2008年08月25日
「ごめんなさい」と「ありがとう」が素直に言える人であれば、大体の人間関係はうまくいく様な気がする
ので、うちの息子さんにはその様に伝えてあげられればなあ、と思った。
どうすれば伝わるか。どうすれば伝わるんだろう。
やはり、大前提として、親がお手本を示してあげることは絶対に必要なんだろう、と思う。世の中、自分が出来ていないことを子供にやらせようとして、出来なければ怒る、という親御さんがどういう訳か結構いる様な気がする。
自分が出来ることを教えよう。どんなものでも好き嫌いなく食べましょう、とは言うまい。世の中のどんな人にも優しくしましょう、とも言わないでおこう。でも、感謝は出し惜しみしたからといって価値が上がる様なもんじゃない、とは伝えてもいいだろう。悪いと思ったことを飲み込むより、素直な謝罪の形で排気した方が楽しいよ、ということも伝えてもいいだろう。
選びとるのが自分だとしても、伝えるところまでは、多分親の義務だと思う。
勿論標題は、大人から見た大人の基準だ。ある程度社会的制約というものが確立されてきた後の人間関係になら多分大体当てはまると思うけど、そんな理屈が通用しない子供同士の社会ではどうなのかよく分からない。というか、思い出せない。
子供の頃はそれなりに楽しく日々を送っていたと思うけれど、友達との関係をどういう風に捉えていたのか、ということは良く分からない。あまり深く考えたことも無かった様な気がするし、深く考えなかったからまあまあ切り抜けてこれたのかなあ、とも思う。
単純な価値観一つで渡っていける程、子供同士の人間関係は楽なもんじゃない、ということも、多分、分かっている。子供には子供のしんどさがある、と思う。大人のしんどさとはまた違った、でも同じくらいのしんどさがあるんだろうと思う。
どんなしんどさでも、気長に構えていれば大して苦しい思いをしなくて済む。その気長さを伝えることが出来れば一番いいんだろうけれど、さて、どんなもんだろうか。
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個人的にはこのほうがよっぽど大事。道徳的に。
あまり幼いうち(年齢ではなく)からの「ごめんなさい」と「ありがとう」はただの道具。
子供同士って、そういった言葉は乏しく、言葉ではない代替品がそれぞれの集団内や
個人レベルでリアルタイムに生成されていく。もちろん性能低い。めちゃ低い。
というかたいがい間違ってる。いきなり手を出すな。
それでも、それらを自分で整理して意識して使えるようになると、
汎用品を正しく使えるようになるんじゃないかと。
汎用品の便利さが最初に立ってはまずい。
「ありがとう」や「ごめんなさい」という言葉じゃなくて、そういった言葉を素直に使えるメンタリティが身につくといいなあ、と思っているんですが、無理でしょうかね?