選択肢を与えるのが「教育」で、選択肢を奪うのが「支配」だと思っています。
子どもが約束を破ったので子どものゲーム機を壊して云々、みたいな話を観測しました。
まず大前提として、教育方針は家庭それぞれであって、ほんの一部分しか知らない外野が一概に否定の言葉を投げつけるのはよろしくないと思います。子どもはそれぞれであって、親もそれぞれです。家庭の事情は家庭の数だけあります。
なので、件の家庭内方針について意見をいう気はありません。ただ、子どもにゲームをやらせているという意味では、時間を区切ってスプラトゥーンを遊んでいるしんざき家でもタイムリーな話であって、うちならどうするかなーということでちょっと考えてみました。
なので、以下の話は「飽くまでしんざき家の子どもたちに対する話」であって、一般化する意図は全くない、ということをご承知おきください。
で。私は、「選択肢を広げるのが教育」だと思っています。
子どもに、自ら選択出来るキャパシティを広げてあげる。自分の意志で何かを選び取った、という経験をさせてあげる。そういう経験こそが教育であって、そういう教育が将来、自分で色んなことを選び取ることが出来る大人を育てるんじゃないかなあ、と、少なくとも私は思います。
そう考えると、親が「何かの選択肢を潰す」というのは、これは多分あまりよろしくない。「子どもが、ある方向に向かわざるを得なくする」というのは、それは多分支配であって、教育ではない。親に支配された時、子どもが将来何かを選び取ることが出来る大人になれるのかどうか、私にはいまいち分からないのです。
だから、たとえ大人がどちらかに誘導するにしても、少なくとも子どもの体験としては「自分で納得してこちらを選んだ」という方を選びたいのです。少なくともしんざき家はそうです。
「楽しいことを自分から我慢して、他の大事なこともする」というのと、「楽しいことを無理やり我慢させられて、他の大事なこともする」だったら、多分前者がいい。そういう風に出来る子に育てるにはどうすればいいかを親は考えないといけないなあ、と思うわけなんです。
「子どもを叱らない、全て子どもの好きなようにさせる」という意味じゃありませんよ。
例えば、楽しいこともいいけれど、こっちのことももっと楽しいことにつながっているんだよ、と言葉を尽くして説明する、とか。
例えば、TPOというものの重要性を言い聞かせるとか。
そういう、子どもにとっては耳障りがよくない言葉でも、ちゃんと聞いてくれる関係性は、例えば子どもの話をきちんと聞くことで構築できるんじゃないかなー、とか。最後に自分から納得して選び取るという判断は、きちんと待ってあげることで身に着けることが出来るんじゃないかなー、とか。
そういうことを、日々考えて実行しています。
勿論、これはしんざき家での話であって、例えば「何かを我慢する」ということがどうしても出来ない子っていますし、そういう場合にはある程度強制することが、結果的に「選択肢を広げる」つまり教育になることだってあるでしょう。
大事なのは、「これは教育なのか、支配になってはいないか」ということを、親がよく考えて実行に移すことなんじゃないかなー、と、そう思うわけです。
あとまあ、単純に私は「物を大事にして欲しい」と思うし、物を大事にしていないところを子どもに見せたくはないので、私なら子どもの物を壊したりはしないと思いますが。結局、子どもって親がすることを見て育つので、親が本好きだったら本好きに育つし、親が物を大事にしてたら大事にする、と思うんですよね。
何はともあれ、しんざき家では子どもにゲームもさせるし漫画も読ませるし、けどちゃんとメリハリはついて納得の元切り替えが出来るように伝えるし、ロマンシアは絶対に自分の手だけで攻略させようと思っています、といったらロマンシアを子どもに与えるのは虐待ではないかという指摘がありました。そうですね。けどノーヒントドルアーガも大概だと思います。
今日書きたいことはそれくらいです。



物を大事にするって大原則は何よりもまず大切ですよね。