの検索アルゴリズムがhackされ過ぎていて、マイナー単語のある程度の検索順位ならかなりお手軽に確保出来てしまう状況です。はてブやら、SNSやらでも、「仮にみんなが放置しようとしても」無理やり露出を確保出来てしまうインフラが、現状既に整ってしまっている。

これによって何が起きるかというと、「詳しい人達が反論しないまま放置されたデマや極端な意見が、GoogleやらSNSに拾われて、あまり詳しくない人たちにどんどん展開されてしまう」という事態が起きる可能性がある、というか現状既にバンバンそういう事態になってしまっていると思うんですよ。

「放置して待つ」が、既に有効な対策ではなくなってしまった。


昨日の記事ともちょっと絡むんですが、「反論や批判が可視化されているかどうか」というのはかなり重要です。検索した時に、荒らしの意見と同時に批判的な意見も引っかかれば、少なくとも「ああ、賛否ある話なんだな」ということは最低限理解することが出来る。これが荒らしの意見だけだと、「そうなんや」と納得してしまう人をどうしても食い止められない訳です。


これは、例えばゲーム系迷惑サイトやら、海賊版サイトやらでも同じことだと思います。こういうのも批判する度に、「こういう批判が却って人を呼び込んじゃう」みたいに言う人いるんですけど、んなこと言ってるうちに現状既に散々人が集まってるやんけ、と。もはや放置しようにも出来ない状況なんだったら、それはもうきちんと批判して、通常攻撃に遷移した方が遥かにマシなんじゃないか、と最近は思うようになったわけです。

「きちんとした反論」「きちんとした批判」を可視化しておくメリットは、放置するメリットに勝る。現状、そういうことなんじゃないかなあ、と。



勿論、

・単純に反論・批判する為のコストが非常に高い

というのはどうしようもない問題であって、何でもかんでも批判していたら体がいくつあっても足りませんし、現状Googleに拾われてすらいないサイトをわざわざ批判しに行く必要は流石になかろうとも思いはする訳ですが。

ただ、「放置が一番」というのは必ずしも妥当ではなく、「批判の跡を残す」ということが重要なシーンも結構あるんじゃないか、というのはおそらく確かだろうと思っておりまして、今後とも出来る範囲では批判していこうと考えた次第なんです。


以上、「荒らしは放置」というのも、時代が変わり、環境も変わり、良し悪しになったなあというお話でした。

今日書きたいことはそれくらいです。





posted by しんざき at 08:16 | Comment(9) | ネットの話やブログ論 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月27日

「ニセ科学批判は危険」と言っている人が勘違いしていること

こんな記事を拝読しました。


全体としてみれば言いたいことは色々あるのですが、一点指摘するとすれば、
なぜこれが「危険」かというと、そうした「批判」こそが「カルト化」を助長することになるからです。

ホメオパシーの効果を信じている人が、「科学的に言ってホメオパシーには効果はない」とネット上で言われたからといって、果たして納得するでしょうか?

むしろ、「現代科学を信奉する人間にはホメオパシーの価値は分からない」と考え、「現代科学忌避」の傾向を強めるだけではないでしょうか?
この点については、「ニセ科学批判批判」の人が割と頻繁に利用する傾向がある論法であるように見受けられます。

この論法が一点勘違いしている、というかもしかすると意図的に見落としているかも知れないことは、


・ニセ科学批判は、カルトになるような熱心な信奉者に向けたものではなく、それ以外の大多数の「保留者」ないし「存在や問題点を知らない人」に向けたものである


ということです。

確かに、例えば現状既にホメオパシーを熱心に信奉している人であれば、Web上でのホメオパシーに対する反論を見たとして、それが信奉を捨てるきっかけになるかどうかというのは怪しいところです。場合によっては、よりカルト化を強める、ということもあるかも知れません。

ホメオパシー自体は、もはや「効果が証明されていない」のではなく「プラセボ以上の効果がないことが科学的に証明されている」段階であって、欧州科学アカデミー諮問委員会(EASAC)の声明やら、日本医学会の会長談話とその支持やら、その他色んなエビデンス付きの検証が出ています。

代表的な検証を一つリンクします。


ただ、それらを受けても「既存医療サイドの陰謀」的な決めつけを行う人はいますし、そういう人たちにはもはやロジカルな説得は届かないのでしょう。それは確かです。

ただし、世の中には大多数の

・ホメオパシー自体を知らない
・ホメオパシーを勧められたが、まだ信じ切れていない、迷っている
・なんとなく怪しいと思っているが、言い切る根拠がない

人たちがいるのであって、そういう人たちに対しては「プラセボ以上の効果はないんだよ」ときちんと情報を提示してあげることが必要ですし、重要です。ぐぐった時に「あ、ホメオパシーって別に謳っているような効果はないんだ」という材料を見つけられることが重要ですし、それが重要であることが分かっているからこそ、信奉者の人たちが熱心にそうした批判記事を攻撃するわけです。

仮にそうした「ニセ科学批判」が行われなくなったとして、カルト化は止まるのか?というと全然そういうことはなく、単に粛々と信奉者の人たちが一見科学の体裁をとった記事をwebにアップし続けて、今まで判断を保留していた人たちを信奉者側に引っ張り込むだけの話です。

だから、「ニセ科学批判」は「危険」でもなんでもなく、「極めて重要」なのです。信奉者を説得する為ではなく、保留している人達、存在自体を知らない人たちを引き留める為に、重要なのです。



それともう一点、これも信奉者側の人が使う論点として代表的なものなので指摘しておきますが、

以上、見たように、プラシーボ効果しかない療法であっても、

現に「役に立つ」と思っている人がいる以上、それは「確かに役に立っている」
のですから、それだけで、十分に社会的な意義があると言えます。

ホメオパシーは、プラセボ効果しかないから批判されている訳ではありません。医療ネグレクトを煽り、重大な事故につながっているから批判されているのです。ホメオパシーを担いでいる人達が、「これにはプラセボ効果しかないから、通常医療をまず受けて、それと併用する形で使ってね」と公言しているなら誰も批判しません。

冒頭記事でもまさに触れられている、山口市の死亡事故なんてその代表的なものですが、


ホメオパシーが医療ネグレクトを起こしている事例は、Webをちょっと検索しただけでも色々観測出来ます。オーストラリアでは、死亡事故に伴ってホメオパスの両親に有罪判決が出たこともありました。



また、そもそもプラセボ効果自体、非常に議論が分かれるものであって、現状でも比較対照試験以外に用いられることは稀ですし、対照試験における利用についてすら倫理的に認められないのではないかとする議論もあります。



早い話、「プラセボ効果はあるかも知れないんだからOK」というのは全然妥当ではないのです。その点についてはご認識頂いた方がいいのではないかと思いました。


まあ、冒頭記事については、見た感じもっと適切な批判コメントもあるところ、反論しやすいコメントに対してしか反論していないように見受けられますので、この記事が届くかどうかもちょっと分かりませんが、一応意見を呈しておきます。


今日書きたいことはそれくらいです。







posted by しんざき at 08:12 | Comment(1) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月26日

子どもの「なぜ?」という疑問には、「全力で考えて答えた上で、可能なら興味を発展させてあげる」というのが最適解のような気がする

この記事を読みました。


何度も書いている通り、育児に「最適解」というものは多分存在せず、子どもによって、親によって、家庭によって、時期によって、「適したやり方」「その時妥当なやり方」というのは変わってくる、と思います。

ただ、しんざき家で現在やろうとしている考え方、子どもとの接し方は、上記の記事とはだいぶ方向性が違っていて、それについて書いてみようかなーと思いました。

それなら、この機会を生かして、とても大事なのに見過ごされがちなスキル、すなわち自分で答えを導き出す能力を磨くように仕向けるのです! お子さんに「なぜだと思う?」と尋ねてみてください。

即座に答えを返す(あるいはインターネットで調べた知識の受け売りで「それは、光のエネルギーが波として伝わって……」と説明する)代わりに、子どもに自分の頭で考えるよう促すのは、賢いやり方と言えるでしょう。これなら、ただ人に聞くのではなく、自分なりに分析をするという大切なスキルを、子どもに身につけさせられます

うーん?と思いまして。

いや、勿論、「自分で答えを導きだす能力」「自分なりに考える習慣」というのは大事ですよ。超大事。何でもすぐ答えを与えられていては、そういう能力や習慣が育たない、という考え方も分かります。

ただ、それを実現する為の方針として、単に「なぜだと思う?」と反問するのは正しいのかな、最適なのかな、と。

そればっかやっていると、「大人に対して、自分の興味を提示する」ということに対する喜び、嬉しさみたいなものが削がれちゃったりはしないかな、と思うんですよ。


何故かというと、まず第一に、「なぜだと思う?」だけでは情報のやり取りとして成立していないからです。子どもが持った「興味」という情報に対して、親が情報を返せていない。

会話というのは情報のやり取りです。ギブアンドテイクではないですが、自分が出した情報に対して、相手からも情報が返ってくる。そういうやり取りが楽しいし、会話の成功体験にもなるんですよね。やっぱ、「打ったら響いた」っていうのって嬉しいんですよ。

それが、言ってみると反問ってリフレクなんですよ。出した情報が、そのまんま返ってくる。ただ「せっかく持った興味が満たされない」というだけの話ではなく、コミュニケーションとして成功していないんです。

時にはリフレクも必要かも知れませんが、それがいつもということになると、むしろ「何言っても情報が返ってこない」ということを子どもが学習してしまうかも知れません。


第二に、「大人の側も真剣に考える」というスタンスを見せられていない

子どもって、結構難しいこと聞いてきます。調べるならかなり真剣に調べないといけないようなこと、ググるにもそこそこテクニックが必要になりそうなこと、平気で聞いてきます。

単に「空は何で青いの?」程度の質問であっても、凄く厳密に答えるなら光の屈折やら目の受容やら、可視光についてとか考えないといけないでしょう。勿論年代によってはそんなこと説明しても分からないので、何か適度に翻訳した答え方を考えないといけない。どこまで答えるか、どこまで考えるかというのも、結構難しい問題なんです。

それに対して、「ちゃんと考えて、全力で答えてあげる」という姿をちゃんと見せてあげるって、「この人はちゃんと真剣に接してくれているんだ」という信頼感や、「物事に対してきちんと考える」というスタンスを育てる為に、多分大事なことなんじゃないかと思うんですよ。


私の親は、「私の出した何気ない質問に対してめっちゃ真剣に考える」人達でした。時には「いやちょっとそこまで考えんでも」と突っ込みたいことすらありましたし、何やら色々調べ始めて、答えが返ってくるまで偉い時間がかかったこともありました。

ただ、そういう「ちゃんと答えが返ってくる」ということで、私から「自分で答えを導きだす能力」が失われたかというと、多分そういう訳でもないんですよね。むしろ、「ああ、考えるってこうやるのか」「調べるってこうやるのか」ということを学べたことの方が大きかったような気がします。

だから、私は今でも、子どもの疑問に対しては出来る限り真剣に考えて真剣に答えるし、後から自分の答えは正しかったのか?を考え直したりもするし、ちょっと違ったなーと思ったら「ごめん、昨日答えたの、ちょっと違った」と言ったりもします。

勿論時間がかかる話なので、あんま時間がない時はある程度適当に答えちゃったりもするんですけどね。


もちろん、子どもの興味というのは貴重な機会なので、「ただ答えを出して終わり」というのでは勿体ない、というのは事実です。最近、「興味ドリブン」という言葉について色々と考えます。「子どもの興味」というのはチャンスであって、機会であって、なるべく生かしてあげたい。

これは塾講師をしていた時の経験則なんですが、「興味が更に次の興味に繋がる子」というのはめっちゃ強いです。適切な問題設定さえしてあげれば、自分からどんどん次の課題を見つけて、ぐんぐん知識を身に着けていってしまう。以前、そういう「興味が連鎖する子」についての記事を書いてみたりしました。


子どもは本当に色んなことに興味を持ちます。で、「これなんで?」と聞いてきます。この時、それがどんなにちょっとしたこと、どんなにバカバカしいことであっても、出来るだけ真面目に答えてあげる。

で、ある知識を得た後、更にそれが別の知識につながるともっと楽しい、という経験をさせてあげる。そういう経験の積み重ねが大事なんじゃないかなあ、と。

だから、私が考える「子どもの興味に対する最適解」というのは、

・子どもの疑問に対して、まずは真剣に考えて真剣に答えてあげる
・テーマによっては、「自分の考えはこうだけど、そっちはどう思う?」というように議論してあげる
・出来る場合には、他の発展系の知識に繋がる話をしてあげる

ということになるんじゃないかなあ、と思っています。

例えば、「空は何で青いの?」という話であれば、そこから「空以外の青いものは何で青いのか」「青いってどういうことなのか」「見えるってどういうことなのか」みたいな話につなげてみる、とか。

自分でも分からないことがあれば、「これは今は分かんないから調べてから答えてあげる、パパの宿題」と持ち帰ってみるとか。

以前、こんなことを書きました。この時も、そもそも妥当な答えかどうかわからなかったので、随分色々と考えました。



いや、勿論、いつもいつもそんなことしてると1日が48時間あっても足りやしないので、出来る範囲で、出来る時には、ということですけどね。たまにこういう会話がある、というだけでも随分違うんじゃないかなあ、と思っているんですよ。


取りあえず、「子どもの興味」というものが貴重な機会である、ということだけは間違いない事実だと思うので、それをどうやって生かせばいいかなあ、というのは、今後も含めて考えていきたいと思う次第なのです。


今日書きたいことはそれくらいです。




posted by しんざき at 08:00 | Comment(0) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月23日

Spotifyでオススメフォルクローレ曲のプレイリストを作っています

なんか、「フォルクローレ」で検索してみたところ、少なくとも日本語で「フォルクローレ」と書いてあるプレイリストを、私のほかはもうおひとりくらいしか作っていなさそう。

こちらの記事でも書いた通り、


Spotifyは軽くビビるくらいフォルクローレの曲が充実しているので、折角なのでお勧め曲のプレイリストを作ってみることにしました!!というのは建前で、実際は私が好きな曲を集めているだけです。

不倒城でも共有してみますので、もしフォルクローレに興味ある方がいらしたら聴いてみてください。私自身が比較的ミーハーというか、あんまりトラディショナルに好みが偏っておらず、今風の曲も色々入っている為、フォルクローレをあまり知らない人にも割と思います。逆に、伝統音楽としてのフォルクローレを聴きたい人にはあんまり向かないかも。それはまた別の機会に作ります。

え?IDがない?作ろう!!!!無料で作れるし、CMさえ我慢すれば無料アカウントでも聴けるから!!



上記はフォルクローレ内ノンジャンルの好きな曲集です。無節操に色々入ってます。CalchakisからKjarkasからINCASから、メルセデス・ソーサやらウニャ・ラモスやら割と何でもありな感じです。

中でも特に好きな曲を挙げるとしたら、まずはなんといってもウニャ・ラモスの「リャマの道」。


多分、私がケーナ吹きとして一番好きな曲ってこれだと思います。どこまで追いかけても追いつけない名曲中の名曲。

歌でいうと、Los Kjarkasの「Nin~os de America」と、


メルセデス・ソーサの「Venas Abiertas」はやっぱり最高に好きな名曲です。だまされたと思ってちょっと聴いてみてください。


あとですね、やはりLos Calchakisは最の高としかいいようがないわけでして、Tierra Aymaraなんかケーナの響きも歌のハーモニーも素晴らしいわけです。ただしやや渋いかも。


リャマの道以外にもう一曲ケーナ曲を挙げるとしたら、やはりRaulOralteの「Iruya」。どこまでも響き渡るケーナのメロディです。



とまあこんな感じで、オススメ曲を挙げるのにやっぱSpotifyは素晴らしいインフラなので、今後も折々オススメ曲を挙げていきたいと思います。個人的なZUNTATAプレイリストも作りたい。


ちなみに以下はまだ作りかけのプレイリストなんですが、様々なバージョンの「コンドルは飛んでいく」をひたすら集めたプレイリスト、「El コンドル ばっか」。名前は昔のサークルの先輩が作っていたテープから盗用しています。


あと、好きなサンファニート曲をやたら集めた「極上サンファニート」も作りかけ。


この辺は完成したらまた展開しようと思います。


ということで、皆興味あったら聴いてみてくださいー、というだけの記事でした。
よろしくお願いします。





posted by しんざき at 20:13 | Comment(0) | フォルクローレ・ケーナ・演奏関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月22日

聖剣伝説2 SOM 遊んでみての第一感

買いました。遊んでおります。


まだウンディーネ神殿くらいまでしか進めてないのですが、序盤遊んでの感想を一言でまとめると、「遊べるし、楽しめるけど、手放しでお勧め出来る出来とまではいえない」という感じになりそうです。ただし、お勧め出来ない点は多くがUIの問題(しかも大体が原作準拠)なので、アップデートでくるっと掌を返す可能性は十分にあります。

現時点での感想をがーーっと箇条書きにしてみます。

・「聖剣伝説2」を、プレイ感込みですごく忠実に再現しようとしていると感じる
・3Dモデルなのに、マップが殆ど当時の聖剣2そのまんま
・恐らく木や花とかマップ上の小物まで全部当時のまま再現していて、ある種の執念を感じる
・メッセージとか展開もほぼ聖剣2そのまんま
・その為、シナリオ的に若干説明不足かなーと感じる点もそのまま残っている
・設定でアイテムを12個まで持てるように出来るなど、拡張されている部分もある
・3Dモデルのプリムやポポイはとてもかわいい
・宿屋に泊まると、要所要所で仲間同士の会話が発生してとても楽しい
・BGMはアレンジ含め最高という他ない。オリジナル版BGMにも変更出来るとか本当に最高過ぎる
・行動指定の仕様はSFC版とだいぶ変わっている。どのターゲットを攻撃するかの傾向を変更するようになった

・敵のHPはそこそこ高く、倒すには何回か攻撃しなくてはいけないのだが、攻撃する度にダウンが発生してその間はダメージが入らない。ダウンしている間に攻撃すると、ヒットが「予約」され、少し経った後またダウンが発生する。その為戦闘のテンポがあまりよくない(ただしこの仕様自体はSFC版に極めて忠実)
・装備を購入する時、店画面からは値段と装備可能なキャラクターしか分からず、現状の防御力とそこからの変化などが分からない。購入して、実際に防具を装備するまで防御力がどうなるかわからず、買い物がし辛い(ただしこれもSFC版に忠実)
・当たり判定はちゃんと3Dモデル準拠になっている為なのかどうか、以前の感覚なら当たったと思った攻撃が当たっていないことがある(これは慣れで解決できるかも知れない)
・ボタンをSFCに合わせた結果、当初×ボタンがアタック、〇ボタンがダッシュになっている。ただし台詞の進行などは〇ボタンの為やや分かりにくい(キーコンフィグで解決可能)
・3Dモデルになった関係上、マップとマップのつなぎ目がやや分かりづらく、唐突に画面転換することがある
・大砲屋で打ち出された時にマップが縮小拡大する演出がない

・魔女の森入り口のポロンゾーンがSFC版より遥かに難しく、ある種の要塞になっている
・恐らく3Dマップになった関係で、ポロンの認識範囲が広く、間合いも広くなっていることが原因


取りあえずこれくらいの感想です。

特に、装備購入と敵ダウンの当たりについては、何かしら改変を加えてもいいんじゃないかなーとは感じました。それくらいSFC版に忠実です。

ただ、宿屋でランディやプリムやポポイが色々な掛け合いをする会話はとても楽しい。この辺は原作だと結構あっさり味だったので、いい追加要素だと思います。

UI関係はもうちょっと「ここはアレンジしても良かったのになー」と思うところがあるので、その辺アップデートで改善することを祈願しております。


もうちょっと遊び込んでからまたちゃんとしたエントリーを起こそうと思います。

一旦それくらいです。




posted by しんざき at 12:28 | Comment(0) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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