2019年09月30日
ダライアス外伝の「SELF」は何故最高なのか、あるいは「体験」はお勧めし切れないという話
2019年09月24日
ポエムって言葉が「かっこいいこと言いたいだけで中身も具体性もない文章」を揶揄する単語として定着しちゃったのが悲しい
ただ、一応詩文好きの端くれとしては、ポエムって言葉が便利な罵倒語として使われるの、悲しいなあ、と。
竹光る地面に竹が生え、
青竹が生え、
地下には竹の根が生え、
根がしだいにほそらみ、
根の先より繊毛が生え、
かすかにけぶる繊毛が生え、
かすかにふるえ。かたき地面に竹が生え、
地上にするどく竹が生え、
まつしぐらに竹が生え、
凍れる節節りんりんと、
青空のもとに竹が生え、
竹、竹、竹が生え。
それだけの話なわけです。
今日書きたいことはこれくらいです。
2019年09月05日
何年も塾講師をやっていて、「作者の気持ちを答えなさい」という問題を観測したことがない
・けれど、例えば小説や物語など、作者自身の人格が関わらない問題で「作者の気持ちを答えよ」みたいな問題は観測したことがない
いや、エッセイや随筆、評論ならそれに近い問題あり得ると思いますよ?あれは、作者が自分の経験を元に自分の思考を書いている文章なんですから、そこで作者の考えが問題になり得るのは当然です。場合によっては、作者の感情とか意図というものが問われることもあるかも知れません。それはまあ、別におかしいことではありません。それにしたって、「作者の気持ち」という問われ方はあんまりしないと思いますけど。
ですので、「作者の気持ちを答えなさい」的な問題、もし存在するにしてもまあ結構なレアケースなんだろうなーとは思うんですが、webを見ているとまあ結構な頻度で「こんなクソ問題が!!」的な話題が持ち上がるし、やたら共感を集めているんですよね。あれ、俺の観測範囲ってそんなにズレてたのかな、みたいな。
国語のクソ問題は頻繁に流布されるのに、算数や理科や社会のクソ問題は頻度が低いような気がしています。いや、算数で言うと例えば「足し算や掛け算の順序ガー」とか「さくらんぼ計算ガー」みたいな、採点基準や解き方の方にまつわる話はちょくちょく見ますけど、「問題自体がクソ」ってあんまりみないんですよね。これ、「算数や社会や理科は、クソ問題を作るにも「クソ問題」と認定するにもある程度知識が必要とされるから、国語がお手軽なターゲットになってしまっている」みたいな状況なんじゃないかと邪推しちゃうんですけど。
一つ思うのは、恐らく学校の授業や教科書レベルで観る、「この時作者はどんな気持ちだったでしょう」みたいな、答えを必要としない一種の思考練習みたいなものが、「実際に試験に出されていたら」的な発想がどっかにあるんじゃないかなーと。当たり前ですが、授業と試験は別なんで、明確な答えを出す必要がない授業であれば、「作者の気持ち」を考えさせる内容ってあり得るんですよ。そこから発想された「クソ問題」ネタが毎回出る度に受けるんで、一種の定番の流れみたいになっちゃってるんじゃないかなーというような印象があります。
個人的には、学校の先生がすごーーく頑張ってるのって良く知ってますし、学校教育、あるいは教師の質を貶めるようなお話はあんまりよい気分にならない為、疑わしい話はあまり広まらないで欲しいなーとか思います。
2019年09月03日
我々は何故、キン肉マンの台詞に出てくる謎のカタカナ文字列を「笑い声」と判断出来るのか
2019年08月28日
昔のネットの友人たちよ、俺の声は届いているか
みんな生きているか?まだゲームやってるか?
俺はまだ、諦め悪くネットにいる。webにいる。思い出したようにくだらないことを書き連ねては、誰に届くとも思わないで、適当にブログに放流するボタンをポチっと押している。そうすると、たまに物好きな人が見てくれる。ありがたいことだけど、時間を無駄にさせてないかなーと心配にもなる。
「ああ、考えてみるとあれって今生の別れだったんだな」って思う機会が、ぽつぽつあるようになった。会ってる時は1ミリだってそんなことは思わない、ただいつもの馬鹿話をいつものように消化しているだけだけど、気が付くと10年経ち20年経ち、いつの間にやら連絡手段すらなくなって、死んで数年経ってから「え、あいつ死んでたの!?」という程度の訃報が届く。
考えてみると、昔のネット友達なんて、ハンドルネームとICQのIDくらいしか知ってるものはなかったんだ。草の根BBSがなくなって、Teacupの掲示板がなくなって、IRCチャンネルがなくなって、ICQが叩かれなくなって。そしたら、昔は毎日の様に飲んでいた連中だって、いつの間にかすっぱり連絡手段はなくなっている。それで再会出来る方が不思議だし、訃報が届くのだって奇跡の一種かも知れない。
かといって、例えばTwitterやらFacebookやら、現役のSNSで繋がっていれば、その繋がりはいつまでも健在なのか?というと、それだって全然そんな訳はない。「会おうと思えばいつでも会えるから」という意識のまま、いつの間にやら数年経ってた、なんてよくある話だ。気が付かない内にログインしなくなった人だって、知らない内にIDが消えていた人だっている。大抵はそれっきりだ。
生きている、っていうのは、「いつかまた会える」という可能性に、一つ一つ墓を建てていくことでもあるのかも知れない。最近はそう思うようになった。
だから、会える機会、会える手段がまだある人には、なるべく会う機会を作っておきたいなーと。これも、最近はそう思うようになった。だから、ちょくちょく飲み会やら、アナログゲーム会やら開くようにしている。それだってそんなにしょっちゅう出来る訳じゃないけどな。向こうだって忙しいし、俺だって、まあそれなりには忙しい。そういうもんだ。
ただ、ほんっとーーーーにハンドルネームしか知らなかったあいつら、個人情報なんて一つも知らないけど何か一緒に集まって飲んでたあいつらに、今も再会出来るかっていうと、多分それは難しいんだ。
別に、今更再会したいって程大げさな話でもない。案外、再会したって、大して話すこともないかも知れない。あの頃の思い出話くらいはしたいけど、20年も経てば多少は記憶もさび付いてくる。
ただ、俺は、「今でもあいつらは元気にやっている」と思い込みたいんだ。ネットのどこかで、相変わらずゲームをやったり、馬鹿話をしたり、喧嘩をしたりしてるんだろうなーと、ただ思い込みたいだけなんだ。
誰に届くかも知れないくだらない文章を、ボトルメールのようにwebに流すのは、考えてみると俺の得意技だった。だから、これも特に何も考えず、誰に届くのかすら期待せずに、ただwebに放り投げる。
俺は元気でやっているぞ、と。
2019年08月22日
小学校でグループディスカッションを見て感心した話と、先生の負荷について
こんなまとめを読みました。
・グループごとに明確なタスクを持ったロールが設定されており、かつロールが持ち回り制になっていた。
・話し合わないでそれぞれの考えを消化する時間が作られていた。
・「スキップボタン」というものが作られ、各机に置かれていた
とはいえ、長男は既に中学年でしたし、先生はベテランでしたし、かつある程度時間に余裕もあったからできた工夫なんだろうなーとは思います。これを1コマだけでやらないといけないとしたらそれは流石に無理ゲーでしょうし、先生の負荷も相当なものだったでしょう。
・けれど、時間はある程度ちゃんととらないといけないし、先生の負荷も恐らく凄い
・かつ、低学年に無理やりやらせるのも多分うまくいかない
・授業形式のテンプレを作りつつ、ある程度学校側・先生側にやるやらないのトリガーを持たせてあげるとよいのでは
2019年08月11日
アンパンマンで暴力的に?とかいう記事を読んで思ったこと
2019年08月09日
それはもしかすると、「それ一つで食事として完結する物体」に対する憧れなのではないかなあ
しかしうまいから好き、よりさらになにか、私の根源に関わることが潜んでいるような気がするんだ。もしかしてと思ったことは、この食品はおんなじ味で安全に食べられる。大量生産できるから皆んなお腹が空いたら食べられる。という、そういうでかい話の安心だったのかなということ。私めっちゃいいやつ…本当に?なんかこう…上手いこと説明できる人いない?
主に以下のものが含まれる。炭水化物として晒米(水で晒した白米)
蕎麦粉
キビ粉
はったい粉
きな粉
葛粉
タンパク質、海洋性ミネラル、動物性ビタミン類、油脂成分として脂質及びタンパク質が豊富な穀物および豆類
鰹節およびにぼし粉などの魚粉(略)
これらにより味を整え、つなぎとする。材料としてニンジンも一部で使われていたが、実際にはトチバニンジン等が中心であり、デンシチニンジン、オタネニンジン類はあまり使われることはなかった。こうした配合のもとに材料を混合し、こねて小さい球状にまとめる。兵糧丸はカロリーの摂取に重きが置かれている。携行でき、非常食になることから、軍用レーションあるいはスナックバー (菓子類)、半生タイプのダイエットクッキーの原型と見ることもできる。
あと、もう一つ妙な話なんですけど、ゲームブックってあるじゃないですか。創元推理文庫とか社会思想社のヤツ。
つまり、私は増田を読んで、「それだけで食事として完結する物体」 がお好きなのではないかなあ、と推測した。そして、それが私と同じ感覚であるとすれば、 「冒険やサバイバルもので言うところの、「食料」」に対する憧れがその淵源なんではないかなあと考えた、という話なんです。
勿論全然見当違いである可能性もあります。その場合はすいません。
2019年08月07日
憎悪に飲み込まれない為に、多少アンテナを低くしてもいい
2019年08月01日
文章を書く人間にとって、基礎教養とは「防御力」である
2019年07月16日
子どもの危機回避能力の低下が本当に厳しいレベルなのかどうか、という話
shinzaki / しんざき
RT @iqsan630: 小学校勤務の妻の一言。「今の子どもの危機回避能力の低下は厳しいレベル。ブランコの順番待ちで早くやりたいからと接近。足やブランコが顔に当たり泣き出す。自分がやりたいことしか見えない。精神年齢が低いし、我慢させてこない家庭環境なんだろう」と。年々、精神年… at 07/15 22:18
・自分がやりたいことしか見えていないかどうか(≒精神年齢が低いかどうか)
・上記の原因が、我慢させていない家庭環境にあるかどうか


言うまでもないことですが、「子どもが事故に遭う確率」は子どもの注意力だけの話ではなく、ガードレールの有無であるとか、遊具の安全性であるとか、まあ周囲の環境要素によるところも大であることは容易に想定出来ますので、この統計だけを持って「子どもの注意力が上がっている」なんてことは間違っても言えません。実際、環境整備で事故が減っている側面はおそらくかなり強いでしょう。
「最近の子どもの危機回避能力が下がっている = 昔の子どもの危機回避能力は今より高かった」かというと、ちょっと自分や周囲を鑑みて、容易には首肯出来ない部分があります。個人的な話をすれば、危ない場所にめっちゃ立ち入ってましたし、危険な遊びもめっちゃしてましたし、毎月のように高いところから落っこちては怪我をしていました。何を思ったか公衆トイレの屋根に上って、そっから落っこちて頭を6針縫った傷跡は今でも触って確かめることが出来ますし、周囲もまあ似たようなものでした。
だからこそ、子どもの事故を減らすにはインフラ的な対処をしなくてはいけないのであって、色んな批判もありつつ、社会はそのように進んできているわけですよね。それはまず、事実として認識するべきだと思うんですよ。
危機回避能力の高さ/低さを精神年齢と紐づけて、更にその原因を家庭の教育に安易に帰するところもちょっと簡単に納得し難いところではありまして、そういう統計があるなら見てみたいなーと思います。自分の感覚としては、今の子めっちゃ大人びてるなーと感じることの方が多いんですけどね。まあ、これは周囲の環境にもよるのかも知れませんが。
個人的には、「最近の親の教育はうんぬんかんぬん」とハードルを上げる方向よりは、「子どもの事故は減っているけれど、今でもこういうことに注意」という話の方が有益だなーとは思いますし、今後とも親の子育てのハードルはガンガン下げていきたいと考える次第なのです。よろしくお願いします。
今日書きたいことはそれくらいです。
2019年07月06日
Seesaaは何故きょうび配偶者の有無だの子どもの有無だのを登録必須条件にしているのか
すいません、考察とかではなく、単純に疑問なんですが。
先日、Twitterのフォロワーさんが、「Seesaaでユーザー登録しようとしたんだけど、配偶者の有無やら子どもの有無やらが必須条件になっていて無理ってなった」とツイートされていました。
自分が登録した時にはそんなことを聞かれた記憶がなかったので、「え、マジか」と思いまして、ちょっと実際ユーザー登録画面を確認してみたんですが、

大マジでした。上記画面で言うと、青い!マークが入力必須のマークです。一応念のため、アメーバやFC2ブログ辺りの競合サービスも別途確認してみたんですが、当然というか、配偶者やら子どもの有無やらを聞く項目は存在しませんでした。
いやまあ、ユーザー登録時に何の情報を入力させるか、というのは勿論そのWebサービスの自由ではありまして、プライバシーポリシーが遵守される限り、「入力したくなければしなければ良い」という話ではあるのかも知れませんが、それにしても「配偶者の有無」「子どもの有無」というのは、今のご時世、かなりセンシティブな情報であるような気がします。実際、ここで「無理」と思う方は、個人情報意識がある程度高い方の中にはかなり多いのではないでしょうか。
というか、私seesaaやっていて、あまり属性マーケティングをされた記憶がないんですが、これ配偶者有無や子どもの有無を聞いてどんなマーケティングに使ってるんでしょうか…。いや、これについては、単に私がseesaaブログ以外のseesaaのサービスを殆ど利用しておらず、他サービスについてよく知らないからわかってないだけかも知れないんですが。
ただ、仮に配偶者有無や子どもの有無をマーケティングに利用するにしても、そんなもんは例えばブログの記事傾向のテキストマイニングやら、記事の閲覧傾向とかから推測出来そうな気もしますし、いちいち入力させんなよそんなもんと思わないでもないです。
個人的には、諸々のリスクや利用者側の意識の変遷を考えると、「個人情報は必要最低限しか持たない」方向に倒した方がどちらかというと賢いような気がしていますし、実際そちらに倒しているサービスも結構増えているように感じています。子ども有無や配偶者有無は勿論、職業・性別・居住地辺りも入力必須というのは、ブログサービスとしては相当「たくさんとっている」方であるように見えるんですが、seesaaさんはこれどういう意図なんですかね…?
ブログサービスはもう15年くらい使わせて頂いているんで、seesaaさんにはそれなりに愛着もありまして、今後のブログサービスも継続してもらいたいと思うところ大なので、この辺は慎重に検討しつつ進めて頂きたいなーと考える次第なのです。あとスマホでブログ見た時の広告減らすオプション実装してください有料でいいんで。
今日書きたいことはそれくらいです。
2019年06月25日
「らんま1/2」をハーレムもの漫画と捉えていいのかどうか問題
2019年06月20日
「実は生きていた展開」があんまり好きじゃないという話
2019年06月02日
「なぜ、ゲーム攻略サイトは激減したのか?」「お前らのせいです」
いくらライターが腕利きであっても、十分な広告収入を確保できず、原稿料を支払うための原資が得られなければ、攻略記事の仕事は当然なくなってしまう。しかも、攻略記事の需要自体はあるにもかかわらず、攻略サイトの運営によって広告収入を継続的に稼ぎ、収益化するための難易度が、ネット広告の構造上とても高い。近年の攻略サイトが激減した理由は、まさにここにあるのだ。
基本的なサイト運営として、企業運営のゲーム攻略サイトは、安価で大量のライターを雇い、書いた分量やPV数に応じて報酬を払うという形式を取っている。即ち、安価なライターを用いた人海戦術こそ、「企業型」最大の強みだ。ライターに支払われる報酬は、先述したとおり「分量orPV数」で基本的に決まるため、記事はとにかく「早く」「多く」という点のみ追求される。一方、GoogleのSEO(最適化)及び、クローラーの精度にはサイトの信頼性も当然含まれており、「空白」も「パクリ」も「誤謬」といった弊害はもちろん信頼性を下げる理由になるのだが、それを補って余りある質量によって、こうした問題を誤魔化している。
核心になってきますが、もはや、初めはフレームワークだけ作って、中身は調査中にして、その中身を「何らかの形で」埋めていくことを継続的にかつ組織的に実施しているということになります。「何らかの形で」というボカした表現をしていますが、そこにパクリや無断転載、裏のない情報などが紛れ込むことに対して、対策を取っているかということになると思います。そして、取っていないと、紛れ込んだ記事に対して指摘されているということになると思います。
GameWithが菱沼さんに説明した内容によると、マップ画像についてはトレースを認め、他の記事についてもヘイグを参照し作成していたことを認めたとのこと。中でも菱沼さんが悪質だと感じたのは記事作成の手順で、GameWith側の説明によれば、「まずはヘイグで記事を確認し、それを元にGameWithのライターが記事を作成 → 事実確認や検証は公開後に行う」という手順で作成していたそうです。つまり公開当初の段階では完全に「ヘイグの記事内容をリライトしただけ」であり、事実確認も検証もせずに攻略を書いていたということになります。
2019年05月29日
ただ、悲しむのみ
2019年05月20日
ゲームとか漫画にたまに出てくる、「時々啓示をくれて主人公を導いてくれる神様的存在」好きになれない問題
単なる私の好き・嫌いの話なんですけどね。
ここ最近、FF14をやっています。もともとはドマ式麻雀目当てに始めたんですが、なんだかんだで色々面白くって、蒼天のイシュガルドの3.0編クリアして、逆さの塔を攻略するところくらいまではきてしまいました。面白いですよね、FF14。
で、イシュガルド編のストーリーは大変面白かったんですが、大変面白かった中にも好きなキャラ・あまり好きでないキャラというのはいまして。
どうもこいつ好きになれないなーというのが、キャラクターというべきなのかどうかちょっと微妙なんですが、実を言うとハイデリンなんですよ。
FF14やってない人には分かんないですよね。ハイデリンっていうのは、星の意志そのものみたいな存在でして、分かりやすくいっちゃうと神様みたいな上位存在です。
で、ハイデリンはちょこちょこプレイヤーである光の戦士をマザークリスタルまで呼び出して、色んな啓示をしたり、ビジョンを見せて光の戦士の行動を導こうとします。「聞いて…感じて…考えて…」というのがお決まりのメッセージです。
いや、分かるんですよ。勿論世の中には「シナリオ上の都合」というものがありまして、プレイヤー、ないし主人公に渡す情報というものは色々と制限しておかなくてはいけません。いきなりこと細かにネタバレしてしまっては、面白さも緊張感も削がれちゃうよねっていう情報は、そりゃたくさんあります。それは分かるんです。
ただ、それならそれで、「その情報を今は教えない」理由にはちゃんとした事情があって欲しい。例えば情報量が多過ぎて最初に伝えると混乱してしまうからとか、伝えてはいたんだけど主人公が理解出来ていなかったとか、あるいはいっそ神様側に何かしら思惑があって、意図的に情報を伏せていたという話でもいいんです。そこにきちんと「理由」があれば納得は出来るんです。
ただ、特に理由が明示されないのに、「なんとなく上位の存在なので、人間には理解出来ない部分があるんです」みたいな感じでふわっとそこを丸められると、私にはそれが「作劇上の逃げ」みたいに感じられちゃって、あんま好きになれない傾向があるみたいだなーと思ったんです。
考えてみるとこの好き嫌いの傾向、結構昔からだなーと。神様みたいな上位存在が主人公になんとなく思わせぶりな啓示をして、けどあからさまに情報不足で、情報不足であるが故に主人公は偉い苦労を強いられて、けど情報不足である理由は作中であんまり明示されない、みたいなヤツ。これ、子どもの頃「ナルニア国物語」を読んだ頃から一貫して好きじゃなかったような気がするんですよ。
たとえ「教え導く」立ち位置であっても、例えば「神様にも限界はある」と明示されてる場合とか、神様がプレイヤーと同じ視点まで下りてきてくれる話とかなら嫌いじゃないんですよ。例えば「パルテナの鏡」のパルテナ様とか私大好きですし。
一方、むしろ神様に明確な意図があってわざと情報を隠しているとか、主人公のことなんて単なる道具としてしか考えていないとか、いっそ主人公を完全に騙して誘導しようとしている、というような理由ならそれもまた良しです。エルリックサーガのアリオッホ様とか超いい味出してましたよね。安能版封神演義の元始天尊なんかもこの傾向がありますし、クトゥルフ系までいっちゃうとまた事情が別ですが、ニャル様なんかちょっとでも信用した瞬間に主人公破滅しそう。
ハイデリン様はそこのところ、立ち位置的には(多分)明確に主人公サイドである筈なのに、どうもいちいち情報不足だし具体性がないし言ってることとやってることの整合性がないなー、とか現在思っている次第なんですが、まあこれが飽くまで伏線であって、これからの展開で「そうか、そういう事情があったのか!!」とか私が納得する可能性は否定しません。今後の展開を正座して待とうと思います。
ちなみに、全然関係ないんですが、「教え導く立ち位置の上位存在は一応いるんだけど、そいつの言うことがほのめかしばっかりでさっぱり理解出来なくて、けど後から考えるとそこにはちゃんと納得出来る事情があった」的な話で、私が一番好きなのは「ヘラクレスの栄光3」というゲームです。
ということで、雑然とした内容でしたが、今日書きたいことはそれくらいです。
2019年05月10日
内発的動機付けへの安易な傾斜はやりがい搾取ブラック企業への道
この記事、論旨自体を批判する気はないんですが、安易に受け取ると色々とよろしくないことが起きそうなので、ちょっと指摘しておきたいことがあります。
2つ目は、報酬に関心を持つと、人は報酬獲得のため最短で手っ取り早いやり方を選ぶようになることだ。1時間勉強したらお小遣いが貰える子どもは、簡単な問題だけを1時間やり、難しい問題には挑戦しなくなる。成果に見合う報酬は、確かに人を動機付ける。しかし仕事そのものではなく報酬に関心が向くようになり、手っ取り早い方法を選ぶようになる、ということである。実際には内発的動機付けにも、報酬はある。それは「楽しさと達成感」である。ここで欠かせないのが「自分はこの仕事をこなせる力がある」という「有能感」だ。この有能感は、誰でもできる仕事では得られない。自分の能力を最大限に発揮し、達成したとき、初めて得られる。
本当に必要なのは逆だ。統制はやめ、人の自律性を支援することが必要なのだ。その人を「1人の人間」として認めれば、人は「自分が有能で自律的だ」と考えるようになり、内発的動機を維持できるようになる。一人ひとりが「これは自分自身で選択して行動している」と心底感じられることが必要なのだ。心理学者シーナ・アイエンガーが著書『選択の科学』で「自己決定感」が大切と述べている点と共通している。
まあ何はともあれ、内発的動機づけは確かに重要だが、それが報酬軽視の根拠になるのはよろしくない、と思ったので念のために指摘しておきたい、と考えた次第なのでした。よろしくお願いします。
今日書きたいことはそれくらいです。
2019年05月08日
子どもがいることの幸せや嬉しさを、ロジックで説明することは出来ない
2019年04月30日
気に食わないイラストの作家さんを直接罵倒している人を見て思ったこと
当たり前の話なのだが、ある成果物を採用するかどうかは発注側が決めることであって、その成果物が「要件を満たしていない」というなら採用しない自由が発注側にはある。中には例外的な契約もあるのかも知れないが、まあ大抵はそうだ。
つまり、何か気に食わないイラストが、あなたが遊んでいるゲームに採用されてしまった場合、その責任は徹頭徹尾発注側、つまりそのゲームのベンダーにあるのである。採用した側が悪い。いちいち念押しするようなことではない、当たり前だ。
あなたには気に食わないイラストを批判する権利がある。そのゲームを罵倒する自由もある。それは幾らでもやればいいと思う。
しかし、「その罵倒を投げつけるターゲットはどこであるべきか」という問題は厳然として存在しており、それは絶対に「そのイラストを描いた人」ではない。絶対にだ。その人は、「発注に応じてイラストを描いて、それを納品しただけ」であって、そこに問われるべき責任は一切ない。罵詈雑言を投げつけるなら発注側に投げつけるべきだ。
・「イラストの出来」というもの自体が基本的に個人の好みの話であって、明確な品質基準を設けにくいこと
・それ故に、「お前の絵はひどい」と言われても反論がしにくいこと
・大抵のアーティストは自作について極めてナーバスであり、罵詈雑言から受けるダメージが大きいこと
・本来なら発注側がアーティストを守らなくてはいけないが、実際に守られることは稀であること
ただ、アーティストの立場に立ってみれば、たまったものではない。「知るか、採用した側に言え」と言えればいいが、そこまで神経が太い人はおそらく多数派ではない。
これが例えば昔であれば。雑誌に載せた漫画やイラストについて、出版社は作家を容易に守ることが出来た。ファンレターの態をした罵詈雑言を、「あるんだよねこういうの」と言いながらシュレッダーにかける編集者の姿を、私は実際にこの目で何度も見た。
その、言ってみれば編集者による「結界」は、実は2ちゃんねるの時代には既にちょっと怪しかった。自分の作品について語っているスレッドを自分で観に行って、当然のように存在する罵詈雑言に勝手にダメージを受ける作家さんは、当時から珍しくなかった。結果として筆が進まなくなって納期に深甚なダメージを与えたケースも、作家としての道を自ら閉ざしてしまったケースも存在する。
そしてその結界は、SNS時代には完全に破壊された。もはや、可視化されたアーティストに直接届く声を、メーカーが間引く手段は存在しない。今の時代、ユーザーは極めて容易に、フィルター無しで自分の声をアーティストに届かせることが出来る。声援を届けるのも容易だが、罵倒を届けることも容易だ。そして、極めて厄介なことに、声援を投げかける人よりも罵倒を投げつける人の方が声が大きい。少なくとも、アーティストの主観的には、声援よりも罵倒の方が心に残ってしまう場合がままあるのだ。
だからこそ、気にくわなかったとしても「not for me」にとどめておく考え方がなるべく広まって欲しいし、少なくともアーティストの側に直接暴言を投げつけるような人たちには鳴りを潜めていて欲しい。今回の件がどうこうではない、今後のありとあらゆる似たようなケース全てに言えることだ。
少なくとも、これだけは声を大にして言っておかなくてはならない。
文句はメーカーに言え。作家に言うな。




