2018年01月30日

イース8が面白過ぎて泣けてきたので現時点でのベタ褒めレビューする・あとお詫びと訂正

めっっっちゃ面白いです。



家庭の事情でPS4を買えていない為VITAでやっているんですが、VITAでも勿論すげーー面白いですし、私の感覚では画面も超綺麗です。ただ、追加シナリオ等もあるようなので、出来る人はPS4版の方が多分良いのではないかと思います。SteamとSwitchでも出る筈なのですが、なんかまだ発売延期してるんですかね?

現在はまだ第五部なので、ゲーム自体やりつくしてはいないんですが、あまりにも面白いのでちょっと現時点での感想を書いてみたくなりました。

取りあえず、「今回、イース8は何が面白いのか」ということについて簡単に書いてみたいと思います。

言いたいことは主に4つあります。特に二つ目が重要です。

・アクションが恐ろしく気持ちいい
・レベルデザイン・学習曲線がとにかく考え抜かれていて物凄い
・探索や素材集め、漂流村運営などサブゲーム的要素も面白い
・ストーリーが怒涛

順番にいきます。本記事ではネタバレは含まないようにしますが、最序盤の内容だけ微妙に混ざってしまうのはご容赦ください。


〇アクションが恐ろしく気持ちいい

まず、そもそもの根底にあるのがこれです。

イース7以降のイースに共通する要素ではあるんですが、まず根っこの部分として、イース8はめちゃくちゃアクションが気持ちいいんです。「アクションゲームをする時の爽快感」を知り尽くしている人が開発者にいるとしか思えません。


例えば単純に、敵を攻撃して、それが敵にあたった時の手ごたえ。

敵を弱点属性で突っついてブレイクが発生した時の気持ち良さ。

フラッシュガード、フラッシュムーブが成功した時の爽快感。

フィールドを進んでいった時、ちょうどいいスピード感で敵が出現する敵配置のバランス。


一つ一つで言えば細かいものだと思うんですが、その積み重ね方、作り込みが物凄く丁寧で、累乗に爽快感が増しているわけです。

とにかく、「フィールドを進んで雑魚を蹴散らしているだけで気持ちいい」「たまにでかい雑魚が出てきて、それを上手く倒せると気持ちいい」「もちろんボスを倒せると達成感で気持ちいい」「雑魚を無視してダッシュで突破したら、それはそれで気持ちいい」「そもそも動きが爽快なんで、動かしているだけで十分気持ちいい」という、全方位隙の無い爽快感。「ただプレイしているだけで気持ちいい」アクション程、ゲームの面白さに貢献するものが他にあるでしょうか。


唯一不満を述べるとすれば、「回避ムーブがイース7程は距離を稼げない」ということであって、例えばサハドみたいな移動が遅いキャラクターでフィールドを移動すると、ラクシャなんかに比べるとモタつく感はあるのですが。ただ、回避ムーブ自体の使い勝手は逆に良くなっていたりするので、これも良し悪しではあります。

とにかくまずは、イース8は「動かしているだけで気持ちいい」という、名作アクション、ないし名作アクションRPGの必須要件を軽々とクリアしている、ということについては断言してしまいます。


〇レベルデザイン・学習曲線がとにかく考え抜かれていて物凄い

今回特に感動したのがこれです。


今回、バトル面で言うと結構わらわらと敵が出てきまして、そこそこ戦闘の頻度は高いんですよ。

ただ、例えば初心者さんがイース8をプレイする時、「恐らくこういう順で学習していくだろう」ということを想定すると、そのバランスというかレベルデザインが本当に絶妙で。

私がプレイしているのは難易度ノーマルなんですが、

・はじめの内は、単に攻撃ボタンを連打してゴリ押ししていくだけでなんとでもなる
・「攻撃を当てること」に慣れてきた頃、段々弱点属性やスキルの利用を意識する必要が出てくる
・弱点属性やスキルの利用に慣れてきた頃、段々フラッシュガードやフラッシュムーブを意識しないとキツくなってくる
・終盤では、フラッシュガードやフラッシュムーブ、クリティカル、付与効果、スキルなどを駆使しないと勝てないしすぐ死ぬ


この学習曲線が凄い。

初めからテクニックを駆使する必要はない。ただ、「そのテクニックが必要になってくる頃、丁度そのテクニックを使えるくらいの習熟度になっている」んです。

やっている内に、自然と上手くなっている。しかもハードルの上がり方に無理がない。これ、レベルデザインとしてはほぼ理想形といっちゃっていいんじゃないでしょうか。

しかも、上で書いた通り、スキルをばしーんと当てたり、敵をブレイクしたり、フラガやフラムを決めるともうむやみやたらに気持ちいいので、報酬効果もばっちり。プレイするごとに、「俺上手くなってる!!」「上手くなってくると気持ちいい!!」感を存分に味わうことが出来るわけです。

感覚で言うと、以前「ドラゴンズクラウン」で感じた時のレベルデザインと、大体似たような印象を受けています。


勿論、難易度を上げていけば、最初からもっとキツいバランスになると思うんですが。少なくとも、難易度ノーマルを選んでいる限り、ほぼほぼ理想通りの成長曲線を描くことが出来る、というところまでは言っちゃっていいんじゃないかと。

もう、「アクションが気持ちいい」「かつ、自然と「上手くなっている感」が味わえる」という二点だけで、これはもう「勝ったも同然」的な面白さだと思うんですよ。この二点については、イース8の面白さは大保証出来ると思います。


〇探索や素材集め、漂流村運営などサブゲーム的要素も面白い

これは好みの話なんですが、私、「漂流もの」って大好きなんですよ。無人島に漂流して、物資を集めて拠点をつくって、みんなで頑張って生き残りにまい進する、とかもう大好物。十五少年漂流記とか超好き。

ほら、皆で建てた村にだんだん設備が増えていくのとか、利便性が上がっていくのとかワクワクしませんか?私するんですよ。

まあ、勿論アクションRPGが本道なんで、イース8のサバイバルがそこまでシビアかっていうとそれ程でもないんですが、やっぱ物資を集めて見張り台を立ててーとか、釣ってきた魚を料理して食べ物にー、とかはなんだかんだでとてもワクワクします。

あと、「備蓄物資」「サプライ」みたいな言葉にも凄く適合性が高くてですね。


そういう点で、今回「漂流村の運営」というサブゲーム的要素が、個人的にはばっちりハマりまして。設備を増やしていくのも、素材を集めていくのも、地図を埋めていくという探索要素も超絶楽しめています。

ただ、これについては、恐らく「面倒くさい」と感じる人もいるんじゃないかなーと思います。アイテムコレクト的には、決してレアアイテムを探し回らなくてはいけないバランスではなく、結構なんでもサクサク集まるので、そこまでストレスにはならないとは思うんですが。

地図埋めやアイテムコレクトが好きな人には、その分イース8の面白さに一翻乗りますよ、とまでは言っても問題ないような気がします。


〇ストーリーが怒涛

ここで一点、お詫びと訂正をさせてください。

私先日、この記事を書きました。


ここで

ストーリー面では、イース安定の「船に乗ってたら難破して冒険の舞台にたどり着く」という、もう感動的なまでにお約束の展開で、無人島なのに故郷に帰ってきたかのような安心感すら感じさせます。船長からセイレン島の話聞いた瞬間の、「ああ…」という納得感すごい。

まあ、イースに斬新で重厚なストーリーなんて誰も求めてないでしょうし、この辺りで完全に「安定」「お約束」に振るスタッフの匙加減は正しいのでしょう。

と書いてしまったんですが、今回ストーリーはぜんっぜん重厚でした。ごめんなさい。

いや、一応自己弁護させていただきますと、最序盤の展開は確かに、ラクシャのラノベ展開やらなにやら含めて「王道」「お約束」と言ってしまっていいと思うんですよ。ただ、中盤以降は本当に色々と展開が物凄くて、正直そのボリュームと展開の激しさに目を回しています。

これについては、私自身は正直、RPGにそこまでストーリーを求めなかったりするんですが、激しい展開が好みな人にもある程度満足してもらえるボリュームなのではないかと思っています。

あと女性キャラはみんなとてもかわいい。個人的にはラクシャさんが特に可愛いと思います。よろしくお願いします。


ということで、がーーっと勢いだけで書いてしまいました。

私自身まだEDまではたどり着いていないので、全部遊んだらネタバレありの感想も書いてみたいと思います。ただ現時点で、イース8が「アクションRPGとしてはとんでもない良作」であることは確定だと思いますので、つらつらレビューさせて頂きました。

皆さん遊んでみませんか、イース8。超お勧めです。


ということで、今日書きたいことはそれくらい。



posted by しんざき at 08:09 | Comment(0) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月29日

育児寛容・不寛容議論を極論で突き詰めても多分誰も幸せにならない

まず最初に、言いたいことをまとめます。

・子どもの声が、「うるさい」と感じる人にとっては騒音になってしまうのは当然のことです
・中には子どもの声を「うるさい」と感じない人もいるかも知れませんが、それは特殊ケースだと考えるべきです
・その上で、子どもの声が公共の場で発生し得るというのもある程度仕方がないことです
・親としては、出来る限り子どもが騒がしくしてしまうことをセーブしたいと思って、そう努力しています
・例外もあるかも知れませんが、大体の親はそうだと思います
・ただ、どうしても限界というものが出てきてしまうケースもありまして、多少のお目こぼしを頂けると大変ありがたいです
・というか大体の方は、多少うるさくても我慢してお目こぼし頂いているように思います。大変ありがとうございます
・極論もあるけれど、皆結構優しいですよ
・世の中「子どもの声を受け入れろ、受け入れないのはおかしい」と言っている騒音許容過激派やら、子どもの声なんか公共の場から一切排除しろという子ども排除過激派ばかりではなく、というかそういう人は本当にごくごく一部なので、あまり議論を突き詰めて極論にしない方がいいと思うんですよ

言いたいことは以上です。よろしくお願いします。

-----------------------------------------------------------

さて、書きたいことは書き切ってしまったので、あとはざっくばらんにいきます。

インターネット上では、時折育児、特に「子育て世帯が周囲に及ぼす迷惑と、それに対するスタンス」という話がめっちゃ盛り上がることがあります。そのパターンにも色々ありまして、例えばベビーカーを電車の中で使うことの是非とか、定期的に観測出来ますよね。


で、そんな時、割と決まって見られる論法が、「お互いに極端な方向に振った仮想敵を設定すること」でして。


例えば、育児世帯側は、「子どもや育児親の行動を一切許容しない排除論者」を仮想敵にして、その不寛容さを責めたり、不寛容社会を嘆いたり、であるとか。

例えば、非育児世帯側は、「子どもの迷惑行動を一切顧みない馬鹿親」「一方的に寛容さを求める身勝手な育児世帯」を仮想敵にして、育児世帯を断罪したりであるとか。


いや、極端な人、いますよ。確かにいます。そこまで極論に振らんでも、という人もいます。子どもを騒ぎっぱなしにさせて、全く周りの迷惑を顧みない親というのも、私はあんまり観測してませんけどいるこたぁいるんでしょう。

ただですね、サイレントマジョリティじゃないですけど、実際のところ、「極端なケース」というのは全体を見ればごくわずかだからこそ極端なケースだと思うんですよ。


当たり前のことですが、子どもの声というのは高いし通るし、非常にうるさいです。そりゃ勿論、「子どもの声大好き」という人も中にはいますし、子どもがいくら騒いでても気にならないという人もいるんでしょうが、そんなのは一般ケースとして考えるべきケースでは全くありません。

実際に育児を行っている、一人の親として凄く思うのは、「社会の殆どの人達は結構寛容だ」ということです。

親として、勿論なるべく子どもが静かにしていられるように、周りに迷惑をかけないようにと考えて、なるべく注意してはいますけれど、もっと子供が小さな頃とか、やはり電車の中で子どもが大泣きしちゃったり、大きな声を出しちゃったりといったことはありました。子どもを年中引きこもらせるわけにもいきませんから、公共の場での子どもの声を完全に防止、というのはやっぱり難しいんですよ。

ただ、そういう場合も、勿論内心五月蠅いなあと思われる方も多かったと思うんですが、殆どのケースでは皆さんにこやかに対応してくださり、中には子どもに優しい声をかけてくださったり、席を譲ってくださったりということもそりゃもう何度もありました。ありがたい限りとしか言いようがありません。

ただ、これは勿論「そういう風に寛容にあるべきだ」という話ではなく、寛容でいてくれることに感謝しつつそれに甘えないようにしよう、という個人レベルでの気持ちである訳なのですが。実際にご迷惑をかけてしまっている方には、申し訳ないという思いしかありませんし、なるべく改善に向けようと努力は続けていくつもりです。

で、同じように、なるべく頑張っているし、かつ周囲の寛容さに感謝している親って、結構たくさんいると思うんですよ。というかそれが大部分だと思います。

実際、育児世帯として色々と助けて頂いている側としては、「もっと寛容であるべき」だなんてとても言えません。「いや、皆現時点で結構寛容ですよ?」という一言です。


要は、「結局社会を回していくためには、皆がちょっとずつ歩み寄るしか現実的な解答ってないよね」ということでもあるし、「特に突き詰めなくても、社会って結構歩み寄りで回ってると思いますよ?」ということでもあるんですよ。


こういう問題って、突き詰めれば突き詰める程色々と相いれないところが出てきてしまう話であって、基本的には「突き詰めても誰も幸せにならない」案件になることが多い気がしているんですよ。

結局みんな「極端な仮想敵」を設定して議論するけれど、その議論には一体どれだけの意味があるのかな、と。その極端な仮想敵は議論が届くところには存在しないし、流れ弾がばしばし極端じゃない人たちにあたりまくるだけなんですよね。

私としては、育児世帯にしても非育児世帯にしても、極論がバンバン飛び交って、普通に頑張っている子育て世帯のハードルだけがむやみやたらに上がりまくったり、普段から寛容にしてくださっている非子育て世帯の方々が無意味に責められたような気になるのは誰も幸せにならないし、出来たら避けた方がいいんじゃないかなあと思うんです。特に、ネットだと極論ばっかりがむやみに可視化されやすいんで。


端的に言うと、育児関係であんま極端な仮想敵設定するのやめませんか、と。皆結構頑張ってるし、我慢してくれてますよ、と。


勿論、個別に見れば、各論として解決しなくてはいけない問題も色々あるとは思うんですが。こと育児とか子どもの迷惑という話については、総体的には「結局日和った意見が最適解」というケースは結構多いと思いますし、育児日和見主義者として、今後とも日和った意見を積極的に発信していきたいと思う次第なのです。


今日書きたいことはそれくらいです。


posted by しんざき at 17:25 | Comment(2) | 子育て・子どもたち観察 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

【演奏告知】2/18にビルボードライブ東京で15分だけ演奏します 18/01/29

「Los garapagos」で演奏します。


日時:2/18(日) 17:00 〜 15分程度
場所:六本木ミッドタウン ビルボードライブ東京
地図はこちら


当日、このチラシを印刷してもっていけば無料で入れるらしいです。
ただし何か飲む時にドリンク代は発生するのでご注意ください。

ミッドタウンで働いているオフィスの人がメインとなっているライブなのですが、ガラパゴスのメンバーからのお誘いで参加することになりました。何か間違ってトリになっていますが、基本いつもの感じで、フォルクローレを3曲程演奏します。

というか、他のバンドの演奏予定曲がロックとかポップスとか基本バンドミュージックなのに、うちだけフォルクローレなのがかなりの場違い感。大丈夫なんでしょうか。まあいいか。

演奏するのは3曲くらいですが、よかったら聴きにきてみてください。

posted by しんざき at 12:23 | Comment(0) | フォルクローレ・ケーナ・演奏関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

今日のしんざきがラジオに出てきました ・あと土日のしんざき 18/01/28

出てました。


こちらの19:25くらいから聞けます。なんかバーチャルyoutuberについてとか適当に話してますので興味がある方はどうぞ。

いや、大体番組の企画って基本的な方向性とかシナリオは決まってるものだと思ってたんですが、今回はびっくりするくらい台本とか簡素で、質問項目も「大体こんなこと聞くよ」くらいだったので、かなり好きなこと喋れるなーという感じで楽しそうだったので出演させていただきました。そこまで長時間ではなかったので、喋れたこともしゃべれなかったこともありますが楽しかったです。

当日は、19時ちょっと前くらいにTOKYO FMに伺いまして、担当の方から軽く概要を伺ってから、スタジオの前でドラクエライバルズやりながらお水いただいてました。フロア全体にラジオの放送が流れてて新鮮。

実は、勤めていた会社で「見えラジ」のサービスを提供していた関係で、FM東京さん自体には何回か来たことあるんですよね。流石にラジオに出演するのは初めてですが。

話したこと自体は大したことではなく、バーチャルyoutuberとは何なのかとかバーチャルyoutuberが流行った経緯みたいなことをお話してました。AmiYamatoの話とか。アニメ娘エイレーンの話とかもちょっとしたかったんだけどする隙がなかった。バーチャルyoutuberの直系の祖先は、ちゆ12歳っていうよりは初音ミクとかニコマスとかのニコニコ文化だと思うんですよね。

ただ、全体的には当初考えていたよりもかなり真面目なテーマだったので、この話題はちょっとコア過ぎるかな、という内容については若干オミットせざるを得ませんでした。聞きたい人はしんざきに直接聞いてください。

古賀さん、小田嶋さんご両名には色々とフォローしていただき、誠にありがとうございました。


以下は土曜のしんざき。


・土曜は児童館〜練習の日でした

次女(6歳)がちょっとずつピアノの腕を上げていまして、奥様いわく「左手と右手を別々に動かすという壁を越えた」らしいです。すごい。「すごいなー、ちびっ子ピアニストだなー」と褒めてみたら、何が気に入らなかったのか「ちがうの!ただちょっとピアノがうまいだけの小さな女の子なの!」と、謙虚なんだか全然謙虚じゃないんだかよくわからない反論をされました。なんでしょう、ちびっ子部分がいけなかったんでしょうか。

一方の長女(6歳)は、最近自分で塗り絵の枠線を引くという遊びを始めました。塗り絵を作って次女に塗らせるという遊びがブームであるらしく、紙をたくさん要求されます。小学校に行っても習い事のアトリエは続けたい模様。楽しいことを自分で見つけるのは良いことだと思います。

で、午前中、奥様と長男が二人で京急の電車旅に行ったので、私は長女次女と児童館めぐり。幼児遊戯室ではさすがに最年長の部類なので、ぼちぼち小学生も遊ぶ遊戯室の方に遷移していくかなーという感じです。

午後〜夕方は某本番の練習。こちらはまた別途告知するかと思います。


一旦それくらいです。





続きを読む
posted by しんざき at 07:46 | Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月24日

ドラゴンクエストライバルズの現在の進捗・あと氷ゼシカ始めました 18/01/24

そういえば書くのを忘れていたんですが、10日くらい前、今シーズンもレジェンドには上がってました。一応これで3シーズン連続レジェンドです。

あ、DQライバルズは、今月もとりあえずレジェンドにはしました

最近奇数ミネアに若干飽きてきたので、上がった時はミッドレンジっぽいランプピサロ、みたいなデッキを使ってました。

で、その後は イース8で忙しくなってしまったので、闘技場をメインにぼちぼちランクも遊ぶという感じだったんですが、こちらの記事で拝見した氷塊ゼシカが面白そうだなーと思いまして。


色々いじくってみて、今はこんな感じで遊んでみています。

ブログ用

基本的には、序盤は低コスユニットで凌ぎ、中盤可能であれば氷シナジーとうごくせきぞうで盤面を取返し、8〜9ターンくらいでメラゾーマを絡めたフィニッシュを狙う、という動き方になります。

なんといってもパズズが強いです。氷ありで敵ユニットロックの仕事ができれば言うことないんですが、素出しでも6/6狙い撃ちという十分なハイスペックなので、あと一歩の体力を詰める時に大活躍してくれます。

キラーパンサーやももんじゃなど、相手ユニット数が多いことで能力を発揮する連中を使うのもなかなかテクニカルで面白く。しばらくはこれ使って遊んでみようかなーと思っている次第です。

ところで来月下旬には新カードが出始めるそうで、公式ツイッターで情報が出始めてました。ドラクエ5から花嫁3人が参戦するみたいですね。

見た感じフローラがかなり強そうだなーと思ったのですが、まあこれからまだ他のカードの情報も出るだろうし、他カードとの兼ね合い次第かなーと。追加情報を楽しみにしております。

一旦それくらいです。



posted by しんざき at 18:48 | Comment(2) | レトロでもないゲーム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月23日

「ゲスな報道は読者の需要があるから」と嘯くマスコミの欺瞞

まず先に前提として書いておくと、私は基本、有名人の不倫や浮気というものに一切興味が湧きません。

浮気だ不倫だというのは極めて個人的な問題であって、個人レベルではごく単純に「不倫はいかんやろ」とは思うものの、その内情がマスコミによって暴き立てられることに必然性は全くないものと考えています。

これが、人格や人間性が選挙の際判断材料とされる政治家であればまだしも、タレントやら芸能人やらの不倫報道については、単にゲスだなーとしか感じません。そういう人、案外多いんじゃないでしょうか。


正直結婚や恋愛、出産のようなめでたい話であっても、それが個人的なものである限りは興味が湧きませんし、そういう報道がなくなっても全く何の問題もないと思ってはいます。誰が恋愛して、誰が結婚して、誰が浮気して、誰が不倫したとしても、それはその当事者の問題であって外野が騒ぐことじゃないんじゃないの、と思います。

ただ、これについては飽くまで個人的な所感なので、そういうものを知りたがる人もいることを理解はしておりますし、それが悪いという訳ではありません。好奇心の方向性は人それぞれです。


上記のような事情がまずある為、今回何やら有名な人の不倫が問題になったらしいことも、文春が騒ぎになっているらしいということも、個別の話としてはよく分かりません。ゲスだなーと思うだけです。


ただ、これに伴って、「こういうゲスな報道が行われるのは、結局それを知りたがる視聴者がいるから」という論法をメディア側の人が使うのは、それはおかしいだろうと思います。


何故かというと、そういう「ゲスな内情を知りたがる視聴者」を育てているのはまさにメディアであって、その論法はいわば「育成責任」を完全に放擲していると考えるからです。



久田氏はTABLOの編集長ですね。いや、この件に関して同じような発言をされているのは久田氏だけではないので、久田氏個人がどうこうという話ではないのですが。

ただ、ここでいう、「不倫報道がなくならないのは読む側の需要があるから」という形で読者側に責任転嫁されることについては、私は強い違和感を感じます。

いやだって、そういう需要を、そういう記事を読みたがる読者を育てているのはあなた方じゃないですか、と。


例えば、マスコミの議題設定効果については、過去色んな議論がありました。個人的には竹下俊郎氏の「メディアの議題設定機能」をお勧めしますが、例えばこの辺の記事には議題設定効果についての話がサマリーされています。

マスコミの持つ『議題設定(agenda-setting)』の効果とは、マスメディアがある特定の話題・争点・関心事を“議題(アジェンダ)”として取り上げて繰り返し伝えたり強調したりすることによって、大衆(人々)がその特定の話題・争点に興味を持つようになったり、重要性(優先度の高さ)を認識したりするようになる効果のことである。

画一的な情報を一方的に大量伝達して、大衆(人々)に『公共的意味合いのある共通の情報・知識・話題』を提供することがマスメディアの役割の一つとされる。だが、この議題設定効果によって、マスメディアが積極的に繰り返し伝えるニュースには人々は興味を持って議論しやすくなるが、マスメディアがほとんど取り上げないニュースは、人々から『初めから存在しないニュース』であるかのような無関心な扱いを受けるリスクが高くなってしまうのである。

経済学的な需給関係と違って、「興味」は育ちます。メディアが繰り返し繰り返し、高いニュースバリューを伴って報道を行うことによって、その話題に興味を持つ人は増える。その話題のニュースバリューが上がり、その話題がより受けるようになる。

単に「事実を伝える」だけであれば、「〇〇と××が不倫していた」だけでも、「△△で□□氏が殺人被害にあった」だけで十分なわけじゃないですか?それに対して、色々ゴテゴテと、あの手この手で周辺事情を書きたてることによって、より視聴者の見方をセンセーショナルな方向に誘導する。不倫報道があると、反射的に「あれはどうなってるのか」「これはどうなってるのか」と興味を発展させるような視聴者が必ずいるし、そのフックはまさにメディア自身が作っているわけです。

それ、まさにあなた方が「読者を育てて」いるじゃないですか、と私は思うんです。


不倫報道がゲスだという認識が本当にあるのであれば、その扱いを小さくしていけばいい。ただ「知る権利」を満たすだけであれば、事実を単純に報道するだけでもそれは十分果たされます。その単純な事実を知った読者が勝手に盛り上がるなら、それは確かに読者の勝手でしょう。

それをガンガンメディア側が、センセーショナルな方向に盛り上げるのは、要はそういう需要を保持したい、更に煽りたいからじゃありませんか。

なのに、一体どの口で「需要がなければ報道はされない」なんて言えるんでしょうか。




興味の方向性という話からは若干ずれますが、マスコミが「読者を育てる」「読者のリテラシーに影響を与える」機能を持っているという話は、マスコミ側の論者も自分でそう言っています。


例えば朝日は、明治大学の斎藤氏にこういうことを書かせています。

そして、朝日新聞の「ひと欄」のように、人物を取り上げたようなコラムは社会的に意味のある生き方を教えることができますし、子どもたちは自分の将来について具体的かつ主体的に考えるようになります。また、「声」のような読者投稿欄では、ひとつのテーマについて複数の意見が寄せられます。そうした記事を読むことで、複数の意見を受け入れる許容力や、複眼的な思考力が身につきます。

 情報は常に変化していて、正しいと思っていたことがそうでなくなることもある、ということも、新聞を読み続けていれば理解できるはずです。情報はうのみにせず、ある種の「揺らぎ」を持ちながら是正していくことを、自然と学ぶことができると思います。


また、例えば日本新聞協会が運営している日本のNIEなんかでは、「教育に新聞を」って高らかに謳ってるんですよ。


NIE(Newspaper in Education=「エヌ・アイ・イー」と読みます)は、学校などで新聞を教材として活用することです。1930年代にアメリカで始まり、日本では85年、静岡で開かれた新聞大会で提唱されました。その後、教育界と新聞界が協力し、社会性豊かな青少年の育成や活字文化と民主主義社会の発展などを目的に掲げて、全国で展開しています。


報道が読者を育てる、教育する、ということは、報道の中の人ですら主張している。

報道教育、結構なことです。リテラシー教育、大事です。

ただ、教育するならするで、教育の中身にはきちんと責任をもって欲しい。


百歩譲っても、「ゲスな記事を読みたがる読者」と「ゲスな記事を作り続けるマスコミ」は連帯責任、ないし並列責任であって、一方が「こちらに責任はない」「読者が知りたがってるから報道をしているだけだ」というのは絶対におかしい。

マスコミ側の人間が、「ゲスな報道は読者の需要のせい」と言っているのであれば、それは欺瞞以外の何者でもない、と考える次第なのです。


今日書きたいことはそれくらいです。


posted by しんざき at 08:22 | Comment(8) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月21日

「〇〇するものこの指とまれ」に続きがあるということを最近まで知らなかった

いや、本当に全っ然大したことじゃないんですが。

最近は、流石に長男(10歳)と公園でがっつり遊ぶ機会というものは減ってきまして、その代わり長女次女(6歳)とは相変わらず公園づいています。近隣の児童館ははるか昔に制覇しまして、最近は結構遠征も重ねています。

で、やはり双子というものは普段からコミュニケーションに慣れているのか、基本全く物怖じしないので、知らない子とどんどん遊び始めて遊びの輪を広げていきます。

で、先日はなんか、最初は長女次女と私だけで遊んでいたんですが、後からどんどん人数が増えて、いつの間にか二けたくらいの子どもと取っ組み合うことになって大変に疲れました。死ぬかと思った。

で、その時に知ったことなんですが。

私が知っている、「〇〇するものこの指とーまれ!」って、基本言い切り型のテキストで、このシンプルな呼びかけで完結してたんですよ。

ただ、長男や、長女次女が使う「この指とーまれ!」テキストには続きがあるんです。

「〇〇するものこの指とーまれ」

「はーやくしないときっちゃうぞ」

「きっ、きっ、きっちゃうぞ」

「後から後から入ーれない」

「指切った」

どうもここまでがワンセットらしいんですね。後ろから二番目の行にはバリエーションがありまして、「後から後から入ーれる」という文言になることもあるんですが。

つまり、「締め切りがあるから皆早く参加しろ」という呼びかけをだんだん追加で行っていく、という形式になっているわけです。後から参加も可、というタイプと、後から参加は不可、というタイプがあるのが興味深い。

一種の煽りですよね。ギャラリーをあおって「参加しないと!」と思わせるテクニック。なかなか馬鹿になりません。

これはおそらく地方によって形式が違うのでは?と思ったので、ちょっと周囲にヒアリングしてみました。周囲といっても、長女次女が一緒に遊ばせて頂いているだけの、もともとは何の面識もない親御さんたちです。

飽くまで観測範囲10人程度の話ですが、

「この指とまれ」で言い切り方:3名、関西地方2名、東海地方1名

「はーやくしないと指切るぞ」から「10,9,8...」とカウントダウンをする型:2名、二人とも関東

「き、き、きっちゃうぞ」からバリエーションがある型:4名、関東二人、東北一人

「早くしないと電池が切れるー」というフレーズがある型:1名、九州

という結果が出ました。本格的にやるならもうちょっと広範囲にアンケートをとらないといけないのは当然ですが、ちょっと聞いただけでも驚く程バリエーションが多かったので、これは実は相当話が深そうです。


またもうちょっと調査をしたら結果を書いてみようかと。よろしくお願いします。

まあなんにせよ、子どもと遊ぶのは色々発見が多くて大変面白いです。引き続き積極的に子どもたちと遊んでいきたいと思った次第です。

今日書きたいことはそれくらいです。



posted by しんざき at 23:38 | Comment(2) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月18日

昔ファミリーベーシックってものがあったんだよ

あったんですよ。



皆さんやってましたか?覚えてますか?ファミリーベーシック。

ベーマガの特選プログラムのコーナーとか、Dr.Dの投稿プログラム添削とか、懐かしいですよね。

「君だけのゲームが作れる!!」「君のゲームでマリオが動く!!」っていう言葉が最大の売りだった、ゲームプログラミングツール。1984年という、ファミコンの歴史からするとド初期に叩き込まれた、曲りなりにも開発プラットフォーム。

しんざきは、兄の門前の小僧で、このファミリーベーシックを遊んでいました。

しんざきと兄は5歳違いでして、当時兄は既に小学校高学年でした。一方私は幼稚園からようやく小学校に上がる頃。

それでも、「任天堂のファミリーベーシック入門」とか、「ぼくらのファミコン入門」とか見ながら、何時間もかけて参考プログラムをぽちぽち打ち込んで、散々エラーで怒られて、ついにRUNさせたらコントローラーでマリオが左から右に動いたりしたんですよ。


いや、これ、笑うところじゃありませんよ。

「自分が打ち込んだプログラムで、画面上のマリオがコントローラー操作に基づいて動いた」

んです。

当時、本当にこれだけでもドすげえ感動しましたし、たとえプログラミング入力に数時間かけて遊ぶのは10秒、という状況だったとしても、あれは間違いなく、私にとっては「ゲーム開発」以外の何者でもなかったんです。

そこから、何だかんだで、私数年はファミリーベーシック続けてました。

勿論そんな大したゲームが作れたわけではないです。プレイヤーに数字を入力させて、ランダムな数字を当てさせる数字当てゲームとか、サンプルプログラムをちょっといじってパラメーターを変えただけのゲームとか、精々そんなもんです。

ただ、今私が一応システム関係の仕事をしていて、最近はあんまりですけどなんだかんだコードも書いてたのも、根っこには間違いなくあの「ファミリーベーシック」があったと思うんですよね。

我々は、ファミリーベーシックで変数定義を学んだ。

関数を学んだ。

ルーチンを学んだ。

アルゴリズムを学んだ。

DEF MOVEを、IF THENを、行番号とGO TO を、CGSETを学んだ。エラー処理を、デバッグを学んだ。

たとえそれが、どんなに切れ端の知識であって、時にはファミリーベーシック以外ではなんの応用も出来ない知識だったとしても、あれって「何かの始まり」ではあったと思うんです。


ファミリーベーシックって、結局どれくらい普及したんでしょう?wikipediaの記載では40万台は売れたってことですけど、これがV3やらバージョン違いも全部合わせた数字なのか、国内だけなのか世界なのか、その辺はよく分かりません。

ただ、勿論、当時ファミリーベーシックを買った子どもたちが、皆が皆ゲームを作れたか、っていうと恐らく全然そんなことはないんです。

「ゲームプログラムモード」がハードル高いものだということは、任天堂も最初から分かっていたんでしょう。だから、大本のファミリーベーシックは、カリキュレーターモードとか占いとか、プログラムモード以外の遊びを入れざるを得なかった。ゲームプログラム以外の最低限の遊びも含めざるを得なかった。多分、「占いやミュージックモードをちょっと遊んで終わり」くらいの子どももたくさんいたんじゃないでしょうか?

ただ、ファミリーベーシックで任天堂がユーザーに言いたかったメッセージって、間違いなく

「作れ!!作ると面白いぞ!!!」

だったと思うんですよ。そこは、多分そこだけは間違いない。

あの時、実際に「作った」ファミっ子がどれだけいたのか。それは勿論想像するしかありませんが、少なくともそのメッセージが届いた子どもたちが、私を含めて複数人いたことは間違いない。そして、そういう子どもたちの中には実際、「作ると面白いぞ」という言葉を実感し、最終的には作る側に回った子どももいたんです。ゲームでこそないものの、私もその端くれです。

作るの面白いよ、というメッセージ。勿論、他にも多くのメーカーが発し続けてきたメッセージではありますけれど、任天堂にとっても、そのメッセージって多分特別言いたいことであり続けているんだろうなーと思ってたんですよ。マリオペイントしかり。miiスタジオしかり。最近でも、マリオメーカーなんてその代表例でしたよね。

で、NINTENDO Laboを見たんです。



姿も違うし、出来ることも、出来る範囲も、実際にやることもぜーーんぜん違うけれど。

これはもしかすると、時代を越えてもう一度「作れ!!!!」ということをユーザーたちに叫んでいる、ファミリーベーシックの再来なんじゃないかなーと。

かつてのファミリーベーシックと同じように、ハードルの高さを感じる人も、買ったはいいけどすぐ押し入れにしまっちゃう人もたくさんいるだろうけど。

その中で、多少の人数には「作れ」というメッセージがダイレクトに届いて、数十年後に全然違ったフィールドで何かを作るようになる子どももいるのかも知れないなー、と。

そんな風に思ったんです。




posted by しんざき at 13:12 | Comment(4) | 雑文 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月16日

しんざき家に電子ピアノがきました 18/01/16

きました。

うちにきた電子ピアノ

しんざき家には6歳の女児双子がおりまして、4月には小学生になります。いやー、早いもんですね。

で、この二人、性格も違えば趣味嗜好もだいぶ違っておりまして、芸術的な話で言うと、長女は絵、次女は音楽にだいぶ嗜好が寄っているような気がします。

その為なのか、次女は以前からピアノを喜んで弾いており、練習もだいぶ熱心です。しばらくの間はおもちゃの電子ピアノで練習していたんですが、どうせ奥様も使うし、ということで本格的な電子ピアノが導入されました。結構でかいです。写真は、喜んで「10人のインディアン」を練習している次女。

一方の長女はというと。ピアノが嫌いなわけではないようなのですが、どうも「人前で演奏するのが恥ずかしくて嫌だ」という、極めて恥ずかしがり屋の精神の持ち主であるらしく、あまりピアノをやりたがりません。一方、お絵かきについては大好きであるようで、幼稚園が終わった後の「アトリエ」というお絵かき教室を、今後も続けたいと大主張しています。

まあ、それぞれやりたいことがあるのはいいことなので、出来るだけ好きなことを続けさせてあげたいと思っています。その内次女とゲーム音楽合奏でも出来るといいなあと思っている次第。

一方長男は、学校の成績なんか見ているとどうも音楽は得意そうなのですが、自宅では全くピアノに近寄りません。折角だから使ってみてもいいのになーと思うんですけどね。

一方の私はというと、「どれがドなのかよくわからん」という程度にピアノの習熟度が皆無です。

そういえば先日初めて人前でピアノを弾きまして、私音は覚えてるんだけどどの鍵盤がどれなのか分からないのでこんな感じで次女のおもちゃピアノ設置して見比べながら弾きました

音は覚えているので、こうやって、次女が以前使っていたおもちゃのピアノと見比べながらピアノを弾く次第。次女に「よくひけてるねーー!」と上から褒められました。ありがとうございます。

しかしあれですねーー、電子ピアノって超便利ですね。ヘッドフォン繋げるんで、夜でも周囲を気にせず一人で練習できる。ケーナもヘッドフォン繋げたら自分にしか音が聴こえないようにならないかな。

調べてみるとUSBで音を出力したり、PCに繋ぐことも出来るようなので、その内私の方の活動でも何かに使えるかなーと思っている次第。引き続き色々やっていきたいと思います。

一旦それくらいです。
posted by しんざき at 12:24 | Comment(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月15日

図書館くらい「安心して孤立出来る場所」にしておいてあげて欲しいなあ、と思った話

こんな記事を読みました。


生徒のなかには、学校や家庭で居場所がないと感じている子どもたちがいます。また、卒業後に学校や就職先といった「所属」を失ったまま孤立し、支援につながれなくなる子どもたちも。

”孤立”は、引きこもりにつながったり、ネットに居場所を求め犯罪に巻き込まれたり、と様々なリスクと隣り合わせでもあります。

カフェが掲げるのは、生徒たちへの「予防型支援」。

孤立している、もしくは卒業後に孤立する恐れのある高校生たちに居場所を作ることで、彼らに起こりうる困難を予防すること。これが、ぴっかりカフェの目的です。

これを読んだ時の第一感は、「図書室くらい「安心して孤立出来る」場所にしておいてあげて欲しいなあ」でした。

いや、この試み自体は別にいいと思うんですよ。週一みたいですし、実際にこういう空間があることで救われている生徒もいれば、対人関係が改善された子も、居場所が出来て喜んでいる子も恐らくいるのでしょう。それは良いことだと思うんです。

ただ、これを見て全国の図書館、全国の図書室がどんどんこういう試みを始めて、活動の期間も広がっていって、みたいな展開には、出来れば慎重であって頂きたいなあ、と。

何故かというと、「教室に居場所がない子」に必要なのは、むしろ「誰ともコミュニケーションを取らないで済む空間」ではないかなー、と思うからです。

コーンポタージュとトルコのおやつだってー!!!!いえーい!!!

ハイテンションで飛び込んできた男子生徒は、ぴっかりカフェ常連の高校1年生。そのあとも続々と生徒がやってきて、ソファや椅子はあっというまに満席に!高校生たちの笑いさざめく声であふれ、図書館とは思えないほどのにぎやかさです。
いや、当然のことながら、こういうノリが嫌いというか、根本的に苦手な子もいる訳じゃないですか。中には、普段教室にいる時の「コミュニケーションをとらなくてはいけない」という、言ってみればコミュニケーション圧力に疲れ果てて、一人でじっと本を読んでいても誰にも文句を言われない、静かな図書館を心の救いにしている子も勿論いると思うんですよね。

「学校にいなくてはいけない」ということ自体が戦いであるような生徒の中には、図書館がむしろ、唯一平和に、安全に孤立出来る、シェルターのような場所だという子もいたと思うんですよ。

そういう唯一の「孤立出来る場所」が、陽性のふるまいも出来る子どもたちや大人にとっての社交的な空間になった時、そういう子がどう感じるか、というのは想像に難くありません。

というか、「いえーーーい!!」とか言いながらハイテンションで飛び込んでくることが「出来る」子は、その時点でそこそこコミュニケーション能力が高いような気がしないでもありません。少なくとも、陽性のコミュニケーションをとる資質は確実に持った子である、とは言えると思います。

一方、陽性のコミュニケーションが苦手な子に対して、無理やり「さあこういうコミュニケーションの場もあるんだよ!!」と陽の当たる場所に引っ張りだすのは、聊か乱暴な措置だと感じないでもありません。



ちょっと思ったんですが、「孤立」って言葉がちょっと無条件で悪役にされ過ぎなんじゃないかな、と。

勿論、心の内ではコミュニケーションに飢えていて、けれど友人関係や大人との関係が上手くいかなくって、結果的に孤立してしまっている子、というのもいると思うんですよ。それは否定しません。

ただ、そういうこととは何の関係もなく、ただ一人でいたい、コミュニケーションについて気にする必要がない時間が欲しい、一言で言えば放っておいて欲しい。そういう子も間違いなくいるんです。

「何も気にすることなく一人でいられる時間」というのも、心の成長には大事なものだと思うんですよね。もしかすると、そういう時間を得ようにも得られなくて、図書館を唯一の摂取源にしている子だっているのかも知れない。

前者の子に対するケアはそりゃ大事かも知れませんが、後者の子に対するケアはどうすればいいのかな、と。どちらかというとそれって、「適切に、安全に孤立出来る場所の提供」だと思うんですよ。で、図書館ってその為には結構絶好の空間なんじゃないいかなあと。

なんか、こういう話の時って「実際にはコミュニケーションに飢えているけれど結果的に孤立している子」にばかりスポットライトがいくような気がするんです。ただ、「そもそも学校でのコミュニケーションを望んでいない子」というのも世の中にはいるんじゃないかな、その子に無理やりコミュニケーションを取らせるのは正しいのかな、と思うんですよ。

そこから考えると、カフェはカフェで、図書館とはまた全然別の場所に作る方が、個人的にはしっくりきます。


繰り返しになりますが、冒頭リンクのような試みが悪いことだと言っている訳ではないんです。時間も限定されていますし、ここで書いたようなことなんて既に考慮されている可能性もあるでしょう。陽性のコミュニケーションが苦手な子に対する、記事からでは読み取れない工夫も色々とされているのかも知れません。例えば、実際にはにぎやかな場所と静かな場所が分離されていて、静かな場所は静かな場所としてちゃんと確保されている、みたいなこともあるのかも知れません。

ただ、この記事だけを読んで、「おっ、いい試みだな」と考え、単純にコピーする、図書館をどんどん「コミュニケ―ションの場」に変えていく。そういう動きをする時は、ちょっと立ち止まって考えて欲しいなあと。


一言で孤立っていっても、色んな孤立があるんじゃないでしょうか、と。

「安全に孤立出来る場所」は不要でしょうか、と。

新たなコミュニケーション空間が増えることによって、却って居場所を追われてしまう子もいるんじゃないでしょうか、と。

「コミュニケーションから離れたい」という欲求も勘案してあげてもいいんじゃないでしょうか、と。


その辺、ご検討いただけたらと思う次第です。


今日書きたいことはそれくらいです。
posted by しんざき at 08:03 | Comment(4) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
このエントリーをはてなブックマークに追加